輪るピングドラム 第12話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
環状線のように運命は巡り、晶馬は生まれる前に刻まれた罪を告げる。
陽毬が再び倒れ伏し、二度目の奇跡が起きない中で、冠葉に亡霊が迫る。
そんなエピソード。
話数的にも折り返し、二週目の物語はコミカルで人間臭い”M”のコメディとは、大きく違った味で進み出す
陽毬が倒れて、運命が動き出して…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
おそらく意図して第1話に似た構図になっているものがたりだが、ここから進んでいく物語は同じ繰り返しにはけしてならず、一周目で脇役であったり、善良に思えた人たちが抱え込んだカルマが、次々と噴出し続けることになる。
それは世界や人物、背景の設定も同じで、一周目には見えなかったもの(あるいは非常にさり気なく、巧妙に見落とされるよう仕込まれていたもの)が表に這い上がって、今までのスラップスティックで、青臭く、切実で取り返しの付きそうな青春疾走劇を飲み込んでくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
純情激ヤバストーカー少女が、生まれた時から自分を支配していた宿命に突き動かされ、しかし自分自身でしか無い己を少年に見つけてもらって、レールから外れていく物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
そこで交流する魂はバカバカしくも微笑ましく、僕らは晶馬と陽毬ちゃんのロマンス&コメディが、上手くいくよう見守ってきた。
それは運命(と思い込み、縛られていたもの)を分断され、奪われ、諦めることで、本当に大事なものを取り戻す再生の物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
それが恋の形にまとまりそうになった所で、晶馬の告白により物語はレールを乗り越え、暗いテロルと重たい宿命、解放されえない亡霊が顔を出す。
それはここまで”M”を追ってきた苹果ちゃんの、不安定で愛おしい精神が内包したものでありながら、より重たく、取り返しがつかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
既に多数の犠牲は出ており、死者を荼毘に付す煙は桃果の葬儀場から…そして地下鉄の駅から立ち上ってしまっている。
全ては終わっているのだ。
己の意志もなく、決断も出来ない赤ん坊の時点で、苹果ちゃんは桃果の妹であったし、晶馬は高倉の子供であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
自分以外何者にもなれないはずの個人が、否応なく背負ってしまう宿命、過去、あるいは血縁と家族。
その枷は不自由な檻であり、自分を支える外骨格でもある。
自分ではない誰かの、代用品になろうとすること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
あるいは自分ではない誰かの、罪科を背負うこと。
それは重荷でありながら愛の証明でもあり、痛みを自分に引き受けることで、自分が活きていてもいい存在だと確かめるような、ナルシスティックな被虐の色合いを帯びている。
ここに、二度心臓を妹に捧げようとする冠葉のヒロイズム(あるいはナルシシズム)を重ねてもいいだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
彼は家族のために自分を投げ出せる存在としてあることで、ガラスから息子を庇った父との同化を目指しているフシがある。
奇跡は二度起こらず、美しい裸身の交わりは命なき屍姦で終わる。
陽毬の命が尽きようとする時、ICUの扉を越えて間近にいるのはあくまで冠葉であり、晶馬はうろたえて兄貴を呼んで壁の向こうで突っ立ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
見るものと動くもの。
先見者たるエピメテーウスと、炎を奪い与える行動に出たプロメテーウス。
兄弟には、人間存在の根本的な二分が属性として与えられている
無論愛とエゴ、臆病と勇気は不可分であり、冠葉が裸のプリンセス・オブ・ザ・クリスタル(であり陽毬でもある存在)に己の肌で与えようとする温もりには、真っ赤な愛が強く滲む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
立ち止まって見てしまう晶馬の在り方が、苹果ちゃんをどれだけ救ったかは、既に見てきたとおりだ。
この、相反すると思われているものが実は背中合わせに癒着していて、実は簡単にカテゴライズし分断など出来ないのだ、と思い知らされる衝撃と快楽は、この作品…あるいは幾原邦彦の作る物語には、常に付きまとうと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
僕自身がパラドクスに取り憑かれて、お話を見続けてる存在なのも大きいだろうが
笑って良いのか、慄いて良いのかわからないまま転がっていく、美麗で残酷な運命の物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
地下から這い出してきた亡霊は、運命の至る場所から王子に語りかける時『痺れるだろう?』と問いかける。
いや笑うが。何だオメー…ってなるでしょ、この言語センス。
しかし人が生きる物語は常に、そういう単一のトーンで塗りきれないマダラに満ちていて、その淡いにこそ面白さがあるとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
救済と絶望、綺麗と汚い、夢と現実。
スパッと二分法で切り分けることで、不安なく世界を歩いている…気になっているものを揺らす、説明なき境界線上の震え。
これをドラマの面でも、世界設定からも、キャラクターの描画でも、画面を埋め尽くすヴィジュアルの迫力からも、全領域で常時とい続ける酩酊と覚醒の気持ちよさに、どうチューニングを合わせるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
ここが、幾原邦彦作品の難しさであり、面白さでもあると思う。
言語によって記述できるロジカルな論理と、感覚によって不定形に感じ取るしか無いセンスもまた、揺れる狭間の中で混ざり合っていて、『考えるな、感じろ』的断言も、完璧な考察で作品を全て解体する筆致も、この作品にはあまり適切ではないと感じ続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
なんとなく解って、さっぱり分からない。
話が二週目に乗り出す今回、エピソードは説話、詩、あるいは魔術の語り口に満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
