イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

わんだふるぷりきゅあ!:第7話『ふたりのフレンドリベラーレ!』感想

 すれ違いぶつかって、涙雨に濡れた後に差し出された思いやり。
 二人だけで間違ってしまうのなら、色んな人と話せばいい!
 誰かが隣りにいて、自分じゃ見えない何かを手助けしてくれることの意味を描く、わんぷり第7話である。
 大変良かった。

 まさかまさかの前後編、ケンカの辛さは前回で終わらせて、開幕から晴れ模様が広がり即座に悟くんがこむぎ回収! なスタートから、迷いつつも前向きに、むしろ迷ったからこそ新しい答えが見つかり奇跡が応える展開となった。
 スタートからして涙雨は去り、たんこぶモリモリのコミカルな描写で上手くストレスコントロールしてくれたが、大福さんの仰るとおり、生きてればぶつかることくらいは普通にあって、そこでくじけず立ち上がって顔を上げることが大事なのだ。
 しかしこむぎもいろはちゃんも、人生のありふれた難しさを全部受け止めきれるほど強くはなく、そんな人間当たり前の弱さに優しい人たちの助けで向き合いながら、自分たちが何を求めているのか、新たに探していくことになる。
 ケンカしない越したことはないけども、間近にベッタリ愛着を張り付かせていては見えなくなってしまうものが、お互い少し離れたからこそ見える回でもあり、いろはLOVE以外なかったこむぎの幼く純粋な世界が、衝突と向き合うことで広がる回でもあった。
 こういう形で、悲しい部分もあるけど人間の必然として起こってしまうものを、前向きに捉えよりよい未来に繋げていくエピソードで、新しい奇跡が形になるのは凄く良い。
 新アイテム販促回としても、とてもいい仕上がりだったと思います。

 

 つーわけで迷えるこむぎが冷たいアニメの中、辛い思いを続けていたらどうしよう……と、マジビビりながら見始めたわけだが。
 そこは作中最強の大人、悟くんがソッコー回収して色々手助けして、道を整え背中を押してくれた。
 持ち前の賢さを優しさと結び合わせ、迷える幼子を優しく抱きとめてくれる男(ひと)、マジありがてぇ……。
 今回の悟くん人間一年生であるこむぎの優しい先生として、こむぎが使い慣れていない思考や言葉をどう扱うか、丁寧に導いてくれていた。
 こむぎ自身はその勢いと純粋さに流されて、冷静に俯瞰することが出来ていない自分の感情や行いを、ちょっと離れた所から見定めつつ、暖かく手を伸ばして支えてあげる。
 かなり難しい距離感覚が必要とされる行いだけども、悟くんは他人事の冷たさでも、(いろはとこむぎの距離が近いからこそ溺れた)当事者の近さでもなく、非常にいい間合いで泣きじゃくる子どもに、言葉の力を差し出していた。

 自分が何を感じているのか、言葉でラベリングすることで新たに考え直し、強い思いが湧き上がってくる源泉を探る。
 前回感情の赴くままいろはちゃんと衝突しちゃったこむぎは、悟くんの問いかけと示唆に助けられて、自分の内面を言語化していく。
 それは人の形を得た獣がヒト特有の強さを活かしている場面であり、人間であることに慣れていない幼子が始めて、自分がどんな存在であるかを客観視して制御する、ありふれて大切な心の戦いだ。
 これを未熟な自分一人では戦えないから、色んな人が支え守り導く必要があって、しかし自身いまだ子どもであるいろはちゃんは今回、そういう仕事を果たせない。

 

 『なら他人がやりゃーいいだろうがッ! なんのための”社会”だッ!!』ということで、悟くんがこむぎを引き受けることでクールダウンする時間も取れ、賢いお兄ちゃんに色々教えてもらい、本当の願いを見つけ直したこむぎはタクトの奇跡を自分のものにしていく。
 『心のあり方が伴わない限り、変身アイテムは力を貸してくれない』つうのはプリキュア定番の物語類型ではあるが、前後編どっしり使ってこむぎの今がどんな感じなのか、その幼さと成長にしっかり付き合う話を作ったことで、フレンドリータクトがどういうアイテムなのか、鮮烈に描かれもした。
 いろはの役に立つ自分でいることと、タクトを使って新しい可能性を開くことが=で結ばれ、願いと力が一体となって奇跡を呼び込む、変身ヒロインの基本構図がしっかり形になっていたのが、力強くてよかった。
 この奇跡に力を貸してくれた悟お兄ちゃんが、与えるだけで終わらず『大福の言葉を通訳してもらう』というリターンがあったのも、こむぎがただ守られるだけの子どもではなく、ちゃんと恩を返し何かに報いることが出来る、パワフルな存在だと感じれた。
 悟くんはマジ賢いので、動物≒他者との根本的な交流不可能性をしっかり見据えていて、それでも大福の声を聞きたい自分の気持ちを大事にもしている。
 理性と情念がいいバランスで保たれている青年が、『世の中そういうもんだよな』と飲み込もうとしていた道理を、犬が人になった奇跡の子どもが力強く蹴っ飛ばして、思いがけずシブい人格してたマブダチの声を聞けたのは、凄く良いことだなと思った。

 そしてこむが出てってマジビビリするいろはちゃんの悩みを、突破する仕事は猫屋敷妹が担当していた。
 脇目も振らず一心不乱、シコシコ針仕事してんな~~と思っていた行いが、知らない町で初めて出来た友達に素敵な贈り物をするものだと分かった時に、猫屋敷まゆのことをもっと好きになっちゃったな……。
 こむぎの姉であるいろはちゃんが、ポジティブでアクティブな積極性、良く拓けて優しい視野を強調される”持ってる”プリキュアなのに対し、まゆちゃんは人見知りで視野が狭い”持ってない”プリキュアとして描かれる。
 しかしそんな彼女にだって震えながらも世界を変えていく意思があり、それを形にした素敵なハーネスがあり、ケンカしたって邪険にされたって大好きな繋がり方を、あらためていろはちゃんに教えることも出来る。
 こむぎ-悟のラインが年長者から教え諭す形になっていたのに対し、いろは-まゆのラインはあくまで対等な友達に、どん詰まりに落ち込んでいた気持ちを持ち上げてもらって、見えていなかった大事なもんを対等に教えてもらう形となった。
 人数増やさずバトルを激化させず、丁寧に時間使って作品世界を編み上げているこのタイミング、色んなやつがいて色んな繋がり方があるからこそ面白いという、多様性の楽しさもまた、ドラマに交えて丁寧に積み上げられているように感じた。
 『次週の初登校回絶対面白くなるだろ~』と思えるのは、こんな風にまゆがどんなキャラクター性を持っていて、それがどういう化学反応を生み出しうるか、メインストーリーの端っこでしっかり描いているからだと思う。

 

