0 はしがき
『”ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション”を見たよ』という話をするために、”エウレカセブンAO/ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン”と”交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション”を見たよ』という話、自分にとっての”エウレカセブン”という話をしなきゃいけないので、する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
いきなりそういう話を始めるのは、先日友人に強烈な奇作として”ANEMONE”を勧められ、それを見る前に整理を付けなきゃな、と思ったからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
正直、”エウレカ”へのセンサーはAO最終回で落としてた。だから、”ハイエボリューション”も見ていなかった。
それを再動させるためには、自分語りもせにゃならん
01 エウレカAO
01 エウレカAO
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
というわけで、エウレカAOの話をする。放送当時の感想をサルベージしてきて、はてなに移植してみた。https://t.co/vHItkje65S
……まぁキレてる。僕はアオくんが凄く好きだったので、急に旧作の親父が出てきて、彼の仲間を横に追いやって話を終わらせる展開は納得がいかなかった。
AOを見てた視聴者として、AOはAOの話をやって終わってほしかったわけだが、同時にアレは”エウレカセブン”でもあって、それはつまり、レントンとエウレカのラブストーリーから逃げられない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それが鮮烈であればあるほど、ときに作品は呪いになる。
”エウレカセブン”にもそれは当てはまる
あらゆる世界とメディアで、悩める十代であり、上手く親になれなかったホランドの繰り返しであることをリピートし続ける、レントン・サーストン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
あるいは母になってもなお、世界の命運と直結したスペシャルなヒロインであることから逃げられない、エウレカというファム・ファタール。
彼らの引力はあまりに強すぎて、AOはアオくんがその実を犠牲にして、両親を世界救済の呪いから解放してあげる…子が親を許してあげる物語になってしまったと、当時感じていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それを補完するのが、彼が長き旅路で何を救い、誰に愛され、何を手に入れたかを繋ぐ『ロード…』といえる。
それは僕が見たかった、レントンとエウレカの息子ではないアオくんの物語の結末だったのだが、何しろまぁ遅い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
放送から5年が過ぎて、僕自身には8年経って届いた物語は、確かに全ての間隙を埋め足りない部分を補う完結編だったのかもしれないが、それは放送当時に見たかった。
僕の中でエウレカセブンは、例え過去作に繋がりがあろうとも一つの作品世界で必死に生きようとしていたキャラクターの、一少年のあり様を横に押し流し、過去作の救済のために死んでいくことを許容する…死人の贖罪のために埋められる”埴輪”みたいなものを要求するコンテンツとして、猛烈に刻まれてた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
その嫌悪感はとても良く出来た『ロード……』を見て少しは癒やされ、やっぱり名残り、自分にとって”エウレカ”がどういう作品だったか、やっぱりわからないままであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
思えば初代も、キャラにどういう達成を与え、どういう道を辿らせたいのか、判然としないまま見終えた感じがある。
グダグダなのはある意味味というか、作風みたいなもんかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そのゼロ年代風ウジウジの柔らか煮込みに、ブッチギリの映像センスと、ヒリついた痛みの奥に通じるクリティカルな感覚と、どん詰まりでも確かにどこかにイケるような、そんな風が、確かにあった。
そう感じてAOを見て、見終わって見なくなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
僕は”エウレカ”に信心が薄い。一番ナイーブな時期に直撃した世代じゃない、てのもあるし、時代性という風に強く乗っかっていた分、そこに引っかからないと共鳴できない、ということかもしれない。
だから、”エウレカだから”で全部は済ませられない。
どんな形で作られようとも、作品には独自の命がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
AOの終わり方は、自分たちが積んで僕が見てきたはずのそれを蔑するように感じたし、そんなに幾度も救済しなければならないほど…子供を贄に捧げなければいけないほど、”レントン”と”エウレカ”に刻まれたスティグマが深いとも、思えなかった。
