ゾンビランドサガ リベンジを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
突如佐賀を襲った豪雨に流され、フランシュシュは家を失った。
ショッピングモールでの避難生活で、人を助け歌い踊る少女たち。
その仮面が剥げてもなお、アイドルたらんとするゾンビの顔を、人々は見た。
不屈の意志を込めて、今フランシュシュは約束のSAGAへと…
そんな感じのフランシュシュ VS 激甚災害ッ! 豪雨もゾンビもどんと来い!! な、想定外のハードコア・クライマックスである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
リベンジらしい強引なガバ展開…というのは、”天災”なるものの性質を考えれば、少々浅慮かとも思う。
それは唐突に訪れ、破壊の限りを尽くし、その後でも人は生きる。
見てる僕らにとってこの展開が意外であるように、日常を破壊され、それを再建する戦いに身を投じた方々にとっても、”天災”というものは唐突なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
大破壊から立ち上がる力、そこで試される絆をブースターにして、クライマックスに相応しい熱量を引っ張り出してる感じはある。
しかしそれだけで終わらず、実際に豪雨災害の被害を受けつつ、どっこい生きてる現実の佐賀をアニメにどう焼き付けるかを、ちゃんと考えたエピソードだと感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
主役のフランシュシュだけが諦めないのではなく、むしろ様々に働く人のサポートをし、”アイドル”にしかやれない仕事を担当する。
そういう様子を追いかける中で、二期で描かれた各キャラクターの個性や強さ、様々なエピソードをギュッと濃縮して届けてくれる仕上がりだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
ドラマが勢いよく流れていく要所に、こういう振り返りを自然と埋め込んでいる所が、このシリーズの巧妙で的確なところだ。
ここまでのエピソードを追いかける中で、僕らの心のなかに宿った各キャラクター”らしさ”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
この場面なら、この子はこうする。
このシーンなら、こういう反応をして欲しい。
そういう風に育てた芽を、避難所をステージにしっかり伸ばしている描写が随所に見られ、大変良かった。
この手応えが、”敗残アイドルのリベンジ”以上の文脈を背負ってしまった駅スタライブを支えるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
ステージ描写に説得力を持たせるためには、ステージの外側で人格を描かなければいけない。
そういう基本にして王道を、徹底的にキッチリやる。やっぱケレンを制御仕切る骨の太さが、強みのアニメだ。
というわけで、ゾンビ屋敷だけがぶっ壊れると思いきや、北九州全域が大被害なところから物語はスタート。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
今まで物語を支えた背景美術力が、佐賀が背負った甚大な被害を教えてくれて、まったくクオリティの正しい使い方である。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/JeRXlzZ6pA
フランシュシュにとって屋敷は、銃を持って追い立ててくる世間からのシェルターであり、秘密を守るための箱であり、奇妙な縁で結ばれた家族の宿り木でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
そこには人間らしさを装うための食堂があり、顔を作るためのメイク道具があり、アイドルをやるための衣装があった。
それは全て崩れてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
エンバーミング技術を持った巽もいないし、フランシュシュは裸一貫、自分たちで立つしかなくなる。
彼女たちを包む世間は、しかし第1話冒頭で描かれたように、白塗り目立つ奇人集団を優しく向かい入れる。
佐賀に、ゾンビ達の居場所はある。
社会とゾンビは、このお話が始まったときからずっと大事なテーマだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
一期は追い立てられる怪物としての顔が強かった(だからこそ、唯一のシェルターとしてゾンビ屋敷の特別性が際立った)わけだが、二期は(アイドル以外の)職業を得、メディアや人間関係の網に受け止められる姿が多い。
ショッピングモールという、ゾンビパニックの王道の舞台を”避難所”にしたのも、ゾンビが持つ反社会性、人を食らうサガを超越した『優しい動死体』としてのフランシュシュを、より鮮明にしたいからだと思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
今までのゾンビが対話の可能性もなく、喰って撃たれて殺されてきた場所。
そこで暴かれるのは極限状態下の人間の醜さではなく、支え合う温もり、受け止め合う優しさだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
人間が獣めいた浅ましさを抑えるように、ゾンビもまた仮初の白塗りで顔を作り、好きな人にかぶりつきつつも食べない。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/auhWdoVjX4
たえちゃん独特のLOVE表現を、おばちゃんが鷹揚に受け止め真意を解ってくれるのが、マジでありがたかった。あったけぇ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
