”プロジェクトセカイ カラフルステージ”の、”25時、ナイトコードで(以下ニーゴ)”の話を(今更ながら)する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ストーリー自体はとうに読み終わっていたのだが、なんだかタイミングが掴めないままこんな季節になってしまった。
大変興味深く、面白い物語であったし、それは現在進行系で続いている。
プロセカの物語は『ガールズでも、バンドでも、パーティーでもない』ところが、ガルパ経験者としては面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ニーゴはそのうち、バンドではなく、またパーティーでもない要素を強く含む。
チャットツールに特定の時間集う、ジャンルも才能もバラバラのティーンエイジャー達。
彼らは全く”仲良し”ではなく、一般的な繋がり方も、生き方も難しい少女たちだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
救済願望に囚われたトラックメイカー、優等生の仮面に虚無を閉じ込めた天才、承認欲求と身勝手さに引き裂かれたイラストレイター、器用さと不自由を合わせもった動画製作者。
”消える”と、フィルターを薄皮一つかけた言葉で綴られる希死念慮を巡る物語の中で、絵名は生死のかかったクライマックスに『私は行かない』と言い切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
恵まれた才能を輝かせて、私を苦しめあざ笑うあの女のために、なんで私が出ていかなきゃいけないのか。
そんなむき出しの泥画はきだされる物語は、だからこそひどく切実で、熱が強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
例えば”Leo/need”や”Vivid BAD SQUAD”の物語に流れるような、爽やかでスタンダードな青春の気配は、ニーゴの物語には薄い。
(当然、彼らの物語はそれ自体個別に、薄暗さと傷と難しさを持つのだが)
ねっとりと重たく、どこにも行き場がなくなってしまった青春の暗黒。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
それをなんとなく共有し、しかし確かな繋がりなどどこにもなく、その上で”それ”しか無いような、不思議で真正な絆の在り方。
そんな痛みと薄暗さを、ミクは確かに引き受けてきた。病み曲も痛い曲も、ボカロの得意分野だ。
ニーゴが首までつかった青春の致命傷を、色んな時代の青少年が、自分たちなりの方法でどうにかしようとしてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
あるものは生き延びてつまらない大人になり、またあるものは青春の処方箋が効かず死んでいく。
それは当たり前の風景であり、同時に切実で個別で得意な物語だ。
今まさに、形のない苦悩に取っ組み合ってる子どもたちに向けて話を紡いでいるのがプロセカ(とクラフトエッグ)の良いところだと思っているが、多分ミクは現役バリバリの青春兵器というわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ちょっと古い…お兄さん(あるいはオバサン)達の青春なのではないかと思う。
その上で、キラキラな青春に真っ直ぐハマらないアウトサイダーたちにこそ、ミク達が今作り、かつて歌ってきた曲は生きうるのだと、このアプリはルネサンスを狙っているように感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
このユニットの世界は、唯一主人公的存在のものではない。救済されるべきまふゆの心が、誰もいないセカイを生む。
そこに生まれるミクは、赤子のようにイノセントであり、母親のように優しく、何も知らないからこそ全てを既に知っているように思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
それはまふゆが秘めた可能性であり、他の世界にいる”導き手たる大人としてのバーチャル・シンガー”とは、少し違う存在感を持つ。
現在イベントストーリーも着実に進んできて、他の世界にはニューカマーがたくさん訪れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ユニストを終え、問題解決の端緒、自分たちが自分でいられるような足場を見つけた子どもたちが、他者性に開かれる余裕を手に入れた反映かな、とも思っている。
まふゆの物語…に深く絡みつく、他三名の物語もまた、ユニットストーリーを終えることで一つのスタートに立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
瑞希のとても成熟した寂しさも、絵名のぐじゃぐじゃな激情も、現世に留め得なかったまふゆの欠落を、奏の約束がギリギリ繋ぎ止める。
それは父を救えなかった(あの心神喪失状態は、セカイに食われた結果かなー、と思っておるのだが)奏が抱え込んでしまった、救済願望の犠牲でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
誰かを助ける歌を作れば、自分が救われる。
まふゆに差し出した手は、身勝手に自分の方向を向いている。
しかしそんなふうにしか届かない言葉…というか生き様が、求められる嘘を演じ続け虚無を抱え込んだまふゆにはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
