劇場版 鬼滅の刃 無限列車編を再見する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
鬼殺の宿命を背負った少年たちと、悪しき夢に囚われた鬼との譲れぬ闘いを描いた、TVシリーズの正式続編である劇場版である。
映画としてみると結構異形で、始まりも終わりも映画の中で一切完結せず、TVシリーズの間をつなぐ構成となっている。
しかし音響も映像も劇場を意識して大変リッチに作られ、見応え充分の二時間であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
モノローグが多い作りもTVシリーズそのままであるが、作画と芝居から滲む血圧の高さで強引に押し切ってしまっている強さがあり、作品独自の”味”だと感じる。まー、クドいはクドいが。
徹頭徹尾煉獄杏寿郎の物語であり、彼はこの映画の尺で物語的に生まれ、死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
死んだ後も観客とキャラクターの心に強く焼き付き、大きな影響を及ぼすだけの存在感が二時間、みっちりと詰まっている。
ギョロギョロと瞬きせず、大声で美味い美味いと叫びつつ、弁当をモリモリ食う変人。
そんな第一印象から、ちょっと遠足風味も漂う列車の少年三人との触れ合いを経て、(炭治郎が上手くまとめるように)悪い人じゃないな、という印象が定まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
この時、初めて煉獄さんが瞳を閉じて、人間っぽい部分を見せるのが面白かった。
あまり映像の余韻で見せず、かなり言葉で語る作風なのだが。
要所要所では強い演出がキマって、しっかりと作品の奥行きを広げているのが良いところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
主人公たる炭治郎が”水”の子供なので、囚われかけた幸せな悪夢から目覚める時は、水鏡に写った自分に呼びかけられるところとかね。
炭治郎の”たん”は”鍛”でもあると勝手に思っていて、焼きを入れ水で冷ます鍛刀のように、火と水と日を複雑に絡ませながら、全ての因縁を決着させる刃へと主人公を鍛え上げていく物語として、僕はこの話を見ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
鱗滝さんと義勇さんが”水”を与えた後に、鋼を焼く煉獄さんと出会うことで…
炭治郎はより強い鋼へと鍛え直されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
己の無力を思い知らされる現実は、錬鉄のハンマーでもあるのだろう。
炎の男である煉獄さんは、甘い夢の中でも闘いを辞めることは出来ない。
無意識領域にはその名前のとおり、乾ききった炎が満ちている。
自分のみならず、自分を殺そうとした結核の青年すらも、己の心の奥にある水鏡と太陽で照らし、業をほぐして鬼から人へと癒やしてしまう、炭治郎の”水”に比べ、煉獄さんはあくまで、襲い来るものの喉を絞めることしか出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
後に自分を刺す機関士も、炭治郎は赦し、死なないことで罪を贖う。
この人格的完成度と聖人性が、主役たる炭治郎に宿っている所が”鬼滅の刃”の特異性だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
魘夢の差し出す夢に道を間違えた人のように、浮世の辛さに己を誤魔化したいと思うものが大半の世界で、あえて首を切り落とし、目覚めることを選ぶ苛烈な正しさ。
これがあってこそ、鬼という極悪の因果を断ち切り、そのことで鬼が鬼となってしまった起点へと人を戻してやる慈悲が刃に宿る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
まぁ、悲しい過去を持ち得ず魂の奥底からどす黒い連中も中にはいるし、今回の前半ボスである魘夢はまさに、そういう後腐れのない悪逆ではあるのだが。
苛烈な炎だけが信条かと思われた煉獄さんは、魘夢の始末を若き剣士に託し、自分は五両の救命に身命を賭す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
炭治郎に呼吸の使い方を教え、致死の傷を癒やし治す方法を教える。
彼もまた、断ち切る刃で救いを取り出す、慈悲の剣士である。
そんな彼も、猗窩座との死闘に破れ死んでいく。しかし、摘み取るべき弱者と睨みつけていた若人たち、傷ついた乗客たちを守りきり、朝日まで時を稼ぐことには成功している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
勝つことと負けることは非常に深甚であり、またシンプルだ。切り裂くよりも守る、断ち切るよりも癒やすほうが、偉いし強いのだ
炭治郎も煉獄さんも、刃の二面性両方を使うことが出来るものだ。鬼の力を乗客を守るために使い、その行いで炎柱に自分を認めさせた禰豆子も同じか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
善逸…はだいたい寝てたので横に置く(スゲー構成だよなマジ)が、伊之助はこの映画を通して、一番変わった存在とも言える。
僕は前半一時間の夢の闘いが一番好きなのだが、そこで子供らは都合のいい夢に眠る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
お花の冠を作り、自慢の俊足を敵を切るのではなく恋人の足代わりとして使う、善逸の夢。
真っ白な雪景色(形を変えた”水”)に、刃を置き去りに一時、あり得たかも知れない幸福に酔う炭治郎。