分け与えられた階段上の一角とビニールシートは、ゾンビが洪水を逃れここに集った一員であることをよく示す。そこに拒絶はない。
サキちゃんが土のうを積んでいるシーンで、彼女をクローズアップにしない画面構成が好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
アイドルで主役な彼女が真ん中に来ても良いところで、このお話は復興に汗する皆の一人として、彼女を描く。
今のフランシュシュは、そういうポジションに自然と立つ存在だ。
一生人形ネタでボケ続ける純子の前フリが、微笑ましい子供との交流に埋め込まれてる所とか、相変わらず描写が周到であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
マージで今週の純子、一生ズレ続けてたからな…そこが可愛いんだが。
洒落にならない状況でも、あえて笑っていく作品のタフさが、災害化の状況では真摯でありがたい。
さくらが『食べちゃダメ!』とたえちゃん静止するのはいつものことだが、今回のそれは『生きてる被災者達の食料を、食わなくても動くゾンビが奪っちゃダメ!』って意味合いがあったかな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
それを思うと、『よかよか食べんね』と言ってくれたおばちゃんの無垢なる情が、暖かく染みる。うどんだけに。
『かじる』っていう、ゾンビ映画の本道から言えば殺傷・捕食・感染を意味する行為がたえちゃんにとっては親愛の挨拶な時点で、フランシュシュは『良いゾンビ』なんよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
否定しようなく死体でありながら、今を生き抜こうとする人間の証明を持ち続ける存在を、果たして佐賀はどう受け止めるか。
今回のエピソードは、苦境のフランシュシュと人々を追いかけながら、そういう部分を浮き彫りにしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
だんだん灯りが戻ってきた避難所に、しかし響く子供の声。それを聞いたサキちゃんの表情が、大変彼女らしくていい。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/XyE8Kc7mny
ここでリリィがなんの構えもなく、当然のことのように”芸”を披露して、暗い影を追い出していく先頭に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
あまりに頼もしく、誇らしく、勇ましい姿で泣いてしまった。
やっぱ正雄は、舞台に立つ存在が何をやるべきか、フランシュシュで一番判っている存在だと思う。
ここで子供らが頑是ない怯えを一旦忘れ、ノリノリでリリィのステージに興じるのは、オーディション番組を通じて”リトルパラッポ”が子供たちの”アイドル”になっていたからである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
それは母が好きだった”いのち”をアレンジし、ゾンビのように再生させた結果なのだ。
リリィがここで闇に負けず歌い踊ることで、マミィが好きだったもの、正雄が永遠にしたかったものは復活を果たし、子供たちに笑顔を取り戻していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
時を止めたゾンビになることで、正雄は果たせず命を奪ったかつての夢…永遠なる子供の輝き、死してなお生きる母の魂を掴み取っていく。
そこに深い悲しみも滲んでいることを、一期第8話、二期第5話で描いてきたわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
芸事への誇り、不屈の信念、それを表に出さない軽妙さ。
リリィは舞台に上がる顔を作り、堂々と踊りぬいて、避難所で己を示す。輝く星として、泣いている子供たちを希望に導く。
それが出来るのが”芸”であり、”アイドル”なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
炊き出しや土木作業に立派に勤しむ姿から、半歩踏み込んだ『フランシュシュだけに出来ること』
その先達を、リリィが務めたのはあの子がとても好きな僕としては嬉しく、また納得の行くものだった。
リリィはピーターパンだから、ネバーランドに置き去りにされても永遠に、子供たちを夢に導き続けるんだよな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
ここで…あるいはモニター越しに”リトルパラッポ”聞いた子供たちが大人になった時、あの時自分を包んだ魔法をいつか思い出してくれたらいいなと、僕は思う。まさおはマジ偉い。
前回ある意味当然の義憤を背負って、フランシュシュの秘された真実に接近していた大古場さんであるが、彼も化粧の薄いフランシュシュを間近で見る中で、”アイドル”としての彼女たちの今を見つめ直していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/SEpowgDTFu
地元に根づいたアイドルとして、この状況下で出来ることをする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
バリバリの作画とエフェクトで魅せるステージングが多かったからこそ、私服でアカペラ、車のライトだけを舞台装置に演じるステージが果たすものは、より輝いて見える。
そしてこの勇姿は、避難所に留まらない。
大古場さんを反射板に、メディアという存在に何がなしうるか描いているのも、二期のとても面白いところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
