イマワノキワ

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アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN:第7話『邂逅 Separation』感想

 戦塵と仮面が真実を覆い隠す果てに、待ち受ける剥き出しの人間存在。
 我々の手は武器を持って人を殺すためにあるのか、愛しい人を抱きしめるためにあるのか。
 ミーシャを巡る闘争は一つの頂にたどり着き、運命はそこから転がり落ちていく。
 アークナイツアニメ、第7話である。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第7話から引用

 

 今回は本名を捨て戦う力を得たスカルシュレッダーから、それでも漏れる人間味を描き、それが万人手を取り合う甘い夢とは真逆の場所に炸裂するエピソードだ。
 ”人間味”はBOSSとして特別な名前を与えられたスカルシュレッダーだけではなく、仮面に顔を隠し匿名無名の存在となることで、不当な差別に抗うすべを手に入れたレユニオンからも滲む。
 目覚めたミーシャの傷には手当がされ、『イワン』と個人の名前を呼ばれたレユニオンは、優しく手を振って去っていく。
 顔のない怪物のように思われた者全てに、それぞれの夢と人生があり、それを踏みにじられる痛みがある。
 それはロドスが寄り添い、癒そうとする人と大地の拭いがたき傷と、何が違うのか。
 癒やされるべきものと、武器を取って抗うものの間には、いかなる違いがあるのか。
 答えは常に、血の絵の具で描かれていく。

 その事実を、ミーシャはスカルシュレッダーの仮面の奥を覗き込むことで確認する。
 二人の距離はその心と同じように離れては近づき、また離れていく。
 運命に分かたれ再び出逢った姉弟の距離感はそのまま、”レユニオン”という運動への接近と離脱を象徴していて、ミーシャは故郷をメチャクチャにした粗暴な団体の素顔を、仮面の奥に見定めていくことになる。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第7話から引用

 

 感染者を同じ”人間”とは欠片も思っていない、冷たく苛烈な差別と搾取を前に、屠殺を待つ獣のように黙っていれば良いのか。
 父母を節減に食い殺した権力の獣に、延々同じように従っていれば良いのか。
 仮面で顔を奪うことで無敵の鎧を、銃を握らせて戦う力を与えてくれたレユニオンは、本来あるべき人間としての自分と、そう扱われない現状を再統合しうる、正当な秩序の回復者として、アレックスには思えた。
 弟の苦悩と決意にミーシャは接近し、かつてアーミヤにそうしたように手を差し伸べる。
 ロドスとレユニオン、肉親と友達。
 板挟みに引き裂かれた彼女がどこに行くべきか……どこに流されていくかは、物語の最後を飾る悲劇の中核だ。

 スカルシュレッダーの盲信はいかにも危うく、両手を広げた彼は黒い凶鳥のようにも見える。
 罪を人間のどこに測り、殺し殺されるものを選ぶ傲慢をどう引き受けるか。
 人間存在が地に降り立ったときから始まり、未だに答えが出ない難問を、スカルシュレッダーはレユニオンを信じ続けることで棚上げする。
 俺たちは奪い、選び、殺せる側であって、今までのように簒奪され、選別され、殺戮される側じゃない。
 病んだ家畜じゃない。
 それを逆恨みと断罪できるほど、アレックスとミーシャが巻き込まれた白い嵐は生ぬるくなく、それを正当といい切れるほど、チェルノボーグの惨劇は軽くない。
 答えの出ない天秤の間で揺れ続け、考え続ける理性を失えば、人は他人を喰う猛禽になってしまう。
 そうさせるためにレユニオンは、匿名の免罪符たる仮面を与えるのかもしれない。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第7話から引用

 ミーシャ奪還を最優先とするはずの戦闘は、巻き起こる塵に阻まれて視界を失っていく。
 誰も殺さず、誰かを助けるはずだった戦いは、剣と剣を向き合う問答無用で、取り返しがつかない殺し合いへとなだれ込んでいく。
 それを上から睥睨できる通底した視線を、指揮官がいる優位を振り回しながら、ロドスはスカルシュレッダー隊を圧倒していく。
 ドクター≒プレイヤーが”ゲーム”をすることで、戦闘にどういう影響があるのか……大変見えやすく迫力もある戦闘演出が良かったが、しかし闘争でぶつかり合うもの、すれ違うものを思うと、興奮してばかりもいられない。
 少なくともテラの大地では、ここで行われているのは命のやり取りだ。
 (ここでドクターの優秀さを描いておかないと、のちの地獄絵図の引き金となるだけのお荷物ヒロインっぽさが強くなりすぎてしまうので、しっかり情勢を見極め戦力を使っていく場面を描いといた……てのもあるか)