伊之助は三人の仲間をそれぞれ半人半獣…自分と親しい存在にして、その”お頭”として一緒に戦う夢を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
人面の獣でしかなかった彼が、誰かと繋がる幸福を夢見ている所で、微笑ましく見守る以上の感情にも襲われるが、しかしここでは”お頭”は絵に描いた餅、実態の伴わない夢である。
彼は身にまとった獣性を鎧に変えて、悪夢を振りちぎって魘夢と闘う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
殺してもいいと思った機関士を助け、煉獄さんの生き様を見送り、泣きじゃくるばかりの子供たちで唯一人、託されたものを夢で終わらせないために立ち上がり直す。
朝日の中、真実”お頭”になっていく。
既に刃としての人品を備えている炭治郎よりも、ともすれば伊之助のほうが炎柱の熱を受け、現実のハンマーで殴られ、”鬼滅の刃”としてこの映画で鍛え上げられた感じも受けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
鬼との激しい切り合い、甘い悪夢と悪夢めいた現世の狭間を行き来する物語は、獣を人に、子供を一振りの刃へと鍛えていく。
炎柱の実力を見せる鬼二匹の瞬殺から、夢の中での心の闘い、そしてキモい機関車トーマスと化した魘夢とのバトルに、いきなりラスボス級が乱入してきて超絶戦闘を繰り広げるクライマックスへ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
戦闘の傾斜も、また冷熱を行き来しながら激しい。
ヒューマノイド同士の極限バトルが決着した後、煉獄さんが母の霊と出会うことで終わっていくのが、僕は好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
魂のあり方を問う闘いは、肉体を削り合う激しい闘争の前提であり、また決着でもある。
命のやり取りだけで決着が付くわけではなく、魂のあり方こそがそこでは問われているのだ。
炭治郎渾身の『逃げるな卑怯者!』よりも早く、アクションの作画はちぎれ飛ぶ鬼の血肉、それが癒やされる不条理をしっかり、画面に移している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
対峙する煉獄さんに刻まれた傷は、けして癒えることはない。
血まみれに追い詰められてなお、闘うことを諦めず、守るために刃を震い続ける真の戦士。
そのド迫力の奮戦が、闘うことの真の意味を、燃え盛る熱を教えた後に…あるいは死が迫るその最中に、彼がこのように戦える理由が微かな蜃気楼のように、現実に立ち上る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
強者の生きる意味を、正しさの在り処を教えた母の、最後の涙。伝えられた温もり。
あの時から煉獄さんは己を炎に変えて、この世の悪鬼を焼き尽くすアチャラナータの化身たらんと、己を任じてきたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
守りきった可能性に未来を託し、最後の最後の瞬間、彼は母に微笑む独りの子供に戻る。
そこまで生き抜かなければ、煉獄さんは自分の中の子供を、解き放ってやることが出来ない。
炭治郎が歩みを止める甘い夢として差し出された、雪の中の可能性を振りちぎって戦士に戻るのに対し、煉獄さんは闘って血を流した果てにようやく、時をさかしまに戻して微かな夢を見れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
それは、もはや現実から逃げるための致死性の毒ではない。
劇場で始めてみた時、雪の中の黄金の日々がとても辛かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
炭治郎が過酷な現実に投げ捨てられた、未だ庇護を必要とする子供でしかないことを思い出し、それを振りちぎる切なさが心を焼いた。
それでも、それは夢でしかない。
向き合い、乗り越え、守るべき”本当”は、去った幸福の先にしかない。
苛烈である。起きてなお、煉獄さんの死というさらなる悪夢が、無力な彼らを襲いもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
しかしその不屈にしか、人を食い”本当”から目を閉じる鬼への勝利はない。
炭治郎は、例えば善逸の無意識領域に広がる暗闇、そこに住まうハサミの怪人を持っていない。
あるいは伊之助が心に住まわせる、言葉のない獣も。彼の水鏡に住んでいるのは、刃を構えた敵すらも受け入れてしまう優しい存在だけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
そんな彼だからこそ、最初に目覚め自分を殺す。
優しいままではいられないと、最初に義勇さんに告げられたとおりに厳しく、戦士の道を進んでいく。
それは煉獄さんが進んできた道であり、たとえ炎柱が斃れても、子供らがその人道を踏破しきると信じられればこそ、煉獄さんは笑って死んでいったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
映画の最初に、苔むす大量の墓…鬼殺隊の死が行き着く先が描かれる意味は、そこで回収されている。
一個体としてエゴを振り回し、暴虐で他人を踏みにじる鬼がけしてつなぎ得ない、思いと生死の輪廻。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
繋がり絆ぎ、鍛え託すことでもしかしたら可能になるかも知れない、はてなき夢。
その理想だけを大事にするのではなく、半ばに散った命と魂全てに、敬意を示し己も続くこと。
