イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

『映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』感想

”映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!”を見てまいりました。
常夏のあおぞら市を離れ、美しい雪の国で”ハートキャッチプリキュア”とのクロスオーバー! ……という要素以外にも、本放送で彫り込めていない意外な角度から、作品の魅力、キャラクターの輝きを引き出すような、よい特別編でした。
特にローラは劇場版一本を実質捧げられたかのような立ち位置になっており、彼女のファンである僕としてはとても嬉しい作品となりました。
ストーリーのヒネリ方にかなりの面白さがあるので、ネタバレを踏む前に自分の目で体験したほうが面白い映画かな、と思います。
ハートキャッチの面々もただのカメオ出演に終わらず、彼女たちらしい笑いと想いをしっかり宿して、いつもどおりでいつも以上のキラメキを見せてくれています。
色んな意味で楽しく、面白く、心動かされる映画ですので、大変にオススメです!


というわけで、以下ネタバレの感想だよ。












というわけで、トロプリの秋映画は素敵な雪の国でのファンタジー! ……と思ったら、笑顔と幸福を一瞬で奪われた亡霊を相手に、今を生きるプリキュアは一体何が出来るのかと問いかける、かなりホラーでシビアなお話となりました。
前情報からはほぼ読めないネタなので不意打ち感はありましたが、シナリオヒロインとしてのシャロンの造形、プリンセス属性をローラと共鳴し描写を深める存在の強さ、前半無邪気にはしゃぐ少女たちの”器”としての王国の輝きが、上手く心地よいサプライズを作ってたかな、と思います。
話の構造としてはバトルヒロインモノでも雪のファンタジーでもなく、世阿弥から始まる夢幻能の系譜だと思う。
『幽玄な渓谷に迷い込み、土地のいわれを聞いて、超自然のものが正体を表し、かつての栄華を有徳のものに語り消えていく』っていう構図だからな……”敦盛”とか”井筒”の文法だと思う。

シャンティアが滅びきった冥府であるサインは序盤から出てて、ホワンがあんまりにもなんでも出せすぎるとか、ファンタジックな列車でトンネルという薄暗い境界を抜けて異界が広がる描写とか、現世の出来事とするとあまりに常理を越えてる描写が、ひっそり入ってます。
太陽ギラギラのあおぞら市とは美術も違っていて、シャンティア市街はどこか絵画的というか、美しいけど何処からぼんやりした、絵本の中に迷い込んだような情景が組み上げられている。
それはシャンティアが亡霊となったシャロンの怨念(愛の裏返し)を拡大した、精神的な世界である反映です。
心のなかにある美しい思い出を、都市規模にまで拡大し生者を閉じ込めるからこそ、そこにはかつてあった人たちはいないし、ずっと美しい。
望んだものは何でも手にはいるけど、何かが新しく生まれることはない(だから、スノーボードやかき氷は、生者たるプリキュアが望まないと出てこない)

シャンティアは既に滅んだ過去の世界ですが、同時に確かに笑顔と温もり溢れる花の都でもありました。
その輝きを追体験し、『良い国だな』と歌いたくなるような楽しさを、雪のバカンスにはしゃぎまくる少女たちで前半、存分に魅せてくれたのは凄く良かったです。
BEAMSとコラボした秋私服は本当に可愛かった(特にみのりん先輩)し、ウィンターレジャーに浮かれる五人、新しく出会った友達との楽しい時間が、凄く眩しく描かれていました。
それはかつてのシャンティアに確かにあるもので、まなつ達がプリキュアになって今護りたいものでもある。
後に敵対することになっても、プリキュアシャロンは同じものを尊び、護りたい心で繋がってはいるのです。
滅びしシャンティアに人を呼び込む基準が『誰かを笑顔に出来る人』なの、シャロンがどういう国を作り護りたかったか、何が大事だったのか無言で語ってて、スゲー切ないと思います。

 