 それを盤面の外側からかき回す、悪魔の道化師。
 Wが姉弟接触する時、必ず直対せずズレた角度を維持しているのが、暴力的状況から一方的に利を得ようとする奸智を教える。
 この狡賢さと、戦場を生業とするWのサルカズ傭兵を借りなければ、兵員の質も指揮官の視野も劣ったスカルシュレッダー隊は、目的を果たせない。
 同じ感染者、同じ家族であるミーシャをレユニオンに”保護”し、裏切り者の手から守ること。
 ロドスと真逆に見えて、同じ行動理念で(少なくともスカルシュレッダー隊の内面においては)動いている仮面の軍勢
 その素顔は、扇情の霧に隠れて良く見えない。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第7話から引用

 盤面の殆どを制圧されつつ、嵐に紛れての王手詰めで逆転を狙うしかないスカルシュレッダー隊は、今や弱者である。
 それはロドストの戦力差が生み出した相対的状況ではなく、一面においては間違いなく揺るがない、彼らの真実だ。
 奪われ、踏みつけられ、殺されてきた我々から、更に奪うのか。
 なぜ長きにわたってされ続けてきたことを、平等にやり返してはいけないのか。
 スカルシュレッダーの明日なき突貫には、そんな剥き出しの問が宿る。

 言葉が追いつかないそんな”真実”に、アーミヤは禍々しい黒い雷を放つ以上の余裕を持ちえない。
 どれだけ殺さず、奪わず、話し合う理性を大事に守ってきても、あまりに高速で状況が動き、あまりに情勢が見通せない暴力的コミュニケーションの現場においては、生命は奪い、奪われる。
 それは取り返しようがない対価で、しかしそれをどうにか取り返そうとしたから……白い雪に刻まれた父母の血を贖おうとしたから、アレックスは仮面を求めた。
 ロドスは暴力で正当なる裁きを下す愉悦を感染者に許さず、レユニオンはそれこそが分断(Separation)された我々を再統合(Reunion)しうる唯一絶対の手段だと、銃を握らせる。
 少年に突き刺さるアーミヤの暴力は、その対立が思いの外親しい兄弟であることを、良く語っている。

 大事なものを守るためには、殺すしかない。
 アレックスがミーシャに語り、アーミヤがロドス代表としてご丁寧に否定してきた世界のどん詰まりに、感染者の少女を巡る戦いはたどり着いた。
 戦場の塵が何もかも多い格下としても、アレックスが死んだ、アーミヤが殺したという事実は、ミーシャの瞳に届く。
 届いてしまう。
 『ロドスは人を殺さない』という、キレイな夢を信じていたかった少女の眼前で、仮面を外した素顔を良く知っている大事な存在が、終わらされる残酷を突きつけられる。
 子供のようにはしゃぎながら(あるいは、仮面を外した素の自分を出しながら)自衛のための暴力を教えた時、スカルシュレッダーが刻んだ呪い。
 レユニオンという組織は信じられなくとも、血を分けた自分のことは信じて欲しい。
 その、間違いなく愛であるはずのものこそが、一人の死を一人の死で終わらせず、百万の屍を戦場にばらまいていく。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第7話から引用

 アーミヤは顔もわからない遠くから、圧倒的な暴力でスカルシュレッダーを殺した自分の手のひらを、呆然と見つめる。
 仮面の軍勢は自分たちを導いた同志の、せめて死体でも取り戻すべく鬨の声を上げる。
 震える家畜で終わらず、死者の尊厳のために立ちあがるイワンの総身には、人が振るいうる最も強いものが確かに宿っていて、しかしそれが行き着く先はチェルノボーグを燃やし尽くした炎だ。
 同じものが、生きることと死ぬことの残酷な真実を叩きつけられた、ミーシャの胸にも宿るのか。
 そういうモノを遠ざけ、優しく暖かな温もりと光で世界を照らすことなど、叶うはずもない夢なのか。

 残り一話、物語が一旦幕を閉じても、問いに答えは出ない。
 問の只中にたゆたい、正しさに溺れず真っすぐ進み続ける、理想の方舟。
 ロドスが目指すのはそんな場所だが、それが如何に困難な道程かを、最終話は深く刻みつけるだろう。
 ままならぬ世界の不条理、それに押し流される自分に震えながら、アーミヤの歩みは続く。
 続いていってしまう。
 その残酷な1ページの続きを、次回見届けたいと思う。
 楽しみだ。