鬼滅の刃 遊郭編を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
戦いは終わった。
妓夫太郎の毒は優しさを取り戻した禰豆子の術で解かれ、戦士たちは傷つきつつも生き延びた。
残るは死に瀕してなお、悪口を垂れ流す鬼の始末。
妬み、憎み、取り立てられ…それだけが全てと追い詰められたものに、突き刺さるは鬼滅の刃か、慈悲の引導か…。
そんな感じの遊郭編最終回、喰らえ悪鬼の悲しい過去! こんなに悲しいことがあるかよ…である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
どっしり45分、兄弟が鬼に堕ちるしかなかった生前の因果を語り尽くし、充実した終わりだったと思います。
ギャグ顔が解禁されたので、『お、生存ルートだな!』って安心できるのも嬉しい。
お兄ちゃん最後のあがきは、温存されてたまさに鬼札、ちびっ子禰豆子がトテトテ駆け回ってヒールしてくれたおかげで、大体なんとかなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
ご都合…と言えばそうなんだが、炭治郎が暴走する戦力として妹を使わず、背中に守って眠らせてやった報いが、巡り巡って毒を抜いてる…とも言える。
お目々まんまるなねじゅこちゃんが、ちょっと前までボインになって血みどろ残虐ファイトしてたとは思えないが、それもまた禰豆子の可能性である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
兄貴が体を張って守り、口下手な水柱が血を吸う口を竹で塞いだからこそ、禰豆子は自分の炎を癒やしの力として、優しく使うことが出来る。
人生の土壇場で冨岡義勇に出逢った竈門兄妹と、よりにもよって人食いの鬼に行きあってしまった妓夫太郎達の、紙一重のすれ違いを思わせる結末でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
縁と出会いによってどうとでも転がっていたんだろうが、同時にこうなるしかなかった結末。
それが首を落とされてなおいがみ合う鬼の末路であり、そこに竈門炭治郎が間に合う縁でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
あそこで炭治郎が口をふさぎ言葉をかけなければ、兄妹はお互いの名前も、寒風吹きすさぶ現世でなぜ、生き延びられたかも思い出せなかっただろう。
憎悪に塗れ家族も罵る、鬼として死んでいただろう。
炭治郎は二人の末期に、引導を渡したんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
死にゆくものが迷わず冥府を下って、より良く仏になるように葬礼でかける言葉。
暗い黄泉路、唯一の導き。
『説教すんな!』という梅ちゃんのリアクションも、”説教”という言葉の原義を考えると、あれが葬儀であったことを教える。
無論炭治郎は坊主修行をしたわけではないので、定まった法としていがみ合う死者に、法話をしたわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
ただただ、辛いことの沢山あった自分、一歩間違えば鬼になっていただろう己に目の前のいがみ合いを引き寄せて、『この罵りが、本当であって欲しくは無い』という祈りを、ただ手渡したのだ。
それは鬼の悪血、長い年月に塗り潰されてしまった妓夫太郎の魂を拭い、自分がどんな人間であったかを思い出させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
遊郭の泥の底に生まれ、愛された思い出も守られた記憶もなく、獣の血を啜り他人を害して生きてきた、現し世の醜き悪鬼。
それが、妓夫太郎という人間である。
浅ましき欲望と、他人を踏みにじる暴力。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
性と暴力と金、人間の一番汚ねぇ部分を煮詰めた場所だからこそ、話の舞台として”遊郭”を選んだ意味が、妓夫太郎の末期に見えてくる。
華やかに輝いた綾錦も、確かにそこにあった優しさも、けして嘘ではない。
それと同じように、このドブの臭気も本物だ。
汚濁と清廉が入り交じる人間曼荼羅の、一番キツくて脂っこい場所に、妓夫太郎は産み落とされ、妹を人生の星と見た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
お前がいれば、なんとでも生きていける。
そういう唯一の存在を見つけて、妓夫太郎は悪縁を噛み砕きながら生き延びていく。
守る、育てる、生き続ける。