 百獣の王を相手取り、敗北からの再挑戦を描く今回のバトルは、序盤の追いかけっこムードが鳴りを潜め、擦り傷まみれのハードなものになった。
 ガルガルを生み出す闇の意思みてーのも顔を出し、いよいよバトル方面にもギアを上げていく感じがあるが、怖いけど、怖いからこそ戦いに踏み出していくワンダフルの決意と尊さを描く意味でも、激しい試練はいい仕事をしていたと思う。
 日常テイストが濃いプリキュアなので、子どもが傷だらけになりながら使命を果たす非日常に、わざわざ首突っ込む意味は結構丁寧に削り出す必要があると思う。
 言葉でモノを考えることになれていない、動物であり子どもでもあるこむぎが抱え込んだ純粋な願いが、一番大事な人と衝突して未来が見えなくなり、悟くんに改めて問い直されることで、自分だけの答えを言葉にしていく。
 『キュアワンダフルが、何故闘うのか。何故プリキュアなのか』という、作品の根っこを支える大事な問いかけに真正面から答えれるよう、前後編の全部が注ぎ込まれていて、こむぎらしい真っ直ぐな答えへたどり着けていたのは、とても良かった。
 やっぱ強めのクエリーを、しっかり出すのがヒーローの物語では大事だ。

 こむぎの迷いと発見は、特別な奇跡に見初められた”プリキュア”だからこその悩みであり、同時に凄く普遍的で人間的な歩みだと思う。
 自分が本当は何をしたいのか、わからなくなってしまうことは誰にでもあって、そうして塞がれた視界でぶつかりたくもない衝突に傷つき、涙ながら迷うこともある。
 だけどだからこそ問い直せる起源ってのも確かにあって、悟くんやまゆちゃんの助けを借りることで痛みや悩みから距離を取り、自分を苦しませているものが自分の大事なものとも繋がっているような、不思議で面白い真実に目を向けることも出来る。
 この客観性はこむぎといろはの距離感にも結びついていて、いろはと一緒でいることに執着して社会性を失いかけていたこむぎは、今回の戦いを経て、”あの”リードへの執着を乗り越えていく。
 まゆちゃんが心を込めて差し出してくれたハーネスと、その先にいるいろはこそが大事なのであって、愛と独占欲がベッタリ癒着した危うい場所にしがみつくよりも、もっと広くて強くて優しく、そして賢い場所へとこむぎは、自分を押し上げることが出来た。
 それはこむぎ一人で成し遂げたものでも、安楽で痛みがない穏やかさから生まれたものでもなく、ぶつかり傷つけばこそ確かに生まれるものを、肯定して描かれる成長だ。
 優しい誰かの手助けを受けて、人生当たり前の苦しさを乗り越えもっと強くなれる人間の……子どもの可能性を、堂々信じ切ったエピソードだったと思う。
 それは凄く”プリキュア”らしくて、やっぱ良いなと思うのだ。

 こむぎという、人でも動物でもある存在を主人公にすることで、わんぷりは独自の角度から色んなモノを描けていると思う。
 言葉と思考を得たからこそ衝突も起きてし、それを越えて大好きを確かめ前に進む武器になったのも、言葉と思考だ。
 否応なく世界が狭い子どもにとって、身近で間近な最愛は独占して安心したくなるものであり、その執着を自然なものとして描きつつ、それが生み出す難しさをどう飲み干し新しい形にしていけばいいか、細やかに向き合った回だったと思う。
 こういう密度と丁寧さで”成長”を削り出してもらうと、そのド真ん中でどんどん善くなっていく犬飼こむぎがどんどん好きになるし、彼女にそういう体験を手渡してくれているこのアニメのことも、もっと好きになるのだ。

 そして霊長の種族的特色である賢さは、誰かを押しのけ踏みつけるためにあるわけではなく、分かり合い繋がるための優しいメディアとしてあるべき……というメッセージも、人間一年生のこむぎが人間勉強する中で、確かに伝わっている気がする。
 同時にしゃらくさい人間が押し隠してしまう、ド直球で純粋な愛の強さと善さを、幼く真っ直ぐなこむぎを表情豊かに描くことで全面に押し出せるのも、独自の魅力となっている。
 ほんっっっっとこむがいろは好きすぎで、しかしその真っ直ぐなエネルギーは生命全部が本来持っているものであり、特別ではないはずなのに特別に思えて、まったく楽しく不思議なプリキュアで……俺は好きだ、わんだふるぷりきゅあ!

 

 というわけで、雨あがれば虹かかる、無敵の愛のお話でした。
 二人が新しく手に入れた力がFriend Liberale……”友情と自由”なの、マジ良いなと思います。
 人の形を手に入れたこむぎはなにかと、二本の足で進み出せる自由を肯定的に叫ぶわけだが、何でも出来る立場には危うさがつきまとい、愛は賢さあってこそより善い形になりうる。
 人が人であるからこそ生まれ、人が人であることを支えてくれる”自由”とは一体どんなモノなのか、獣と人の間に立つ主人公を通じて、一年かけて描いて行くお話になるかな……と感じています。
 どーも野放図な自由称賛主義というより、そこに付随する尊厳と責務に……人という獣を繋ぐハーネスの意味について、突っ込んだプリキュアになってくれるんじゃねぇかな、という期待感。

 そこは先の話として、値千金の真心を今回手渡した猫屋敷まゆ、次週学校社会に飛び込む!
 職人気質のスーパー陰キャが、見知らぬ人間関係のジャングルにどう踏み込むか。
 既に人生の借り一つ、気弱で優しい友達を全力応援するしかねぇ立場にいる犬飼いろはは、どんな輝きを放つのか。
 色々あるけど犬は犬、社会的立場を適切に得ていないこむぎがどこに突っ走り、何を得るのか。
 次回も楽しみ!!

葬送のフリーレン:第27話『人間の時代』感想

 難攻不落の迷宮を攻略し、待ち構えるの最後の試練は思わぬ方向へ。
 バトルまみれの後半クールを締めくくる、世界最高の魔術師によるスーパー主観クライマックス、フリーレンアニメ第27話である。
 あんだけ趣向を凝らした新世代ハンター試験やっておいて、最後の最後でゼーリエ様の思し召しが飛び出してくるの、やっぱヘンテコなお話だな……そこが好きだが。

 というわけで試験を終えて一休み挟みつつ、最後はあっさりノーバトル、協会のトップの直接面接で決める展開となった。
 一級に似合わないヘナチョコもPullして合格させてしまう、フリーレン規格外の実力が生み出した結果ではあるのだが、閉鎖空間でのデスゲーム、協力型の迷宮攻略と来てこの流れは意外……なんだが、このお話らしくて妙にしっくりも来る。
 『ゼーリエ様の独断ならしゃーないか……声も伊瀬茉莉也だしな……』と思える、格と超ツンデレっぷりもたっぷり積み上げてくれて、特権を約束する一大事がザクザク決まっていく気持ちよさもあって、個人的にはなかなか面白い。
 カンネ以下の有象無象が不合格になる理由を、ここまでさんざん掘り下げてきた”イメージ”に担当させるのも、大鉈振るっているようで一貫性があったように思う。
 一級魔術師になった自分が、その特権で何をするのか。
 その地位それ自体が魔法であるような場所にたどり着くには、魔法使いとして一番大事な資質を見せなければいけないし、それを見抜く眼力は確かに、ゼーリエにはある。

