安達としまむら を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
運命のバレンタイン・デイ。
究極に吹き上がった安達の恋慕は、大都市・名古屋へと到達する。その後ろに何かを隠し、何かを待つしまむら。
二人の思いはすれ違ったままくっついて、抱擁へと至る。
ヘンテコでも、アナタとなら。
そんな繋がりの裏で、思い出は殻の中…。
そんな感じのバレンタイン三部作完結ッ! ハグまで距離詰めた安達大勝利ッッ!! 希望の名古屋へレディーゴーッッッ!!!な、あだしま第9話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
トンチキに吹き上がりつつも、望んでいた太陽を掴み取る主役の輝きと、”安達じゃない女”たる樽見への残酷が、対照的な回だった。
いやまぁ、しまむらが悪いってわけじゃないんだが…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
やっぱ想定していたよりも、しまむらが抱える成長の軋み、心の中の砂漠は大きくて、それをヘンテコに埋めてくれる安達の存在が特別なんだな、と思った。
それは、樽見との再会では埋まらない。しりとりも指相撲もしない。
『たるちゃん』と呼びかけた声の裏には、あの緑色の聖域で安達と出逢ったこと、そこから育んだ変化がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
安達がいたから『たるちゃん』の望む、ちょっと幼い自分に戻ろうとしまむらも思えたのであって、優先順位は常に安達にある。
この物語は”安達としまむら”なのだ。樽見…。
そんな”安達じゃない女”の想いも重いも汲んで、新しく関係を作り直そうとする誠実を見れば良いのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
さり気なく彼氏探りのジャブ入れて一喜一憂する視線に、やっぱり気づかない残酷を見れば良いのか。
大人で分かりやすいはずのしまむらが、どんどん濁って見えなくなる。それがとても面白い。
ピュア過ぎる思考回路からぶっ放される、安達の珍行動。その内心を知り、応援できる僕らにとって、もはや安達は分かりやすい。行動自体は軒並みアウトだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
しかし社会的にセーフな立ち回りをしてるはずのしまむらは、掘り下げるほど折れ曲がった成熟が見えて、どんどん分からなくなる。
その理解らなさを共有しないから、安達はしまむらの救いたり得てるのかなぁ、などとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
なまじっかイノセントな季節を共有してる分、樽見には背負えない救済。残酷過ぎる…。
そしてしまむらは、安達の太陽である。抱きしめて、背中をなでてくれる存在。ママじゃん…ママじゃんッ!!
シンプルに見える安達の慕情が、性欲と恋愛と失われた母への希求がグチャ混ぜになったカオスであることも含め。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
混迷の色を随所に残しつつ、たしかにヴァレンタイン決戦を経て、二人の距離は近くなった。なんかいい感じに、自分たちを好きになれる変化を生み出していた。
青春は、混沌のまま進む。
”壮子”曰く、渾沌七竅に死す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
顔のない関係と感情を掘り下げて、ラベルを張ったらその息吹は死んでしまう。
ならば、ワケのわからないヘンテコのまま、ありのままバラバラで繋がったな青春を描いていこう。
そういう作品なのかなー、と思う。
結構、ジャンルの異端児…だから、超正統派だ。
というわけで、ちびっこ達の微笑ましい交流をジャブに入れつつ、運命の日は始まる。ヤシロと妹ちゃんは可愛いねぇ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
前日学校に来なくて、不安になって思わず敬語でメッセージ送ってしまう女。それが安達桜。
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しまむらが伏せ札にしてる樽見の存在が、安達のワクワクとハラハラを上手く掻き立てていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
果たして昔の女との再会は、どんだけ二人の関係を揺るがすのか。
”我が太陽”とまで吹き上がった安達の恋情に、見て見ぬ振りするしまむらは果たして、樽見にどう向き合ったのか。
それはBパートまでお預けである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
疑念をくすぐるように、安達の行動を見て謎めいたリアクションを返すしまむらの姿も、よく切り取られる。
一体この女…何があったッ!
