イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

テクノロイドオーバーマインド:第5話

 泣けぬ機械の心、流す涙は歌になる。
 地域猫生老病死を通じてアンドロイドが生き死にをどう受け取るのかを描く、テクマイ第5話である。
 クロム個別回でもあり、”知識”にパラメーターを割り振られた彼が理では割り切れない悲しみと喜びを、己の内側に引き受け心を育むまでがしっかり描かれた。
 無垢な機械が理解できない、生死の宿命。
 身近でかけがえない喪失を通じ、その意味を自分なり受け止めたKNoCCが激動が予想されるこの後の物語を、どう渡っていくのか。
 今後の生かし方も楽しみになるエピソードだった。

 

 シナリオヒロインとなるノラの描き方が良く、生っぽい猫仕草、気まぐれで自由で愛らしい生き方が良くアニメートされていた。
 こちらを誘う素敵な表情も良かったが、死を待つ檻の中で苦しげに歪む表情に命の自由さ、醜く飾らない生の衝動がしっかり切り取られてて、『頑張って生きてるから、死んでいってしまうのだな……』という納得があった。
 猫……にかぎらず動物は、こちらからは判別不能な行動原理を抱え勝手に何かを好きになり、勝手に生きて勝手に死んでいく。
 ノラがクロムを好きな理由は最後まで判然としないが、それは死を理性で割り切れないのと同じく、生きること、愛することはどうやってもロジックで割り切れない部分を残すからだろう。

 社会の守り手として、徹底してロジックにこだわる(こだわらないと、製造目的を果たせない)ボーラ警部補は生き死にを有意義/無意味で切り分けるし、それが被造物たるアンドロイドのスタンダードなのだろうけど。
 心というブラックボックスをビルトインされたKNoCCは、予測可能な演算を飛び越えた愛しい理不尽を、自分の内側に抱え込む。

 それは行動リクエスト抜きでアンドロイドを動かすことを可能にする、自発的な魂の芽生えでもある。
 滅びゆく世界の中、人型機械を便利な道具として維持しておきたい勢力としては、徹の奴隷が自我に目覚めるのは避けたいはずだ。
 逆にアンドロイドを隷属身分から開放し、大きな社会変革をもたらしたい側にノッてはKNoCCの成長は大変大事で、ノーベルおじさんが今日も貴重な導きを与えていたのは、そこに狙いがあるかな……という感じ。
 『愛も悲しみもすべてを受け止めて、豊かに育って鋼の救世主に育ってくれ!』って事か……のんびり過ごしてるポンコツアンドロイド家族にとっちゃ、はた迷惑な話だな!

 

 今回はどっしりKNoCCにカメラ据えて追いかけたことで、あの世界のアンドロイド・スタンダードがどんな感じなのか、社会的情景のスケッチとしても良い回だったと思う。
 機械は生物の宿命、そこに付随するやり場のない感情を理解せず、アーカイブされたデータを収集することで、製造された目的を果たそうとする。
 人類が積み上げた智はあまりに膨大で、アクセス可能なデジタルアーカイブでも、時代の変化に取り残された紙の本でも、知恵だけで全てを網羅は出来ない。
 そしてたとえ全てを知ったとしても、人類は老いも死も克服出来ていない。
 環境破壊をせき止めて、ベールなしでも外を歩ける世界を作るほどには、この世界の科学技術も発展してないしなぁ……。

 神になるほど賢くなく、しかし人間に似すぎた機械を十分な備えなく駆動させれる程度には、技術を育んだ人類。
 過酷な運命に抗う処方箋として生み出されたアンドロイドが、鋼鉄の隣人として社会に馴染む架け橋となるように、KNoCCには心がプログラムされているのかもしれない。
 ノラにまつわる出来事は悲しく辛いものだが、それを哀しいだけで終わらせないためにクロムは本に、人に学び、湧き上がる衝動と向き合う強さ(それは苦しみに手を添える優しさでもある)を手に入れた。
 父の死を既に体験しているエソラが、人生の小さな先輩としてクロムの戸惑いと悲しみに寄り添い、丁寧にグリーフケアしてたのが良い描写だった。
 KNoCCほんとにポンコツバブちゃんなので、エソラ先輩が色々教えながら育てていくの見てると、妙に安心するよ。

 死と悲しみは、理と智では割り切れない。
 しかし知ることは形のない思いを方向づけ、より優しく強い結末へ死者と生者を導く助けたりうる。
 メガネピカピカの知性キャラが、初期パラメーターから離れたところへと、プログラムされた自分らしさを大事にしながら進んでいく話として、今回の物語はとても良かったと思う。
 バベルのステージはなくとも、挿入歌”So Long&Long For”がお話の総まとめとしてしっかり機能し、生きていれば必ず突き当たる生き死にの問題、愛と悲しみを昇華する歌の強さも、しっかり描かれていた。
 KNoCCの人格的成長と個性の発露が、音楽ユニットとしての表現と成功に歩調を合わせながら進んでいくのは、なかなかいい手応えがある。

 

 というわけで、猫を通じて学ぶアンドロイド時代の生き死にでした。
 滅びゆく世界でも生き物の宿命は常につきまとい、鋼鉄のクオリアはプログラムを越えた所で、その意味を理解していく。
 KNoCCの成長はアンドロイドを道具として扱う風潮に、強烈なカウンターを当てる一大変革の兆しとも思えるが、そこら辺カイトに接触してきたイヤ組織は理解しとるのだろうか?
 人造臓器を拒否している過激なナチュラリズムが、どんなトラウマから映えてんのかとか考えると、『哀しかったけど、前に進めてよかったねクロム!』では終わらない、テクマイらしい重たさがズシンと名残る。
 この音符をどう生かして、次回以降のお話を紡いでいくか。
 大変楽しみです。