平家物語を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
徳子入内より六年、未だ授からぬ子を一文は厳島に祈る。
朝廷と貴族、寺院に武士。
変わりゆく時代は様々な勢力に反目を生み、陰謀は鴨川の水のように溢れる。
忠ならんと欲すれば考ならず。
父の野望が国父を討つ土壇場で、重盛は己の首を運命の盤上に擲った。
そんな感じの平家黄金期終わりの始まり、鹿ヶ谷陰謀始末な平家物語、第3話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
水運の一族たる平家の屋根に身を寄せながら、ゲーゲー吐き戻すびわは、六年の月日を経てなお童形の禿髪のままである。
彼女は相変わらず平家でもなく、女でもないマージナルな存在だ
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/9G61DsCir1
再開した徳子は昔のまま気安い、優しい姉の如き態度を守っているように見えて、子を成すことで政治の盤上に唯一”効く”女の立場を、嫌というほど知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
六年の年月は夫が他の女に思いを寄せる辛さと、それもまた貴種の重責ゆえと飲み込む聞き分けの良さを、少女に与えていた。
維盛が一門の大事に、華やかなる厳島の日々はもはや夢と悟ったように、皆がびわを置き去りに大人になっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
びわだけが特権的に子供時代に保護されるが、それは戦乱へとうねって行く運命の波にはじき出され、延々ゲーゲー吐く客人の立場を出れない、ということでもある。
この境界的な特権はびわ(に仮託される、既に結末を知りつつ物語を見ることしか出来ない僕ら)が、歴史の現場に居合わせることを許し、同時に見るだけで何も出来ない無力を痛感させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
実子が踏み出せなかった父・重盛覚悟の決戦に、この世ならざるものを見る同士として同行する特権。
しかしそれは頼山陽”日本外史”に綴られる、忠孝相反の苦しみを史書に刻んだ既定路線へと、重盛を送り出すことにしかならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
びわが隣りにいることは、歴史の流れを変ええない。
では水の民である平家は、その流れを乗りこなしているのか。
誰も、運命をさかしまに泳ぐことは出来ない。
恋に舞に諦めに、おずおずと大人へと脱皮していく重盛の子たちが軒並み、水に食われて死んでいく未来を思うと、びわが水になじまずゲーゲー吐いてる出だしは、笑ってばかりもいられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
平家の水になじまぬからこそ、びわは歴史の達観者として生き延びていく。
平家の水になじまぬからこそ、徳子の入内、安徳天皇の出産、幼き即位と更に幼きその終わりへと繋がっていく運命を、すがっても止めることは叶わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
重盛覚悟の瞬間に同席しても、決死の訴えが例えば父清盛を殺す道に繋がるような、運命双六をひっくり返す力は持ち得ない。
その上で、愛人の存在を救いと噛みしめる徳子の背中、鎧を着込んでいきり立つ清盛の憤怒、忠孝並び立たぬ現実にそれでも己を立てる重盛の決意は、今そこにある現実である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
哀しみも喜びも、ままならぬ世の中に翻弄される辛さも、ただただ今そこにある現実として、必死に生きられている。
花が咲き散る一瞬一瞬を。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
厳島の風に美しい舞が捧げられる華やぎを。
たとえ未来がそれを裏切るとしても、確かにそこにあったものとして刻んでいく。
あるいはその一瞬一瞬の積み重ねが、必然の運命を導く不可思議を編み上げていく。
おそらく、そういうアニメである。
重盛の子らは、平家ならざるびわと平らに接する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
血縁よりも麗しい縁が大鳥居によく生えて眩しいが、彼らの父は半分しか血が繋がらぬ弟との関係に悩み、主君と家族の間で強く揺れる。
しっかしフグ好きだね山田監督…”リズ”の理科室思い出すよ。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/b48b6AHqon
少年から青年へ、恋を知り責務を知っていく兄弟を、びわは遠くで見送っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
干潮がくれた奇跡の時間、足首まで潮に浸かって無邪気に遊ぶ彼らがどこに消えていくかを、びわの青い瞳は見据えているのか。
彼らと同じ末路に、平家ならざるびわ、時代の観測者たるびわは飛び込めない
今回のエピソードはカメラをナメるよう配置された柱が、分断をよく強調する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
武家勢力の対等をよく思わぬ旧貴族と朝廷、俗世政治と重なりつつ独立した寺社勢力。
平家の栄華をよく思わぬ者たちは、垂直の線にお互いを退けている。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/0v3slNCL0B