今回のお話は、少しサスペンス調だ。恋はいつでも、そんなもんかもしれんが。
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追いかけては離れるその姿に、安達は勝手に心音を高鳴らせ、体温を上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
受け止めてもらうこと。認めてもらうこと。
『犬でも構わない』と、かなりヤバな欲求をほとばしらせるその裏側に、強めの欠落が見て取れる。
家庭という檻は、安達が求めたものを満たさなかった。
賢い世渡りの奥で、強い渇きを抱えたしまむらが、一般的な社会生活で満たされなかったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
お互いの求めるものは違っていても、お互いが欲しい物を差し出し、上手く欠落にハマった結果、二人は共に名古屋に行く関係を構築した。
恋心に恋を返してくれなくても。
マジ唐突に、スゲー変なことしても
『それはそれでOK』だから、どこかズレながら楽しく、二人は進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
妄想で終わるチャイナドレス、からかいを軽妙に躱せる自分。言い出せない”好き”、ありがとうスガキヤ。
安達の脳内にしかないものは、常に上手く出力されない。
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でもそのヘンテコなしりとりを、しまむらはとても楽しんでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
当日に『チョコ買う! 名古屋行く!!』とか、ぶっ飛んだこと言い出すアホ女は、彼女の中で特別だ。(それが、恋ではなくとも)
その特別さは、特別ではない誰かと対比することでしか成立しないのか。
選ばれないものへの残酷を、Bパートに残照しながら名古屋トンチキ旅は続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
いきなりの指相撲も、同じプレゼントも、安達ならOK。
そう思えるのは、OKじゃない”たるちゃん”との昨日を、幸福な日々と比べるからか。
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謎めいたしまむらの余裕、差異と特別を面白がっているような態度の種明かしは、モノローグの主体が彼女に移り変わるBパートから始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
”主観”の移譲が、形式的にも内容的にも作品の大事な部分なの、やっぱ近代小説って感じするな。かーなり難しい話なんだと思うが、よくポップにまとめてる。
世界に太陽は一つしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
安達の視界には常にしまむらしかいないが、しまむらの世界は広く、だからこそその重さに疲れている。
自分と愛する人しか見ない狭い視界は、幼さの特権でもある。
成熟すればこそ手に入れてしまった、対比と疲弊の世界。そこに開いた、唯一の空気穴。
それがしまむらにとっての、安達の特別性なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
それはずっと描かれてきたものだし、樽見と征く名古屋旅のギクシャクで、より強く見えても来る。
樽見は、しまちゃんの特別足り得ない。思い出は、簡単には運命を連れてこない。
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しりとり、無し。指相撲、無し。プレゼント、無し。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
翌日安達に与え、与えられるものが樽見としまむらの間には、徹底的にない。
変わり果ててしまった自分に、出会った頃の純粋を求められても、”たるちゃん”は喉の奥に引っかかって、素直に音にはなってくれない。
ああ、面倒くさい…。
安達の場合は照れと未熟が”好き”を押し留めて、しまむらの場合は成熟と諦観が”たるちゃん”を言わせないのは、なかなか面白い対比であるけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
同じ『言えない』でも、その原因は様々だ。抱え込んだ欠落の形こそが、人の個性なのかもしれない。
樽見…お前の虚無はどんな形だッ! 見せてみろッ!
しまむらが己に向けられる恋情、特別であって欲しいという願いを(無)意識的に跳ね除けるのが、免疫にも似た自己防衛のシステムであるのは、既に描かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
チョコレートの行方を探る樽見の視線を意に介せず、しまむらは”安達じゃない女”とのギクシャクを抱え、名古屋を進む。
それを残酷と断罪できないくらい、僕らは島村抱月の複雑怪奇を見知ってしまっているので、なおさらこの三角形は難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
凄まじくヘンテコで歪んだ繋がり方だが、安達としまむらはお互いに伸ばした手が、良い間合いで繋がってる。
大事なのはその接続であって、それが正しいか、一般的かじゃない。
それは理解るし共感もするが、それにしたって樽見の負け戦、”安達じゃない女”っぷりが凄まじくて、心に痛かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
最終的に”たるちゃん”へ歩み寄ってもくれるんだが、そこから踏み出した特別な”今”…樽見の求めるものは、安達でみっしり埋まってんだよなぁ…。それが恋ではなくとも。
そんな残酷を置き去りにするように、安達としまむらは名古屋でめっちゃイチャイチャする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
せっかくのプレゼントを、受け取ったそばから食べちゃう。それもオッケー!
