イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花:第8話感想ツイートまとめ

 楽園の永い夏も終わりに近づき、街を音楽が満たしていく。
 言葉にならない鼓動が画面に満ちる、上伊那ぼたん第8話である。

 

 

 コンテ・演出・作監を担当した大久保俊介の味なのか、yonigeの楽曲を贅沢に使い、都会的でオシャレな雰囲気の話数となった。
 いつもはエピソードごとの切れ目がくっきりしていて、3+1の構造で状況が回っていくわけだが、今回はやえかとあかねの繋がりを描く第1エピソードと、ジンランとぼたんのせめぎあいにフォーカスした第2エピソードが緩やかに繋がり混じって、独自の味わいだった。
 場面を変えても、何処からか音楽が流れ続けているのは、最初に示されたモチーフが響き続けてる感じで好き。

 オシャレで濁りがない、俗世の塵から隔絶されたハイソなモラトリアム。
 女子寮というアジールに永遠を閉じ込めたように思えた物語も、ゆっくりながら時間が過ぎ、聖域を出て将来を考える頃合いがやってくる。
 それに歩調を合わせるように、同性婚が適法な国からやってきた異邦人が、煮えきらない関係に積極的に首を突っ込み、ぼたんを巡る状況も動いていく。
 まーた風光明媚な自然の中で、酒とエロティシズムを交換するいぶきとの距離感は決定的な名前を与えられる寸前でスルリと逃げるが、ジンランの物語的献身により、いよいよのっぴきならない場所まで近づいてきた感じがある。
 何かが終わり、新しく始まる季節が近い。

 

 一般的なドラマツルギーでは、それを燃料に物語を加速させていく影響と変化のダンスが、どういう肌理と体温と湿度をもっているのか。
 その質感にクローズアップするために、各話スタッフ個別の才能を大事に綴り、語りきれない場所を吉成EDで補足しながら、このアニメは独自の空気を醸造してきた。
 その煮えきらない留保期間を浴びるのも気持ちが良かったが、何かがケッテイテキに終わってしまっているのに新たに始めることを許されていない、郡上先輩の悲しさを思うと、ぼたんがある種の無責任を背負っているという見方は、結構な妥当性がある。
 そのズルさも僕は好きだが、今回ジンランが幼いからこそ真っ直ぐに、そこに踏み込んだ。

 いぶきを前にした時は追いすがりつつ誘惑する、特権的でありながら弱腰の姿勢を保ってきたぼたんは、ジンランを相手取るとひどく大人びて見える。
 お酒に飲まれることもなく、会話の主導権をしっかり握り、バーにも手慣れた様子で踏み込んで、ジンランの真っ直ぐな追求を上手く躱し、受け止め跳ね返す。
 そんな余裕が奥多摩の自然の中でほろりと崩れ、硬質で雄弁な沈黙を酌み交わしながら、意図して深みに踏み込み想い人に追いかけさせる側になる展開も、このアニメらしい奥行きがあってとても良かった。
 背景がやや硬質な描線で作られ、都会的で清潔な空気感が通底していたのも良かったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花”第8話より引用

 ここら辺の揺さぶりから独立し、また関連した場所で、あかねは音楽と進路に迷い夢現、自分が自分でいられる光を探して街をさまようことになる。
 今回あかねに関しては明暗の遷移が極めて明瞭で、一足先にモラトリアムをアガったバンドメンバーが生み出す暗闇から、やえかのコールを受けた瞬間光が見えて音楽が鳴り出し、いつもの仲間と明るく素敵な場所へと進み出す。
 そしてやえかと二人きり、ビールという人間関係の潤滑油を手に取った時、暗闇の中にとても強い光が差し込む。
 この二人の繋がりは、物語の最初から堅牢で揺らがない。

 と同時に、「ぼたん周辺の人間関係が酩酊しながら強く揺らぐ物語の、安らかなとまり木のように思えた人間も実はモラトリアムの終焉に揺らいでいるし、それを安らかに縫い留める存在は大きいよ」と、改めて告げるエピソードでもある。
 あかねのボンヤリと揺らぐ視線は、彼女の抱えた事情を何も知らない(ことで、憂鬱な暗がりの中の光たり得ている)やえかによって定まり、いつもの安定して世界がよく見えているあかねが戻ってくる。
 ジンランとぼたんの間に走る火花に気づかないくらい、やえかは鈍感で純粋であるけども、その見えなさ・解らなさが今のあかねにとっては、得難い安らぎとなって闇に眩しい。

 

 楽器をわざわざ置いてきた仲間との夜のほうが、スタジオでバンドと弾いてる時より豊かに歌が奏でられている、極めて心理主義的な矛盾。
 あかねにとって満足できる音は、自分を置き去りに賢く夢から退場する連中ではなく、同じ夜に酔ってくれる仲間の方から聞こえてくる。
 世界にいつ音楽が生まれ、誰に引き継がれ流れていくかが、とても印象的なエピソードだといえる。

 音楽をアイデンティティにしているあかねが画面から外れても、ずーっとyonigeの歌が聞こえてくるのが、この夜を満たす豊かな繋がりそのもののように感じられて、すごく好きだ。
 音楽の話数だなぁ、という感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花”第8話より引用

