イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

NieR:Automata Ver1.1a:第16話『broken [W]ings』感想ツイートまとめ

 NieR:Automata Ver1.1a 第16話を見る。

 楽園は天に砕け、不可避なる死が二人に迫る。
 運命に追い立ててられ、感情に急き立てられ、求める己が隻翼。
 伸ばした手は届かぬままに、かくして比翼は折れ砕けた。

 

 壮絶と悲愴が残酷を伴奏に激しく踊る、ニーアアニメ二期第4話である。
 1クール2/3を残して主役が死んだが、まだまだ物語は続く。
 続いてしまう。
 死という必然が終わりになってくれない、機械生命体だからこその辛さをこの長い終局、丁寧に織り上げているのを感じる。
 ヨルハが永遠の戦士である証を、バックアップしてくれていたバンカーはもはやない。

 死んで殺してなお続く、感情を押し殺した罪の連鎖もまた、今回の死で終わる…ワケもなく。
 9Sは最愛をもぎ取られた痛みで復讐鬼と化すだろうし、2Eの記憶を継いだA2は迫りくるその刃を、排除すべき”敵”と切り捨てることは出来ない気がする。
 感情さえなかったら、ただの機械だったら、何も感じぬまま戦い終わっていけた人形たちの地獄は、バンカーにバックアップされた永遠が壊れてなお、絆を経糸に新たに編み上げられてしまう。
 死んでなお消えない美しい思い出こそが、憎悪の薪となって消えない炎を燃やし続ける。
 …その黒い熱は、イヴを奪われたアダムが己と世界を焼いた狂気に、悲しいほどそっくりだ。

 2Eを介錯し、その意思をデジタルコピーして継いだ(からこそ、長い髪を切り捨て2Eと同じ顔になった)A2は、託された思い出から彼女たちの絆もまた、理解し共感してしまうだろう。
 感情のない機械なら、デジタル化された魂の色なぞ気にもとめない。
 実際9Sはハッキングして覗き込んだ、機械生命体の思い出を自分には関係ないものと、冷たく切り捨ててアンドロイドの定めと向き合ってきた。
 2Bだけが世界の全てで、彼女と繋がる比翼の鳥であり続けるために、誰かの愛を切り捨てる。
 そういう戦い方を、A2はヨルハの顔に戻ってなお続けられるのか。
 次回明かされるだろう、彼女の地獄がそれを照らすのか。

 

 壮絶な空中戦も、地上に落とされてからの死闘も、もはや血湧き肉躍るエンタテインメントではなく、戦いが本来そう在り、そう在るべき残酷と悲愴に満ちている。
 帰る場所も、永遠の不死も、仲間との絆も、果たすべき使命も。
 何もかも無くなってなお、戦うことしか知らない人形たちの哀しみと、誰かにプログラムされた赤い狂気で、地上は満ちている。
 多分機械生命体とドンパチやってた時代からずっとそうで、狩り立てる勝者から倒れ伏す敗者へと主役が立場を変えたから、見ているこっちにも伝わりやすくなったモノが、物語を満たしている。
 それは鉄錆た血の匂いと苦い涙の味に、微かに狂った愛が交じる、戦場のカクテルだ。

 深い傷を負い、魂を侵されて、戦士としての役目を果たせなくなるほどに、2Eの地金が見えてくる。
 そこには9Sへの想いばかりがあることは、思い返せば第1話から見え見えで、しかしそんなモノどこにもないのだと、強がりながらあの子は戦い続けてきた。
 人形は感情を持たず、永遠に戦い続けるのだと、定めた誰かのプログラムに縛られて。
 好きな男の子を特別な名前で呼べず、それどころか何度でも繰り返し殺し続けて、再び出会ってまた好きになる。
 残酷な永遠から逃げられぬまま、もはや人間もエイリアンもどこにもいない、同じ人形しかいない牢獄にずっと閉じ込められてきた。

 終わりが終わりにならない円環構造から、死によって魂と命を開放する。
 バンカーが破壊されバックアップシステムが破綻したことで、ヨルハはようやく死神の慈悲…その真実を知ることになる。
 それは既に終わり果てていた世界の様相が、ようやく戦士たちに追いついて必然の終局を手渡す展開でもあり、耐え難いほど哀しくも、どっかに安堵の色を宿す展開だったと思う。
 施されたプログラムは改変されることなく永遠に続くし、心も体も修理可能な機械だからこそ、死が終わりになってくれない。
 そういう人形兵士の業からヨルハは、何もかもが終わる瞬間しか開放されないのだろう。

 

 …本当に、そうなのか?
 A2は群れからはぐれた異常個体として、譲れぬ何かを抱えて追手を斬り伏せ、修繕の効かぬ身体を地上に永らえさせてきた。

 一度死んだらそれきり。
 2Eが最後の最後に獲得した”人間らしい”一回性を、一匹狼だからこそずっと背負ってきた彼女は、何を思い何を背負って、戦い続けてきたのか。
 2Eを介錯し、その思いを継いだ時、何を考えてきたのか。
 これが明かされるのも、また全てが終わるときだけなのかもしれない。
 …バレバレだった内心をモノローグし、禁じられた感情を顕にする(”人間”なら当たり前で、いちばん大事な)権限がヨルハに与えられるのが、末期以外ないのあんまりに辛いな…。

 

 このお話は手遅れの過ちと、必然の終末と、愛ゆえの狂気に満ちた”人間”の戯画だ。
 巨大なシステムに縛られる不自由と、それが生み出す軋みと、そこから抜け出し壊れていく運命に、ずっと満たされてきたし、2Eの死を以て今回、より色濃くそれが示された感じもある。
 愛し、戦い、倒れ、受け継ぐ。
 主がとうに消え失せた地上で、永遠に戦い続けてきた機械人形が演じるドラマは、異質で歪で…全く人間らしくないからこそ、極めて切実に”人間”の在り方を照らす。
 眼帯の奥に秘めた愛のままに、世界と己を真っ直ぐ見つめ、何物にも縛られず生きていくことの、なんたる困難。
  定めと業の鎖の、耐え難い重さと硬さ。

 生まれついてそれに縛られ、機械で構築された身体は人間いうところの”命”とは形を違えていても、ブラックボックスに刻まれた色は、極めて我々とよく似る。
 始まったときから終わりきっていた物語が、ようやく必然の終局にたどり着いて今、散りゆく命はあまりに哀しく、寂しい。