今回のお話は明らかにローラが主人公で、悲しい亡霊たるシャロンと心を通わせ、作品をより良い方向に導く決断をするのは彼女です。
TVの主人公であるまなつは彼女に寄り添い、『”今”一番したいことは何?』と問いかけ、滅亡の苦しさでローラを雪景色に取り込もうとするシャロンから、繋げた掌の温もりでローラを守る補佐の仕事に徹します。
まなつの見せ場ってあんまなくて、ローラの側に居続けるくらいなんですけども、あのホワイトアウトした世界でローラが惹かれるもの、分かってしまうものを良い表情と芝居でちゃんと描いた上で、そこから引き戻すまなつの存在感を掌一つでガッと出したの、大変強い演出だと思います。
本編だと実はかなりクレバーで、周囲を見ながら行動してるまなつですが、立ち位置に合わせてちょいおバカで暴走気味な描かれ方してるかなー、と思った。
でも『キャラが違う』ということは全然なくて、相変わらず誰かが本当にしたいこと、誰かのためにしなきゃいけないことをよく見据えた、夏海まなつらしい立ち回りでした。

本編と違う……けど継続性のある描かれ方してるのはローラも同じで、王国を背負うプリンセスとしての自負と決意、故国を滅ぼされた悔しさと怒り、故郷を遠く離れた寂しさなど、明るく元気な本編ではあんま掘り下げられないポイントが、鏡合わせのシャロンを通じて色濃く掘り下げられていました。
喧嘩別れした後のえりかが指摘する強がりと寂しさって、言われてみりゃ確かにローラにあるはずのもので、しかし陽性を保つ本編ではなかなか書きにくいもの。
そこをド級に重たい真相と、歌で通じ合うシャロンとの絆をテコに、ここで掘り下げてきたのは凄く良いなー、と思います。
本放送では描けないものを、映画であるがゆえの特別な角度から照らせるのは、確実に劇場版の強みだろうし。

慣れないオホホ口調でお姫様ぶろうとする根性の悪さとか、それを脱ぎ去ってなお輝く決意の強さ、プリンセスと国家への強い意志が表に立ったのも、そういう働きの一つで。
これは『プリンセスとは生き様である』とした”Go! プリンセスプリキュア”のプリンセス論と、面白い共鳴を為すところだと思うのですが、シャロンもローラも余人にはなかなかわからない、国と立場を背負えばこその責任と愛情で共鳴し合う。
Go!プリ的な内面からあふれる気高さは当然ありつつ、自分の外側にある社会的な立場、そこからのみ生まれる特別な決意が、ローラをシナリオヒロインと特別に共鳴する主役として、しっかり立たせている感じです。

んで、ローラのそういう心の強さ、器のデカさ、心地よい気高さって、劇場版だから急に生えたわけじゃない。
あの子は本編でもプライドがあるし、タフだし、重責を推進力に変えてデカいことを成し遂げうる強さを持ってる。
今回描かれた部分は、なかなかシリアスになりきらないことを選んだTV本編では描ききれないローラの美質(”本質”ではない)に、しっかり光を当てて掘り下げた結果だと思うのです。
それは光の裏にある影も同じで、シャロンが語る愛ゆえの無念、砕かれた理想の重さに一度は共鳴した上で、まなつの掌の温もりを支えに戦士としてプリンセスとして為すべきことを思い出して、自分は亡霊と同じ存在にはならないこと、ここまで見てきたシャンティアを嘘にしないために闘うことを告げる。
あそこの葛藤は、お気楽に地上留学し好き勝手にクソアマやってるように見えるローラが、(これも本編でちゃんと書いてる部分だけど)かなり思慮深く、笑顔が消えるということ、国を奪われる意味を考え続けていると、改めて示す場面でした。
それはローラの中に確かにずっとあって、ともすればシャロンと同じように彼女を負の想念に囚われた亡霊に変えてしまいかねない危うい影で、でもまなつ達がいてくれること、ローラが”今”を精一杯生きるローラであることで逃れられる、彼女の中のシャドウなわけです。
そういう所にしっかりズームアップする映画って、僕は凄く良いと思う。