 言わずとも本当に欲しいものを手渡してくれるやえかと、それに支えられて察しの良さを取り戻すあかねの心地よいグルーヴの隣で、ジンランはぼたんの瞳を強く覗き込み、極めて真っ直ぐに言葉を突き刺す。
 それは大人びた洗練、日本人的な察しとは少し違う手触りだが、むしろその直接性こそが、ハタから見てりゃバレバレな答えに飛び込むのをためらっている、ぼたんの物語には必要なのだろう。
 むしろ初期メンバーだけではもうどうにも動かない袋小路に物語が飛び込んでいるからこそ、ジンランが参入してきた感じもある。

 

 ジンランはとにかく真っ直ぐに、対面に座る相手の目を見る人だ。
 郡上先輩の踏み込みにも真っ直ぐ向き合い、いぶきが絞り出せるギリギリの誠実さで身を躱した、思いの矛先もその唇で受け止める。
 そうして郡上かなでの震えと体温を知ってしまった以上、彼女の真っ直ぐな目にはぼたんは少し卑怯な女に見えていて、四人で楽しい時間を過ごすはずの夜に相応しくない勇み足を、堂々ぶっ放してくる。

 ここら辺の難しさを察して後輩二人の背中を押すのが、暗がりから出て光を取り戻したあかねなのは面白い。
 あるいはそういう「あかねらしさ」を取り戻すために、やえかのあまりスマートではない優しさが大事だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花”第8話より引用

 大人雰囲気の濃い夜に当惑しつつ、ジンランの瞳はぼたんの顔色を追いかけ、スルリと交わされてまた酔い、大きく鋭い声を出して客の視線を呼び込む。
 ここら辺、第5話で傷ついた自己をいぶきがぼたんに開示したのが、ここと同じ夜のバーであり、女子寮でなかったのと共鳴するセッティングに感じて面白い。

 ”私たち”の繋がりを閉ざし守ってくれる私的空間ではなく、他人の目と耳があり泣くには場所を移らなければいけない半公的空間に接触することで、女たちの関係性は大きく揺らぐ。
 それがあくまで公的なるものへの小さな目配せ、ある種のアリバイ作りに過ぎないにしても、それで生まれる風通しは(僕にとっては)大事だ。

 

 いぶきと飲み、酩酊の才に助けられ距離を詰める時、いぶきは想い人を追いかける側に立ちつつ、自分の懐に引きずり込む、独自の間合いに立っていた。
 それはいぶき相手だからこその誘惑であり解放で、胸元に引き寄せたい特別とは思えないジンランを前にすると、妙にお姉さんぶった余裕と受け身からのカウンターが刺さりだす。
 酔うのが上手くないジンランの、幼いからこそ真っ直ぐな追求が致命傷にならないよう見事にいなし、一呼吸先んじて話題の主導権を握るズルさは、今まで見てきたいぶきの酔態と、少し違う味がする。
 しかし凄くセンシティブで真剣な話の角を丸め、柔らかく着地させていく効能は似通っている。

 最大の被害者(って言っていいだろッ!)たる郡上先輩を思えば、相手と場合に応じて最適に酔えてしまえるぼたんの才能は、極めてズルい。
 ジンランは他人の目があるこのバーで、恋の責任という極めて私的な話題を真っ直ぐ突き出し、ぼたんの本音を引き出すことに成功する。
 この後ぼたんといぶきの恋がどう転がっていくかはまだ解らないが、ここでぼたんがジンラン(と、この現場を窃視してる僕ら)に「好き」と告げたことの意味は、かなり大きいだろう。
 それは上手く酔えないジンランだからこそ、引っ張り出せたぼたんの心臓だ。
 …郡上先輩は、いぶきのもぼたんのも引きずり出せなかったのにねぇ…。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花”第8話より引用

 追わせているぼたんが優勢で、追っているジンランが劣勢にも見える酒場の攻防は、実は勝ったの負けたのの話で収まるものでもなく、もっと別の場所、別の音楽を伴って新しく転がっていく。
 2.5リットルのクラフトビールが間を繋ぎ、緑豊かな奥多摩の景色が美しく彩る中、ぼたんはいぶきの表情を追い、すがって手を伸ばす立場に再び収まる。

 そうして背中を追いかける視線に何が宿っているのか…何を終わらせ、始めるべきなのか。
 ジンランがぼたんの心臓に突き刺した熱は、澄んだ清流でも冷ましきれない炎となって、彼女を危うく深い淵へいざなっていく。

 

 お花のフレーバーのビールを共有して、二人きり晩夏の奥多摩を歩く。
 ずっと続けていられる心地よい時間がまた再演され、しかし追いすがる誘惑者ではなく一足先に、暗く深い淵に踏み込む事を今回ぼたんは選ぶ。
 それはあのバーで、ジンランの真摯な(そして多分正当な)問いかけを大人びてはぐらかしつつ、「好き」というロマンスにとって極めてクリティカルな言葉を、自分の心臓から引っ張り出された女の振る舞いだ。
 ジンランが問いただしてくれたこと、郡上先輩の代理として突き刺した幼い棘に、嘘をつかない自分でいることを選んだからこそ、ぼたんはいぶきに自分を追わせる立ち位置へと進み出し、何かが少し変わる。

 これが決定的な炸裂に繋がる導火線なのか、また豊穣たるはぐらかしで焦らされるのかはさっぱり解らないが、しかし小さく決定的な変化をお互いに積み重ねながら、ゆらゆら前へ進んでいる二人の大事な歩みが、また綴られたのは間違いない。
 あかねが冒頭に鳴らしてくれた音楽が、そんなぼたんといぶきの青い季節に豊かに寄り添って、奥多摩でもちゃんと鳴っていたのが良かったな、と思う。
 元々MV的な作風なので、ここまでそういう方向に舵を切った話数が一個あると、嘘なく構成要素を拾い上げてくれている感じが強くする。
 幸せに体温をあげ、豊かに揺らぎながら、共に酩酊する時間は続いていく。

