未だ一つになりきれない、はぐれた心の赴くままに。
ウィーン・マルガレーテが真実be oneとなるまでに、必要な最後の一歩をどっしり描く、ラブライブ! スーパースター!! 三期第9話である。
既に二期ラストで”てっぺん”を獲ってしまった以上、勝負論で話を回すわけには行かないスパスタ三期。
自分たちの在り方を問いただし、試しより善くしていくために必須の”外部”であり、異物でありながら内側に取り込まれることを約束された歪な存在。
それが、三期のウィーン・マルガレーテだった。
勝つか負けるか、分かり易い燃料を使いづらい状況下で、作品の温度を上げ前へ牽引していくメインエンジンに選ばれた、勝ち負けに過剰にこだわり、リエラを”敵”と認識することで自分を保っている異国の少女。
彼女が仲間とのスクールアイドル活動に胸踊り、”敵”であるはずの存在に心を寄せる自分に素直になるまでに、三期は9話使ったといえる。
あるいは所在なさげに自分の居場所を探して、Liella!の内側ではなく外側に足を置くしかなかった年下の女の子を、どうしても見捨てていられなかった澁谷かのんが、その巣立ちを見守るまで…とも言えるか。
俺は頑なに自分らしさと定めたものにしがみつき、変化を拒むマルガレーテちゃんも、そんな彼女を原宿の”姉”として、ひとつ屋根の下辛抱強く見守ってきた澁谷かのんも、凄く好きだった。
鬼塚姉妹をあるべき場所へと押し上げる怒涛の前回、炸裂するエモーションがすくい上げたのはあくまで冬毬の感情であって、マルガレーテちゃんは自分自身が主役となり、その戸惑いや頑なさや不器用を、仲間へ全部叩きつけるシーンを貰えなかった。
スクールアイドルの”てっぺん”を目指すという、ここまで三度描かれた”ラブライブ!”の本道を既に走り終えた三期だからこそ、一話全部をLiella!に成りかけ…しかしどうしても成りきれないウィーン・マルガレーテの当惑と、それが生み出す波紋に費やす贅沢も可能になる。
彼女が三期で果たした役割を思えば、それは贅沢というより必然でもあろう。
誰よりも優れていることのみを、選ばれなかった挫折を埋め合わせる補修材として選んだ…選ぶしかなかったウィーン・マルガレーテにとって、「Liella!を負かせて、自分を証明する」という地図を手放すのは、とても心細いことだったと思う。
ツンツン尖って他人に優越できる自己像を全部投げ捨てて、見知らぬ自分を作っていかなければいけないし、一人で立てるだけの実力と才能があればこそ、見知らぬ他人と心を合わせ補い合うやり方には、全く馴染みがない。
一年前まで中学生だった子が、見知らぬ異国で挑むには厳しい戦いだ。
かつて夢破れやさぐれる事で自分を守ろうとしてた澁谷かのんは、そんな少女の怖さや寂しさを、見捨ててはおけなかった。
今回三期の間中顔面に貼っつけていた、「親しみやすくだらしない…でもイザという時は頼れる無敵の先輩」つう仮面を外して、何かが終わり旅立っていく寂しさを抱きしめる瞬間の貌を見せてくれたことで、なんであんなにマルガレーテちゃんにかのんちゃんが親身だったのか、逆算で納得がいった。
(すでに幾度も描かれた通り)澁谷かのんはそういう人であり、自分の全てを預けた古巣と戦うことになっても、戸惑う少女の青春に隣り合い一緒に歩こう…ともすれば敗北の沼に一緒に沈もうと、腹を決めたのだ。
今回彼女が血の繋がらぬ妹に向けていた情愛が、溢れ出す寂しさと混ざり合いながら匂い立ったことで、二期で過剰に前に出て悩める一年坊主共をカバーし続けていたかも、自分の中で筋が通った感じがある。
澁谷かのんという人間は、苦しみながら己を探し、偽れない人間が目の前にいる時、何がどうなろうと見捨てておけない人なのだ。
そういう人間が全部を諦めて、世の中こんなもんだとやさぐれて、歌を捨てようとした一期第1話はまさに異常事態であり、そっから夢のど真ん中へ引っ張り戻した唐可可の存在がどんだけデカいのかを、三期第6話以来改めて思い出したりもしたが。
