プロセカイベント”カーネーション・リコレクション”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
まふゆを救う曲を求め、今日も苦悩する奏。
突破口を求めさまよい出した街に、降る涙雨から守ってくれたのは、瑞希の差し出した傘だった。
友に思い出の花畑を探し、たどり着いたちっぽけなセカイ。
そこから摘んだ、花の名は…
そんな感じのニーゴ4つ目のキーストーリーである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
レオニとワンダショが一周して第一章に決着つけてたので、ニーゴもてっきりそうなるかと思っていたが、まだまだ複雑怪奇にのたくる感じであった。
罪悪感、救済願望、虚無、嘘、承認欲求。
ディープでダークな思春期は、まだまだ続く。
…と言いたいところだが、ニーゴの子供たちは相変わらず本当に真剣で、優しくて、必死に曲を作って誰かを救い、自分を救いたい気持ちが地のように滲んでいて、またもや涙してしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
一生K第一のファンやってるえななんが面白すぎる。お前は宵崎奏が好きすぎ。素晴らしい。
戯れの出来ない虚無人間である(ニーゴの前では、作った虚像で生きたくない)まふゆは、一切飾りなく感想を告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
その容赦の無さが、父を壊した罪への報いをいつも求めている奏には、ある意味救いでもあるのだろう。Kの神曲投げ捨てられて、えななんは正気が保てないッ!
まふゆを救う曲は奏自身を救う曲でもあり、彼女自身求める救済の形が見えていないので、それはなかなか形にならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
これは今回の新メンバー、ニーゴルカが指摘するところでもある。
ニーゴのセカイは、キャラ追加が人格のどんな発展に伴って現れるか、一番わかり易いと思う。
あえて踏み込まず見守るニーゴMEIKOに対し、ニーゴルカは踏み込み壊して、再生の兆しを作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
そういうモノを求めてももう大丈夫な空気を感じ取って、ルカがセカイを訪れたとも言える。
言えない秘密を前に、自身の誠実さを疑う瑞希。
あるいは忘れていた幸福を前に、足踏みする奏。
皆心の何処かで、痛みを生む踏み込みが必要だと判っていて、しかし踏み出せない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
ルカの助言を背中に受け…また、病床の父が起動させてしまったタイムマシンに乗って、奏は幸福だった時代の記憶へと踏み出していく。
幸福であってはいけないと、哀しみをこらえる奏があまりにも悲しい。
ニーゴはクリエイティブティの影に積極的に踏み込み、嘘なく描くからこそ生まれる確かな救い、詩が生まれる奇跡の内実をしっかり切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
奏は目指すべき曲がどんなものか、それを追う自分がどんな存在か、凄く生真面目に考え、一歩ずつ進む。あるいは、踏み込めずに足踏みする。
氷雨の中、自分を罰するように立ち尽くす奏を前に、瑞希もまたためらう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
自分が踏み込んでいい部分なのか、その資格があるのか。
しかしそこで、手を取って暖かなモノを差し出し、屋根のある場所に連れて行ってしまうのが暁山瑞希という人間である。優しすぎて涙出た…。
思い出の花畑、遠い幸福の埋まる場所に、奏は一人では進めない。罪人である彼女は、幸福であってはいけないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
しかし瑞希は、希死の時代をKの曲で救われた当人として、ニーゴの仲間の一人として、奏を約束の場所に連れて行く。
それが多分、瑞希自身の救いにもなるから。
奏での前に在る白いカーネーションは、死せる母への弔花である。花言葉は『純粋な愛』『私の愛は生きています』。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
瑞希の前にあるピンクのカーネーションの花言葉は『感謝』『美しい仕草』である。
『女性の愛』が適応できるかどうかは、瑞希の性が自身の口から語られた時、判ることだろう。
LIVE2Dの演出が冴えて、人生の土壇場で躊躇い、踏み込む子供たちの表情が上手く切り取られていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
皆、目の前に出現したあまりに大きすぎるものを前に怯え、それでもあえて踏み込んでいく。
その一歩で何かが壊れて、何かが生まれることを心の何処かで、確かに期待しながら。
幸せな思い出を封じていた檻が壊れ、そこにあったオルゴールの音色を奏は拾い上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
そこにこそ、求めていた答え…少なくともそのヒントがある。
