イマワノキワ

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デリシャスパーティ♡プリキュア:第43話『レシピボン発動!おいしーなタウンの危機』感想

 行くぞ最終決戦プリキュア VS 自責の念、銀河ぶっちぎり鬱寸前ッ!! な、ラストどつきあい前に主人公のメンタルを整え飯の効能を考える、デパプリ第43話である。

 大変良い角度のブッコミで先週ゆいちゃんを追い込んだ結果、女児アニで許されるギリギリ(先行例:Goプリ第38話)の精神的崖っぷちに立たされ、危うい所でわんわん泣ける自分を取り戻して、完璧ではないまま前に進むための方法を見つける展開となった。
 デリシャストーンが身代わりになってくれなかったら、マジ欠片も洒落になってないゲキヤバだったと思うが、そこは愛と勇気の物語、便利なご都合……っていうか、ジンジャーが弟子に伝えたかった力の真意はやっぱ”護る”であり、その本文を発揮した結果たっくんが助かり、ゆいちゃんも精神的な崖の向こうに身を投げずにすんだって、話だとは思う。
 自分一人が力と意志を継ぎ、”正しい使い方”とやらで食料独占して絶望バラまいてるゴーダッツへの反証は、主役がやる前に物言わぬ石がやっているというね……。
 その独占ひっくり返してるのも、師匠が仕込んだ魔法装置なわけで、フェンネルの捻れきった愛慕はほんと報われないし、こういう捻れ方をしたのなら報われはいけないよなー、とも思う。
 マリちゃんの回想では、自分を助けてくれた親友としてのフェンネルが消えても汚れても裏切ってもいないのが、より切ない。
 間違えきった大人は、なんとも哀しいな……。

 そういう大人になりかけて、ギリギリのところでドロップアウトして情けに拾われた完璧主義者、セクレトルーさん。
 主役はラストバトルに忙しいのでここねママンが拾う形になったが、結局はヨネさんの言葉が継がれ巡って、やけっぱちになりかけてた人の受け皿になっていった。
 あのバァさん影響力異常すぎるな……って感じだが、独占と分断の時代をリアルに控える中、”分け合う”ってテーマを選んだこのお話にとって、ヨネさんの言葉と思いが色んな人に分け与えられ、育まれているのは大事なことなのだろう。
 人間間違うもので、同時にそれを糧にもう一度立ち上がれる存在であるべきでもあって。
 再起を助けれる環境、完璧ではない在り方を受容できる余裕をどれだけ確保・維持できるかってのは、今後更に変化のスピードが上がっていくだろう世界の中でシビアでシリアスな問題であろうけど、デパプリはそこに自分なり、希望の種をまくことにした。
 変身できない、戦えない、プリキュアじゃないゆいちゃんを微笑んで抱きとめ、飯食わせて守ろうとする戦士たちには、弱さや誤ちを抱きとめる優しい強さがある。
 それは和実ゆいがここにいたるまでの物語の中で、色んな人に差し出し共有してきたものが彼女に帰ってきた、善因善果のお話でもある。
 あんだけ頑張ったんだから、優しくされる資格くれー当然あるだろ……。


 『師匠に選ばれ、力を独占できる俺』つう自己像にブン回され、視界を塞いで他人を踏みつけにする今のフェンネルも、セクレトルーさんとはまた違った意味で、完璧さに殺されかかってる犠牲者に思える。(犠牲だからって、独善に浸って他人の人生踏みつけにしていいわけでもないが)
 完璧じゃないからこそ完璧を目指し、それが果たせなずとも諦めずに今を生き続ける。
 そういうタフな現実主義に身を置くためには、心にも体にもよく効く糧が必要だ。
 ゴーダッツの食料独占は、世界規模の概念抹消に至ると全人類餓え死にがリアルに想像できる、相当に重たい侵略と圧制であり、”食べる”を強奪したり独占したりする行いは、必ずそこに繋がっていく。
 今までおいしーなタウンの幸福な日常の中で、そのポジティブな面が楽しく描かれてきた”食”の影に、最終決戦で切り込むのはいい感じだな、と思う。

