輪るピングドラム 第8話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
多蕗とゆりの新婚生活は苹果を置き去りに進展し、運命を焦る彼女は遂に強硬手段に打って出る…というエピソード。
ゴロゴロ転がるギャグ描写がスッと引いて、荻野目苹果の限界点、そこに行き合う昌馬の表情が鮮烈に切り取られていくエピソード。
冒頭、”M”を遂行せんと晒される苹果ちゃんのほっそい裸身が、エロいというより痛ましく、彼女が未成熟な少女であることをよく教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
まだ”Mother”となるには早すぎる己の身体を、運命と家族を取り戻し、桃果の死によって狂ったレールを引き直すためのトークンとして使用する焦燥。
彼女が何に焦り、何を失っているか知らない(知ろうとしない)昌馬は残酷で無責任ながら(だからこそ)正しく、自分も他人もないがしろにただ運命の遂行装置になろうとする危うさを、幾度も指摘していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
自分の気持ちも、多蕗の気持ちもどうでもいい。
ただ日記に描かれた未達の幼い夢を、姉に代わって果たせば、完全な世界は再生し家族は戻ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
エゴ…とすら言えない自暴自棄の狂気には、そんな切実で凶暴な祈りが宿っている。
願うだけでは世界は変わってくれないので、苹果ちゃんは幼児の想像力で、自分だけの戦いを始めた。
ストーキングもセックスもその手段であって、恋はもはや目的ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
本来苹果ちゃんの細っこい身体は大事にされなければいけないものなのに、彼女自身がそこに価値を認めず、ないがしろにする。
昌馬はそれを(覚えていないが、かつてそうであったように)我慢できない。
でも他人の心の中を覗き込まず、常識の安全圏から投げかけられる言葉は苹果ちゃんには当然、届かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
二人はスレ違い、しかし隣り合って、運命の結節点に同居する。それは昌馬の仕事である。
跳ねる油を気にもせず、欲しいものだけを同情を切り捨て、掴み取る覚悟。
ギャグテイストの日常の中、冠葉が問いかけてくる決断は、まだぼんやりした主人公には遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
しかしいつか来る未来、あるいはすでに果たした決断の中で、彼は燃える心臓を捧げるたった一人を既に選んでいて、その残火が歪みに沈もうとする苹果ちゃんを抱きとめ、壁に縫い付ける。
ウツボとラッコのぬいぐるみ劇は、父が娘を(それと知らず)捨て去るグロテスクな人生劇場である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
ぬいぐるみというフィルターをかけないと、苹果ちゃん(と視聴者)はその残酷…ながら、人生にはよくある場面を直視できない。
姉の死も、家族の崩壊も、よくあること。
そんな諦観に死んでいく…二度も透明になることに耐えられない苹果ちゃんは、条理に反して運命を繋ぎ止めるべく、自分の体と魂を乱雑に使う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
”M”を生み出す身体は心と切り離されるものではなく、運命を取り戻そうとする蛮行は柔らかく大事なものを、無造作に傷つけていく。
あんだけ兄貴に釘を差されたのに、どうやっても苹果ちゃんに隣り合い共感してしまう昌馬。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
彼が苹果ちゃんの隣を離れられないのは、妹の生存戦略のためにピングドラムが必須だという、誰かのための実利を既にはみ出している。
そもそも、彼はそこに足を置いて走り出してはいないのだ。
”放っておけない”のは昌馬が優しいからであり、苹果ちゃんが苹果ちゃんだからでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
自身の身体をモノ化する苹果ちゃんの振る舞いが、モノになってしまった妹の遺骸…彼が絶対に否定したい存在を想起させるからでもあろう。
心身の対象化。
心と体を冷たく使い潰す権利は、その所持者にも無い。
この作品(つうか幾原邦彦の作品)に冷たいセックスが散見されるのは、そういう主張を浮き彫りにするタメかなー、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
昌馬が指摘する通り、”M”に邁進する苹果ちゃんは普段のひょうきんな愛嬌を失って、心がどす黒くなってしまっている。お姫様ではなく魔女になっている。
しかしそうせざるを得ないもの…人形芝居にフィルターされた現実のグロテスクに、昌馬は肩を並べて隣合おうとはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
彼自身、そこを突かれて獣のように激高する”家族”の地獄絵図を背負うのに、ピングドラムの中にどんな痛みと思いがあるか、想像しない。
これは薬を盛ってモノ化した多蕗が、狂ってる自分以上の狂気と愛を抱えている事実を想像出来ない苹果ちゃんにも通じる、幼年期の視野の狭さだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
そして性と欲の海の中、結婚も妊娠も出来るほどに成熟したはずの者たちも、誰かの心の柔らかい部分を覗き込めない。
