イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

焦熱と寒気の狭間にて-2020年4月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2020年4~6月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

かくしごと

ベストエピソード:第12話『ひめごと』

自作の全てを生かしきった、見事な作品でした。

かくしごと:第12話『ひめごと』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 久米田康治という漫画家が、どういう作家なのか。
この問いに対する答えは人によって……彼の作品と出会った時期によって、当然異なるだろう。流行と毀誉褒貶を燃料に、超高速で移り変わっていくマンガ業界をサバイブ出来ているベテラン作家ならば皆、己を変革させつつ”らしさ”を維持し、様々な顔を見せながら作家を続けている。
この作品で見せたハートウォーミングな筆致、スタイリッシュな切れ味、最初から破綻を提示して進むフェアネスは一見『久米田らしくない』要素であるが、その作家的変遷を追いかければ徐々に、そして確かに存在感のある”らしさ”であったと、納得できる強みだと思う。
それはもともと彼の作品、彼の人格にあったもので、しかし主題には中々据えられず、別角度から己に、世界に挑むことで形になった……新しくも懐かしい強さなのだと思う。
もともと残酷な世界の中のちっぽけで愚かで、しかし確かな人の繋がり、世界に押しつぶされずに生き延びられる縁を、笑いと毒の中に混ぜ込む作家ではあった。スタイリッシュな描画力も、様々な場所で顔を見せていた。
そんな資質が形を手に入れ、見事な完結へと至ったこと……久米田康治の懐かしき新境地を、それを見守らせてもらったいち視聴者として寿ぎたい。

アニメ作品としてみると、過去と未来二つの時間軸に別の筆を用意し、それが呼応するようにヴィジュアルとドラマが力を発揮する構造が、とにかく見事であった。
姫7年間の成長を反映するように、夢に満ちた柔らかな過去と美麗で冷たい未来を対比/呼応させながら、謎は膨らんでいく。
何故、幸福は終わったのか。何故、漫画家ではいられないのか。その疑問が強くなるのは、可久士と姫を取り巻く世界があまりにも優しく、しかしその優しさが所与の当然ではないからだ。
皆歯を食いしばり、あるいは秘事に見て見ぬ振りを重ねながら、愛しい日々を守り続けている。バカ笑いやドタバタの奥に哀しみがあり、冷たい世間の目を『こなくそ!』と跳ね除けながら前へ進んでいる。
相反する諸要素の同居と融和というのは、この話の特色であり特徴だ。一見シンプルにカテゴライズしてしまいそうな要素、記号化されてしまいそうなキャラクターに深みと連動があり、それを発見/納得していくことで、作品により強く思い入れていく。視聴者もまた、内部にシャイに秘められた”かくしごと”を見つけていくことで、作品をよく知っていけるアニメだった。

そんな作品の表現力は、この最終回を迎えるために研ぎ澄まされている。一世界として圧倒的なシャープさ、静謐で鮮烈な表現力を兼ね備えた筆致の徹底。ここまでは”番外”としてアバン、あるいは終わりに挟み込まれていただけの未来描画が、満を持して暴れ狂うシンプルな気持ちよさ。
しかしそれは、ここに至るまでの暖かな日常、愚かしくも愛おしいドタバタ劇があってこそ、成立する鮮烈である。可久士と姫の奇妙な日々は、残酷なリアルを際立たせるための素材ではないし、アシスタントや編集と”漫画家”する生活もまた、それがダメになるための前フリではない。
とてつもなく愛おしくて、しかしどうしようもなく壊れてしまうもの。人生という壊れ物を守りたいからこそ、箱に入れて隠した。そんな可久士の優しさとプライドを知らなかった姫が、少女から青年に育ち、父の生き様を受け止められるほどに背丈を伸ばす。
そういうドラマを活かすためには、やはり美しき日々の描写を繰り返し積むことが大事だった。可久士が時間を巻き戻し、消え去った黄金期にしがみついてしまう弱さと切なさに『そうだよね……』とうなずくためには、永遠ではないからこそ永遠であって欲しいと思える、親子の暖かな日々、漫画家の奇妙な日常を重ねる必要があった。

同時に、ヌルく心地よい日々はこの破綻、破綻の先にある飛翔があってこそ、物語としての意味を持ちうる。チラホラと見せられる、過程のない終局。仲良し親子はバラバラになり、画業は続けられず、温もりは冷え切る。
それは何故か。作品を牽引した問はほっこりエッセイに別の味を加え、その温もりをよりシャープに磨き上げた。未来と過去の同居があってこそ、その両方の強みが際立った。その構成、コンセプトを実現する表現の確かさは、幾度褒めても褒めたりない。アニメとしてきっちり動かしきったスタッフは、本当に凄い。
時が過ぎ去ってしまうこと、何もかも変わり果ててしまう残酷に目を閉じず、それを認めた上でまだ、美しく柔らかいものは掴み直せると描ききる。暖かな日々に夢見る弱さと辛さ、瓦解したようで確かに残っていた足取り、成長した少女と仲間たちの疾走。
そういうものが、崩壊の先にある青い空と柔らかな雲へと旅立っていくエンディングは、毀誉褒貶入り交じる人生曼荼羅の全てを、愛おしく肯定する強さに満ちていた。

