ヴィンランド・サガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
丘に上がったヴァイキングは、奪うことでしか命を保てない。雪のマーシア横断を完遂するべく、穏やかな村に振り下ろされる斧と拳。
それは神をも恐れぬ、悪魔の審判か。ちっぽけな人間たちが、過ちの果てに辿り着いた罪悪か。
死に絶えるものは皆、その意味を知らない。
というわけで、陽気な”ヴァイキング”の悪辣が、美しい風景に反射して突き刺さるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
どんだけ戯けて、キャラクターとして愛着を預けても、主役が身を置いているのは殺戮の現場であり、それがどういう触感なのか、忘れてもらっては困る。
平和な世界を壊し、食い物を奪い、人を殺す。
そういう存在として彼らはあるし、そのどうしようもなさの真っ只中を物語は進んでいるのだと、喉元に突きつけるようなエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
こういう殴りつけがあるのは、とてもいい。お話が扱っているのは、モニタの外側で、現在進行系で発生しているカルマでもあるのだ。遠いフィクションではない。
アンが投げかける、沈黙する神への祈り。それと同じように、”ヴァイキング”の行いには理由も救いもなく、ただただ生々しくそこにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
前に進み活きるためには、誰かから奪うしか無いから。
それを思考停止と罵れるほど、僕も頭良くはないが、しかし目の前の惨劇を飲み込めるほど強くもない。
”主役”が確かに果たした、村ごとの略奪と虐殺。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
どうにも行き場のない重苦しさを、一歩一歩追いかけていくお話だからこそ、”ヴァイキング”の行いが何をもたらすか犠牲者の視線で描く話は、とても大事だ。
そういう”外部”がないと、殺戮がエンターテインメントで終わっちゃうからな…。
とはいうもののこのお話、序盤は緩く楽しく、いつものヴィンランド・サガで始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
兄弟だから助け合う、身内だから支え合う。”ヴァイキング”の狭くて当たり前の視線を、キリスト坊主は遠くから見る。
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その視線の先にあるのは、魂の大聖堂。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
酒に酔った幻覚か、信仰がもたらす陶酔か。ヴィリバルドは肉をかっくらい、寒さを凌ぐ現実以外の場所を見据えている。
兄弟の縁も金に変わる、それをジョークにも出来る俗世から遠い場所。倫理の高みからの言葉は、”ヴァイキング”には届かない。
無私、無辜、無原罪。誰も区別しない神の愛は、誰かを守るために誰かから奪う現世の愛とは、なかなか相性が悪い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
自己愛、兄弟愛、同胞愛…そこから流れる血を予言するように、ねっとりと重い朱の酒。
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犠牲の血の意味を理解できない”ヴァイキング”は、当然トールズの死も理解できていない。(ということは、その前に頭領が投げかけた取引の意味も、ただの冗談で終わっている、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
そう終わらせて、ウェールズのために”ヴァイキング”でいるために、アシェラッドは理想を土足で踏んだのだ)
変わり者の笑い話として流される犠牲を、ヴィリバルドは狂人の眼で見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
愛のために己を投げ出し、闘いの最中で思考を止めない。剣を持たない真の生き様は、あくまで狂気として描かれる。
当たり前の塵世を生きる俗人には、到底理解できない無駄ごとに、神父は導きと兆しを見出す。
一方吹雪の中で、アシェラッド兵団の不満は溜まっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
『ツイていない時は、何をやっても巧くいかない』
ラグナルの忠言を、アシェラッドは鉄面皮で跳ね返す。底で譲ってしまえば、デカい賭けに出た意味がない。故国ウェールズを守るため、愛を貫くことが出来ない。
どうにも戻りようがない場所へ、アシェラッドと兵団は進んでいく。その歩みはチグハグで、どこに向かうのか、なぜ進むかも頭領は教えてくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
何しろ、デーン人は嫌いだし、言葉が通じない蛮族だから。
アシェラッドの軽蔑は、頼るべき仲間との間に断絶を生み、亀裂を深めていく。
未来に待ち受ける暗闇は、”耳”がもたらす戦火で一時、消える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
あんだデーン人を軽蔑しておいて、糧食が枯れてきたら『ノルド人の伝統』を持ち出す二枚舌。世知と取るか、不実と取るか。
理想と死ねるなら、こんな場所には行き着いていない。
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暗闇に隠されていた犠牲が、静かに顕になる時。ラグナルは背中を向け、アシェラッドは獲物を見据えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
共感しない。同じ人間だと認めない。その冷たさが、彼を優秀な戦地司令官とし、クソみたいな人間のクズに貶めている。
だが、屑になる以外生き残るすべがあったのだろうか?