むしろ成熟が、より強い残酷を生む。
モノ化され、勝手な想像を押し付けられる被害者がしかし、もっと凶悪な加害者でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
その構図がフルフェイスに顔を隠し襲ってくるのが、最後のピングドラム強奪である。
未だ全貌を見せないサスペンスの奥で、苹果ちゃんが絶対の運命だと信じるものは儚く分断され、略奪されていく。
苹果ちゃんが冷たい雨の中、天と地をつなぐ階段を落ちて地上に進んだのを、昌馬は追いかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
迫りくる死…多蕗と自分を被害者に進行した身体のモノ化の、もう一つの形をここでも少年は否定して、自分が轢かれる。
自己犠牲による救済。後に、物語を貫通する巨大な釘だ。
死と離別に向かって滑り落ちていく、当たり前の人生。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
荻野目父は娘の理不尽な死、家庭の崩壊を自分なりに飲み込んで、新しい家族と新しい人生を贈ろうとしている。
それは残酷で、しかしタフで前向きなあり方だ。
普通の人は、皆そうする。そうでなければ、透明にされて死んでいく。
苹果ちゃんが今回剥き出しに見せつける狂気と執着は、人が抗い得ないものに爪を立てる、若さゆえの無謀な反抗といえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
外野から正しく安全な寝言を言っているように思える少年も、若さの犠牲となってモノ化されたように思える青年も、実は皆そんなレジスタンスのただ中にある。
当たり前の失楽を、どうでもいいと思えないのは、それが自分の人生すべてを決めてしまうほどの苛烈さで、胸に突き刺さっているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
苹果ちゃんは家族が好きで、姉が好きで、それを諦めきれないからこそ、”M”に狂う。
それは愚かでグロテスクで、泣けるほどに切実な反抗だ。
昌馬もぼんやりと、視聴者の代理として正常な安全圏に立つと思いきや、条理という名前の不条理にズタボロにされた女の子のため雨に進み出し、ジャガーノートの行方を、その身で塞ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
血みどろで、必死で、間違いを知りつつそうせざるを得ない舞台は、彼のステージでもある。
昌馬にとってはそこに上がるための、苹果ちゃんにとっては日記を引き裂かれそこから降りる第一歩を踏み出すための、かなり大事な分節点でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
昌馬はとにかく、目の前の女の子が他人と自分を大事に出来ないことが、たまらなく我慢できないんだな。倫理だ。
しかし暴走するトロッコは、正しさ程度では止まらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
なら血肉に意思を込めて投げ込んで、運命のレールを変えてやる。
モノ化されていない身体を投げつけることで、昌馬は今回ラスト、この物語の主人公たる証を立てる。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
瀬に上がるのが、自分である必要もなし。
なんてことはない、昌馬もまた苹果ちゃんの裸身に刻まれた不退転を、胸に宿す少年なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
そんな似た者同士の運命は、雨の中再び激しく転がっていく。
あるいは秘められた過去を暴きながら逆走し、運命が始まった瞬間へと到達していく。
未来へ進む歩みと、過去を手繰る指先は同じ場所にあるのだ。
昌馬が何故、迫りくる車に身を投げたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
色々理由はあるが、ピングドラムを巡る冒険の中で苹果ちゃんが笑い、泣き、ひた走る可愛い女の子だと(僕らと同じように)実感した…好きになったのが、一番大きいのだと思う。
いちばん大事なものを考えれば、冷たく踏みにじらなければいけない相手。
でも昌馬は、苹果ちゃんの顔を見てしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
ブーブー文句言いつつ、ストーカーヤバ女に付き合い、ヘンテコで必死な作戦に同行した。
奇妙な笑劇から漏れ出る、魂の必死さを間近に感じていた。
感じ取れるセンスが、彼の中でまだ死んでいない…というか、殺すことが出来ない少年なのだ。
結果彼はジャガーノートに身を投げる決断を今回するし、かつてしたし、未来においてもすることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
魂のあり方として刻まれた、強い炎はけして消えず、幾度も繰り返す。
あるいはそれを諦め、変えるために必要なものはなにか。
物語は、それを幾度も描く。次回も楽しみ。
追記 何もかも跳ね飛ばす特急列車は少年少女を乗せて走る運命であり、それに突き動かされ他人をモノ化していく(あるいはそうしない選択に飛び込む)少年少女自身でもあろう。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月1日
サブタイにある”僕”…”君”の嘘の恋を見つめる存在は、”M”に邁進する苹果ちゃんを見てる昌馬であり、壮烈な同志婚を共有するゆりを見つめる多蕗であり、インセスト・タブーに焼かれながら陽鞠を見る冠葉なんだろうなぁ…。
皆、嘘の恋を瞳に捉えながら、ただただひた走るのだ。