雨降れば、枯れた花も再び芽生える!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
久々復活、コバヤシがアニメ映画を見て色々感想をいう企画”コバヤシネマ”の第14段です。
今回見たのは『海辺のエトランゼ(20年)』です。
BLUE LYNXレーベル第三段、紀伊カンナの原作をスタジオ雲雀がアニメ化した、純情ボーイズラブ。https://t.co/cJzqattjUc
見終わった感想は…大変良かったです!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
60分というコンパクトな時間で、登場人物の疎外と融和、孤独に手を差し伸べられた時の暖かな手触りがしっかりと詰まっていて、確かな見応えがありました。
美術の仕上がり、意識の行き届いたレイアウト、靭やかな身体の感覚。
見るべきものが沢山映画に存在していて、しかしそれが他の要素を阻害しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
むしろお互い引き立て合うように、精密に配置され磨き上げられるという、整った花束のような映画でした。
登場人物の性と愛をフレームに押し込めず、それぞれ個別の在り方として描き、考える姿勢も大変良かった。
お話は周囲との不協和に悩み、寒い故郷から南国の離島に流れてきた、小説家見習いの青年が主役。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
彼はとても美しい少年に恋をし、しかし過去の経験から境界線を超えられないまま、ぎこちなくも暖かい日々を過ごしていく。
この境目を、凄く精密に書いているのが印象に残りました。
軒先、柱、ネオンに照らされる濃い闇、赤と白の花々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
この作品は画面を分断し、心を遮る境界線が凄く明瞭な、レイアウト意識の高い作品です。
しかし、それが際立って瞳に突き刺さりはしない。人工的な直線は、柔らかな沖縄の自然、昭和レトロな家の景色に上手く吸われて、日常に融和していく。
誰かが誰かの手を取り、ぬくもりを伝えるまでにある幾つもの壁。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
これをすごく大事にした話で、実際画面はバッキバキに分割(そして愛によって侵犯)されるわけですが、そういうロジカルな表象だけで終わらない滑らかな手触りが、表現と話運びを上手くまとめ上げています。
キャラクターの心情は張り詰めて伝わるが、しかしそこにむき出しの緊張感はなく、ただ愛すべき隣人の人生を見せてもらっている、背筋が改まるような感覚がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
透明度が高く活発なカラーリング、柔らかくも力強いキャラデザの助けもあって、作品から受ける印象は上品でありながら親しみやすい。
駿は自身のセクシャリティと周囲との違和によって、実央は愛された母との死別によって、ありのままの自分自身が抱きしめられていない、孤立した状況にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
エトランゼとして海(死の国たるニライカナイに繋がる門)の前に座る実央に、思わず声をかけてしまった心のうねり。
それはけして止め得ない性の躍動で、当たり前に手を伸ばし、抱き合い、セックスしたくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
それはゲイだから…あるいは男性をパートナーとして選ぶことにした、ヘテロ傾向も持ちうる一人の少年だから特別な、天使の性愛ではない。
キャッチコピーにある通り『特別じゃない、ただ恋をしてる』人々。
しかし特別ではないはずの在り方は勝手に判断され、阻害されて、”ホモ”という無邪気で凶悪な言葉の刃が、駿を世界から切り離していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
その厳しさは駿の内側にも硬い壁を作ってしまって、彼は自分の性(せい/さが)を…それと不可分な自分自身を、堂々世に問うことが出来ない。
出会いから三年が過ぎて、無力な子供として島を離れた実央は戻ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
置き去りに待たされた時間は愛を静かに試して、二人ともそれが自分の真実だと解っているのに、踏み込めず受け止めきれない。
ここら辺の距離感が、凄まじくキレたレイアウトで描画され続ける気持ちよさね。
二人が身を寄せる旅館にはレズビアンのカップルもいて、彼女たちも構えることなくとても幸福で、お互いの個性を咎められることなく、とても美しい島に息づいている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
断絶が強調される中、睦み合う二匹の猫が穏やかな未来を、優しく示している。
二人の思いは、壁を越えて溶け合うのだと。
『手と手で触れあう』という行為はこの作品でとても大事にされている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
とても短いシーケンスなのだが、そこに宿った柔らかで的確な愛おしさによって、どれだけのものを実央が喪失したのかよく伝わる、母と子の日々。
もう、実央に優しく触れ、ご飯を作ってくれる…作ってあげる母はいない。
そこに駿と彼が宿る家は優しく触れ、カレーを食べさせる。一昨日も昨日も、ずっと食べていたかった美味しいカレー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
カニカマで作るしかなかった貧しい日々でも、温かく笑い合えた日々はここに戻ってきた…はずなのに、愛おしい人は自分に触れない。
