プロセカイベスト”いつか、絶望の底から”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
一人は過剰な救済に押しつぶされかけ、もう一人は眩い虚無の中で真白に溶けかけていた。
渇望を音符に込めてかき鳴らした歌が、かくしてパンドラの箱を開く。
そこから溢れたのは数多の災厄と、たった一つの希望(エルピス)…。
そんな感じのニーゴ/ZEROである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
一つのエンドマークの直後に己の始まりを語る、大変変則的な語り口が、非常にこのユニットらしい。
こうして描かれてみると、そういえば彼女たちのユニットストーリーは『ユニットの結成』が軸ではなかったな、と思い知らされる。
物語の始まりから音楽も繋がりもそこにあって、しかし始まっているからといってそれが救いでもなかった者たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
それが二年間、出会ってぶつかって手を差し伸べあって、隣りにいたことにどんな意味があったのか。
始まりの虚無と祈りを描くことで、ニーゴの現在地がより鮮明になっていく。
二年前のまふゆと奏は現在より遥かに激ヤバ人間で、片や過剰な救済意識でぶっ倒れるまでセルフネグレクト、片や母が押し付ける優しさの荒縄で窒息してキツめの抑鬱状態である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
『あと半歩何かが間違えていたら、簡単に死んでたんだろうなぁ…』と思わされるエグさが、容赦名がなくていい。
そんな状態からお互いゴロゴロ人生を転がり合って、穏やかに見守り支え続けてくれた穂波の助けなどもありつつ、なんとか『出会えて、生きててよかったと思う』と言えるところまで、元”だれもいないセカイ”の主はたどり着けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
僕は凄くシンプルに、そのことが嬉しかった。
その歪みと渇望がエンジンとなってる物語が終わる瞬間まで、まふゆは”まとも”になることを許されないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
それでも薄紙を重ねるように、実感のない暗い場所に光が戻り、冷たく冷えた場所に温もりが宿っていく。
そのかすかな救いが、奏の祈りを叶えても行く。
救われきることも、完全な虚無に食われることもなく、一個ずつ運命と偶然に奪われたものを取り戻していく子どもたちの、確かな歩み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
ニーゴが歩んでいる物語の独自性と普遍性を確認する上で、その始まりを追えたのはやはり良かった。
こちらが想定していたより、強く宿命の出会いであった。
まふゆはファーストコンタクトの段階で、奏に闇の中の光を、絶望に屈しない祈りを見出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
諦めることが出来ないからこそ、彼女はあれだけ傷つきあれだけ荒廃していくわけだが、そこには熾火のように静かに揺らめく強い魂が、音楽となって燃え盛る。
その輝きが、なにもないはずのまふゆを惹き付ける。
奏はまふゆの音楽に、真っ白な光の中の濃い闇を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
それは諦めることが出来ない彼女にはない、むせ返るような虚無と諦観であり、同時に飲まれてなお諦めきれない切実さが、黒の中の黒として強く滲む。
光の中の闇、闇の中の光。
お互いの個性と境遇を混ぜ合わせながら、顔も知らず出会った二人。
陰陽混ざり合う太極図(☯)にも似た相補性が、二人には既にあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
お互いの過剰がお互いの欠落に深く突き刺さり、顔も素性も知らないネットを通じ、言葉よりも率直な音楽によって暴かれ、混ざり合っていく。
まふゆにはKが、奏には雪が、それぞれの運命として向かい合わなければなからなかった必然
主役を実質二人に絞って深くえぐる今回、特にまふゆの人格が、ぐっと立体感を増した感じがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
無論奏とお婆ちゃんとの距離感が描かれたり、穂波との因縁がただの生活介助者ではなく、文字通り命の恩人として始まっていることがわかったり、そっちもいい表現なのだが。
奏が家事手伝いを受け入れる時、『このままだと死ぬから』ではなく『音楽を作れなくなるから』穂波を自分の人生に入れるあたり、やっぱ強く壊れてんだな、と納得した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
許されざる罪をそれでも贖うためには、作り続けるしかない。
そこで”音楽”を選ばざるを得ない必然が、痛ましくも眩しい。
まふゆもまた、何かを変えようとしてそれが霧散する無力感の中でKの音楽に突き刺され、死んだはずの心が動き出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
そこで感動できる感受性がギリギリ残っていて、Kの活動に偶然触れ合えたことが、死にたい消えたい以上無い彼女の運命を、大きく変えていく。
それと同時に、まふゆに”感動の模倣”という手段を示唆してくれた音楽教師との、顔のない出会いも描かれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
彼女との何気ない会話がなければ、雪は音楽を作ってみようとは思わず、Kが自分とは違うクリエイティビティに感動することもなかったはずだ。
立ち絵があって声がつく、作品にとって特別な存在以外にも運命を転がす出会いは随所にあって、そんな小さな奇跡を今のまふゆは、なかなか思い出せない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
いつかマリオネットの糸を切り、空っぽを満たした…あるいは取り戻した時、彼女は自分を導いた奇縁を思い出すのだろうか?
