小林さんちのメイドラゴンS を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
力しか認めなかった邪竜も、神力を奮って居場所を失った翼竜も、ヒトの形を取って人に交わる。
幼い輝きを水面に反射する、二人の幼子も。
川の流れすら変えてしまう営みの中で、瞬く思いは何処へ流れ着くのか。
今はただ、時の過ぎゆくままに。
そんな感じの人為と超越者の物語、日常と笑いと切なさのオムニバス、メイドラS第6話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
ルコアと翔太くん、ファフニールと滝谷、カンナちゃんと才川。
三組三様の異種間コミュニケーションが、基本明るく、時折しっとりと折り重なるエピソードとなった。
時にエロティックな要素をコスりつつ、根底に生真面目が固く横たわるこのアニメ(の”京アニ感”)が僕は好きなんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
今回も笑い満載の明るい話でありながら、ミッチミチに取材し、的確にテーマを見据えた細やかな描写が随所で唸って、全く手が抜かれていなかった。
この京アニ特有の”力み”が、一番いいバランスで描けてるのがこのシリーズだと思っていて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
そういう長所(と僕が感じている部分)がよく出て、なんか…『京アニが作るメイドラゴンを見てるな!』って気持ちが、凄く強くなる回だった。
やっぱこのカチッとした感じが、俺は好きなんね。
というわけで、1stエピソードは少年と神竜のエロティックコミュニケーションである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
イルルとタケト見てても、クール教先生の『超乳の天然女に、思う存分翻弄されてェ~~』って欲は、あらゆる所で炸裂しとるな、と感じるが。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/ODAQmwGmqa
魔術の輩として、一般人を超越した場所にいたはずなのに、奇縁で結びついたのは神めいた超龍。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
そういう力の比べあいを外した所でも、ムクムク湧き上がるリビドーを上手く受け流され、煽られ、掌の上。
カンナちゃんたち小学三年生組より、ちょっと背丈の伸びた翔太くんの心境は、なかなか複雑である。
とはいえ神様も完璧に安定しているわけではなく、というかトラウマぶっ刺さり加減ではちょろゴンずでも随一で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
フラフラと揺れるルコアが、翔太くんの隣を心地よい居場所と定め、認めているのは結構大したことである。
その特別さは、赤面ハプニングに満ちた日常に埋もれて、なかなか気づけない。
今回はトールと小林さんが背景に下がって、他のドラゴンと人間が前に出てくるエピソードだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
主役にはならないが、しかし他人が持ってる特別さ、それが生む繋がりの意味を指摘し、再確認させる手助けは今回、トールはしっかり果たす。
人生のアシスト役、変化の触媒としてのメイドラゴン。
色んなドラゴンの視線から、それがよく見えるのも良いエピソードだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
力による隷属とか、神としての支配とか、そういうものがなくても繋がれる道を、竜も人も探している。
そしてそれは、当たり前の日々の中に既に、答えがあるものなのだ。
翔太くんのモジモジ身悶えはつまり、ルコアに堂々対峙できる大人になりたいという、凄く普遍的な想いの反射だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
竜にとっては瞬き程度でしかない時間が、人にとってはもどかしい。そのズレが生み出した、チャーミングな一時とも言える。
ルコアはその光に、凄く愛おしく手をのばす。
性的な関係性変化も含めて、川は流れ時は過ぎていくだろうが、ルコアは全てを受け入れる寛容な覚悟を持って、運命を待つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
翔太が年老いて死んでいくとしても、置き去りにされたとは感じないんだろう。
既に、竜と人の間に橋は架かっている。だから二人は、”そこ”で大事な話をするのだ。
今回のエピソード、大事な部分は水辺、橋の上、あるいは川べりで展開していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
ここで橋の上を横切りながら展開した物語が、カンナと才川の大冒険では縦方向、流れを遡る形で展開するのは、個人的には面白い書き方である。
遠景に描かれる水は時の流れであり、人の交わりなのだろう。
そこには魔術師、オタク、無邪気な子供…それぞれの立場と相手によって、個別の向き合い方がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
答えは一つではないし、それぞれに削り出されていく繋がりと、それを取り巻く”流れ”の形には、別個の輝きが宿り…つつ、縁は孤独なものではない。
相談したり、交わったり。いろんな関係がありうるのだ
三組三様のコミュニケーションを描く中で、一対一の特別な繋がり、それをより善く合流させていくため幅広さが、ゆっくり折り重なっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
その焦らない筆致が、滔々と流れる河にも似て、なかなかいい感じの回である。
さて2ndエピソードは滝谷とファフくんの、奇妙で大人な距離感を掘り下げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
力しか共通言語がなかった過去から、言葉とゲームで判り合える関係性へ。
それを語る筆致は、滝谷の適切な社会性を反射して、穏やかで知的だ。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/nuNnEOTGh7
デキる社会人たる滝谷は、才川や翔太くんのように竜を相手に赤面はしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
しかし他の相手にはぐるぐるメガネをかけてオタクの素顔を晒さない彼は、今回ファフくんとの関係性を再定義した後、初めて”いつもの滝谷”になる。
