平家物語 第11話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
源平の興亡この一戦にありと、赤旗白旗ひしめく壇ノ浦。
数多水つく屍を越えて、戦の趨勢は行きつ戻りつ、遂には猛きもの共も虚しく成り果てる。
迫る剣林を逃れるように幼帝は水底の都へ旅立ち、母は一人苦界に残される。
それでもなお、人に許された祈りを抱えて…。
そんな感じの最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
これまでと同じように、これまで以上に穏やかで透明で、極めて残酷で揺るがない視線で平家滅亡を語り切る、見事な幕引きであった。
一進一退、時の運を奪い合う海戦の迫力。
見るもの皆袖を絞る、幼帝入水の段。
歌舞伎”渡海屋”にも名高い、碇知盛の見事な末期。
そして残された建礼門院の境涯を、院が御幸なさる灌頂巻の静けさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
”平家物語”原本に宿っているものを、古川日出男が読み解き、アニメスタッフがその手で結晶化させた、美しき水晶の如き物語の終わりに相応しい、見事な終符であった。
栄え、驕り、落ち、散る。
平家の道行全てを、静かに見届ける視線
そこに微かに、熱を込めて徳子の裾をたぐり、未来を見つめる青の瞳と、死せる人の微笑みを見る赤の瞳でまっすぐ、運命の行く先まで祈りを届かせんとする、びわの掌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
結果を知り見つめるだけで、何も出来ない無力からはみ出して、本来あるべき未来へと祈りを繋ぐ。
見届け、語り、届かせる。
読者が”平家”の手触りを知るためのアバターであり、年経ぬ無力な例外であった主人公が、遂に歴史に介入し、本来あるべき物語を掴み取る…禿の童形から琵琶法師として己の職責を背負った姿へと羽化する瞬間も、見事に切り取られていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
あの瞬間、びわは兄弟たちと同じ存在として、時に身を置いた。
あっけなく死に、必死に生きる人の宿命から守られ、話の始まりから終わりまでを見届けなければいけない物語の装置から、同時代を生き抜く人間へと、主人公が解放されるまでのお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
このお話を、そう読むことも出来よう。
”平家物語”を編む複数作者の一人として、己が魂を賭けて選んだ、人生の意味。
そこにびわがたどり着けたから”平家物語”は語り継がれ、様々な人の思いを宿して、このような形で今再び、語り終えられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
物語の始まりと終わり、内側と外側、過去と現在が優しくつながって無限を為す、幽幻にして壮大な終わり方であった。
まこと、この作品らしい。
生きながらにして禽獣と同じ場所に落ちる、戦場という名の地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そこは残酷でありながら勇壮で、血なまぐさいと同時に、奇妙な昂揚を抱えて美しい。
そのスペクタクルに胸踊りながら、つくづく『戦争よくねーな…』と思い知らされる、透明な視線。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/ljT5hvD4rs
それがこの、壇ノ浦決戦にも強く宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
勝敗は時の運。
流れる風のように留まらないものに人の命が乗り、そこを踏み外せば、水に屍を晒す。
人の理を超えた奇妙なことも、人だからこその壮麗と悍ましさも、何もかもが同居する苦界の鏡。
それを、よく切り取った合戦シーンである。
流石に源氏総大将、義経は非武装の漕手を射たり、裏切りを鷹揚に飲み込んだりして、戦場の機運を握り込むのに鋭い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
富士川の合戦でも描かれていたが、戦争の趨勢を決めるのは何より士気であり、相手の心を砕くことこそが闘いの要となる。
盾に雅な胡蝶紋のあるなしは、あまり関係がない。
というか、古風な戦作法を色濃く残す平氏方が、後の世に一気に台頭する”武士”として十分ではなく、無骨な東男たちにこそその気風があった…という話でもあろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
それでも、平家一門の雅な様がどれだけ涼やかかは、ここまでアニメを見通した視聴者には、良く伝わっていることだろう。
願わくばあの華やかで波風のない日々が、ずっと続けば…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
益荒男相討つ戦場を見ていると、思わずそうも考えてしまうが、しかしあの雅も(びわの父のような)無辜の人々の血を養分に咲いた、傲慢な徒花であった。
そのツケを、今払わされている…と考えるには、ちと平家に肩入れしすぎている。
戦場に似つかわしくない海豚の群れを先触れに、天運はどっと源氏方に傾き、壇ノ浦に白旗が沈んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
水戦の花たる唐船も燃え、命運ここに尽きると告げに来る、知盛の瞳。
その揺れ一つが、あまりに雄弁に終わりを告げる。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/Ldxdqgsqts