時に悪しざまな暴力装置と描かれがちなマスメディアであるが、今回は避難者を襲った災厄と、それで終わらないタフな現状、それを生み出す絆と笑顔に強くクローズアップしていく。
そしてそれを、より広い場所に流す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
大古場さんが巽に詰め寄ったのも、暴露記事の準備をしたのも、不善を正す武器としてのメディアを信じているからだろう。
死人を弄ぶ悪を暴き、糾弾する。
驕り焦った失敗を、偽りなく伝える。
当事者と読者の中間(Medium)に立ち、事実と真実を繋ぐ媒介(Medium)
それは意思なき鏡ではなく、自分で何を伝え何を生み出すか考える、一つの生き様でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
ここでも匿名・無名の存在は大事にされていて、大古場さんが彼自身のスクープを選ぶよりも早く、地元メディアが避難所を取材し、フランシュシュの健気な奮闘を世間に伝える役を担っている。
サキちゃんが画面のセンターを専有しないように、ここまで誠意あるメディア代表として描かれてきた大古場さんだけを、報道人とは描かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
フランシュシュの真実を、どっしりと取材する彼を追い抜いて、被災地の現状を伝えるカメラマン達を書くのは、公平な視点だなと感じた。
”被災地”を追う取材陣からしても、”フランシュシュ”を探る大古場さんからしても、彼女たちのステージは希望の灯火と映る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
子供たちは光の中で喜び、不安を忘れ笑顔になる。
それが出来るのがアイドルであり、フランシュシュであると、彼女たちのステージは無言で語る。
一方巽も、駅スタライブ後のように飲んだくれていたわけでは当然ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
彼も一人の被災者として泥水をすすり、それでも必死に駆け抜け、自分がいるべき場所に追いつこうとする。
かつての”家”の現状を、TVメディア越しに知る描写が感慨深い。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/RLEjfa2ojt
自分もパンツまでグショグショになりながら生存者を探す、吉野声の警官であるとか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
新たな夢を載せたボートを、今度は機材運搬のために使っている美沙とか。
これまで物語の中で生きてきた一人ひとりが、この窮地を前に、それぞれの役目を果たしている。
モールに取材に来たメディアが、情報を求める人と現場の仲立ちをしたから…彼らなりの果たすべき役目をやっているから、巽はTVを通じて現状を知れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月17日
ここまでの物語を彩ったものも、今回始めて画面に写ったものも、皆同じ佐賀で生きて、苦境に挫けず誰かを助けている。
その一人として巽があるし、フランシュシュがいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そういう存在として、主役を描いたこと…大きな網にゾンビとネクロマンサーが包まれている実感を、災害と生存の描写を通じて伝えたことで、クライマックス直前に、物語に奥行きと広さが出た気がする。
ゾンビ達の拙い仮面は剥がれ落ち、フランシュシュは決断を迫られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ここでサキちゃんが”玩具店襲撃”という、ある意味ゾンビらしい解決策を提案し、却下されるのは興味深い。
フランシュシュは網を破って盗みもしないし、モールで人も食わない
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/CocFGttt7D
代わりに極めてローカルでトンチキな、手作り仮面で顔を隠してアイドルをやろうとする。”オッドタクシー”といい、仮面女子ネタ流行ってんのかな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
その舞台裏を、大古場さんはずーっと見つめ続ける。死体が動いているという、フランシュシュの”真実”の先にある”事実”をちゃんと見ようとする。
結局ゾンビ達のあがきはパキンと砕けて、死人の素顔は表に晒されてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
死を偽り、社会的な体面を作るエンバーミングは、巽だけの特殊技術なのだ。
その上で、全ての真実を衝撃的にさらけ出すか、笑える嘘で覆い隠すか。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/NFWjwAozEy
ゾンビは人を喰うが、目の前の少女たちは私達を笑わせてくれた。だから、お姉ちゃんたちはゾンビじゃなくてフランシュシュ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
子供たちのゾンビ定義を受けて、愛はてへぺろ顔を作り、自分たちの素顔を”ゾンビメイク”ということにする。
嘘は本当になり、ゾンビはアイドルであり続ける。
そんな優しい嘘で、必死に舞台を繋ぎ止めようとするのが水野愛であることと、メンバーだけに見せる彼女の”素顔”が、強く胸に迫った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
アイドルは、本気で嘘をつく仕事。どれだけ辛くても、”今”を必死に走って観客に届ける仕事。
アイアンフリル初代センターは、その事を痛いほど知っている。