 

 三次試験へ向かう合間、お久しぶりなシュタルクを交えつつホッコリ人情噺が展開されていくわけだが、ここのトーンとゼーリエが愛弟子を見る視線がすれ違うつつ重なるのが、なかなか面白かった。
 すっかり孫みが板についたラオフェンが、不器用にリヒターを気遣うデンケンおじいの代弁する様子とか、『コイツ……最後だからって完全にブレーキ壊してきた!』という距離感でイチャイチャキャッキャするカンラヴィとか、大変良かったが。
 定命共が比較的分かりやすい形で顕にする情を、時代も命も自分を置き去りにしていく定めを飲み込んでいるゼーリエは、尖った形で表に出す。
 苦み辛み濃いめのソリッドなツンデレで、かなり俺好みの味してんだよなゼーリエおばあ……。

 クールな罵倒と冷たい値踏みで、超越者然と構えて周囲を睥睨し、花を愛でつつも花から愛でられることはない……と思いつつ、かつてフランメの思い出を語った時に滲んでいた情は、現役世代にもしっかり向いている。
 フリーレンの魔力隠蔽を唯一見抜いた、レルネンの眼力と鍛錬……それに奢らない謙虚さを誇りに思いつつも、その才が時の流れに飲まれていく無常を嘆く言葉には、皮肉な色合いが濃くなってしまう。
 いうたかて、レルネン自身はお師匠様が『そういう人』だってのは(多分最初の弟子であるフランメと同じく)良く解っていて、だからこそ紅顔の美少年がしわくちゃジジイになるまで、側に仕えて学んできたのだろうけど。
 彼女が描かれる時、常に花園に立つのはフランメを象徴する”花畑の魔法”の覆い焼きであると同時に、咲けば散ってしまう儚さをそれでも愛でる、永生者の分かりにくい愛を結晶化させてもいるのだろう。
 そういう不器用で分かりにくい生き方をしている人の側に、彼女を解ってあげれる人がいるのは良いなぁ、と思う。

 

 とここまで書いて気づいたのだが、『分かりにくい永生者を分かってあげれる愛弟子』つう構図は、フリーレンとフェルンと全く同じなのだな。
 出会った頃はまだ隠遁者の硬さが残り、自分が何を楽しんでいるか分かりにくい硬質美少女だったわけで、ハイターも『ロリババァツンデレ、分かりにくいけど食ってみると極上だから!』とアドバイスしたわけだが。
 他ならぬフェルンを弟子として義娘として、旅の仲間として十年伴に過ごす中で、ふにゃふにゃ甘えん坊マスコットとしての才能を開花させ、何を楽しみ何を愛しているか、分かりやすい人になっていった。
 ブーブー文句たれつつ、リヒターおじさんを巻き込んで大事な杖を修理して、フェルンの大事な思い出を守ってあげる気遣いあればこそ、瞬く間に散ってしまう花々が一つ一つ、かけがえなく咲いている今を寿げもするのだろう。
 逆に言うと一般的なエルフは、自分からすればあまりに刹那的な人間たちの時間間隔に寄り添えなかった結果、種族全体としては衰退してんのかな……とも感じるが。

 フリーレンがそういう、刹那を愛でる永遠になれたのはもちろん、色んな人との縁あってのことだ。
 時の重さに閉じられそうになっていた彼女のまぶたを、決定的に開いたヒンメルとの出会いに、フランメが愛した魔法が深く関わっていたこと……話の主軸になる二人の関係が、神話スケールのおねショタだったことが判明などもし、界隈が更地になったわけだが。
 いやー……27話話を牽引してきた関係性の”起点”が、残り一話ってこのタイミングで暴かれた上に、『あまりに美しいものとその名も知らず出会ってしまい、後の人生全部その色に染められてしまった』つう麗しい呪いだと解るの、あんまりに強いよ……。
 永遠に若きフリーレンがヒンメルを勇者と呪うだけでなく、人生全部を……その死すらも使い切って愛した人が淋しくないよう、世界中に埋めた花束をフリーレンが探り当てているお互い様な関係なの、あまりに……あまりに……。
 ここまで気楽な調子で『仲間になったのは偶然!』みてーな回想パなしてきたのが、今回”起点”描かれたことで全部ひっくり返り、『ヒンメルの魔法使いは、最初っからフリーレンだけだった』つう”事実”がそびえ立っていくのも、気さくな笑顔の奥に隠した感情がデカすぎてヤバすぎる。
 話数が積み重なるほどに、『勇者はまさしく勇者だった……』と思わされるキャラなの、凄いよねぇ……。

 

 フリーレンは何を答えても、ゼーリエが自分を落とすと確信して試験に挑む。
 それは散る花を愛でる永生者の共鳴であり、師匠の師匠、弟子の弟子として魔導を追求し続けた高達だけに見えている、必然の風景だ。
 フリーレンの目的は一級資格を通行証にして、皆で旅を続けることだから、何やってもフェルンが受かると確信している以上、自分の合否は問題ではない。
 ゼーリエがフランメに、レルネンに、あるいはフェルンに求める、自分と同じ領域まで……それ以上の高みへと上がってこれる理想の魔法使いに、自分はなれなかった。
 魔力隠蔽に無駄な時間を費やし続け、必殺の機を強引にもぎ取る泥臭さは、魔法浪漫を魔王亡き世界に再生させようと協会を作ったゼーリエとは、根本的に相容れない。
 しかしそこが重ならなくても、一千年後の人間の時代を鋭い眼力で見据え、静かに人の世に寄り添ってその時を待ち、いざ時が来たら表舞台に上がって傲慢に夢を形にしていくゼーリエのことを、フリーレンは信じている。
 自分もまた、エルフにのしかかる時の重さに抗って、人の世に交じることを選んだからこそ、理解るものがあるのだ。

 それが叡智と呼ばれるにはあまりに卑近で、当たり前に大事な誰かを慈しむ気持ちなのが、僕はすごく好きだ。
 これを生来分かり得ないから、魔族は人類の天敵、コミュニケーション不能な猛獣なのだろう。
 フリーレン達高位エルフがどれだけ規格外の実力を持ち、人間一個殺す程度何の苦労もないことを、二次試験のスーパーバトル作画は良く教えてくれたが、同等以上の力を持っていても、彼女たちは人食いの猛獣にはならない。
 牙の鋭さが人の尊さを決めないと、自ら学び人と触れ合う中で理解できる力が、エルフを賢者にしているのだ。
 この善さを娘として弟子として旅の仲間として、一番の至近距離で浴び続けたフェルンがフリーレン信者になっているのは、メチャクチャ納得がいくし、それで合格もぎ取っていく流れも良かった。
 ヒンメルの人生も世界救うほどにネジ曲がったし、クールな顔して人間としての存在質量、それが生み出す重力が強い女(ひと)なんだな、フリーレンは。

