イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

うる星やつら:第16話『激闘、父子鷹!! /セーラー服よ、こんにちは!!』感想

 遂にやってきた(ある意味で)作品最大の問題児、昭和の性差意識はコンプライアンスの壁をいかに超えるのかッ! 藤波親子颯爽登場のうる星やつら第16話である。
 原作テイストを可能な限り原液で流し込むスタイルそのままに、角を削ってやや丸くしつつも、暴力と理不尽にまみれた竜ノ介のキャラをわりとそのまんまで叩きつけることとなった。
 俺が年取ったのもあるし、時代の空気が変わったのもあるが、昔ほど無邪気に笑えず『冷静に考えると色々やべーな……』ともなったが、洒落にならない要素が結構上手く化学反応して、第2エピソードに妙な温もりが宿ってもいた。
 イカレたオヤジに人生バキバキ捻じ曲げられつつ、めげずに殴り返し憧れを大事に進んでいく健気さが、今見てみると不思議と爽やかで、『コレはコレでありだな……』みたいな感じを受けもする。
 千葉さんの熱演もあって、どっちかっていうとオヤジのヤバさが際立つ登場回となった。
 今見ると明らかやべーもんな、あのオッサン……。

 

 

 

画像は”うる星やつら”第16話から引用

 というわけで勢い溢れまくる顔見世の第1エピソード、イカれた背景世界に埋もれない”暴”の強さをたっぷり見せつけつつ、竜ちゃんの青春は元気に弾む。
 冒頭、なーんのいがみ合いもなく四人で海来てる様子とか、女だとわかった途端あたると一緒に親身になりだすところとか、面堂の体内からすっかり”宿命のライバル”感が抜け落ちている様子も、また趣深い。
 ラムとしのぶのまったり感もそうだが、話の中核になりそうだった四角関係が連載の波に揉まれて角が取れ、騒々しいながらも破綻なく波風少なく繰り返していく日常に飲み込まれて生まれる、奇っ怪なフーガが物語の通奏低音になりつつある。
 僕はこの音相当好きなので、時々思い出したようにいがみ合いつつ、基本は仲良く温度低めに高校生活を過ごしてくれていると、大変ありがたい。

 そういう落ち着きをかき回すのも新キャラの仕事なので、竜ちゃんは過剰な暴力をヤバ親父とバチバチぶつけ合い、楽しい騒動を過剰に力みながら暴れさせる。
 今回も『前半で顔見せ、後半で深掘り』っていう、令和うる星の新キャラ登場回基本フォーマットに忠実な回だが、ご挨拶代わりに打ち上げたテンション高いギャグが、すっと奇妙な日常に着地するスピードがやや早いかな、と感じもする。
 宇宙人も妖怪も異様な金持ちも、面白ければ何でもありな物語も既に15話。
 喧騒にすら気づけば慣れて、連載当時は影も形もなかった”日常系”としての温かみがじんわり広がってきてる状況を、跳ね除けるように暴れる親子鷹の姿は、なんだか奇妙に懐かしい味わいがあった。

 圧倒的な”話数”を背負うこの物語、どんな奇癖も尖ったキャラも”お約束”として作品世界にまくりこまれていく宿命を宿していると思うが、こんだけボコスカ殴り合った親子の葛藤はBパートでは後景に引っ込み、代わりに浮かび上がるのは背負わされた性役割とやりたい自分の間で悩む、竜ちゃん等身大の悩みである。
 ここに作中一番ブッてるランちゃんとの奇妙なすれ違い、そこに食い込むラムとの関係性が混ざって、なんとも不思議な味が出てくるわけだが……。
 藤波親子が背負っている異様なテンションと勢いの良さが、どういう使われ方してどう生きるかてのは、今後アニメスタッフが莫大な原作アーカイブの中からどの話を選び、どういう空気感でお話を積み上げていくか次第でもあろう。
 そこら辺の活かし方効かせ方を気にしているあたり、やっぱ自分はこのアニメをある種のアンソロジーとして、編者の手際と世界観を堪能しつつ楽しんでる感じが強い。
 まぁ原曲それ自体は、40年以上前に既に奏できられている訳でねぇ……。

 

 