 

 こうなるしかなかったと深く納得しつつも、こうなって欲しくはなかった。
 悲恋以上の結末が2Bと9Sにはあって欲しかった。
 狂って歪んだ世界をひっくり返せる特別が、エリート部隊に見えて永遠の欺瞞を演じ続けるヨルハには、あって欲しかった。
 しかし、それは叶わない。
 比翼は折れたのだ(副題、Wingsと複数形なの最悪で最高)

 俺はツンツン素直になれないのに、命捨ててもいいくらい好きなのがバレバレな2Bと、飄々とした風を装いながらメチャクチャ感情の鎖を重たく、大好きな女の子に投げかけてる9Sが好きだった。
 永遠に囚われた戦場の外側に出て、”人間らしく”幸せになって欲しかった。
 ブラックスボックスの中で律動する己の心を、全て曝け出して受け止め合い、戦うよりも自分らしい未来を、切り開き掴み取って欲しかった。
 でもそういう世界ではなく、そういう話でもなく、だからこそ魅力的に魅かれて、ここまで見てきた。
 必然への納得と、理不尽への悲憤に引き裂かれて、今最悪に良い気分だ…このアニメ、見てきて良かったな!

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第16話より引用

 不可避の狂気に侵されていた2Eの赤い目が、”ナインズ”と最後に視線を交わした時は正気の、美しい色合いに戻っているのがとても悲しい。
 A2が断ち切ることでしか、この一瞬の正気は掴み取れなかったし、それを姉妹に手渡すために、彼女は慈悲の剣を取ったのだと思う。
 だがその誉れ高い優しさを、唾さをもぎ取られた9Sに理解しろとは言えないし、出来ないだろう。
 アイツずーっと、2B以外超どうでもいい愛のエゴイストだったからな…こっからはアダムと同じ、地獄の狂愛大暴走ルートだッ!

 A2の長く伸びた髪は、彼女がシステムから切り離された一匹狼であり、地上の野生に身を投じた異端者である証だったと思う。
 それを手向けと切り飛ばして、自分が殺した姉妹と同じ形相になるのは、自分のことを語ってくれない彼女が多分、2Bと同じヨルハの誇りを保っている証なんだと、僕は信じたい。
 さんざん終わりきった地獄絵図を描かれてなお、甘っちょろいヒューマニズムの残滓を求めてしまうのが、なんとも弱々しい視聴態度だが、そういう傷つきやすい柔らかさを投げ捨てては、このお話の一番美味しいところを味わい尽くすのは難しい感じもあるんだよな…。
 でもキツいよー、感受性残したままこのお話見届けるのー!

 

 2Bという翼をもぎ取られてなお、憎悪に狂う地上の業から飛び立てるほど、9Sは人間出来ちゃあいない。
 OPでバチ切れしながらA2に切りかかっていた意味、歌詞に”フラッシュバック”と”ブラックボックス”が盛り込まれている意味を、今更ながら噛み締めつつ、愚かしい復讐譚を見届けることにもなるのだろう。
 A2ぶっ殺そうが彼が愛した人は戻ってこないし、末期に思い出を見届けた彼女と並び立つことが、死を超えて愛を永遠にする唯一の手段なんだが…そういう”許し”と縁遠い、クソカス凡愚だってのはずっと描かれてきた。
 だからこそ、俺はあの子が好きなわけだしなぁ…。

 まー秩序や使命を与えてくれる天の棺は、取り返しがつかない形でぶっ壊されてしまったわけだし、別に9Sがバンカーの求める優等生でいる理由もない。
 本来反秩序傾向が強い彼が、軽口叩きつつ命令に従っていたの、九割方『2Bといっしょにいるため』だったろうしな…。
 優等生気取っている理由ももうなくなっちゃって、憎悪と復讐くらいしか生きる理由も死ぬ理由もないなら、楽園を遠く離れた奈落から手を伸ばして、仇の命をもぎ取ることだけが、彼のアイデンティティにもなるだろう。

 

 …ホントなー、このどす黒いやけっぱち、愛の焦げ付きがアダムそっくりなの、鏡合わせの自分自身と戦い続けてきた話なんだな。
 ”人間”なら敵を鏡にして己を見つけ、殺戮の定めを乗り越えて進むべき真実を見いだせる部分を、魂無き機械たちは乗り越えられない。
 より善い変化は人間様の特権であって、永遠に定められたことを繰り返し続ける永続性こそが、物品として製造され闘争をプログラミされた存在の宿痾なのだろう。

 ”だから、彼には譬えで語のである。それは彼が、見ても見ず、聞ても聞かず、また悟らないからである”(マタイ13-13)
 す、救われね~~~。

 

 剣を翳して切り合い、お互いを終わらせる以外に道を知らないどん詰まり。
 その末期に思いを託し受け取った二人の戦乙女と、置き去りにされた一人の少年。
 物語はまだまだ続く。
 続いてしまう。

 つーか残り8話くらい、これと同等かこれ以上の地獄絵図が襲いかかってくんのか…耐えられんのかな、俺。
 でもここで諦めたら、2Bが夢見た愛の行く末を見届けられないので、彼女がとても好きだった視聴者として、加速する地獄に付き合っていこうと思う。
 1クールラストの大勝利ムードを、たった四話にズタボロにしてきて、なかなかいい感じに最悪ですよホント…。
 まぁずっとそういう話だ!
 次回も楽しみッ!!