 想像できないものは、実現できない。
 ゼーリエが夢見つつ自身では成し遂げられなかった、魔王がいない人間の世界へ確かに、儚く脆く咲いては散る花たちは辿り着いて、彼らだけの魔法を成し遂げた。
 個としてゼーリエを超える魔法使いはいないだろうが、種としては既に乗り越えられていて、旧き種族最後の責務を果たすように、『魔法使いの高みはここに在る』と己の存在で告げる。
 市井に混じっての旅路に、小さな幸せをその目で確かめ手で掴む道を選んだフリーレンとは真逆の生き方だが、そこには人間存在への確かな愛しさがある。
 ゼーリエが全ての魔法を知っているということは、フリーレンが収集する数多の民俗魔法も、そこに込められた人々の祈りも、なんだかんだ理解っているということだ。
 分かった上であの態度しか取れないってのが、なんとも面倒くさく愛しい人である。
 

 

 という感じの、一級魔法使い選抜第三次試験でした。
 今までと毛色の違う選抜を最後に置くにあたって、全権を握るゼーリエがどういう人間なのか見せないと飲み込みにくい所でしたが、彼女の硬い外装を崩すことなく、内側にある豊かさを良く描いてくれて、大変良かったです。
 モチーフに選んだ花の作画が最高に良くて、表に出づらい内心を的確に象徴できていたのが、良く効いてたと思います。
 つくづく超絶ハイクオリティを良い方向に活かしながら、ドラマや表現と噛み合わせながら走りきったアニメも、残り一話。
 次回も楽しみですね!

うる星やつら:第33話『あやかしの面堂/最後のデート』感想

 少女幽霊が囚われた夢は、真夏に揺れるスノードーム。
 原作屈指の名エピソードを見事に描ききる、令和うる星第33話である。

 軸足は明らかに第2エピソードにある構成だが、タコの生霊と少女の幽霊、二つの”霊”をブリッジにしてエピソードを繋げ、何かと忘れられがちなサクラ&チェリーの霊媒設定を生かす、面白い作りだった。
 第2エピソードがぶっちぎりにロマンティックでエモーショナルなのに対し、第1エピソードは作中屈指の何でもアリ領域、面堂邸を舞台にしてシュールでナンセンスな味わいを全面に出して、ガラリと味を変えていたのも良かった。
 第2エピソードのハンサムなあたるも、第1エピソードのしょーもないあたるも、全部ひっくるめて”うる星やつら”の主役であり、短編連作だからこその芸幅の広さ、傑作選だからこその連続性が、良く効いていた。
 そもそもタコをペットにして、館ひっくり返しての探索行に勤しむあたりでぶっ飛んでいるわけだが、『枕に迷い込んだタコの生霊が、主に助けを求めていた』というオチも大概であり、おまけに最後に出された謎掛けもシレーっとトボケた返しでどっかにぶっ飛んでいって、落ち着くトコロなく話はまとまっていく。
 この極めて投げっぱなしなナンセンス・テイスト、一歩間違えればドン滑りな語り口だと思うのだけど、”うる星”がもつ洒脱な魅力(を、新しい表現で新たに蘇らせんと頑張っている制作陣)が良く活きて、らしい味わいに仕上がっていた。
 こういうワケの分からない、でも確かに面白いネタを力みなく投げつけられると、『ああ、うる星食ってるなぁ……』としみじみ思えるのは、なかなか面白いものだ。

 

 

 

 

画像は”うる星やつら”第33話より引用

 というわけで本命Bパート、幽霊少女とスケベ男が織りなす、真夏のデート絵巻である。
 諸星あたるという少年が持つ、純情な優しさが全面に出て大変いい話であるが、アニメとして新たに描かれると、身体を失い時が止まった”幽霊”という属性を、見事に生かした話だなと思う。
 ガールハントに余念がないあたるが、望ちゃん相手にはいつもニコニコ、押し付けられた真冬の装いも笑顔で飲み込んで、紳士的に過ごせている。
 それは性欲滾らせて追いかけるべき身体が彼女にはなく、しかしその残影に囚われて恋を求めていることを、出会って語らう中ですぐさま知ったからだと思う。
 あたるはスケベで卑俗な浮気性を装いつつ、セックスへの入口としての恋愛も、その先にある身体の触れ合いもホントのところはさっぱり解っていない、イキったクソ童貞である。
 そんな彼の本性はどうあがいてもセックスできず、セーターを完成させることも大人になることも、自分が死んだ冬から抜け出すことも出来ない望ちゃんを相手に、彼女が求める理想のダーリンを演じる中で、むしろ純化され顕になっていく。

 少女の遺品がスノードームなのは大変示唆的で、死んで以来時間が止まっている望みちゃんは眼の前の相手をちゃんと見れる大人になれず、自分を解き放って成仏することも出来ないまま、真冬の恋に閉じ込められている。
 それを『間違っている!』と大上段から切り捨てるのではなく、霊がいるのも当たり前、デートもできれば狂人扱いも耐えられる、優しい友人としての距離感であたるが付き合うことで、少女の無念はほどけていく。
 あたるは触れられるはずもない望ちゃんの生身が、確かにそこに在るかのようにしっかり握り、彼女が押し付ける理想のダーリン像を、感じられない夏の熱気にうなされながら、頑張って演じきる。
 それはラムが危惧し期待していた、スケベでバカな”いつものあたる”とは程遠く……しかしだからこそ、諸星あたるの真実を照らす優しい嘘だ。

 

 うだるような熱気を感じず、あたるの限界っぷりが見えない望ちゃんは、普段のラムのシャドウでもある。
 理想を押し付け裏切られて、ビリビリ電流で八つ当たりする”いつものうる星”は今回鳴りを潜め、ラムは恋のライバル……になり得ない可哀想な幽霊、幼くして死んだ子どもを遠くから見つめながら、ダーリンが本当はどんな人なのか改めて確かめる。
 そんな他者への視線は、変わることが出来ないはずの少女幽霊の目を開き、止まっていた時間を冬から夏へ動かしていく。