滅びと死という、直言するにはあまりに大きく残酷なものを前に、言葉以外の言葉で事実を、思いを伝える芝居が大変に色濃く、心を打つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
子と母、祖母と孫が無言の内に死を覚悟し、虜囚の辱めを避け名を惜しむように、水に飲まれていく。
そこに込められた気持ちの大きさは、語らぬからこそよく伝わる。
袈裟をまとっても、平時子は清盛の妻である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
何しろ清盛率いる”平家”自身が獣の如く貪欲に、貴人に弓を引き幼子を輿に引っ張り出して、掴んだ権勢である。
それが崩れるとなれば、情のある扱いは期待できないと理解できてしまうことが、”死”一文字に誉れを包んで突き進む歩みの背を、強く強く押す。
『いやでもさぁ~~~~ガキァ関係ねーだろガキはッ!』と、俺もびわのように手を伸ばしせき止めたい気持ちでいっぱいであるが、『見届ける』と固めた覚悟が、宙に指を留まらせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
この描画が、視聴者の思い入れを画面に焼いてくれた感じがして、とても好きだ。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/yOb5iBOv6k
でもあんなに素直にバァバの言うことを聞いて、二度もお祈りする安徳ベイビーがこんな結末…何億回見ても辛すぎる…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
この結末も一門の権勢を強化せんと、幼き血縁を玉座に送り込んだ清盛の施策の末路なのだから、本当になんとも言えない。
ガキ殺したくねーなら、最初から御輿に乗せるなッ!
全くそのとおりだと俺も思うが、そうしなきゃグラグラ揺らぐ”武士”の世を繋ぎ止めれなかったんだから、なんとも難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
攻め滅ぼし水に沈める源氏こそが、こうまでして世をひっくり返した清盛の遺志を継ぎ、さらなる権力闘争を鎌倉に後引いていくってのも、また壮絶である。
ここで幼帝を胸に抱いて自裁の道を引くのが、母たる徳子ではなく、一門女人の頭たる時子なのが、なんとも重いなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
平家一門の政治兵器として、嫁ぎ子を生み母と為った少女は、最愛の我が子の命をこの瞬間まで、自分の手で守りきれないのだ。
それほどに”平家”は大きく、重い。
あるいはその重さこそが、一門を水底の龍宮城へと導いていくかと思えば、あまりに因果である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そらー芳一に壇ノ浦の下りを乞うた平家の亡霊も、感極まって涙を流すってもんよ。
さて一人にて愛子送らせまいと、皇太后も船べりに立ち、さっぱと身を投げる。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/WFHMqC9NZ7
ここでびわが琵琶を擲ち、その生命と魂を追う…傍観者にして語り部の地位から踏み出す描写は、大変に印象的である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
何も出来ぬ宿命に苦しみ、それを噛み締めて琵琶法師という生き様に自分のキャラクターを見出したびわが、名にし負う”琵琶”を捨てる。
それは役割の放棄であり、一人間としての決起だ。
壇ノ浦まで行き当たり、もはや栄華と滅びを見届ける役目を終えつつある主人公に、直接歴史に介入する権限を”平家物語”が許した、とも取れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
この時代の”女”の、何よりの象徴である長き黒髪を乱雑に握りしめられることで、徳子は我が子の眠る水宮ではなく、現世へと引っ張り出されてしまう。
かつて後白河法皇に女人成仏の難しさと、それでも希う思いを今様に刻んで答えた徳子が、死ぬより強い定めに引っ張り上げられるのが、”女”の象徴であることはあまりに悲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
あの歌の中で、徳子は龍女に己をなぞらえた。https://t.co/szlytQPGXr
悟りから遠い畜生であり、なお難儀の多い女のみでありながら、成仏を成し遂げた龍の娘。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
その姿は、水の一門である平家の生き残りとして、我が子の冥福を深く祈る徳子と、ここで重なっていく。
許す。
夫の冷たさを、父の傲慢を、己を苛む世界を、許すと告げた徳子。
ならばこの無常も許せるのかと、あまりに険しい試練を投げかけるような運命であるが、五障を越えてこそ成仏も遂げられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
それでもなお、許すのだと。
それでもなお、生きるのだと。
運命を見据え、死せる人の姿を見る両目で、びわは徳子の命を繋ぐ。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/olgMXF7Guu
