リコリス・リコイルを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
かくして大団円の先に物語は続き、彼岸花は南の島、幸福な反動に浮かれる…という最終回。
ミカが自分の物語に自分の足で決着を付けに行った結果、千束を飲み込むはずだった死の天命は書き換えられ、シンジからの祝福(のろい)も父によって弾かれた。
世はすべて事もなし
とても良くまとまっていて、沢山の人が見たい結末にしっかり物語を導きつつ、予定調和感もハードなアクションの力を借りて上手く抜き、心地よくハラハラ出来る良い運び方だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
Aパートガッツリ真島との殺陣、いい具合の情景描画に力を入れ、Bまるまる余韻を広げる隙間に使ったのも良かった。
文句なし…で終わるならこんなに感想ペンディングしてないわけで、最後の最後でまとまりきらないものが腹の奥に残り、この時間である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
よく出来てて、自分の中では難しいアニメだなと思っている。
千束とたきな、あるいはミカとシンジの個人的な物語としては、凄く好きだし良いとも思う。
友達を護るために敵を殺して、DAから追い出されてはじまったたきなの物語は、千束の隣りにいるために握った新しい武器…拘束用ワイヤーガンを救命具として使うことで、千束と真島との決着に激しく横殴りする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
千束は相手が落ちる≒死ぬことを前提に、防弾具のない頭を打って戦闘力を奪った。
シンジ相手にも曲げなかった哲学を歪めても止めたかった大破壊が、茶番だと解った時の舌打ちはそのためだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
殺さず、死なない。
あの世界で唯一のリアリストたる真島の舌には、甘すぎる子供向けジュースを、飲み干せてしまう天才の生き様が、地に落ちる直前で救えたのは、たきなと出会ったからだ。
南の島で再演される第3話の抱擁…抱き上げられ、生きる意味を与えられる一方的な距離感を縮めて、宙ぶらりんながら生き続けれる未来を与えられる、対等な関係。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
殺し殺される存在として物語を始めたたきなが、ここまで這い上がり降りれたのは、千束と出会い共に過ごしたからだ。
真島の巨大(で、僕からすると結構正常)な世界認識と真逆の、一個人として手が伸びる範囲の幸福で満足できてしまう、千束の生き方。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
それを賢者の知足というべきか、高度に洗練された優秀な消費者というべきか…ここはとても悩む。
千束が生きるに足りると噛みしめる、街と服と食事と愛。
個別の欲望充足として綺麗にパッケージングされ、スタイリングされ、プロデュースされて届く『都会的な生き方』は、基礎構造から切り離され浮遊した現象としては存在しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
作る人、届ける人がいて、それらを成立させる社会の安定があり、それを生み出す機構が複雑なバランスでギリギリで成立…
していない社会として、真島が目覚めさせたかった(そして内乱の予感をはらみつつ、未だ微睡みの中にある)リコリス・ジャパンは既に描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
綺麗で、素敵で、徹頭徹尾”リコリス・リコイル”的にセンスよくまとまったSomething Nice。
それがあれば、生きるに足りると千束は言う。
それを『小さい』と作中既に、真島が看破し…大迫力の延空木コンバットの果てに決着が付いて、大望は体感に劣ると結論は出されるのが、この話らしいまとまりの良さだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
千束は真島との対話に己の根本を揺すぶられはしないし、マクロな真島の視点とミクロな千束の視線は並走するだけだ。
混線し、衝突し、矛盾を克服して新たな結論を出したりはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そんな古臭い物語力学を持ち込んでいたら、こんなにシャープで小気味いい語り口は成立していないだろう。ずっとそういう画角で切り取ってきたのだから、混じり合わないのは嘘のない、良いトーンだろう。
くるみの万能天使っぷりを見ても、スピード感に溢れノイズのない物語体験を実現するべく、何を切り捨て何を強調するかという見切りは覚悟を持って行われていたし、的確でもあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
大きなものをあえて扱わず、一人間として足りるを知る聖性に体温を宿して、少女が変わる物語を編む。
そんなこれまでの歩みを、最高の美術と作画でしっかり描き切る、良い最終回だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
その揺るがなさが、千束が選びたきなが己に引き寄せた身の丈の個人主義…作中で勝利し(あるいは、勝利したと描かれ)の裏にあるはずのものの不在を、真島が見据えて空転したものを強調もする。