ペルソナの付替えと、的確な使用。
それはトールと殺し合い認めあった邪竜が、人の世界で演じるゲームにも通じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
人間ごっこと冷笑しつつ、それが面白いと感じ得たからこそ自分を変えた。
背中越し冷たく語らっているようで、しかし本音を率直に、弱点込みでさらけ出しながら無骨に伝える。これも、異種間コミュニケーションである。
オカルトに縁の薄い滝谷にとって、誰かを支配しうる魔術はモニターの向こうにある仮想であって、魔力塊が生み出す支配も縁遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
しかしそれが生み出す力と危うさは、ちゃんと理解できる。彼は物事の本質を、落ち着いて把握できる”大人”なのだ。
彼は(翔太がそうしないように)ファフニールを名前で支配しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
彼の人間ごっこに、選び取ったゲームのルールに則り、画面の中に収まる仮想の闘争でもって、楽しく触れ合っていく道を選ぶ。
その中ならば、竜が竜殺しの英雄を倒し、自分を貫く刃を手に入れても構わない。
シグルズにファフニールがグラムで殺される古い物語を、別に当人が書き換えたって構わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
殺されるべき邪竜と定められていたものが、ゲームオタクの根暗人間として意地を張り、ゲームに負けて譲る物語を、演じても良い。
TV画面のレトロなドットに、写し取られた伝説の逆転写。
モニターに反射する竜と人間の”今”が、良く見えるエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
ファフくんが語る愛おしい人間ごっこの補助線として、神話をポップにゲーム化したRPGの画面をちゃんと写しちゃうところが、まぁ俺の好きな京アニだな、って感じよ。
使わなかった魔術のお礼に、滝谷が眼鏡を”付けて”自分を晒し、翔太くんとの関係がちょっと変化するオチも、僕はとても好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
彼もまた、小さな変化の連続の中にある。
それは相棒たる竜に、限定されたものではない。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/lJ96h2yalc
大人と子供、オタクと魔術師、人と人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
その間にも橋は架かって、変化はちょっとずつやり取りされる。
早くかっこいい大人になりたいと、願った像とはズレているだろうけども、外面を壊して本音を晒したのは、滝谷が翔太くんを認め、対等に感謝したからだ。
そんなちょっとした変化と交流が積み重なって、人も竜もあり方を変えていく。川の流れが変わっていくように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
変化を繰り返しながら連続し、同一でもある不思議なアイデンティティの流れを、”川”でまとめるのがカンナと才川の3rdエピソードとなる。
と、その前に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
背景として挿入される小林家の食卓があまりに”神”過ぎて、映るたびキレちゃった。(コバヤシはキャパシティを超える感情が注ぎ込まれると、”キレる”という形でしかそれを発露できなくなることが稀によくある)
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/SEhgUOip7c
超当然ッ面でイルルが安心して飯食ってんのも、カンナちゃんがキライな人参小林に差し出してんのも、大冒険を前にバイト先から駄菓子貰ってくんのも、力みのない生活感がみっちりと画面を満たし、お互いを信頼しきってる”家”の空気がゴワッって立ち上ってきて…死ぬかと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
三組の人と竜にフォーカスして進む今回、食卓の情景はあくまで背景に過ぎず、メインにはなりえないんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
だからこそのさり気なさ、構えない尊さがズブンと心をぶっ刺してきて、大変良かった。
背景だろうと主題になろうと、こういう時間をずっと過ごしていくのだ、という説得力があった。
そんな暖かな家から出撃して、小学三年生休日の大冒険。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
川を縦に遡り、水の行き着くところを探すカンナと才川のエピソードである。
住宅街(≒文明化された人の領域)にある自然(≒旧き竜の領域)を描く精度が、マジで尋常じゃない。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/51x5PYkqSI
それは人々の憩いとして計画的に設計、整備された人造物でありながら、その気配をうまく殺すことで目的を果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
それが作られた存在だと気づかせない、よく整えられた嘘こそが、水辺の景色を潤いあるものへ変えているのだ。
あるいは治水がされる前、荒れ放題の川辺ではこのように、市民が憩い子供が笑う光景はなかったかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
コンクリの味気ない護岸で固めきってしまえば、画面を満たす緑の柔らかさ、光の輝きは当然消えてしまうだろう。
人と竜が無邪気に走る場所は、よく調整された辺境である。
獣の速度で食べかけポテトに食いつく才川の、ぼへぼへ暴走カンナLOVEも微笑ましく、小学三年生の冒険は等身大、異様な精度で描かれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
車が通れる橋を背中に遠く、ちょっと特別なご飯を家族から手渡されて進む、誰にでもあり得る幸福な休日。
それがいつか黄金となる思い出であり、人と竜の定めに引き裂かれるかも知れない危ういものであることを、魔術師でも大人でもない才川は知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
ただ、豊かな景色の中極めて穏やかな幸福が、滔々と流れていく。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/p07fBSAfVO
