ダンス・ダンス・ダンスールを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
夏の終わり、潤平と都は流鶯を追って、電車に揺られていた。
道すがら語られるのは、出会いと呪いの物語。
綺麗なお菓子が大好きな王子様が、閉じ込められ歪められるのを止めたかった、お姫様のお話。
踊り手が、愛と哀しみを貪り育つ獣でしかないのなら…。
そんな感じのクライマックスに至る長い回想であり、そこから続く今日と明日のお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
流鶯と都を繋ぐ呪いと祝福を知り、潤平が選んだ未来。
花のように笑い続けた少女に、刻まれていた傷跡。
バレエの化身のように人生を揺らした、王子の壮絶な過去。
色んなものがズシリと少年少女にのしかかり、その魂を押しつぶそうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
殺されまいと、魂と身体の奥底から湧き上がる律動が踊りを生み、砂浜の上でダンサーは脱皮していく。
幼年期の殻を悲しく脱ぎ捨てて、何かを選び何かを投げ捨てて、他でもない己になっていく。
その必然的な身動ぎは、世に語られるほど綺麗ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
裏切りとエゴに満ちて打算的で、なにかの代用品に誰かを選ぶ残酷まみれで、選ばれない哀しみに満ちている。
そして、だからこそ。
その跳躍には、嘘偽りのない人間そのものが宿っていく。
否応なく、宿ってしまう。
洋舞祭を再演するような”白鳥の湖”終曲に乗せて、都はオディットを舞う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
あの時は王子と魔王の引き立て役、魂のない白紙のヒロインだった彼女は、自分にとって大事なものが何かを選び取って、その瞳をぼう、と遠くに投げる。
潤平がいつも見せていた、ダンサーの陶酔。
特別にはなれないと自分を見限り、あるいは見限られてきた少女は、この瞬間眠りから覚める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
流鶯を守る壁であり、扉を開ける光であった時代から、自分を連れ出してくれるかも知れなかった少年よりも、彼女の愛する魔王を選ぶ。
そこに並び立ち、扉を開けるに足りる資格を、己の舞で証明しだす。
その魂の躍動を間近に浴びて、流鶯が、潤平が、いかなる存在に化けていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
薄暗い母の子宮に閉じ込められ続けてきた子供が、その檻を食い破って舞う時。
もっと広い場所に飛び立てと、必死に喰らいつく指先が、おそらくは”バレエ”を形にしていく。
この砂浜に、来るしか無かった子供たちの未来。
それは優しく物分かりの良い”正しい青春”などではなく、暴力的で荒々しい魂の衝突と、そこから生まれる火花を身体に宿した舞によってしか、切り開かれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
それが、やっぱりいいな、と思った。
呪いを解き産声をあげる時は、大きな嵐が起きるものだから。
潤平と都は親に相談もなく、二人の友だちの未来の為に旅立っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
道すがら語られるのは、王子様とお姫様の出会いだ。
そこで展開されるのは、家族という檻を舞台にした、極めて残酷な物語だ。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/FyxDMHcvtp
バレエに呪われたお祖母様は、プリマになれなかった復讐に勤しむように、千鶴を見限り真鶴に夢を抱く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
苛烈な支配に耐えかねて籠の鳥が逃げ出して、魔女の鞭は孫へと向かった。
一瞬”眠れる森の美女”にも見えた老人は、蔦だらけのお城に王子様を閉じ込め、その体を苛んでいる。
千鶴さんが都を見限っているようにみえるのは、海外に挑み挫折した辛さ、頂点を目指す苦しさを知ればこそだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
母の残酷な選別主義を、娘に振り下ろしたくない気持ちもであるだろう。
しかしそこに宿る優しさを、器用に示せる人でないことは、潤平との向き合い方で既に描かれている。
今の潤平より更に幼い、ヤバい色のお菓子が大好きな子供の都は、顔の見えない父に『私、子供なんだよ?』と告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
周囲に優しくされて当然の、脆くて可能性に満ちた人間の卵。
そういられる時代は、流鶯にお菓子を差し出した時終わっていく。
魂の糧を差し出し、体を張って命を守る。
餌を運ぶ母鳥のような生き方を、都はその優しさ故に否応なく選んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