琵琶を捨てて戦場に駆け出したびわ無くては、徳子は一門の生き残りとして選んだ”許す”道を捨てて、我が子の眠る龍宮へ戻っていったかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
しかしここまで苦しみの源となり、異能の存在としてびわを世間から遠ざけていた特別な瞳と、何よりも血の通った両の腕が、徳子の両手を握りしめる。
死んでいくことも、生き残ることも、一切皆苦。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そんな世間を透明に見つめる視線は、びわのものであり作品のものであり、『見るべきほどのことは見つ』と豪放にうそぶいて散った、荒武者知盛の視線である。
必滅の定めは覆せずとも、オジキはマジで武士だった。古典の教科書にも乗ってるぜ。
南無阿弥陀仏の六字を引導に、一人、また一人と水に飲まれていく一門。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
父と同じ白く盲ていくびわの視界が、最後に捉えたのは揺らめく赤旗…平家栄華最後の名残である。
思えば徳子が現世に留まり、歴史に刻まれたその命を全うするよう、両目の異能を使ったのが…
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/kfuWUPus87
時に忘れられた童形のまま、”平家”の内側に入りつつその運命を共にしないこの物語の語り部、最後の使命だったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
残酷と無力を思い知らされ、自身を冬の日、重盛の屋敷に招いたあの瞳。
二人目の父の末期に立ち会い、譲られたこの瞳。
その二つが、今役目を終えるのだ。
そして盲ればこそ見えるものを、四弦爪弾いて語り切る新たな人生へと、びわは堂々旅立っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
琵琶を手放し、異能の瞳を手放し、時の定めに身を任せ、髪が伸びることを許された一人間として、武士の世へ移り変わっていく世界を、必死に生きるのだ。
そうして、僕らの代理人として辛い定めを背負い、”平家”がどう生きどう死んだか…どう笑いどう泣いたかを教えてくれた少女をちゃと解き放って話が終わるのが、誠実でいいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
びわは、文学にも史書にもいない、アニメオリジナルの人物だ。
だが名も無き人の語りと思いがあって、物語は継がれる
特異点として平家一門に埋め込まれ、無力に見届けることしか出来ないみなしごに、一生の仕事を決意させ、それをやり遂げてなお生きさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
それが終わり切る直前、女の苦しさに飲まれ”許す”と決めた尊い決意を砕かれようとした彼女の”姉”を、苦しみの源だった異能の瞳で救う。
そんな風に、改めて語ろうとした自分たち作家のエゴをちゃんと見据え、仮想の存在であり、同時に実在の血潮を宿した主人公に報いて終わらせるのは、まこと行き届いたことである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
自分の筆が生み出した”子供”を、一切ナメてねぇこの扱い…敬服するぜ。
さて時は流れ、寂光院の寂しき庵を法王が訪れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
散る桜に遠き壇ノ浦を思い、レガリアたる三種の神器が手元に戻る…帝の権勢が武士を再び上回ると願っていた彼も、既に時代の敗者である。
さんざんに花を描いてきた物語が、ここで花を写さない抑圧が良い。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/tQfSfclJl6
それは天上の如き栄華を極め、策謀渦巻く人界から落ち延びて戦乱の修羅、足を泥に汚す畜生、水も飲みえぬ餓鬼、そして水底の地獄へと、現身を持ちながら六道を巡った徳子…平家の龍女の歩みが行き着いた寂しさを、見事に照らしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
なんとも侘びしき緑の中で、再び逢った紫衣の尼君。
その微笑みはあまりに穏やかで、許しえぬを許し、何もかも定かではない世になお響く祈りを宿していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
僧形となった徳子が、当然ながら剃髪している姿は、あの壇ノ浦でむんずと掴まれた髪…それが象徴する数多の苦しみを思うと、なんとも感慨が深い。
仏典に曰く、転生によって六道を巡った末に人は仏になるという。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
ならばこの世の喜びと苦しみ全てを、己のことと引き受け得た徳子は既に、敵も味方もない境涯、栄華も衰退もない穏やかさに包まれ、祈りでそれを広げる今菩薩なのではないか。
その道行が躑躅と矢筈豌豆の密かな華やぎを連れてきて、常緑の寂しさに微かに色がつく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
袈裟に身をまといながら、謀略の限りを尽くし、帝の治世を取り戻した怪物。
後白河法皇にもまた、子を愛する家庭人としての顔、今様に拭ける教養人としての可愛げがあることを、この作品は書いてきた。
その人間味は、幼い孫を野望の道具に使い、曲りなりとも婚族となった平家を滅ぼす勅命を下す浅ましさと、同居してしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
