イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第26話『自由人の狂想曲(ボヘミアン・ラプソディ) その②』感想

 惹かれ合う『引力』に導かれ、脱獄犯達の旅路は奇妙にねじり狂う。
 野放図で奇想天外な想像力が暴れまくる、『え……どういうこと!?』まみれのストーンオーシャン後半戦、第26話である。

 いやまぁ、だいたい分かるっちゃァ分かる……ていうか作品の凄みで理解らされているわけだが。
 ウェザーがなんとなく敵スタンド使いの位置を感覚してたり、世界規模の怪現象(被害甚大)をさらっと受け流し気味に世界が進んでいったり、ウンガロが精神崩壊まで追い込まれた理由が見えにくかったり、細かい所に引っかかっているとキリがないエピソードではあるが、まーとにもかくにもそういう事になったんじゃいッ!!
 正直この辺りから、荒木先生が思いついた”やりたい事”が(それこそ”ボヘミアン・ラプソディ”食らった物語たちのように)暴走を始めて、読者の理解を置いてけぼりに強引に引っ張る方向へと、お話が独自進化を始めた感じもある。
 同時に奇妙極まる現象の奥に何を描きたいのか、なんとなく判る不思議な親切さも冴えてきてて、完全ポカーン……ってわけでもない。
 この不思議な味わいがアニメでどう加速していくか……第3クールはこっちの足腰が試されそうな感じもあるな。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第26話から引用

 というわけで前回から更に加速する”自由人の狂想曲”、顔だけはいい男二人の地金がどんな色か、良く見えてくる変速バトルとなった。
 アナスイは凶悪犯らしく他人のレジからギッた金で情報を買おうとし、ウェザーは白紙の記憶をそれでも揺らすものと出逢う。
 マッチポンプ収賄から顔面変形、ダイレクトな暴力までマルチにこなす”ダイバー・ダウン”の器用さは、そのままアナスイの抜け目ないずる賢さを表し……しかしそれで、事態は好転しない。
 ”狼と七匹の子山羊”に取り込まれたアナスイは、定められた結末へと引きずられる引力に抵抗しつつも、状況を突破する決定打を掴むことは出来ない。
 ウンガロがはるか上空で狂わせる世界で、奇妙に踊る哀れな役者そのものだ。

 状況を打破していくのは”白雪姫”を知らなかったウェザーであり、ゴッホの生涯に心動かされたかすかな記憶が、彼を死地にも、突破口にも連れて行く。
 『本体をとっ捕まえて殴る』という解決策は、幹線道路一つを封鎖できる”ウェザー・リポート”でも実現不可能で、イマジネーションを置き去りにしたリアルな暴力では、この狂想曲は止められない。
 ウンガロが歪めて放つ殺しのイマジネーションの、外部に立つのではなく内側に取り込まれ、その上でルール全体を書き換えるような結末をひねり上げること。
 ウェザーは監獄の外に出ることで、善良な忘却者から何かを生み出しうる創作者へと、変化の兆しを見せている。
 『イマジネーションが生み出しうるものは善にも悪にもなりうる』という事実は、世界中を巻き込む”自由人の狂想曲”で強調されているが、このイカれた一騒動を越えたあと、ウェザー自身の人生の物語においてその事実は、より凶悪な牙を向いてくる。
 強力過ぎる”ボヘミアン・ラプソディ”を逆手に取って、一切合切決着させるプットバックマンの誕生には、『自分が感動したゴッホならば、運命を逆転させるだけの力強いキャラクターとストーリーを生み出せる』という、ある種の信頼があった……のかなぁ?
 『どんだけ異様な状況だろうと、必要なことがあればそれをやりきる』という、ウェザーが持つ”凄み”との合せ技な感じもある。

