シャドーハウス 2nd Seasonを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
変人揃いの研究班にもみくちゃにされながら、エミリコは”スーパー生き人形”として歓待を受ける。
亡霊騒動に更なる進展を求め、ケイトは深夜の同期会を開催する。
冷たい賢さが時に歩みを止める壁になるなら、時には無邪気に、一緒に遊ぶのも…。
そんな感じの暗いのとロクでもないの一旦止めッ! 今日は楽しい親愛度稼ぎエピだよ! つう、シャドーハウス二期第5話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
エミリコがトンチキしかいねぇ研究班に迷い込み、もみくちゃにされながらも先輩と仲良くなっていく様子。
それを思い出し、ケイトが同期と絆を深める姿。
亡霊騒動にまつわる進展は少なく見えるが、今回積み上げた縁が事件解決の武器になるのは、間違いなかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
何しろシャドーハウス、超ロクでもないからな…理由も利益もなく楽しいという、無駄だからこそ人間的な営為こそが、突破口になるのは間違いない。
遊ぶ空気じゃないからこそ、遊ぶことは大事だ
というわけで前半は研究班とのキャッキャウフフ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
高いところでバランス取ったり、角砂糖を貰ってご満悦だったり。
エミリコが無邪気に楽しく過ごしている様子が、夏の日差しに荒れた肌を潤わせてくれる…ありがたい。
エミリコ感性が幼いので、赤ちゃんが喜ぶことでキャッキャするよね。マジかわいい
オリバー率いる研究班は曲者揃いで、エキセントリックながらイヤーな差別意識がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
館はその住人を抑圧化で管理するべく、対立と分断が加速するようシステムを編み上げているので、シャドーハウスで偉くなることは、他人を道具として扱い、心を許さないこととイコールだ。
知的探究だけを求められ、好き勝手やってる代わりに出世の本道から外れている研究班は、そういう館のスタンダードに、上手く適応できなかった存在なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
しかしクソみたいなシステム全部ひっくり返す野望を持つケイトと、彼女が”個”を許し求めるエミリコにとって、この逸脱こそが心地よい
オリバーは自分の生き人形に、”顔”であることを求めず、自由意志をもった助手、発明に勤しむ同志のように扱っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
”実験”をするときも、館のオフィシャルな服装(生き人形が意思なき”顔”であることを強要する鎖)を脱がして、一人間としてワイワイガヤガヤ、楽しみながらだ。
科学の発達のためには発想と思想の自由が必要であり、館のトリックスターが吹き溜まった研究班は、自分たちの使命を果たそうとするほど、シャドーハウス的な存在ではなくなっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そんな在り方が、アトラクションのように楽しい”実験”で、年上世代とケイト達を繋いでくれたのかもしれない。
エミリコたんが無邪気にキャッキャしてる(とびきりかわいい)裏で、ケイトは冷静に騒動解決のヒントを集め、他人を観察している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
名探偵としては必要な立ち回りだが、それは他人を自分の利益でしか見ない、ある意味最もシャドーハウス的な態度でもある。
ケイトが騒動を解決し、これをテコに出世の階段を登ろうとしているのは、館の犠牲になっている子供を開放するという、熱く燃えた志ゆえだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
けして面白くもねぇ我欲とか、冷たい現実迎合のためではない。
しかし態度の奥にある真意は、形にしなければ伝わらない。
エミリコは心と態度が飾りなく直結しており、その素直さが色んな人に好かれ、心を動かす原動力になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
この強さを、彼女を一番間近に見ているケイトもしっかり認識していて、この『外部に反射した内省』が後に、深夜の同窓会で生きることにもなる。
シャドーハウスは意志ある他人を、同じ顔をした動かない鏡として利用することで成り立っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
生き人形システム自体が、本来自我が薄い(から、一人称を持ち得ない)影達が人間の形を手に入れ、人のふりをし、効率的に館に奉仕する前提になっている。
それは支配のための、冷たいシステムだ。