恐れを知らない取り立て屋として、他人の恐れと恨みを買った果てに、あの結末もあるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
しかし汚れ仕事で銭を稼いで、妹にうめぇ稲荷をくわせてやりてぇという、あんまりにちっぽけで必死な優しさもまた、けして嘘ではなかったのだろう。
それは綺麗で汚い、人生の味だ。
鬼になってしまえば、恨み辛みばかりが増幅され、自分を変えることはもう出来なくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
綺麗な服着て憎い、雨風凌げて妬ましい。
骨髄まで染み込んだ苦しさから、妓夫太郎達が開放されることは、もうない。
首がねじ切れ、目の前に愛しい家族がいるのに、罵り合いを続けてしまう。
この軛から開放され、真っ暗な闇夜のようだった人生にも、確かに眩い輝き、優しきぬくもりがあったのだと思い出せるのが、二度目の死の瞬間しかないってのが、鬼の救いの無さ…であり、ギリギリの救いかな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
主役たちが”鬼滅の刃”である、大きな理由でもあろう。
売り言葉に買い言葉、妹の魂を砕く決定的な言葉を口から吐き出す前に、炭治郎は妓夫太郎の口をふさぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
それだけは、”兄”である彼は聞きたくなかったのだと思う。言わせたくなかったのだろう。
家族が死ぬ前も、死んだ後も、寒くて苦しい世界であるけども、それでも…。
炭治郎は鬼の事情を知ることもなく、ただただ身勝手な祈りを必死に編み上げるように、死地の妓夫太郎に差し出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
それがあることで、妓夫太郎は前世を思い出し、なぜ鬼になったかを思い返す。
それは妹だけの、俺だけの罪科じゃあなかった。
環境が悪を生むのか、悪が環境を蝕むのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
けして答えが出ない問いかけを、”染まりやすい”梅ちゃんへの後悔は暴く。
この世の地獄めいた郭の底辺で、生命の保証も魂の尊重も与えられず、顔の綺麗が命の分け目、稼げねぇ穀潰しの醜男はとっとと死ねと、石投げられて育ったこと。
その汚泥に飲まれて、暴力で他人を取り立てる生き様に飛び込み、背負った妹もまた、その色に染めてしまったこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
妓夫太郎は公開するが、果たして生まれは選べない。
あの悲惨の中で、(例えば竈門兄妹のような)強く正しい生き方を貫くのは、ひたすらに難しかろう。
それでもなお正しく生きれる人がいるからこそ、泥に飲まれ鬼になった妓夫太郎の首を切り、悪鬼の所業をせき止めてに来るわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
果たして別の場所に生まれ落ちていれば、毛筋ほど縁が変わっていれば、二人は鬼にならずに住んだのか。
鬼に堕ちる人間が弱いのか、落とす世間が悪いのか。
これもまた、けして答えが出ない…しかし考え続けるべき、大事な問いであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
鬼の所業は許せず、殺して止めるけども、しかし彼らは『あり得たかもしれない自分』であると、慈悲を込めて考えれる性根。
これが、竈門炭治郎をこの物語の主役にする、一番の資質だとも思う。
神も仏も皆殺しと、運命を恨み世を憎んだタイミングで、その恨みを永遠に固定する鬼の血を受けたのは、果たして妓夫太郎の幸か、不幸か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
これを裁く智慧は僕にはないが、敗北の決定だとなった炭治郎への歩み寄りを見るだに、修羅として生きるのは苦しかったのではないか、と思う。
なーんも良いことねぇまま悲惨に死んでおけば、せめて後生を汚すこともなかった……てのは、まぁあんまりに情けのねぇ感想で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
しかしただただ妬み、殺して奪う鬼の暮らしは、妓夫太郎を満たしはしなかったんだろうなぁ、とは思う。
そして生きてる間も死んでからも、殺す以外の道を教える人はなかった
『あなたの魂の奥底には、妹大事の優しさがあるよ』と、押し付けるように届いた炭治郎の祈りは、そんな悪鬼が末期に出逢った、ようやくの引導であったのだと、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
