イマワノキワ

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ひろがるスカイ!プリキュア:第5話『手と手をつないで! 私たちの新しい技!』感想

 新戦士キュアプリズムも見事爆誕し、新境地へとなだれ込むひろプリ第5話。
 ”トロピカル〜ジュ!プリキュア”の土田SDをコンテ・演出に迎え、軽快でコミカルな面白さと、鮮烈なエモーションが同居するエピソードとなりました。
 ここまで颯爽とした若武者ぶりで話を牽引してくれてたソラちゃんが、ヒーローに憧れたがゆえに抱え込んだ孤独と脆さを、新たにヒーローになったましろちゃんは優しい強さで手を差し伸べ、二人だからこそ強くなっていける”プリキュア”の王道へと、堂々進みだしていくエピソードとなりました。
 定番化していた名前呼びイベントに心地よいひねりを加え、”キュアプリズム”という戦士としての名前で友だちを呼ぶことの重さ、そこに込められた優しさを削り出していく筆も、大変分厚い。
 20年分のリスペクトを込めた最後の『ふたりはプリキュア』も、懸命に日本語を学んだソラが初めての友達と進み得た記念として、輝きに満ちた墨痕となりました。

 

 というわけで冒頭、ガッツリ死んでる質感の悪夢から物語はスタートするわけですが。
 プリキュア伝説に浮かれる(ここのアホアホポンチっぷりはすごく土田力を感じて、それが大好きな自分は最高に嬉しい)ヒーロー初心者ましろに比べて、ソラが見据えてる闘いって最悪死ぬこともあり得るシビアな現実であり、ましろプリキュアになってしまった意味はどうにも重たい。
 持ち前の優しさと友情に不慣れな不器用が合わさって、どうにも頑なな態度になってしまっているのを、ヨヨさんが年の功でもって孫より先に感じ取っているのは、なかなか良い演出でした。

 ヒーローにつきものの孤独を『ヒーローは一人ぼっちを恐れない!』と、非常にコクのある童話の言葉遣いで表現している所、今回すごく好きなのですが。
 周りが(スカイランドでも少女のスタンダードであろう)ファッションに夢中な中、見据えた夢に全力投球してきた強さは、大事なものが壊れる予感に怯え、一歩引いてしまう弱さに直結している。
 これを横断歩道の分断で示す絵面は、アンサーとしてビルの上からプリズムが伸ばす掌と合わせて、キュアスカイでありソラ・ハレワタールでもある少女が何に怯え、どこに弱さが在るかを上手く示していたと思います。
 先週聖あげはを相手に虹ケ丘ましろが既に演じていた、怖さや悲しみによりそう優しいヒロイズム。
 孤独であることで強かったソラは、大事な友だちを初めて手に入れたからこそ戦場のリアルから遠ざけ、自分が闘うことで守りたいと願った。
 その寂しく脆い……でも優しくて尊い答えをもっといい方向へと飛び立たせるべく、キュアプリズムでもあり虹ヶ丘ましろでもある少女は、友だちのまま共に闘っていく道を示す。

 これを納得させるために、戦巧者であるキュアスカイの想像(あるいは悪夢)を超えるだけの発想力でもって、キュアプリズムが実力を示す必要があったのが、面白い描写だと思いました。
 ソラちゃんはスカイランド神拳を収め、第1話でそうしたように己を顧みず悪に挑む日々の中で、闘いは理不尽の連続であり、悼みと悲惨をともなうと思い知っている。
 ここら辺、ちょっと剽げた雰囲気で自分たちの関係について語り合い、エルちゃんを挟んで朗らかに進んでいたビルの上の放課後が、死力を振り絞ったカバトン本気の暴力で壁に叩きつけられる唐突さが、大変上手く演出していました。
 正面から真っ向勝負で勝ちに行く”剛”の闘い方ではなく、目眩ましや一時撤退を駆使視する”柔”の闘い方は、一人でヒーローやってきたソラの想像の外側にあるもので、それで窮地を脱し力を示した驚きこそが、少女としての虹ヶ丘ましろが戦士としてのキュアプリズムでもあるという、事実を受け入れる契機になった。
 隣に立つ誰より大事な少女を戦場から遠ざけるのではなく、共に手をつないで、自分にはない強さを受け止めることで、自分一人でカタなければならないと、孤独に強くなければいけないと思いこんでいた自分を超えて、誰かの手を繋ぐことが出来る。
 その結晶としての合体新技・プリキュア・アップドラフト・シャイニングお披露目に、二人だからこそ強くなれるプリキュアイズムが新たな風を伴い力強く宿っていたのは、素晴らしかったです。

 