それは尊くて、とても悲しい幼年期だ。
凄まじい軽さで自死をほのめかし、他人をコントロールしようとする流鶯の危うさは、虐待めいたレッスンの上で揺れている。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/OFldAMPP4a
ここに手を伸ばし、人生から落ちそうになってる雛鳥を守れる権利と義務は、都にしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
たった二時間、流鶯が心からバレエを楽しんでいい時間。
綺麗で脆い王子様に、お姫様がピアノを”弾いてあげる”時間。
それが眠りをもたらす薬で与えられるのが、”眠れる森の美女”モチーフとして最高で最悪。
残酷で正しすぎるレッスンは、流鶯の幼い身体をバレエそのものへと歪めていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
正しい姿勢、正しい身体、正しくない心。
羽ばたく時を知った鳥のように、軽やかに美しく舞う流鶯の姿は、都に自分の限界を思い知らせる。
流鶯には魔女の、都には女王の呪いが、幼い心身に深く食い込んでいる。
地下室で純粋培養された流鶯は、自分の口からとても残酷な言葉が出ている自覚がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
当たり前に笑ったり泣いたり学んだりする、扉の向こう側の世界。
それをこの薄暗い子宮に届けられるのは、自分だけなのだと理解しつつも、幼い心は強く軋む。
年考えれば…考えずとも人として、それは当然である。
都もピンク色の牢獄に、ぬいぐるみと一緒に閉じ込められている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
彼女の手を引く流鶯は、けしてそこから都を出してはくれない。
それは都の仕事であって、義務でもあるのだ。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/nnx0lYRvli
地下室の階段、あるいは高い木の枝。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
流鶯はそのバレエへの天分を示すかのように、都の上を取り続ける。
気を抜けば簡単に壊れてしまう脆さを武器に、下から追いすがるように見えて、重たくのしかかる関係性が、この”上下”のレイアウトに暗くにじむ。
弱いことは、つまり強いということだ。
そして強いということは、弱さを示せないということでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
遙か天を舞う”バレエ”の寵児…お母さんが本当は望んで、自分がけしてなれない存在に無自覚に踏みつけられながら、都はそれでもその手を取る。
そうしなければ、確かに流鶯は死んでしまうのだ。
この、幼いながら家族のため、愛する人のために為すべきことを為そうとする姿勢は、バレエを辞めて”男らしく”家族を守ろうとした、幼い潤平に通じる部分がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
そんな傷だらけの優しい決意が共鳴したから、あの時二人はキスをしたのかもしれない。
それは純真なる裏切りで、優しすぎて悲しい。
流鶯は都の前でだけ、バレエを楽しみ愛する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
花のように眩しくほころび、強い輝きを放つ。
それは祖母の厳しいレッスンによって作り上げられ、呪いと刻まれた光だ。
解放の予感を閉ざす、黒い子宮から伸びる腕を、子供たちは跳ね除けられない
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/7pWqNJdNVd
扉を閉ざし、愛憎に窒息するしかない地下室に、二時間だけ開いた空気穴。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
都はその意味をしっかり理解していて、否応なく己の不才を突きつけられる惨めさにも、弱さを武器とする王子様の身勝手にも、耐えて隣り合ってきた。
この時間を投げ捨てれば、流鶯は死ぬのだ。
そう、知っていたから。
光に満ちた場所に繋がれた手を、流鶯は自分から振りほどいて、魔女の胎へと帰還していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
そこにしか愛はないのだと、思い込むことでしか自分を守れなかった時点で、都は流鶯に選ばれなかった…と言えよう。
あるいは、流鶯はお姫様より魔女を選んだのだ。
真鶴の代用品でも、復讐の道具でも、そこで踊り続ければ、誰かが自分を愛してくれるから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
その引力が今も流鶯を捉えて、あの砂浜へと押し流した。
男であること、灼熱の思いを抱く一人の人間であることを殺して、オディールを舞う人形に戻っていくのだ。
この重たさを、潤平は正しく知覚する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