アオくんとその仲間たちは、個別の物語を父母とは関係なく積み上げてきたのだし、その決着はつけるべきだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そう思ってきたし、その感覚はそれがほぼ完璧にかなった『ロード…』を見ても消えない。
一度そういう形で世に出て、僕に届いてしまったものは、やっぱり消せないのだ。
そんな亡霊に囚われつつも、必死に怪獣退治して、世界を救済リセットしまくって消えてしまっても残る縁を紡いで、亡霊になりながらも世界と他人を救ってきたアオくんが、アオくんとして報われた追補は、やっぱり良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
これが見たかったし、見ることは出来た。
そういうモノを、どのような形態であれ届けてくれるシリーズなのかな、という信頼感も、ちょろりと蘇ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
まぁ、何分昔の話だしな。
そんな心の整理を付けて、新しく始まるという『ハイエボリューション1』を周回遅れで見る。
それは、あまりに奇妙な物語だった。
2 ハイエボリューション1
2 ハイエボリューション1
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
この作品は冒頭25分の超絶戦闘シーンと、TV映像を再編集…という言葉すら生易しいサンプリングとミクスチャーの嵐に巻き込み、同じ映像を別の設定、別の場所として描き直している。
”ポケ虹”に近い作り、と言えるかもしれない。
何しろDJ機材だのサーファー文化だの、サブカルテイスト満載で暴れた話だけに、切った張ったで別物にするサンプリング世代の創作感覚とは切り離せないわけだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それにしたって、過剰なテロップで画面を埋め尽くし、映像に全く別の意味をもたせるクラッキングは、あまりに凄まじかった。
これに馴染ませるために、冒頭の異常な”力み”で描かれる”サマー・オブ・ラブ”には機体スペックだの部隊の所属だの、読めるわけもない文字情報が、ノイズめいて画面を埋め尽くしていたのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そこに、文字はあるもの。
25分の大興奮ワクチン接種で、異質な映像体験を飲む準備はある程度整う。
初めて映像化された物語の始原点は飛びまくり爆発しまくり殺しまくりの大興奮だが、本編の方はTV版がそうであったように、内省的で薄暗い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
レントンは最高にクソガキで、マジ何も出来なくて、しかし再編集(と、単純なカット)が本放送のヤダ味を、上手く抜いていく。
冒頭、アドロックは沢山殺す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
自分が進めてきた人類救済計画をひっくり返すため、自分が仲間だと、身内だと思ってきた人を殺す。
そこに不殺とか生ぬるい心情(あるいは信条)が立ち入る余力はない。信じたことを成し遂げるには、それ以外を捨て去り、自分の手も汚す必要があるのだ。
彼はホランド(まだ10代)の問いかけに一切応えず、エウレカを勝手に預けて興奮の中心に突入し、後悔を喚き散らしながらも彼にしかわからない過ちを正し、世界を巻き添えに死んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
エウレカもホランドもレントンも、勝手に旅立ったサーストンに見捨てられた傷を、深く抱えている。
そういうモノを優しくケアできる、立派なオトナなんかには成れないという、ネオテニーな諦観みたいのが”エウレカ”には漂ってる気配も、僕は勝手に感じたりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
選択は常に、痛みを伴う。
致命傷を残すとしても、成し遂げると思ったのならやりきるしかないし、覚悟のないものは自分も世界も動かせない
長いビスタサイズの物語が終わって、映画の幕が閉じる時。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
冒頭ギャグ風味に襲われていたレントンは、銃をとって野犬を殺す。自分の手で、自分の大事なもののために命を奪う。
父が選んだように、子もまた選び、先に進むことにしたのだ。それは、代価のない道ではありえない。
そこから物語は、不器用な父と母の物語になっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
ゲッコー号の物語はあくまで脇道に落ちて、お話は延々、顎の割れたオッサンと綺麗なお姉さんと、彼らをどうしてもパパママと言えない子供の物語になる。
タイトルは、『RAY&CHARLES:交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』でいい。
猿の惑星的オチはもう知れ渡っているからか、部隊は最初っから未来の地球であり(そうなるように、過剰なテロップがかつての物語を書き換え)、レイとチャールズは長い間、レントンの父母でありながら身内になりきれない、難しさと戦ってきた存在へと書き換わっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