晶馬が語る女神と羊の物語は、裏設定を語っているようでもあるし、何かを比喩しているようにも思えるし、彼が感じ取っている世界の摂理を歌い上げているようにも思える。
多分、そのどれでもあるのだろう。
だからどれでもなくて、話を最後まで見ても今回語られたもののハッキリした像は、よくわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
黒うさぎ、地下から這い出すもの、運命の至る場所、ピングドラム。
これらに、明瞭でロジカルな解答は出ない…と僕は思う。
作品を見る画角、個性によって、ここの答えは様々だろうけど。
ひどくぼんやりと芯のない描画に見えて、第1話ではシルエットだった陽毬の裸身をあまりに美麗に、暴力的にすら描いて、そこに宿る体温…の喪失、それを贖うべく爪を突き立てる冠葉の想いは、言葉を超えた説得力を強く、画面に写す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
美しいものは強い。解ってしまうから。
『判らないけど、判る』という領域に、見ているものを引っ張り上げられる美術の冴え、造形的構成的センスはやっぱり、作家としての強さなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
理解するのではなく共鳴し、分析するのではなく判明する。
そのセンシャルな感触を手がかりに、お話が何を言いたいか、自分なりに解体し咀嚼し消化する
そんな挑戦を、このお話は随所に仕込んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
あるいはロジカルに物語を解体する苦労が、描写に何が埋め込まれているか受け取る感覚を目覚めさせ、センスとロジックが逆位相で繋がる快楽も。
相反するように思えるものが結びつく瞬間には、世界のすべてを掴んだような快楽が、確かにある…と思う。
それはうつろう時の中で簡単に摩耗し、消滅し、蒸発していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
陽毬は死んでいくし、運命を切り替える特別な力を持った桃果は、そうして救われた記憶だけを残して残酷に、生存者を岸辺に置き去りにしていく。
誰かに手を取ってもらった温もりは、その主が消えれば、癒えぬ傷にもなる。
その裂け目は生まれる前にすでに喪失されていた宿命によっても生まれて、晶馬は自分のものではないはずの罪悪にずっと苦しみ、お話が半分終わる今回、ようやくそれを告白する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
動き出す、罪という名前の地下鉄。
それを何処に収めるかは、これから探っていくことになる。主題とも言える。
世界の裏側にあった真実。取り返しがつかない事実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
それが表になっただけでは、物語は終わらない。
真実をどう咀嚼し、何を選び取り、何を諦めるか。
その決断にこそ、物語の血肉は宿る。
晶馬はこれからそれを追う。冠葉はこれからそれを追う。
皆がずっと、それを追いかけてきたのだ。
それは少年個人の内的葛藤では終わらず、社会的トラウマとして誰もが記憶し、無いふりをすることでなんとか現世を活きてきたテロルの決算…そこを裂け目に這い出してくる救済と絶望の具現、仲介者を通じてしか世界に介入できない亡霊たちに、激しく擦り合いながら進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
レールは激しく火花を散らし、欲望という名の電車は加速していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
生き延びてしまった人々も、死せる亡霊たちも、皆何かを望んで手を伸ばし、何かに取り囲まれてどこにも行けない。
これは世界の果てを突破する車の物語ではなく、運命の至る場所から来た電車の物語だ。
(こうして見返すと、スタァライト劇場版が電車の物語であったことと、古川監督がこの物語に深く関わっていたことを、シンプルに繋げる読みもしたくなるけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
走ること、不自由であること、荒廃した世界の至る場所。もうちょい腰を据えて、ちゃんと見ないといけないポイントかと、個人的に思う)
一度目の奇跡は燃料切れとなり、少女はグッド・バイを告げた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
諦めきれない青年に、亡霊は手をのばす。
『痺れるだろう?』
その響きに乗っかって、アリスは穴蔵に落ちていく。過去という闇、テロルという罪。
行動するものは火を盗む。それは誰かのためか、自分のためか。
そこに境目はない、というのが、やっぱりこのお話を貫通する視線のような気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
第1話で既に示されたように、ここから始まる物語もまた、身勝手でいながら何よりも己を投げ売った、凶暴な純愛の物語なのだ。
そしてそこを走るレールは、キャラの数だけ存在し、複雑に絡み合いながら進む。
…既に絡み合っていたのだ、という事実を暴露し、見えていたものがけして真実などではなく、しかし誠実にその兆しは、確かに描写されていたことに気づく快楽も、この後の物語にはたっぷりとある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
ここら辺、サスペンスとしての種まきと発芽が、よく出来てるところである。
世界も、物語も、キャラクターも、みなその印象を大きく変えつつ、しかしそこには確かな連続性がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
人が変わったように思えて、しかし暴かれた”本性”なるものは既に、ここまでの物語に滲んでいるのだ。
それを拾い集めながら再視聴出来たのは、自分的に楽しく、ありがたい体験であった。
全ては既に示されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
戦慄すべき予兆(Omen)に満ちた物語は、ここから一層の加速を見せる。
取り返しのつかない悲劇、他人を置き去りにする欲望、誰を傷つけてでも掴みたい願いが、レールとの摩擦熱で炎にまみれていく。
それは哀しく、やるせなく、容赦がなくて美しい。
真実を知れば世界が変わるわけでもなく、思いがあればハッピーエンドでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年10月1日
我々を取り巻く”現実”なるものの、非情で重たい実相と真摯に向き合った結果、こうなるしかない物語がこの後に、展開していく。
それを見届け、再び満腔の感慨に浸る旅路は、まだ続く。残酷に、美麗に。
次回も楽しみだ。