神話の継承者達が紡ぐ、神話が尽き果てた時代の新たなる神話、ラブライブサンシャイン、最終話です。
とは言うものの全てがスッキリ終わる感じではなく、むしろ新たなる鼓動を世界に問うような『はばたき』のエピソードになるのは、(未だ確定ではありませんが、諸条件から言い切っていいでしょう)二期以降を宿命的に背負うビッグ・コンテンツらしい展開といえます。
同時に、『普通怪獣』から『普通』が取れて『怪獣』が生まれたり、Aqoursの現状をコンパクトに纏めた開演前の風景だったり、これまでより格段にスケールの大きな名古屋地区予選のステージングだったり、一期13話の物語をまとめる要素もたっぷり。
複雑な感慨を抱かせる、ひとまずのエンドマークとなりました。
今回のお話では、これまでのお話をまとめ上げ、一つの結末に落ち着こうとするAqoursと、そこを飛び出して新しい可能性に果敢に挑んでいく千歌という、混じり合わない2つの物語が同時に展開していました。
何しろ最終回ですのでお話が拓けていくよりも、収まる方向に進む安定感を求められがちな中、千歌以外のメンバーで『これまでのラブライブ』を描きつつ、『普通』の枠を飛び出す発想力とカリスマという新しい個性を発揮しだした千歌に『これからのラブライブ』を背負わせるのは、一見おさまりが悪いです。
しかし渡辺曜との長い対比によって、『普通な私』という檻に自己を閉じ込めてきた千歌が、桜内梨子という新しい可能性に手を引かれて進んでいた彼女が、梨子の想像力を飛び出す可能性に辿り着いて終わる今回は、やはり最終回でしかありえない『これまでのサンシャイン』の結論であった気がします。
前回μ'sを離れる悟りを得、可能性を象徴する『羽根』に認められた千歌は、一応お話が収まるこのタイミングで、『全校生徒をステージに巻き込む』という着想を得ます。
それは梨子が告げたラブライブ規約には反する行動なのですが、胸のうちから湧き上がる衝動は抑えられず、彼女は一人掛けだして「一緒に駆け出そう!」と叫ぶ。
それがAqoursメンバーの慮外だったことは、呆気にとられた彼女たちの表情からも伺うことが出来ます。
高まった胸の衝動に押し出されるように、千歌はステージを飛び出し扉を開ける。
自らを表現することで、観客に『規範からの逸脱』を決意させる『何か』を発露させた今の千歌には、ラブライブという檻は狭すぎるということなのでしょうか。
あくまでステージの枠内で表現しきろうと考える他のメンバーは、千歌を止めることもついていくことも出来ず、彼女が最後に見せた飛躍に取り残されて行きます。
しかし光の中に飛び出すための原動力は、第1話でμ'sのステージを見た千歌がAqoursを作る『はじまった時のときめき』と同じであり、還るべき場所にかえってきたとも言えるでしょう。
それは、『普通』の檻の中に己を閉じ込めていた少女が『スクールアイドル』という翼と出会い、世界を巻き込む奇跡を起こすまでに成長するまでの軌跡として、整合性のある描写です。
『普通』でしかなかった千歌が己の衝動を露わにして人を動かし、世界を変えうる。
その大きな飛躍を説得的に見せるために、"MIRAI TICKET"のステージはこれまでの舞台に比べ、依り幻想的で神話的な空間として演出されていました。
内浦という土着性にしっかり足をつけて展開されてきた第3話、第6話、第9話、第11話のステージに比べ、前説というにはあまりに長すぎる寸劇が挟まり、会場の規模も演出のレベルも大きく広くなった今回のステージは、まるで夢のような浮遊感がありました。
そういう場所であれば、『普通』の女の子が他人に情熱を感染させ、思わず規範を逸脱させる感情のうねりを生み出す奇跡だって起こりうると錯覚させるべく、あの青い空間は演出されていたのだと思います。
ともかく、自分を『普通怪獣』と貶めて認識していた千歌は、前回μ'sの物語を巡礼し、Aqours独自の物語を語る確信を胸に宿した結果、けして『普通』ではない表現力と発想力を手に入れました。
第5話で『普通の女の子達が集まって、何か特別なものになろうとする』お話と己を定義したサンシャインの主人公として、千歌は他のメンバーより一足先に『普通』を乗り越えたわけです。
それが『規範からの逸脱』として表現されるのはなかなかに過激だと思いますが、コンプレックスにがんじがらめにされていた女の子が己を、そして世界を作り変えうる大きな一歩としては、面白い結論だと感じました。