それで悪業が払われて成仏できるわけでは、けしてないけども。
進む先は、薄暗い地獄なのだけども。
童磨と行きあった時、郭の格子がまるで牢獄のように三人を捉えて窮屈なのが、とても示唆的だな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
鬼に変わって超人的な力を得、過去を忘れてエゴのままに振る舞うことは、けして自由ではない。
(画像は”鬼滅の刃 遊郭編”第11話から引用) pic.twitter.com/8biR7z13XD
ひどく寒々しく血なまぐさい場所へ、魂を閉じ込めてしまう”獄”なのだと、上手く示す絵だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
そして地獄は、常にこの世の中にある。
鼠の死骸で飢えを凌ぐ餓鬼道も、殺し争うしか無い修羅道も、浅ましく罵り合う畜生道も、全部この郭の只中にある。
”郭”が周囲を囲い込んだ場所を示すのも、ちと意味深ね
出口のない場所に生まれ、出口のないまま彷徨い、出口のないどん詰まりに終わった兄妹は、死の際でようやく道を選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
兄妹揃って闇に沈み、炎に焼かれて苦しみ続けるか。
悪縁を切って一人、妹を光の側へと進めていくか。
(画像は”鬼滅の刃 遊郭編”第11話から引用) pic.twitter.com/pSbDoSqqjR
自分の罪業…泥の底で人を害したことではなく、その泥に妹を引き込んだこと…を思い出した妓夫太郎は、進む道を闇一つに定める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
染まりやすい梅ちゃんは無罪と、光の側に押しのけようとした時、背中に宿るかつての温もり。
降りしきる雪の中、その肉を傘と守ってくれた約束。
それが兄妹を火焔の地獄に誘う、最後の引導である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
それを忘れていたから、首が落ちても狗のごとくわめき続け、言葉の牙でお互いを傷つけていた。
鬼の血を死が引っ剥がしてみれば、ただただ思い出されるのは背中に宿る温もりで、それがあるなら、業火も風の涼…か。
亡者の行く先は誰も知らないが、しかし二人、もはや離れることはないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
同じく妹を背負い、妹に背負われる”兄”として、炭治郎の勝手な祈りは叶った。
そもそも完全なハッピーエンドなどありえない、カルマに満ちた物語の決着としては、誠実で爽やかで…僕はとても好きだ。
宇髄さんが負傷退場で収まるんも、俺結構好きで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
煉獄さんの壮絶な退場は『上弦相手取るときは、柱は死ぬ』っていう無言のルールを敷きかけたわけだけど、それを踏まえて炭治郎たちが成長した結果、今回は死人無しで収まる。
勝利の代償として何を差し出すかは、別に固定された話じゃない。
それ示す決着なのは、なかなかいいと思うんだよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
何かと死を覚悟した悲愴美に酔っ払いがちな作風ではあるので、勝って生き残り、傷ついた惨めさを隣に進む生き汚さを刻むのは、とても大事だと思う。
その惨めさを拒絶すると、簡単に鬼に堕ちるしね…。
という感じで、鬼滅アニメ遊郭編、堂々の最終回でありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
いやー…色々文句もいうけども、やっぱ鬼滅のアニメ、凄いし面白いなぁ…てのが、今の正直な感想であります。
大変面白かった。
ありがとうございます、お疲れさまでした。
やっぱクドいところはクドいし、力んでるところは過剰に力んでいて飲み込みにくいのだが、そのパンパンに張り詰めた気合だけが成し遂げうるものが確かにあるなぁ、という実感を、11話見るうちに確かめました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月13日
やっぱ生け花したり三味線弾いたりする所、あんな頑張る必要はねぇ。
しかし全領域手抜かりなし、一瞬一瞬をバキバキに仕上げきることで貫ける作風というのも、確かにあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
それが”笑い”と相当に相性悪くて、空気の気楽な抜きどころが機能していないってのは、まぁアニ滅の一番難しいところだと思うけども。