 その幸福に「好き」というラベルを決定的に貼る瞬間も、そろそろ近づいている感じであるが…しかし、この話数ではなかった。
 ぶっちゃけ、いぶきとぼたんがどーにかなってくれないと、切り離され取り残された郡上先輩の新しい恋が転がっていく様子を描くスペースが確保できないので、断固郡上派である自分としては、そろそろ炸裂してほしいもんだ。

 とはいっても、緩やかに気持ちよくトロトロ酩酊しているような、この煮えきらない温度感…のなかに、確実に恋情の熱がカッと迫ってくる感じも、とても好きなんだけども。
 つくづくモラトリアムの話だよなぁ、と思う。
 その内側にある豊穣と少しの残酷に、徹底して寄り添う筆致が僕は好きだ。

 

 

 

 

 

 

画像は”上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花”第8話より引用

 そしてまーた90秒の補足が、ジンランがなぜ真っ直ぐ女と女が愛し合うことに踏み込むか、その背景を豊かに描いてくれる。
 90秒に圧縮された物語が、4つ目の重要なエッセンスとして毎回強く機能しているのは、吉成鋼というアニメーターが僕の想定以上に、ただ「凄い作画」で終わらない物語の紡ぎ手として、優れた技術を持っている証明で嬉しい。
 そのこだわりも技量も、ともすれば集団作業の中で浮く異才をここに配置し、物語の奥行きを一気に深める鬼手として使い倒しているのは、スタッフワークの妙味であろう。

 

 郡上先輩の煙草、あかねのバイク、やえかのバレエ。
 本編では描ききれないが、女たちの人生を支える大事な背骨が何処にあるのか、EDに乗せて綴るエピソードが毎回挟まる意味は、とても大きいと思う。
 ジンランはここに綴られたような幸福と嫉妬を経験して、日本という国に親しみ、自分もまた海を越え、女を愛しうる女として旅立ちの門に立った。

 そう描かれることで、ただ上手く酔う方法をまだ知らない幼子が、無邪気な刃を突き出しただけではないのだと、本編の描写がグッと分厚くなる。
 そういう補論としての強さだけでなく、単品の映像作品として毎回異様に仕上がってるのが、ありがたくも怖いわけだが…。

 

 

 というわけで、豊穣たる繭が少し揺らいで、モラトリアムの先にあるものが見えてくる回でした。
 あかねが向き合う将来、ぼたんが踏み込んだ恋。
 どちらも少し危うく怖くて、でも隣り合ってくれる人、共に酌み交わす酒があるからこそ、震えながらも進み出すことが出来る。

 そういう繋がりが靭やかに、女たちを繋いでいることを話数を満たす音楽もしっかり語ってくれていて、とても良かったです。
 別の場所、別の人を包む音に繋がりを見いだせるのは、凄く音楽的な表現だなぁと思いつつ、いよいよグツグツ煮立ってる感情の盃が、こっからどう飲み干されるのか。
 次回も、とても楽しみです。

氷の城壁:第9話『自覚』感想ツイートまとめ

 秋に出会って気づけば真冬、思えば遠くに来たもんだ。
 ようやっとたどり着いた青春の一里塚をスケッチする、氷の城壁第9話である。

 

 ヨータと美姫の重荷が降りて、小雪は話数多めに割り振って扉を開け、ミナトは恋に揺さぶられてる自分をようやく自覚。
 四人なんかいい感じの幸せに足をつけて、こっからOPみたいなキラキラ青春ライフが始まるよ! …と思いきや、抜け出したはずの水槽からビシャビシャ泥が溢れてくる回となった。
 「適切な自己愛育めてねーやつが、真っ当な恋愛とか出来るわけねーだろ…」というシビアな視点は、”正反対な君と僕”における平くんなんかにも投げつけられておるけど、その源流はここでも元気…つう話か。

 

 世間一般の規格に見合った魚を出荷するべく、最適化された中学時代の水槽。
 高校入学を機に環境が変わり、自分を傷つける檻から距離を取って全部を客観視出来たつもりで、思い出は新しくなったはずの自分を追いかけ、やってしまった行動は棘になって自己評価を突き刺す。
 内に内に沈むこむ事で自分を守る小雪のスタイルが、考えてるより傲慢で加害的であることをだんだん自覚してきて、エゴと防衛本能が混ざりあった中学時代の勇み足が、どんだけヤバいか今更思い知る。
 現在進行系の幸せをくれる仲間に、向き合えるだけの自分をどう捕まえ直すか。
 小雪が向き合う課題は、まだまだ重くて暗い。

 「自分を好きにならなくちゃ」という、文字にしてみるとあまりに陳腐で腐臭すらする、ありふれたアンサー。
 しかし実際の話、満ち足りた自己愛がいろんな事情でネジ曲がったこの青春、どうにか自意識に適切なギプスをハメて再生させなきゃ、胸を張って恋することすらままならない。
 「自分はこれで良い」という増長と錯覚から逃れ、「自分はこんなもん」という諦観と客観視を遠ざけ、どう血の通った実感として、好きだと思える自分に近づけるのか。
 少なくとも嫌な思い出都合良くなかったことに出来る、小器用な卑怯者を”私”だと思えるほどに、氷川小雪もバカじゃない。
 そこ甘く採点できないから、色々辛いんだろうな…。

