ヴァニタスの手記を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
無垢なる大天使が見守る中、ヴァニタスとノエは殺し合う。
雨だれが重力に引かれて堕ちるように、愛憎に引き寄せられ動く傀儡。
その糸がどこに繋がり、どんな顔をしているのか。
血で眼が曇っても、確かに胸の中にある光が、その姿を照らすなら…
そんな感じの血みどろガチバトル IN 廃遊園地! アガるバトルで最終回一個前の、ヴァニタスのカルテ第23話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
2クールの物語を締めくくるのが主役同士のガチ殺り合いってのもなかなか凄いが、エゴと愛に塗れたお話の総決算としては、なかなか良い惨劇だと感じる。
全体的に”眼”に力の入った演出で、”視る”ことが迷妄の突破口になりそうなドラマとしっかり噛み合って、大変力強かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
二話前まで甘々ラブコメしてた青少年だが、今はこんな感じ。良いねェ~~~。
(画像は”ヴァニタスの手記”より引用。) pic.twitter.com/30bYD08klg
ミハイルが編み上げた因果の蜘蛛の巣にとらわれて、荒んだ眼で惨劇を演じることのなった傷追い人達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
これまで描かれた友情や愛は全部まやかしで、この後輩こそが彼らの真実…かと問われれば、けしてそうではない事を、ノエは思い出していく。
しかしそれは、独力では叶わない。
ヴァニタスと正面対峙し、ドミニクが血みどろの決闘を見守る残酷なトロフィーとして動けない間は、闘いは殺すか殺されるか…ノエが超越者の傲慢に溺れている以上、”殺される”以外に道のない、渇いた戦闘でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ヨハンが正しく指摘するように、この闘いはノエのウザさを暴く。
力があればこそ正しくもあれて、絶対に殺されない安全圏から理想を吠える偽善者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
話の最後に、主人公のそういう地金をバトルを通じて暴いていくのは、良いまとめだなぁ、と思う。
綺麗なものも薄汚れた泥も、全部ひっくるめて人間なのだと書いてきた筆は、主役も当然例外ではない。
苛まれ、奪われ続けてきたヴァニタスは己を弱者であると規定し、それでも譲れないもののために闘うすべを考え続けてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
過去を強制的に暴くアルシヴィストの牙が、自己暗示による最終安全装置を解除させ、どんな禍名と対峙したときよりも苛烈で強いヴァニタスを呼び覚ますのは、なんとも皮肉だ。
ミハイルは書由来の暗示能力を、無邪気に他人に使用して踏みにじるわけだが、ヴァニタスはそれを自分のリミッターを外し、蒼月の魔術師の遺言と己のプライドを護るために使う所が、面白い対比だな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
他人の心を弄べる凶悪な力が向くのは、自分だけでいい。
”医師”であり続けるためにも、ヴァニタスは幼き弟が簡単に踏み越えてしまった一線を堅牢に守り、まーた自分を蔑ろにする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
母を殺して生まれ、父の愛を確かめられずに死に、実験動物として苛まれ、再び出会えた肉親もこの手で殺した。
何も救えず、何も掴めず、誰にも愛されない孤独と自由。
それで雁字搦めになったヴァニタスが、誰も恨まず踏みつけにせず、”医師”として呪いを解き続けている姿は痛ましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
それを一番鮮明に見れるはずのノエは、加速する狂気に背中を押され、倫理的盲目に落ちていく。
悪し様に自分と世界を罵る青年が、どんな顔してたかを見れない。
かくして魔術ハッカーと超越種のガチバトルが始まるわけだが、それを彩るのは涙雨である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
周囲の環境をハックし、相手の甘さに漬け込むヴァニタスの闘いぶりは、彼がどんだけ余裕がないか…それでもなお、必死に闘い何かを掴もうとしているかを、良く語っていた。
相変わらず美術が良く、最終決戦の舞台を心地よく彩ってくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
雨にけぶる遊園地を照らす、オレンジの少し暖かな光。
それはミハイルの残酷な幼さを巧妙に照らし、残骸と化した思い出を浮かび上がらせる。
(画像は”ヴァニタスの手記”第22話から引用) pic.twitter.com/tFQGWZcYmU
ヴァニタスもノエもドミニクもジャンヌもミハイルも、この遊園地にいるものは皆思い出に縛られた亡者であり、大人になりきれない傷だらけの子供だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
