輪るピングドラムを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
真砂子の襲撃は、何も傷つけないまま終わった。
甦る記憶は、高倉家の真実を暴き出す。
全てを浄化するテロルの気炎と、選ばれない子供たち。
しっかり者のすずの兵隊、炎に焼かれて蕩けて墜ちた。
後に残った暖炉の灰に、脈打つ赤い果実の名。
それは…
そんな感じの愛と罰、ピングドラム第20話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
ぶっちゃけ初見時はそんなに印象に残っていなかったエピソードなのだが、今回見返して『これが! 印象に! 残ってない!? コバヤシくん、”眼球”大丈夫??』と、自分に問い直してしまった。
さ、刺さるわマジ…。
お話としてはここまで物語を支えてきた幸福な高倉家の奥にある、ネトネトどす黒いものが暴かれるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
林明美のチャーミングな作画、幼気な切実を宿す演出が、伝えるべきものをしっかり伝えてくる。
ここ三連作はベテランスタッフの癖と味が全開で、大変楽しい。
『いいパパ』で終わらねぇ狂信のテロリスト、高倉剣山のヤバさとか、氷の世界の冷たさを教える回想シーンが印象的だが、一見穏やかな現在がグラッグラに揺れ、もう幸福な時代が終わってしまうこと…あるいは既に終わっていたことが、ヒリヒリと迫ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
残り四話、運命という列車は止まらない。
雨に濡れ、高倉家の子供たちに背中を向けて想いを叫ぶ時、真砂子の顔は描かれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
今回さらっと『お兄様』が誰かを暴かれたわけだが、肝心の冠葉は偽物の妹を抱いて護り、真砂子を選ばない。
そんな事実を氷雨と突きつけられた時、真砂子は泣いていたのか。
選ばれない現実に向き直り、それでも怒りをまとうまでの彼女の”人間”を、画面に切り取らないのは優しさであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
この仮面は兄貴にも適応されていて、両親を許さないことで家族であろうとする晶馬に、冠葉がどんな顔をしていたかは描かれない。
あの面罵を受けつつ、ラーメン屋で父母と合う。
あそこの会話も全く噛み合っていなくて、亡霊は許されざる世界の浄化を(生前と同じく)語るが、冠葉は妹の治療費という、卑近で切実な問題を口にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
父が見ていた世界を息子は共有していないが、呪いは継続され世界は炎に包まれていく。
そのズレすら継いでしまうのが、血の恐怖か。
…あるいは、血で繋がらないが故の強さか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
家族を扱う上で当然視されがちな”血”の鎖を、例えば荻野目家では少しコミカルで現実的で、前向きな希望のある形で砕いておいて、高倉家では複雑怪奇な非血縁を後ろに隠しつつ、奇っ怪に織り上げていく対比が、ここらで軋みだす。
陽毬は兄達に見せているようなイノセントなヒロインではなく、黒く滾る情欲の炎と、愛を消費されることへの恐怖を持った、ごくごく普通の少女である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
この汚れ…というには、人間なら持ってて当たり前なものを吐き出せるのが、家族ではない眞悧だけなのは、なかなか面白い距離感である。
思えば陽毬は最初から当たり前に死すべき存在として描かれ続けていて、しかし家族を家族(あるいは恋人を恋人、姫君を姫君)たらしめる貴き崇拝が、彼女の垢を遠ざけてきた感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
陽毬のルーツ、家族の素顔が暴かれる今回、そういう体温もまた、亡霊との恋バナで描かれていく。
現実の恋に怯える陽毬は、差し出すだけのキスを忌避し、もうキスする実体を持たない眞悧は理想論を並べ立てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
悪霊は(冠葉や真砂子に吹き込んでいるように)生者を言いように踊らせるが、陽毬相手にはある程度以上、本音を告げてるのかな、と思える瞬間がある。
だから、アイツは憎みきれない。
魔王の恋はけして実らず、桃果は同じ運命の上に立ちつつも常に、理念を逆しまにする宿敵としてしか、眞悧の前に立ってくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
永遠に触れ合うことなく、思いの証を立てて世界を変え、その代償として燃え上がることも許されていない、冷たい亡霊。
眞悧は他者と世界を、その冷たさに庇おうとする。
陽毬はそんなニヒリズム/ネクロフィリアの臭気を、ハンサムな仮面の奥にしっかり見据えつつ、唯一本音を暴ける相談相手として、眞悧に対峙し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
桃果ほど…あるいは自分を救い出した時の兄ほど、人生の正解が見えていない迷える少女。
等身大の、ズルくて弱い子供。
それを見せられるのが、弱い自分…を通じて、家族と世界を破滅させようと企む悪魔の前だけってのは、ちょっと”ファウスト”感があって面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