安達は恋の赤、しまむらは友情の白。お互いのハートを口に入れると、苦くて甘い
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しまむらのグイグイ感が、ヘンテコな親友と特別な時間を過ごしてる喜びからなのか、太陽を求める気持ちに無意識に応えているからなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
答えは出ない。色んなものが入り混じった混沌の思春期に、目鼻はつかない。
それでいいじゃないか。チョコ美味いし。
ずっと、しまむらが気にしていた時計。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
それは特別な人に送る、特別なプレゼント。時限爆弾のように、静かに炸裂する愛おしさ。
同じものを、樽見も抱えて覗き込んでいると、しまむらは気づけない。
”安達じゃない女”の隣で、安達に送るメッセージ。
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ヘンテコな敬語に、気安く”大丈夫”を返せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
社会が求める、誰かが求める自分ではなく、自分がそうありたい自分でいられる場所。
そこに、樽見は入り込めない。隣から覗き込んで、しまむらは携帯に…安達との”今”に夢中だ。
それが”まだ”なのか、”ずっと”なのか。物語は続く。
少なくとも、居心地の悪さに腰を落ち着けて、何も変わらないまま言葉を閉じ込めていても、人生は面白くならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
そう、しまむらは既に学んでいる。変な女と卓球やって、ブーメラン投げたら、人生楽しくなったのだ。
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茨に包まれた、”たるちゃん”と呼びかける過去の自分。バカで無邪気で、人生の難しさなんて何も知らない間違いだらけの自分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
それを、忌みつつ愛おしく思えばこそ、妙にガキっぽい安達の暴走も、苦笑いしつつ受け止められたのではないか。
おバカで真っ直ぐな安達が、しまむらは眩しかったのではないか
そんな事も考えさせられる、凍れる時間の再出発である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
適切に、冷静さを保って距離を詰める。
樽見が見せていた”正しさ”が、それに窒息させられているしまむらの”今”に食い込めるのか…正直、分の悪い勝負ではある。対手は、”正しさ”とか一切見ないぶっ飛び純情少女だからな。
しかししまむらは自分を縛る成熟と未熟の茨に、わざわざ手を突っ込んで”たるちゃん”を…そう呼ぶ自分の幼さを、それを求める樽見を許容した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
それが届くまで、みっともなくて”正しくない”ことをしてくれた。
それが、また別種の”正しさ”に向き合う不自由だとしても。選択し決断し行動したのだ。
その裏側のあらゆるところに、安達の影が見えるのがまた、樽見の勝ち目の無さを強調もするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
ぜってー、体育館に行く前のしまむらだったらここで『言わない』選んでBAD END…でしょ。
安達と出逢ったからこそ、思い出すのもキツい過去の茨に、手を突っ込む気になったのだ。
そんな特別に、差し出す友情のメッセージ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
トンチキ占い師に踊らされた日々は、必ずしも安達の独り相撲じゃなかった。空回りのようで噛み合って、ヘンテコなまま繋がれた二人の、特別な2.14。
イケる…このムードなら抱けるぞ安達ッ!
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っていう気負いは、冗談と気まぐれでスルッと交わされてしまう。なんてズルい女なんだ、島村抱月…(ズルくないです)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
安達の胎内に渦巻く欲情は、そらーハグもしたいしそれ以上もしたいと疼く。だがその黒い炎の奥には、凄まじく幼く凶暴な火種が、力強く燃え盛っている。
それを全部、私達の”普通”に包んで抱きしめてしまえるのが、この二人の強さである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
思いが高ぶりすぎて、明らかに危険領域ぶっ飛ばして投げかけられたハグ爆弾。
それも、まぁしょうがないかな。手繋ぎの時のように、声さえ掛けてくれれば。
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加減を知らない子供に、噛んで含めるようにしまむらは、友情の取り扱い方を教えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
今回安達相当なヤバ行動を積み重ねてて、人間免許と百合免許同時停止レベルなんだが、しまむら警察は全部目こぼししてんだよね。
どんだけ特別なんだよ! 特別なんだよなぁ…って感じ。
黄色いラインを踏み越えて、青春はいつでも危うく揺れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
安達の求めるものを、彼女の太陽はいつでも抱きとめ、与えてくれる。
溺れる子供が、母を求めるような仕草で背中に回された腕を、しまむらは解かない。戸惑いすらしない。