くるみのハッキングにより、真島が投げ込んだ社会的爆弾は不発に終わり、微かなきな臭さを残しつつもリコリス・ジャパンは”平和”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
DAは存続し、孤児の養親として帰属意識と銃弾を与えて、秩序と死を相変わらず、リコリスに与え続ける。
腐敗したまま、夢は続く。
千束はそれでいいと呟く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
それは一人間が社会という巨大な機構を動かすには、あまりに小さすぎる現実へのニヒリズム的適応でも、デカいものを見据えすぎてしまう真島への皮肉でもない。
あの子に嘘はない。そこら辺、純粋すぎた方の父親と良く似てると思う。
自分自身その只中で飼われ、耐え難く飛び出した腐った根の木から堕ちてくる、魂を充足させるに足りるあまりに美しい商品達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
『それはそれ、これはこれ』で足を止めれるのが千束の天性であり、彼女の好ましさであると僕も思う。
その上で、作品の結末であり賢明で健気な少女たちがたどり着いた”正解”として描かれているモノが、どこから来たか考えるトレーサビリティに欠けすぎているようにも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
今回千束が(つまりは彼女を主役とするこの作品が)見ないようにした、捻くれて繋がる美しさと歪み。
それこそが”現実”なのだと納得するには、このお話が切り取り描いた”公”はあまりに小さく、脆い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
脆く感じられるのに怪物めいてしぶとくもあり、衆愚に守られて歪なまま継続し続ける。
そうしてくれるから千束が大事にしたい、綺麗な正解も維持されていく。
ちっぽけな”私”の輪郭に触れるギリギリの他者、あるいは社会だけにアプローチし、神の与えた天才を活かして守り切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
千束の生き方は物語登場時から変わっていないし、そこに力が宿るからこそ、たきなは孤独からすくい上げられ、生き方を変えて愛を掴めた。
そこには、強く納得し感動もする。
その上で、DAにも平和で美しき東京にも、その外側に広がってる『金で買える観光地』としての楽園にも、大きすぎるモノの息吹は強く宿っている…はずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
真島(に結構シンクロした僕の視線)が見てた、アンバランスな歪さ。
土台ごと爆破してなお、再建するしか無いと思えた軋み。
それが世界を大きく捉えすぎた暴力的理想主義者の杞憂だと、少女たちがたどり着いた美しい風景は語るのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
大きいものと小さいもの、公と私は切断されて繋がらず、不正義と迷妄を下部構造にして、満たされるに足りる個人の生は存立しうるのだろうか?
こういうネトネトめんどくせー、真っ向勝負するとコストばっかりかかるくせに皆がスパッと納得できる問題を、大胆に切り捨てたから成り立ってる話ではある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
少女二人の魂の交流も、男二人の愛の行く末も、描けききれているのはそこに触っていないからだ。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
×皆がスパッと納得できる問題を
○皆をスパッと納得させるのは特別難しい問題を
しかしまぁ、ロクでもない世界で女の子にテッポー握らすなら、めんどくせー泥に両足突っ込んでくれたほうが、個人的には好みであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
完全に切り捨てて無視するのではなく、その面倒くささを見据えて暴力を選ぶ真島をラスボスに据えて、主役と交流もさせている所が、卓越したバランス感覚だなと思う
真島も完全な公権主義者というわけではなく、むしろ自分が納得できるエゴの充足を最優先に勝手に動く、アランの子供らしい個人主義者である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
だから仕事が終わっても千束との決着に拘るし、殺し合いの最中に腰を落として語らいもする。
一個人として譲れない、大きなモノの変革にも拘る。
デカいネタでパンパンに膨らんだ、人間としての可愛げが足りない風船人間が打ち合いするより、ゴリッゴリのエゴを燃やしながら譲れない願いをぶつけ合う物語のほうが、体温あって面白いからな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
深夜アニメは論文じゃないので、面白いのは至上命題的に大事だ。
真島は千束に足りないもの、彼女が触ってしまっては絶妙なバランスが壊れるものを積極的に背負う…味方サイドで言えばクルミと同じ立場のキャラだったようにも感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
公への視線、殺しへの躊躇いのなさ、関係性の切断。