愛する人が去っても、時が巻き戻らなくても。
人生は生きるに値する。
そんな”きれいごと”に血と涙を滲ませ、説得力のある形で描ききった物語。漫画との同時完結だからこそ、作品のすべてを生かしきるアニメ化になり得た奇跡も含め、見事な作品でした。

 

 

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
ベストエピソード:第11話『破滅の時が訪れてしまった… 後編』

さよなら、あっちゃん

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…:第11話『破滅の時が訪れてしまった… 後編』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 はめふらは全てにおいて、よく出来たアニメだった。人格が太くて好感が持てる主人公が愉快痛快に大暴れして、知らず状況を打破していく気持ちよさ。可愛げと清潔感、面白さを同居させたキャラクター達。善因善果の物語を、最新鋭のエンタメとしてしっかり成り立たせる細やかな工夫と骨の太さ。
普通に面白い話が普通にウケて、狙ったとおり勝ち切る姿を見るのはある種の痛快さがある。原作からして馬力のある作品なのだと思うが、そのポテンシャルを最大限活かしてアニメ化し、メディアと作品の強みを生かして、最後まで緩みなく走り切る。
理想形ながら中々実現が難しい、という意味では、カタリナ様の生き様にも似たアニメとしての強さ。優しくあること、自分らしくあること。当たり前で簡単なはずなのに、いざやり遂げるとなるtあまりに難しい善行を、カタリナは全速力で成し遂げる。
無垢であること、無知であることが霊を救う善行に繋がっている様子がしっかり描かれているので、未成熟で鈍感……であることでラブロマンスを長続きさせるズルい構造にも、納得してしまう強さがあった。

そういうお話の、どこをベストに選ぶか。非常に悩ましい。
個人的な好みとしてもシリーズの構成としても、幼年期編……特に作品の”お手本”となる第一話の仕上がりは外せない。
幼い純朴が子供の柔らかかな魂に届き、救済と呪いを受けて人生が変わっていく様子。恋の意味も知らない無邪気な時代に出会い、後に独占を求めても幼年期の輝きがあまりに眩しすぎて、エゴイスティックに奪うことは出来ない束縛。
何よりカタリナの強い人格が力強くうねり、コメディと感動作を両立してブン回す作品の基本姿勢が、よく出ている。こんだけ強く楽しく突き進むお嬢様に、子供時代であってしまったら。そらフラグも潰れるし、人生も変わっていくと強く納得できた。

その上で、ベストは11話としたい。
それはひとえに、一時の美しい夢を諦め、”私”の手を微笑んで離せたあっちゃんの尊さ故である。
死は重い。善人の死であればなおさらであるし、それが若い善人の死ならばもう絶えられないだろう。カタリナ様は転生前も後も、そう思わされる非常に良い人で。だからこそ、この回で描かれる美しい夢の美しさ、それに溺れていたいという願望の強さにも、強くシンクロできる。
その上で、転生で掴んだ二度目の生を掛け替えのない人生と認め、死によって断たれた夢から醒めていくよう、親友を導けるあっちゃんの人格、それを受けて駆け出すカタリナの力強さと切なさは、非常に強い。
現実という名前の夢、ゲームという名前の現実。二つの世界に隔たれた親友が、生死の間で見た夢。それがあまりに綺麗で、だからこそ醒めなくてはいけない切なさは、クライマックスに主人公が”勝つ”説得力として、非常に分厚かった。
良き人には、良き友が集まる。友情のサークルが分厚くなっていく様子も作品のテーマの一つだと思うが、その極限をしっかりと刻んだ、見事なエピソードである。

 

波よ聞いてくれ
ベストエピソード:第9話『お前を信じない』

人間の美醜悲喜をごたまぜに詰め込んで、ズカズカと勢いで転がしていくお話しの主役には、土壇場での度胸と不思議な気持ちよさがある。

波よ聞いてくれ:第9話『お前を信じない』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

かくしごと”といい、『ベテラン作家ここにあり』という力作が並んだクールであった。どんだけ戯けても溢れかえるセンスと地力、豊かな教養をためらわずドブに捨てることで生まれる爽快感。
破天荒なようで少市民、情けないようでかっこいい。不思議な魅力に満ちたミナレを主軸に、人生の悲喜こもごも、様々なあわいを愛おしく見つめ活写してく筆先の活力。作品を牽引するエンジンとして、暴れ倒す喋りの強さ。生き生きと止まることがない、波乱万丈の人生模様をまとめてフィクションに固めて、電波に乗せて世に問う”芸”の書き方。
色んな強みが的確にアニメとなり、冴えた演出と油断のない画面構成、音響制作が面白さを加速させる。アニメーションならではの攻めたカットワーク、レイ・アウトが随所でうなり、かなりスタイリッシュな作品……なんだけども、ダイナシどころの容赦の無さがスカした感じを思い切り蹴り飛ばしても行く。
痛快なれど軽くはなく、面白いけどどこかでホロリ。複雑な味わいを一気に食わせる勢い含め、いい作品、良いアニメ化であった。

