トロピカル〜ジュ! プリキュアを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
突然アクアポットに吸い込まれたみのりとローラは、心が入れ替わってしまう。
解き放たれた両足で大地を走り回るローラと、慣れない人魚生活に苦労しつつも、海の青さに目を輝かせるみのり。
ドタバタな入れ替わり生活は、二人に何をもたらすのか!?
そんな感じのみのロラ回第二弾である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
性格極悪のKUSOAMAより、落ち着いて抱っこしてくれる先輩の方に露骨くるるんが懐いていて、『まぁな…』って感じもある。
ポット酔いした時もむっちゃ心配してたし、ある意味みのくる回だったのではないか。
話の方は入れ替わりでハチャメチャドタバター! に、トピ部の応援活動を交えて進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
周囲が学ラン着込む中、自分の信じる”可愛い”を一切譲らずチア衣装貫くあたり、さんごも太い魂してんな、と思った。
こういう細かい描写に”らしさ”が滲むと、作品が息づいてる感じがしてやっぱり良い。
”身体”という最もプライベートな領域をかき乱され、みのりん先輩があんま見せない顔を、家庭環境と一緒に見せてくれたのも良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ポエム描いてたり、お腹がコロッケだったり、ド天然の不思議ちゃんにだって当然、私生活というものがある。ママンもいるよ!
アクシデントから始まった同居だったが、そういう踏み込んだ領域をローラと共有できたのは、二人にとって善かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
フヨフヨ彷徨うポットの便りなさ、這い出してきたときのズルズル加減が、逆に人魚生活の苦労を語りもするが、飛び込んでみた海では自在に泳げる。
第7話では物語が育む想像力、共感能力を体現してたみのりん先輩であるが、今回は”体験”がもつ圧倒的な情報量、文字通り『相手の身になって考える』行為の意味合いを、自分の体で引き受けることになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ファンタジックに夢見ていた、海底の大冒険に身を投げることで、彼女は普段より大胆になる。
それも読書と同じく大事な体験で、かけがえのない私に色んなものを与えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
何しろ賢い子なので、そういう学びを持ち帰っての『やっぱり、私は私が良い』という結論なのだろう。
前回『一人も皆も善い』と書いた部分が、今回は『想像も体験も善い』という形で語られてんのかなー、とも思う。
んで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ピンク髪の性悪人魚に過剰に肩入れしてる視聴者としては、多分笑うべきローラの大暴走がなんとも痛かった。
大声出せて嬉しい、飛び跳ねれて楽しい。
そうはしゃぐのはさぁ…普段人前にも出れねぇし、得意の歌も披露できねぇし、自由に走れる足もねぇからでしょ!!
みのり先輩のヨタヨタ人魚っぷりが、逆にローラがどんだけ苦労して地上生活に適応して、ある程度自在に動けるようになったかを語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
それでも人間の両足は別格で、物語が展開する舞台、そのスタンダードに当然のように適応した使い勝手を、ローラに与える。
『私は私』と、いつものようにプライドを前面に出して入れ替わり生活を語るローラの視線は、自分の尾びれに向いていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
その不自由な歩行器を、けして恨まないでほしいと僕は祈ってしまった。
ローラは人魚である自分が大好きで、劣等で取り替えるべき身体だとは思っていないだろうけど。
それでもみのりの身体…そこに付随する抑圧のない”当たり前”の社会的立場を体験することで、判ってしまったこともあるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
自分がコソコソ隠れるべき異物であることは、一瞬だけ垣間見た人間たちの世界、そこを自在に泳げる二つ足の自由さによって強調されてしまう。
入れ替わったみのりが体現していたように、ローラの尾びれは海の中では最高の推進機であり、その喉は水中でも自在に呼吸できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
今のローラの不自由は、彼女が少数派になるしかない場所にいるからこその不自由であり、(人間の身体がそうであるように)人魚の身体はいつでも素晴らしく、価値がある。
そんな題目を並べてみても、体験してしまった身体的、社会的、そして精神的な自由はローラに根を張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
フカフカの寝床も、色んなご飯のバリエーションも、自分を守ってくれる家と母もあるみのりん先輩が、入れ替わりを『自分の価値を教えてくれる、いい体験』と受け止めたように。
故国から遠く離れ、狭い住環境に閉じ込められ、トピ部の活動にも堂々参加できないローラが、今回の経験をただただ眩しいものと受け止めたかは、僕には疑問が残る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
その違和感とスッキリしない感情は、至極当然だとも思う。
入れ替わって、夢のように醒めて、でも心の底に燃える残火。
それがローラを焼かないことを祈ってしまうけど、あの子は魂が強いし(自分含めた)誰かを恨むことがないので、この感覚も糧にしていくとは思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
でもそうやって、ローラが求め果たされない身体・社会的なくすぶりを彼女一人に背負わせて、良いものかなとは常々考えている。
BANDAI様のお商売戦略の都合で、情け容赦のないバレが全国ネットで飛び出し、ローラが二本足のプリキュアになる未来はもう判っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
しかしそれは、彼女の人間性…というか人魚性の根源である、(地上においては)不自由な身体を捨て去ることで達成されるのだろうか。
それで、善いのだろうか?