平家一門もまた柱で隔たれ、血が繋がればこそ譲れぬもの、血が繋がらぬからこその反目が、随所に牙を剥く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
より善く、より幸福な世界を作りたいと強く願っても、それぞれの立場と家が柱となり壁となり、自由な交流を邪魔立てする。
兎にも角にも、思いとは繋がらず果たされぬものである。
延暦寺の強訴を重盛は穏便に、神の権威を保ったまま収めたかったが、それは果たせない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
薙刀を持った僧兵と、袈裟を着て謀略を企む法王達。
政治と宗教は危険なほどに接近していて、そこに武力が絡むと、もう雁字搦めの泥沼である。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/DSj96618xF
盃に満たした陰謀の毒杯を、坊主が飲むや飲まざるや。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
前回祇王を主役にその清廉な救済を見せつけた”出家”は、今回聖俗両面にとって建前でしか無い。
血と炎に彩られ、弓矢で汚される聖性に、しかし清盛もまた縋っている。
彼の装束が袈裟で始まり鎧で終わるのは、なんとも複雑で、鮮烈な表現だ。
僧兵を養い強訴に打って出る延暦寺も、袈裟を身にまといつつ酒呑んで陰謀にうつつを抜かす法王達も、みな後生の救いなど見てはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
ポッと出の新参が気に食わねぇ。
尊いはずの俺たちを敬わねぇ。
力もねぇのにえばり腐りやがって。
そんな粘ついた情念が、宗教と政治が癒着した巷に強く臭う。
五葷の禁を破る韮湯は、つまり後白河法皇が歴史上最強の”生臭坊主”であることを語っているわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
今様に盛り上がり、一瞬通じたように思える平家と朝廷の思いも、激しい運命の波に翻弄され、無慈悲に離れていく。
無邪気と思えた子供たちも、既にその虚しさをよく知っている。
男女の契りも、主君の忠義も、親子の情も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
何もかもが裏腹にままならない世界の中で、重盛は必死に抗う。
此処に平家棟梁の貫禄がずずいと顔を出し、優しいダディは命の捨てどころへと、武士の顔で真っすぐ突き進んでいく。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/HDHIcOc8WD
『ならぬ』と告げるその言葉の重さ、背中のデカさを男兄弟はしかと理解し、何かが決定的に終わっていく予感に震える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
大木の如き存在感に(史実通り)踏み込めないままの兄弟を置き去りに、びわは思い出に突き動かされて父の背中を追う。
あのときは、何も出来ず見ることしか出なかった覚悟の死。
それにすがりつくために、びわは動かしがたい壁を突き抜け、重盛の背中にすがりつく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
『おっとうが…』の先を言わぬ、言えぬ切実に込められた思いを受け取り、重盛も重く瞳を閉じる。
血の繋がらぬ親子はここで、未来と過去を見る瞳を閉じ、お互いの心だけを覗き込む
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/oIeJEo9RUH
無明の闇の中、お互いの温もりだけが夜に伝わるこの瞬間は、ただ親子の情愛だけでなく、この世知辛い俗世に気高く生まれつき、見えぬものが見えてしまう苦しさを共有する同志としてのかけがえなさが、熱く燃えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
それは清盛を焼く憤怒の烈火とは、また違った色の炎だ。
後に都を焼き、平家を焼く炎を予感するように、寺が燃え屋敷が崩れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
運命の賽は既に投げられ、素っ首は椿の花のようにばらりと落ちる。
清盛は”面白かろう?”の好々爺から、一代で家門をもり立てた苛烈な素顔を、鎧に包んで世間に差し出す。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/O22ow52kyR
何もかもが不確かで、激しく、危うい時代。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
風雅な舞に興じていても、”平家”の根底を支えたのは刃の強さであり、それを一番良く分かっているのは清盛と重盛である。
危機に揺るがぬ益荒男であることだけが、一宇門の存在感を世に知らしめ、殺されずに殺す道を開いてきたのだ。
そのためならば親も殺し、兄弟と相食み、裏切りと血に塗れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
袈裟にそんな過去を隠したように見えて、清盛の地金は緋縅の甲冑、憎悪と怒りに塗れた修羅の顔である。
ここまで清盛の人生双六、目は吉と出てきた。
富み、騙し、奪い、楽しむ。
それは常に是であったのだ。
その邪魔になるのであれば、よんどころの亡き血筋であろうとも、婚礼で繋がる家族であろうとも、目にもの思い知らせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