ベストをどこに据えるかは、いつものように悩む。『熊 VS DJ』という強い絵面をいきなり叩きつけてきて、作品を理解らせた第一話も良いし、今までのオフザケを反転しラジオの果たすべき役割、それを背負う覚悟を見せたミナレの旅立ちで終わった最終回も良い。
しかしシンプルな演出の切れ味を買って、この話数をベストとしたい。
どっしり腰を落として、ミナレが私人として女として何に意を固め、戸惑い、流され、奮起するのか。それを追いかける筆はいつも以上に鮮烈で、何気ない日常のスケッチにハッとさせられるような鋭さが、随所隠されていた。
光雄の憎みきれないろくでなしっぷりも含め、人間観察の鋭さ、尊卑が同居する人生の不可思議という、このお話の一番強い部分が活きたエピソードだと思う。
無論、人の愚かしさと貴さを笑い飛ばしつつ、優しく見守る視線という、作品の土台も非常に元気だ。ネタにはしつつ、すればこそ。自分達が作り出した作品世界で生きる者たちを尊び、大事に活かしてあげる心配りというのは、創作でとても大事だと思う。それがあればこそ、この回は一話まるまる使って、”鼓田ミナレ”を描く。
それを試み、見事に成功できるアニメというのはなかなかない。そして、このアニメはそういうアニメなのだ。

 

・新サクラ大戦
ベストエピソード:第1話『堂々開幕!新生華撃団』

隊長さんの態度は、そこをしっかり示してくれ。説明より、第一話で大事なことだと思う

新サクラ大戦:第1話『堂々開幕!新生華撃団』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 既に出来上がった物語に途中からはいるのは、なかなか難しい。こうして三ヶ月前の感想を読み返してみると、当時の当惑が結構素直に綴られていて、なかなかに面白い。
この第一話で感じた良いところ、戸惑うところ。それは最終話まで基本揺るがずに、ずっとつきまとった。サンジゲン謹製のバリバリなアクションに目が行くところだと思うけども、僕は芝居の作り方、キャラが背負う”誠”の魅せ方に注目し、それを軸に話を追いかけてきた感じがある。
神山隊長が、部下であるさくらに膝を折ってヒロインを託す姿。それを受け止め、恋を横において”家族”としてクラーラの手を取るさくら。第一話で『お、良いな』と感じた部分が崩れなかったから、作品を最後まで見通せた感じはある。

こういう書き方をするということはつまり、視聴の腰が折れそうなキツさも、正直言えばあった、ということだ。『サクラ大戦であること』を大事にしすぎて、その門をくぐってない視聴者(つまり僕)にあんま挨拶をしてくれないところ。世界設定を既知のものとして流して進むので、キャラクターが問題視する状況がどのように扱われるべきか、なかなか掴めないところ。
『この場面ではこう』という規定に乗っかりすぎて、キャラクターが状況に十分抗っていないように見えてしまうところ。話の都合が優先しすぎて、十分納得がいく前に話が進んだ体になってしまうところ。
ここら辺の粗さは、様式と納得するには少々いらがっぽい棘で。これを丸めてしまっては”サクラ大戦”ではないから、あえて残しているのか。はたまた、別の理由があって残ったのか。それとも、そこを気にかけているのは僕だけなのか。
そこら辺の判別はなかなか付きかねるが、凄く不躾で正直な言い方をあえてすると、”サクラ大戦”であることが今作品にとって、時折枷に感じる瞬間があった。『門外漢が何言うか!』とファンはお怒りになるだろうが、まぁそう感じてしまったのだからしょうがない。
古いものに新しい命を宿す時は、何を残し何を改めるかの判断はとても難しいと思う。このアニメで初めて”サクラ大戦”に出会うもの、あるいは久々に挨拶をしてみようと思ったもの(僕はこっちだ)をコンテンツに取り込もうと思うのなら、ファンが許容する”お約束”に甘んじず、大胆なブラッシュアップも必要なのかなと、勝手に思ってしまったりもした。

しかしそこらへんを横にのけても、クラーラとさくらは魅力的な少女であった。彼女らを主役とヒロインに定位するべく、たまにしか顔を出さない隊長もまた、誠のある好漢であった。ここら辺のベーシックな強さがあったことは、とても良かったと思う。第7話とか、凄く好きだよ。
願わくば、他の団員(特に個別回がないアナスタシア)も、より広く深い描写と理解を掴みたいと思うわけだが、それは主役がよく描けていたからこその願いだと思う。脇役でいうと、司馬くんの書き方とか好きだったな……。
そういう人間と人間の触れ合いを描く筆が元気だと、この第一話で示してくれたことが柱となり、なんだかんだ楽しく見終えることが出来た。そういう挨拶が作品から出るのは、なかなか良いことで、得難いことだろう。

