イマワノキワ

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ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第14話『愛と復讐のキッス その2』感想

 気高くも哀しき復讐譚、決着ゥゥーーーッ!! という感じの、ストーンオーシャン第14話。
 エルメェスの魂が渾身の作画と演技で燃え上がり、ドブに沈むしか道がねぇクソカスを正しく裁きつつも、還らぬ死者への哀切が滲む……とてもジョジョらしいエピソードだった。
 世の中が”正義”とするものが正しく機能してないから、徐倫は冤罪で刑務所にブチ込まれ、エルメェスは罪を装って刑務所に侵入するしかなかったわけだが、闇の中でこそ光は強く輝く。
 世の中に褒められたもんじゃねぇ女囚達は力強くスクラムを組んで、他人事な戦いにわざわざ首を突っ込み、血みどろになりながら仲間を助けていく。
 自分の命すら正当な裁きのための生贄であり、敵が食らいつくその瞬間こそが最大のチャンスであると知っているから、後ろには引かない。
 その覚悟だけが切り開くものをカタルシスたっぷりに描きつつも、全てが終わった後の哀しみ、それを受け止めてくれる仲間もちゃんと描くお話だった。

 

 ワニゾンビに襲われる大ピンチを切り抜け、F・Fは自身の能力で皆の傷を癒やす。
 食らいつくしか能がないゾンビの特性(これは後に、スポーツ・マックスを追い詰める決定打にもなる)を冷静に見切り、傷を恐れず逆転を果たす覚悟は、元はプランクトンな彼女が”人間”に近づいている様子を、戦いの中で示す。

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第14話から引用

 同時にその力は優しくもあり、エルメェスの瞳から流れる血……赤い涙を止めてあげもする。
 グロリアをドブに沈められ、正当な復讐に身を投じているエルメェスは己に、涙を流すことを禁じている。
 しかし彼女のひょうきんで優しく、強い魂を共に過ごす中で強く感じている(からこそ、個人的な戦いにわざわざ馳せ参じた)F・Fは、エルメェスが凍りつかせているものを癒やし、蘇らせようとする。
 それは異能が飛び交う限界バトルの中でしか果たされず、甘ったるい友情で飾られてはいないが、しかし瞳から流れる血を止めた後の微笑みが、彼女たちに共有されているもの、F・Fの中で育っているものを良く語っている。
 それはワーワー騒がしい女囚ぐらしの中で、エルメェス自身が彼女に分け与えたものが帰ってきてる証でもある。
 己の全てを賭した復習を終えても、エルメェスには帰るべき場所が残っている。
 このごみ溜の中で、彼女が優しさと強さを忘れなかったからこそ、それは彼女に追いつくのだ。

 

 一方仇たるスポーツ・マックスに、帰るべき場所はない。
 自分がどんな存在なのか、透明な怪物に成り果てている現実を認識も出来ず、セックスと暴力とドラッグに溺れた彼なりの当たり前を演じ、血みどろにかぶりついて全てを壊してしまう。
 あの狂った”日常”に宿る不思議なペーソスと、だからこそ湧き上がるおぞましさは、JOJOアニメがモダンホラーとしても力強いことを、良く語ってくれていた。
 ああいう表現が強いのが、六部アニメの好きなところだ。

 透明な怪物に成り果てた彼は、他人とコミュニケーションすることも出来なければ、誰かを癒やし守ることも出来ない。
 もともとそんな事興味が無いから、グロリアをドブに捨て神父に脅され、エルメェスへの復讐にしか興味がない怪物に落ちてしまった部分もあるだろう。
 因果といえば因果だし、人間の大事な部分を踏みつけにできるカスが相手だから、エルメェス達の戦い、復讐の成就がスカッと見られもする。
 エルメェスにとって犯罪は、仇に近づくための唯一の手段であり、目的ではなかった。
 スポーツ・マックスにとって誰かを殴り飛ばし、殺し、その死体をすするのは”当たり前”であって、悪徳それ自体が目的だ。
 ゾンビになる前から、彼はどこに向かうか、どんな道を選ぶのかを考えずに進み、自分の歩みが生み出すもの、傷つけたり守ったりするものを考えない。
 そういう所が、復讐者と仇で間逆なのは面白い。

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第14話から引用

 墓所におびき寄せられ、絶体絶命の窮地に飛び込んだエルメェスは、壮絶な凄みを血とともに纏う。
 ここのゴリッゴリの作画は彼女の覚悟、どす黒い憤怒と溢れる力を的確に表現し、とても良い。
 『自分の目的とエルメェスの運命が重なっているから、自分はここで闘うのだ』とクレバーに言い訳していた徐倫が、そういう建前ぶっちぎって『ダチがヤベーから座ってらんねぇよ!』という本音をむき出しにしていくのも、大変良い。
 湿った仲間意識を常時ぶん回すのではなく、あくまで独立した個人としてクールに立ち回りつつ、しかしその根っこは厚い人情で繋がってる。
 六部の距離感は、やっぱり好きである。