 ドタバタ愉快で、あたる渾身の痩せ我慢で良いデートにもなっている逢引除霊のなかで、望ちゃんは暗い死者の国にいる自分に気づいてしまい、暗闇に囚われる。
 死ぬことの怖さと寂しさすら忘れていた、忘れることでノンキにデートできていた望ちゃんが死者の現実を突きつけられた時も、あたるは優しく隣に寄り添い、存在するはずのないその輪郭を、片袖の不格好なセーターで確かめてあげる。
 それは優しくて宇宙一カッコいいクソ童貞の顔であり、ここに至ってようやく、望ちゃんは自分が死者でありながら生者を呪うことがない、未練無き幽霊であることを思い出していく。
 死者が死者であることを思い出してしまえば、もはや消えるしかないわけだが、しかし止まっていた時間をあたるに動かし直してもらった彼女は、恋人の腕に甘え存在しないはずの肉体を、一瞬蘇らせる。
 それは死者を蘇らせ、止まった時間を動かし直すという、あたるが成し遂げた優しい奇跡だ。

 

 

 

画像は”うる星やつら”第33話より引用

 真夏に降るはずもないま白い雪を、あたるの優しい嘘に届けてもらった望ちゃんが消え去った後の、あたる青年の表情が良い。
 鼻の下伸ばしながら女の子を追いかけるいつもの表情の、奥底にある強い感受性と慈悲が嘘じゃないからこそ、肉体もないのに確かにそこにあったと思えた、幽霊少女の面影が消えた時彼は、とても苦しそうにしている。
 そんなダーリンの痛みも優しさも、ラムは今回電撃ビリビリすることなく穏やかに見届けて、暑苦しいセーターをまだ着続け散りゆく花を見上げるあたるの、側に残り続ける。
 望ちゃんはこの短くも鮮烈なエピソードで退場していくわけだが、彼女を鏡に照らされたものは確かにあたるとラムの、変わりようがない日常に波紋を残していて、永遠に続く日常が確かに、一つの答えにたどり着く大事なきっかけになっていると思う。
 そうなるだけの強さと叙情性がこのエピソードにはあるし、優しい嘘を貫いたあたるのダンディズムを目の当たりにすることで、ラムも僕らもダーリンを更に好きになっていく。

 自分が幽霊ならば、こんな素敵なロマンスを主演出来るのかと、ラムは戯けて墓地に問う。
 フワフワと重力から自由に飛び交う異性の少女は、確かにどこか幽霊的でもあって、そういう意味でも望ちゃんはラムのシャドウだったのだろう。
 しかしいつもの調子を取り戻し、夏服に戻ったあたるは生きているからこそこの後の物語でも、一緒にいられるラムを(極めて彼らしい、素直じゃない言いぐさで)肯定し求める。
 幽霊も宇宙人も当たり前にそこにいて、大事な隣人として向かい入れることが出来るトンデモナイ世界に、主役とヒロインとしてそこに居続けることを寿ぐ。
 生きて騒いで楽しくて、でもそれが当たり前ではないことを死者との触れ合いに学び取って、今回のあたるはちょっと大人びている。
 やっぱ好きだなぁ、諸星あたる……。


 これはあくまで夏の夢、素敵で不思議な一瞬の番外編だ。
 だがだからこそ、いつもどおりでは描けない素朴な純情が話の主役にちゃんとあって、その気配を痴話喧嘩の中感じ取っていればこそ、ヒロインが彼に夢中であると思い出すことも出来る。
 こうい染みる話をしっかり力入れて、見ているものに届くように描いてくれることでのみ、”うる星やつら”とはどんな話なのかを各々掴むことも出来て、それはたった4クールの傑作選を編む令和うる星が、アンソロジーとして何を届けたいのか、かなり真摯に教えてくれているようにも感じた。

  ”Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus”(ホラティウス『詩集』第1巻37.1)
 死によって確かに終わったはずで、しかし終わりも始まりすらしていなかった恋をロマンティックに優しく終わらせることで、終わらぬ狂騒の中に確かに、終わっていくからこそ美しいものを見つめる視線があることを、しっかり書いてくれた。
 そういうエピソードをこの美しさで届けてくれたことが、僕はとても嬉しい。
 大変良かったです。
 次回も楽しみ。

わんだふるぷりきゅあ!:第6話『こむぎ、いろはとケンカする』感想

 人の姿を得、言葉で繋がれるようになったからこそ顕になる、焦りと未熟。
 すれ違う心に降りしきる涙雨は、少女たちの未来を閉ざすのか。
 まさかまさかの前後編、犬飼姉妹バチバチのぶつかり愛が描かれる、わんぷり第6話である。
 大変良かった。

 バトル要素を大胆にカットしたわんぷりは、空いたスペースをどっしり活用して、焦ることなくアニマルタウンの日常、いろはちゃんとこむぎが過ごす時間を積み重ねている。
 高ストレスなすれ違い展開を、あえて話数またいで描いて行く筆致もまた、そういう長尺の語り口の一つだと思うが、それ故細密に、丁寧に、自然に積み上がっていくものが多い話数で、とても良かった。
 生活空間を同じくし、お互いの個性を至近距離でぶつけ合わせる暮らしの中で、まだ未熟な精神を抱えた子ども達がぶつからないのも不自然であるし、衝突の根源にはお互いを思う愛があると、いがみ合いの中にしっかり描いてくれる回でもあった。
 人間の形を手に入れ、お話したり道具を使ったり、出来ることが増えたはずのこむぎはだからこそ、自分が出来ないことに衝撃を受けて、それをどこに持っていったものか、良く分からない。
 それは言葉を得た獣の姿であると同時に、変化していく心身に戸惑いながら成長していく子どもたちの似姿でもあって、自分の気持ちを上手く言葉に出来ない所とか、制御できずお姉ちゃんにぶつけちゃう所とか、メチャクチャ生っぽくて良かった。

 そういう失敗……であり、変化と成長に従って必然的に起こるアクシデントを受け入れるだけの成熟が、こむぎよりは人生経験豊富でも、未だ子どもでもあるいろはちゃんには足りていない。
 だからこそこむぎとの間柄が難しくもなっていくわけだが、それは『こむぎと人の言葉でお話したい!』という夢が叶ったからこそ、人という形を得たからこその、新しい摩擦熱でもある。
 だからこのケンカには悲しさばっかりではなく、成長痛にも似た切ない必然と、思いあ言えばこそすれ違ってしまう寂しさと、愛し合ってんだからどうにかなんだろ! という前向きな希望が、色濃く混ざっている。
 子どもらしい思い詰め方からいろはの元を去り、雨に濡れて一人トボトボ歩いていくこむぎの未来が、ケンカする前よりピカピカ眩しくなってくれるのだと、信じられる前編で凄く良かったです。

 