罪人と悪魔の、奇妙な共犯関係というか。
桃果とはまた違った距離感と清潔感があって、眞悧と陽毬のダイアログはやはり、面白い。
晶馬は彼が運命の人と再び選んだ(ということは、陽毬は彼の恋人になれない)苹果に、自分と妹の真実を語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それは同じタイミング、真砂子によって記憶を暴かれた陽毬が、ノンキにおでこを光らせカレー(家族の繋がりの象徴、あるいは偽装/武装)を作りながら、しれっと思い出してる記憶と同じだ。
回想は終始冷たく、リアルで、ヤバい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
剣山ががなり立てるピングフォースの理念は、正しいだの許されないだの、聖戦の気配を宿してビンビンに尖っている。
『あ、こんなにヤバかったんだ…』って生々しさが、アバンからバリバリ殴りつけてくるの、終盤って感じで好きだね。
このヤバさに巻き込まれてスティグマ背負わされた晶馬であるけども、その罪を独占することで自分を『高倉家の子供』とい続けている感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
自分が責められている間は、血の縁など無い嘘の家族も、トタンで覆った優しい家も、消えてなくならない。
罪の痛みこそが、消えた父との縁なのだ。
ぼんくらで善良なだけかと思っていた主人公が、存外分厚いカルマの只中にあること…この業のステージに立つ資格があることを活写されて、なんだか嬉しくすらなってくるわけだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
ただ見ているだけの優しい少年は、罪と痛みを独占するエゴと、かつて果たした英雄的行為の両方を、今回描かれていく。
子供世代を無自覚、無批判、無邪気にテロルの連鎖に巻き込みながら、閉ざされた”家”の内側で生産される危険思想。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
晶馬は大人が熱狂する殺人の教義に飽き果てていて、夏芽の子供たちが扉から出れない場所から、一足先に外に出る。
その自在性こそ、現在冠葉と彼を強く分かつ一線でもある。
薄暗いマンションで彼は、打ち捨てられた猫と少女を見つける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
寒い曇り空の下、薄着の陽毬の描き方が濃厚にリアルな育児放棄の匂いを宿していて、10年経ってそれが凄まじく、深く俺に刺さる。
愛されていない子供を浮かび上がらせる筆致は、あってはならない違和感と怒り、それが確かにある無念を呼ぶ
キラキラピカピカ眩しい、イノセントな存在であったはずの陽毬に宿る”くすみ”は、段々と薄暗さを増していく物語の中で彼女だけは無原罪でいて欲しいと、彼女をリアリティから遠ざけていた自分の視線を、無意識の罪を、巧妙に突き刺してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
彼女は元々、そんな存在ではなかったのだ。
同じく、望まず親から虐待されている(そしてその押しつけが、死別による不在、スティグマの強制という形で思春期の現在に至るまで続いている)晶馬には、いないものにされかけている陽毬の辛さが、内側から溢れる祈りが判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
透明にされる苦しさに、目を向けてしまえる資質。
それはゆりや多蕗を救えた(呪った)桃果の特質/徳質であり、世界の過ちを見落とせない眞悧や剣山の視線であり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
狂った”M”に突っ走る苹果ちゃんがただ失われたものを求める、自分と同じ子供なのだと判ってしまい、側にいてあげることを第1クールで選んだ晶馬の、今の在り方と同じである。
彼は見つけて、選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
兄は見過ごさず、手を尽くす。
選択することと行動することが繋がると、透明に砕かれる存在が救われる奇跡が起きて、それは必ず代償を要求する。
痛みを、命を、魂を要求しない奇跡は、この物語には絶対に存在しない。
救われたものは必ず、何かを失うのだ。
陽毬を見つけてしまったこと、家族と選んで子供ブロイラーに突撃してしまったことが、彼女が罪を背負う根源に繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
そうして選ばれたことが、透明な少女であることをずっと、明るい仮面の奥に眠らせ続けてきたお姫様にとって、絶対的な救いであったこと。
それもまた、今回描かれていく。
イノセントな現在の奥にある、冷たく暗い過去。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それは氷の世界ですべてを諦めたようなフリをして、その実愛されることを、見つけられることを、選ばれることをずっと待っていた…その灯火を晶馬に手渡されて、生きていていいのだと思えるほどに嬉しかった過去を、見事に反転させる。
高倉の子供に選ばれることで、陽毬はおでこピカピカ、なんも考えてない明るさのお姫様になれたのであり、その生き方は意図して選び取り、兄弟と嘘を続けていくために、死病に食いつぶされないために必死に演じていた、強がりであったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