自分が壊してしまった父の曲の、最良最愛の部分を蘇生させることで、奏はまふゆの笑みを再生させていく。
母との関係の中で壊れたまふゆが、母の笑顔を思って奏が作った曲で救済の欠片を掴むのは、因果の花束があまりに複雑で目眩がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
家に呪われたモノたちが、その闇に踏み込むことで掴むものを、手渡ししながら生き延びる。
壊して、治して、繰り返して、終わらない。
その一歩一歩の手触りが、作るものの苦悩と重なりながらしっかり描かれていることが、ニーゴの物語の良いところ(の一つ)だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
様々な理由から、作ることから逃げられない子供たちが作っては壊し、苦しむ様子。
その間近にいるからこそ、気にかけ手を差し伸べる様子。
その分解能が、微細で的確だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
奏も瑞希も、誰かを助けたいという博愛がその実、自分が傷つきたくない、いい気持ちでいたいエゴであることに自覚的だ。
『いい人である自分』に酔っぱらえる愚鈍を、彼女たちは置き去りにしてしまっているから、己のどす汚れた部分をまず見る。
でもはたから見てりゃ、妥協なくたった一人の救済のために作り続けることも、自分の不実に悩みつつも意を決して踏み込み、手を差し伸べる姿は、切なく優しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
凶暴なほどに純粋だからこそ、自分の(あるいは人間の)優しくなさをまず見てしまって、そこでためらうけど。
でももっと身勝手に、優しく善い存在である自分を信じて良いんだよと、外野から声をかけたくもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
そんな気持ちも、例えば瑞希が奏の心中を非常に繊細に、的確に推察し距離を測ってたどり着いたように、勝手で無効な働きかけなのだろう。
それを知った上で、瑞希は手を伸ばした。
奏も自分の過去と現在、罪と幸福を必死に測りながら、父母から受け取ったものを正確に見つめ直して、まふゆに届く歌をつかもうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
その躊躇いと、意を決しての踏み込みが繊細で、鮮烈なエピソードだった。
皆、他人に触れるのは怖い。届かないのも、突き刺してしまうのも。
それでも目の前で震えるものを前に、傷つけず確かに伝わる距離を慎重に測って、手を伸ばす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
そんな体験の積み重ねが、彼らを変えていくのだろう。
その歩みは、他のユニットとはまた違う色と歩調を持っている。そこ大事にした運びを選んだのは、良いことだと思う。
ネット越し、ニックネームでの繋がりから始まったニーゴが、ダイレクトに反応を捕らえ、その微笑みを見落とさない場所としてセカイを使っているのが、凄くこの物語らしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
そこは人間の一番柔らかい場所が、柔らかいまま伝わることを赦してくれる聖域なのだろう。
まふゆが自覚していない微笑みを取り戻した時の周囲の反応が、初めて寝返りを打った赤ん坊を見守る優しい人々そのもので、そこでも泣いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
約束と呪いを杖にして、まふゆは今必死に生まれ直してる最中なのだと思う。ニーゴの皆も、それを見守りながら、己を日々再生させる。
そんなViaの花束を飾る、カーネーションの一輪として、奏と瑞希が凄く誠実な触れ合いをする物語でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
今回奏に優しく踏み込んだことが、瑞希自身壁を越えていく助けに連なっていってくれると、優しい子供たちが好きな自分としては、大変に嬉しい。
面白かったです。次回も楽しみ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
瑞希が躊躇いを越えて踏み込んでくれたおかげで、奏は花畑にたどり着く。
病床の父の前では、己を忘れる刑罰にしかならなかった過去への帰還が、忘れていた大事なものを取り戻すかけがえのない旅路へとなる。
時間とその意味を巡る物語としても、今回は切れ味が少ないと思う。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
×切れ味が少ないと思う。
○切れ味が鋭いと思う。
過去も世界も変わりはせず、しかしそれを見つめる角度を変えることは出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月21日
しかしそのためには、かけがえのない誰かの助けが必要で、己の身勝手さや弱さに震えつつも乗り越え、そこに手を伸ばせるかどうかが、救いへたどり着くためには大事なのだろう。
壊して、治す。それを繰り返しながら。