プロセカイベスト”みんなでエンジョイ! スポジョイパーク!”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
体力不足が曲作りに響かないかと恐れた奏は、絵名を伴って真夏の公園へ。
当然へばる二人の前に、最強アイドル救世主が現れ…!? という、ユニット混合交流イベ、
ヘロヘロ人間宵崎奏の、想像を超える体力の無さが面白い…
以上に、奥行きとコクのある見どころ満載エピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
いや、”セミに負ける女””生まれたての子鹿”宵崎奏の弱い生き物っぷりは、マジで面白いけど。
出だしからして『体力マジねーな…運動すっか!』つう、どう考えてもオジサン的発想で滑り出すの、奏っぽくて最高。
見どころは沢山あるんだけど、まず今回、みのりのエピだな~って感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
普段はモモジャンの末っ子として、先輩アイドルになんとか追いつけ、出来ない部分が強調されがちなみのり、
しかし人生経験値とハードなレッスンを積み上げ、『この子、既に超人なのでは…?』つう疑念はずっとあった。
ホームを離れて、メサイアコンプレックスの陰・承認欲求の陰・青春のお悩み陰と、落ちものパズルなら並べて消せるぐらいの陰属性を導く形になったことで、圧倒的な活力とコミュニケーション能力、相手の顔を見て思いを届けるアイドル力が、怪物めいてブン回ってた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
『こんなの…奏が最前でサイリウム鬼振りしちゃうじゃん…』ってぐらい、グイグイ”アイドル”花咲みのりの魅力がバチバチ爆ぜてて、客観的にみのりの現在地を確認できるエピだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
これで”末っ子”なんだから、そらーモモジャンつえーわな…。
みのりは押し付けがましくなく、常時楽しい雰囲気を作りつつみんなを自然に導いてて、場に漂うエモーションの制御能力が凄く高かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
これはアイドルとして、ステージアクターとして重要な力だと思う。
自分が感じている思いを歌とダンス、表情と仕草で拡大して、対峙する相手を夢中にさせて飲み込む
そういうアイドルの背筋力が、眼の前にいる相手にとにかく笑顔でいて欲しい、幸せで元気になって欲しいという、ピュア&ナチュラルな気持ちでブン回っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
見返りを求めないこの献身が、知らない人怖い奏ちゃん(一歳年上)を優しく包み、背中を押していく。
遊んでいる途中、自分がこれから何をするのか、何が楽しいかをすごく的確かつ積極的に表現してるのは、配信メインのアイドルっぽさもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
優れたYoutuberの人って、ここら辺を視聴者に向けて、リアルタイムでパッケージして届ける能力が凄い高いわけだが、みのりの日常にもそれが滲んでいる。
こんだけ高いアイドル力が、アイドルイベント全く関係ない、プライベートな”遊び”で暴れてるのが、逆にみのりのアイドル適性の高さをよく語ってもいて、オーディション100連敗から積み上げてきた現在の実力が、良く解る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月30日
モモジャンで色んなことに挑み、迷いつつ成功してきた体験。
それがみのりの背筋を伸ばして、持ち前の人格の良さ、強さをいい形で発揮する足場になってんだなー、と感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
落選時代の苦労も、今になって生きてる形で描写したのは、ここ最近の『無駄に思えるものこそ、無駄じゃない』つう語り口を引き継いでる感じもあるね。
そんなつえーアイドルに牽引されるよえー生き物だが、”楽しむ”ことへの自罰の強さと、それを越えて変わっていける…思い出して取り戻していける可能性が、同時に描かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
奏は運動するのも友だちと遊ぶのも、飯を食うのも服を選ぶのも、『曲を作って人を救う』使命に紐づいてしまう。
父親をぶっ殺してしまった罪人である以上、行住坐臥全てが贖罪の一歩でなければ生きる資格など無くて、今を楽しんだり、幸せだった時代を思い出したりするのはもってのほか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
奏はずっと、自分を殺して生きてきている。
しかしぼんやり顔の奥で、豊かな感性と優しさ、燃える血潮を宿した少女は…
確かに一人間として、息をして笑ってもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
当たり前に友達との楽しい時間を求め、幸せでありたいと願う自分を許せないからこそ、”べき””べきではない”に立ち戻って自分を縛ってしまうわけだが、そこに他人が関わった時、上手くその鎖が解ける。
解いてくれるからこそ、他人とのふれあいが有り難い。
細胞に宿る”姉力”全開で弱い生き物によりそい、外に連れ出した絵名も、ニーゴ一社会性が高い瑞希に乗せられる形で、公園へと進みだした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
ふと立ち止まってしまう自分の足を、思わぬ方向へ引っ張ってくれる誰かとの触れ合いこそが、薄暗い場所へ戻ろうとする歩みをせき止め、光の方へと導く。
ニーゴメインエピのようなシリアスな重さ暗さのない、一見気軽な”遊び”の物語でも、作品をぶん回すエンジンは同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
誰もいない世界には気づけば人が集い、ぶつかりあって解りあってかけがえ無くなっていった。
そんな接触と変化は、ユニットごと、子供たちごとに様々な色を持ってるが、根は共通。
ここら辺の枝葉と幹、根っこのイメージがあるから、”セカイの桜、つながる想い”で世界樹のイメージが出てきたのかな…などと思ったりもするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
ともあれ、罪人である自分は楽しむ”べきではない”という鎖の奥にある、友達との今を楽しみ”たい”という奏の願いに、みのりは敏感に反応し応援する。