なんというか、パンクスの精神を感じるし、俺はパンクスが大好きなんだ。
今回千歌が見せた『規範からの逸脱』は急に生まれたわけではなく、『μ'sの物語』『ラブライブらしいラブライブ』という外殻ではなく、己のうちから生まれる衝動に従い、白紙に『己の物語』を綴っていく決意を見せた、前回からの延長線上にあります。
千歌にとっては『内浦をアピールすること』『今の気持ちを表現すること』そして今回気づいた『Aqoursの九人だけではなく、浦乃星全体をスクールアイドル活動に巻き込むこと』こそが重要なのであり、超巨大競技として規範化した『ラブライブ』の枠は、『己の物語』という実感が無いのでしょう。
これまでは浅はかに表面を見てきた千歌が、自分の奥底にある気持ちを最優先に行動するという意味でも、今回は新しい変化の回なのだと思います。(最終回なのにスゴイね、ヤッパ)
それはクラスメイトという『枠』の内部で協力してくれた少女たちをステージへと逸脱させる『熱』をもった、千歌の新しい可能性であると同時に、九人を九人としてまとめてくれていた『枠』からの逸脱でもあります。
地面に足をつけて飛び立ち安全に着地することが約束されている『跳躍』ではなく、何処ともしれない未来に己を投げ捨てる『飛躍』を果たした千歌は、普通の枠を飛び出し、ラブライブの枠を飛び出し、八人を置き去りにして光の中に走っていく。
(現段階での)Aqoursラストステージは、千歌の精神的飛躍が生み出したステージ外部の熱狂と、ステージ内部の戸惑いが同時に表現される、不思議な空間になりました。
千歌の変化がただ好ましいものとして受け入れられるのではなく、むしろそれをAqoursのメンバー(特に梨子)が受け入れられない描写が強調されていたのは、なかなか面白いところです。
お話を収めるのであれば、『あれだけ悩んでいた『普通』を突破できてよかったね』、と褒め称えれば(逸脱を是認する難しさは横において)最終回らしく終わると思うのですが、今回は千歌が果たした飛躍への戸惑い(ともすれば恐れ)を前面に出して描かれていた。
それは千歌の変化が持っている危うさを強調し、八人がそれを受け入れ、より望ましい形に整形していく物語を強く想起させます。
しかしそれを描く時間は(今のところ)ないわけで、続きを書く尺がないのに『ここから続きます』という印象が強く残ることも、この最終回がなかなかに異質な理由でしょう。
サンシャイン一期は、鞠莉いうところの『Perfect Nine』として九人が一つにまとまるまでを描いてきた物語です。
自分たちが長めの寸劇で取りまとめていたように、衝突や反発を繰り返しつつ、『ラブライブ』という枠と夢を共有し、『普通の女の子達が特別なものになろうとする』同士としてAqoursを結成し、己を表現するまでの物語。
シリーズ全体を貫通していたはずの大きなラインから、他でもない主人公が逸脱/成長/飛躍する不安定な描写が、最後の最後に来ることで、視聴者は『俺たち、どんな物語を見ていたんだっけ?』という疑問をどうしても抱く。
物語を終えるタイミングで、新たな物語の種子をまく挑戦的な構成に仕上げたのは、やはり二期以降を想定した巨大な物語としてサンシャインが存在し、『これからの物語』を視野に入れて展開しているからだと、僕は思います。
千歌の変化を描くにあたり、千歌が成し遂げつつある飛躍を前に、梨子が強く戸惑っている描写が入ることも、興味深いと思います。
これまでメインヒロインとして千歌を受け入れ、手を引き手を引かれて話を牽引してきた梨子は、いわば高見千歌最大の理解者であり、志を同じくして集まった九人の中でも、特別な位置に座っています。
そういう彼女の想像力の中で『これまでのラブライブ』は展開していたわけですが、千歌の中に生まれた衝動はそこすら飛び出し、梨子を置き去りにはばたいていく。
梨子が『枠』に取り残されることで、千歌が果たした飛躍の大きさが測定できる形ですね。
梨子が千歌に生まれた『怪獣』を受け止めきれない今こそ、生来の賢さと物分りの良さを活かして渡辺曜が全面に踊りいで、『主人公最大の理解者』というポジションに横殴りを決める絶好機だと思うけども、どうだろうか。(コバヤシは渡辺曜の哀しき優等生っぷりを、いつでも支持しています)
最終回にふさわしく、今回は会場入りしてからステージに上る前に、各学年ごとにこれまでの歩みを振り返るシーンが入ります。
そこでの描写はこれまでの物語をしっかり踏まえてまとめ上げていて、一年トリオは特に陰りもなくキュートで健気に、三年生は少しの後悔と湿り気を宿してしっとりと、お互いを抱擁し距離を縮めていく。