それは未来の話として、まふゆはKの楽曲を模倣することから、自身の創作を始める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
何もわからない白紙に、真似したいと思えるほど強く心を動かした存在の軌跡をなぞっていく。
真実虚無に諦めている人間ならば、そんなことはしない。
そんなふうに、誰かや何かを好きになれない。
盲目な優しさで世界を埋め尽くす母に押しつぶされて、まふゆはどんどん無力に、離人した虚しさに追い込まれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
しかし今回彼女は、幾度も『やってみたけどだめだった。何も変わらなかった』と内言する。
それは、未だ変わりたいと思える祈りが、生きたいと願う気持ちが…
一見恵まれた家庭環境と、完璧な優等生の白い仮面の奥にあるブラックホールの更に奥に、眩く燃えているから生まれる感情だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
まふゆもまた、諦めきれない。
そんな人間が本当に、魂の手綱を手放そうとした瞬間、救済の約束を身勝手に叩きつけて現世につないだ物語が、ニーゴのユニストなのだろう。
虚無に食われて死にたいと思う引力と、より良く生きたいと祈る思いに挟まれ揺らぎながら、少女たちは25時に祈る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
仮の名前、見えない顔、知らない事情。
現実から遊離したネット空間だからこそ、己を縛り傷つける鎖を解いて、自分たちを繋ぎ治せるかけがえなさ。
家族は真綿で首を絞め、あるいは呪いを残して目を閉じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
家は氷で身内は毒で、大事なリアルこそが私を傷つけていく。
そんな連中が寄り集まって見つけたのは、誰もいないところから始まって、誰かがいる場所になったセカイだ。
そこには確かに歌があり、思い出がある。
破壊による変化を体現するニゴルカの導きにより、今回ニゴミクさんは初めてセカイの外に出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
かなりの大事件だと思うが、同時に彼女の変化(が反射する、セカイの主たるまふゆの変化、ニーゴの変化)を思えば、納得の突破でもあろう。
ニゴミクさんは今回もとても純粋で、限りなく優しかった。
まふゆ達がこないと寂しいけど、ここは苦しい時に来る場所だから、寂しいほうが多分いい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
そんなことを永遠の少女に言われてしまうと、オッサンの涙腺に大ダメージであるけども。
あやとりや塗り絵を手渡されて、ニゴミクさんの情緒は誰かを思い寂しさを抱きしめれるところまで、成熟したのだ。
思春期の切実さや過ちをまるごと刻みつけて、オトナになってマトモになった果てでもなお、その苦しさに意味はあったと、ずっと覚えている存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
ニゴミクさんはセカイのミクで最も、『セカイが終わった後』を強く認識し、幾度も語りかける存在である。一番幼く思えるのになぁ…。
ニーゴのキャラクター造形、音楽性、文化的スタンスが示す、思春期一過性の大暴走。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
闇で病みなボカロ楽曲の薄暗さを一身に背負い、『まぁそれもミクだよね』みたいな浅薄な決めつけを、ニーゴの物語とアシンメトリーなミクの存在は跳ね除けていく。
それは、確かにそこにあった。
病んでいたことも、消えたかったことも、それでもここにいると誰かに歌ってほしかったことも、それをミクが果たしてくれたことも、何もかもが嘘ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
既に思春期を生存した元少年少女が、思い出とともに”懐かしのボカロ曲”を語りうる立場になってなお、それは確かにあった…
し、現在進行系で自分を包囲する青臭さと暗さと訳のわからなさと苦しさを、VOCALOIDの音楽に切開されてなんとか息を継いでいる存在が、世界中にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
明るく正しく生きれるものにも、ねじれた闇の中光を探すものにも。
ともに個別の苦しみがあり、かけがえのない出会いと決意があるはずで、あるべきだ