そういう”べき”と”したい”のギャップに苦しむ人にこそ、みのりが憧れた”アイドル”は手を差し伸べるのであり、かつて自分がそうしてもらったように、衣装を着てなかろうが”モモジャンの花咲みのり”はそういう生き方をし続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
そんな穏やかなプライドが、奏の心を解し、思い出を開放していく。
俺は奏が日常のあらゆる瞬間、父と母がいた幼い日々を思い出し、それを壊してしまった自分を後ろめたく思う姿を見て泣いてしまうのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
物言わぬ父の姿は常に、奏に厳しい現実を突き立ててくるわけだが、しかしだからといって、幸せな思い出が消えてなくなるわけでもない。
無くしてはいけないのだ。
外に出て運動して、新しい友達を作って思い切り笑う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
それは未来につながった新たな体験であると同時に、過去に置き去りにしたものを取り戻す体験でもある。
絵名やみのりや一歌は知らずの内、絶望が思い出を食いつぶす奏の現実戦に加勢し、その戦況を変えていく。
お父さんに教えてもらったフォーム。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
お父さんと一緒に笑ったこと。
お父さんが大好きであること。
サイダーのように弾ける友達との青春の中で、奏は父への罪悪感に塗りつぶされていた思い出を取り戻して、あるべき形に活かし直す。
ストラックアウトの板が抜けて、そこから見えるものは、新しくて古い
そういう風に、思い出の中の未来を取り戻しながら、宵崎奏は必死に生き直し、曲を作っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
そこには人が生きている以上必然的な変化と躍動があり、これをモジュール化した存在であるニゴルカが今回現実に顔をだすのは、ある種の必然なのだろう。
停滞と保護を象徴するニゴMEIKOに対し、痛みと変革を象徴するニゴルカにとって、罪悪と義務の鎖から奏が自分で…あるいはかけがえない友との触れ合いに助けられて、幸せを求める活きた人格を取り戻していくことは、喜ばしい変化だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
かつて確かに行きていて、しかし今は倒れ伏して動かないモノ。
誰もいないセカイに埋葬されていた心の力を取り戻し、楽しいと思える自分を取り戻すことこそが、奏の新しい音楽を、輝くミライを取り戻していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
ルカはそういう、変化の先にある喜ばしい幸福をこそ求めて、人間の持つトランジスタシスの権化として、子供たちの背中を押していく。
それはファンタジックなセカイの住人、個人の望みであると同時に、その主であるまふゆの秘めたる願い、そのセカイに惹かれ集った、個別の痛みと願いを持つ子供たちそれぞれの祈りが、形を為したものだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
ニゴルカは変化を好むキャラクター個人の欲望のまま、今回現実顔を出して奏を見守る。
その行いはニゴルカ個人のものであると同時に、変わりたい、活きたいと願う奏の願望であり、苦しい荒野を進む子供たちに、より幸せで輝くミライにたどり着いてほしいと願う、作者達の祈りでもある気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
兎にも角にも、俺もみんなに幸せになって欲しいよ…。
己を認め許し、全てを歌い上げる奇跡の歌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
奏がそこにたどり着くための小さく当たり前で、とても尊い一歩として、非常に良いエピソードでした。
一歌さんがはにかみつつも、繋いだ絆を大事に膨らまそうとおずおず手を伸ばしている様子も、大変チャーミングだった。
みのりの怪物的コミュニケーション能力と比べ、っと、陰の生き物たちのビクビクおずおず感が際立つけど、『そこは各々それぞれでOK! 社会的動物らしく、補っていこう!』っていう話にもしっかりなってて、個性が感じられ良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
目指す夢も人格のあり方も得意なことも、てんでバラバラなんだけども
それでも手を引いてスケート挑戦したり、バブル相撲で押し合いへし合い利たり、新しく出来た友達として”また、明日”を約束したりは出来るじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
そういう小さな前向きさが、凄く適切に書かれてて、良いエピソードだなーとつくづく思った。
ここで出来た縁が、また今後膨らむだろう。
あと運動が得意とはいえず、体育の授業にも部活にも参加しない奏が、レジャーという形でフィジカル・アクティビティの楽しさを知り、『結構動ける自分』を肯定的に捕らえられるようになるまでの心が凄くよく書かれてて、そういう点でも良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
こういう形で、運動と自分をつなげる体験マジ大事よね
そして『結構動ける自分』への好感は、そのやり方を教えてくれたお父さん、お父さんが好きな宵崎奏を肯定する助けにもなってくれてて、ホント良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
俺はマジで、宵崎奏に父を愛する自分を許してあげて欲しいからよ…その道程が重く遠いのは解るが、それでもそれは必要だよ…。
この父母へのアンビバレントな感情が、鎖ともなり前に進むための燃料、あるいは根拠地にもなってる描写は、まふゆや絵名にも共通かな~、と思ったりするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
コンプレックスまみれのえななんが、絵褒められて『ふーん、悪くないかな』とか言い出すの、東雲絵名の現状描写として最高だったね。
つうわけで、弱い動物がお友達とスポーツテーマパークで大はしゃぎするお話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月1日
こういう、なんてこと無い青春のスケッチの背後に、分厚く人間のあり方と作品のテーマが滲んでる話を食うと、メッチャプロセカ接種できてありがたい。
ここから拡がる新たな世界と、取り戻される幸せも楽しみだ。