その痛みが、本当に渡った時極限化する。
離島の鮮烈な美術は、そこが彼らの家なのだと非言語的手段で的確に教えるが、だからこそ本島の文明的な色合い、ネオン輝く魅惑的な夜は、物語のフェイズが変化したことを伝えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
特別な場所で、特別な出来事が起こる、その前駆。
実央はクイア女性に、もどかしく問いを投げる。
男性が男性を好きになり、その体に受け入れたいと願うことは、どういうことなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
ヘテロ男性としての傾向を強く持つ彼は、解らないからこそ三年考え、それでも答えが出なくて、駿の煮えきらなさに背中を向けたこの夜にも、凄く真摯に問いかける。
冷やかしかと身構えた女も、その幼い仕草に宿る熱にしっかり向き合い、名刺を手渡す。ここにも、伸ばされた手と受け止める手がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
結局駿は闇の中で震える実央を見つけ、手のひらと手のひらを重ねるセクシーな仕草で繋がり、しかしセックスはしない。
それは恋のトロフィーではないからだ。
花が咲くように、猫が微睡むように、それは人と人のふれあいの仲で自然と、成し遂げられることであるべきだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
30分の前半、二人のもどかしい恋が成就するクライマックスにセックスを配置しない…近接しつつ穏やかに間合いを取る仕草は、ゲイの性/生をイベント化しない視線の賜物だろう。
これが潔癖なストイシズム、性嫌悪による特権化ではないことは、結局彼らが(かなり生々しい描写で)セックスすることからも見て取れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
いつか、時が整えば為すが、それは今ではない。
その事を受け止められる、穏やかな心持ちを二人は手に入れて、キスをし手を繋いで、同じ床で眠る。境界線を超える
後半は駿の元婚約者、櫻子が離島を訪れ、故郷への帰還を促す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
彼女が”真実の愛”を脅かす憎らしい恋敵として描かれず、手のひらと手のひらを合わせる恋人の繋ぎ方は出来ずとも、海に沈んでいく哀しみにしっかり手を繋げる…繋ぎたいと思える相手として描かれているのも、また良かった。
許嫁として、世間に許容された形で駿と”家族”になりたかった櫻子は、それが破綻してなお家との縁を、離島に持ち込んでくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
心の豊かな、優しい人だ。
しかし自分が蹴り飛ばしてしまったもの、適応できなかった場所に壁がある駿は、それを受け止めきれない。再び、境界線がそびえる。
櫻子と作り得なかった家、今まさに壊れようとしている駿の家。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
(破断に終わる婚礼の間に、永遠の夫婦関係を示す”高砂”の軸がかかっているのは、短いながら鮮烈な描写だ。
それに凝集される古典化した家族規範、性規範を、どうしても駿は内面化できなかった)
それは死によって実央から奪われ、駿自身が手を差し伸べてくれたことで満たされた、家族に通じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
自分に似て、でも自分にはなり得なかった女が海に消えていこうとする時、実央は二回、それをせき止める。
一度目は、手首を掴む触れ合い方…恋人にはなれない己に、嘘をつかない仕草で。
二度目は、櫻子が思い出を殺すべく求めた駿の口づけを、剥奪する形で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
それは彼がヘテロ傾向を持つから、女との口づけに忌避を感じない、という話ではない。
時が整えば、自然とそうなる。
あの瞬間、恋と魂に嘘をつかず、愛しい人達を分断していく壁を越えていく答えが、キスの横入りだっただけだ。
実央は本島に渡る時に、他者の視線を遮るために帽子を被る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
それは母を無くした哀れな子として、冒瀆であることすら気づかず投げかけられる刃から自分を守る、大事な鎧だ。
駿が”ホモ”を受け止めない寒い故郷から、逃げ出した離島で手に入れたものでもある。
櫻子の帽子も、そんな風に他人を遮りつつ自分を守る、凄く大事なものとして描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
実央の突飛で、しかしそうとしか動けないような行動は、彼女の帽子を一回落として、取り戻してあげる。
己の性と他者の無理解に、傷ついた男。
彼に選ばれた男と、選ばれなかった女。
それが必ずしも、人間の尖った部分をむき出しに傷つけ合うのではなく、凄く奇妙でしかし真実な触れ合いと踏み込みを経て、もう一度故郷で出会い直せるのだと示して、物語は終わりに近づいていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
そういう柔らかな着地を、許してくれるよう離島の美術は、鮮烈でありながら前に出すぎない。
寝床、或いは軒先。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
服を脱ぎ、お互いの体温を感じながら境界線をあやふやにしていくセックスに挑みながら、駿は過去に付けた鎧を外して実央を…捨てた家族と婚約者を受け入れ、実央は失ったものを満たされていく。