野良着を着込んだ仏にも、金襴袈裟に身を包んだ禽獣にもなりうる、人間の不可思議。
それが転がりに転がった果てにある、五色の糸を天下に伸ばす阿弥陀本尊。
奇縁に揉まれ、”武士の世”に生き残ってしまった義理の娘の祈りを受けて、野望の法王もまた、その袈裟に相応しい発心を遂げ得たのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
恐る恐る堂を覗き込み、己の欲心を恐れるように敷居をまたがず膝を曲げ祈る姿に、そんな事を考えもする。
諸行は無常なれど、確かに花は咲いていた。
かくして続く世の中で、”平家物語”は再びその冒頭に戻り、歌い継がれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
五障を退ける如来の知恵を表わす、五色の糸。
それを手繰りながら、見事な念仏往生を遂げた徳子の祈りは、琵琶の音声に支えられ時を超えていく。
水底の龍宮で、一門平和に笑うか。
(画像は”平家物語”第11話から引用) pic.twitter.com/L3jy2JvTWH
それとも各地に怨霊、あるいは落人の伝承を残しつつ、その存在感を刻んでいくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
未来は薄紫の空に定かではなく、散っていった花は蝶へと代わって、そこを舞う。
あの厳島に響いた音は、いつか過ぎ去った過去の声か、はたまた未来に歌われる”平家物語”の歌か。
まこと、不思議なモノである。
琉球に編纂される”おもろさうし”には平家落人の話も多く、資盛も生存説がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
虚実定かならねども、そういう話が出るということは、『ああ、生きていたら良いなぁ…』と思う今の僕と同じ気持ちが、遥か過去の人にもまた宿っていたからだと思う。
そこまで拾い上げ幕を閉じるのは、流石の視野の広さだ
徳子が寂光院に念仏三昧、一門の後生を祈ったのと同じ心持ちで、盲た琵琶法師は鉢を握る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
父を殺され”平家”になったことで成長を止めたびわが、父と同じ瞳、職業を取り戻して、そこから巣立つまでの物語…とも読めるか。
とまれ、風の前の塵のように何もかもが消えても、祈りは残る。歌は続く。
その一つとして、このアニメもあるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
ずーっと昔から人間は家族を慈しみ、敵を殺し、謀略を練り上げ、弱さと強さ、尊さと醜さを複雑に編み上げながら、必死に生きてきた。
そんな思えば当たり前の事を、堂々描き切り、いきいきと伝える作品でした。
大変素晴らしかった。
教科書の中で冷たく渇いている古典に、どう現在の血を流し込み、生きた物語として視聴者に届けるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そのための工夫が随所に見え、またそのため新たな解釈の”平家物語”として新鮮に楽しむことも出来て、原作既読者としても満足度が高かったです。
作品を貫通する太い柱が何本も、複雑に絡み合いながら走っている作品なんですが、一本大事だなと思ったのは女達が助け合うシスターフッドの物語で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
びわと徳子を軸に、権勢と戦乱に翻弄されながらもなんとか、人として運命の波に抗う術を探し、差し出しあいながら生きていく人々を、しっかり描いた。
”平家”という家族の物語として、登場人物の幼年期から末期までをしっかり追いかけ、当たり前の幸福と条理を超えた悲惨を同時に背負う、複雑な人間の顔を掘り込んでもいました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
キャラをしっかり立てると同時に、その大きな器としての”平家”にも、新たな血の通う視座だったと思います。
アニメとしても鮮烈な表現が随所に見られ、見事なレイアウト、印象的なカットワーク、優れた音響と色彩と、見どころは満載でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
サイエンスSALUと京都アニメーション、二つの創作集団の”血”が各話ごと感じられ、鮮烈にぶつかって大きな渦潮を生む場としても、アニオタ的には面白かったな。
これら”今様”としての表現力を下支えするように、各種文献や習俗への徹底した調査、それに基づく鮮明な表現力も、作品に分厚い背骨をぶっ刺していました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
メッチャクチャ調べてて、これに追いつくべく蔵書のホコリを払って色々勉強できたのも、個人的にはありがたかった。
原典はもとより、他の諸文献へのクスグリを大量に含んでの奥行きの面白さと、キャラとドラマでグッと引き付けるエンタメとしての力強さが同居し、親しみやすく奥深い楽しさが、衰えること無く最初から最後まで元気でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
入り口から深奥まで、どの段階でも面白いのって、本当に凄いことだよなぁ…。
個人的な感慨を一つ言うと、”平家物語”を語る時必ず顔を出す”無常”なるものに、少し新し目の歯型を付けてるのが面白くて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