 

A3! SEASON SPRING & SUMMER
ベストエピソード:第11話『オレの弱さを』

やっぱねぇ…”立花いづみ”って主人公がとにかく太いわけですこのアニメ。

A3! SEASON SPRING & SUMMER:第11話『オレの弱さを』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 僕はいわゆる”乙女ジャンル”と定義されるものも、アニメになりゃバクバク食べる悪食なわけだけども。面白けりゃ何でも良い……というか、主食にしている感情のデカさ、人を突き動かす衝動の大きさはこっちのジャンルのほうが鋭く、強く、激しい時が多々あったりするので、門外漢ながら間借りするような形で、見させてもらっている。

ある程度数を見ると、ジャンルの内側が多彩であって、外側で見てた時のイメージとは大違いだってのはよくあることだ。『乙女ゲー』なる偏見を引っ剥がしてみてみれば、当然そこには色んな作品があり、色んなアプローチがある。
その一つに、主人公の当事者性がある。一人称の『体験する』メディアたるゲームから、三人称の『見る』メディアたるアニメへと移行する時、どの程度主人公の透明性を残すのか。ユーザーの投影対象としての癖の無さは、三人称の物語の主役を担うとき、たまに登場人物として残しの良さ、存在感の薄さ……そして主役が必然的に背負ってしまう物語の弱さに繋がったりする。
これは多分永遠の命題で、既存ユーザーとアニメからの新規、どちらにフォーカスを当てて物語を進めていくかという切り分けにも、大きく関わってくる。僕は大概原作知らずにアニメで合うので、三人称で見て力強く物語を牽引してくれる、色の濃い主人公が好きだけども。体験のメディアとして”主人公”に強く自分を乗せてきた、ゲームからのユーザーの満足に敬意を払わずして、いい作品は作れないだろう。

むろん作品の書き方にも色々あって、ゲームと言えども三人称的に進める物語もある。”A-3!”の原作がどのような語り口を選んだかは、ゲーム未体験の僕にはわからないけども。アニメスタッフは非常に力強く、豊かな人格者として主人公・立花いづみを世界に立たせることにした。
彼女がキャラクターとして魅力的で、他人に影響を及ぼす立場に納得できる人格の持ち主であることが、強く作品を牽引したのは間違いない。演劇に敬意と情熱を持ち、導くべき団員を俯瞰で冷静に、そして密着して一個人としてしっかり見て、手を差し伸べる。その働きかけが、作品の随所に満ちていたのは幸福だった。
イケメン俳優をとっかえひっかえ、様々な問題を乗り越えつつ進む物語。そこに決定的な支えを与えつつも、表舞台に上がることを許されない敗北者。そういう自分の立場に誇りと愛情をもって、自分が見つけたものを他人に手渡ししていく。そういうタフで力強い生き方が、作品の芯となっていた。

そんな彼女に身を寄せることで、僕はこのおはなしをとても楽しく見ることができた。タダのイケメン博覧会ではなく、様々な人間が寄り集まってカンパニーとなり、芝居が出来ていく、役者になっていくダイナミズムの真ん中に、ちゃんと主役がいること。僕にとっては、それはとても大事なことだった。
それがあるから、勝負どころで唸る演出力だとか、詩的な表現に思いを乗せる表現だとか、かなり繊細に揺れる男たちの心理だとか、作品独自の強みも堪能できた。正直万全の作画とはいいづらいけども、しかし『何を描き何を伝えるか』という意志ははっきりしていたし、それが画面に宿るのであれば、僕は面白いアニメと受け止めることになる。群像それぞれが生き生きと、自分の生き方を手探りしていくドラマは、非常に面白かった。

そんな作品の何を、ベストと定めるか。作品の見取り図を鮮明にまとめた第1話、クールな青年がもう一度光に踏み込む第4話、少年の危うく真っ直ぐな恋心を舞台につなげだ第5話、夏組変化の兆しが鮮烈な第9話と、色々悩むけども。
やっぱり”立花いづみ”がなぜ主人公なのか、最も鮮烈に教えてくれたこの話数だと思う。最も負けた女が、最も勝っている青年に伝えられるもの。舞台に上がる意味、それが”Live”である意味。天馬を主軸とする夏組のストーリーが、ピークを捕まえる瞬間の熱量も籠もっていて、とても良い。
いづみちゃんが何でもかんでも、役者に正解を教えないのが好きだ。それは舞台を成功させるために、自力で問題に対処する足腰を鍛えるため……でもあるけど、一個人として自分の人生を背負う青年たちに、敬意と愛情を持っているからだと思う。
でも人間、人生という長い道を一人では歩ききれない。だから隣でよく見て、本当に必要な時に大事な言葉を、私近距離で届ける。そういう落ち着いた眼が”監督”という職能と噛み合ってるから、MANKAIカンパニーが成功していく物語にも納得がいく。こういうところにも、主役の太さは活きているわけだ。尊敬できないやつがのし上がっても、納得力は薄いからね。
彼女を取り巻き触れ合う男たちも、それぞれダメなところがあって、でもそれもチャーミングで、とても良かった。欠点と成長の両輪でドラマを元気に回すという意味では、天馬は一番でかいエンジンだったと思う。そんな彼がどんな物語を描いたか、しっかり総論できているところも含め、非常に優れたエピソードだ。