黄昏アウトフォーカス:第4話『映画みたいに』感想ツイートまとめ

 黄昏アウトフォーカス 第4話を見る。

 前回思いを伝え肌を重ね、タイトル回収までして関係性としてはクライマックスにたどり着いた真央と寿。
 映画も無事クランクアップを迎え、長いエピローグでありプロローグでもある物語を描いて、第一章が終わった。
 大変良かった。
 恋を伝えてセックスすれば何もかもが終わりってわけではなく、自分の寂しさを預けられる相手を見つけたり、本当の自分と出会うための大事な頂点を越えた先に、まだまだ続いていく世界がどんな色なのか、豊かに描いていたと思う。
 ボーイズがラブする話なのに、それが人生の(とても大事な)一幕に過ぎないところが、僕は凄く好きだ。

 

 クソみたいな初恋に殴り飛ばされ、居場所と定めたルームメイトの隣に立ち、カメラを通して思いを伝えあって、自分が自分でいられる場所を見つけた二人。
 『思いを言葉にし、抱きしめて伝える』という、少年が大人になる上でとても大事な一歩を、彼らがちゃんと踏み出している様子が今回たくさん描かれた。
 好きだという気持ち、誰かに求められている実感が、欠けていたものを埋め新しいものを教えて、何かに縛られていた自分を自由にする喜び。
 寿と真央は、お互いの恋に素直になることと、映画作成に真剣に向き合うことで、そういうモノを知っていく。
 その実感が、眩く透明な魂をそのまま保って、彼らをより強く優しい人にする。

 このお話は、凄くロマンティックな物語だ。
 恋を扱っているという意味合いではなく、その夢想主義、理想主義、純粋主義が、とてもロマンスを信じ背負っていると思う。

 

 どこにも居場所がないまま、悪徳と退廃の重力に引っ張られかけていた寿が、愛を確かめるための淋しい窓としての携帯電話を捨てて、目の前にある人生と、愛しい人を間近に感じられるようになった、善き魂の変化。
 それがルームメイトの少年との純情なる愛、お互いの輪郭を重ね合い確かめる交合、映画作成を通じて広がっていく世界に、眩く反射している。
 誰かを心から愛し、己に嘘なくそれを伝えることは、歪みかけていた魂を真っ直ぐなまま保ち、その純粋さを他人に分け与えることで、自分もより素直に、やりたいことに向き合うことを許す。

 真央の告白を受け取ることで、寿は心から愛されている実感を得て、彼の胸の中を自分の居場所と定める。
 それはそこに閉じこもって両手でしがみつく依存ではなく、片腕をしっかり抱きしめて貰っているからこそ、もう一方の腕で可能性を掴み取れるような、拓かれた変化を彼にもたらす。
 映画部でずっと一緒でなくても、毎日セックスばっかりしてなくても。
 お互いがお互いを求め、埋め合い、信じてお互いのやりたいことを見つめて応援できるような、爽やかで心地よい関係性を、彼らは掴んだ。
 その透明度の高い健全さが、セックスというインモラルな匂いのする行為に支えられて、愛の証として眩しい所が、僕は好きだ。

 

画像は”黄昏アウトフォーカス”第4話より引用

 愛しているからこそ求め、時に欲望をせき止めて、眩しい星を見上げることも出来る。
 クソ教師との逢瀬が、世間の目からコソコソ隠れ閉ざされた車内だったのに対し、四話分の冒険を駆け抜けた二人の物語は、星が瞬き夜が輝く、開かれた場所で終わっていく。
 星よりも熱く強く燃え盛る、お互いの瞳の奥の光に照らされ焦がれて、言葉で、抱擁で、身体のつながりで、どれだけ相手を思っているのか、純粋なものを手渡し合っている。
 そんな青春に吹き抜ける風は、熱量と風通しを両方宿していて、とても美しい。
 子どもの善い所を壊さぬまま、お互いの手のひらで守ったまま、大人になってくんだなーって感じ。

 前回黄昏の中のアウトフォーカスで、自分がどれだけ眼の前の少年を愛しているのか、何が起きてもその思いが永遠であるかを確かめた真央が、今回は遠い遠い星に焦点をしっかり合わせて、見ててるけど届かないものへ寿といっしょに進んでいくのが、凄く良かった。
 夕方が終わって暗い夜が訪れても、もう寂しくも怖くないし、一人でもない。
 星はもう、確かにそこにあるのだ。

 あの光景は確かに、二人の物語のクライマックスとして素晴らしいものだったけど、そこで全てが終わるわけじゃない。
 映画部にいる以外の楽しさも世界にはあるし、それは真央だけじゃない仲間と本気で映画作ったから見つかったものだし、真央という運命の相手に抱きしめてもらったからこそ、自分の夢だと認められたものだ。
 色んな星が、皆の世界にある。

 

 特別な誰か一人に片手を繋いでもらうことで、残されたもう一つの手がなんだって掴める魔法の手なのだと、心から信じられるようになるまでの物語。
 これが寿一人のものでも、真央一人のものでもなく、二人だからこその物語だったのだと告げるように、今回はお互いのモノローグが連祷のように、赤裸々な思いをよく綴っていた。
 自分が語り部になっている時には、聞こえるはずのない内面の声。
 それを抱擁の中に確かめ、言葉に出して届けた今、見えないはずのものは確かに目の前にあって、それこそが暗かった未来へ飛び出す自分の、道標になってくれている。
 そういう、彼らがたどり着いた景色の象徴が”星”なのは、とても素晴らしい

 めっちゃイチャイチャはするんだけども、セックスはするときもあるししないときもあるという、自制効きまくったバランスの善さに、最終話でたどり着いてたのも良かった。
 ボーイズでラブなお話なんだから、遂に思いが通じ合った今、バコバコにやりまくったっておかしかないんだけども、二人は肉欲には溺れない。
 それはお互いの気持を通じ合わせる、とても大切なことだからこそ、必要な時に必要な場所で、お互いの気持を重ねて育むものなのだ。
 ここら辺、明らか不幸なセックスばっかしてた感じのクソ教師との関係から、寿が完全に脱却できた証明としても良かった。
 やっぱよ…寂しいだけのガキ、良いように使うの善くねぇよ…。

 

 切れない腐れ縁でズルズル繋がってたときは、不良行為に愛されない不安を誤魔化すしかなかった寿。
 その本心や性傾向を、全部ひっくるめて受け入れてくれた真央との時間があればこそ、寿は腐れ落ちたへその緒を断ち切り、自分を支えてくれる本当の愛へと、身を預ける決意ができた。
 今回二人が新しい世界へ飛び込んだり、聞こえてくる声に怯えず自分で確かめようとしたり、相手を独占するのではなく信頼して背中を支える道を選べるのは、みんなそういう、愛の実感あってこその変化だと思う。

 誰も自分を抱きしめてくれない寂しさに、窒息しかけた自分の輪郭を抱擁でなぞり、口づけで確かめてくれる特別な存在と、確かに出会えた奇跡。 それが肝心な時に勇気が出なかったり、自分を大事にできなかったりした子ども達の未来を、爽やかな風が吹く色に塗り替えていく様子が、幸せなファンタジーの中に力強い作品だった。
 『高校生が映画を作る』というシチュエーションの持つエモさも良いブースターになって、もちろん真央との恋は一番太い柱なんだけども、それが導きとなって寿が演じることの面白さ、誰かに見られている実感をもっと多くの人と、作り上げていく様子が良かった。
 同性愛とセックス、ともすれば色眼鏡で見られがちなテーマを活用することで、子ども達がお互いへの愛を支えにして、極めて純粋に真っ直ぐ、強く優しい大人になる一歩目を踏み出していたのが好きだ