ここは凄く難しい問題で、変身の特別さをジャンルルールとして選び取った”プリキュア”が、変わらないことの価値を前面にだすのは難しいだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ローラは”変わる”のだ。
だがそれが、人魚の尾びれを…彼女が彼女である証明たる身体を変質させることで、達成されるのはどうも…違う気がする。
ここはハンディキャップ・パーソンが自身の身体にどうプライドを持つかとか、人にとっては不可逆である身体的欠落を、魔法がどう扱うかとかにも関わってくるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ローラがどのような形でプリキュアとなり、特別な戦士と選ばれたことで、変身しないローラ…人間世界の影にいる彼女が、どう変わるか
華やかな衣装と揺れるロングヘアーで、少女の憧れを惹きつける特別な戦装束よりも、僕はそこが気になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
今回、そしてずっとローラが作中見せてきた、惨めさとプライドが錯綜する魂の火花に、彼女のプリキュア化がどう影響すると描くのか。
可愛そうな人魚が、人間様の形を手に入れたから幸せになったと描くつもりがおそらくないのは、そういう古い類型に抗議の声を叫び続けてるローラの描写からも理解る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
自己愛のための鎧としてメイク(外形化された身体変容)を扱うと、自作で吠えてる作品が、そういう道を選べば”終わり”だとも思う。
ローラの尾びれをどうするかは、トロプリで一番重く、難しく、面白い問題だと僕は思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
彼女がプリキュアになることは、否応なくそこに付随する精神的・社会的なプライドを、彼女をポットの中に追いやっている抑圧に触れることだ。
ここまでの物語を見てると、製作者はそれに強く自覚的だと思う
ならば今回、当たり前に家があり二本の足で立つみのりと入れ替わることで、その夢が覚めることで軋むローラの尾びれと心も、より善い形で収まるべき場所を見つけれる…と良いなぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
こればっかりは、描かれるまでなんとも言えない。制作陣を信じてるけど、とんでもない事故り方する可能性は残る。
まーローラを”いい子”にしないまま、不思議と女王の器があると納得させ、厄介だが愛すべき隣人と見てる側に染み込ませた手腕を考えると、『倫理と経済と物語のゴルディロックス距離』みたいな場所を、上手く探り当ててくれそうな予感…あるいは期待はあるのよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
やっぱローラの描かれ方は凄くたくさんの、僕にとってはゆるがせに出来ないものを巻き込んでいると感じられて、彼女がどう遇され、プリキュアになるかは個人的大問題である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
だからこそ、トロプリらしく真摯で、嘘のない答えがドラマの中描かれたら、凄く作品を好きになるのだろう。
そう考えれるのは、やっぱ今までのローラの描き方、今回自分の尾びれを見つめる視線が浮かび上がらせるものが、凄く繊細かつ強靭に人間の大事なものを狙い撃っていると、僕が思っている証拠だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
運命の変身まで、後二週。
直近のお話はトピ部の活動に絡めて、ローラの存在感を高める物語を積んできた。
自分大好きで、プライドが高くて、なんだかんだ触れ合った人たちのことが好きになって、だから皆の助けになるべく走り回りたいと、あくまで前を向いて進む少女。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
彼女の祈りが何処に向かい、何を連れてくるか。
来週と再来週は、自分の中でトロプリ最大の”勝負”となりそうです。大変に楽しみですね。
追記 作品を描く人、読む人が『考えすぎ』かどうかは、その当事者にも、冷静(と特権的な立場を仮定する)な第三者にも、おそらく誰にも決め得ない、浮遊した価値なのだと僕は思う。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
みのりと入れ替わったローラは、変身して闘うことは出来ない。
惨状を見て、戦う意味を再確認することで入れ替わりは解け、戦士は闘う力を取り戻す。
ここのやり取りは、凄く残酷にローラとみのりが戻らなければいけない理由を刻んでいて、鮮烈で残酷だなと感じた。
ローラがプリキュアになる未来が確定しているとしても、みのりの鍵は彼女の扉を開けてはくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
個別の思いで磨き上げられた勇気こそが、戦う力を生むのならば、ローラはあくまで人魚のローラとして、自分の鍵を掴まなければいけないのだろう。
それは、他者の身体や立場を窃盗しても手に入らない。
その精神の自由にこそ、ローラがローラである立脚点があるはずだし、あるべきだし、あって欲しいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
しかし身体/物理的に”私”に付き従う人魚の尾びれは、彼女の高潔さが走る足かせに、時になってしまうかも知れない。
Physicalなものは、常に強い。精神は物質に対し、無条件に優越しない。
ならば身体が”変身”すれば、特別な私を無条件に獲得できるかと言えば、またそれも正しくはないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ローラを巡る難しさは、身体、精神、社会的立場という多様な”私”が、不可分に重なり合いながら存在していることに由来する。
その難しさが同時に、”私”であることの尊厳を支える。
だからこそ、なお難しくも感じるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
可能ならばローラは、特別な力と自在に跳ね回る両足で、敵を倒したかったのかな、と少し考える。
答えはない。それは作中のローラに反射する、身勝手な私の問いかけだからだ。
でもローラの在り方はそういう”はみ出し”を、モニタの向こうに生み出している。
そう僕が感じるのが、過剰な思い入れ故の誤読なのか、たしかに作品がそれを描いているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月6日
ここにも答えが出ない(出してはいけない)から、何かを見ること、好きになることは難しくも面白いのだろう。
俺はローラを見て、勝手にウジウジ考えるのが嫌いじゃないです。