武器を捨てた真の戦士は、既に死んでいる。理想は犠牲を常に伴う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
何しろ自分の意志で殺させたのだから、アシェラッドはその事をよく知っている。捨て去ってしまった夢のためにも、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
キリスト教徒もヴァイキングも、人間じゃないんだから死ね。
『兄貴になら背中を預けられる』という狭い愛は、つまりこういう不平等をもたらす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
殺す相手と殺さない相手を選別する傲慢は、神ならぬ人に許されているのか。”ヴァイキング”は最後の審判をもたらす、特別な悪魔なのか。
肉食って女奪うクソ人間だってことは、もう僕らはよく知っている。
それを知らぬ素朴な人たちの、当たり前の生活と信仰。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
”ヴァイキング”は降って湧いた災厄、神に逆らう悪魔だと、マーシア伯領の農民たちは認識している。圧倒的な暴力を遠くに見つつ、当たり前に積み重なる毎日。あかぎれた手に輝く、小さな悪徳。
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アンの家族をじっくり描くのは、今回トルフィンを一度も描かないのと巧妙な対置だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
かつてアイスランドで、同じような生活があった。当たり前の幸福と、少しの衝突と沢山の笑顔。
復讐のために”ヴァイキング”となった今、トルフィンはそれを奪い、焼き、殺す側になっている。
その渦中に、トルフィンは確かにいる。だが、その姿は描かれない。それは一種の挑戦状なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
ヴァイキングの蛮行に眉をひそめるのならば、ここにいるはずで描かれない主役が何をしているか、しっかり想像しろ。
別の場所で、同じ温もりを持っていた存在が、壊す側に回った事実を見ろ。
そういうメッセージを、素朴なキリスト教徒の家庭描写から勝手に受け取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
描かれないからと言って、この温もりを足蹴にする蛮行に主役が関与していないわけじゃない。小さな笑顔と絆があるからって、殺人者である事実が消えるわけでもない。
視聴者を油断させない揺さぶりは、むしろ誠実だと僕は思う
アシェラッド相手には温かい情を寄せるビョルンも、ここでは家庭に雪と剣を持ち込む蛮人だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
知ってるブリテン語は『食い物全部出せ、殺す』だけ。命の糧を足蹴にし、迷いなく拳を振り下ろせる。そういう顔を、カメラは容赦なく切り取る。
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皆殺しの先触れとして、炎は静かに燃える。家庭を焼き尽くし、祈りを無力にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
そんな見ず知らずの命を助けるために、剣を握らない戦いを挑んだ神父は、縛られボコボコに殴られる。正しい生き様の対価は、いつでも高い。
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アシェラッドが他人を切り捨てる時に、とても礼儀正しく冷たくなるのが凄く嫌だ。ということはつまり、無茶苦茶刺さってる、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
アシェラッドは殺戮に狂乱しない。一時の気の迷いで殺さない。故国のため、秘めた真の目的のために、全てを嘲りながら、冷たく計画し実行に移す。
そんな彼が、トールズの命を取る前には動揺していたことが、”父”の生き様がどれだけ響いたのかを証明している気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
人間と認めなければ、いくらでも冷たく切り捨てれる男が、殺したくないと思った存在。それに感化されて、善きキリスト者であろうとした男の叫びは、雪に吸われて無駄に終わる。
アシェラッドの果断を、この作品は多分肯定しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
条件付きの愛は自動的に、身内以外に振り下ろされる斧に変わる。情け容赦のない虐殺の果てに、輝く勝利があるものか。
では、愛を叫べば世界は変わるのか。んなことぁないと、神父の顔面が教える。
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どんだけ『愉快なアシェラッド兵団』をやっても、彼らが異国を進むというのは”これ”なんだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
灰色の虐殺は、視聴者の安心と共感を弾いていく。それでいいと思う。
アシェラッドは殺戮者で、同時に愛に殉じてもいる。それが矛盾しながら同居してしまうのが、人間の難しさなのだろう。
そういうものに切り込んでいく以上、生き死にの生々しさ、”愛”の暴力性から逃げることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
世界はとても美しいまま、許されざる蛮行を見逃していく。神の沈黙を月光に問うても、答えはけして帰ってこない。