 

 時に無批判、無条件に『善いもの』とされている恋愛が、寿と真央という人間一人一人の胸の傷に、ピッタリハマる個別の形に削り出されていて、もうそれでしか埋まらない運命に後押しされて、これ以上ないほどに近い距離で抱き合うまで…その後にも広がる景色を、豊かに描いていたと思う。
 『この二人には、この恋じゃなきゃダメだったんだ』という手応えがしっかりあったことで、アリモノの恋愛を流用するのではなく、個別の手触りを宿して二人の人生を、愛と性の方向から照らすお話になってたのは、大変良かった。
 セックスに関しても茶化すことなく、愛しさの極限、成長の必然として位置づけれていたと思う。

 映画の内側と外側、カメラを見る側と撮られる側に世界と自分を分割していた真央が、映画みたいにはならない現実を映画よりも眩しく、自分たちが主演するロマンスとして駆け抜けていく。
 そんな風に、大人と子どもを分ける一つの境界線が溶け合って、優しくOutfocusしていくことで物語が決着するのは、やっぱ良いなぁ、と思う。
 撮る自分も撮らない自分も、恋人の手を取る人文もカメラを握る自分も、全部本当の自分だ。
 心からそう思える特別な愛を、真央と寿はお互いに手渡し、捕まえ、抱きしめて星の瞬く方へと走っていく。
 とても素敵な、美しいファンタジーだった。

 

 さてお話は次回から第二章、溢れる映画愛で二人の物語を支えてくれた、市川監督を主役に進んでいくようだ。
 オレがこのお話好きになったのは、あの映画バカがマジで映画好きすぎて、その熱意が周りに感染するほどのパワーあったからってのはデカいので、市川監督の話やってくれるのはマジ嬉しい。
 つーか4.5話でのアンチロマンス宣言が、どう聞いても『これから男と男のど真ん中、全身で飛び込んでいくんでヨロシクッ!』としか聞こえないので、どんだけズブズブになっていくか大変楽しみです。
 第一章めっちゃ良かったんで、続きも期待上がるの嬉しいなぁ…。

ラーメン赤猫:第4話『ふんわりタイガー/⻁打麺/夜更かし猫/ちょっと前のお話』感想ツイートまとめ

 ラーメン赤猫 第4話を見る。

 社さんとしても視聴者としても、猫が経営するラーメン屋の空気が肌に馴染んできた感じがある、1/3折り返し話数。
 ゆったりまったり穏やかに、赤猫の日常をスケッチする感じが心地よい。
 今回は男子部の描写太めな感じで、利益率を鑑みてちょっと悪い顔する佐々木さんとか、ガチゲーマーという意外な顔を見せたサブちゃんとか、その未来を勝手に真剣に思い詰めて涙する文蔵くんとか、みんな可愛かった。
 テンポよく細やかなエピソードを積み上げつつ、素敵な猫たちがどういう連中なのか、ジワジワ理解っていく面白さは独特だ。
 地道な蓄積をどう見せるか、まったりしきらない部分が上手い。

 赤猫スペシャルブームにしたって、社さんがクリシュナちゃんと地道に関係を築き、以前はぶっ叩かれていた言われてない仕事を頑張っちゃう性分を、ここでは出して良いと考えてポスター作ったからこそ、起こった現象で。
 揺らぎのない完璧な癒やし空間として自閉も出来そうな状況で、そういう善さをしっかり維持しつつ、心地よい変化を積み重ねて何かが動いている躍動感を、小さく小さく、確実に積み上げていく。
 この塩梅がいい感じだからこそ、穏やかに流れつつちょっとずつ変わっていく赤猫の日常を、スケッチしてくれることが嬉しくもなる。
 順調だけど同じじゃない雰囲気は、仕事場の空気が弛緩しないためにも大事だしね。

 思い切って人間の従業員を雇い、結果大成功の変化を呼び込んだ文蔵くんの決断。
 それは社さんにとっても幸せな変化で、自分が働きかけて店が賑わったり、内気なクリシュナちゃんがちょっと外交的になったり、良いことがたくさん起きる。
 基本的にはラーメン作って休んでまた働いて、穏やかに同じことが繰り返される日々なんだけども、より善くなるための意欲は無駄に終わらず、繰り返す毎日はけして、同じ色じゃない。
 そういう作品の面白さを、キャラの意外な一面を改めて知る楽しさの中に、まったり溶かしている回だった。
 まず赤猫って舞台に馴染ませてから、こういうクスグリを細かく入れる語り口、安定性あっていいわな。

 

 サブのゲーマー気質はなかなか良い揺らし方で、『猫がゲームて…』つう意外性と、『ラーメン作れるんだから、そらゲームもするだろ』という納得、両方があった。
 佐々木さんが商工会議所に通ってたり、『意思ある猫が実在したら、一体どんな景色が生まれるのか』つう、日常SF的な味がいいスパイスにもなっている作品だ。
 こういう味が面白く効くのも、食べた時の満足感を想像しやすい、ラーメンていう身近な題材を選んでるからこそ。
 色んな要素が有機的に絡み合って、落ち着きながらも退屈しない味を生み出しているのは、やっぱ良いなと思う。

 サブのプロゲーマー転向疑惑を、勝手に聞き及んで勝手に膨らませて感極まってるハナちゃん&店長は笑いどころ…なんだが、そういうところで絶対ガチっちゃう文蔵くんの生真面目が、やっぱりオレは好きだ。
 軽いヤツも熱いヤツも、引っ込み思案な虎もみんな同じ職場に集って、それぞれの個性を楽しく噛み合わせながら、毎日仕事に勤しんでいる。
 そんな理想的な”当たり前”を、喋る猫を主役に据えることで普段とは別の角度から照らし、改めてその善さを描く。
 そういう話なのだなぁと、しみじみ感じ取ることの出来る回でした。
 次回も穏やかに流れる日々に、積み重なる小さな変化と幸せを、丁寧に書いてくれそうで楽しみ。

 