最終決戦、たきなは千束のために死地を走り、ロボ太はパトカーの中から出れない
千束が勝者になるのは他人を大事に抱きしめられたからで、真島が勝ちきれないのはロボ太と(なかなかいい感じになれそうな、チャーミングな距離感を保ちつつも)繋がれなかったからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
孤独は弱い。
”私”であることに足りていたとしても、それは愛しい他者とのふれあいの中にしか成立しない。
こういうハンディでバランスのいい真理に、千束が最初からたどり着いていたからこそ、たきなはその腕に抱かれて彼女の黄金を見つけて、それに生き方を変えてきたのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そしてその小さく適切な共鳴主義は、掌から離れた距離にあるものにけして触れない。
千束の奇跡的なバランスが”公”に触れないから成立しているのか、そこに手を伸ばしてなお彼女の聖性は揺るがないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
生きる理由と選び描かれた綺麗なモノ達が、土台とする腐敗した土壌に手を突っ込んでなお、小気味いい語り口は維持できるのか。
そこは賢明に距離を取って、作品が触らなかった問いだ
ラストバトルの決着、千束の生存と楽園の休日を以て、千束が体現するものは正しく勝った…ということに、物語が物語である以上なってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
その結末を血肉の通った、ここまでのお話に嘘のない良い終わりと感じる部分と、『そうはならねぇだろ…』と苦く噛みしめる部分が、僕の中で現在両立してる。
千束が寿ぐリコリス・ジャパンの美しい物神を、答えと飲み込めない常識、判断材料、あるいは思い込み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
それは僕が勝手に作品の外側から持ち込んだ荷物で、それを作中描写で持ち込ませないよう精妙に、この作品は編まれてきたと思う。
でもまぁ、それも僕の一部なのでなかなか切り離せはしない。
あんだけ精妙なプロダクトとサービスに満ち、高度に経済化されなければ生まれ得ない風景は、暗愚に腐敗したあの東京には、生まれ得ないのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そんな事を、勝手に思ってしまうのだった。
描かれてないだけでリコリスが児戯にしか思えないよう悪魔的腐敗が、あの世界山盛りありそうで怖い…。
仮にそういうモノがあったとして、そこに踏み込んでしまえばまた話の方向性はブレるし、千束とたきな、シンジとミカの愛の話、”私”の話を突き詰めることは出来なかっただろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
難しく考えてる風でその実露悪的なだけな”リアル”を、ごぼ持ち込まず透明感維持してたのは流石だし、ありがたくもあった。
千束とたきなの天使の休日は、ミカが父として大人として、シンジを愛して一緒に間違えたミカ個人としてしっかり、ケジメを付けてくれた結果だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
『物分かりの良い傍観者で終わんのかな~』と思ってた所に、最強のバトルソルジャーとして暴れてくれて、ファンとしては嬉しい。満足だ。
知るを足りる千束の人格質量は、たきなをすくい上げミカを変え、シンジを狂わせた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
その影響力のデカさこそが多分”天才”で、あんだけ爆弾投げてなお腐った世界を壊せなかった真島との違い…なのかもしれない。
殺し殺される関係へと自分と娘を追い込むべく、その才だけを求めているように演じる。
天命に呪われ、千束に狂ったシンジが与えようとした生命と呪いは、彼を愛した男、もう一人の父親の手で握りつぶされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
可能性の芽を摘み、自由に延びるに任せる(千束の生き方に強く影響された)ミカ主義が、固定された天命を強要するシンジ主義に撃ち殺される決着…とも言えよう。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
×ミカ主義が、固定された天命を強要するシンジ主義に撃ち殺される決着…
○ミカ主義に、固定された天命を強要するシンジ主義が撃ち殺される決着…
大事な大事な娘が、未来に向かって延びる延空木で自分の影と決着付ける裏で、ミカとシンジは間違えきった大人として、自分達の過去に決着を付けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
その結末を見せないのは大人の優しさであり、お互いの傷を特別な永遠と秘める、独占のアガペでもあろう。
ここら辺の湿度は、ミカシンホント好きな所。
ミカが吹き上がりすぎ呪術書引っ剥がして、誕生祝いだけをシンジが残したように改ざんしたの、千束の未来歪めねぇ責任以上に、愛した人の狂気と歪みを自分だけが噛み締めて、永遠に飲み干す欲望の結果だろ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そういうズルさずっと描かれてきたので、跛足の偽装は超納得した。そうじゃなきゃなッ!