ともあれそういう仁義気質に背中を押され、澁谷かのんは桜の花びら舞い散る季節から、銀杏の葉が緑豊かに茂り、金風に紅葉が舞い落ちる頃までずっと、ウィーン・マルガレーテを見守り続けてきた。
仮の宿となった彼女の部屋にズカズカ押し入り、頑なに自分たちを拒絶する姿勢の奥、秘めたる鼓動に耳を澄まし、ツンツン当たりがキツい女の子が本当はどんな人なのか、しっかり見ようとした。
自分が見つけたウィーン・マルガレーテを信じて、彼女自身がそんな自己像と握手が出来るまで、何も強制せず、一緒に進む(つまりは負けて死ぬこともありうる)仲間として、肩を並べて一緒に進もうとした。
それが(澁谷かのんがそう願ったように)マルガレーテちゃんが感じていたある種の気軽さとは真逆の、極めてガッチリ重たい決意と優しさに固められていた事実を、ようやく物語は真正面から描く。
かのんちゃんは三期の間ずっと、ある種のお芝居をしていたと思う。
マルガレーテちゃんがこれ以上苦しくないように、自分に文句も弱音も感銘も全部言ってくれる間柄をどう作ればいいのか、考えてあの情けない顔も、日常を共に過ごす気安さも、ベタベタ近すぎる間合いも、心から演じてきた。
素直にはなれないマルガレーテちゃんが、それでも頼れる誰かであるように、自分の形を捏造(つく)ってきた。
無論それは全部が嘘ではなく、澁谷かのんという人間の地金が多分に混じればこそ、気を使われる当人に気づかれないほど自然に演じられた仮面だったと思う。
上から目線の正しい説教も、過剰にベタついた仲良し路線も、手渡されえば即はねのけてしまいそうな難しい女の子が、それでもギリギリ受け入れられるラインを必死に探りながら、ため息混じりの笑顔で手を繋げる距離を掴み取ってきた。
それが結構な”努力”であったことや、それ抜きで人の輪に投げ込むとどんだけ面倒くさくなるかを今回描いたことで、三年生になった澁谷かのんがどんだけ年下の、自分に似た不器用さを持つ女の子のことを思っていたかが、良く解った。
マジ偉いと思う。
かのんちゃんがそんだけの頑張りでもって、変えることなく守ろうとしたウィーン・マルガレーテらしさは、11人で”スクールアイドル”やる上でかなりの障害になる。
気遣われるほどに重荷を受取り、優しく明るく接されるほどに距離を感じる。
繊細に捻くれてしまった結果、過剰防衛気味に”敵”を求めたマルガレーテちゃんの傷や痛みや歪みを、澁谷かのんは否定せず半年、共に暮らした。
歌を愛し歌に呪われればこそ簡単に解くことのできない重たい鎖が、彼女に絡みついているのも自身の経験に照らして解っていたし、それを受けから正しさだけで壊しても、なんもいいこと無いと思っていたのだろう。
Liella! の一員になることを選んで後悔はないけど、ベタついたなれ合いはしたくない。
くっそ面倒くさいマルガレーテちゃんの”今”を、全部吐き出させるようにかのんちゃんは色々考え、近寄ったり離れたり、同じ視点に立てる仲間と話し合ったりする。
いかにも”ラブライブ!”的な、ポップで陽気で気楽な懐柔策が軒並み不発に終わり、「きな子と夏美は”出来ない”」という、”ラブライブ!”で扱うには危うい劇薬にズカズカ踏み込む形で、マルガレーテちゃんの抱える違和感と願いが結晶化していく中。
かのんちゃんはあくまで今まで通り、マルガレーテちゃんの隣に立ち続ける。
今更訓練の必要もないほど、卓越した才能で二年生の頭を飛び越したマルガレーテちゃんにとって、”出来ない”ことは惨めな不始末でしかなかった。
しかしLiella!の一員となることを選び、夏美やきな子が下級生にプライドを土足で蹴り飛ばされてなお、燃える瞳で己に教えを請う姿勢を受け止めたことで、彼女を縛り支えてきた”勝ち負け”への意識が、決定的に解体されたのだと思う。
今までの自分から見れば”出来ない”負け犬でしかない二人が、突きつけられた事実を苦く噛み締めて立ち上がり、嫌なこと言ってくる”敵”なはずの自分を、真っ直ぐ見つめる。
その瞳に宿った熱が、ウィーン・マルガレーテを揺らがせる。
ずっとかのんちゃんがそばに立ち、不安定で危うい自分を見守り続けてくれたこと。