 つーわけで、色々良いところある回だったが。
 幼いこむぎが気持ち先行で突っ走って、色んな事情を飲み込めているいろはちゃんとぶつかる構図が、一回”入る”と周囲が見えなくなる特性を持ったまゆちゃんを、姉猫であるユキが気ままに良く見て補佐してあげている様子と、面白い対比をなしていた。
 まゆちゃんの過集中気味な気質は、既に示されているように短所ともなり長所ともなりうる、彼女だけの武器だ。
 服飾やメイクにひたすら一本気、脇目を振らず邁進できる特性は、職人として彼女を高みへ連れて行くだろうし、そこで見落とす色んなモノが彼女を孤独にもするだろう。
 こむぎがいろはお姉ちゃんにワガママ言って迷惑かける犬飼家のあり方に対し、ユキはそういう困った妹が周囲に目を向けれるよう、いいタイミングでストンとキャットタワーから降りてきて、集中を解いてあげる。
 犬/猫、妹/姉という対照的なキャラクター性を、こむぎとユキがそれぞれ背負う中で、動物と人間の関わり合い、家族としてのあり方も一面的ではなく多彩なのだと……そのそれぞれが面白く、個別に魅力的なのだと、しっかり書けていた。

 今回のお話はこむぎの未熟な振る舞いで色々厄介なことが起こるが、しかし彼女が”悪い”とは描かれていない。
 いろはの役に立ちたいのも、ずっと一緒でいたいのも、人間の形を得たばかりのこむぎにとって必然の感情であり、幼い彼女はその気持をどう制御していくのか、まだ学んではいない。
 というかこの衝突から、今まさに学んでいる真っ最中なのだ。
 それはやはり、真っ白なキャンバスにそれぞれの人生を刻んでいる子ども達のあり方を、こむぎに重ねて描いて行く、野心的で独創的な試みなのだと思う。
 ”犬である”という属性を付与することで、幼く身勝手なこむぎの振る舞いに創作的エクスキューズが入って受け入れやすくなり、人間のガキをあるがまま描くなら必ず生まれるノイズを、飲み込みやすくする工夫。
 それが、”わんだふるぷりきゅあ!”の主役(そう、成熟したいろはお姉ちゃんではなく、間違えまくり好き放題なこむぎこそがこの話の主役である意味は、相当デカいと感じている)には施されていると思う。

 気持ち優先で突っ走ったら、やりたいことも上手く行かなくなってしまう。
 児童特有の万能感をくじかれ、自分を包囲する世界には色々ままならないことがあるのだと、傷つきながら学んでいく普遍的な旅を、今こむぎは必死に進んでいる。
 そこには怖いことも出来ないことも沢山あって、そのままならなさを抱きしめ噛み砕いていくことで、幼い自分なりに出来ること、やりたいことも見えてくる。
 そこにやる難しさやややこしさ、面倒でイラガっぽい幼年期の手触りもひっくるめて、こむぎの気持ちとふるまいを丁寧に描いていこうという姿勢が、今回の前後編にはあったと思う。
 こむぎはとにかくいろはが大好きで、ずっと一緒にいたいし役に立ちたい。
 しかし学校に通い家業の手伝いをする社会性を持ったお姉ちゃんは、こむぎだけのいろはではないし、まだ幼いこむぎには出来ないことも沢山ある。
 それはつまり、いろはちゃんにとってもこむぎが本当に大事で、役に立つ/立たないを超越したいてくれるだけで尊く大切な価値を、彼女が持っていることと裏腹だ。
 そんなお互いの関係の真芯を、いろはちゃんはまだ上手くこむぎに伝えられていないし、こむぎもまた解ってはいない。
 それが伝わり解るのは、雨上がった後の仲直りになるのだろう。

 

 こむぎの幼さと同じくらい、その幼さを適切にいなせないいろはちゃんの幼さが描かれていた今回、しかし僕は見てて苛立つよりも安心した。
 感情そのまんまに突っ走る動物/子どもとしての顔が濃いいろはを、飼い主として姉として人間として導く立場にあるいろはちゃんは、大人びた物わかりのよさ、周辺視野の広さとコミュニケーション能力の高さが強調されて、ここまで描写されてきた。
 しかし彼女もまた、間違いを繰り返しながら様々なことを学び、新しい自分を作り上げていく幼い存在であり、まだまだ至らない部分があればこそ、可能性を豊かに広げるキャンバスを自分の中に持っているはずだ。
 だからこむぎのワガママに正面衝突してしまう幼さが彼女にあると、今回しっかり描いてくれたのは、年相応の未熟を作品が許し、一年間の物語を通じていろはちゃんだって、ドンドン学んでドンドン善くなっていけると、伝えてくれた感じがした。

 この成長の余地は、とにかく自分の気持ちしか見えていないこむぎの、世界の狭さにこそ色濃い。
 まだ何者でもなく、自分がどんな存在で周りに何が広がっているのか、人間としての視野が狭いこむぎの、だからこそ純粋でまじりっ気のない愛。
 まだ使い方がわからないから、社会と衝突して色々問題も起こるけども、その真っ直ぐな思いは間違いなく尊いもので、より良い使い方を身につけられるよう、皆が教え見守らなきゃいけない。
 こむぎの必死さが良く伝わる作画が生きて、見ていると自然にそういう気持ちになってくるのは、大変に良かったと思う。
 ほんっっっとこむぎはお姉ちゃんが大好きで、大好きだから上手く行かないことがあって、んじゃあ上手くいく大好きってどういう事なのか、雨に打たれながらも学んでいくしかねぇだろッ! ていう回であった。
 こむぎ……お前は全く、役立たずでも間違ってもいねぇ。

 

 今回は犬飼姉妹が感情と未熟に迷う回なので、全体のバランサーとして悟くんがいい仕事をしてもくれた。
 ライオンガルガルと向き合い、戦いの本質……”恐怖”を識るワンダフルの描写は大変良かったが、これを理性的に解説し、恐れを飲み込み戦いに挑むための外形を整えてくれてるありがたさとか、かなりいい感じだった。
 こむぎは人の話聞かないし難しいこと解んないガキなんだが、今噛み砕けなくても悟くんが見つけてくれたもの、伝えてくれたことがこの後、難しさを乗り越えていく助けには絶対なってくれるわけで。
 子どもの間近に、そういうアシストをしてくれる存在がいるのは、本当に大事で大切だ。
 ただの解説役で終わらず、犬飼姉妹の良きサポーターとして人格的にも補佐してくれているの、メガネ男子の株がギュンギュン上がる描写で、俺は嬉しい。

 あとフレンディがぶっ飛ばされて一瞬、ガルガルに憎々しげな視線を送るんだけども、そういう”敵”もワケのわからねぇ呪いに苦しめられている被害者であり、助けるべき動物なのだと見つめ直して、居まいを整える描写があったのも良かった。
 動物をメインテーマに据える以上、絶対ゆるがせにはしてほしくない仁愛の視線が強くあって、暴れるガルガルを安易に悪者にしない姿勢が徹底されているのは、見ていてとてもありがたい。