瞳を閉じ孤独(じゆう)でいれば、その鎖からは解き放たれる。
でもその鎖は、落下する魂を繋いでくれる命綱でもある。
暗示の鎖に矛盾しないよう、自分を受け止めてくれるノエを意識のどこかで信頼/期待しながら、ドミニクは重力に身を任せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
そのことが、出口のないはずの血みどろに最初の突破口を開いていく。
愛すればこそもう喪えないと焦り、瞳を閉じて殺し合いに興じていたノエの眼を拓く。
それに加えて、ヒーローのように颯爽と登場したジャンヌがドミを請け負ってくれることで、ノエはミハイルが用意した蜘蛛の巣から開放されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ルカの命を受けたジャンヌは、もはや誰かの傀儡ではなく、自分と他人の気持ちをまっすぐに見据えた上で行動する、自由な意思を持っている。
そうなれたのはあの雪の城で、ヴァニタスが彼女をしっかり見て、言葉と約束で抱きしめ、未来を切り開いてくれたからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ヴァニタスがそんな、ニヒリストには似合わぬ甘っちょろい言葉を紡げたのは、ノエの信頼が諦観を切り裂いて、何かを受け止め何かを為しうる自分を、彼に信じさせたからだ。
孤独こそが自分に許された自由であると思いこむことでしか、ここまで生存できなかったヴァニタス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
その思い込みは茨の鎧であり、彼を守りつつ苛む。
悪し様にノエを煽り、暗示に突き動かされた殺し合いに飛び込もうとするのは、ある意味幸福からの逃避行動でもあるのだろう。
この世に良いことなど何もなくて、自分は愛される資格も権利もなく、全ては砂のように手のひらからこぼれ落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
落下へと己を誘う運命に、抗う手段はない。
そう諦めることで、ヴァニタスはどん底から這い上がって”医者”である活力を、自分に賦与してたのかな、と思ったりする。
しかし渇いて荒んだ自己像に反して、ヴァニタスの行いには優しさがあり、救済への強い祈りがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
これは間近にある他者…彼を『優しい子』と言ってくれた蒼月や、彼の医療行為に救いを感じ取ったノエだけが観測してくれる。
自暴自棄からの突破口は、いつでも他人が開けるのだ。
ノエ自身、サバイバーズ・ギルトに苦しみ、自分を殺して『ルイの双子』になろうとした髪の長いドミを肯定することで、絶望の淵からすくい上げている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
人生は理不尽で残酷だが、打ちのめされてなお自分を見つめ、引き上げてくれる存在はある。
女達の決意が風穴を開けた決闘場で、ノエはようやく鏡に己の顔を写し、狂奔していた精神を落ち着かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
超越者の思い上がりを、弱者のはずの人間に追い込まれる致死の狩場で砕かれ、ようやく血みどろの自分を真っ直ぐ見据える。
(画像は”ヴァニタスの手記”第22話から引用) pic.twitter.com/uCRXxfQRm6
鏡に映らないはずの”吸血鬼”が、自身のエゴと他者の苦しみを反射し、自己対話を果しているこの場面、この作品がゴシック・ロマンスとしての自分をどう捉えているか、良く見せてて良いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
このお話の”吸血鬼”は、鏡に映る。
他人を見据え、他者としての自分を反省できるのだ。
そうすることで、あの時見えなかったヴァニタスの瞳が、どんな色を宿していたかを思い出すことも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
彼と自分がどんな道を歩み、どんな存在であったかに立ち返ることも。
自分を突き動かす衝動と、縛り付ける暗示だけを写してた瞳は、ここでその色合いを変えていく。
ヴァニタスの殺意は蒼月の遺言を護るための自己暗示であり、自分を殺戮機械に変える自己卑下でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
これが彼が救った彼の恋人…”処刑人”たるジャンヌがかつて縛られてた鎖と同じなのが、面白い因果だなぁ、と思ったりもするが。
道具でしかないと思いこめば、過酷な世界でも生きていける。
そんな処方箋があんまりに悲しいから、ヴァニタスは彼の恋人に信頼を差し出したのに、その当人が心を殺し、過去に縛られた傀儡になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
なかなか悲惨で切実な状況だが、鏡を見れる”吸血鬼”たるノエは、かつてのヴァニタス医師のように友情を処方しようとする。