 

 ミナトはここら辺、「かわいそうな人」の心を客観的正答でこじ開けてしまえる、アタマ優先の立ち回りで十分問題ないと思いこんでいたわけだが、小雪と出会い計算外の感情が己から湧き上がる中で、どんどんそれも揺るがされている。
 元カノ達への向き合い方を見るだに、賢く優しい鍵師スタイルは自分も他人も間違いなくナメてるので、ここで思い悩んで新しい自分を探すのは、全く正しいと思う。
 まぁ悩みの当事者にとっちゃぁ「いい経験」なんてとても言えない、苦くて苦しい迷路に飛び込むことにもなるが、そこを超えなきゃ自分が納得できる程度に善い自分でいられないなら、そこに進み出すしかないわけだ。

 そういう自分を好きになった人が好いてくれるかどうかは、また別の問題でもあって、なーんも気づいてない美姫と、気づかれないことが現状幸せなヨータのすれ違いは、微笑ましい表面を保って相当に残酷でもあった。
 推しの恋愛気配に萌え萌えしてる無邪気さが、後々どんくらいの鋭さと重さで美姫自身を刺すか…想像するだけで怖くはあるが、まー無知と残酷は背中合わせの双子だからな。
 この甘酸っぱい距離感が、ずーっと持続可能な適性距離じゃないからこそ、多幸感に満ちた放課後にギシギシ軋むノイズを、わざわざ混ぜ込んでいるのだろう。
 クール2/3使ってこの現在地って、独特だし過酷な視点だよな今更だが…。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”氷の城壁”第9話より引用

 というわけで前半戦は主に、小雪がたどり着いた幸せな現在地をスケッチしていく。
 氷の女王気取ってた時代にどんだけ失礼ぶっこいたか、今更ながら思い知りミナトと自然な間合いを作り直すよう、ちょっと頑張ってみる小雪は微笑ましい。
 その努力が他人に反射して、車窓に反射する自己像に望ましく笑い返せるような、充実した幸せが小雪に届く。

 あの苦しい水槽から出て、カエルでしかない自分のまま虹の向こうに進んでいける、素敵なハッピーエンド。
 虹色の光がまたたくショッピングモールは、キラキラ眩しい青春テーマパーク…ってわけだ。

 

 この眩いお城は、「んなわけねーだろ。原作5巻使って、対等なラブコメスタートすらしてねぇんだぞ…」というツッコミで殴りつけるための、綺麗なハリボテでしかない。
 かといってこの幸せや現状認識が全否定されるべきものでもなくて、あくまで上がったり凹んだりしながらウロウロ、ちょっとずつ自己発見と自己実現の階段を登っていく季節の、一つの現状でしかない。
 どんだけ今が幸せに思えても、そんなところで満足して歩みを止めてもらっちゃあ、思春期当事者の体内にどんな色の泥が溜まってて、それを吐き出し”自分”を詰め込むにはどうしたらいいか、暗い影まで探るお話は任せられないのだ。

 お互いの心の影も見て、重荷も背負い合って、一緒に笑えて最高の気分で。
 そらー油断すりゃ血が吹き出す最悪中学時代に…あるいはその傷を氷で塞いで己一人に閉じこもっていた季節に比べれば、全然ハッピーで風通しの良い世界だけども、ここが目指すべき到達点じゃない。
 そういう厳しさを孕みつつ、でもここまでなんとか昇ってきた小雪たちが今感じているものを嘘にしないよう、夢のお城は本当に幸せそうに描かれている。
 その充実感と緊密な絆は、けして嘘じゃない。
 それを何にも揺らがない真実にしていくためには、もっとシビアで暗い場所にも向き合わなきゃいけない、って話なだけで。

 

 水槽の比喩は凄く良い表現をもらって、地獄の中学時代と氷の城壁を出た今の小雪が、どういう考えたかをしているかしっかり伝わる、よい寓話に仕上がっていた。
 だからその洞察を世界全部の答えにもしたくなるんだけども、「虹が見えるきれいな場所に立つには、足枷も泥もたっぷり残ってるよね?」という問い掛けを、この作品は忘れない。

 人間自分の現状を都合良く肯定し、それを邪魔するものは否定し遠ざけてしまうもので、小雪が見落としなかったことにしようとしている場所にこそ、彼女の存在を切開する大事な術具があったりする。
 そして望むと望まざると、そういうモノとは邂逅してしまうのが人間だ。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”氷の城壁”第9話より引用

 周りの連中が空気読んで、「なかったこと」にしようとした五十嵐くんは、彼なりの高校生活を背負って小雪の人生にぶち当たってくる。
 そこには傲慢で攻撃的な元中学生なりの未練と思いが、踏切を彩る光になって漂っている。
 わざわざそこに向き合おうとしたのは、ミナトが自分から離れようとした時必死に追いすがり、手を伸ばしたのと同じ、小雪らしくない暴走かもしれない。

 でも小雪らしくいつも通りを繰り返していたら、五十嵐くんと癒着した自分の過去は、永遠に触れられない腫れ物のままだ。
 それじゃダメだと思ったから壁の向こう手を伸ばし、ダメなまんまで動けない。

 