ゲッコーステイツ改めファシリティ・ガードのサーファー文化も、政府お抱えのプロパガンダへと変貌している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そのクラッキングには、15年の間に(思えばあの当時から結構古かった)西海岸のカウンターカルチャーがどこに落ちていったのか、どんな力を失ったかが反映されている気もする。
とまれそのような書き換えと再接続が起こることで、血腥い戦場の奇妙なおままごととも受け止めれたビームス親子の歩みは、ある程度以上の時間と社会的な重さを宿した関係へとクラッキングされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そこは、彼らのお話が”エウレカ”で一番好きで、でも濃厚なヤダ味も感じていた自分には、嬉しい再話だ
レントンを突き動かし、”エウレカ”の強力な(強力過ぎる)柱であるボーイ・ミーツ・ガールは、サンプリングの最後に出されるだけで、視聴者は行きつ戻りつを繰り返す物語の中で延々、ケツアゴおじさんが不器用なりに、お姉さんが情感たっぷりに”親”であろうとする有様を浴びることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それが偽りだからこその真摯さに満ちて、かなーり省略されてる月光号のクソライフでは得れなかったものを、レントンが檻だと感じていたベルファストの冷たさを埋める、十分な力に満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それに背を向けてエウレカを選ぶことで、逆説的にレントンの成長と少女の重さを伝える、という構成か。
ホダラクの少女の挿話(父役の青山譲が、非常にいい演技をしていた)、エウレカとのエクピリエンス、失敗した家出。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
レントンは14歳のガキらしく挫折しまくり、ショックを受けまくり、苦しみまくる。
15年立ってみると、苛立つ以前にかわいそうになる。子供なのになぁ…。
それでもレントンは痛みの中から何かを学ぼうとし、それをチャールズは真剣に、明るく受け止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
『失敗した大人』としてのホランドの出番がほぼないため、この屈折した成長劇は結構素直に食える。
マージでこの映画、ホランドに良い所がねぇ。ガキ詰めてるだけだからな…TV版でもそうだったかも…。
レントンは『成功した大人』としてのレイ&チャールズに向かい入れられることで、理不尽で痛みに満ちた世界に自分がどう踏み出したいのか、責任を持って手を汚せる相手が誰なのかを、自分に問うていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それが義父母ではないところに幼年期の終わりと、最後まで自然な親子になれなかった哀しみが滲む
それでも、レントンはエウレカを選ぶ。その決断事態が、やっぱり描写の少ないエウレカの重さを上げていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
『ケツアゴおじさんでいいじゃん…』と、どんだけ思っても。
レントンの世界を変えてくれたのは、あの少女なのだ。かつての物語と同じように。
物語は義父母が襲撃をかけてくる前に、エウレカに再開する前に終わる。それが次のお話で描かれるかどうかはさっぱりわっかんねぇけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
正直、こんだけ親子になれなかった親子の、それでも通じ合う情と誠を見せられると、決戦は見てらんない感じもあって正直助かった。
エウレカという、少年を男に変える触媒をほぼ描かず、父母の揺りかごの確かさ、ありがたさ、それに背を向ける決意でもって輪郭を縁取ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そうなるように、別の物語を再構築し、上書きし、意味合いを変え繋ぎ直す。
そうやって生まれたものは、なんか”エウレカ”に感じてたヤダ味を抜いてくれた
まぁ、まだ分からなさと不信感は確かにあるのだけれども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
次に待つ”ANEMONE”が、どんな話になるかは(友人のプレゼン以外は)全く知らず、しかしレントンの青春の歩みを(TV版と同じ素材を使いつつ)妙な爽やかで的確に切り取り直したこの映画は、期待を高めてくれた。
ウワッついた月光号のサブカル味を切り離したことで、ある意味現代性を再獲得できた感じもあるしなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
『ウッドストックが舞台のサマー・オブ・ラブ』に漂う、フラワーカルチャーへのノスタルジーとザラツイた冷笑を、大興奮の極音速戦闘に重ねて見せてきた新規映像は、捻れまくって逆にナウかった