出逢った時と同じように、二人は高所から抱き合いつつ落下していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
それは自分たちを弄び、縛り付ける糸を切り裂く行為だ。
下に下に、ろくでもない方向にしか進まない運命に抵抗する意志でもある。
(画像は”ヴァニタスの手記”第23話から引用) pic.twitter.com/sYVMP1JsmD
それは時の流れ、運命の必然に身を投じる行為であり、幼いまま時間が止まっているミハイルの周囲では、雨だれは落下しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
暗示の糸を操る強者に見える彼は、しかし最も不自由な存在として中空に釣り上げられ、善い方向にも悪い方向にも落ちうる重力から、己を遠ざけている。
だからミハイルの周囲では、雨は時と重力から開放され、中空に漂い続けるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
糸を切り、傷と喜びを共に生む時の流れに身を投げようと決意した青年の周りでは、ガラスも心も雨だれも、全てが地に落ちていく。
その流れの中で、生き延びて共に地に降り、その先にある輝きへ進んでいく決意。
ノエが決意を込めてヴァニタスとともに落ちる(落下の主客が、ファーストエピソードとは逆しまになっていることに注目しよう)姿は、禍名という、吸血鬼種族全体に刻まれた宿命に抗い、救済をもたらそうとする”医師”の決意と、どこか呼応しているように僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
我々は落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
時は止まらず、運命は残酷だ。
優しさの糸は落下の衝撃から我々を守るが、それは魂を縛る鎖でもあり、孤独に解き放たれれば自由になる。
しかし命綱なしで落ちれば、荒廃の中で魂は砕ける。
落ちてなお、生き延びる術を我らに与えよ。
そんな切実な詩を心に抱えて、ヴァニタスはかつて飛び、そんな彼を”見”続けたノエもまた、今飛んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
重力と恩寵は、常に一体なのだ。
…最終盤で急にヴェイユっぽいモチーフが暴れだしたので、個人的に強く興奮してしまったよ。
重力と恩寵(シモーヌ・ヴェイユ 著)https://t.co/ZGumrQim5I
まぁミハイルの幼き宙ぶらりんも、彼が選択したというよりは、見えない糸でくくられてる感じだけどな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
彼を復活させて義手を与え、失われた蒼月を取り戻せと示唆した”誰か”が、ネーニアとどう関わってるかは気になるなぁ…。
手持ちのカードで犯人探しすると…ルスヴン卿か、やっぱ。
アニメにおいて物語る残りはあまりに少なく、青年たちの運命の落下がどこに行き着くかを、見届けることは難しいでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
しかしこの話がどんなもので、そこを駆け抜けた子供たちがどんな傷と優しさを抱えていたかを語ってまとめるには、凄く良いエピソードが最後に来たな、と思います。
やっぱ板村監督がコンテ切ると、センスの”圧”が段違いで、総決算に僕がこのアニメに引かれた誘引が顔だしてくれるのも、また嬉しいなー、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
”落下と視認”つうモチーフを重ねることで、お話の最初と最後が繋がり、そこまでの歩みで変化したものが観測できるのも良い。
糸を断ち切られた孤独こそ自由と、愛憎の鎖に縛られた青年はうそぶいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
愛ゆえの憎悪、超越者ゆえの傲慢を打ち砕かれて、方舟の子はようやく友の顔を見据える。
時に引かれ定めに呼ばれて落ちるとしても、一人では往かせない。
決意を込めた飛翔は、過去を超えた未来へ行き着くか。
次回も楽しみです
追記 セレンディピティなるものは、それに出会う個人のものであるし、それを内包し指し示す外部のものでもあるよね、つう話。
ヴァニタス追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
↓で「最終盤で急に」って書いたけども、思えば致死の孤独な落下が誰かに手を繋いでもらうことで運命に繋がっていく描写は、ファーストエピソードから描かれていたわけで。
そこにあった要素が、ここまでお話に付き従った結果鮮明化した感じか。https://t.co/cmdHblr7ak
自分的に作者たちがこの描写にヴェイユ的なものを”真実”込めているかはあんま大事ではなくて、ここに描かれ、ここまで紡がれてきた物語と、自分の中に蓄積された諸要素が反応して一つの見解が形になった事自体が、喜びであり驚きでもある…みたいな塩梅。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
なんて勝手な読者だッ!