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美しい月光に照らされても、犠牲者も殺戮者も人間であることをやめられない。生々しい歯と目線があり、目の前で奪う命を見ない瞳があり、蛮行は続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
その外辺に、描かれざるトルフィンが確かにいることを、忘れてはいけないな、と思う。これが”ヴァイキング”で、彼ももう”ヴァイキング”なのだ。
アンは悪徳を恐れぬ超越的な悪魔として、ヴァイキングを見る。善を押し付け、沈黙を続ける神よりも親しい存在だと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
だが、彼らが余りに愚かで余りに卑俗な人間でしか無いことを、僕らは”神の目線”から既に、知っている。
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正しい言葉に導かれ、正しく日々を生きていても、殺戮は嵐のように唐突に訪れる。アンが”ヴァイキング”に向ける憧れも、その内実を知らないが故の憧れだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
何もかもが裏腹で、何もかもがちぐはぐな冬の世界。奪い、奪われ、殺し、殺されるしか出来ないどん詰まりの現世。
『信じてもいねぇのに、死が救済だなんてお為ごかしを呟くんじゃねぇよ…』と思わなくもないが、それが空言だと、他ならぬアシェラッドが一番良く知っているだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
知っていても、呟かざるを得ない。止まることも出来ず、『ノルド人の伝統』に従って、100人の口を満たす食料を奪う。
その報いはいつ、どのように訪れるのか。そこに行き着くまでに、どれだけの愛と罪を重ねるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
自分たちの弱さ(アンが憧れる”悪魔”は持ち得ぬもの)を追手に知らられないため、巻き起こした虐殺。それは完璧なものではなく、一人の少女が網から溢れた。
それが、野望の道行きをどう乱すか。
故国の安寧を夢見るアシェラッドの、約束された破滅。ジリジリと積み重なる、不満と悪徳。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
そういうモノを、犠牲の側から描くエピソードでした。世界があまりに美しいことが、何もかも矛盾だらけの現世をしっかり照らしていて、非常に鋭かったと思います。
はー…ヤな気分だな…素晴らしい。
アシェラッドのルーツを見せて、愛に生きる人間味を確認させた直後に、軽蔑してる”ヴァイキング”として余りに的確に生きれるゴミっぷりを叩きつけるの、いいバランスだなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
その矛盾もひっくるめて、下劣で高貴で魅力的な”人間”なのだなぁ…。
その道程が、一体どこに行き着くのか。知ってはいたが、まぁ悲惨なお割しか待ってねぇわな、コレやっちまうと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
だが結末だけが物語ではなく、栄達と幸福だけが人生でもない。
”ヴァイキング”は殺して奪って、異国を進む。それを追うのもまた、”ヴァイキング”だ。ヴィンランドは遠い。来週も楽しみ。
追記 人が夢を食わないと死ぬ動物だという事実を、しっかり見据えた上で理念の無力を何度も刻むのは、凄く”生きる”ということに真摯だと思う。
ヴィンランド追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
今回の虐殺が重たくも湿り気のない感じなのは、キャラが”死ぬ”ことより”生きていた”ことに紙幅を割いた語り口とか、これまでの蓄積とか色々あるけども。
シビアな現実のどうしようもなさ、生っぽさをしっかり見据えつつ、そこを超えたどこかを求める目線もあると思う。
キリスト坊主の寝言は、ヴァイキングにもその犠牲者にも届かない。理想は無力で、あらゆるものが平等に、奪わず生きれるヴィンランドはとても遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
そういう”現実”を見据えてなお、きれいなものを夢見なければ生きていけない人間の業、現実に諦めきれないもう一つの愚かしさを忘れない。
それは救いであり、残酷でもあると思うけども、世界の醜さだけをそのショックの強さ故に”真実”だと思いこんでしまいがちな僕(ら)にとっては、大事な視線だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
理想が常に無力で、しかしそれにしがみつかなければ生きていけない存在。夢を食う人間が同時に、奪ってでも生き残る動物でしかない事実。
その渦中に人類はずっといて、これからもいるだろう。その一端として、末世のヨーロッパを切り取るこの物語が、どこに進んでいくのか。群像はどう倒れ、どう影響を及ぼしていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
夢と現実、美と醜を対立項ではなく、背中合わせのカルマとして睨みつける視線が、作品の背骨をしっかり支えている。
殺戮の舳先に立つアシェラッドですら、母の遺骸が眠るウェールズへの愛ゆえに、悪魔的な冷たさをぶつけられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月13日
人はきれいな夢を見るが、それは必ずしも力を生み出さないし、優しさに繋がることもない。だが夢への想像力を失えば、人はみな”ヴァイキング”になっていく。
そういう歩みの物語だ。良い。