その季節が終わり、後輩たちにLiella!の未来を託せる…託さなければいけない時が来たことの意味を、有能で完璧なはずのマルガレーテちゃんは解らない。
夏美ときな子はそれが判ればこそ、屈辱を糧に悔いなき未来へと進み出すために、練習着のままやって来て、かのん先輩がもう一緒には来てくれない場所へと、後輩の手を取って進もうとする。
かのんちゃんが必死に作り上げた優しい保護膜がなければ、不器用な自分を守れなかった女の子が、自分を偽れないほどに本気だからこそ繋がれる誰かに、手を引かれて巣立っていく。
その、澁谷かのんの青春の終わりと、ウィーン・マルガレーテの幼年期の終わりが交錯する瞬間が、凄く切なくて美しくて、大変良かった。
あの瞬間まで、自分が何に守られていたのかを気づかせないために澁谷かのんは三期の全部を使ってきたし、気付いてなお進めるウィーン・マルガレーテになって貰うために、彼女はずっと側にいた。
でも、もう離れる時なのだ。
離れれるほどに自分を支えるもの、もっと自由に飛び立たせる翼を手に入れた”妹”を見て、かのんちゃんは優しく、さみしく微笑んだ。
そういう人間の貌は、一年から順繰り時間を積み重ね、後輩ができて”てっぺん”とって、なおLiella!は続いていく”スーパースター!!”だからこそ描ける表情なのではないかなと、僕は思う。
歌いたいのに歌えない苦しさにネジ曲がって、夢を諦め世界を閉ざしたところから始まった、澁谷かのんの物語。
唐可可がチラシとともに差し出した熱を無視できず、共に駆け出し始まった物語の中で、同じく夢に縛られ未来に戸惑う誰かを見捨てられない己に立ち戻り、沢山の人の手を引いてきたお話が、あと少しで終わる。
そこには寂しさや悲しさだけではなく、己の歌を皆の歌に広げ、夢へ向かって解き放つ翼へ変えられるようになった、少女の成長と誇らしさが確かにあるのだと、今回のエピソードは深く刻む。
思えば澁谷かのんというカリスマに手を引かれて、色んな少女が舞台に立った。
時に強引に手を引き、時に隣り合って一緒に笑い、そればっかじゃ気後れしちゃい子だっているんだと学んだ後には、親しみやすいダメっぷりをあえて手渡すことで、頑なな鎧の奥にじんわり自分を染み込ませるやり方も、出来るようになった。
そんな澁谷かのんの人誑し列伝、最後の相手がウィーン・マルガレーテであり、彼女の成長は”ラブライブ! スーパースター!!”の主役を務めた女の子が、どんだけ他人を愛し、その人がより自分らしく変わっていけるよう手助けできるのかを、示す鏡になった。
澁谷かのんとその物語は、ここまで来たのだ。
今回のエピソードは間違いなくウィーン・マルガレーテの物語であるのだけども、なんだかんだ澁谷かのんが好きになれる主人公だったからこそスパスタ見てきた自分にとって、澁谷かのんの卒業証書に思えた。
かつての自分にどこか似ている、不器用で歌が大好きな女の子に何が出来るのか、考えて考えて己を捧げ、優しい道化の仮面を被りきって、巣立ちの時まで踊り切る。
その切なさを、澁谷かのんとの出会いに救われた夏美ときな子が解っていて、一番幼いマルガレーテちゃんがあの時まで解ってないこと含めて、めちゃくちゃ良かったです。
大人になっていってしまうものに見守られ、子どもでいられる存在の幸福と残酷。
そういう描写にめちゃくちゃ弱い自分としては、あのヒキしておいてどの面で舞台の真ん中に立つウィーン・マルガレーテを、積み上がるシーンの一つ一つ、顕になる可愛げの一個一個でぶん殴られ、好きになってしまっていった三期全部を認めていいのだと、お墨付きをもらった気分でした。
澁谷家に身を寄せたマルガレーテちゃんと、彼女を至近距離で見守り、何も押し付けないかのんちゃんの日々が。
僕が好きだった三期の物語がどこにたどり着いたのか、一話全部使って描ききってくれて、とても嬉しかったです。
というわけでウィーン・マルガレーテ青春最後の身悶えを描くエピソード、空気読まねーわ自分は曲げねーわ、なかなかキツい描写が積み上がる。
のだが、俺等が知っているようにその頑なさだけがマルガレーテちゃんの全てではない!