仲間に見せる愛の瞳は、強く潤んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
自分たちがゾンビであること。
被災下の特別性、子供たちの純粋さ、幾重にも連なった偶然が生み出したこの舞台でしか、自分たちの顔が社会に受け入れられる夢は、もう生まれない。
それでも顔を作って、演じ続ける。死んでも”アイドル”し続ける。
そんな厳しい生き様の先頭に立つのは、やっぱり彼女しかいないし、”アイドル”である彼女の強い表情と、そこに隠した震えをちゃんと描いてくれたのは嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
例えば恋愛、例えば成熟、例えば死別。
”アイドル”辞めさせてくれるあれそれは、もう死者には遠い。
それでも、死人の青ざめた素顔を晒してなお、『優しいゾンビ』だとフランシュシュの特殊性を認め、受け入れてくれたこの一瞬の夢が、どれだけ彼女たちにとって特別な救いであったか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それを噛み締めて、なお嘘の顔を作って本気で演じ続ける矜持を、彼女たちが持っているか。
よく判るシーンだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
死人の顔はフランシュシュにとっては素顔だが、観客にとっては仮面になった。
その奥に、人間らしい”素顔”があるのだ、という物語に守られて、フランシュシュは嘘と真実の狭間に揺らぎながら立つ。
その危うさ、尊さを、巽も大古場さんもじっと見つめる。
ゾンビの素顔を晒し、巽のエゴを糾弾すればこの優しい嘘は壊れてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
その事実を、大古場さんは間近に見据え感じ取った。
どんなに正しくても、一つの視点から見えるものは現実の一面でしかなく、嘘で救われるものも、全てを賭けて生み出される嘘も、世の中にはある。
ならばそれは、価値ある真実としての側面をもはや持つ”嘘”なのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
虚実の境界線、正義の難しさが闇の中複雑に揺れる後ろで、フランシュシュはあくまで光を背負い、希望を演じ続ける。
彼女たちは”アイドル”だからだ。嘘の只中にしか、彼女たちの本当はない。
かくして合流を果たした巽は、乙女たちの顔を作りながら決意を語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
『大人が笑ってる』でゆうぎりを、『子供が笑ってる』でリリィを、それぞれ切り取る演出は最高。それぞれの代表者として、フランシュシュにこの二人が共存している意味よ…。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/11tjGWT3OB
二期はソロとしての逞しさを、フランシュシュに与えていく物語でもあった気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
第1話からして、一期でフランシュシュを支え守り動かしてきた彼が、酔っ払って崩れる一人間であることを真ん中に、話が動き出した。
それでも逞しく、フランシュシュはバイトに勤しみ、”アイドル”してきた。
一期なら巽が間に合って、顔を作ってライブをしそうな展開でもあったけど、しかしそうはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
アイドルは自分の腕で仮面を作り、それが破綻してなお、優しい嘘をかぶって舞台をやりきった。
ゾンビの限界点を示しつつ、それを受け入れる佐賀、受け入れさせたフランシュシュの生を描いた。
ゾンビを生者に装い、人間性を保持する拠点と鳴っていたあの屋敷が潰れたことは、故郷の喪失であると同時に殻の破壊でもあったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そこから、既に自分たちを受け入れてくれる素地が整った広く優しい佐賀へと、フランシュシュは巽の支えと導きなしで漕ぎ出していく。
そんな個別の逞しさと、それでもやっぱり巽幸太郎が…エネルギッシュで、シャイで、業に溺れた身勝手な狂人であり、たった一人の少女を永遠に愛するロマンティストであり、その介添に蘇らせた死人達をやっぱり愛している男が、フランシュシュには絶対必要なのである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
彼がいないことで、フランシュシュの飾らない真実がこの極限でもって、フィルターなく大古場さんに届いたとも思うし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
男二人、言葉少なく思いを伝え合う場面は、前回ラストの緊張感を活かしたとてもいいシーンだった。
全てが委ねられる説得力は、避難所での奮戦と、それを見つめる至誠で十分生まれる
大古場さんは真実と事実と現実を、非常にフェアに見れる報道人である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
だからこそゾンビの真実にたどり着いたし、巽を避難した。
そんな彼が、自分の目で見たものを裏切るとはけして思えない。
だから巽からの頼みは、佐賀にとってフランシュシュにとって…人として人にとって大切なものを掴むだろう
巽への疑念を、巽が直接接触することなく、彼が生み出し導いたものに接近することで晴らす話運びは、凄く巧妙だし上手いなー、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
何を言っても言い訳になる状況で、大古場さんの”眼”を通じて描かれる、フランシュシュの優しさと強さ。
死人が積み重ねる嘘と、震える第二の生。