 今回ガルガルを描写できなかったので、木はなぎ倒され世界は傷ついたまんまで痛々しい。
 その荒廃はガルガルの責任ではなく、なんもかんもプリキュア力で許して癒やしてハッピーエンド! ……とは、なかなか行かない難しさを描く回でもあった。
 ガルガルとちゃんと戦えないと、浄化も復興も出来ず世の中悲しいまんまなわけで、『早くタクトを使わなきゃ!』というワンダフルの焦りには、個人的な感情だけではなく一定以上の道理がある。
 しかしプリキュアの力は心の力、大好きな相手も自分自身も見えなくなってしまっている今のこむぎでは、タクトは答えてくれない。
 こういう現状を丁寧に積み上げた上で、”ふたり”が力を合わせるからこそ奇跡が生まれ、バンダイ様謹製のスーパーアイテムが爆売れする未来も、力強く近づいてくる。
 新アイテム販促としても、丁寧に時間を使って足場を組む作りで、隙がないなぁと思った。
 というより、販促ノルマを冷たくこなして空から新アイテム降ってくるのではなく、迷いや悩みも全部ひっくるめてちゃんと描いて、ドラマのうねりが作中の必然として奇跡を生み出す形のほうが、しっくりくるし面白いからな!

 あと前回辺りからハードさを増しつつあるガルガルバトルで、命がかかったヤバさが加熱していることで、ワンダフルとフレンディの絆があぶり出されてきたのも良かった。
 言うこと聞いてくれない困った妹と喧嘩してる状況なのに、立ちすくむこむぎの盾になる時、いろはちゃんは一切躊躇わない。
 それは今ワンダフルが初めて向き合い、飲み干し方がわからない”恐怖”への処方箋を、フレンディが既に得ている証明だ。
 悲しいこと、怖いこと、苦しいこととどう向き合うのか。
 子どもが解らねぇ(から、今必死に学んでいる)人生の苦さを、一歩先征く姉貴はしっかり解っていて、だから足がすくむ土壇場でも正しい行いが出来る。
 こういう強さを描く上で、バトルってのは一番いいキャンバスなので、独特ながら適切な使い方してんなーと思った。
 プリキュア定番の肉弾戦を大胆に変奏しつつも、戦いに描くべきもの、闘うからこそ描けるものをちゃんと見据えて、わんぷりらしく描いているのは、凄く良い。

 

 

 というわけで、衝突のち涙雨、犬飼姉妹初のケンカ前編でした。
 ガキ特有の世界の狭さと思い詰め方で、『自分は役立たずで、いろはの隣にいられない!』と雨の中一人進み出してしまうこむぎの姿が、あんまり淋しく悲しく、また泣いてしまった……。
 そんなことはねぇ……ねぇのだ、こむぎ。

 そういう寂しい場所へ心ならずとも愛妹を送り出しちまった責任を、”姉”としては果たさなきゃ嘘だろーが! という状況だが。
 犬飼いろはは”人物”なので、そういう人間が絶対に間違えちゃいけない問題に関して、最高の解答を叩きつけ、こむぎを胸に抱いて人生へと力強く一歩、踏み出してくれると信じております。
 人間生きてりゃ、ぶつかることだってある。
 そんな真実を丁寧に刻みつけ物語は、当然『ぶつかったからこそ、解ることだってある『ぶつかったって、愛があれば大丈夫』という、もう一つの真実も描いてくれるでしょう。
 それを描けばこそ、プリキュアプリキュアなのだ。
 次回も、とっても楽しみです。

僕の心のヤバイやつ:第22話『僕は山田に近づきたい』感想

 新学期にクラス替え……変わりゆく環境から湧き上がる、新たな激震の予感!
 鵜の目鷹の目で初恋を弄ばれそうな予感に、僕らの適正距離を探る僕ヤバアニメ第22話である。

 と言っても、女性陣は新キャラ交えつつほぼ続投、男衆が丸ごと別クラスに流れる形になったわけだが。
 話の中軸である山田と関わり深い人達が相変わらず周囲を固める中で、無責任な恋の賑やかし大好きヒューマン・カンカンに警戒度を高めたり、不思議美少女・半沢さんとの間合いを探ったりする、懐かしくて新しい手応えのあるエピソードとなった。
 元登校拒否の激ヤバ少年から、山田に惚れて自分を変えていった京ちゃんが手に入れた、同性の友人との変わらぬ友情なんかも垣間見え、相変わらず強張りつつ迷いつつ、他者に極力誠実に向き合おうとする、市川京太郎くんの学校生活を堪能した。
 気づけば明るい充実オーラ垂れ流している”陽”の人間を、呪うようなことも全然口にしなくなってて、あそこら辺の言動は身の内から湧き上がる薄暗くドス黒いモノとどうにかやっていくための、思春期の予防接種みたいなもんだったのかな……などと思う。
 登場当初の京ちゃんだったら、カンカンは最悪に苦手な相手で強めに押しのけていたと思うのだが、コッチの都合お構いなしなビカビカ加減に慄きつつも、なんとかやっていこうと手立てを探っている姿が、小さく積み上げてきた成長を感じれて良かった。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第22話より引用

 というわけで、要警戒度数の高いヤバ女と同クラにぶっこまれつつ、京ちゃん最後の中学生活が始まる。
 お互い好き合いつつも、大事にしすぎてなかなか決定機を得れない主役二人を前に推し進めるべく、『ぜってぇコイツに、素手で初恋触ってほしくない……』と思えるようなノンデリ人間を隣に置いたのは、なかなかタクティカルな配置と言える。
 ここら辺の仕掛けが生き始めるのは今後の話として、俺がこの作品でいっとう好きな場面がちゃんと描かれていて、大変に安心した。
 自分が変われるキッカケになった存在と、同じクラスになった幸運の裏に、教師の、大人の気遣いを感じて、少しツンと背筋を伸ばして”大丈夫”な自分を見せる。
 学園主任と前担任のやり取りは、京ちゃんが釘を差した通り先生たちが、色々難しい袋小路に入りかけた彼らの生徒をしっかり気にかけて、どうにかいい方向に進んでいってくれないか気をもんでいたことを、サラッと描写する。
 京ちゃんもそういう人達に見守られながら、人生良くも悪くも変化しうる可塑性の高い季節を自分が歩いていることを、気づけば意識するようになった。
 こっから話は青春ラブコメらしく、ドタバタ騒がしくもときめく方向に当然進んでいくわけだが、そこからちょっと離れた、当たり前で大事な優しい学園生活の1ページがちゃんとあるのが、僕は好きだ。