鬼殺隊のトップであるお館様が、心底そういう生き方を続けていることが、卑怯者にはない人間特有の強さなのだ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
あんまりにも巨大な存在感を燃やし尽くした、煉獄さんの退場で終わっていく映画はしっかり、冒頭で告げている。
『練り上げられている』と、猗窩座が感嘆した煉獄さん単騎での強さ。
奪い切り裂くものとしてのエゴの強さ、生命としての自己保全性と完結性。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
そことは離れた、非常に普遍的な倫理を真っ直ぐこの時代に称揚するところ…そのための試金石として、燃える異能バトルと苛烈な死をしっかり描き切るところに、このお話の面白さはあるのかもしれない。
言い忘れたがTV放送以後、高まっていく鬼滅ブームの兆しに『あ、ぜってぇネタバレ回避できねぇ』とハラ決めて、原作は全部読んだのだが。(大変面白かったです)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
後に明らかになる猗窩座の過去も、また悪夢めいた現実に瞳を閉じ、継ぐべきを継ぎえなかった人の苦しみに満ちている。
全てが終わったはずのタイミングで唐突に出てきて、燃え盛る希望の炎だった煉獄さんを冷たく切り裂いた鬼は、口先だけの武術家気質を曙光に吹き散らされ、卑怯者の負け犬へと落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
ともすれば、強者の風格を漂わせそうな鬼が鬼でしかないと見せる、良い無様だと思っている。
しかしそこで投げかけられた炭治郎の刃と言葉が、その実彼自身すらも忘れていた原点を、人であるが故鬼にならざるを得なかった現実の悪夢を、知らず抉っている構図でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
大事な人から託されたものを、けして手放さず鍛え上げ、己の強さに溺れず闘い抜ける真の強者。
猗窩座がなりたくて、なり得なかった存在が目の前にいるからこそ、彼は自分と同室の存在…鬼へと煉獄さんを引き寄せたかったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
しかし、煉獄さんは鬼にはならない。
鬼になれば忘れてしまうもの、踏みにじってしまうものを譲らぬために、死闘に挑む。
それを、大抵のものは掴むことが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
炭治郎は自分に刃を向けた者すら、人道へ引き戻し正しく活かせた。
煉獄さんは死んでもなお勝ちきり、守るべきものを背負いきった。
かつて、そんな輝きに人であった鬼もまた、憧れていた。だが道を外せば、もう太陽は見れない。
煌々と、堂々と輝く天道に背いたからこそ、手に入れた不死身の力と暴力。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
猗窩座はそれを誇るが、しかしそれが弱さを覆う鎧であり、自身を襲った現実の悪夢を忘れるための麻酔であることは、後に深く、鮮烈に描かれていく。
鏡写しの影を求め、届かないまま牙を突き立てる鬼の浅ましさ、虚しさ。
それは煉獄さんの生き様、死に際になるべき未来の自分を見つけ、己を鋼に鍛えていく子供たちとは真逆であり…何処かが似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
鬼は人のなりそこないであり、人もまた、鬼になっておかしくない。
その危うさがあればこそ、烈火の如く、清流の如く生き続ける人の尊さがあるのだろう。
個人だけでなく、組織も理想も死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
継子になるよりも激しく熱く、炎柱の魂を継いだ子供たちが鬼殺隊に残ることで、煉獄さんが守りたかったもの…母に託された願いも継がれていく。
個体としての儚さと、総体としての靭やかさ。
超パワハラ鬼・無惨がトップに立つ鬼との、明確な差異。
煉獄さんが負けても負けておらず、死んでも死んでいない矛盾を真実と飲ませる力瘤の劇作は、そういうものも顕にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
”鬼滅の刃”が炭治郎主役の物語であると同時に、鬼殺隊という組織、人の強さと弱さという大きなものを描く、とても大きな話であることが判るエピソードであった。
果たして煉獄さんが託した炎は、不滅の灯火となって少年たちを、鬼との闘いを導くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
この映画を見てしまうと、後に続く物語も見切らないと納得行かない運びになっているのが、また特異と言えよう。
人の心を強引に動かす腕力がなければ、許されない作風だとは思うが、実際やってのけてんだから凄い
実際、急に降ってきた超弩級の鬼に先輩ぶっ殺されて、主役チーム大惨敗でヒキだからな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
そういうあらすじだけに漂う収まりの悪さを、燃え盛る作劇の焔で燃やし尽くし、力に変えてしまった映画だとも思う。
そういう意味でも、炎柱・煉獄杏寿郎に相応しい劇場版だったと言えるだろうか。
上映当時はどうまとめたものか、掴みどころを逃して感想を書き残った作品だが、こうして再見し感想を綴れてよかった。いい作品、いい映画だなやっぱ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月23日
この熱風を受けて描かれる遊郭編、どんなアニメになるか。放送が楽しみですね!