移りゆく時の儚さ、虚しさを語る時どうしても目線は”滅び”の方に行ってしまうわけですが、この作品はそこに至るまで様々な人が、必死に生きた歩みも、同じくらいの重さで見てた
咲いては散る花を見て、『あんなに咲いたのに散ってしまった』と思うか、『散るまでによく咲いたな』と感じるかは、人それぞれなはずで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
幾重にもみずみずしく描かれる盛りの花と散華の有り様を通じて、人が生きるということの難しさと面白さ、不思議さを描こうと工夫したことが、大変良かった。
アニメにあまり関係ない個人的体験を、余計ごとと知りつつあえて引っ張り出させてもらうと、この作品は命としての花を、あくまで”虚”でしかないアニメの中で、なんとか切り取ろうとしてるように思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
僕は自分の手で花に水撒き、鋏で切り取って活け、衰えた枝を廃棄する生活をしているわけだけど。
その度人間の勝手で切ったり愛でたり、根を下ろしたときより早く終わってゴミと捨てたりすることに、後ろめたさを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そんな風に様々、明滅する命としての花の在り方を、平家の栄華、流転する運命に重ねながら描こうとする営みが、画面の様々な場所で元気であった。
それは花鳥風月を愛でる王朝文化の雅を、今によみがえらせる試みでもあったし、既に歴史に刻まれた運命をドラマの中で予兆させる、象徴のレトリックでもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
水の民として平家を見据え、その流れを幾度も切り取ってくる筆と同じく、水無くしては枯れる花の姿にも、様々なものが写り込んでいた。
それは時に、花言葉がぶら下がってる記号の引っ掛けどころとして”花”を書いてしまいがちなアニメでは珍しい描き方であり、僕の掌の中で切り取られ、しおれていく僕の花と、身勝手ながら重なるような感覚とともに、見つめることが出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
それは個人的で、大事な体験だ。
世の苦楽を様々に背負いながら、必死に生きて死んでいった人々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
それを取り巻く世界を見据える視線は、仏典の智慧と情感に満ちて、懐かしくも新鮮な手触りがあった。
それは原典において既に濃厚に宿るものであり、アニメ作者が自分の目と筆で、個別に掘り込んだ価値観でもあるだろう。
古典に前衛の息吹を与え、一千年前に既に儚く死んだ人たちの笑いと涙を、確かに過去と繋がる今に蘇らせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
そんなリバイバルの強さだけでなく、凄くシンプルなアニメとしての表現力、物語としての魅力、群像劇としての豊かさをまとめて、魂を殴りつけてくる作品でした。
びわという主人公を通じ、この令和に”平家物語”を見つめる視線を作品にしっかり宿し、その限界と虚しさにしっかり向き合った上で、ただのカメラアイではなく、一人間としての血潮を宿して描きぬいたことも、大変クレバーで情のある筆でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
四苦八苦に満ちた世界を、それでも見届け語り切る。
びわがたどり着いた境涯を、数多”平家物語”の書き手、語り手、聞き手が心に任じたからこそここまでこのお話は語り継がれ、新たな形で生命を手に入れ直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
過去と未来は一方通行ではなく、相補的に対話しながら形を変え、自在に行き来されていく。
そんな不思議な強さも、作品にありました。
あとまースゲーシンプルに、『俺…この時代とこのモチーフが好きだッ!』って言えるネタが山ほど襲いかかってきて、溺れるほどに味わわせてくれたの最高の体験だったね…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
王朝の雅も、それを覆す武士の無骨も、やっぱ”美”として独自の顔つき、格別の匂いがあるもんで。
それを馥郁と様々に吸い込めるのは、”好き”で自分の曖昧な輪郭をソリッドに整えてくれてる感じがあって、毎週大変に幸福でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
なんだかんだ、このあたりの空気は肌に馴染むわ、つくづく。
歴史オタクで良かったなーと思えて、嬉しいアニメだった。
11話と長くはない尺の中で、あっという間に過ぎ去っていく時間を短く感じさせず、人の血が様々な温度で詰まった魂の現場として身近に寄せてきたのは、大変見事な語り口だったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
絵の力が強いので、ギュッと圧縮してドラマとキャラを伝え得たのが、たいへんいい方向に転がったと思う。
とまぁ、大変に凄く、面白い作品でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月1日
山田尚子健在…どころか、鬼才正に嵐を呼ぶ仕上がりでしっかりと己を吠えていて、ファンとしては大変嬉しいです。
お疲れ様でした、ありがとう。
どれだけ悲しくとも闘いの絶えない世は続きますが、そこにこの作品が在ることは、大きな力で意義だと思います。