 

・BNA ビー・エヌ・エー
ベストエピソード:第11話『A Beastly Feast 』

子供は大人に学び、子供は大人に影響される。 そういう幸福な共鳴を、しっかり捉えてきたアニメだからこそ、ここがピークとして機能すんだろうなぁ…俺、このアニメ好きだなぁ…。

BNA ビー・エヌ・エー:第11話『A Beastly Feast 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 最初に言っておくと、ベストは”全話”です。
流れでこの記事みて、BNA本編見てない人はアタマっからケツまで見ろ! 今すぐ! Netflixで見れるからッ!!

初手で興奮してしまったけども、放送中ずっとキレながら見ていた。作品の出来……では当然なくて、こんだけスゲェモンが流れているのに妙に体温低い世間と、それを湧き上がらせられない自分の筆力になさに、である。一腐れアニオタブロガーが思い上がるな? いや、全く。 
しかしまぁ、自分に見えている世間というものがいかに狭く、内省と変化を要求され続けるものかというのも、この作品で描かれた大きなテーマである。このアニメに込められた骨の太いテーマ、豊かな娯楽性、分厚い成長のドラマは届くべき所にしっかり届き、熱くするべきところを熱くしていると思いながら、総評を書いていく。
といっても、最終話終盤の感想でこのアニメのどこに魅力を感じるか、良いと思うのかは書いてしまった感じもある。楽しかったし、正しかったし、強いアニメであったと思う。ケレンに逃げがちなTRIGGERくんが持ち前のシャイネスを全面に出して、静かに訥々と、キャラクターが何を思い何に感じ入っているか見せるシーンが多かったことが、とにかく気に入っている。

この話は獣人という大嘘を付きつつもまぁ地味で、みちるは街全体を動かしうる英雄になんてならないし、士郎さんも神として大きな変化を導けるのは最後の最後だ。それは”変化”というメインテーマの難しさを、ドラマの運びとシンクロさせるレトリックなのかなと、いまは思っている。
『変われるかもな』
そういう希望で終わり、『俺たちは変わった』と満足はしない。厄介事は常に生まれ、偏見と断絶はいつでも隣りにあって、克服しきれない業がそこかしこに眠っている世界。そこでなお、異質な他者と隣合うために必要な”変化”は、相当に生み出すのが大変だ。
みちるも士郎さんも、なんか鼻につく部分のあるキャラクターとして物語に飛び出してきた。隣りにいたらイライラするだろうな、と思える人たちは、しかし目の前で展開される街の風景、知らなかった人生の物語、隣で変化していく誰かの物語に影響されて、より善く変わっていける。
知らないからこそ生まれる、他者へのイラガっぽさ。人が群れて暮らす以上生まれてしまう”心的エントロピー”を高めて、隣人を殺す暴走を生み出すのは多分、獣人だけの特権ではない。あの世界の人間様だって、むしろ人間様だからこそ、石を持って他者を追いやる獣性と無縁ではない。
みな不完全な獣としてこの世界にある。それが戯画化されたイベント性を持っていようがいなかろうが、このお話で書かれた”獣人”とはつまり私達のことだ。戯画というのは、物語というのはいつもそうであるし、そうでなければいけない。そこのバランスが良く取れていたのは、いくら褒めても褒めたりない長所だ。デカいテーマと小さなドラマが、しっかり歩調を合わせていた。

そんな歩みの物語は、全話が良い。第1話で魅せられた全体の確かな構図、第4話の鮮烈なエモーション、バカ話の奥に体温のある詩情が輝く第5話、第6話から始まるなずなとの対話。明かされた真実の先にある光へ、顔を上げて進んでいく最終話も素晴らしい。
その上でこの第11話を選ぶのは、僕の中で作品のピークがこの話数、輝くライブ会場の上にある暗がりの対話にあるからだ。
そこでみちるは、自分が一番判らなければならなかった士郎の想いを受け止められなかった、己の幼さを謝る。年経た狼がむっつりと抱え込む誇りを認めた上で、それでも言ってもらえねばわからないと、言葉を伸ばして心に触る。それが銀狼から銃を奪い、幾度も踏み込んできた暴力の繰り返しから、立ち上がるきっかけを作っていく。