これを示すために、ありあとカウンターの奥、二人で仲良しザルツブルガーノッケルンを作るまでの悪戦苦闘が、Liella!の補助線として活用されていた。
ここがねぇ…ヤバい感じに内圧上がりつつ、イヤな炸裂させない絶妙な塩梅を維持するのに、めっちゃ効いてたと思う。
勝ち負けに呪われたマルガレーテちゃんは、”出来ない”夏美ときな子にキツく当たるわけだが、譲れぬ舞台から離れてキッチンに入った時、”出来ない”ありあに柔らかな笑顔で接する。
歌が関係ない場所、半年共に過ごした家族だからこそ、頑なな鎖を外した時にはその”出来なさ”を受け入れ、共に楽しむ余裕も生まれる。
「んじゃあその善さは、Liella! と一緒にいる時発揮できないものですか!」つうことを、問いただすのが今回なわけだが、答えは既にここ二描かれている。
出来ます。
マルガレーテちゃんはちゃんと、”出来ない”ことにすら微笑める子なのです。
どんっどんシリアスな深みに入っていく(入らなきゃ、ウィーン・マルガレーテを描ききれない)同居人の、ある種の救いが澁谷ありあなのも、マジでいい。
かのんちゃんとの関係にカメラを寄せて、ここまで9話描いてきたわけだが、澁谷家で共に過ごす時間それ自体がマルガレーテちゃんの宝物になってて、それをありあもお母さんも共有していたのだと、タイトルにもある”ザルツブルガーノッケルン”の完成で示すのは、マジで良かった。
異国で手に入れた魂の宿り木に、己の故郷の味を残してもいいと思えるほど、ウィーン・マルガレーテは澁谷家を愛したのだ。
まぁこのサブタイは、「挿入歌”Let's be one”」を隠し通すための煙幕…って意味合いもあるんだろうけども、Liella! にどうしても自分を預けきれない本筋のマルガレーテちゃんだけが、彼女の全部じゃないと示し続ける、大変いい仕事をしてくれたと思います。
喫茶店っていう澁谷家の仕事に、新メニューとして使える食べ物を、ウィーン・マルガレーテが不本意な日本留学で手に入れた宝物として手渡してくれるの、やっぱめっちゃ好きだな…。
そういう歩み寄れる優しさは、確かにマルガレーテちゃんらしさではあって、しかしこと”歌”が絡むとなると、そういう自分を素直に解き放てないのだ。
というわけで11人のLiella! に身を置いたものの、腕組みバリアは解除せず…ウィーン・マルガレーテのツン期はまだ継続だ!