何を受け入れ、何を弾くか。
その形は、本当に人それぞれで、各々尊い。
人の営みとして、ゲイの性行為を点描と花に覆い隠すのではなく、かなり身体性の高い生身の行為としてちゃんと書いたことが、主役に据えたカップルを作品がとても大事にしている証明だと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
誰かに恋し、求め、満たされる。
それは特別なことではなく、でも凄く大事なことなのだ。
家族の破綻と再生、女との成就しない(あるいは女と女の既に成就している)恋愛を描いたことで、特別と見做されがちな性を抱え、選んだモノたちがけして、境界線の向こうに遠ざけられる存在ではないと、広く描けたことは良いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
愛は必ずしも、裸で抱き合う形を求めない。
男たちが裸で睦み合う愛が、鮮烈で力強いことを主題と描きつつ、家族の愛、家族になり残ってもなお続く愛おしさ…それを新たに紡ぐ媒介者としての実央が、とても柔らかに力強く描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
かけがえのないたった一つとして、ありふれた特別として、ゲイの性/生を構えず切り取る。
そのために、主役カップル以外の存在をすごく真摯に、大事に描き続けたことが、物語の品格と心地よい読後感、作品から広がっていく豊かな世界認識を生んでいると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
自分が誰を抱きたいかとか、愛している人が死んだりとか。
どうにもならないものも、世にはある。
駿にとっての性が、全てをぶち壊しすることを恐れつつ結局壊してしまうほど、不可避のものであったのに対し、実央は彼を選ぶ立場にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
女も恋の対象にできるけど、駿を選ぶ。
それは定められたルールではなく、選択の余地があるからといって特別でもない。
実央自身、母の死というどうにもならないものに流され、三年島を離れ戻ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
選択だけが価値ではなく、運命だけが意味ではない。
選びうるものと、選び得ないものの間で、それでもより暖かな方へと己を動かし、手を繋いだ人をそちらに連れて行く。
手のひらを合わせる繋がりも、手首を掴む触れ合いも、どちらも真実、人間の営みであると告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
そういう物語であった。
ラストカット、実央は父母の墓に別れを告げて、駿とともに寒い国へと進んでいく。
風に飛ばされた帽子を駿が拾って、もう一度かぶせてあげる。
世間の偏見や哀れみと、真っ向向き合う厳しさだけが答えではなく、傷つき欠けたものを補い合い、満たされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
なにもないまま放り出されては生きていけない場所から、身を隠す影となり、己を照らす光となり、共に手を取り合って進んでいく未来へ、二人は漕ぎ出していく。
嘘に己を閉じ込めていた時より、寒い故郷は暖かいだろう。駿の家に立ち寄ることで、実央は喪われたものをもっと強く、快復していくかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
一度離れた南の島に戻ってきた時も、今までよりもっと強く、優しくその景色を見れるはずだ。
それは、境目に引き裂かれつつ、手を伸ばし越えたから。
実央の手首(他者と繋がりうる場所と、自分をつなぐ境界線)に飾られた、赤と白のミサンガ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
それは家の庭先にある美しい花と呼応して、作品を華やかに照らしている。
それが混じり合ってピンクになることはないけど、親しく隣り合うことは出来る。
そうしたら紅白、寿ぎの色だ。
櫻子と駿が頑なに赤と白に分かれた時、実央は二つの花の間に立って、二人を繋ごうと試みる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
それが海に沈もうとする女の手を弾き、その唇を奪う未来を、既に知らせている。
画面構成と演出タイミングが精緻なので、サスペンスに心を揺らされつつも、数多の兆しがしっかり、落ち着きどころを教える。
そんなシーンでみっしり、60分が構成されていて、とても豊かな視聴体験となりました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
海辺は陸と水の境目であり、そこに佇む異邦人は寄る辺なく、己を抱きしめてくれる人を探していた。
それを満たすやり方は、凄く個別で、多彩で、豊かであって良いのだと、ちゃんと語りかけてくれるお話でした。
無条件の正解ではなく、手探りで自分だけの運命を悩みつつ、すれ違いつつ探す人達の体温が、巧妙に計算された断絶と、それを越えていく暖かな予兆でしっかり示されていて、大変良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
時間の使い方、画面の活かし方、ともに絶妙でした。凄く巧いけど、その巧さが悪目立ちしてない。暖かい。
映画を構成する全要素に過不足がなく、心地よく満たされる作品でした。面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年7月1日
やっぱBLUELYNXレーベルの作品は凄く好きで、こっから先も続いて欲しいなぁ…
簡勁にして精緻、温かくて鋭い、とても良い映画です。オススメですので、皆も見ようッ!