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勢いありすぎてゴツンとぶつかる、大間違いのハグ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
でもそれが、”安達としまむら”の距離感だから。
あの緑色の聖域を越えて、恋とも友情ともつかない不思議な間合いで、お互いが特別だと思えているから。
だから、この歪さはオッケーなのだ。
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『オッケーなの? 同性の同級生に母性の代理を求めるの、シャアよりヤバくない!?』と、思わなくもないが。入間先生がOK言うとるんやからOKやろがいッ!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
捻れきったしまむらの茨も、暴走する安達の恋情も、”正しさ”じゃ収まりどころを見つけられないから、二人はあの聖域で出逢ったわけで。
それが自分にとっても、自分を求める他人にとっても、何かが動き出す切っ掛けになりうることを、”たるちゃん”呼びは教えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
まぁそれは、樽見が欲しい物が(ほぼ)手に入らない現状を、残酷に突き刺しもするのだが。
ひとり分のひだまりに、ふたりはちょっと入れないわけよ。(唐突な”カルマ”)
『”カルマ”テーマソングにすると、最終的には樽見が勝ちません?』と、頭の中の誰かが囁くけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
かくしてドタバタ色々あったヴァレンタイン決戦、聖母固めであだしま大勝利、無事幕を閉じるのであった。
いやー…しまむらの虚無と安達のマザコンが、色濃く刻まれる話だったな、個人的には。
クリスマスには手繋ぎ、ヴァレンタインには抱擁。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
結果だけ見ると着実に距離感を縮めている二人だが、その道程はチグハグでヘンテコ、フツーの百合でも青春でもない。
しかし人間も思春期も、唯一の”正しい”形などどこにもないまま、個別で面白い関係を刻んで、変化しながら先に進んでいく。
そんな万色の混沌を寿ぎながら、二人の歩みを切り取っていこうというのが、作品の視座なのかな…と、思うエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
その喜ばしきカオスの中に、樽見も入れてやってくれ…。
ホントしまむらの無意識なる残酷が、この話が”樽見としまむら”じゃない事を思い知らせる回だった。
しかし同時に、茨に手を突っ込んで純粋(安達の属性)を引っ張り出し、”たるちゃん”を呼ぶ決断を果たしてもくれたわけで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
この歩み寄りを、樽見はどう受け、どう返すか。彼女の”獣”はどんな形をしているのか。
そこにも注目しつつ、次回あだしま新学期、とても楽しみです。
追記 私達はどこから来て、どこへ行くのか。どのような純色と混濁で、私は私足りうるのか。そこが、いつでも問題なのだ。
あだしま追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
安達がしまむらの胸の中で、母に抱かれる赤子に戻りたい願いを成就させるのに対し、しまむらにとって樽見と共有する過去は手を突っ込みたくない茨である。
時間の逆行、純粋さへの回帰は、真逆のベクトルを持っている。戻りたい安達、帰りたくないしまむら。
…と、シンプルに切り分けられないのが難しいところで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
しまむらが”たるちゃん”と呼んだのは、その時代に戻ってもいいかな、と思えたからこそ。
そこには『樽見との再会を蹴り飛ばしてはいけない』という”正しさ”への意識、再会の重たさに向き合う強さ、自分に向かう熱量への憐憫などが混じりつつ…
やはりどこか、至近距離で触れ合って潤いをくれる安達的幼さへの憧れ、『自分もバカになっても良いかも、なりたいかも』的な、逆行への許容があったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
子供に戻ろうとする安達を抱擁することで、しまむらの時間は先に進むのか、後に戻るのか。
母になるんか、子になるのか。
その複雑な時空乱流を、安達はさっぱり感知しないわけだが、果たして彼女は自分を先に進めたいのか、後ろに戻したいのか。あの緑色の楽園に、春になったら戻るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
しまむらとの閉じた距離に魅惑されているようで、安達の世界は確かに広がっている。
それを安達自身、悪くないと感じてる節もある
時間的・社会的なベクトルは複雑に、身の丈が伸びてきた少女たちを包む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
大人になりかけ、しかし子供である季節に、子供達が受ける個別の傷は同時に、どん詰まりの孤独を回避する出口ともなる。
二人で過去に戻ることだけが、黄金期の答えではないのだ。だが、閉鎖と逆行はいつでも、魅惑に輝く。
そこで、この物語がどういう方向に二人を…お互いを鏡に進んでいく、全然バラバラな”安達としまむら”を描いていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年12月3日
やっぱなんだかんだ、自分はジュブナイルとしてこの話見てんだな、と思った。
成熟の一ジャンルとしての、恋と友情の入り交じる混沌。閉鎖と混濁の渦。つくづく、面白い。