 エルメェスは『下がれ!』という徐倫の的確な助言を、あえて跳ね除けて死地に踏み込む。
 それはあくまで自分の運命に決着をつけるためであり、己の魂と分かちがたく結びついていた姉を不当に引き裂いた相手を、引き裂き返すことで何かを取り戻す戦いだ。
 復讐の許可証たる”キッス”が『二つに分かれたものを結び合わせ、しかし元の形に戻らない』能力であるのは、大変示唆的である。
 復讐を終えてグロリアは戻ってこないし、世間のわかったような”答え”に背を向け突き進みつつ、そんな事実をエルメェスも既に知っている。
 知ってはいても、刑務所の外に広がってる当たり前の世界は、正当な裁きを与えてはくれなかった。
 なら他人に見えない異能力を使い、罪を偽装して刑務所に潜り込んででも、自分の手で正しく決着させなければいけない。
 姉をドブに沈めたクソ野郎はドブに沈め返すし、二つに分かれているものは一つに戻らなければいけない。
 魂の形を表すエルメェスのスタンドが、死してなお下劣な人食いであり続けるスポーツ・マックスを討ち果たし、これ以上の惨劇を広げない決定打にならならけばいけない。

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第14話から引用

 漆黒の聖人像ともいうべき荘厳さで描かれる、エルメェスの復讐……その帰結。
 ”己の”運命に決着をつける戦いなのに、怒りを込めて叩きつけられる拳と蹴りは、全てグロリアのためだ。
 それを奪われたままでは自分が自分でいられないような、あまりに痛切な切断。
 それを奪い返すために”キッス”に目覚めた彼女は、たとえ復讐を果たしても砕かれた自分が癒やされないことを、既に知っていたように思う。
 だがその傷は敵を揺るがす強烈な武器ともなり、もはや脳髄ジュルジュルしか頭にないもう一人の復讐者を、決定的に追い詰める一撃を生む。
 スポーツ・マックスを殺した自分が、殺されるべき復讐相手に成り果てたのだと認めている所に、エルメェスの公平さ……スポーツ・マックスとの違いが良く現れている。
 傷や痛み、負い目を冷静に受け止めた上で、それに流されない熱と冷静さを持ち続けた結果、彼女は復讐を果たす。

 だが、もうグロリアのキスはない。
 姉妹として、幾度も抱き合いその魂に口づけしてきたからこそ、エルメェスは人生を投げ捨ててこの監獄にたどり着いた。
 しかしグロリアは死んでしまっていて、その運命はスタンド能力でも帰らえない。
 二つに分かたれたものは、正義を果たして決着を付けたとしても、必ず傷を残す。
 ド外道を二度殺しお似合いの地獄に放り込んでも、スッキリなんかはしないし、抉られた心はけして治らないのだ。
 だから、封じられていた涙が溢れ出して、闘争の血を追いかけるように流れていく。
 F・Fが治してくれた場所だ。

 『アンタのところで、思い切り泣きたい』
 そういえる徐倫エルメェスを抱きとめられる距離にいるのは、右も左もわからぬままハメられ、この世の果てに押し流された刑務所入りのとき、気のいい女囚がおせっかいを焼いたからだ。
 あの時から繋がっていた縁が、個人的な復讐を他人事ではなくし、血を流してでも助ける大事な指名なのだと、思える関係を作ってくれたからだ。
 自分の全てを賭けた戦いを終えても、エルメェスは空っぽにならない。
 キスをするべき相手は、まだ彼女の隣に残っていてくれているのだ。
 それは彼女が血に飢えた透明ゾンビではなく、復讐のどす黒い炎を心に抱えつつも、目の前で困っている人間を無視は出来ず、歪んだ不条理に拳を突き立てる勇気を持っていたから、生まれた宝物だ。

 それに報いるべく、徐倫は特別監獄への放り込まれる。
 己を囮とし、危険な死地に飛び込むことで未来を切り開いていく。
 今回エルメェスが見せた気高い勇気、命がけの覚悟と同じものがあるから、徐倫は過酷な運命にも瞳を閉じず、目指すべき場所、そこに至る過程を真っ直ぐ見つめながら進んでいく。
 そのためなら顔面にクソも浴びるし、虫まみれの飯も喰う。
 きらびやかな英雄譚ではないが、しかし燃え盛る魂の炎が眩く燃えているのは、今回果たされた哀しき復讐と同じだ。
 そのドス黒く燃える炎を、皆が持っている。
 だから、この作品は面白いのだろう。
 舞台を変えて、物語は続く。次回も楽しみだ。