そこに確かに宿るもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それを生み出した男が、確かに持っているもの。
それは大古場さんが誠実な報道人であり、善き人間であるほどに否定できない。
そういう人だからこそ、フランシュシュが避難所で見せた”生活”から、真意を汲み上げられる。
まぁここで、大声の怒鳴りあいで信念ぶつけ合ってもストレス上がるだけだし、語るより理解る重点の話運びは大正解よね…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
特に二期は凄く繊細にストレスコントロールしながら進めてる作品だと思うのだが、そこに媚びた安直さよりも観客を慮る練達と配慮が浮かぶのは、”品格”ってやつだと思う。
さて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
どん底から這い上がったフランシュシュのリベンジ以上に、被災地復興の決意と祈りを込めたライブになりそうな、駅スタライブ。
そこに挑む前に、巽孝太郎と源さくらの物語が(ある意味)終わる。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/ECmr043wtH
『なるほど…マモの美声でキャラソン流したのは、この前フリか…』と、納得させられる、濃厚な巽さくであったけれども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
生者の顔を取り戻しても、ゾンビ1号に記憶は戻らない。
遠い場所からずっと彼女を見つめていて、その無念に嘆き狂い人生捻じ曲げた、一人の少年を思い出さない。
階段の遠さ、夜闇に輝く光がさくらにあること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
巽の内面がよく反映された、キレるレイアウトである。
サングラスの奥に思いを隠し、佐賀を…源さくらの呪われた夢を復活させたネクロマンーに、手向けられるとても暖かく、ある意味残酷な言葉。
今までの全てが報われ、壊れてしまう呪文。
巽もまた、愛と同じように優しい嘘を抱きしめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
乾の名を捨て、ハイテンションな熱狂で自分も周りも騙して作ってきた”巽孝太郎”に収まるように、自分の思いを制御仕切る。
その瞳は多分、愛と同じように濡れているが、巽はそれをさくらには見せられない。
彼女が”アイドル”であり、巽自身が作り上げたフランシュシュの一番であり続けるためには、サングラスの奥に何を秘めているかは、ずっと隠さなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
『アイドルと恋愛』つう大テーマを、ここでこの角度でぶっ刺してくるの、流石だなぁ、って思う。
秘める、隠す、嘘を付く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
エンバーミングでもってその意味を実践してきた巽が、実は一番隠している。
呪いに巻き込まれ、さんざん泥も酒も飲んできた彼は、さくらへの思いと過去を…真実を叩き付けるのではなく、あくまで”巽孝太郎”としての夢と信頼を届けることにした。
凄く誠実に気合を入れて描かれた愛の涙と同じくらい、巽がグラサンの奥に押し込め、それでも聖者と死者の距離を駆け抜けてガラスに叩きつけた本当は、価値のある嘘だと僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ここが終わりじゃないと、自分に言い聞かせるように叫んで、巽はゾンビ1号から離れていく。
駅スタの先にある永遠を求めるのならば、フランシュシュの旅は終わらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
呪いに苛まれ、それでもなお羽ばたくときを求めて、少女たちは駆け続ける。
巽孝太郎は、それに添い遂げることをここに決意したのだろう。
さくらとともに、幸福な終わりを迎えるよりも、燃え盛るような永遠のリベンジを。
それがなんとも熱く、激しく、哀しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
恋を告げるよりも早く奪われ、狂気になった愛。
それは確かに、死者を冒涜するエゴの暴走でしかない。
それでも、彼が始めたものは個別の生を持って動き直し、洪水に震える人たちに夢を与えるようになった。自力で歩き、闘うようになった。
『俺は持ってる!』と、呪いを振り千切るように叫ぶ巽が鼓舞したいのは、さくらでありゾンビ1号であり、彼自身でもあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
一期ラストでは、折れかけたさくらを立ち直らせた言葉の意味合いが、二倍に膨れている印象だ。
(画像は"ゾンビランドサガ リベンジ"第11話より引用) pic.twitter.com/sIKJzmPlXn
そうなったのもやっぱ、二期第1話で巽の挫折と再起を…彼の人間性をまず捕えた構成ゆえだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
二期をやったからこそ描けたもの。捕まえられたもの。
その全てを濃厚に詰め込み、力強く語るエピソードでした。
再話でありつつ、同時に刷新の風も孕む。マジで強ぇ。
次週、前代未聞の27分ぶっ通し、CM完全カットの最終回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
今回機材や化粧がなくとも”アイドル”であり、人間である強さを見せつけたフランシュシュが、本来の戦場でどれだけの生き様を魅せるか。
こんだけ温まっちまうとハードルも上がりますが、余裕で超えていくでしょう。
次回も楽しみです。