新旧男女、ジュブナイルとハードボイルド。W主人公の対比で作品を加速させていくだろうという個人的な”読み”が当たったのも嬉しかったが、何よりもあの幼いみちるが己を鑑みる賢さを、頑なな士郎さんが自分を譲る柔らかさを、お互いから手に入れられた変化が眩しくて、とても好きだ。
他人の事情を知ろうともしねぇ、狭い世界の閉じこもったガキ。反発を畏れず、第一話でみちるのそういう部分をしっかり刻んだからこそ、目を開けて世界の楽しいことも悲しいことも己へと引き寄せて、変わって行くあの子が眩しかった。
女子供は黙ってろ。箇条なマッチョさで自分を鎧い、隣人を下に見ていた士郎さんの背負う悲しみ、歴史の重さを知って、そこから己を変えていける勇気と優しさに胸が熱くなった。
気づけばあの二人が、彼等が暮らす街の諸相が好きになっていたから、それが壊れるかもしれない終盤は悲しく怖かったし、負けてほしくもなかった。アランがもっともらしく張り巡らせる、衛生と広報と差別の共犯体制に、戯画で終わらない鋭い思索を感じたりもした。

そういうものを突破していける、小さくて大きなドラマ。それが結実するのはやっぱり、あの闇の中での対話だと思う。
暴力が徹頭徹尾ヘタクソなみちるが、突きつけた銃口。誇り故に暴力に身を寄せてしまう士郎さんが、取り落した銃口。それが錯綜して、鉄が心をつなげる道具になって、最終局面へ進んでいく。困難は多いだろうけど、ここまで来た二人なら乗り越えられるという信頼が生まれる。
そこに感慨が生まれるのは、やっぱそこまでの10話とここからの1話があって、一つの一貫した物語としての連動があればこそなんだけども。鮮烈に的確に、自分達が描いている物語を掴み、キャラクターに相応しい見せ場を用意できる力は、作家として非常に大事なものだ。
『決め所が静かで、しかし圧倒的に強い』という特徴は、例えば第4話ラストとかでも輝いているけども。全話良いけど、まぁ特にこの話数である。見てくれマジで。

 

かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜
ベストエピソード:第2話『かぐや様は聞き出したい/かぐや様は贈りたい/藤原千花は確かめたい』

ここで氷の女王を乗り越えるべき過ちと描かず、”家”の圧力と責任感も四宮かぐやの一部だと見せたのは、良いことだと思う。どういう形であれ、それは彼女を形作る一部だ。

かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜:第2話『かぐや様は聞き出したい/かぐや様は贈りたい/藤原千花は確かめたい』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 二期っていうのは、ともすれば一期よりも難しい気がする。上手くやれば作品への愛着も生まれ、キャラも好きになった前のめりの状態でスタートを切ることが出来るとしても、その根底には視聴者それぞれ求めるその作品”らしさ”がある。そしてそれは、前と同じことを繰り返していたらあっという間に摩耗する。
間違いなく同じ作品、好きになったテイストなのだけども、別角度から知らない面白さを、知らない色合いで見せる。『いつもどおりだなぁ……』と安心させ、同時に『おっ、新しい』と面白がらせる。
そういう難しいバランスを的確に取らないと、両手を上げて歓迎される”二期”というのは作りにくいだろう。このバランス取りに失敗して、『なんか違うな……』とモヤモヤ、不完全燃焼で離れていった作品というのも、それなりにある。

こういう書き出しをしている以上、”かぐや様”二期はその難事を無事成し遂げ、安心と新規性を同時に、大量に、見事に摂取できる楽しいアニメとして始まり、進み、終わってくれた。
新キャラのミコちゃん(とこばちちゃん)は可愛らしくも魅力的で、重たくシリアスな部分もあるいいキャラだった。
彼女がプンプンと生徒会に立ちふさがり、輝ける敗北の後に身内になって、ドタバタコメディを演じつつ日常を共有していく様子は、見ていて楽しかった。むっつりで思い込み激しい気質が、会長とかぐや様の距離を近づける触媒として近づいて、ラブコメに別の味わいが加わったのも良かったと思う。

誰もがミコちゃんを救ってくれと望みつつ、己では果たせない。そういう状況で、見事に希望の光を体現しベストな回答を引っ張ってくる白銀会長の強さ、生来の”陽”を確認できたのも、二期の嬉しいところである。
いい子だとは知っていたけども、それを越えてとても英雄的な青年なのだなと、再発見することが出来た。彼が色んなキャラクターに奇跡を持ってきて、優しさが色んな運命を変えていっている様子を、二期は沢山見ることが出来た。
既に馴染んでいるはずのキャラクターの、新しい側面を発見する面白さ。勝手に思い込んでいた『コイツはこういう奴』というイメージをぶっ壊され、再生していくのはとても楽しい。第11話で鋭く冴えた石上くんのキャラクター性も、こういう再話の見事さによって輝いた要素だと思う。