【推しの子】:第15話『感情演技』感想

 崖っぷちに立つクリエーターたちが、ぶつかりあって見つける星。
 一か八かの直接対話が生み出したピーキーな改訂版を、現場の役者たちはどう飲み干していくのか。
 演劇人・星野アクアの過去と限界を薄暗く照らす、【推しの子】アニメ二期第4話である。

 

 前回渾身の筆で鮫島アビ子という、身勝手で幼く才能に溢れ、現世にギリギリ細い線で繋がっている人間を描ききったことで、舞台”東京ブレイド”の上流……原作者-脚本家-プロデューサーを繋げたラインは、良い形で進むべき未来を見つけられた。
 そのしわ寄せは役者の技量を極限まで求める、ピーキーな脚本となって押し寄せてくる。
 素直な芝居バカであるかなちゃんや、何もかもを解析しきって演じられるあかねちゃんとは違い、芝居は復讐の道具でしかない凡人・アクアには荷が重い展開だ。
 肩に乗っかった前世の亡霊に、年不相応な客観性と冷静さを付与されている彼は、否応なく自分の立ち位置を客観視して、感情を遠ざけやるべきことをやる。
 ここで他人を便利に使ったり、思いを踏みにじったりどうしても出来ない時点で、つくづく復讐に向いていない男だと思うけど、この過剰な客観性は役者の仕事の邪魔にもなる。

 役者の生身を通し、ダイレクトな体験で観るものを飲み込んでいく、演劇という表現がもつ身体性。
 それを有効活用するには、普段抑え込んでいる感情を表に出し、自分を蝕む毒になる記憶を開放しなければ、紙の上の二次元は三次元へと立ち上がってこない。
 ここら辺、アビ子が自分の目でGOAさん脚本の舞台を見届け、求められる表現の違いや守るべき作品のコアを、ちゃんと掴んだからこそ歩み寄れたのと、面白い対比だなー、と思う。
 自己防衛、あるいは復讐完遂のための客観視ではなく、自分を引き裂き続けている理不尽に飛び込んだ上で、それを乗りこなせるだけの適切な”遠さ”を獲得することが、役者として人間として、星野アクア青年に課せられた壁になっていく。

 これは嘘っぱちを本物にするために全霊を振り絞る、『演じる』という行為の矛盾にアクアが切り込んでいくお話であるし、嘘が本当となり本当が嘘に染まっていくあやふやさは、虚実入り交じる芸能界を舞台に選んだこのお話の、根幹にも繋がっている。
 なにより、星野アイという巨大すぎる嘘から生まれ、守りきれず引き裂かれ、未だその残骸に呪われている子ども達の旅路において、本当と嘘を真摯に見つめることは、失われた母に会いなおす行為でもある。
 喜びも哀しみも、小さな子どもが背負うにはあまりに血みどろで重い惨劇に壊されてなお、アイからしか生まれない。
 そういう存在に成り果ててしまっていて、あるいは望んでそうなったアクアが、誰にも言えない復讐の真実を抱えたまんま、少しでも楽に……あるいは少しでも善く生きていくには、どうしたらいいのか。
 演劇初挑戦の悪戦苦闘から、もうちょい踏み込んだ距離感で描かれる主役の苦悩に、ビジネス彼女はどう寄り添えるのか。
 一難去ってまた一難、多くの人が関わる巨大プロジェクトはその焦点を様々に切り替えながら、『もっと善いもの』を目指して突き進んでいく。
 その創作讃歌、クリエーター讃歌の爽やかな熱量が色濃いから、僕は【推しの子】でもこのエピソードが、いっとう好きなのかも知れない。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第15話より引用

 前回冒頭、あかねちゃんが手渡してくれたチケットに導かれてアクアがそうしたように、アビ子も自分の目で2.5次元の”今”に触れて、心を揺さぶられる。
 過密スケジュールと(自分で造った)孤独に追い込まれて、世界全てを拒絶するギリギリで吉祥寺先生に救われたクソガキは、心が素直に落ち着いた状態なら、善いものを善いと受け入れる感性を確かに持っている。
 つーかそういう刺激に対して窓を開いておかないと、世間を震撼させる作品なんて作れるわけないし、そういう感性があったから”今日甘”あんなに付箋だらけにしているわけで、『人が変わった』というより『元に戻った』のだろう。

 悪夢にうなされながらプロジェクトの未来を背負っている雷田さんは、自分の懐に原作者が飛び込んできた好機を受けて、サングラスの奥にある燃える瞳を剥き出しに、自分の思いを真っ直ぐ伝えていく。
 物わかり良すぎる大人から、譲れないものがあるガキへと、原作者様に突き出す顔を変えていく。

 その起爆剤になったのは、彼が”やる”男と期待して投げかけたアクアの言葉であり、前回アビ子の崖っぷちを救った吉祥寺先生、そんな彼女を動かしたアクアの働きかけと合わせて、つくづく”縁”に救われ、変わっていく物語だと思う。
 100人からの関係者を守り、最高のステージを作り上げるためならば、ジジイのチンポの一本や二本しゃぶる気概。
 それはそんなコトしなくても、溢れる才能ぶん回して世間を黙らせる才能をもったアビ子からは、けして出てこない言葉だ。
 彼女が自分の子どもたる”東京ブレイド”を、納得の行く形で世間に出したい衝動で暴れまわっていたように、雷田さんは二次元と三次元の間を繋ぐ、弱くて難しい自分の立場にプライドを持っている。
 それを満たすために必要なのは、過剰にクライアントにおもねて機嫌を伺うことでも、他人のプライド土足で踏みつけにしてやりたいことだけやることでもないのだと、二人は剥き出しの熱量に向き合いながら気づいていく。

 

 散々最悪ブッ込んできた原作者様と、笑顔でリモート創作出来る当たり『GOAさん大人だなぁ……』って感じではあるが。
 巨大プロジェクトゆえの工数の多さ、関わるアクターの複雑さをすっ飛ばして、顔を突き合わせてのダイレクトな創作活動にこそ、活路があると雷田さんは開き直る。
 結局創作でしか社会と繋がれず、面白いもの作る技量でしか他人を評価できない欠陥人間だからこそ、鮫島アビ子は舞台を通じてGOAさんの力量を見て取り、歩み寄る事ができる。
 ここも前回、吉祥寺先生の体当たり創作塾でようやく思い出させてもらった部分であり、『一生師匠に頭上がんねぇな!』って感じ。