それは旧世代の自分勝手な興奮で、しかし無関係と諦めるにはあまりに深く”今”に繋がっていて、その残滓がしつこく、呪いのように長く伸びている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
もしかしたら、それを殺す話なのかもな、と。
材料自体は同じで、しかし字幕クラッキングで見事に有り様を変えた”エウレカ”を見て思った。
さて、そんな予感をどう変奏してくるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
続く交響詩篇に期待は高まる。
作り方も語った内容も、かーなり15年前を殴りつけに行くパンクスがあったので、三部作一作目としては非常に良かったと思う。
”エウレカ”でなく”ハイエボリューション”をやってくれそうな、気がちゃんとしたよ。
あ、主役であり語り部でもあるレントン役、三瓶由布子の過剰で鮮烈な演技は非常に鋭く、(名人級の)パッチワークで作られた作品に新たな息吹を、確かに与えていました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
(ほぼ)デビュー作から15年。役者として積み上げた経験が、あの時より”レントン”が何に苦しみ、何に憧れたか、よく教えてくれた
3 ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション2
3 ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
というわけで、ANEMONEを見終えた。
非常に良かった。
15年の月日で発酵し、あるいは腐敗してしまった”エウレカ”をそれ自身が解体・再構築し、新たに語りだすという気概が物語に結実し、手応えと感慨が太く心に届いた。
とにっっっっっかく風花ちゃんが心を持っていくキャラクターで、作中ずっと『子供に、風花ちゃんにひどいことをするんじゃねー!!』と心のなかで叫び続けていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
冒頭の幼少期描写からして『あ、”殺し”に来てるな』という予感はあったのだが、狙い外れずぶっ殺された。善良な子供に弱い、弱すぎる…
風花ちゃんはTVシリーズのアネモネとは別人と言っていい、賢く優しく強く、そして脆く哀しい子供である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
しかしガワだけ借りた別人かと言うと、『こうあって欲しかったアネモネ』というか『こうなるだろうなというアネモネ』というか…別なんだがおんなじという、納得のあるキャラだった。
腐れペド野郎に良いように依存させられ、狭い世間で好き勝手に育てられ、イヤな薬とクソみたいな戦争に投入されなかったら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
人間にとって、子供にとって大切なものを手を取って教えてくれる親と、彼女にすがりつつも大人の本分を果たそうとする仲間に恵まれたのなら。
そういう子になっていたんじゃないかな、というチャーミングさと素直さ、心の強さが同居しており、素晴らしかった。あと小清水はマジで最高で最強だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そんな風花ちゃんを風花ちゃんにしてくれた、映画ポットでの最高の親父石井賢氏は、マジで宇宙最高の父親、大人、人間であった。親父さん…ッ!
親父さんが愛を幾度も言葉にし、手を握って伝えてくれたから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
『許すことで許される』というダダアマな人間の真実を教えておいてくれたから。
風花ちゃんは世界を食い散らかしながら泣いているエウレカに目を向け、その命を救うために決戦に挑むのだ。
それは死を超越した奇跡であり、死にゆく存在が生者に残すことが出来る唯一の縁でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
エウレカが神の力を使い、レントン恋しさで孤独に閉じていった場所には、けして生まれ得ないものでもある。
しかし風花ちゃんは父を諦め、そのことで永遠とすることで、エウレカの世界に可能性と未来を刻む。
世界の敵として東京に現れた”エウレカセブン”と、最悪の力であるニルヴァーシュは風花ちゃんと逆に、『こうあって欲しくなかったエウレカ』であり、同じく『こうなったと思えるエウレカ』でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それはボーイ・ミーツ・ガール神話の呪縛により、卵の中で腐り果てた雛である。
その反転の両方に、驚きと同じくらいの納得があるのは力強いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それは自作をしっかり解体し、作り直し語り直す決意がなければ為せないからだ。
ハイエボ1の感想を拾うなら、『ハイ・エボリューションしてくれた』わけだ。
レントンがエウレカの手を取り、青春の神話を世界に刻む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
その狭さと熱の強さが神話となって、”エウレカ”を再生産させてきたわけだが、それは救済の横幅を極端に狭め、救いを引き寄せるために誰かを贄に変える邪悪さと、それを許されてしまう二人の特別性を過剰にドライブさせた。
