イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プロジェクトセカイ カラフルステージ感想:夢の途中、輝く星たちへ

 宣伝公演を成功裏に終え、順風満帆な我らがワンダーランドショウタイム!……って所で立ち止まらず、凄い勢いで”終わり”を見据えだしてる新章開幕である。
 『貴様らに、天使すらも震えて泣いている”事実”を見せてやる……』と言わんばかりに、鳳えむの満点笑顔をゴリッゴリに試して、ドス黒い影を長く伸ばす回だった。

 その天性と恵まれた環境のあわせ技で、基本的に”喜”の感情以外が薄いえむちゃん。
 マイナスの感情に慣れていないし耐えられない彼女の幼さが、天真爛漫な前向きさとして沢山の人を救い、未来を作ってきたのは記憶に新しい。
 だからこそ、抗いがたい時の流れ、避け得ない別れの宿命を前に黒雲のように湧き上がる思いにどう向き合うか……『ココを描かなきゃ、鳳えむというキャラの心臓を取り逃してるのも同じだッ!』という気合の入った、かなり重要なエピソードだったと思う。
 ピカピカ眩しい視界からはどうしても外れてしまう、理解の外にある人間の必然をしっかり見つめたことで、えむちゃんはちょっと身の丈が伸びて、もっと強くて優しい人になっていくと思う。
 例えばまふゆが笑顔の仮面の奥に隠しているものを、感覚しつつも認識しきれなかった状況も、今回の経験を足場に動いていく気がする。
 世界と自分に満ちたドス黒いものを見据えると、伸びた身の丈がそういう新しいものを見据える視力を、連れてきてもくれるだろう。
 それがけして孤独な苦闘ではないのは、えむちゃんがずっと誰かのために、自分のために必死に戦った結果だ。
 えむちゃんは自分の夢を叶えてもらったから、誰かの夢を応援したいと、寂しさを噛み締めながらそれでも微笑む。
 そういう場所に自分を引っ張り上げた彼女自身が、誰かの夢を叶えてきたからこそ、こういう土壇場で助けをもらえるのは間違いなかろう。

 

 というわけで、天使に伸びた影を間近に見据え、自力で答えにたどり着く手助けをしまくる”人間”ニ名……フェニックスワンダーランドに推参ッ!
 物語が始まった時は、他人と触れ合わない距離感に閉じこもっていた類くんと寧々ちゃんこそが、鳳えむ人生の分岐路に黙っちゃいられねぇと、楽しい時間を手渡して笑顔と強さを取り戻す手助けをするのは、なんとも感慨深い。
 特に類くんが幼少期、他人と自分を隔てる異物にしかならなかった知性をより柔らかく、暖かな知恵として活用する術を覚え、自分たちの旅がどんだけえむの夢を形にしたのか、自分で確認する道を作っていたのは凄く良かった。

 ここを歩けば、えむくんは自分が何を成し遂げたのか、そこに自分たちがどんな足跡を刻んだのか、必ず思い出せる。

 そう確信しているから、類くんは遠回りなフェニラン一周コースをえむちゃんと一緒に進んで、彼女が自分から答えを見つけ、それを自分たちに預けてくれる未来に賭けた。
 こういう賢さの使い方ができるようになったのは、類くんがワンダショで色んな経験を重ね、信頼できるダチと本気でぶつかりあって、願いを自分に引き寄せたからだ。
 ”カーテンコールに惜別を”で見えてしまった、寂しくも嘘がつけない自分たちの未来。
 実りある別れに向けて突き進んでいくとしても、その一歩一歩がかけがえない歩みであり、とても大切で裏切ることは出来ない。
 そういう実感を類くんも寧々ちゃんも持っているから、永遠の今に閉じこもることを自分たちに許さないのだ。

 