曇りガラスの向こう側、孤独に自分を守ろうとするマルガレーテちゃんの内側へ、ズカズカ突き進もうとするのが桜小路きな子なのは、この後の展開…そして次週へと引き継がれる、いい配役だと思う。
ここで”行く”ことを選ぶ愚かさ(あるいは優しさ)が、きな子には確かにあるのだ。
しかしこの段階では、コミカルで”ラブライブ!”らしいアプローチは届かない。
ゲームしたりお茶したり、のんきで明るい第一波攻撃の書き方は、むっちゃ馴染み深いラブライブ! 味で、だからこそこれでマルガレーテちゃんが切り崩されない様子に、スパスタらしい刷新の風を感じたりもした。
ともすればこの段階でデレてたのが今までのラブライブ! だったかとも思うけど、もうちょい深くてのっぴきならない場所にスパスタ…特に三期は踏み込む気概を感じる。
同時にこのアーパーおバカな空気感が好きだから、俺は今に至るまでラブライブ! 見ているわけで、しっかりそういうモンをやってくれるのは嬉しい。
ここら辺の硬軟のバランスを、改めて取り直した感じもあるんだよなスパスタ…。
マルガレーテちゃんが澁谷かのんの翼下から巣立つ今回、ずーっと一年坊主の横に並ぶ顔を見せてたLiella!のカリスマが、先輩らしい表情を強めていくのも印象的である。
幼馴染と爆エモ夕日クレープ下校デートをキメ込み、知恵者・嵐部長に見えているものを共有し、改まって膝を正して、大きな仕事を任せていいく。
敗残の惨めさを気遣われる程に、痛みが強くなっていく少女の気持ちが、手に取るように解る所まで嵐部長も人間力を育ててきてて、マジ”先輩”って感じだ。
「テメーのやり方でやれ!」と、Liella!首脳部から白紙委任状貰ったマルガレーテちゃん。
そのやり方しか知らないし出来ない、忖度なしのガチりで殴りつける時、彼女の眉間が歪んでいるのは印象的だ。
それを言葉にすれば、嫌われ反発されるのは解っている。
でもどうしても譲れないし歪められない、自分でもいかんともしがたい自分らしさに突き動かされて、マルガレーテちゃんは「夏美ときな子は”出来ない”」と告げる。
前半漂っていた柔らかでヌルく愛おしい”ラブライブ!”らしさが抜けて、ウィーン・マルガレーテがその外部にいたからこそ保ててきた、張り詰めた空気が漂ってくる。
ここでマルガレーテちゃんが苦しそうな顔したのも、それでもなお自分らしさを貫くことにしたもの、三期トマカノーテで一緒に走り、澁谷家で泣いたり笑ったりした成果なんだと思う。
誰かが側にいてくれて、一人じゃないことはもう知ってるし、そうあることの尊さ、ありがたさも身に沁みている。
自分がここで空気を読んで、場が収まる答えを出せるほど器用なら、Liella!においてもそういう暖かさに身をあずけることも出来るんだろうけど、どうしても峻厳な自分であることは譲れない。
それを望まれて、フォーメーション選定係を任されたのだろうという思いもあって、一年坊主は二年生の未熟を刺す。
その一撃を受けたきな子と夏美が、戦う目をして立ち上がってきたのも、また良かった。
夏美は第4話と前回、きな子は次回で足りなかった彫り込みを補わられ、かのん達と挑む最後のラブライブに何を賭けるのか、抱えた熱が鮮明になって来ている。
そういう彼女たちだからこそ、グループ内の実力格差という、シビアで生っぽいネタをここで触り、そこをどうやっても無視できないマルガレーテちゃんの物語が高みへ飛び立つ足場として、機能もするのだと思う。
ここを譲れないウィーン・マルガレーテだからこそ、色々やりきっちゃった三期をギリギリ成立させれたわけでね…。
どうやっても己を曲げれない自分に凹み、ありあとの楽しいお菓子作りもボイコットして私室にこもった澁谷家の末っ子に、かのんが踏み込む!
ここの距離感と表情は三期の真骨頂という感じで、大変良かった。
鬼塚姉妹の近くて遠い難しさを、扉の向こう側に立ち竦む間合いで描いてきた筆致が、ここに来てマルガレーテちゃんの心に入れる/入ることを許す関係性に伸びているのは、演出の連続性を感じれて心地いい。
うつむきながら真剣に、自分の心の中の本当を探るマルガレーテちゃんの表情も素晴らしい。