単話の仕上りを見ると、どう考えても第11話が頭抜けてはいて。シリアスもコメディも見事にやりきる画作りの強さ、ハイボルテージな画面運用と演出という、アニメとしてのこの作品の強さを、二期で一番印象づけた勝負エピソードであろう。
その上で、『あ、俺この話、このキャラクターのこと全然知らんのだ。ちゃんと向き合ってみなきゃダメだ』と思わせてくれた、この第二話をベストに挙げたい。かぐや様の中にいる、沢山の”私達”を描く筆の暗さ、精密さが、この作品が捕まえている人間認識の確かさ、それをアニメーションにする技量の高さを、エピソードとしてしっかり証明してくれた。
再開を喜びつつ、どっかでナメて緩んでいた気持ち。そういうのを明るく楽しくにぎやかな作品の仕上りで改め、描かれなかったキャラクターの深みで整え直す。次は何を見せてくれるのだろうと、期待しながら向かい直すことが出来る。
そういうお話って、なかなか貴重なのだ。第二話という早い段階から、そういう一発を入れてくれたことが、三ヶ月常に期待を高め、それを上回るエピソードを堪能できた幸福に繋がっていると思う。良いアニメ、ありがたいアニメであった。

 

・プリンセスコネクト!Re:Dive
ベストエピソード:第8話『リトルでリリカルなお子様ランチ ~田園風玉子焼きセット~』

今回はプリコネアニメに僕が見たいものが、ぎゅっと全部詰まったような仕上がりで、非常にありがたかった。 みんな可愛かったし、日々を生きる愛おしさ、誰かのために小さく何かを頑張る尊さが、あらゆる瞬間に満ち溢れ2億兆点でした。 このコンパクトな生活感が、作品の強みだと思う。

プリンセスコネクト!Re:Dive:第8話『リトルでリリカルなお子様ランチ ~田園風玉子焼きセット~』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ベストエピソード選出の理由は、上記のとおりであるけども。
他のエピソードも非常に良くて、とても悩んだ。冒頭の丁寧なコッコロ真心おにぎり描写で、このアニメがどういう作品かズバッと教えてくれる第1話。端正な生活描写が丁寧に積み上がり、物語とキャラクターの”ホーム”が出来ていく第4話。姉妹の絆とシャドウの脅威を描いた大長編の第7話。ペコリーヌとユウキが抱えた重荷を、皆が共有して明日に飛び出す第12話&最終話。
どれも出来は非常に良く、作品のコンセプトはブレなかった。”食”を通じて生活を書き、その積み重ねが絆となって人生を支え、新しい決断を後押しする。そういうとてもベーシックな、関係性構築の物語であった。
金崎監督がシリーズ構成と、ほぼ全話のコンテに関わっている大車輪が、この統一性に関わっているか否かは、一ファンである僕には測りかねるけども。飯を食って笑って暮らす”人間”というものを、クオリティの高い異世界描写、丁寧な生活描写で浮き彫りにしようというヴィジョンは、あらゆるシーンで結実していたと思う。

正直、もっとこー……プラスティックな話になると思っていたのだ。オタク文化特有のお約束で色々省略した、『まぁこんな感じでそれっぽいでしょ』みたいな話。スローライフとは名ばかりの、生きてる感じがしない形だけの”生活”の積み重ね。実際蓋を開けてみたら、そんなことはなかったわけだが。神バハ(特にGENESIS)、グラブル……『Cygamesがアニメを作る』てのがどういうことか、僕はもうちょい信頼してよかったとは思う。
それが怖いから、第一話を様子見して第二話と一緒に感想を書いていたりもする。ナメていたし、ビビってもいたわけだが、『あ、そうじゃないんだな』ということを、アニメーションそのものの仕上り、そこから透けて見える制作のヴィジョンが問答無用で教えてくれた。
アプリのユニットとして、強いビジュアルと物語と因縁を与えられても、与えられなくても。キャラクターはその世界でそれぞれ生きていて、それぞれの繋がりがある。この関係性の束として”ギルド”を活用して、毎回多様な味わいを出してきたのは、原作要素の上手い活かし方だったと思う。

主役にならないキャラクターにも、それぞれの個性と生き方がある。モブへの時間の使い方(その結果としての、デカい主題をバッサバッサ切り捨てる大胆な構成)を見ても、この話がそういうモノを大事にしているのはよく判る。
この話も、主役と同じ家には住まないけど、同じような絆で日々を生きてる小さな子どもたちの小さな冒険を大事に、微笑ましく進めていくエピソードだ。縁で繋がっちまったガキンチョのために、色々奮戦する三人娘とユウキの頑張り含め、非常に暖かく描かれている。
目の前の優しい嘘を、必死に走り抜けていくちいさな冒険者の輝きだけでなく、それを成り立たせるために汗かいてる”大人”たちにも、同じように愛が注がれているところが、公平でとても良い。