これに対し、二年生は抱き合うことなく距離を置き、未来に待ち構える喜びではなく痛みについて語りながら、千歌は影の中に入り込んでいきます。
ここら辺の構図に、既に"MIRAI TICKET"での飛躍の予言が埋め込まれていたのかなぁなどとも思いますが、どうなんでしょうね。
あのライブの後、Aqoursが一体どうなったのか。
東海地区予選の結果も、メンバーが見せた戸惑いがどう収まったかも、今回のエピソードは描きません。
そこには千歌の飛躍とそれに巻き込まれた観客、取り残されたAqoursという『結果』だけが描かれていて、それが『原因』となって描かれるだろう様々な物語は、白紙のまま残されています。
というよりもむしろ、白紙として残すために描かなかったのか……そこら辺は今後サンシャインがどう展開し、二期がどういう物語になるかを見なければ言い切ることは出来ません。
新たな創造は『枠』の破壊を、可能性の飛躍は危うさを、『何か特別なものになる』ことは『普通』を置いてけぼりにすることを、常に孕んでいます。
主人公が背負ってきた『普通怪獣』の物語を一旦終わらせるに当たり、その二面性から逃げてポジティブな部分だけを描くのではなく、光の背中にある影をしっかりカメラに捉えてきたのは、僕にとって面白いし好ましい。
"MIRAI TICKET"を一足先に受け取った千歌が挑むのは、成功の予感も破滅の兆しも両方をはらみ、だからこそ価値のある危うい世界、未だ定まらない白紙の物語なわけです。
『楽しいだけじゃない 試されるだろう』と歌にはありますが、μ'sの形式ではなく内実を実現していくと決意したAqoursにとって、今回千歌が成し遂げた飛躍と、その危うさを両方描くことは、むしろ誠実な姿勢なんだと思います。
全ての問題が完璧に収束し、物語が動く余地を失ってしまえば話は先に進まないわけで、隙間を埋めるより広げる方を優先した今回の造りは、やっぱ先を見据えてのことだと思う。
『ラブライブ』というあまりに大きな伝説の影からい出て、常にμ'sの物語をリスペクトしその轍を踏みながら進んできたサンシャイン。
その姿勢に、僕らμ'sが大好きだった視聴者はありがたさを感じ、先人の遺産を蔑ろにしない(ともすれば臆病ともとれる)スタンスに好感を抱いてきました。
しかしAqoursの物語は彼女たち独自のものであり、どうあがいてもμ'sと同じにはなりえないし、なってはいけないという認識(もしくは決意)も、サンシャインが物語を展開する上で常に語られてきました。
前回μ'sとAqours、『ラブライブ!』と『ラブライブ! サンシャイン!!』の距離を一話使って精密に測り、長い影から飛び出すことをキャラクターの使命として刻み込んだ以上、お話が一旦終わるこのタイミングで収束ではなく拡散を、『これまでのラブライブ』を丁寧に確認しつつも『これからのラブライブ』への野心を描くことは、作品を作り上げる姿勢として誠実だと思います。
過去の遺産に安住せず、伝説であると同時に足かせでもある『枠』を逸脱してまで新しい物語を書きたいと願った製作者(そして千歌)の衝動を、それが突き抜けた先にある可能性と不安を、僕は見たい。
今すごく、ラブライブ! サンシャイン!! 二期が見たいんです。
収束し終息しまとまっていく『これまで』の物語ではなく、二期を前提としてむしろ広がる『これから』の物語として、サンシャイン一期は終わりました。
産業としての規模、現象としての意味合い、物語としての可能性、単純な好み。
色んな視座から考えて、それでよかったと思います。
『これまで』の物語をまとめ上げる要素もしっかり入れて、その上で『これから』を溢れるほどにぶち込んできたわけだし。
『怪獣』として目覚めた千歌が、これから何をなしていくのか。
高く飛躍して人々を巻き込んだ千歌と、『枠』に取り残されたように見えるAqoursのメンバーの関係がどうなるのか。
『規範からの逸脱』を孕んで”MIRAI TICKET”が巻き起こした波紋が、世界にどう広がっていくのか。
気になって仕方がない部分が、最終回なのにたっぷりあります。
劇薬と言っていいほど攻めた表現で千歌の成長を描いた今回を、どう受け止めてシリーズを展開していくのか、凄く楽しみです。
だからこの感想も、こうやって終わることにしましょう。
ありがとうございました、いいアニメでした。
心から、次を楽しみに待っています。