チラシ受け取られて同じ家に住んで、一緒に走って練習して、上海であのライブをして。
たった一人孤高に勝ち続ける以外の楽しさがあるから、”Bubble Rise”をやりきった時、マルガレーテちゃんは久しぶりに歌って笑えた。
それは確かにそこに在って、でも馴れ合いは出来ないし勝負にもこだわりたい自分も、消えて無くなったわけじゃない。
見知った頑なな自分と、見知らぬ柔らかさで笑う自分をうまく混ぜ合わせられない難しさを、マルガレーテちゃんは言葉にして呟き、澁谷かのんにあずける。
そう思えるだけの繋がりを、9話分積み重ねた日常と非日常の中で、確かに育んできたのだ。
そら澁谷かのんも遂に号泣って感じだが、それは「スクールアイドルの本質は、心を一つに繋ぐ一体感にこそある」つう心情の吐露だけでなく、あーんなに他人とうまくやれない…だからこそ手を握って一緒に戦おうと思った女の子が、自分にだけすげー素直に思いを吐き出してくれた事実にも、泣かない女は哭いたのだろう。
ずーっと気さくで頼れる”原宿の姉”を頑張ってきたかのんちゃんは、自分の気持ちを表に出すより、くっそ面倒くさいマルガレーテちゃんの気持ちを受け止められること優先で、三期を走ってきた。
しかしここに来て、自分が一番伝えたかったことが確かに届いていたのだと確かめて、堪えきれずの落涙である。
極度の強がりガールであるマルガレーテちゃんが、弱音…ともまた違う当惑と発見をとつとつと語る様子は、かーなり心の壁かのんに切り崩してる感強い。
この無条件の明け渡し感が、前回愛妹に魂の抱擁をキメた夏美の「全部打ち明けて欲しい!」という慟哭に通じるものが在って、個人的に感慨深かった。
かのん涙の抱擁が終わった後、階下からの声がけに全く同じ仕草で姉妹が応えてるのも可愛いし心が確かに繋がっていることを確かめれて、最高だったな…。
認めな、ウィーン・マルガレーテ…お前の胸の中にある音は、もう澁谷かのんに重なっちまってンだよッ!!
そして二人は家族同士の閉ざされた場所から出て、練習着のまま追い縋ってきた闘士たちに向き合う。
ここは負け犬が負けたまんまじゃなく、敗北を超える強さが今目の前にあるのだと、勝負論に呪われたウィーン・マルガレーテを解き放つ場面としても良いし、そういう闘志がきな子と夏美に燃え盛ってると見せるのも素晴らしいけども。
やっぱマルガレーテちゃんが、永遠に続くんだと心のどっか甘えてきた、澁谷かのんに包まれ守られてる時間の唐突な終わりを、叩きつけられて当惑する表情がいい。
すげー”子ども”なんだよな、ここのマルガレーテちゃん…。
最初っから結ヶ丘スクールアイドル部の一員として、先輩後輩の関係性の中指導を受け、いつか来る別れを前提に進んできたきな子達に対して、マルガレーテちゃんとかのんの関係はあんま”部”っぽくなく進んできた。
そういう場所に居心地の悪さを感じればこそ、今回すげー面倒くさく身動ぎしたマルガレーテちゃんのために、そういう距離感を特別手捻りして、気遣われてると気づかない優しさでもって、澁谷かのんが妹を包んできたとも言える。
だから澁谷かのんが卒業し、自分のもとを離れていく当たり前の未来を突きつけられて、こんなにショックを受けた顔をするんだと思う。
年下から実力不足を指摘される屈辱にめげず、闘志を燃やしてきな子達が追いついてくれた逞しさを。
それを目の当たりにして、気圧されつつも拒絶しない姿勢をマルガレーテちゃんが見せたのを見届けて、かのんちゃんは「私は”もう”行かない」と告げる。
それってさぁ…ずーっとずーっと、一緒に練習するときも同じ家で生活するときも、不器用に張り詰めていつだって本気で、可愛い所も沢山ある女の子のことを、ずーっと見守っていたから出てくる”もう”でさ…。
そういうモノを、三年生の澁谷かのんはマルガレーテちゃんが受け入れられる形に整えて、気づかれないままリボンつけて、静かに優しく、手渡し続けてきた。
これはねぇ…マジで偉いですよ。
自分の受けた痛みにうずくまって、悩んで間違えて周り巻き込んで突っ走って。