しかしそうして用意された生き人形は、心ある影に自分との違いを、それ故見えてくる自分らしさと、こう在りたいと思える理想を教えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
鏡は現状をただ反射するだけでなく、そこからはみ出した異物性や、未来の夢も照らす…はずだ。
そのためには、他者を他者として尊重しなければいけない。
他人が他人であるからこそ、それを尊べるからこそ、それが魔法の鏡となって、より良い未来、より善い私を連れてきてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そういう善き鏡の権能が、簒奪され歪められているのがシャドーハウスの現状と言えるだろう。
ケイトの叛逆は、曇りなき明鏡を取り戻す闘いなのかもしれない。
事象をただ事象として、冷静に観察しなければ務まらない科学者との縁が、そこにどう活きてくるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
変人ばっかだけど、リーダーたるオリバーの気質を反映して、研究班は気のいい人たちだ。
それは暗い影に染まったこの館では、異質で稀有な資質でもある。いい出会いを掴めた感じね。
この『リーダーの気質が集団に反映する』ってのも、作品に埋め込まれてるミラーリングの一つだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
影響力と強制力を持つ存在が腐っていれば、風下に立つ人々も歪む。
よい志は周囲に照射されて、影の中の光として魂を照らしていく。
子供らがお披露目を終えて、社会的存在としての側面も濃くなった
ケイトが属する最も小さく、最も緊密な社会。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
あのお披露目をくぐり抜けた同期の絆も、Bパートで深まっていく。
ケイトは当初、理と利のみで仲間を動かそうとして、強烈な衝動主義者であるルイーズに拒絶される。
ナルシストである彼女の勝手な言動には、しかし確かな真理がある。
今するべきこと、自分のしたいことばかり押し付けて、せっかくのふれあいを楽しまず、楽しみを与えてくれない相手に、寄せる心はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そんな指摘を鏡として、自分の心を探った時、ケイトが鑑と取り出したのは、愛しい彼女の生き人形であった。
クールな顔して、相当なエミリコたん狂いよ…!(最高)
理論立てて為すべきことを考え動くケイトに対し、エミリコは正しき直感に従い、気持ちを押し留めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
”べき”は本当に大事で、館が歪めている正しき責務を取り戻すケイトの行いは尊いが、しかし正しさだけが、彼女を突き動かしているわけではない。
楽しいこと、嬉しいこと、一緒にいること。
それを素直に差し出してくれることが、どれだけ嬉しく人に届くか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
エミリコと一緒に過ごす日々の中で、ケイトはそれを実感し、学んでいる。
なので怜悧に過ぎる自分を引っ込めて、すすだるまで遊んだり、他愛のないおしゃべりに興じたり、夜の同窓会を心底楽しむ。
それが、凄く良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
清く正しいケイト様が、油断なく館のシステムに切り込んでいく奮戦を見守るのは面白いけど、彼女は正しさの道具じゃない。
色んなことを感じ、だからこそ過ちを許せない、血の通った人間である。
それは、彼女の周りにいる影たちもそうだ。
心から楽しみ、生きた魂に素直に進んでいった先に、ちゃんと遊んだ先にこそ、輝く未来はあるはずだし、あるべきだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そういう事を思い出して、同期の友達と、研究棟のエミリコのように無邪気に、ただ遊べたこと。
大事な友達を、問題解決のためのピースとして見るのを止めたこと。
そんなケイトの決断に、彼女の守護天使がしっかり影響していることが、とても良いと感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
遠回りに見える、深夜のただのお遊び。
友人としてただただ楽しく共に過ごそうと、そう感じてる自分を隠さず表そうと決めたことが、仲間たちの協力を確かにする。
利を見据えた最短距離は、時に悪路だ。
同期の仲間を便利に使おう…ってつもりはないなけども、結果としてそう受け止められる”利”の立ち回りをしてたケイト様こそが、ここにいないシャーリーへの友情と敬愛を形にしてたの、最高に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
それは全く嘘のない赤心で、でも”いつものケイト”では見せられなかったもの。