 

そんな彼女たちと雪の国で邂逅するハートキャッチの面々は、えりかにクローズアップした構成。
お互い唯我独尊行くぞ我が道、マイペースで衝突お構いなしのローラとえりかが、一旦激しくぶつかってから、”先輩”であるえりかが心遣いを見せて、自分の特性をより良く使いこなそうと苦労してる様子は、とても活きてる描写でした。
思ったことを素直に口に出しすぎて、いらん衝突を生み出す”えりからしさ”は本編で描かれ、つぼみ達と過ごした日常と闘争の中、幾度か扱いに失敗しながら手綱の付け方を学んだ、とても大事なものです。
それがこの特別な出番でも非常に元気で、なおかつ一年分の経験と学びを反映して、凄く小さく人間らしい歩み寄りで制御されていたのが、僕にはとても嬉しかった。
僕が見守らせてもらった来海えりかの一年間は、確かに彼女に凄く価値のあるものを生み出していて、彼女もそれを忘れていないんだな、という感慨があった。
ぶつかった後の仲直りで、えりかから歩み寄った瞬間の『く、来海くんッ! 立派になって……』つう感慨は、スゴイものがあった。

えりかがローラの影にある寂しさに目をやる時、その処方箋として『つぼみみたいに、間近で手を取って分かってくれる人がいると、乗り越えられる』と言ってるの、短いけど刺さるいいセリフで。
それは自分の間近に在るもの、とても大事なものを通して、理解不能で衝突するしかない他人をわかろうとする努力であり、同じように在り方に悩んでるだろう”後輩”に、自分なり見つけた大事なものを差し出そうとする仕草じゃないですか。
エキセントリックで自分中心だった……そういうエゴの形はそんなに変わってないえりかが、そういう柔らかな仕草で他者と繋がろうとするの、凄く良いなと思うんですよ。
それは一年間、自分とぜんぜん違うけど最高に素敵な友達と、一緒に笑い一緒に戦ったから見つけられたもの……エンディングの後にずっと続いている、当たり前の人の証じゃないですか。
そういうモノが、コンパクトな出番にしっかり宿ってるの、僕は凄く良かったと思います。

ハトキャ要素としては凍りついた心の花とか、劇場版特別召喚で出てきた巨女とかもありますが。
滅びしシャンティアの厳しい冬、死による蹂躙しか見えなくなっていたシャロンの心が、ローラが歌を継ぐ決意を魅せて雪解けし、生死のサイクルの中で確かに輝く春の光に照らされていく。
”希望”を花言葉に持つスノードロップが、もう一度咲き誇る。
それは負の感情で世界を砂漠化させようとする暗い想念に、あらがって花を守ってきた戦士と一緒に戦うお話として、良い決着だなー、と感じました。
ハトキャ本編だと相手を殴り倒していたキュア巨女が、シャロンの悲しみに寄り添うように怪物の頭を撫でて決着とするのも、とても良かったです。

バトル作画はそこまで超絶ってわけでもなく、要所要所美味しいポイントはありつつも、アクションの圧力をぶん回して勝負する感じでもなかったです。
雪の怪物は幾度倒しても蘇り、暴力で死を屈服させることは出来ない。
亡霊の怨念、滅びた国に確かにあった笑顔を歌い継ぐ意志こそが、少女の決意と祈りを開放する唯一の武器……つう話なので、バトル一本でやりきらないのは、俺は良かったと思います。
まークライマックスがボッ立ち歌唱をかなりの長尺で流す形になったのは、もうちょい工夫がほしいかな、て感じではあるんだが……歌ネタに個人的脆弱性があるので、あのまとめ方されると割と全肯定しちゃうんだよな……。
現役プリキュアの決め所を盗まず、クライマックスに至るまでの道作り、ローラが一発決めた後のフォロースルーを担当する立ち回りも、”先輩”の余裕があって良かったなー。

