イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

江戸前エルフ:第9話『Time After Time』感想

 雨の日に目を出した思い出が、知らないはずの記憶を刺激する。
 巫女とエルフの毎日を追うのんびり日常アニメ、かすかな切なさを秘めた第9話である。
 話としては待ってましたな”いつもの高耳神社”といった塩梅で、エルダと小糸が普段どんな時間を過ごしているのか、ダラダラワイワイ楽しく教えてくれる回であった。
 二人の間柄がどういう土台に乗っかっているのか、爆エモモーメントを鮮明にぶっ刺すためにはこういうしょーもない時間を見せてくれるのが大事なので、大変良かった。
 キメどころとの対比だけでなく、気兼ねなく家族として触れ合ってる様子それ自体がただただ愛しくて、ギャーギャー文句言いつつもエルダのやること為すこと全肯定、同じ時間を過ごす小糸と小柚子を見れたのは、シンプルに嬉しい。
 その”同じ時間”が全然同じではない事を、平和な日常に油断したタイミングでキッチリ刺してきて、緩いだけでは終わらせない語り口も流石である。

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第9話より引用

 というわけでAパート、雨と雨漏りと雨上がりのお話である。
 む、むちゃくちゃイチャイチャしてた……素晴らしいッ!
 現実主義でダメ御神体に釘を差している体で、その実エルダのスローペースに毎回引き込まれ巻き込まれ、同じ呼吸で生きてる小糸の緩みっぷりが、やっぱ好きである。
 なんだかんだエルダの生き方が放つ空気感が小糸は好きで、心地いいから一緒に過ごして、積み重なった日常が特別な結晶になっていく。
 そういう彼女たちの当たり前がゆったり流れていて、とても良いエピソードだった。
 ゆるい話だとSDたくさん出てくるので、めっちゃありがたいし。

 今回はずぶ濡れ小柚子も途中参戦して、仲良し姉妹と生き神様が日々をどう過ごしているのか、家族としての手応えがあったのも良かった。
 しっかり者すぎて逆に心配になる小柚子が、エルダを間に挟んでお姉ちゃんとキャッキャしている姿を見ると、ほっこりいい気持ちになる。
 小粋なお江戸トークも交えつつ、雨上がりまでの時間を贅沢に、幸せに溶かしているこの日々が、高耳神社なによりのご利益なのだろう。
 雨上がりに舞う乙女たちを、見つめるエルダの瞳が心底眩しそうなのも、神様が人から何を受け取っているのか無言で語っていて、大変良い。
 デカいイベントが起こるわけでも、ゲストキャラが来訪するわけでもない、当たり前の一幕。
 そこにこそやはり、日常系でもあるこのお話の足場がある。

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第9話より引用

 そしてBパートは神様の断捨離。
 レトロアイテム連発で、捨てられないエルフとドッタンバッタン大騒ぎな序盤で軽く笑いを作りつつ、ビデオという渡時機を発掘したことでお話の潮目が変わっていく。
 既にいない母親、流れ変わってしまった時間は、ベータという箱の中に記録され、再生されていく。
 その只中でも変わることがないエルダは、遠くて近い過去でもミーハーに当時の流行りを追いかけ、人が為すよしなしごとを見守っている。
 多分、自分には縁遠い”死”というものも。

 秘められた箱を開けて中身を出し、思わず母と再開してしまった小糸の表情を追うカメラは、被写体を冷たく切り取る客観よりも、その内面に寄り添う暖かさに満ちている。
 社務所から出ることなく、また神域に巫女を入れることなく、箱を開けてしまった小糸の表情と言葉を受け取ったエルダの声色が、すっと冷える瞬間も良い。
 時の流れを超越した神様として、変わらずずっと覚えているものとして、果たさなければいけない使命。
 ワイワイ明るく楽しい日常を共に過ごしつつ、エルダは自分が人間社会の異物であること、だからこそ果たせる仕事にかなり自覚的で、それに向き合う時におちゃらけはしない。
 自分で持ち続けるにはあまりに切ない箱を、人間が神様に託す時どんな思いが渦巻いているか、社務所の奥で……その外に広がっている生活の中で、沢山学び取っているからだ。

 

 人間にとって、古ぼけた機械を引っ張り出して再生するしかない……技術の進歩で出来るようになった記憶を、エルダはベータデッキが出来る前からずっと、当事者として覚えている。
 愛すればこそ生まれる別れの辛さを、小糸が何ともいえない顔立ちでなんとか飲み下した思いを、呪いに変えることなく時にヘラヘラ、時に真面目に両手で受け取って、三方に飾る。
 小糸が思い出のビデオをエルダに預けたのは、巫女である彼女もまたカミに救われる信徒の一人で、ヒトの身で持ち続けるには重すぎる何かを奉納する権利を持っている……エルダが許しているからだろう。
 家族としての付き合い方をたっぷりと書いた上で、エルダが永生者で神様だからこそ生まれるこの間合いを忘れないのは、やっぱこのお話らしい視線だと思う。

 カミとヒトとして生真面目に張り詰めた空気をちゃんと受け止めた後、意識してゆるい空気出してお姫様抱っこ提案して、”いつもの二人”に戻っていこうと頑張るエルダは、とても偉いなと思う。
 こういう事を400念以上続けて、数多の赤子をその腕に抱きとめ置いていかれながら、彼女は生きていく。
 いつかあの雨の日も、この触れ合いも思い出になって、エルダは一人永遠であり続ける。
 そのかすかな寂しさと、それでも積み重なる日々の暖かさの両方をちゃんと書く、良いエピソードでした。
 必死に考えないようにしているが、エルダの顔面と存在にやられきってる自分が存外嫌いじゃない小金井小糸が俺は好きなので、たっぷり見れてよかった。
 好きすぎなんだよなぁお互いに……素晴らしい。

 

 つーかんじの、月島日常スケッチでした。
 遠く手の届かない場所に封じられたはずの追憶が、不意に襲いかかって胸に溢れる様子は、COWBOY BEBOP第18話”スピーク・ライク・ア・チャイルド”に似た味わいもあり、大変良かった。
 あの時は近未来を舞台に描かれたベータデッキへの郷愁を、若人がもはや物理メディアに馴染みがない”現在”が追い抜いて生まれた話だなーと思うと、メディア史変遷の詩学としても読めて、ちょっと面白い。

 何気ない暖かさと、宝石のように固く眩しく、少し痛く輝く一瞬を交えながら、愛しい日々は過ぎていく。
 次回も楽しみですね。