自分勝手で誰とも繋がれない自分を認めた上で、差し出された熱のある、嘘の無い手だからこそ、まふゆはそれを取った。罅だらけの約束を、なんとか生き延びる縁に選んだ。
ここには残酷な選抜があって、瑞希も絵名も(極限的な部分では)まふゆが生きる理由足り得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
そこには、絵名が死ぬほどに焦がれる”才”の共鳴、そこからはじき出される凡才の孤独があるのかもしれない。
誰かをひとり選ぶなら、誰かをひとりはじき出す。
そういうシビアさに、ニーゴは嘘をつけない
その上で、瑞希の成熟した人格、社会や他者を冷静に観察しつつ、自分が心地よく立ち回れる距離感を見つける視線とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
悪態をつきエゴに塗れつつ、その身勝手に溺れきれない絵名の優しさだとか。
そういうモノが無意味で無価値だとは、絶対に書かない。
不利な精神的特徴で-40CP稼いでいる(ヤバ人間を罵倒する、ガープス的語彙)三人は、瑞希の”マトモさ”でなんとか間を保ち、社会的活動を広げている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ナイトコードで喋るだけで終わらず、リアルであったり、展覧会に行ったり、話して笑ってどーでもいい青春を共有する起点は、いつも瑞希だ。
そんな彼/彼女も社会の視線との軋轢を抱え、自分がどうあるべきか、どうなるべきかに常に悩みつつも、『僕はこうだ』と異装をもって訴え続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
窒息しそうな”当たり前”を跳ね除けて、軽やか…に見えるよう強がりながら跳んでいる瑞希の姿は、とてもたくましく見える。
イベント”KAMIKOU FESTIVAL”で主役を張った時、瑞希は類との過去を思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
世間にどうしても馴染めない変人が、妙に肩寄せあったあの屋上。
お互いユニットは組まないが、自分を預けれる仲間を見つけれたのは、あの瞬間あったればこそだ。
過去、既に心を預ける足場を見つければこそ。
未来にも踏み出せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
瑞希はニーゴの中で半歩、自分を打ち立てる道を先に進んでいる人物で、周囲が撒き散らす在り来りな悪意にも負けず、自分が着るべき服を着続ける。
杏の心遣いを無下にせず、足を運んだ文化祭で彰人と冬弥に出会い、友達を増やす。
そんな瑞希が”ユニフォーム”を着たのは、凄く象徴的なエンディングだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
瑞希は他人が…男が着る制服を着ない。当たり前とされるモノに違和を感じ、自分で服を選び取る。
そんな人も、何処かで集団に帰属し自己を認められたいと…”みんな”でいたいと願う。
人は分かり合えないものだが、それでも分かり合いたいと願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
バベルの昔からずっと続く、コミュニケーションの難問。
これは様々なユニット、セカイ、キャラクターを通じ、この物語で問われ続ける課題だ。
まふゆも、自分を見つけてくれないから消えようとしていた。
瑞希は分かってくれない世間を冷静に認識し、そこと上手く間合いを作っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
絵描きとして承認されたいのに、自撮りでばっかFav貰う絵名とは対象的に、どんな自分なら他者が求める値札がつくか、上手く判別して振る舞っている印象がある。
その上で、そんな賢い現状には満足しきっていない。
『そんなもん』と思いつつも、それでも何処か誰かに判ってほしくて、傷つくと分かりつく学校に行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
そこで形にとらわれず、自分を見てくれる人に出会い、あるいは出会い直し、”みんな”になれるかも知れない衣装に袖を通す。
それは祭りに一瞬だけ訪れた、特別な衣だ。儚い夢かもしれない。
しかしそれでも、ナイトコードの外、ニーゴ以外の人の思いを無下にせず受け取ることで、自分を傷つけず受け入れてくれる、ちょっと特殊な”みんな”に馴染めるかも知れない希望を、クラスTシャツは瑞希に与えてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
それは、関わった全ての人にとって良いことだと思う。
出逢った頃とは違う類の顔を見て、『仲間を手に入れたんだな…僕にも、そんな人達が…』と思い出すのが、メサイアコンプレックスと仮面優等生と承認欲求モンスターなのが、『怪物くん』って感じで異様に面白かったのだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
学校に顔出さないあの連中がいればこそ、瑞希は微かな夢を見れた気がする
ニーゴの登校形態が”普通”ではなく、通信や夜間定時制や半サボりの、イレギュラーな形なのは良いな、と思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