 それでも自分なりの決断と自己開示を積み重ねて、小石を動かすような小さな足掻きを繰り返すことで、確かに何かは変わっていく…はずだ。
 そんな実感全然湧かない、目隠し手探りで青春迷い道を進んでいる当事者にとって、肯定できるような光は常に自分の外側、暗い扉の向こう側に感じられるだろう。
 しかし美姫がキレ気味に”圧”掛けてくることから判るように、小雪は低めの自己評価に比べてポジティブな影響力もちゃんともってて、一緒にいると結構楽しい人間だ。
 悪意を持って誰かを傷つけにいった自分自身を、誰より自分が良くしっているから、ここら辺の評価のネジレがあるのかもしれない。

 まぁ周り何も見えないまんま「自分ならOKでしょ!」という無条件の肯定で己を棚上げし、好き勝手絶頂ブン回してくる輩より、考えすぎなウジウジちゃんのほうが個人的には好みだが…。
 自己洞察をしないことで己を守っていたり、してるつもりで全然死角に目が行かなかったり、自分にも世界にも眼が行き届かない粗忽があったり。
 他人と自分の見え方というのも、仲良し四人グループの中で凄く様々で、それぞれ致命的な欠落と決定的な強みを併せ持っている。
 そういう自己の構造を掘り下げるにあたって、考えすぎなくらい自分の中に潜る小雪は、一番可視化されやすい感じよね…。

 

 こんだけ自分の中に潜る小雪からも、他人の内面は当然見えず、怯えながら測って踏み込み、身を翻して自分を守る、不器用なダンスを繰り返すことになる。
 美姫が一生の不覚と気にかけていた一言も、小雪にとっては全然痛手ではなく…というかやべー時に唯一自分を支えてくれたありがたみばかりがあったと、今更ながら共有する。

 「掛け替えない親友」つう看板を張っておきながら、結局他人同士、伝わらないものが沢山あること…だからこそちゃんと話し合ったほうが良いことを、改めて描いているのは印象的だ。
 そーなんだよね結局”そこ”なんだよねぇ…でもさー!!(一生足踏み人間)

 

 

 かなり良くない拗れ方をした五十嵐くんとの関係…に癒着し反射している、小雪の自己嫌悪。
 これを乗り越え、堂々他人にオススメできる己を掴み取らなきゃ、恋のスタートラインにすら立てない中で、確かに自分を助けてくれた繊細チャラ男くんの慕情は、精密回路をぶっ壊すくらいに熱を持ってきている。

 湧き上がる思いを自分自身ちゃんと抱え、誰かに適切に預ける準備を待つ余裕もないまま、青春は勝手に流れてまた春が来る。
 この四人だけで行けるポイントにはたどり着いちゃった感じもあるので、新キャラ満載の新学期で話がどう動くか、次回も楽しみです。
 アニメの桃ちゃん、どんな感じかな~(栗木桃香いっとう好きマン)

NEEDY GIRL OVERDOSE:第9話『Blue Monday』感想

 超てんちゃんとカラマーゾフの直接対決前に、色々地固めをする回。
 かちぇと美血華のエゴ剥き出しバトルは作画が結構良く、それに後押しされてデッドロックを鉄パイプでぶち抜く展開を強引に飲まされた感じがある。
 「トランキライザーのブロン茶漬けでヘロヘロになってるゴスロリ女が、あんなキレある殺陣やれんのォ!?」と思わなくもないが、まー作画が元気なのは基本良いことだ。
 高校時代からの美血華一番のオタクだったかちぇが、どう足掻いても世界と自分に違和感しか感じられない天才の痛みと孤独に踏み込み、閉じた扉をこじ開けて仲間たちが内側に入る道を整えた形ではある。
 色々あるけど最後は友情、程よく受け入れやすく丸まった、時間を使いすぎない良い決着だったと思うよ。

 

 

 

 

 

lastbreath.hatenablog.com

 こういう言い回ししてる時点で、Aパートあんま刺さってないのはバレバレかと思う。
 個人的には”シン・仮面ライダー”の最終決戦みたいな、ODとリスカでボロボロな限界女の生っぽいヘロヘロバトルを、美血華が背負っていただろうリアリティに準じてちゃんとやって欲しかった。

 長袖の奥に隠した傷と体内に溜まった毒が、行き場のない彼女の業の表れだというのなら、物語としてのアツさやら定番の流れなんて全部蹴っ飛ばして、あの嘘っぱちな空間の中に確かにある美血華の身体に、素直な描写をぶつけてやって欲しかった。
 その方が、カラマーゾフの仲間もキレてる作画のカタルシスも持ち得ない、美血華に似ている百万人のリアルに誠実だったんじゃないかと思う。
 その誠実さが果たして、このアニメにとって大事なのかどうかは別の話だし、書かれたら書かれたで間違いなく「だり~~~~」とは言ってただろうけど。

 

 湿っぽくて出口がない激情の叩きつけ合いで尺を取っていたら、Bパートでロリポップとあめちゃんの決別を描いたり、Cパートで主役たちのテーマ性をダイレクトにセリフで説明したりする時間もなくなってしまうので、心情吐露のカタルシスをバトル作画に乗っけ、収まりの良い家族主義に帰還してカラマーゾフ側の足元を整地してしまうのは、賢い語り口だと思う。
 だが自分としては、家族やら小集団やらの結束が自分事として引き受けられなくなって、長い長い時間が経ってなお古いカミサマの代わりが見つかんない状況がずっと続いているからこそ、ネットに浮遊しながら「ほんとうの幸い」を探して藻掻くお話が、ある程度以上のバズを見せたんだと思う。