そんなことを、ニーゴとビビバスがおんなじアプリに、おんなじ作品世界に入り混じってるこのお話からは感じたりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
お互いの苦しさは別々であったとしても、けして本当にわかり合うことなんてなかったとしても。
そこに音楽は橋を架けるし、側にいると近づいていく事も不可能じゃない。
まふゆが自分の凍りかけた心を揺り動かした音楽を必死に模倣して、それに近づき分かろうとしたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
Kが自分の楽曲を稚拙にアレンジした雪から、黒いマグマのような熱と個性を感じ取り、ナイトコードでアプローチをかけたように。
皆哀しく一人で、けして一人ではない。
そんな運命が既に繋がっていたから、ニーゴはその物語の最初から既に四人であったし、マトモでも優しくもない四人がぶつかり傷つけ合いながら、それでも悔やむ以外のミライを探して進む道が、ゆっくり転がりだしていくのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
その根源に、一体何があったのか。
よく分かるエピソードだった。
ニゴミクさんがセカイを出て、大好きなましろの世界の手触りを、苦しかった過去を苦しいまま、それでも『少しは良くなった』と思える今を一緒に呼吸できたのは、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
それはニゴミクさん自身の変化であり救いであり、同時に彼女が反射するましろの律動を表してもいる。
赤子のように純朴に世界を知って、自分と大事な人を学んでいくニゴミクさんの透明さは、徒労感に濁りきったように見えるまふゆの奥底にある、けして消えない純白の反射なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
まふゆはずっと、自分だけが感じるものがあり、やりたいことがある。
それは愛に押しつぶされ、無理解に殺された。
しかし、死にきっていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
その欠片を奏が、エゴイスティックな救済の約束で、二人をつないだハジマリノオトですくい上げたからこそ、まふゆは死なずに生きて、色んなことと出会った。
心が動いた兆しを詩にして、仲間と作品にまとめて世に問えた。
原点を思い出したニーゴは、まだまだ作品を作っていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
言えない苦しさと、癒えない痛みはずっと長く残響しながら、それでもちょっとずつ飲み込み方を覚え、それを歌にして吐き出していく。
窒息性の現実を、どうにか生き延びていくための武器としての音楽。
行ったり来たり、新しいものに出会ったり古いものを思い出したりしながら、ニーゴの四人はそれを紡いでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
ずっと命がけで、切実で、不格好で、必死な物語。
そういうモノが、どこか淡々と当たり前の人生の一幕として、静かに積み上がっていく様子が僕は、とても好きなのだ。
そしてそこには音楽があり、表現がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
曲があり、詩があり、それを彩る絵と映像がある。
VOCALOIDを通じた文化表現が、必ずしも”音楽”だけに限定されない豊かさを、この限界人間集団が一番分厚く背負っているのは、なかなかに面白いなぁ、と思う。
色んな奴がいて、色んな表現がある。
言葉で上手くいえないものも、音符と絵筆に乗っけた時なんとか、他人に伝わる形になってくれるかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
血を吐くように紡いだ歌が、誰かの救いになるかもしれない。
ものを作って届ける行為は、多分どっかにそういう祈りを宿すのだろう。
それが壊れた存在を治し…あるいは作り変えていくのか。
ニーゴのドラマとキャラクターが抱えた難しさを思えば、それはじっくり時間をかけて問われるべきだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月26日
”待つ”覚悟を固めた絵名を見ても、弱さやいびつさ引っくるめて、生きたいとか死にたいとか考える心に向き合うお話は、このゼロから長く続いていく。
その姿勢が、僕は好きで嬉しい。次回も楽しみ