 笑顔ホクホクで筆が乗り、説明ゼリフを軒並み切り落として生まれたピーキーな脚本に、雷田さんの胃はキリキリ痛むわけだが、座礁しかかっていた舞台はこれでようやく、新たな道へと進み出す。
 そんな解決を導いたのが、アクアを起点とする人の縁、人間と人間がシステムに阻まれず直接対話する熱なのは、このお話らしいロマンティシズムだなぁと思う。

 マンツーマンの効率の悪さじゃ、メディアミックスプロジェクトだの芸能界だの、バカでかい銭を生み出すバカでかい構造体が動かないから、経済活動は分節化され、物わかりの良いコミュニケーションが間を繋ぐ。
 そんな世間の当たり前を、ガキ臭い直接行動主義がひっくり返して”善く”していくダイナミズムは、漫画原作ドラマの現場でも、恋愛リアリティーショーの土壇場でも、必ず発揮されてきた。
 どれだけ嘘まみれ欲まみれ銭まみれのクソな世界でも、シンプルな人と人の繋がり、熱のこもったぶつかり合いと触れ合い、欲得と計算を越えた純粋さは何かを変えて、何かを救っていける。
 露悪的でスレた態度を、己の魅力として活かしつつも、それと相反する甘っちょろい夢をずーっと抱え込んでいるのが、このお話の強さであり魅力でもあるのかなと思う。

 

 

 

 

画像は”【推しの子】”第15話より引用

 そしてその矛盾同居を一番色濃く宿すのが、星野アクアという主役である。
 原作サイドと舞台サイドのわだかまりを、ダイレクトな相互創作でぶっ壊して生まれたのは、役者の力量に頼りすぎたピーキーな脚本。
 腕に覚えありの演劇人であれば、待ってましたの挑戦状なわけだが、経験値の少ない新人……とくに芝居に夢中になってる場合じゃない、心にどす黒い秘密を多数抱えた男であれば、飲み干すには苦労する。
 紙の上の嘘っぱちを、自分の体を通して現実に引っ張り上げる無茶苦茶を、当たり前にこなす演劇の難しさ……あるいは面白さ。
 そういうものに真っ向向き合う難儀と幸せを、星野アクアは自分に許していない。
 だってそんなふうに、面白くて善いものにうつつを抜かしていては、お母さんの仇なんて取れないし、母を見殺しにした許されざる自分が、救われちゃってダメだもんねッ!

 アイの秘密に近づくために、非才の自分が芸能界にしがみつくために、アクアは転生者だからこその卓越した客観性を武器に選んだ。
 作品の構造、業界の体制、眼の前の相手の心根。
 いろんなモノを冷えた視線で解体し、自分の中に窃盗して再構築して、通用する品質の芝居を、役者としての働きかけを差し出す生存戦略
  しかしアビ子とGOAさんが手を取って突き出してきた脚本は、そういう通り一遍ではどうにもならない難しさを、アクアに要求してくる。
 自分が働きかけて”善く”なった脚本だし、これを乗りこなせなきゃ復讐計画も上手く回らなくなるわけで、どーにか苦手な感情演技に挑まなきゃいけない……わけだが。
 アクアの鉄面皮の奥には山のように、他人には預けられない秘密とどす黒い感情があって、それを剥き出しに生きていく(例えばアビ子のような)生き様が出来ないからこそ、彼は冷徹な客観主義者としてやっていくしかない。
 その在り方を崩して、年相応に本気で芝居に挑んで、苦労したからこその喜びに溺れていくことは、背中に背負った亡霊が許してくれない。

 

 本来ならチートの種になるはずの転生者設定が、”星野アクア”個人の前に立ち現れる幸せを拒絶し、為すべきことと生きることのギャップに苦しむ原因になっているのは、なかなか面白い。
 自分が過去の記憶を抱えた異常者であり、子どものフリをした大人であり、周りをいいように使っている嘘つきであり、誰にも言えない出生と復讐を抱えている事実を、アクアは誰にも告げられない。
 後に描かれるように、血を分けた双子ですら転生の理に引き裂かれた他人でしかなく、しかし誰よりも大事な妹でもあるという矛盾の中で、アクアは誰にも頼らず生きていく。

 その孤独がなんにも救わないと、そういう世の中の当たり前が我慢ならず色々。働きかけてしまう。
 彼がここまで歩んできた物語自体が、彼の生き方を否定もするわけだが、目の前でアイが死んでしまった圧倒的な絶望の記憶が、その断絶を埋めさせてもくれない。
 自分は為すべきことを何も出来なかった愚か者だし、目の前で行われた愛の喪失は許されてはいけないことだし、大人びた知性をチートで手に入れた特別な人間として、苦しくても為さなければいけないことが、あるはずだ。
 そう肩越し告げる亡霊の声が、役者・星野アクアが素直に思いを外側に出すことを禁じる。
 それはかなちゃんが思っているような、デキる役者なら当たり前に使いこなせる便利なメソッドには、なってくれないのだ。

 

 

画像は”【推しの子】”第15話より引用

 そんなアクアの辛さを、”彼女”であるはずなのに遠巻きに眺めることしか出来ないあかねちゃんの距離感も、今回灰色の稽古場によく描かれていた。
 ビジネス彼女は世間を欺き、復讐に都合良く動くための嘘の一つ。
 そう表向きは納得したふりをしつつ、死にかけたところに手を差し伸べ、燃え盛る思いを間近に受け取ってしまったあかねちゃんとしては、その恋はつくづく本当だ。
 ここで全てを客観視し、解体して再構築することで芝居をやり切る、卓越した計算者のスタイルが邪魔になったりもするわけだが。
 自分の気持に素直に生きているように見えて、あかねちゃんは持ち前の目の良さから逃れられず、何もかもを客観視して適正距離を探してしまう。
 ビジネス彼女という嘘、アクアが抱え込んでいる重荷を、例えばかなちゃんとかより賢く見れてしまうからこそ、苦しむアクアの側に寄りつつ、手を差し伸べ抱きしめるまでは行かない。
 この距離をスレた仮面投げ捨てて、ノータイムで身体ぶつけて詰めれてしまう熱さがあればこそ、あかねちゃんはアクアに救われ好きになったのに。
 分析系役者の本性は、そうそう変わってはくれないのだ。