友達が好きで、一緒にいるのが楽しいと素直に言える、『エミリコっぽいケイト』になれたからこそ、死者を悼み思い出を捨て去らない、とても人間らしい(つまりはシャドーハウス的ではない)気持ちを、形にして共有できた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
それは周りの他者だけでなく、ケイト自身にとっても、大事な具体化だ。
ケイト様はマジで優しい人だからこそ、クソみてぇな館ぶっ潰して人間開放する革命を志した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
厳しい戦いは、冷静に状況を見据え、利害を見極めなければ勝ちきれない。
しかしそれは全て、燃える思いを成し遂げるための手段でしかない。
亡霊騒動を解決するのも、星付きに近づくのも…
全てはより自由に、より正しく、より優しく人間らしく生きていくという、柔らかな志に続く道なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そんな原点を忘れかけ、『シャドーハウス的なケイト』になりかけた時、道を正してくれるのはわがまま娘の鋭い一言であり、自分の顔を教えてくれる彼女の生き人形なのだ。
ケイトの親愛と愉快は、他人を動かすための演技ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
心から湧き上がるものを嘘なく伝えた結果、自己保身と怯えに揺らいでいたパトリックも、一緒にすす遊びに興じる。
仲間はずれは寂しいし、楽しそうなことには飛び込みたい。
パトリックの子供っぽい部分が出てて、大変良かった。
深夜の同窓会、お紅茶飲んですす遊びして…と、遊び方が上品で時代がかっているのが、ゴシック・ジュブナイルとして凄く良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
子供らが自発的に楽しいことを見つけて、傍から見てりゃなんてこと無いのに、この仲間だからこそ楽しい瞬間を、皆で一緒に過ごしている様子は、あんまりにも眩しい。
それが”五人”なんだと、ケイトが忘れず思い出させてくれたのは、同期の絆にとっても、見ている視聴者にとっても、とても良いことだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
他者を道具化する上で、最も一般的で残酷なのはその生命を軽視すること、死を簡単に忘れていくことだろう。
ケイトがシャーリーに捧げた弔慰は、『生き人形が壊れた』と、死と命を玩弄することで成り立っているシャドーハウスで行える、最も尊い葬列だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
心も体も弱く、だからこそ慈しみあい尊重しあわなければ生きていけない、社会的存在としてのヒト。
その根源を、シャドーハウスは踏み潰している
だからあの小さな葬列は微笑ましいだけでも、優しいだけでも終わらず、人として正しくあることを許さないこの館に、”五人”が手を取り合い反旗を翻す強い決意が宿っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
そういう固くて強い物語の芯が、こういう何気なく見えるエピソードでしっかり感じ取れるのは、僕は大好きである。
サスペンス味が薄く、肩の力が抜けた楽しいエピソードえだったけども、”遊ぶ”という最も人間的な行為を軸に据えた結果、作品が他者という鏡/鑑をどう扱いたいのか、グッとこちらに迫ってくる感触があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
なんの利もなく、ただただ楽しく遊ぶこと。
子供のように無邪気に笑い、共に過ごすこと。
それは幼く愚かに見えて、他人を道具化する残酷な賢さを遠ざけ、より善く楽しく在りたいという根源的な願いに、素直に自分を曝け出す行為でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
”善く遊ぶ”というのは実はとても難しくて、クソみたいな抑圧が随所で横行するシャドーハウスでは、なおさらだろう。
だが、人はそこでも遊ぶ。
スーパー生き人形の秘密をワイワイ騒ぎながら探り、香水にこだわりすぎるあまり早口になり、美味しい食事で魂の糧を得て、角砂糖の甘さに舌鼓をうつ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
すすを練り、形を作って焼き、それを思い出と決意の証明にしていく。
何も求めない”遊び”だけが、確かに生み出すものがあるのだ。
遊戯論(僕が強く興味を持つ領域の一つ)としても、凄く手応えのあるエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月6日
大変面白かったです。
強みが間逆な二人が、お互いを鏡により強く、優しくなっていく様子はホント見ごたえあるなー。
主役が魅力的な作品は、やっぱり強い。
ケイト&エミリコの冒険、その続きが楽しみです!