唐突に思い出したのだが、この20話が”刺さってない”は嘘だ。
ここで描写された反転、ヒロインの生臭いリアルと切実を嗅いで、僕は陽毬をすごく好きになったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
…陽毬が自分の真実を忘れていたように、それを真砂子の突撃で再生したように、僕も彼女を好きになった理由をポッキリ忘れながら、『でもこの能天気、色々考えてんだぞ!』と好感度高く再視聴してた
『そういう事もあるもんだなぁ…』と、大好きなフィクションに血のインクで刻まれた描写と、自分のリアルが異様なシンクロを見せ始めたことに、アニメオタクとしてイクニチルドレンとして興奮を隠せないのだが、それはそれとして。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
いやー、こういう事があるから、10年ぶりの再視聴ってスゲェな…。
剣山はこどもブロイラーが実在してしまっている世界の間違いを、テロルの炎で浄化しようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
しかしその暴力的解決は、理不尽に死ぬものと生きるものを選別し、傲慢に犠牲を生み出す行為に繋がっている。
過った手段を選ぶことで、聖者は自分たちが糾弾する悪魔と同質化してしまうのだ。
晶馬はそんな大人たちが閉じこもっている狭い部屋を脱して、マンションの外側へ、雪が降り積もる氷の世界へと、小さな足で駆け出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
この世界が広く冷たく、とても残酷であること。
それを、ゴミ収集車に回収されていくサンちゃんが教える構図は、非常に生々しく残酷だ。
『普段御伽噺めいた妄想をぶん回しつつ、こういう痛みに異様な重さがあるのが、イクニのこえー所だな』と、ウテナ第10話以来ずっと思ってるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
ダンボールに詰められ、そこに籠もった愛着もみゃーみゃー鳴く命も無慈悲にぶっ殺されることで、自分の無力と残酷を知る構図は、彼の好みで得意技かな
打ち捨てられた子供たちが、必死に編み上げたシェルター。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
自分たちだけの家。
それを外側から優しい大人だの、強い王子様だのが助けてくれるわけではなく、むしろマジで冷たい注意書きだけ残して行使される”正しい暴力”が動かすのは、本当に生々しい。
世の中、そういうもんだ。
だが、そうであってはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
その思いは同じなのに、亡霊とテロリストとその子供は間違ってる世界を凍らせ燃やそうとし、傷ついた人を見つけられる子供だけが、雪の中自分で走って、大事なものを手に掴める。
それが蠍の炎に己を焼くことだとしても、迷いも躊躇いもないのだ。眩しい…。
サンちゃんの剥奪を追いかけ、追いつけないことで始めて、狂った競技が渦を巻き自分たちを透明にする”家”の外側が見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
サンちゃんを選べなかった晶馬の残酷があって、陽毬の処刑に間に合う奇跡がある。
それは誰にでもありそうな一生モンの傷と、不可思議な施設を連動させて描かれる。
今回描かれる回想は、残酷と奇跡、現実と幻想が同居し、その境目に切り裂かれながら越境し融合させていくマジックリアリズムにおいて、もしかすると全エピソードで一番”ピングドラム”しているかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
コンクリートの冷たい質感と、こどもブロイラーの夢めいた景色。
降りしきる雪の生々しい感触と、透明で残酷な世界が砕かれて降りしきる、再生の夢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それが同じエピソードに共存してしまえることが、この作品の強さであり、独自性であり、魔力なのだと思う。
そういう事を、10年ぶりに掴んでいる感じがする。
それは夢のようにあやふやで、痛みのように現実的だ。
拙いこどもの筆致で、血の色合いで刻まれた陽毬の遺書は、切実に彼女の心を語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それは晶馬に選ばれた時に解決した不協和音ではなく、ずっと彼女の内側に、あの優しく醜い間に合せの家に、未解決なまま残響し続けている。
選ばれないことが当たり前の、間違ったまま動き続ける氷の世界。
陽毬はその現実に取り残された自分を理解していて、見つけてくれる人を待っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
彼女を”本来”保護すべきママは、作中一度も描写されない。
あってはならないことだが、いないのだ、ママは。
それに憤って剣山と彼の息子は、世界を炎で包む。
その結果が、無様なる復讐の生存者…多蕗と百合だ
因果は背中合わせの双子のように、捻じくれたまま繋がって巡る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
タイトルにあるように、ピングドラムは輪るのだ。
ずっと諦めたふりで封じ込めてきた想いを、自分が消える場所に残したことで、晶馬は進むべき場所…間違えた大人がたどり着けないブロイラーに突撃できる。