父が死んだ時、自分がどう為らなければいけないのか、正しく認識してしまったように。
魂が殺されるか生き延びるか、そういう瀬戸際を見据えると、初恋の微熱がすっと冷えて、別れを告げてしまう。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/1xYdmcC95x
人間が魂の血を流している時、かつての潤平はそれをヘラヘラ笑って見過ごしていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
流鶯を斬りつける兵ちゃんの刃を、見て見ぬふりして、あの体育館でのジャンプに殴りつけられて、そういう行き方を辞めることにした。
俺のトキメキよりも、あのキスの甘さよりも、大事なものが目の前にある。
そう理解してしまうと、潤平は初恋の手を振りほどいて、王子様の方に押し出すことしか出来なくなってしまうのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
残酷で、身勝手で、涙が出るほどに不器用で優しい少年だと思う。
ここら辺の魂の在り方、ホント千鶴さんそっくりで、師弟だなぁ…と感じるわ。
都は潤平のキスに、解放の可能性を感じていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
『いくらでも好きになっていいのだと思えた』という未練は、つまり好きになってはいけない相手が、ずっと側にいたということだ。
流鶯に縛り付けられた、自分の魂。
流鶯を地下室から解放できない、自分の踊り。
雁字搦めの鎖から、解き放ってくれる存在
都は人生に割り込んできたサル顔王子に、そんな可能性を見出していたのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
潤平も、無自覚ながらそれに答えようとしていた。
おちゃらけた態度の奥にある灼けるような誠実も、喜びにも悲しみにも大きく揺れる豊かな感性も、鎖を引きちぎるのに十分な強さだったろう。
だがその縛鎖はへその緒であり、未だ生まれざる流鶯の魂は、それを引きちぎってしまえば死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
そう正しく直感し理解してしまったから、潤平は都を開放する恋人の役割から、引き下がっていく。
追いすがってしがみつけば、幸せになれたのか。
ここで離れることが、何を生み出し殺すのか。
それはこの後の、砂浜のステージを…そこで生まれた炸裂が新たに生み出す、踊りの宇宙を見届けなければ、なんともいい難いだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
一つ言えるのは、都も潤平も身勝手でずるくて、必死に他人にすがって生きようとして、お互い好きだった、と言うことだ。
そこに、正しいも間違いもねぇ。
かくして聞こえてくる音楽に、最初に気付くのはやはり潤平だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
バレエに愛された感性は、世界に響く音を最初に聞き取る。
今の都には、まだ聞こえない音だ。
それは死にゆく魔女に捧げる、人形の踊り。
愛を求め、女を演じる少年の舞だ。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/x7mQy8xc8U
自分を押し殺して、お祖母様に愛される代用品として踊る流鶯を、潤平は認められない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
深夜のレッスン室で、体育館で、あるいは洋舞祭のステージで、いつでも自分の魂を揺るがしてきた本物の踊り。
それが別のなにかにすり替わってしまうことが、あってはいけない。
『それが間違っているから』という、自分の外側にある正しさからではなく、『ただただそれを許せない』という、極めて個人的な情熱。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
そうして追いすがられて初めて、流鶯の瞳に色が戻る。
自分は”真鶴ちゃん”ではなく、女ではなく、従順に愛を求める子供でも、復讐の道具でもない。
では、何者なのか
彼らがダンサーである以上、それは踊ることでしか掴めない問いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
瀕死の白鳥がそれでも舞うように、流鶯は静止を振り切って踊る。
その流れを変えたいのであれば、異議申し立ては”バレエ”でやるしかない。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/rst0Tq3LAa
その魁はこれまで通り、潤平の情熱が務めるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
二度目の終曲を舞台に上げるのは、今回は都である。
洋舞祭ではお行儀のいい、魂の宿らぬ綺麗な人形だった瞳は、陶然と”此処ではない何処か”に踊っている。
潤平が幾度も見せた、ダンサーの眼である。