 祖母から受け継いだ大事なものを踏みつけにする敵に、一発かますための元気は思い出の中にこそあり、ゆいちゃんはたっくんに助けられて、それを思い出す。
 ”言葉”もデパプリで凄く大事なものとして幾度も主題に選ばれてきたが、最も身近な”言葉”である名前に込められた意味も、ここで再獲得される。
 ”ゆい”はともすれば独占と孤独を意味する”唯”にもなれる言葉だが、ヨネさんは”結”をその現れとして選び、その期待どおりに孫に料理を教え飯を食わせ、言葉を託してきた。
 それに支えられて、孤独に飯食ってたり”ヘン”な生き方に迷ってたり望まぬ悪事に心がハラペコになってたりした女の子たちに、立派に手を差し伸べ大人びた態度で道を示してきた女の子が、今回ようやく子供のように泣いた。

 それはクリスマス商戦を終えて残り一ヶ月、ラストランを商品ではなく作品として走れるプリキュア特有の”ファイナルラップ”がデパプリと和実ゆいに許した、真実の形なんだと思う。
 ゆいちゃんはずっと泣かない天使ではなく、自分の夢が引き寄せてしまった冷たい結果に苦しんだり、それを覆せない弱さに涙したり、そんなに辛いのにお腹はすくし飯はうまい、当たり前の人間だったのだ、と。
 揺れない主人公の安定感に支えられて、揺れる少女たちの思春期を掘り下げてきたお話が最後の最後、主人公にかなり長く連なった”個別回”を手渡し……それが今回終わった感じがする。
 ここねちゃんを主役に、大人びて良く出来たように思える子が何を抱え込み苦しんでいるかを書いてきたこのお話が、彼女を照らしていた鏡を主役に向け直して、その傷だらけ鼻水だらけの生身を、最後の最後描いた。
 ラスボスとの最終決戦にカメラをあまり向けず、変身しない”和実結”が薄曇りの世界の中でいろんなモノに向き合う話を、この最終回直前に持ってきたのは、俺は凄く良いなと思う。

 涙も鼻水も流すただの少女が、それでも特別な力と思いを握りしめ、受け継いだものに支えられて飛び立てる、その理由を。
 その時、生命と未来を守るために戦うための力を喪った少年の拳が、戦友に強くぶつかっていくのも。
 和実ゆいと品田拓海のお話として、キュアプレシャスとブラックペッパーの決着として、俺は凄く良いなと思ったのだ。
 ここら辺は終盤戦、第40話でガッツリこの二人の関係性に向き合ったからこそ、描ける結末でもあろう。

 

 フェンネルが強奪し独占したかったジンジャーとの絆……その証明たる力は、ジンジャーが遺した力や可能性自身がその実現を阻み、拒んでいる。
 何もかもが間違いきってたどり着いた孤独な玉座を、突き進んでも求めるものは何も手にはいらないのに、それを認めてしまえば終わってしまうから、歪んだまま進むしかない。
 本末転倒し捻くれきって、それでもそこに至るしかないあまりに人間的で、弱く、情けない弱さの果てに生まれた、ローカルで個人的でしょうもない世界の危機。
 その土っぽい手触りは、土っぽくローカルな青春物語を大事に編んできたデパプリには相応しいかな~、と思う。
 そこにはいつでもゆいちゃんが真ん中にいて、そこからようやく外れることが出来た主人公は迷い道をちゃんと進んで、色んな人に支えられて、色んなものを受け継いで、お話の真ん中に戻っていく。
 決着は、主人公がつけてこそだからだ。

 でもそれは、『主人公が主人公であるから』というトートロジーで担保されるべきではない。
 危うくそういう存在に主役と、彼女が背負う物語をまとめかけていたお話は最終盤、かなりの物語的リソースを和実ゆいにそそんで、人間としての彼女が何に悩み、どう完璧ではないかを……そしてだからこそ、前に新たに進める存在なのかを掘り下げてきた。
 僕はそんなデパプリ終盤の歩き方が凄く好きだったし、今回大事なものを思い出し取り戻し新たに進むキュアプレシャスの姿は、そんな話運びが至った場所を、しっかり形にもしてくれた。
 ここから最後、決戦を戦い抜いて見えてくる終わりと、そこから広がる新たな景色をどう描くか。
 一年、長かったデパプリもそろそろ終わります。
 楽しみですね!