そういう子供たちも、当然世間(とセカイ)にはいて、誰かに見つけられ救われる日を待っている。
異質だからといって、傷つかないわけでも弱いわけでもない。
群れ方がよく判らない僕たちにも、何かヘンテコで唯一な繋がり方が、多分ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
そう信じさせてくれる誰かが、物語のセカイにあるのはとても良いことであるし、そこで語られる苦しさや救いに嘘がないのは、なおさらいい事だと思う。
消えたいと願う。それは、一時の気の迷いではない…ことがある。
簡単には解決しない、私であることに深く繋がった違和感。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
私の外側が求めるものに呼応すればこそ、気付けば致命的になってしまってた自己像の喪失。
そういうものに、ニーゴの物語は完全な処方箋を出さない。彼らの物語は、ユニストを終えてようやく始まるのだ。
しかしその難しさ、手探りで答えを探していかざるを得ない質感が、ニーゴが背負う陰りの濃さに向き合う必要条件だとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
無論、一見明るく見える人々の生き様にも、それぞれの苦悩と難しさがあり、この物語は背を向けていないが。
リア充(っぽい子)に、無用なルサンチマン向けてないのは良い
そんな手付きで、ゆっくりと答えを探す物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ここまでのイベストを見ていると、プロセカは一個ずつ道筋を探し、自分と他人の適正距離を見つけていく模索の時間を、凄まじく大事に使いながらコンテンツを作っていく感じなのかなー、という匂いがする。
ニーゴは、特にその気配が濃い。
そのゆるやかな手付きだけが、描けるものが多分ある。取りこぼさないものも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
誰もいないセカイの中で、白紙の人格に様々な感情を刻んでいくミクは、あの場をアジールとし生き延びていく四人の少女たちの、鏡であり子供であり母なのだろう。
あやとりを、マフラーを、折り紙を。
色んなものを教えられ与えられる中で、ミクは学び育っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
それに反射する形で、少女たちも自分を見つけ、育んでいく。
誰もいないセカイにも私はいて、見つけてくれる誰かを待っている。そんなまふゆの苦鳴を、偶然ナイトコードに集った仲間はなんとか、受け止めた。
と、過去完了形で書ける物語ではないのだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
まふゆを喰った世界には、悪意がない。
それが当たり前、善いことと、子供の表情をしっかり見ない無遠慮に一個一個削られて、まふゆは自分が分からなくなってしまった。
それは、無かったわけでも無くなったわけでもない。でも見つからない。
その手助けをすると、奏は自身の救済願望に押されて約束する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
しかしその道は、ひどく遠い。
歌は人を救うのか。
日常にそびえる顔の見えない壁(プロセカでほぼ唯一、まふゆは”母”と対峙する存在である。ほぼ”父”だかんね顔あるの)を、超えるために何が必要か。
それを探る旅路は、まだまだ長い。もしかしたら、なにか決定的な答えが出ない歩みなのかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
しかし凸凹な四人でいることが、それぞれの生きづらさを抱えた少女の導きとなり、支えとなっていくのは間違いないだろう。ジリジリと進んで欲しい。
まふゆの顔のない世界を変化させる兆しとして、学園祭で触れ合ったえむちゃんの存在が目立つのは、彼女のファンとしては嬉しい配置である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
”揺れるまま、でも君は前へ”でも、ほなちゃんに隣り合って手を差し伸べていたけども。
えむちゃんは人間の本質を見抜く視力が鋭く、行動する勇気がある。
偽りに塗れた空疎な現実にも、そんな風に救いの兆しはある。世界やナイトコードという、”普通じゃない”場所とだけ、まふゆは繋がっているわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
そういうことは、すでに書かれている。
これをどう活かすか。人形を縛る糸をどう断ち切り、切った後に何を作り出すのか。
ミクさんが”はしご”を差し出してきた時、うっかり落涙してしまったわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
ニーゴの少女たちが求めて届かない、ここではないどこかに行ける切符を、ミクは差し出してくれる。
それは綾取り糸で作られた儚い夢、幼い子供の差し出した幻像だが、確かにそこにある。
もう子供ではなく、だからこそ様々に苦しんでいる四人の物語が、どう呼応しながら進んでいくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月3日
薄暗く、だからこそ嘘ではない感情に強く向き合いながら、ニーゴが何を見つけ共有していくか…あるいは分かり合えないかを、今後も見続けたいと思う。
願わくば、幸福な結末を。