 

んで、シャンティアの真実とその救済なんですが。
『1万年移譲前に、取り返しのつかない災害で滅んでしまった国を前に、生者に一体何が出来るのか』つう問いかけは、大変ヘヴィです。
こういう重い球投げれるのも劇場版の特権かな、って感じですが、物理的に何か奇跡が起こるわけでもなく、死者が蘇ることも時間が巻き戻ることもない、かなりリアルな返答をローラと制作陣は選びました。
災いは唐突に訪れ、全てを奪う。
その理不尽に魂を焼かれたからこそ、父母や大事な国民が笑顔だったからこそ、シャロンは生者を死者に変えて王国を蘇らせる執念から、離れることが出来ない。
諦められないものを、どう諦めていくか。
諦観の先にあるものを、どう掴み取るか。
この答えとして、この映画は”歌”を選びました。

映画特別フォームのパワーソースになった、来場者全員プレゼントの指輪もそうなんですが。
亡霊たるシャロンを滅ぼすものは、全部生者でありプリンセスであるシャロンから、ローラに手渡されたものなんですよ。
自分の愛した国がどんな風に”今”を生きていたか、時を越えて伝えることが出来る歌を、同じ志を持つローラに乞われて差し出したからこそ。
そのローラの祈りが叶い、彼女の国が良い国であるようにと、指輪に祈りを込めたからこそ。
あすか先輩曰く『止めて欲しかった』シャロンは、どうにもならないものに執着する亡霊から、確かにあった笑顔を生者に託し、歌い継いでもらえる存在へと変化できる。

それは分かりやすいハッピーエンドではないんですが、世界に溢れる理不尽と、それに膝を屈することが出来ない魂の藻掻きを画面に捉えた以上、十分以上に有り得る答えだと思いました。
名言はされてないし、プリキュアというコンテンツの性質上語られないかな、とも思うんですが、この結論を出したのは2121年の映画であること……2011年から10年の節目であることと、無関係ではない確信を、僕は勝手に受け取ってもいます。
父母が己の命も顧みず、シェルターに自分を押し込めて守ってくれた後、初めてみた雪混じりの廃墟。
そこに確かにあった、プリンセスとして堂々背負い育みたかった笑顔と花はもうなく、全てが押し流された虚しさと、呼んでも応えない沈黙だけがある風景。
それはあの時、僕らが見た現実とよく似てる……似てるように描いたと、僕は思うんです。

あの震災の余震は未だ続いているし、疫病という別種の理不尽が社会を揺るがし、誰かの笑顔を不条理に剥奪する世界の中で、シャロンのように愛ゆえに諦めきれず、過去に魂を縛られて亡霊となってしまう存在は、凄く沢山いるでしょう。
そういう存在に、歌一つで救いになるってのは、綺麗事で御伽噺です。
でもシャロンが記憶し、ローラに伝えた歌は確かに、シャンティアがとても楽しくて綺麗な場所で、皆が笑い合って暮らし、日々を積み重ねる尊さがあったこと……それが今と繋がっていることを、確かに刻む。
歌というフィクションの中に圧縮されることで、理不尽な嵐に吹き飛ばされてもなお、輝くものが消えず繋がれていく可能性を、ローラは信じ、彼女を描く製作者は信じて、雪のプリンセスの憤怒と無念、気高さと祈りを海のプリンセスが継承していく終わりを選んだ。
僕はそう思います。