公平。それがこのアニメを心地よく見れた、大きなポイントだな、と今になっては思う。
名と家を奪われたプリンセス、世界の命運を背負う記憶のない少年。
デカい話が転がるのに十分な特別さを持った、特別な主役だけで話を回すのではなく。その外側に確かにある世界、そこで生きているあらゆる人に尊厳があると、アニメーションのすべての局面で語ってくる物語。
それを切り崩すからこそ、シャドウとその背後にいる”陛下”は邪悪で、一度も直接矛を交えないとしても宿敵なのだ。冴えたホラー演出を生かして、シャドウを終始”恐ろしいもの”として描ききったのは、コメディ色が強い作風に芯を入れる見事な演出だったと思う。
願わくば、その宿命の闘いがどこに行き着くかを、このアニメの筆致で描いて欲しい気持ちもあるけども。今は穏やかな日々と激しい運命、その間で生まれる感情と生活を丁寧に重ね、異世界とそこに生きる人に命を宿した見事なファンタジーがゴールを迎えたことに、感謝を述べたい。
ありがとう、とても面白いアニメでした。

 

・アルゴナビス from BanG Dream!
ベストエピソード:第2話『天才と熱狂』

青い。絞れば青汁が取れそうな青臭さである。 そしてこの真っ青な真摯さをこそ、僕は青春バンド物語には求めている。 本当に、欲しいタマがズバズバ欲しい所に入る、ありがたいアニメである。主題に選んだもの好きすぎて、頭がおかしいくらいが丁度いいのだ。

アルゴナビス from BanG Dream!:第2話『天才と熱狂』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 この総評&ベストエピソード選出企画ももう幾度目かで、しかし毎回悩む。基本最後まで見るアニメってのは好きなアニメなので、どの話数もそれぞれ好きなのだ。それでもわざわざベストを選出するのは、自分がその作品の何が好きだったか、ウンウン唸る中で見つかったりするからだ。
総評と一緒にやっているのもそこで、自分が見つけた作品の良さ、好きになれるポイントが一番際立ったところを選出する中で、自分なりに作品の強みを言語化し、まとめることが出来るからだったりする。
まぁアマチュアの個人的な感想だから、書きっぱなしでも良いんだけども。わざわざWebにさらして他人に見せている以上、ある程度の体系性ってのはあったほうが読みやすいだろうし、自分的にも『アニメを見て、感想を書く』って行為にまとまりが出てくる。ちゃんと終わることで、作品に感謝しながらひとときの別れをしっかり告げて、次のアニメにクリアに向き合える、ってのもある。

前置きはこのくらいにして、この話数である。凛生推しってわけでもないし、キャラ個人で言うなら摩周さんと那由多くんが特に好きだから、そういう視線で見ると第4話、第8話あたりが候補に上がる。いや、凛生のスカした天才キャラと、その仮面をぶち破る熱いうねりが見れるこの回は、キャラエピソードとしてもいい仕上がりなんだけどさ。
思い返してみると、やっぱり蓮という主人公に惚れ込んで見たアニメだなぁ、と思う。第1話ではまだその凶暴性が真綿で包まれていて、アルゴナビスを出港させた結人と航海に引っ張られる立場だったわけだけども。この二話から、殺し屋の目をしたボーカリストの本性がむき出しになってくる。
とにかく歌に対して真っ直ぐで、常識やためらいを迷いなく振りちぎり、望む未来へ突き進む。そういう主役の圧倒的な出力が作品を元気に引っ張ったし、それが本格駆動するこの話数で、このアニメの顔が見えてきた感じもある。

もう一つのパワーである台詞の強さ、ワケわからないけどとにかく引っ張られるパワーは、第一話の段階で元気だったのだけども。第12話で取り戻すことになる、胸の中の原風景を語る口調の異常な熱量で、ズバッと心にハマった感じもある。あとバッセンでのやり取り。
シリーズ構成の毛利さんが、深夜アニメ畑とはちょっと違うところからの参戦だからか、スジの作り方もドラマの切り口も、どこか異質で面白かった。勢い重視……というわりには、バンドマンたちの心理描写が繊細で、感情の繋がりが太い。ちょっと強引だろうが試練をバキバキ投げつけて、その荒波が青春へと突き進むアルゴナビスの勇姿を際立たせる。
少し古臭くて、パワーに満ちて、異質で力強い。そういう作品の顔も、やっぱりこの話数でクッキリ見えた気がする。

そんな顔は元気なまま進んで、メンバーが集まり初ライブをやるまで六話。ライバルバンドに二話使って、ディスフェスにたどり着くまでで四話。最後の一話は、命を救う”あなた”に向けた祈りの歌で使う。
かなり圧縮して話を盛り込んでいると、終わってから振り返ると理解るのだけども、急ぎ足だったり食い足りない感じはなかった。やっぱパワー勝負なのに要所が繊細な語り口が、肌にしっくり来たのだと思う。『判らないけど理解る』という、奇妙で心地よい感覚を三ヶ月味あわせてくれる作品だった。
第一話で『もしや……』とおもった感覚が、全く嘘ではないと証明してくれたこの話数。ここで作った作品と主役への信頼が、色んなものを描くお話に乗っかる足場になってくれた。そういうお葉なしと出会えるのは、やっぱり心地よく、ありがたいものである。