 そんな暖かなものに守られつつ、山田と京ちゃんは今日も今日も今日とて苦しいごまかしとエッチなハプニングに包まれ、幸せな日々を過ごしている。
 ここでパンツ見られるのが少女・山田杏奈ではなく、少年・市川京太郎なところ、このお話らしいヘンテコな平等で大変好きだが、カンカンのハチャメチャ提案に目を輝かせつつも、色々防壁張ってくれる萌子の存在がありがたい。
 傍から見れば超バレバレ、ラブラブオーラ垂れ流しで山田も京ちゃんも日々を過ごしとるわけで、恋愛ハイエナがクラスに混じった最高学年、望む方向に進みたいならちっと気は使わなければいけない。
 ……のだが、二人共スーパーピュアなので嘘つくのは下手だし、小器用に人間関係を乗りこなすのも無理だしで、どうやってもギクシャクドタバタ、大変愉快な感じに転がっていく。
 この力みと強張りが、生来の善良さから出て可愛らしくも滑稽な所が、このお話のチャーミングさを支えているのだと思う。

 

 女性陣とは同じクラスになれたが、男衆とは離れてしまった京ちゃん……なんだが、花見にも行った同性のダチとは良い距離感を保っている。
 ガサツで遠慮がない……ように見えて、色々ナイーブな足立くんの善さやありがたさを京ちゃんがちゃんと解っていて、変に誤魔化したり嘘ついたりしたくない、マジの友情で繋がろうとしている姿が、やはり愛しい。
 山田への恋慕を起爆剤に、京ちゃんは自分を変え(あるいは失いかけたものを取り戻し)前に進み、自分を包む小さな社会の中での立ち位置と、繋がり方を変えてきた。
 時にうっかり失言も飛び出すが、笑ってメンゴですむいい関係をこうして掴めているのは、縁と幸運に恵まれ、それを活かせる自分を京ちゃんが作ってきたからだ。

 このお話はラブコメディだから、山田との関係性を中心に話が組み立てられていく。
 でもそれだけが世界の全てではなくて、中学3年生になりたての少年を見守り、繋がっている人たちの表情も、色んなところで描かれる。
 逞しさを増した京ちゃんに安心した表情を見せた先生たちや、クラス別れたってダチな足立くんたちや、ヘンテコな部分もあるけど優しい家族とも、縮こまらず世界に手を伸ばせるようになった京ちゃんは、確かに繋がっているのだ。
 中学受験失敗という、どこにでもありふれているからこそ切実な挫折からなんとか這い上がって、手放しかけていた自分の善さをもう一度取り戻して前に進んでいく、当たり前な思春期の戦い。
 京ちゃんが立ち向かう平和な戦場に、色んな人がいてくれるのがやっぱり、僕は好きだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第22話より引用

 そんな市川京太郎の世界に、新たに迷い込んできた不思議な闖入者、半沢ユリネ。
 感情表現が下手くそで得体が知れない、どっか京ちゃんと似たオーラをキレイなお顔に包んで、なかなか距離感掴むのが難しい相手である。
 話してみるとぽわっと柔らかな内面を持っていて、どこか幼いトコロ含めて共通点も多いのだが、知らぬ同士が集まるクラス替え直後、ぎこちなくも微笑ましく、探り探りの時間が続く。
 カンカンがド派手に鳴り物かき鳴らしながらイヤ圧力をかけ、反発でストーリーを先に進めていく仕事をしているとすれば、半沢さんは素朴で柔らかな好奇心から恋する二人に近づいて、お互い抱えているものが何なのか、改めて問い直すようなキャラである。
 ここら辺、新しい関係性が構築されていく新学年だからこそのうねりであり、なかなかに面白い。

 二人のラブコメ固有結界と化しつつある図書室にも、半沢さんはスルスル迷い込んでカーテンを開く。
 布一枚垂らせば、息遣いすら感じ取れれる密着距離感が衆人環視の中確保できると思い込んでるあたり、京ちゃんも山田もどっかズレているわけだが、そこがあくまで誰かと繋がった”社会”の一端であることを、半沢さんはペロンとベールを捲って教えてくる。
 学校という社会が小さいながら、他者と隣り合って成立している場所な以上、『二人きり』と二人が勝手に定めた場所は開かれて危うい場所であり、カーテンの向こう側にはいつでも他人がいる。
 いる上で、『二人きり』がとても大事な京ちゃん達はどういう距離感を選び取り、どういう繋がり方をするべきなのか。
 下手くそな文字で書き綴った手紙の中、もう隠しようのない気持ちが溢れかえっているこの状況で、そういう事が問われている。

 

 無論半沢さんは悪意も揶揄もなく、ぽやーっと純粋に『恋とはどんなものかしら?』を知りたがっているだけだ。
 そういう人だから、『忘れていった図鑑に、手紙を挟んで返す』という、どっか幼いアプローチが心の波長にピッタリあって、山田はあっという間に至近距離へ滑り込む。
 カンカン相手にグイグイ間合い詰めた時もそうだが、山田生来の毒気のなさがスペックの高さを巧く打ち消して、妬まれず憎まれないベストポジションに彼女を押し上げている感じあるね。
 半歩間違えれば色々敵を作りそうな造形なんだが、ここの釣り合いが精妙だからこそ、善良な人達が集う前向きな作風が維持されていると、山田杏奈が新しい友達を作る過程に刻んでいくエピソードとも言えるか。

 自分がどれだけ市川京太郎を好きになって、これからの未来を大事にしたいか。
 山田が手紙に綴った真心を、無下にしない善良さが半沢さんにはあって、こじれるかと思った不思議少女との接触は、とても良い距離感で落ち着いていく。
 ナチュラルに近いパーソナルエリアに、強い顔面がガッチリ噛み合って、ちっと体温上げすぎたがそれはそれだッ!

 ここら辺の関係構築の外野に立ちつつ、新しく出会った他者がどんな人なのか、おっかなびっくりちゃんと見ようとしてる京ちゃんも描かれていて、そこも良かった。
 やっぱこー、他者と向き合い繋がり、面倒だけど孤独でもない自分をどうしていきたいのか、どう他人と向き合っていきたいのか……不器用に一歩ずつ、適切なコミュニケーションを学んでいく季節の手応えが確かなのが、俺は好きだ。
 『コイツはこういう奴!』とすぐさま決めつけず、相手の顔見て向き合い方を決めれる、当たり前と思われているけどとても難しい、だからこそ心の奥底で望んでいた、ヤバくない自分に京ちゃんも、ゆっくり近づいていっている。
 そういうコミュニケーションの真ん中に、山田杏奈への慕情が熱く燃えているのが、作品の力強いエンジンになってるのが、凄く良いなと思う。
 山田杏奈が好きでいることで、市川京太郎はどんどん、善い人間になっていく。
 そうなれるような恋は、やっぱ素敵だ。

 

 という感じの、波乱の新学年開幕でした。
 ニューカマーとの向き合い方に悩みつつも、22話分しっかり成長している様子も感じ取れ、でもまだまだ自分をより善くしていく真っ最中な半煮え感も、ぷにぷに愛おしい。
 桜の季節が終わり、爽やかな風が吹いてくる物語がこの後、どういうクライマックスに向けて加速していくのか。
 次回も楽しみです。