たきなが獣の顔になっても奪えなかったものを、ズルい大人は最大の詐術を最高のタイミングで利用して、キッチリ回収できた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
純粋で幼い愛だけでは拾いきれないモノがあると書く場面でもあって、あのダブルクライマックスはやっぱり好きだ。
最後に好きなキャラが目立って良かった!(動物の鳴き声)
というわけで、なんだか煮え切らない感想を最後にぶちまける形になってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
しかしまぁ、書いてよかったと思う。
今期…つうか今年一番のオリジナル・ビッグヒットであり、沢山のファンを生み出した立派で楽しいアニメであったし、そうなる洗練と熱量、腕力が確かにあった。
僕は勝手に作品の外側に視線を伸ばし、あるいは外側から荷物を持ち込んで、最後にガーガー言うことにもなったが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
書かれた事自体に嘘はなく、作中に生きる個人は生き生きと魅力的で、スマートでチャーミングな作品になっていた。
好きになれる作品で、好きで終われない難しさも、個人的にある。
ルックの良さ、それで見ているものをぶん殴るタイミングと腕力の強さはぶっちぎりで、とにかくセンスあるアニメだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
”現代的”になるように、アニメの外側にある様々な表現力を咀嚼して、上手く取り込んで使いこなす能力が高かった。
超一流の令和都市カタログとしても、楽しめる作品だったな
銃弾でしか自分の優しさを表現できなかったたきなが、千束に抱きとめられて命を救う己を鍛え上げ、恩人であり相棒であり師でもある存在を死から救うまでの物語には、爽やかな体温が常時満ちていて、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
ここに吹く風の裏で、ミカとシンジがネットリ厄介な恋してたのも良い。
問題だなぁ…と思うポイントは、まぁ今回の感想で一杯書いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
こんだけの大好評と、幾らでも続けられる”続く”な終わり方からすると、続編なり劇場版なりありそうではあるが、物語を切り取るスケールを半歩間違えた瞬間、メチャクチャ破綻しそうな予感もある。
しかし先のことは分からないし、その危うさがこうして作り上げた物語の全部を、裏切るわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
このアンバランスな揺れ方で、心の中に残る作品として自分が受け止めたのは、なんか凄くリコリコっぽくもある。
楽しいアニメで、好きになれるアニメでした。
とても面白かったです、お疲れ様。
追記 All that glitters is not gold
蛇足
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
”答え”として描画され引用される数多のプロダクトの輝き、その危うい(非)実在感を思うに、このアニメが参照するべきは”ガンスリンガー・ガール”でも”ニキータ”でもなく”なんとなくクリスタル”なんじゃないかなと、ふと思った。
武装美少女文脈より、消費文化創作の裔な気がすんだよな…。
追記 千束が凄くナチュラルに、人間として正しく感覚し充足できる美しい”当然”で、立ち止まれない愚かしさを自分は捨てれないのだと、思い知らされる最終回にもなったわな。
リコリコ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
死ぬと勘違いして一人で死ぬべく病院を抜け出し、世界を巡ってバカンスこいてた千束。
たきなが来るまで”余生”をどう生きるか想像できないほど、死を前提に人生編んでた(結果、無私の聖人性を自然と獲得していた)と解る場面があって、とても良かった。
期限付きだからこそ制御もできた正しすぎる生き方が、シンジが呪いミカが護ったうねりで当たり前の終わりまで猶予されてしまって、その人間の当然が千束には縦断避けるより難しい問いかけなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
それを一緒に解いていくのはたきなの特権で、リコリコの仲間も当たり前のように助ける。
当たり前の大人になること、死ぬことへの猶予期間(モラトリアム)を掴み取れたのは、当たり前じゃない千束が当たり前じゃない戦いを生き抜いて掴んだ、立派なご褒美だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そういう所に、彼女を愛する人たちと一緒にたどり着けたのは良いエンディングだったと思う。
そしてそんな個人的な救済を千束は、等身大の自分の手が届く範囲で完全に納得し飲み込める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
その人間としての当然が非常に限られた聖性だからこそ、知足の徳に至れぬ凡俗がそれでも生きていく装置として社会があり、残酷に駆動し愚かに軋みながらそれでも、それに頼るしかない”当然”がある。
公私のアプローチを詳述することを(おそらく意識して)拒絶し、千束一個人の決意と未来に話をまとめ上げたことが、あの心地よい終わり、ハンディで良いアニメ見終えた実感に直結している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
そう作品が書いている以上、二つの”当然”が『繋がってない』と感じるのはお門違い…なんだろうな。
追記 強制的に他人の欲望を捻じ曲げ思いを吸い込む、ブラックホール的な存在として千束を書ききれたのは、作品の強靭な柱だし強さでもあろう。
しかし一人間として生きて死んでいく自分に足り、エゴを制御しきった理想的”私”である千束になんかデケェ事しろよ! と擦りつけてくるの、モロにシンジの立ち回りまんまで、僕も千束に狂ったんだろうなぁ…などと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年9月30日
一人間の器か溢れる才を”活かす”願いも、他人が押し付ければ勝手なエゴだわな。