 伝説のアイドルの一大スキャンダル、人の生死が関わる深い傷。
 早々簡単に踏み込めやしない断絶が目の前に横たわって、あかねちゃんは『彼女だろ? 側にいてやれよ』と言われるまで、アクアの後を終えない。
 そしてかなちゃんはその遅れ馳せに揺れる後ろ髪をただ見送ることしか出来ない立場なわけで、遠さにも色々あるなぁ……って感じだ。

 開け放たれた窓越しの会話から、過去のヒントを受け取る五反田おじさんとの交流のほうが、”彼氏”との場面より明るくて開放的なのが、二人の距離感示してて面白い。
 五反田おじさんも大人になりきれないクソガキとして、アクアの難しさを抱えきれない不器用な保護者として、結構厄介な間合いで彼と向き合っている。
 砕かれ失われたアイをまだ覚えている特別な存在として、アクアと秘密を共有するおじさんは、その一部を分け与えてもいい相手としてあかねちゃんを見て、縁を繋いで思いを手渡す。
 ここにも銭や利益で割り切れない、形にならない何かが確かにあって、それがこの後、確かに何かを変えていく。
 タバコの煙気にするなら、そもそも吸わないか窓閉めればいいのに、あかねちゃんにちゃんと何かを伝えるべく窓は開けて、でもガキな自分を譲らずタバコも吸っている、五反田おじさんの半端っぷりが、どっかアクアに似てて好きだ。

 

 

 

 

画像は”【推しの子】”第15話より引用

 低体温で無感動な仮面の奥に押し殺した、誰にも言えない秘密と惨劇。
 バッキバキにトラウマ引きずってる悲惨を、五反田おじさんはちゃんと解っていて、でも全部解決できるほど有能でもなく、なんとなく愛弟子にしてアイの忘れ形見を気にかけつつも、彼の人生全部を導いてはやれない。
 だからこそ暗い部屋の中に踏み込む権利を、若いあかねちゃんに委ねたのかなと思うと、大人になりきれない大人のズルさとバカさと優しさが紫煙に滲んで、結構好きだ。

 あかねちゃんは彼女を天才役者足らしめている、卓越した解析力と再構築能力でもって、ヒントを繋ぎ合わせて真実に至る。
 でもそれを表に出してしまったら、”彼氏”がゲロ吐いてでも抱え込んでいる柔らかな傷を引き裂いてしまうから、ただの空想……星色の嘘ってことにして、ようやくアクアと抱き合える距離へと自分を押し出していく。
 自分の中にアイをエミュレートすることで、アクアから奪われ常に求めている欠落を埋めれる”彼女”になろうとする、幾重にも折り重なった嘘。
 それが星の瞳に輝いて、”彼氏”と”彼女”が似た者同士のお似合いなんだと、改めて教える。
 やっぱ星状瞳孔のビジュアル的な強さが、救済と呪い、幸せと不幸を全部まとめて飲み干す”嘘”の象徴として機能してるの、強いわなぁ……。

 

 アクア自身は上手く隠せているつもりでいて、凡人なんだから当たり前にダダ漏れになってて、だから彼に救われて、彼が好きな人達が遠巻き色々心配もしている、赤黒い思い出の傷。
 そこに宿った後悔とか愛しさとか憎悪とか、ドロドロ不定形な人間の原形質をどう扱ったものか、アクア自身まったくわかんないんだと思う。
 一般的な生き方だったら、フツーにガキとして生まれ父母の愛に包まれ、未熟さに失敗して一個ずつ付き合い方を覚えていくようなモノと、一個もマトモに繋がれない。
 転生者としての記憶と知性、【推し】が母親になってしまった運命のネジレ、それが極めて悲惨な形で砕かれた地獄絵図。
 何かまだ出来ることがあるはずだと、愛を諦めきれない未練と執着。
 いろんなモノがアクアの中に渦をまいて、向き合いきれないまま縛っている。

 何者でもないからこそ何にでもなれる、可能性の塊としての”星野アクア”を素直に生きることを、”雨宮吾郎”でもある彼は自分に許さない。
 『自分は何も出来ない子どもだったんだ』という言い訳は、確かに前世の記憶を持っていて普通の赤ん坊ではなかった現実が叩き潰す。
 逃げ道のない牢獄の中で、亡霊がささやくままに復讐に邁進し、しかしそればっかりがアクアの人生じゃない。
 確かにこの第二の生、新しく出会った人たちがいて、大切に守りたい輝きがあって、やってて楽しい夢にも出会っている。
 でもそうやって”星野アクア”として生きることを、”雨宮吾郎”でもある自分も、星野アイの息子であった幸せも、許してはくれない。

 この重たい枷が、あかねちゃんの抱擁一つで解けていくほどゆるくないのは、抱き合ってなお暗い場面づくりから感じ取れる。
 役者として、人間として、高度な嘘を積み上げてもう一人の自分を作り、それを舳先に立てて人生の荒波を乗りこなしていくしかない、不器用で歪んだ二人。
 似た者同士でありながら、その根本を分かり合うところまでどうしても踏み込めない、ビジネス彼女の純情は一体、どこに行くのか。
 それが業と愛、嘘と本当の雁字搦めに囚われた、アクアを解放出来るのか。

 プロジェクト上流のわだかまりを、主役の働きかけでもって溶きほぐしたと思ったら、今度は演技の現場で地獄絵図!
 このアニメらしい緩みのなさで、まだまだ【推しの子】2.5次元舞台編、続いていきます。
 薄暗い寝室で抱き合う二人が、ただの気楽な高校生カップルではなく、色んな人の維持と夢を背負った舞台に挑むプロの役者なのが、残酷で綺麗でいいな、と思う。

 

 極めて個人的な心の傷を、さらけ出し向き合うことでしか乗り越えられない、環状演技の壁に、アクアはどう立ち向かうのか。
 偽物彼女の優しい嘘は、そこにどんな歩み寄りを見せるのか。
 次回も、大変楽しみです。

異世界失格:第3話『僕はいつでも死ぬ覚悟はできている』感想ツイートまとめ

 異世界失格 第3話を見る。

 前回『こんくらいの温度感と強度で、この話やってきますんでヨロシク!』という例示を、見事にやり遂げたこのアニメ。
 今回は新キャラ続々、世界観がグッと広がるエピソードとなった。
 転移者絶対殺すガールとか魔王を殺した転移者とか、『アイツラ全員クズ!』とアネットの親友が吠えた瞬間降ってくるクズ転移者とか、今後芽を出しそうなネタがいっぱい顔見世してたなぁ…。
 4つの神殿巡りという、話の大きな枠組みが提示されたのもデカいか。
 無能力転移者であるセンセーが、何をもって主役を張るかも見えてきて、今後の広げ方が楽しみになる話数であった。