サンちゃんが奪われたときには、あまりにも冷たい正しさだけがあった場所に遺された、赤いSOS。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
人間誰しも、この氷の世界に取り残されて叫んでいる透明な詩を見つけ、それに突き動かされて足を運ぶ強さがあったことで、晶馬は奇跡を起こす。
彼はただ、見守り隣り合う優しい王子ではない。
見つけ突き進み選ぶことで、彼は運命を引き寄せた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それは陽毬も苹果ちゃんも、皆同じことだ。
何もしていないように見えるものが、その実運命のキャスティングボードを、決定的に握っていたこと。
そんな真実も、今回反転した形で提示される。
そう。
晶馬はずっと、お話の主役だったのだ。
二人は運命の果実を選び取り、罪を同じ場所から食んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
共犯者であり、家族であり、唯一恋人ともなりうる特別な存在として、出逢った時から繋がっていた二人。
その赤く脈打つ錫の心臓に、遺された命数は少ない。
自分たちがどこから来て、どこへ行くのか。
世界はどんな奈落へ、滑り落ちていくのか。
残り四話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
加速を続けていく物語は、けして留まることも戻ることもなく、むしろその起源を暴かれることで終局へと、その先に続く物語へと、一気に燃え上がっていく。
アンデルセン童話の中でも相当マイナーな、”しっかり者のスズの兵隊”を、ここで抜け目なく引用してたとも、10年越し気づきつつ。
童話の切実、無垢、残酷を全て宿して描かれる物語は、まだ続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
運命の果実を差し出す王子様役を与えられていなかったからこそ、氷の少女二度目の死には、己の心臓を分け与えたかった。
冠葉の泣けるほど痛む恋慕もまた、今回描かれないからこそ輪郭を顕にしていく。
父が身命を賭した救済は、冠葉にとっては世界なんてデカくてどうでも良いものではなく、エロティックに生き恋し温もりを求めた、たった一人の女の子に向いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それはつまり、実妹である真砂子には向いていない、ということだ。
ここにも、血で書かれた赤いメッセージがある。
それらの糸が絡んで生まれる、アリアドネの導きは果たして、縁と無縁が絡み合ったラビュリントスから、英雄とお姫様を脱出させるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
レールは繋がり方を変え、深く墜ちながら続いていく。
全ては破壊と再生の途中を、永遠に輪る物語。
その輪がもし、僕らを繋ぐなら。
次回も楽しみだ。
追記 お別れの瞬間だからこそ、ミルク・コーヒー・ダンスさ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
このアニメのサブタイが極めて複層的なのは、再視聴で気づいたポイントの一つだ。
晶馬は 見つけ罪を押し付けてしまった存在として自分を見るが、それはカルトにハマった父母にネグられてる(ここの描写のリアリズムも、また凄い)自分を見つけ、陽毬に救ってもらう行為の反射である。
世界に透明にされ殺されかけた子供たちは、自分たちを相互に見つけ直し、愛し合って生き延びようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
それは正しくないと粉砕する透明な嵐は、いつでも残酷に冷たく吹き荒れる。
氷の世界を融かそうとする炎は、誰かの大事な人を理不尽に奪って、新たな呪いを生み出す。
このあまりにもままならない世界で、到達しうる場所は何なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
残酷な対価に報いるほどの希望は、いかに描かれるべきなのか。
それでも、見つけてくれてありがとう。
そう祈れる物語を編むから、俺は幾原邦彦がずっと好きだったし、これからも好きだろう。
残り4話、クライマックスを駆け下りる物語にこのサブタイが付いてるのは、『この作品を見つけてくれてありがとう』という作者の祈りであり、『このお話に反射する自分の在り方を、届けてくれてありがとう』という視聴者…僕の感謝なのかななど、あからさまに過剰な読みと語りも、思わずするのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
追記 つまりそれは、『お前らもこの痛くて辛いアニメを覚えておけ』という、イクニの呪詛であり祝福なのだ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
死病とずっと向き合ってきた陽毬が、たとえ自己暗示の慰みだとしても『覚えてくれる人達がいることは、誰にも奪えない救い』というのは、気高く正しい一つの答えだろう。
世界は理不尽な死に満ちて、それは覆せない。
ピングドラムを求めても、桃果は復活しないのだ。
この物語の決着が、灰に残ったスズの心臓のような思い出を生存者から奪う残酷も含めて、この何気ない会話は見返せばこそ刺さる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月24日
桃果を覚えていればこそ、生存者達は奇跡と復讐を願った。
救いは常に、呪詛の背中に張り付き続ける。