 やっぱワンダショは相当ヘンテコなユニットで、他ユニがメジャーでの活躍やら自主イベントの成功やら”これから”に挑んでいるこのタイミングで、仕事として宣伝公演を成功させ、それに安住しないより大きな未来を見据えている。
 真実自分であり続けるためには、常により良く変わっていく必要があり、そのために新たな挑戦と別れが待ち構えるのなら、寂しさに足を止めてはいけない。
 それは何者でもない若者が何者かになっていくお話とは、ちょっと違うステージの物語だ。
 ここら辺の視野差を”プロセカ”という一つのパッケージにまとめておくために、複数のユニットが用意され、その歩み方も見据える未来も、強いグラデーションを用意されているのだと思う。
 他ユニットが不定形の未来を前に道に悩んでいる時に、ワンダショは既に表現を”仕事”にしていたし、金銭の絡む経済活動の中で自分たちの夢を、広い場所に繋げてもいた。
 こういう足の早い現実味が、テーマパークで演じられる永遠の祝祭、終りがあるからこそ意味を成す非日常、あるいは能天気で野放図なお気楽ユニットにこそ用意されているのは、なかなか面白い作りだな、と思う。
 ワンダショのみんなはこれまで積み上げてきた実績(今回えむちゃんが、類くんたちの気遣いに導かれその目で確かめるもの)を足場に、表現を職業にしていく自分を疑っていない。
 自分たちにはやりたい夢も、それを叶える適性もあり、未来は困難だろうけど可能性に満ちている。
 そういう現実的な理想を一番間近に引き寄せているユニットだからこそ、最高な今を飛び出して自分だけの明日に進みだしていく未来像は、かなりリアルに想像できている。
 愛着と寂しさは確かにそこにあり、その上でどこに進むか。
 四人それぞれの色合いで塗り重ねられている色彩に、えむちゃんの決意が加わる回だと言える。

 

 そんな団員をある意味置き去りに、より良い自分を貪欲に求め、前進を止めない司くん。
 えむちゃんの不調に気づかないその視野の狭さは、団長らしからぬ……からこそ今の司くんがどれだけ、新しい刺激を通じ成長していきたいのかを、良く語っていた。
 声がデカくて騒々しい、天馬司の”素”からかけ離れた役柄を、だんだん乗りこなす技量と人格が備わってきた夢は、天馬の翼となって彼を高みへと押し上げていく。
 雇用主であり上役でもある鳳ブラザーズとの交渉時、かなり率直かつ冷静に自分のヴィジョンを伝え、それがすぐさま叶わない現実にも落ち着いて対応した上で、今できる最善手を培った人脈活かして選び取る姿には、えむちゃんが見届けたフェニックスワンダーランドの復活と同じくらい、これまでの歩みが確かな足跡を残していた。
 大人相手にどういう”仕事”をするか、その先にある自分をどう現実にしていくかっていう、高校生ではなかなか難しいだろう課題に一切臆さず、独りでしっかり考えて進みだしてる姿には、戯けた態度の奥にある真摯な熱が良く透けている。

 そして同時にその熱量に背中を押されて突き進んでいる時に、周囲全部を見られるほど成熟しきってもいなくて、そうやって脇目も振らず駆け抜けた結果日々新になっていく自分を、仲間に届けることも出来る。
 どこにもない、時が止まった夢の国。
 ネバーランドへ子どもたちを導くピーターパンが、今の天馬司の答えなのだと示されたのは、とても切ない的確さだった。
 終わるからこそ永遠であって欲しいモノを、けして存在しないからこそ夢見る嘘を、人は祈りながら幾度も形にしてきた。
 テーマパークも舞台劇もパレードも、ネバーランドの物語もそういう祈りの結晶であり、笑いながら踊る者たちは皆、祭りが永遠に続かないことを知っている。
 知っているからこそ今を全力で駆け抜けて、その先で待つ旅立ちと別れに微笑んで飛び込めるよう、魂を鍛え上げていくのだ。
 えむちゃんも類くんも寧々ちゃんも、司くんもみんな、自分たちがそういう場所に立ってショウをやっていること、やり続けていくことを知っている。
 そんな自分に出逢えたのは、この最高のチームがいてくれたからこそなのだとも。

 

 終わりはいつか来る、と。
 お商売が好調である限り物語が続き、シビアな現実がいつ唐突にエンドマークを刻み込むかわかりゃしないソーシャルゲームという媒体で、ブンブンブン回しているのはメチャクチャ異形の語り口だと思う。
 しかし青春をひた走る者たちを描く以上、確かにそこにある終わりについて嘘をつくことは出来ないと、作者たちが考えてるからこそ、ワンダショはこういう話を積み上げているのだろう。
 そしてそれがより善い未来への旅立ちになるからこそ、炎の中に死んで新たに蘇るフェニックスが、彼らの物語の舞台として選ばれている。

 一歩ずつ成長を果たせば分かれは近づき、しかしそれは終わりではない。
 終わりであってはいけないし、終わりにしないためにも、別れを前にした自分がどう震え、何に怯えているかを鳳えむは、今回見据えなければいけなかった。
 そういう歩みを、天使のように笑い続けてくれるあの子にしっかり踏ませてくれたのは、彼女がとても好きな僕としては嬉しい。
 作中世界を生き続け、絶え間ない変化と成長に身を置くキャラクターたちの魂の色に嘘をつかぬまま、必然として立ち上がってくる暗がりから目を背けない。
 背けさせない。
 そういう作劇の姿勢が良く滲んだ、とても良いイベントストーリーでした。