 ここまですごく強かったキュアスカイの脆さがあらわになる今回、敵役の描写にも質的変化が見られて、カバトンからかなり美味しいダシが出ていました。
 頭には自信がなくて腕っぷしでの仕上がった彼のマチズモは、自分をぶっ飛ばしたプリキュアの強さ、それで危うくされる立場をシビアに教えて(ここら辺の現実認識、ソラちゃんと実は通じるところがあって面白いなと思います)限界まで追い込まれていく。
 他人を押しのける強さにすがる彼の上には、姿すら定かではない上役がのしかかっていて、そのプレッシャーによって肥満体のブタは骸骨めいた限界に追い込まれていく。
 やせ細ったカバトンが幽鬼のようにみえるのは、『強い/弱い』の二分法でのみ世界を見据えて、今回ソラちゃんとましろちゃんが手を繋いでたどり着けたような。強い弱さが、弱い強さと隣り合う不可思議で魅力的な領域を廃して、自分を追い込んだ結果に思えます。

 強い自分が弱い誰かを押しのけることで、自分の居場所を確保する生き方は、自分を押しのけうるさらなる強者に冷たいリアリズムを押し付けられた時逃げ場所がなく、のっぴきならない場所へと人間を追い詰めていく。
 ソラちゃんが生きるか死ぬかの悪夢とは別の夢に進めたのに対し、手を繋いでくれる相手もいないカバトンは孤独に、敗北と弱さのリアリズム(強かった時代の彼が、乱雑に踏みつけていたもの)に追い立てられていく。
 なかなか悲惨な描き方で、そんな状況でもあの豚結構笑える感じに良いキャラ出してきてて、死を望み憎んでるだけでは終わらない、良いコク出てきたなぁ、と思います。

 ひろプリはおそらく意識してこの序盤戦、敵側の事情に踏み込まないことで主役サイドの濃厚な人間関係構築、テーマ性の展開を可能にしています。
 その広々と闊達な筆先が少し落ち着いた時に、今はカバトンが代表している強くて脆い生き方がどこから生まれてくるのか、掘り下げてくれるのは楽しみです。
 おでんかっ喰らって人に交じり、地獄の電車ごっこに興じる可愛げはたしかにカバトンにあって、でもあいつが強さだけを判断基準に他人を脇役呼ばわりし続けるなら、人の世に居場所はない。
 敵さんの事情が彫り込まれると、対話と変化(今回”よきもの”として、ソラとましろを繋ぎ得たもの)の余地があるか、哀れなブタがおっ死ぬ以外の道が残されてるかも解ってくるわけで、そこら辺は早く知りたいね。

 あとエルちゃんが濁り一切ない水晶体で見知らぬコトだらけの世界に大きく目を見開き、口半開きで興味津々楽しく生きてる姿は最高でした。
 あの乳児特有のパワフルでピュアな好奇心、不和を敏感に感じ取って泣いちゃうセンサーの鋭さ、『俺が今見たいプリンセス・エル』そのものであり、マジでありがたかったです。
 保護者がぶっ飛ばされてよく分かんねぇアブねぇやつが眼前に迫り、とにかくアワアワビビるしかねぇ赤ん坊っぷり含め、いろんなエルちゃんを毎週見せてくれるのは、多彩な可能性を大事にする”プリキュア”のエッセンスを直に浴びてる感じがして、俺は凄い好きなんですよね。
 『なんでもできる、なんでもなれる』つう魔法を、一番シンプルかつ強烈に体現するのは、今まさに生まれ育ちつつある白紙の赤子だろうしね……。
 それはさておきエルちゃんが泣くのはマジ嫌なので、二人にはずっと仲良くしていてほしいし、親御さんとの直通回路は早くオープンになって欲しい。
 ……善き魔女であるヨヨさんが手数かけて慎重に開けようとしてるゲートを、カバトンがスナック感覚でカパカパしているの、超ろくでもない反動を無視して良くないチート使ってるってことなんかなぁ……。

 

 というわけで、20年目の『ふたりのプリキュア』がどんなふうにお互いを知り、手を繋いで支え合っていくのか、友に闘っていくかを、鮮烈に教えてくれる傑作エピソードでした。
 騎士に護られるべき姫ポジションだったましろちゃんが、一人で強くあろうとしたソラちゃんに示した、新たな強さ。
 それが抱えた震えもまた、今後の物語で掘り下げられていくでしょう。
 強さと弱さの複雑な顔を幾度も重ね描きながら、見えてくるだろうこのアニメだけのヒロイズム。
 その背骨がまっすぐに伸びてしなやかであると、教えてくれる話数で大変良かったです。
 次回も楽しみですね。