 

 というわけで最初は、主人公PTを鎧袖一触壊滅させる実力者との邂逅。
 ステータス比べやってたら絶対勝てない相手を、川端康成に3mの手紙送りつけた”実績”で気圧して、ギリギリピンチを乗り越えるのであった。
 チートなし、戦闘能力なしのセンセーはあらゆる局面を覚悟と破天荒があいまった文豪力で乗り切る形になり、『根性入ってるやつが、誰より強い』という古き善きヤンキー漫画文法で窮地を乗り越えていくのが良く解った。
 なによりかにより”凄み”が大事という、JOJOめいた文法で引っ掻き回してくるキャラなんだなぁ。
 ここら辺、単純な強さ比べから話の軸をズラしてて、大変面白い。

 太宰転生というネタに支えられたこのお話、ひ弱で勝手で破滅主義のクソ文豪のキャラ性を変えぬまま、異世界モノのお約束を乗りこなしていく結構な難題を、最初から背負っている。
 『太宰が太宰らしくしていると、何故か状況が好転している』という、イカレ度合いの高い話運びをやんなきゃいけないわけだが、イカレエピソードには事欠かない大文豪、いい具合に”凄み”見せつけて危機を乗り越えていて、大変良かった。
 身を焼く殺意を、出会ったばかりの仇敵に理解られてしまったウォーデリアちゃんは気の毒だが、太宰に行きあった不運を恨むがいい…。

 

 数字に頼らず勝つセンセーの凄みを際立たせるためには、数字で可視化されたフツーの強さをお供の二人がちゃんと見せなきゃいけないわけだが、良い負けっぷりでそこら辺、なかなか頑張ってくれた。
 『あー、他の女たちもこんなふうに絡め取られていったんだろうなぁ…』という、イヤな納得のある塩梅でセンセーに夢中になっていくアネットの狂いっぷりと、タマのいい奴常識人っぷりの対比も良い。
 初期PTのキャラが程よく立っていて、いい具合に色分けできているのは、安定感あって良いよな。
 アネットのベタ惚れにも、一応そうなるべき理由はあるし納得はできる。
 まぁ確実に狂い過ぎなんだが、相手が太宰だからな…。

 話の大ネタだろう魔王討伐とか、絶大すぎる力を持つその後継者とか、姿を見せない最強の転移者とか、ウォーデリアとの邂逅は今後話しを膨らませそうな要素が、沢山あって面白かった。
 勇者 VS 魔王という定番構図より、転移者 VS 転移者でやってくんかなー、という感じはあるが、太宰という強烈な個性を面白く際立たせるためにも、異世界設定はしっかりしていたほうが面白くなりそうなので、チート野郎どもに負けず土着の魔物さん達にも、根性見せて欲しいところだ。
 ここら辺は街での騒動を片付けた後、再開後に広がっていくネタだと思うので、二回目の遭遇が楽しみである。

 

 んで街に付いたらアネットの昔馴染みがガーガー言ってきたり、道具屋の親父の前で毒薬飲み干して”凄み”見せたり、危惧してた通りのクズ転移者がクズ撒き散らしながらいい気になったりした。
 センセーの異質性を際立たせるべく、さんざん『世の転移者は全部クズなのよ!』という言葉が飛び出した瞬間、即絵に書いたようなクズが飛び出してきたの、スピード感ある回収で良かったな…。
 センセーはそんじょそこらを探しても生えてない、生粋のクズなわけで、他人をチートでいいようにして悦に入ってるようなスケールの小さなクズを、どう”凄み”で圧倒するのか、大変楽しみである。
 クズ力で相手を凌駕する、ドクズバトルが始まるッ!

 『烏は全て黒い』という命題を否定するためには、白い烏が一羽いればいいわけで、クズはクズだけども転移する前からドクズであり、既存の常識ぶち壊す破戒者でもあった太宰は、転移者にまつわる常識をひっくり返す、破天荒な例外である。
 狼引き連れて王様ぶってるクズ相手に、センセーが”凄み”を見せつけることは、親友がクズに誑かされたんじゃないかと案じているイーシャの評価(≒作中の常識)を、上手くひっくり返しそうだなーと思う。
 クズ転移者が支配系のチートでアネット縛りそうなヒキと、『彼女はカゴの中の鳥じゃない』と言い切ったセンセーの自由主義が、キッチリ対応してんのもいいよね。

 

 いやまぁ太宰は自由恋愛の形を取りつつ、普通人ならブレーキかける崖っぷちまで一緒に転げ落ちていく、大変ヤバい関係性をかなり無責任にぶん回す、生粋の女たらし甘えんボーイなんだけども。
 見てる側まで”凄み”で飲み込み、なんか大したことやっているようで頭冷やして見直してみると、好き勝手絶頂他人を便利に使い、自分の気持ちいいことしかしねぇクズでしかない。
 ここら辺の落差も、心地よく洒落になる塩梅で語れている感じで、ぶっ飛んだネタに見えて土台が強いなぁ…と思う。
 ぶっ飛んだ出落ちをそれで終わらせず、楽しいお話にまとめていくためには、かなりの物語的腕力がいる…という話か。

 センセーの土俵である凄みバトルは、どんだけ相手の常識をぶち壊し思惑をぶっ飛ばすか、認識のフレームを巡る戦いになる。
 そういう土俵だとあらゆるルールに縛られない、生粋のアウトローこそが強いわけで、『太宰を太宰のまま勝たせる』なら、ベストなルールなんだろうなぁ。
 テンポ良くノリでやっているように見えて、描かれる描写全部に”理”がある作風、かなり好みで肌に合う。
 オレ好きだなぁ…このアニメ。

 

 優良種たる転移者様が、クソ土着を支配してやるぜ的な、面白くもなんともねぇ寝言をブッこくクソを相手に、センセーはどんな凄みを見せつけるのか。
 つーかなんで街が燃えて、センセーは傑作の予感に震えているのか。
 ヒキも大変いい感じで、次回が非常に楽しみです!