 そういうどうしようもなさを背負って超てんちゃんが昇天する未来のためには、対極に立って現世と上手くやれてしまえる側の物語を描く必要があって、それをパープル・ロリポップとカラマーゾフが担う……って構造ではあろう。
 かちぇというファン代表の、エゴや業や嘘を全部ひっくるめてあるがまま憧れに向き合える強い姿勢に助けられて、美血華は減薬して精神科行って健全に生き延びていく、後味悪くない正しい道に進める。
 基本甘っちょろいハッピーエンドが好きな人間なので、その健全さを待ち望んでいたはずなのに、ピとすら対話できない孤独な超てんちゃんに業全部背負って死んでもらって、現世でまぁまぁカラマーゾフが上手くやっていく流れ……それを定型のアツさで飲ませる演出方針には、妙な収まりの悪さも感じている。

 

 一つ感じるのは、超てんちゃんが背負うゲーム版のニディガが現象となり世間に流布され、アイコンになってしまっている現状に対して、作者側は結構自覚的なんだな、ということだ。
 文化としても商売としても大きく肥大化し、制御不能になって生臭くモメてるポップアイコンの物語を、超てんちゃんを殺すことで一区切りさせるつもりなのかなと、ここまで見た限りだと感じている。
 「そこまで突き抜けてしまえるからこそ超てんちゃんは電脳世代のロックスターなのであり、仲間と健全で正しい物語を背負えてしまえるロリポップは、かつての憧れを置き去りに生き延びる道を進んでいく」つう構図なんだと思う。

 ワナビ気質が抜けなかったロリポップは、人生救ってくれたカミサマ殺す決意を固め、あるいは殺すしかない現状をちゃんと認識して、殺してなお自分が一人ではないと思える誰かを隣においている。
 それは結構良い成長だと思うし、どうしようもなくぶっ壊れ昇天していくしかない超てんちゃんの加速を、見守ることしか出来ないもどかしさと寂しさと後ろめたさが濃く描かれていたのは、モニタの向こうで見てるだけの僕の気持ちと、正直歩調が合っていた。

 健全に世界と折り合いをつけれぬまま、若く燃える炎に突き動かされて突っ走り、世界の果てに頭をぶつけてゴチンと終わってしまうしかない人間は、確かにいる。
 美血華もそうなりかけて、かちぇの崇敬と姉妹の助けで現世に引き戻され、どうしようもない自分のまま誰かに受け入れられ、なんとか生きていけるコースに乗った。
 そうやって生きていける存在を描いてしまった以上、そうはなれない対存在として超てんちゃんは走り切る必要があって、多分彼女の浮遊は墜落ではなく昇天で終わる。
 寂しいが、結構必然性のある対比に近づいてきてるなとは感じる。

 

 ゲーム版においては超てんちゃんの行動を全部決め、どんなエンディングを迎えるか自在に操作可能だったピは、アニメにおいては顔も声もないがらんどうのカミサマだ。
 あめちゃんにとって世界の全てだった彼はもう声を返さず、物語の開始時点でエンディングを迎えていた物語のあとに続く、終わらない現実をダラダラダラダラ、ひたすらに蕩尽し続けている。
 ピの存在は(カラマーゾフのドラマと違って)あめちゃんにも超てんちゃんにも何も影響を及ぼさないし、だからこそ(カラマーゾフのドラマと違って)超てんちゃんは一人きりで虚しい道に邁進し続けている。

 ここでピが顔と人格を備えたキャラクターになってしまうと、対話と変化によって救われてしまうドラマツルギーが発生してしまうので、影響力を失った書割に押し込めていた……てのもあるだろうし、ゲームが終わった後の世界でゲームが終わった後の物語をやらなきゃいけないアニメの立場が、かつて主人公だった存在の不在を求めたつう話でもあろう。
 ピはもはや世界の命運を決めうる主人公でもなければ、超てんちゃんを唯一救い共存できるヒロインでもなく、プレイヤーが当事者性を失った結果、超てんちゃんも自分の物語を新たな段階にシフトさせる事が出来ず、延々同じ停滞を揺蕩っている。
 承認欲求とバズが造りだした脆いヒエラルキーで、超てんちゃんがたどり着いてしまった天井から更に伸びる道はなく、待っているルートは死によるヒエラルキーそれ自体からの脱落……あるいはヒエラルキーごと崩壊させるような堕落なのだろう。

 

 今回カラマーゾフが身をかわした、どーしょもない自分とどーしょもない世界に押しつぶされて終わってしまう、救いも希望もないリアルな決着。
 超てんちゃんがそれを背負ってくれないと、わざわざこんな悪趣味な話やってる必然性も薄れてしまうし、彼女が救われない理由も救われないことで生まれるエモも、順当に積み上げていくのはまぁ正着だと思う。
 ただそれだと……見え透いていすぎて驚きがないな、と思う。

 そこら辺でダイナミックな宙返りをカマせるお話なら、こんなに大人しく落ち着いた順当で回っていないって話ではあるんだが、カラマーゾフが連帯と生存を担当し、超てんちゃんが孤高と超越を背負う対照だけでまとまっちゃうと、やっぱあんまりに予定調和が過ぎる。
 残り話数が結構あるので、武道館決戦の後にもなにかがあるんだと思うけど、そこでもうちょいガチャガチャ引っ掻き回して、分かりやすく健全な構図からはみ出す、この作品だけの決断が滲んでくれると嬉しい。
 ここら辺は作品が前衛的表現として選び突き出しているモノが、軒並み表層のコピーとしてダダ滑りしてて、不感症なオッサンの心臓に突き刺さってない弱さと、ずーっと繋がってる問題だと思う。
 すげーシンプルに、アニメとしてずっと弱い。