平たく言えば僕がAOにキレていた部分を、風花ちゃん(と、彼女を守り育んだ大人たち)は蹴り飛ばし、手をのばす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
ボーイ・ミーツ・ガールだけが、救済の形じゃない。
女が女の手をとっても、男が男を抱きしめても、それは何かへと踏み出していく、力強い歩みになりうる。
そういうメッセージは、ハイエボ1のチャールズがレントンと育み、託し、乗り越えていった部分でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
彼は偽りの父親であるからこそ、悩めるレントンに見せなければいけない景色、与えなければいけない温もりを精一杯、誠実に届けようとした。
それはハイエボ1の中で、”エウレカ”よりデカい。
だから、そういうデカいモノを震えながら手放してでも、少年が掴みたかったものの値段も判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
風花ちゃんもまた、エウレカが提示した『世界か、父か』という問いかけ(それは『世界か、レントンか』という、彼女が間違えた問いでもある)を超えて、父が永遠と刻まれた世界へと踏み出していく。
そんな風に自分と世界を信じられるだけの愛と誠意を、風化ちゃん周辺の大人たちは無力ながら、必死に絞り出そうとしていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
最終作戦でミーシャが、己の命を顧みず取り残される風花ちゃんを守ろうとしたシーンで、目がなくなるくらい泣いてしまった。それでいい…それをやってくれ…。
この『それをやってくれ…』感は、あんだけ潔くかっこよかった風花ちゃんが置き去りにされた子供のように、無力に泣け叫ぶ中、天から降り立ったドミニクにも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
俺は画面の中には入れないので、おめーにやってもらうしかねぇんだよ!
あ、やってくれた。ドミニクくん、2億兆点です
風花ちゃんは戦士として人間として、人類の敵対存在が抱える哀しみ、死んでしまいたいほどの孤独に寄り添う。立派な成長である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
その正しさに体温を与えているのは、二人の”ドミニク”を行き来しながら育まれる微かなロマンスであり、その逢瀬に宿る父の祈りである。
子供を見守るべく生み出されたSDのドミニクは、世界の命運を賭けた戦いの場では素敵な青年となり、もう子供ではない(同時に大人でもない)風花ちゃんは彼にドキドキする。かわいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
彼は失われた父のように風花ちゃんが一番つらい時側にいてくれて、しっかり支えてくれる。
それは風花ちゃんが、ドミニクの力を借りて決戦に挑み、エウレカの手を取って成し遂げたのと同じ行為でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
我々は一人ではなく、誰かを支える行いは伝播していく。
世界で唯一の恋に落ちた男の子が消えてしまったら、世界を呪って迷い続けることだけが、答えではないのだ。
そういうポジティブな連鎖が様々なシーンにあることが、骨の太い視聴体験、真心が羽化していく心地よさとして作品全体に漂っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
大人になりそこねた子供の呪いは、今回あまり顔を出さない。子供にすがる醜さを自覚しつつも、それでも何かを成し遂げようとあがく者たちだけがいる。
コレは顔の見える声付きのキャラクターだけではなく、可能性を繋ぐために勝ち目のない戦いに挑み散っていく、匿名の戦士たちにも同じである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
怪獣映画めいた戦いの中で、彼らは確かに一つの命として、痛みと重さをこちらに伝えながら死んでいく。そういう風に、アクションが組まれている。
顔のある人達の重たいセリフだけでなく、名もなき彼らの決死の時間稼ぎがしっかり刺さることで、静止した永遠でも、敵の死による救済でもなく、自分が強く生きることで犠牲を永遠に変えようとする風花ちゃんの決断は、綺麗事ではない体温を宿していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そういう、公平性に開かれた視線も良い。
エウレカが幾度も繰り返しつつ、必ず悲劇で終わる様々な枝条分岐。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そこに自作がどんな作品で、何に強く何を間違えてきたのか批評的に見据えた上で、その先にある景色をつかもうとするもがきもまた、見えた。
世界を殺す”エウレカセブン”は、呪いになってしまった自作の戯画でもあろう。
あの東京を基底世界として、ハイエボ3は作られるのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
様々な場所で描かれた”エウレカ”は夢の一つであり、量産された間違いであり、同時にひどく切実な誰かの祈りであったことを前提に、最後の物語は編まれるのだろうか?