そういう澁谷かのんの物語があったからこそ、そういう人間になったんだという”三期”だからこその感慨もあるし、今回Liella!に…”ラブライブ!”らしさに馴染みきれないマルガレーテちゃんの頑なさを描いたことで、それを自然に溶かしていったかのんちゃんの必死が、改めて見えた。
やっぱ全部見えて解った上で、頼りなさも親しみも一番あの子が受け取りやすい形に整えて、手渡してきたのだ。
その優しさと強さは、人間として望める一番大事なものであり、凄く澁谷かのんらしいものだと思う。
半年ずっと手元において、一緒に負けて終わっていくことすら飲み込んだ愛しさから、手を離して見送れるほどの成熟。
こうして澁谷かのんが”成った”様子を見ることで、クッソ面倒くさく不器用なマルガレーテちゃんも、公式に”出来ない”と告げられたきな子や夏美も、その未熟を糧に立派な人間になっていけるのだという、エンドマークを越えた後もなお続く希望が見えたのも、本当に良かった。
三年という時間を通して人間がどう変わっていくか、描けるのはスパスタの大きな特色だと思うけども、その精髄を描き切るために、澁谷かのんとウィーン・マルガレーテの関係性に太く絞って話を展開してきたのだなという、改めての納得もある。
ここのマルガレーテちゃんの呆然と、その手を引っ張って新しい場所へと連れて行く”先輩”達の頼もしさと、それを見送るかのんちゃんの微笑みが全部染みるためには、ここまでの物語全部がなきゃ足りなくて。
くだらねー事で笑いあって、ロードワークにちょっと遅れてきてたのが今回では先頭駆けれるようになって、ツンツンプリプリしてたのに一緒にザルツブルガーノッケルン作るようになって、その全部を愛しく見守って。
かつてのウィーン・マルガレーテなら「下らないわ!」と、高いところから吐き捨ててきたような日々の全部が、あまりに心の深い場所に突き刺さっていたから、”もう”行かないと告げられた時に、ああいう顔をする。
そういう関係になれたからこそ、かのんちゃんは隣に並びあった日々を終わらせることが出来る。
ようやく自分が手を貸さなくてもマルガレーテちゃんを支えてくれる人が、屈辱を越えて手を伸ばしてくれる様子を見届けて、微笑んでサヨナラを告げれる。
ここで人生の大事なことなんも解ってねぇ…本当は解ってるのに理解ってる自分に馴染みがなさすぎるアホな後輩の手を引いて、澁谷かのんに誇れる自分たちであるために、彼女の手が届かない未来に進もうと思える桜小路きな子と鬼塚夏美になれたのも、澁谷かのんがいたからだ。
今までの全部が、この離別と巣立ちを生み出している。
寂しくて綺麗で、美しい瞬間だったと思う。
優しい馴れ合いじゃ伝わらないものがあるなら、汗と本気を間近に受け取る厳しさの中で、繋がっていくしかない。
気遣い無用、本気だからこその熱をビリビリ響かせあって、Liella!の次代を担う先輩と後輩はようやく、同じ場所に立つ。
この境内でのジャンプでやっと、マルガレーテちゃんはLiella!になれたわけだが、それは夏美たちがマルガレーテちゃんが体現する(三期の危うい物語をサせてくれた)勝負の厳しさを、自分たちの中に取り入れた瞬間だったとも思う。
それは確かに、そこに在る。
それが”ラブライブ!”の全部じゃなくても、確かに本当なのだ。
しかし二期で”てっぺん”にたどり着いてしまった描写を嘘にしないために、今更Liella!の外側に物語を広げるよりも、Liella!に近い場所にウィーン・マルガレーテという”外部”を置き、彼女との呼応の中でLiella!らしさ、”ラブライブ!”らしさを問いただす道を三期は選んだ。
あの子がワーワーガーガー、意固地に頑なに「Liella!は敵!」と叫んでくれたからこそ成り立っていたもの、ナァナァで損なわれなかったものは山程あって、それはやっぱり大事なのだ。
それが解っているから、それを失ってしまえばかのんちゃんと挑める”ラブライブ!”がおしまいになってしまうから、きな子達はマルガレーテちゃんが顔をしかめながら突きつけた、「お前らは”出来ない”」を飲み干して、ここに来ることを選んだ。
そういうシビアな本気が、”てっぺん”獲っちゃった後のLiella! に確かにあるのだと示すのはとても大事だし、それを暴き立てる仕事はずっと自分を譲れない、不器用なウィーン・マルガレーテにしか出来なかったと思う。