 とまれ、白紙のウェザーにも心揺らされるものはあり、それはきれいな絵空事ではなくリアルな悲劇にこそ宿っている。
 ウンガロが神父に出会い、彼を守り切る”物語”とスタンド能力を与えられたことで、人生のどん底から頂点まで引っ張り上げられた(そして、そこから落ちた)ように、自分が何者であるかを教えてくれる物語は人を支える。
 記憶喪失者であるウェザーはそんな柱がないように思えるが、しかしそれは透明に見えなくなっているだけで、ウンガロの逆恨みよりはるかに重たくドス黒い物語が、寡黙で優しい男の背骨に突き刺さっている。
 その重たさが、借り物の玉座でふんぞり返るウンガロの想像力を越えた結果が、今回の決着……って感じか。

 リアルな物語を動かすのは運命との出会いだが、ウンガロの覚醒が示すようにその”引力”は必ずしも、善と光にだけ向いているわけではない。
 神父とDIOの息子たちを引き合わせた”引力”は、彼らの人生に意義と力を与え、それは神父自身がDIOと出会って動き出した、世界全部を犠牲にしかねない凶悪な物語の移植だ。
 DIOは肉の芽というダイレクトな手段で影響力を広げていたが、神父はDISCと運命への熱狂のあわせ技で、彼が信じる未来を暗い魂の持ち主に分け与え、あるいは誰かから奪う。
 あいつの捻くれたアタマを専有してる、エゴイスティックな救済願望はたしかに誰かを救い、生きるに値する物語として機能しうる。
 『悪には悪の救世主が必要』って話なんだろうが、それに巻き込まれる世界の方はたまったもんじゃないし、徐倫が生み出すタフで前向きな変化に比べ、DIOから神父へ、神父からDIOの息子へ伝播する物語は、独善的で醜悪にすぎる。
 そんな物語の暴走に、自分だけの信念とドラマを叩きつけて挑む旅。
 その道連れに必要な資格を、”ボヘミアン・ラプソディ”を突破する戦いの中二人が示す決着となった。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第26話から引用

 一方徐倫と愉快な仲間達は、ごみ溜に自分をハメた色男にお礼参りを果たし、ヘリをゲットし使命に向かって全力疾走であった。
 過酷過ぎる試練に鍛え上げられ、世の中の光も闇もその目で見つめてきた徐倫が果たした成長と、スポーツカーのおもちゃに囲まれたままのロメオ。
 第1話から大きく離れた二人の距離を対照的に見せる……と思いきや、小悪党が確かに見せた改悛の光と、それはそれとして一発カマしてはおくどチンピラ力が合わさり、ヒドすぎるのに爽快感がある、JOJOらしい旅立ちである。
 何度見てもハンサムな女すぎるな、空条徐倫……。

 再開前はピーピー泣きじゃくるだけだった徐倫は、総身に刑務所産の”凄み”をまとって堂々自分の足で立ち、必要なものを当然のように受け取って、颯爽と旅立っていく。
 自分をハメた元カレが何考えていて、どういう物語を選ぶかにはあまり興味がなく、大事なのは未来に待ち受けている物語へと、どう自分を近づけるかだけ。
 神父を突き動かしているの同じ熱量の、しかし目指す方向は真逆の信念を、徐倫は既に手に入れている。
 そこに隣り合うエルメェスの、ゴリッと硬質なタフさ。
 ヘリコプターに興味津々、外界に浮かれ倒してるエンポリオくん(かわいい)の無邪気。
 三人の旅は、確かに自分を変えたロミオに報いることなく未来へと突っ走っていく。

 ある意味無慈悲な軽妙さであるけども、ここで徐倫が過去にベタつかない気持ちの良さと、主人公を窮地にハメる舞台装置が確かに見せた魂のきらめきが合わさって、結構好きな結末である。
 用心のために”キッス”を仕込んでいた二枚舌が、苛烈な爆破で元に戻ってロメオの潔白を、それにサヨナラを告げる徐倫の颯爽を強調するのも、かなり好き。


 そして恋に騙されそれが世界の全部だった、少女・空条徐倫の物語はとうの昔に終わっていたんだな……と、再確認する挿話でもあろう。
 眉間の影も深い戦士の顔で、徐倫は未来を目指す。
 次回も楽しみです。