その上でグリングリン動き回る高速バトルでしか生まれ得ない迫力とか、優れた撮影が生み出す圧倒的な詩情だとか、異能の剣士と頂上の鬼がぶつかり合う臨場感だとか、最上級の力強さをたっぷりと味わい、大変に満足もしてます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
いやー…思い返すと、やっぱ狂ったクオリティだな…。
原作に刻まれた力みどころと、この過剰にパンプアップした作風が噛み合ったときは、やっぱり尋常ではないパワーが、画面全部に満ち満ちていました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
クオリティで殴るべきベストタイミングを、常時それに相応しいクオリティで突っ走っているので、絶対に逃さない作風というか…かなり滅茶苦茶な作りだ
僕はもう原作読んでしまっている立場なので、どうしても”答え合わせ”的な視線が宿るわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
『ああ、ここはこういう意味だったんだな』と、お話の意味に出会い直すシーンが遊郭編結構あって、僕にとってはなかなかいい”アニメ化”だったと思います。
宇髄さんが骨の髄まで”忍び”で、それを跳ね除けるようにド派手な神様やろうとしてた尊い嘘とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
炭治郎を鬼に誘うしかなかった妓夫太郎の、荒れ狂う態度の奥の苦しさと寂しさとか。
原作読んだときは取りこぼしてしまったものを、良い絵とドラマで手渡してくれたのは、とてもありがたい。
まぁそれは、僕が原作ちゃんと読めてない…っていう証拠でもあるんですけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
でもそんな怠け者の読者の襟を正し、作品と向き直るチャンスをくれるだけの迫力が、しっかりアニメに宿っているってのは凄いし、ありがたいことだと思います。
なんだかんだ、アニメが”鬼滅”を読み直し、語り直す主筋は好き
お話としては初の上弦との正面対峙(猗窩座はあくまで不慮の遭遇扱い)ということで、鬼の背負った因縁の重たさ込みで、相応しい激戦でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
狂気的な美術でもって”郭”って場所の匂いと手触りを削り出して、『これでもかッ!』とばかりボコボコ殴ってきたの、最高に良かった。
やっぱ『現し世こそ地獄で、鬼はそこから生まれるんだ』つう視点が、このお話濃い気がするんですよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
欲と業が煮詰まった泥から、艶やかな花が咲いて生き血をすする遊郭って場所を舞台に選んだのは、そこが一番、人間のカルマに焦点がある場所だからじゃないかなぁ。
無論郭の外にも苦界は広がっていて、鬼になるものもならぬものも、それぞれの地獄を背負って戦いに赴くわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
最終話に暴かれた兄妹の前世の因業、その始末は、郭でしか描けない汚濁と祈りがこもっていて、この舞台、この話だからこその必然性みたいのを、強く感じました。
何しろ救いのねぇ話であり、一切日和らないバイオレンス表現も暴れ倒して、いかさま血腥いわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
そういう物語に一筋、地獄に仏の引導を差し出せる主人公の特別さも、妓夫太郎と”兄”という立場を共有し、対置される中で、よく描かれてたかな。
やっぱ生来阿闍梨よなー、竈門炭治郎。
無限列車編とダイレクトに繋がる構成になったわけですが、あそこで煉獄さんの骸を前にした無念が子供らをどう鍛えたか、試すエピソードになってるなってのも、アニメになって見えた発見でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
血しぶき塗れの残酷な話なんだが、そういう手応えがちゃんとあるのが、なかなか強い所。
というわけで遊郭編、大変楽しかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月14日
国民的コンテンツになっちゃったんで、その売り方売れ方に色々気になるところは当然あるんだけども、それはそれとして、やっぱいい話だしいいアニメだと思います。
ここから続く刀鍛冶の里編を楽しみに待ちつつ、今はお疲れ様を。
ありがとうございました!