 甘っちょろいハッピーエンド嗜好者としては、超てんちゃんにも魂の傷を分け合える誰かがいて、それを手がかりに地獄から這い出して現世に足をつけてほしいけども、そうなってしまうと共同体と生存があんまりにも絶対の答えになりすぎるんだろう。
 古き神と新しき挑戦者、超越と現世で衝突を起こし、自分なりのジンテーゼにたどり着いてお話を終えるためには、超てんちゃんはカラマーゾフが今回切り捨てた全部を背負って、彼女なりの必然性をもって終わってくれなきゃ困る。
 そういう落着が透けすぎてる感じのまま、武道館対決になだれ込んで残り三話……さてはてどうなるか。
 あと二三回くるくる回れる隙間はあると思うし、もうちょい酩酊したい気分なので、収まりと治安の悪い展開をどうにかぶちまけ、暴れさせた上で物語必然にちゃんと繋ぎ止めて欲しいと、高望みはしておく。

 「やりたいことは判る気がするけど、”今・アニメという表現で”それを刺すには、尖らせ方も磨き上げも足りてない」ってことが、まーこのアニメ大変多くて。
 それを生み出しているのがコアクリエーターの実力不足なのか、それをアニメーションという表現に翻案するスタッフの力不足なのか、色んな事情が重なっての不幸なのか、それともその全部なのか……いち視聴者としては全然解んない。
 そのどれであったとしても全然関係なく、「もうちょい頑張れ」と思う権利は僕に残ってるだろうし、ここまで見ての素直な感想はやっぱ「もうちょい頑張れ」である。
 言わなきゃ不安なのか分かんねーけども、視聴者が描写を受け取って心に広げていく暇もなく、作者側の正解をセリフで全部言っちゃう饒舌は、自分にも視聴者にも信頼を置いていないように見えてしまって、やっぱ弱いなぁと感じるよ。

 

 超てんちゃんに漂う破滅の気配をそれなりに受け止めててしまっているのは、二次元美少女にクソくだらねぇ自分の業を全部押し付け、汚したり崇拝したり好き勝手絶頂ぶっこいて、最後にド派手に終わってくれることでなんとなく、何かが決着した感じになる現象に、愛着と馴染みがあるからだ。
 ピクセルの塊にずーっと魂魅了され、仮想でしかない彼女たちに身勝手な祈りを捧げてオタクやってきた人間として、あの子の都合の良さと透明度には何か……適切に抽象化され結晶化したモノを確かに感じている。
 非実在美少女という現象に流れ込む、どうにも一筋縄でまとまらない感情の混濁と熱に関しては、嘘のないものだと受け取れている。

 それがニディガが人生のゲームになるには老いすぎて出会い、しかし冷たく健全に突き放すこともできず、こうして粘ついた長文垂れ流している視聴者が、作品に爪を立てるためのリアルな足場なのだろう。
 なのでどうしようもない僕らをちょっと救ってくれる、綺麗な生贄としての彼女をどう灼くか(あるいはそうではない結末をちゃんと叩きつけるか)は、とても気になってはいる。
 なんだかんだ、次回も楽しみ……なのかもしれない。

 

 

 

 

 

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 次回はみんな大好きMarilyn Mansonのキラーチューン。
 ロリポップがカミサマ殺しに挑むこのタイミングでは、ベタながら良い選曲だと思う。

とんがり帽子のアトリエ:第7話『誰が為の魔法』感想ツイートまとめ

 一つ目に塞いだ視界の先に、為すべき未来の光が瞬く。
 魔法使いVS自然災害! な、とんがり帽子のアトリエ 第7話を見る。

 

 前回雨中のピクニックとツンデレおじさんで一息ついたと思ったら、常人には手の出しようがない大災害が押し寄せてきて、この世界で魔法使いが何を望まれ、何が出来るかが改めて見えてくる回。

 …なんだけど、表現としての足場はアガットの内面的闘争に置かれていた感じがある。
 自分を睨みつける数多の眼に呪われ、早く結果を出さなければならないと焦り、自分の内側に広がる影に飲み込まれかけて、嫌っていたはずの部外者に救われる。
 ヒロイックな人命救助現場と並んで、一人のティーンエイジャーが微かな光明を掴むまでの、小さくて大事な闘争がしっかり描かれていた。

 

 無論大迫力の画作り故に、常人には見ていることしか出来ない水害のスケールと、そこに切り込んでいける魔法使いの特別さも、大変力強く伝わってきた。
 人間サイズの救済装置のごとく、河を割り命を助ける魔法使いの姿は、そらーその背景にあるカラクリを知らないものからしたら、何もかもを叶える奇跡の担い手に見えるだろう。

 その無邪気で身勝手な願いは、秘密のヴェールに隠された真実に常に迫り、人を殺しも救いも出来る力の執行者は、沢山の秘密と倫理の鎖で縛られることになる。
 災害対応を通じて、社会の中の魔法が置かれている、かなりややこしい状況を描くエピソードでもある。

 

 過酷な運命にただ翻弄され、母を石に変えられるところから始まって、自分の力だけでダダ山の試練を乗り越え、影絵の街で力を合わせドラゴンに打ち勝つ。
 発生するイベントは段々とその規模と関わる人を増やしてきたが、今回は魔法業界の内側からその外側…正確には危うく隣接しつつ一線が引かれている、力と知識無きものたちの世界に広がっていく。
 特別な救済を可能にできてしまう魔法使いの特権は、無力な一般人を助ける責務と、力の根源を秘密にしておく掟に支えられ、また縛られている。
 世界の形すら変えてしまえる強い力を、野放図に使った時誰がやってくるかまで、事件を通じて射程を伸ばしてきた。