しかしまぁ”読む”(あるいは今回の描写に照らせば”見る”)ということはそういう身勝手な化学反応が必ず伴うと僕は感じているので、今回自分なりに線が繋がり驚きを得れたのは、良いことなんじゃないかと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
良い触媒に刺激されないと、身勝手で切実な自分だけの発見というものも、また生成しない。
そういう驚きを紡いでくれる作品と出会い、付き合って色々勝手に(そして可能な限り、自分にも作品にも素直に)読み、地下水のように眠っていたものが繋がって吹き出す瞬間というのは、他人から見れば突飛でも自分の中では、喜ばしき必然で結びついている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
そういう一瞬を噛みしめるのが、僕は好きだ
そしてそれは自分の中に揺蕩っているものだけではけして結晶化しないわけで、やっぱり自分の外側にあるものにこそ、己の求めるもの…少なくともその貴重なる契機はあるんだろうなー、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
そういう感慨を、出会いの軌跡をかいたこのアニメから得れるのは、なんかとても嬉しい。
追記 奥津城に捧げられた人形として生き続けることは、殺しても死なぬ心を持ってしまう人間にとっては、あまりにもしんどすぎる。
ヴァニタス追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ドミが髪を切ってルイの身代わりとして生き延びようとした行為と、”ヴァニタス”がルーナを殺し名を(多分生き方も)継いで生きているのは、多分重ねられた描写なんだろうな。
生き延びてしまった罪悪感は、自分が死者の代理となって己を捨て形を継ぐことで、あるていど低減する。
己を捧げて死者を生かすその行為は尊いが、しかし他ならぬ”自分”を殺してもいて、どこかで軋む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ドミでしかないドミはノエが愛し受け止めたが、未だ真名を告げぬ”ヴァニタス”の空しき生を受け止める存在は、一体誰なのか。
多分それは、単独の誰かではないのだろう。
悪態つき自己卑下に飲み込まれながら、それでも救ってきた数多の人…”医師”としての姿に希望を見出し、自身も救われた沢山の人が、彼の真の名を寿ぎ、誰かの代理ではない彼自身を鏡に照らすのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
それが次回来るか、アニメでは描かれないいつかは、僕には分からんけども。
来て欲しいな、と思う。
死せるルイの亡霊、あるいはドミの中の断罪者としてのルイが、犠牲たるべき行為の欺瞞を暴き、ドミでしかないドミとして運命に身を投げる後押しをしたのは、優しい描写だな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
女であり、生きて成長するドミニクでしかない私が、勝手に選んで勝手に飛び込む場所。
そこにこそ活路があり、愛した人が自分を受け止め、どんずまりから(あの時のように)脱出させて/突破してくれるのだという勝手な信頼があって、ドミはあの決断をした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
それは死者に捧げられた人形には出来ない、生者だけの祈りだ。
その行為が、ミハイルの暗示を砕いてドミをドミに戻す。
その行為に連鎖してノエは己の視界を取り戻し、今までの自分と自分たちを思い出せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
勝手に信じて、勝手に救われて、勝手に友達だと思って一緒に走ったのは、他でもないノエ自身なのだ。
その隣りにいたのも、苦しむ”ヴァニタス”でしかない。
なにか別のものに成り代わりたくても、けして成れない己
その苦しさと尊さを駆け抜けながら、彼らはこの遊園地に行き着いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ここは終わりではなく新たな始まりなのだろうけど、血みどろの決闘から今までより対等で、前向きな芽吹きがあってくれると良い。
そう思いながら、次週の最終回を待つ。
今更ながら、そして一手早いが、いいアニメだったなと思う。
作品のテーマ(の一つ)が他者とのふれあいを通じて得られる自己認識だとすると、神の僕として盲目的信仰を求められるローランが、自分だけの信仰と現実認識で組織を疑い、神を疑い、人を疑い続けているのは、やっぱ面白い描写だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
己を滅す宗教者の生き様に、けして消えない己を抱えて飛ぶ。
それは苛烈で業に満ちた茨道だが、そうならざるを得ない己をローランは既に認識し、自由で孤独な一人間として(他者とのふれあいの中で)生き抜く覚悟を、ほほえみながら固めている感じもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月25日
ここら辺の反骨、個人的感覚ではキリスト者というより禅僧っぽくて、そこが好きなんかもな。