そういう獣のルールに、一代成り上がりの当主は大変敏感である。
だから『オメーも下賤じゃねぇか』と言われて、図星をつかれてキレるのだ。
怒りに塞がれた瞳に、畢竟極まった己の思い、生き死に全てを預けてしまう覚悟だけが、するりと滑り込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
白か黒か、忠か考か、戦争か平和か。
割り切ればこそ栄華の道行きは進めるのかもしれないが、ならば息子の素っ首、切り落としていただきたい。
(画像は”平家物語”第3話から引用) pic.twitter.com/CcYIpQUaTs
平家の未来を唯一背負いうる知恵と勇気の持ち主が、天下人の前にすっくと、巨大な柱のようにそびえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
これを越えて野心に奔るか、はたまた矛を収めて新たな賽を降るか。
清盛に一考を差し出せるのは、この修羅場に腹決めて突き進んだ我らの親父と、その背にすがりついた愛娘だけである。
法王への忠義、恩義の分厚さを、平家旗印たる”紅”に例える教養の切れ味なども含めて、重盛の圧倒的存在感が、武士としての凄みが印象深いエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
傑物・平清盛を前に唯一、怯まず己を投げ出せる存在だからこそ、その衣鉢を継げるだけの器量がある。
そう描いておいて、運命はさらなる過酷を重盛に、平家に、びわに強いてくるわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
こんだけダディが人間として、武士として、英雄としてすんげぇ存在だと、彼が大活躍してハッピーエンド! ってのを、まぁ期待しちゃうよな…。
体重乗せた上で足払い食らわす業前が鋭いね、史実もアニメも。
ぬるりと総体を見せぬ妖怪爺だった清盛が、憤怒の怪物としての表情を強く見せたのも、大変強烈でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
まーここで修羅になれるから、歌って踊って平家天下祭も開催できたわけでね。
ナメられたら殺す。
このシンプルな行動理念は、どんだけ貴族化しても抜けねぇよなぁ…。
さて毒杯を酒盃と思い込んで飲み干した者たちの、運命はどう転がっていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
その命運を握っているように思える平家も、定めの激浪に弄ばれていく。
蒼き瞳を持たずとも、維盛は正しく、自分たちの幼年期が、平家の黄金時代が終わる瞬間を、正しく見据えていた。
人とは、そういうものかもしれない。
それでも、あまりに大きな時代の流れ、無常なる宿命に、譲れぬなにかを突き立てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月1日
鎧をまとわぬ重盛が差し出した人の尊厳を、清盛はどう受け取るのか。
そこには政治の一大事と、親子の畢竟が否応なく、強く混じり合っている。
壁に阻まれ柱を超え、物語は転がる。次回も楽しみ。
追記 『平家物語の重盛とびわの関係は簡単に言うとどんな関係なんでしょうか?』というマシュマロを受けて、自分なりの答え。
ご質問ありがとうございます。
1 贖罪の相手/仇
2 同じ異形の瞳を宿す同志
3 血縁のない親子
4 決意を秘めた大人とそれを止め得ぬ子供
5 乱世に生きる導きを与える師弟
が混ざりあった、超多層的な関係だと思います。
これに加えて、”平家物語”を高速でドライヴさせる無常エンジン作中最大の犠牲者と、それを無力に観測することで視聴者に届ける主役=語り部という、メタ的に分割され混じり合う関係も重なってますね。
びわは僕らが前提として知りうる”決まりきった最終回”まで、絶対に生き延びる立場と宿命にある。
他方重盛はそういうプロテクトがなく、過酷な運命にあっけなく命を奪われる側に立ちます。
しかしびわがタッチし得ない大きな運命の流れに、平家最大の英傑として触れ得る当事者の立場にある。
この物語に関与しうるからこそ運命にもてあそばれる立場と、原典に存在し得ないオリジナルの視点だからこそ生存と無力を約束されているびわのポジションは、ある意味生者と亡霊のように相反します。
が、彼らは世界で唯一同じものを見れる間柄であり、これ以上無いほどの温もりでお互いを包み合う家族であり、同じ時間と同じ思いを必死に生きた同時代人でもある。
なんとはなしに結末は知ってる、分かった気になっている”平家物語”を今生きた物語として視聴者に届けるに辺り、結末が見えて触れ得ないびわを主役に据えた上で、遠い物語内部のキャラクターが血の通った命なのだとわからせるための、徳子と並ぶ最大のアンカーでもあるでしょう。
第1話の描き方から考えても、人があっさり死ぬ乱世にあって仁を知り、命の等しさに膝を曲げる重盛は現代的な感性が共感する”いい人”として描かれている。
それが儚く、平家一門存亡の際であっけなく散ってしまうことで、びわ≒視聴者にあの時代の厳しい空気を伝える立場でもあるかな、と思います。
作劇の力学から考えて、一番死んでほしくない人に死んでもらうのが一番刺さるわけで、重盛ダディを人物として描けていることは、既に定められている今後の展開を飲ませるオブラートとしても、また劇薬としても機能すると思います。
重盛のような優れた人もまた、志半ばに死んでしまう。
何もかもが儚く酷な世界を、びわは二人の父を奪われて生き延び、”実父と同じ琵琶法師になることで、重盛の生き様を語ることで、その物語を永遠にしていきます。
そういう意味では、作者とキャラクター、現実とフィクションという関係性もまた、そこに宿ってる気はしますね。