ここでこういう仕事を果たさせるために、ウィーン・マルガレーテをそういう女の子として描き続け、それでもなお頑なさの鎧に染み入るほど、澁谷かのんの愛と強さを積み重ねてきた、とも言える。
決戦前夜、マルガレーテちゃんに言葉を求めるかのんちゃんの瞳には、たしかにそういう分厚い積み重ねがあった。
そしてあの時自分の隣に来なかった(が、仲間に見届けを託した)かのんの気持ちも、負けてなお負けない連中の熱も間近に受け取ったマルガレーテちゃんが、獣のような目でこの先のステージに何を込めるのか告げるのは、凄く良かった。
馴れ合いを受け入れられない自分らしさより、大事なものが自分の間近に確かにあって、鎧を外して素直にならなきゃそれを受け止めきれないのなら、震えた心も燃え盛る熱も、全部素直に曝け出す。
そういう強さに、マルガレーテちゃんは今回たどり着いた。
それはずっと掴みきれなかった、彼女の本質でもある。
ブーブー文句を言いつつも、トマカノーテの心地よい距離感の中生まれた繋がりが、自分を繋ぎ止めてくれると感じた。
上海のライブに、帰ってきてからも続く熱に、見慣れぬ高揚感に戸惑いながらも、新しい景色を心の奥底望んできた。
かのんちゃんがマルガレーテ本人よりも鮮明に見定め、しかし「それが貴方の本当だよ」とは押し付けなかったものを、長い回り道の末自分の目で見届け、自分の手で掴み取り、自分の言葉で仲間に告げて、青く輝く未来へと進み出す瞬間、少女は獣の目をする。
その隣に、鬼塚冬毬がいてくれることも俺には嬉しい。
トマカノーテが駆け抜けた季節が、俺は本当に好きだったから…。
かくして流れ出す”Lets be one!”は、幾度も見たはずなのにひどく新鮮で、同時に今ここで流れなければ嘘になるという、必然のうねりが力強く曲目に宿る。
やっぱ毎回物語の始まりを飾ってくれてた歌が、前回の決戦を経てなおあと一つ混ざりあいきれない難しさを越え、ウィーン・マルガレーテが最もウィーン・マルガレーテらしく自分を選び取った先に流れるのは、胸を揺さぶる強さを感じる。
文脈と楽曲自体の強さ、見慣れたはずのパフォーマンスに次々”意味”が宿っていく快楽が入り混じって、凄まじいパワーの在るパフォーマンスだった。
そらーかのんちゃんの拳も”光”を掴むわって感じだが、これが第7話ラスト、あの愛おしい秘密の口づけの後に三人がかけていった眩しい光景の”答え”になってるのが、自分的にめっちゃ痺れた。
あの時既に出ていた答えを、物語の中揺るがない真実にするためには、やっぱりあの後の二話が必要で。
頑なに、自分たちを形作る愛故にLiella! にならなかった一年坊主たちに、どっしり話数使って心の奥底まで削り出し、そこから溢れ出した思いが繋がる先、乱反射する相手の顔を照らして、至るべき場所へ至る。
ここでようやく、11人のLiella!が動き出すという意味でも、OPを選んだのは圧倒的に正着だろう。
逆に言えばこっからは予定調和を越えた未踏領域、スクールアイドル真のテラ・インコグニタである。
その一歩目…待ち望んでいながら「どーせこねーって」と諦めることで、自分を守ろうとしたド直球の桜小路きな子の物語が、次回描かれる。
四季や夏美やクゥクゥ、冬毬やマルガレーテの見たかったけど描かれたなかった部分を、徹底して補い掘り下げ、その魂の色を見せてくれた三期の筆先が、桜小路きな子に伸びることを思うとある種の怖さがありますが、それを上回る期待に震えつつ、来週を待ちます。
三期の語り口、メインに深く入りつつそこに繋がった誰かの顔をすげー鮮明に照らすので、破壊力と満足度がダンチなんだよな…。
あ、久々の”リエラのうた”は夏にはしゃぐ二年坊主が全員めっちゃ可愛くて、マジ最高でした。
やっぱまるで妖精さんのように可愛らしく、元気に楽しくはしゃぎ倒すLiella!ちゃんを味わえるの最高にありがたくて、それが素敵な歌と一緒に描かれるのが、独自の多幸感で脳髄殴ってきてたまんねぇんだよな…。
Eテレというメディア、”みんなのうた”との呼応も相まって、頑是ない夢の色合いが優しく通っている所も、ありえんほどに好きです。
やっぱ可愛いなぁ…。