2作目でここまでぶっ飛ばしてきた以上、先はさっぱり読めない。
しかしこの作品を通じて、エウレカをレントンだけが、レントンをエウレカだけが背負わなければいけない構造的な孤独は突破され、より広い地平へと扉を開けた感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それがアオくんを食い殺したと、かなり根に持ってた自分としては有り難い限りだ。
アドロックにしてもホランドにしてもチャールズにしてもデューイにしても、またAOで父になったレントンにしても、自分の中のクソをより弱い存在に押し付けて呪いを生むしか出来なかった大人のなりそこない達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
それを横薙ぎに殺し、呪いの再生産から子供を解き放つ物語が始動した、とも言えよう。
怪物であったことが愛する人を殺し、取り戻すために世界を殺したエウレカの孤独。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
風花ちゃんは子供の姿でその心に飛び込み、一緒に遊んであげると、ずっと一緒に戦ってあげると約束することで、レントンが差し出せなかったものをエウレカに補った。
それは多分、友情と呼ばれる。
誰かを愛し求め、それ故苦しむ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そののたうち回りに自分を見て、勝手な天秤で量るのではなくまず許し、手を取る。
そういう事ができる存在は、やはり誰よりも”大人”であろう。でもそうなるためには、風花ちゃんはたくさん悩んだし、泣いたし、負けそうにもなった。
そういう子供に、情けねぇ大人たちが出来ることがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
世界の在り方を、人の進む道を、葉を食いしばって絞り出して届けることは出来る。
そういう開き直った確信が、色んな所で元気な話であった。
さらば、半沸のニヒリズム。大人になれねぇと、グダグダやってる暇もねぇ。
そういうキレた確信を”エウレカ”が獲得(あるいは取り戻した)のは、僕はとても良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そこを足場に、異界から世界を食いに来る敵と、預言者気取りの腐れペド野郎と、闘うことは出来ると思う。
それが多分ハイエボリューション3の戦いであり、エウレカとレントンがもう一度出会う奇跡を呼ぶ
それが面白い話になるという確信を、この力強い映画はしっかり与えてくれた。非常にありがたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
親父さんが無敵のスーパーマンではなく、エウレカの暴虐に原子レベルに解体されてしまうただの人間であることが、僕にはとても良かった。
そういう存在でも、死に際に泣き叫ぶのではなく。
愛する人への祈りを捧げて、人として死んでいくことは出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
その届かなかった祈りをもう一度、素敵な青年に導かれて子供が受け取ることも出来る。
それをちゃんと描いたのは、やっぱりとても偉い。人の善き可能性を信じた、人間讃歌だったと思う。
大量のガリバーに追いかけられる、妙に児童向けアニメっぽい絵面の追いかけっこはよく考えるとあんま分かんないんだが、絵として気持ちが良かったし、アネモネとエウレカが子供に正しく戻り、それ故この辛い世界で一緒に進んでいく強さを取り戻したと判るシーンで、なかなか好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
最初は父にすがるための脱出路だったものが、クライマックスにおいては友の手を掴み、孤独と絶望から飛び出すための滑走路になっているのも、凄く良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
そこに、風花ちゃんが自分で、沢山の人の力を借りて走った物語の意味が、しっかり凝集されている。風花ちゃん…マジ偉いよ…。
様々な世界で、様々にあり得た可能性。それを観測し閉ざしていく絶望を、”エウレカ”は作品に盛り込み、自力で圧倒的に乗り越えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
この批評的営為の先に、どんな完結編が待つか。期待しかない。必ず、映画館には足を運ぶだろう。
そういう気持ちになれたのは、とてもありがたい。
楽しかったです。
あ、ダイブ世界ではTV版のキレたアネモネ映像を使った結果『風花ちゃんはそんな怖い顔しないよ…』となったのは、ちょっと面白いミスマッチだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月23日
ほんとねぇ、アネモネもああいう顔しないで済む魂があったわけよ実際。やっぱ環境と交流だよなぁ、卵を孵すも腐らすのも…。責任デケー。