画像は”うる星やつら”第16話から引用

 というわけで後半戦、序盤は憧れを人質にとって横暴かますヤバオヤジの暴走とか、”女”になってくれれればクラス内のジェンダーヒエラルキーに自分の居場所が獲得し直せると画策するボンクラ(ここに面堂が一切説明なくまくりこまれている所に、いつの間にか変貌していた情勢を感じて趣深いが)など、男衆の空回りが濃い。
 いろんなモンを勝手に押し付けてくるボンクラと、情け容赦なく殴り合い強い主張を通す竜ノ介は、ともすればアクが濃くなるお話に良い風穴を開けて、凄く”うる星やつら”っぽいキャラだと言える。
 型にはまらない破天荒が魅力を生み出すのは、ハチャメチャな世界観や何かと忙しないお話づくりだけでなく、自由闊達で元気なキャラクターも同じ……つう話かな。
 能天気に女に飛びつくあたるの自由とそれを殴り返す女性陣の反撃が、良いバランスで釣り合っているように思えるのは、やっぱこのお話の強みなんだと思う。
 冷静な目で見るとどんだけイカれてヤバい輩でも、お話が元気よく転がっている時は笑える範疇、イヤな湿り気をカラッとぶっ飛ばして後をひかない感じになっている(アニメの書き方が、それを膨らますように結構気を使っている)のも、毎週楽しく見れる足場か。

 

 

画像は”うる星やつら”第16話から引用

 男たちが”景品”として勝手に奪ったりお仕着せようとしたセーラー服を、竜ちゃんは自分なりの価値判断で『今は着るべきときじゃない』と跳ね除け、あの時憧れたお姉さんの影を追って、ランちゃんとデートに勤しむ。
 ランちゃんはランちゃんで勝手に勘違いして、ラムをギャフンと言わせるべく『可愛い女の子』の外装をかぶり、お互いの本音がすれ違いながらも妙にいい感じの時間を共有していく。
 ランちゃんが纏うピンク色の”女らしさ”って、異星人という本性を隠して学園をサバイブするための偽装でしかないんだけども、それこそが自分の性を抑圧された竜ちゃんが目指すべき星になっている構図は、虚実入り交じってしかし不思議な爽やかさと希望、生きる力強さに満ちてて面白い。

 令和うる星はランちゃんの魅力をたっぷりと引き出し、ピンク色の糖衣に包まれた毒薬小娘が大好きな自分のドツボであることを良く教えてくれた。
 だからランちゃんが画面に写ってるだけで基本俺は嬉しいし、半自動的にラムとのこじれた距離感、幼なじみに不思議と冷たいその表情も堪能できるのは、なかなかありがたいことだ。
 常に大間違いな『ピンときたで!』を訂正することもなく、幼なじみが暴走するままに任せているラムと、その野放図に犠牲になってひどい目に会いつつ、ワーワー素直に文句を叩きつけるランちゃん。
 この二人の生き生きした関係性の影に隠れて、あたるは厄介事を引き起こす騒動Botみたいになってんのも、個人的には繰り返す日常の中主人公が”機構”に近づいてる感じがあって、結構好きである。

 竜ちゃんはランちゃんの本性に特に気づくこともなく、彼女が外装としてまとった”女らしさ”への憧れをワクワクと高鳴らせて、結構楽しい時間を過ごす。
 それはなかなか自分には近づかないからこそ、追いかけていたくなる夢であって、オヤジや男子の勝手な欲望で押し付けられるものではないのだ。
 セーラー服を着る自由と着ない自由、両方へ友引高校に転校した竜ちゃんは接近していて、今後も騒がしい日々の中自分なり、それと向き合っていく。
 性別云々以前に”藤波竜之介”個人としての可愛げと爽やかさを、しっかり刻みつける良い描線に助けられて、竜ちゃんが物語に乗り込んで探し当てた居場所には、なんかとても現代的で人間的な手触りがあるように感じられた。
 Bパートは特に、わかりやすい記号論を越えた今を生きてる”藤波竜ノ介”の顔が良く描かれてて、凄く可愛かったと思う。
 今後もバカどもの身勝手な欲望に振り回されつつ、力強く跳ね除けて己を叫んでいってほしい。

 

 幼なじみといつもの愛憎キャッキャウフフに勤しむランちゃんにしても、夕日に拳を突き上げる竜ちゃんにしても、思う存分自由で勝手だ。
 その活力が、舞台となる永遠の喧騒を維持していくための不可視のルール……”ご都合・お約束”なるものと奇妙に絡んで、アニメの方でも独自の味が出てくるタイミングなのかーと思わされるエピソードでした。
 短編連作という構造上、決着や答えに向かって突き進んでいく物語の力学を極力遠ざけ、騒々しく楽しく永遠である”今”に足踏みし続けるお話の中で、不思議と積み重なっていく生きた魅力。
 そこに嘘をつかず、徐々に変化を積み重ねながらも同じ場所に居続けてくれる友引町のお話は、まだまだ続いていきます。
 『変わらないためには、変わっていく必要がある』という真理とか、『それでも変わらないものが目の前にあるのは、奇妙な安心を暮れる』という実感とか、ノスタルジーに癒やされる以上の感慨がリバイバルからちゃんと得れてるの、嬉しい再アニメ化だなぁ……。
 ”うる星やつら”に今、ちゃんと出会い直せるアニメ(それを見て、色々再発見してる自分)になってきてるというか。
 そんなお話が次に何を描くのか、来週も楽しみですね!