困難に満ち溢れた時代、あるいは人間の普遍は確かに存在していて、その質感は固くて重いです。
生まれつき邪悪な存在ではなく、むしろ強く愛を知る存在だからこそ、それが奪われた空虚を、世界を捻じ曲げ他人を閉じ込めてでも取り戻そうとする。
そういうシャロン不定形でありふれた、だからこそ越えがたいカルマに対し、”今”未来を選ぼうとしてるローラと仲間たちは、忘却を選ばない。
その決断だけが、死という定めから逃れられない人間の想いを、それが本来持っていた輝きを取り戻させて、もう一度再生する鍵なのだと、信じたクライマックスでした。

理不尽を前にした時、人はそれこそが唯一の真実だと思うことで、その衝撃を飲み込もうとする機構を持ってると思います。
世の中は暗くて、笑顔は嘘っぱちで、全ては虚しく消えていく。
そんなニヒリズムの影が覆い隠してしまうものを、シャロンとシャンティア自身が歌に込めて覚えていたし、プリキュア達はずっとそれに寄り添っている。
そこに人が生きて、笑顔が確かにあったこと。
時に忘れがちな、当たり前で何より大事な人間の証明を、ローラは己のミッションとして夢が儚く醒めた後も、歌い継ごうと決意する。
純白のシャンティアでの冒険が終わり、陽炎が登り立つあおぞら市に一瞬で戻ってくるエンディングが、凄く良いんですよね。
死者との語らいはそんなふうに、現実に何かを残すものではないけども、受け取った歌、祈りを込めた遺産は確かに、受け継がれて残る。
ローラはもう、商店街のステージを『私にはふさわしくない、しょぼくれた場所』とは言わない。
そこにこそ……そこからローラの歌が広げていく笑顔にこそ、シャロンを覚えている彼女が詠う価値はあるわけだから。
『アナタの未来が、輝いていますように』ってシャロンが祈った指輪を、この作品見に来た子供に同じく託すのって、俺凄い功徳なことだと思うわけですよ。

同じ思い、同じ願いを抱えた自分の分身だとシャロンを思えばこそ、必要な暴力と分かりつつ間に入って自分が傷つき止めるローラと、その決意を再確認し、『”今”一番やりたい事をやる』というトロピカる部の流儀で、今一度の対峙に押し出す。
シャロンとの対決を前に、ローラが滅茶苦茶迷ってるのが良いんですよね。
そういう血の滲む逡巡は、強くシャロンに共感し、彼女を思えばこそ生まれる。
そして彼女の未練を拒絶し、討ち果たす決意もまた、同じ場所から湧いてくることを、ローラは気高い自分に立ち返ることで、まなつが隣りにいることで取り戻せる。
生者としてのシャロンが、亡霊としてのシャロンを殺す武器を既に手渡していたように、ローラもまた『トロピカる部のローラ』がどんな人間であるべきかを思い出すことで、雪に飲まれそうな自分を超えていける。
ここら辺の呼応も、とても良い描写でした。

 

というわけで、大変いい映画でした。
僕はローラのファンなので、彼女が確かに持っているけど本放送ではなかなか踏み込めない領域にしっかりカメラを向けて、それを際立たせる鏡としてもう一人のプリンセスを配置した話運びは、とても良かったです。
シャロンとは別の意味で似た者同士なえりかの、既に物語を終えたがゆえの成熟を心地よく匂わせた活躍、物語を牽引する主役ではなく寄り添う補助役になったまなつの存在感も、とても良かったです。
アクションは正直プリキュア映画水準よりやや上くらいかな、という感じですが、雪の美しい国ではしゃぐ少女たちの日常がとてもチャーミングで、それがここに確かにあったものを忘れない決意、プリキュアが物語を解決する決め手にしっかり繋がっていたのも、非常に素晴らしかった。

死と愛。
裏腹で形なく、だからこそあまりにも大きいものを話しの真ん中に据えて、それに対し”今”生きてる人間が何を為しうるのか。
そういう問いかけに、この映画なりの、トロピカル~ジュとハートキャッチだからこその答えがちゃんと出ている、良いアニメでした。
とても面白く、素晴らしかったです。