騙し、誘惑し、心を弄ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
この局面で都は愛に殉じるほどにイノセントなオディットであると同時に、王子を騙し魔王を誑かす黒鳥オディールでもある。
聖母と娼婦。
残酷に支配し、惜しみなく与える存在。
”女”なるものの二面性を、都は己の人生で噛み砕いて、舞の糧へと変えていく。
ここで都がオディール的なオディットを演じる行為は、その役を演じていた流鶯を操り糸から解き放ち、本来の役目…激情の魔王ロットバルトへと変貌させる簒奪行為でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
潤平の揺るがぬ思いを受けて、既に砂浜に体勢を崩していた流鶯は、女でも人形でもない己を、抑えきれない。
子供の体は大人に近づき、心の奥底が異性を求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
情欲、独占、嫉妬、羨望、庇護。
様々な思いが炎と燃え盛り、地下室から流鶯を引きずり出す。
そうなるように、都は舞う。
潤平を当て馬に使って、流鶯を魔女の地下室から奪い去る。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/HcOr6vLWKz
また、奪い去られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
また、扉が閉まる。
魔女の望むままに踊る、痛みを感じない人形ならば生まれないはずの炎が、流鶯の脳裏を焼いて、今度はもう奪われない。
奪う側、強い側、負けない側になって、欲しいものを掴み取るのだ。
”魔王”になるのだ。
都が謝ったのは、この覚醒と脱出…都の側からすれば、お祖母様の精神的引力圏から彼女の王子様を奪い去る行為の、ブースターとして潤平を使うからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
閉じ込められ押し殺され、奪われ傷ついてきた流鶯が、その過去から飛び立たんと、手を伸ばしてオディールを掴んだように。
あの時閉ざされてしまった、逃げ出してしまった地下室の扉を、潤平ではなく己が開けるために、都は身勝手に汚れた”大人”に為ることを選び取った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
その決断が彼女を、ダンサーの人生を唯一歪める資格を持った存在…”ダンサー”にしていく。
踊りで並ばなきゃ、何も揺るがせられない地平。
地下室の階段でも、高い木ある庭でも”下”にいた都は、潤平の優しさを貪ることで、流鶯と同じ場所まで這い上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
その決意を固めたから、彼女の瞳は陶然と美しく、舞には暴力的な艶が宿る。
磨き上げられた様式に、はち切れんばかりに宿る感情の灼熱。
かつて潤平が涙し、流鶯が己を出し切った火種。
それが、都からも放たれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
それは今回吐露された、バレエに選ばれない存在としての苦しみ、母の不器用な優しさがかけた呪いを、上書きしていく覚醒だ。
目覚めたことが、諦められないことが、幸福なのか不幸なのか。
それもまた、踊りきった先に続く道でしか、見えてこないものだろう。
奇縁に導かれて出会ってしまった三人の、ラストダンスに何が宿るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
妄執の残骸と化した魔女の呪いは、砂浜のパ・ドゥ・ドゥに焼き尽くされていくのか。
激情の火花がお互いの人生を燃やしつつ、終曲は続く。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第10話から引用) pic.twitter.com/FeFN9V3MSh
初恋の甘酸っぱさに、生きるか死ぬかの重さと苦さが混じって、一足飛びに恋を利用するエゴイズムと、それでもつかみ取りたい眩さが燃える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
ダンサーとしての変化、青春の歩みを描くと同時に、何より恋の物語として、とても綺麗で醜い、嘘のない輝きが宿るエピソードとなりました。
やっぱここで、ツルンと綺麗だった都の顔が一気に人間味を増して、王子様に縛られ子供でいられなくなった苦しさと、それでも流鶯をその手に奪いたい黒い炎が吹き出し、”ダンサー”として覚醒していくのが、最高に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
潤平の青春がぶつかる都合のいいキャンバスから、”人間”になった感じがある。
この炸裂を背中に受けて、流鶯も潤平もさらなる高みへ翔ぶしかない状況であるが、さて、何が描かれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月14日
次回が大変楽しみである。
誕生編のクライマックスと同じ曲、同じ演者でありながら、全く違う深みと熱が宿っていくのは、ダンサーの進化を描く物語として完璧よなー…。
日々新って感じ。