川辺は全ての市民が共有可能な公的空間であり、家族連れから老人まで、あらゆる存在がそこを共有する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
そこには涼しい風が吹き、清潔で安全な安心感が自然と…精妙に計算されて宿る
認識疎外魔法をかけ忘れたおバカな竜も、ひょっこり身を乗り出して写真に取られかけ、可愛いカンナの嘘で覆われる。
ただ水と草だけでなく欄干やデッキといった人造物、安全のための人工的施策を抜け目なく写すカメラ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
それはこの世界の人間が、かつては手に余り、制御するために神に祈り人柱を捧げていた治水行為を、自分たちのコントロール下に置いている証明だ。
のんびり川辺にのたくるエルマが、かつて神として制御していた(と、前回的確に語られていた)領分は、もはや凄く普通の、それが特別なのだと自覚すらされない技術…人の力によって管理され、憩いの空間として共有されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
治水の龍神を必要とする時代は、この世界では終わっているのだ。
古老達は正しく、そんな過去を知っていて子供たちに教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
その智慧が子供たちに、目に見えずとも流れる時の河を教え、そのただ中にいる自分たちを思わせる。
人と自然を取り巻く、とても大きな流れ。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/2KWAxXgek8
幼い才川はそれが他人事ではなく、いつかとても切なく厳しいものに必ず試される運命を、当然知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
自分とカンナを隔てる川が、全く違うスピードで流れていて、それが交わるところには危険な渦が生まれることを、まだ知らない。
今はただ、あまりにも美しい夕景を二人、共に流れていく。
その幸福と、カンナの優しい嘘が多分、二人の運命を治水し、分かれるはずのものを再び合流させていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
そんな未来を照らして、二人は今回川を遡り、流れが交わる場所を自分たちの目で確かめたのかも知れない。
この思い出が、宿命を越えて優しい嘘を掴み取るための、奇跡のかけらとなり得る。
微笑ましくも切ない、水辺のイノセンスを優しく見守らせてもらいながら、そんな事も考える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
翔太くんは魔術師だから、滝谷は大人だから。
それぞれの理由で既に、目の前の大事な人が龍であること、縁の交わりが奇跡であることを知っとると書いておいて、なーんも知らねぇ才川描くの、エグいよな…。
しかしね…まぁ大丈夫なんですよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
異様な精度で描かれる市街地の水辺と、そこを駆け抜けていく少女たちの絆…そこに宿る全く嘘のない体温をじんわり感じさせられれば、それがどんだけ厳しい流れでも越えていけると、予感させるには十分なんですよ。
才川とカンナちゃんは、いつか運命に勝つのです。
今回翔太くんが、滝谷が、自分たちなりちょっとずつ、大事な龍とちゃんと話して、お互いの流れを平和に混ぜ合わせれたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
カンナちゃんが心底楽しむ”人間ごっこ”が、けして悲しい終わりにはならない予感が、二人の帰り道には宿っとるわけです。
やっぱそういう、広くて遠い場所を最後には見据えて、めっちゃイイハナシでしっかりまとめきっちゃうカッチリ力ってのが、僕の好きな京アニなんだなー、と思わされるエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
皆可愛かったけど、情景を美麗に、微細に描いてどう活かすか、怪物的なプラニングを悟らせない3rdエピが凄まじい。
川辺は水と陸の境目にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
人と竜に隔たれている自分たちを、あるいは気づかないふりをしながら、あるいは本当に無垢に、未だ見据えぬまま駆け抜けていく二人の少女。
その息吹を見守る存在が、”小林さんち”だけでなく街全体、名もなき人々の柔らかな共同体に伸びている。
そういうことも描く話で、大変良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
やっぱアニメの中で都市論、風景論が見えるエピソードが、僕は好きなんだな。街の中の自然、人造の憩いがどういう存在か、大変優れたスケッチともなりました。面白かった。
この三景を流れに混ぜて、竜と人の物語は続く。次回も楽しみ。
追記 清潔に整えつつ、無意識に標準化された不可視の暴力で世界を洗いはしない。そこに意識を入れてることを、悟らせないように自然と理想を紡ぐ。京都アニメーションはそういう手付きを、今も保ってアニメを作っているのだ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
川べり散歩で潰れたサッカーボールを蹴り、それが”変な人”にぶつかる流れも、凄く良かった。
ゴミになりそうなポンコツからも、子供らは彼女たちだけの楽しさを引き出せるし、この街にはなんか”変な人”も、蓮華に祝福されて隣りあう。
(画像は"小林さんちのメイドラゴンS"第6話より引用) pic.twitter.com/ItNk6weKgm
当たり前の経済規模で支えられた、当たり前に幸福な家庭、それを越えた先にいるリタイアした老人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
社会を支える無形の規範に従ったスタンダードな住人だけでなく、そこから外れたイレギュラーを一回、笑える範疇に精妙に収めたことが、僕はなんだか公平で良い描写だな、と思った。
彼らはそこにいる。対話は出来ないかも知れないけど、別に襲いかかってくるわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月11日
この街の川辺は、彼らにも公開され、共有されているのだ。
そんな視線が、龍を排除しない優しい嘘を裏打ちしているようで、とても良かった。
この何処にでもある理想郷だから、龍たちはヒトの形を保てるのだ。