 アニメになってより迫力を増した、数多の魔法を見ていれば、「そらー法と掟でガチガチにしておかなきゃ、こんな超テク危なっかしすぎるだろ…」と思わされる、圧倒的でありながらありふれた技術。
 夢と憧れを強く燃やす光であり、人の生死を左右できる可能性でもあり、社会のあり方を根本から規定する力でもある、美と脅威の集積体。
 それが人間の心にもたらす複雑な作用が、闇に惹かれるアガットと光に顔を向けるココの交錯の中、よりはっきり見えてくる回だったと思う。
 災害対応つう極めて物理的な一大事を通じて、それに向き合えるだけの特別な力をなんに使うか、担い手の内面に深く潜る話運び自体が、極めて魔術的でもあるね。

 

 

 

 

 

 

画像は”とんがり帽子のアトリエ”第7話より引用

 というわけで、これまで以上に掌がよく喋るエピソードだった。
 「目は口ほどに物を言う」という慣用句があるけども、指先の技で奇跡を生み出してしまえるこのお話、眼と同じくらい手指が表現の前面に立っている印象がある。

 自分のなすべきことを、しっかり踏まえて命の現場に立つ、オルーギオの落ち着いた指先。
 身の程知らずの餓鬼と侮られた怒りを燃やし、焦燥に握りしめられるアガットの掌。
 そんな彼女に必死にすがる、ダグダの指。
 困難を乗り越えた先、光を見つめながら母を思い握りしめられる、ココの手。
 様々な激情が、命がけの豪雨の中で手指に宿る。

 

 オルーギオ先生が門を設置する時の落ち着いた仕草は、生き死にがかかった現場で最も大事なものがなにか、しっかり見据えている正しい大人のものだ。
 その直後に描かれるアガットの指には、そういう広く正しい視線を持てないほど、焦燥に視野を狭めているアガットの現状が宿る。

 自分を捨てた家族を見返すために、何よりも結果を求め早く”大人”になろうとするアガットは、消えゆく人命をただの点数として見てしまう。
 その狭い視界とこわばった指先は、彼女自身を暗い影の中に投げ込み、本当に大事なものを見逃し、取り逃がさせていく。
 …ここら辺の危うさから、大人ぶってるキーフリー先生が全く自由じゃないのが、結構独特な味付けだよなぁ。

 

 一方大人であっても特別な力がなければ、大事なものを眼の前で失ってしまいもするわけで、ダグダさんは自分では何も出来ない焦りと虚しさを宿して、アガットにすがりつく。
 そこには一人の魔法使いとして、希われた奇跡を形にしなければいけない重責があり、魔法の使い方一つで命一つが消える、現実の厳しさがある。
 この必死の指先にすがられることで、アガットは魔法使いの本分に引きずられて、為すべきことを思い出していく。
 指先が心に触れ闇を払う仕草は、相性最悪な新米にこそ強く表れていて、ココが母を思う決意の指に、試練を共に乗り越えたアガットは確かに何かを感じ、変化の兆しを見せる。

 アガットの努力を、指先に宿った魔墨の汚れでしっかり刻み込んでくる、このアニメの細やかな筆致。
 それは人間が何かを掴み、あるいは掴み取れず虚しく藻掻くためのデバイスにどのような表情が宿るかを、丁寧に追いかける。
 担い手を変え、宿る感情の色を変えながら綴られていく指先の連符は、特別な魔法のあるなしにかかわらず、身体と心を持つ存在がみな共通して持っている、強さと脆さを照らし出していく。
 そのためのフェティッシュとして、徹底して指先を重視してアニメを編んでいるのは、魔法の筆を操る者たちの物語だなぁと感じるね。
 つーか同じ指先でもって、この魔法の如きアニメが綴られてんだから不思議なもんだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”とんがり帽子のアトリエ”第7話より引用

 大人であるキーフリーとオルーギオは、適切に魔法具を使い為すべきことを見定め、奇跡のように一番大事なものをしっかりとすくい取る。
 荷よりも人命、評価よりも結果。
 揺れ動く感情に惑わされず、為すべきことを為せる大人たちの力と正しさの象徴である、水絶の剣を前に幼子たちは瞳を輝かせ、キャーキャーテンション上げる余裕まである。

 …のだが、大人たちが現場を離れたあたりからガラッと画面が暗くなり、俯瞰して正しい対応を見定めるのが難しい子どもたちが、過酷な現実に飲み込まれていく。
 絵に迫力があるので、水害のシャレになんなさも重く伝わるなぁ…。

 

 先生たちが英雄の本懐である人命救助を華麗にこなすのに対し、ココとアガットはクスタスくんの落下を防ぐことが出来ず、自分たちも窮地に巻き込まれていく。
 崖の上で一人、無力な一般人にすがられるアガットは、その懇願に痛ましさより優越を、命の重さよりも自分の点数稼ぎを、まず見てしまう。
 ココがアトリエを訪れる前から彼女を捉えていた、暗くエゴの鎖。
 切実だからこそ重い焦燥に目を塞がれ、アガットは本当に大事なものを見落としかける。
 ココは実力において他人の助けを必要とするが、アガットは倫理において誰かの導きがないと、簡単に暗い場所に堕ちてしまう子なのだ。(そしてこの物語は技術倫理を話しの真ん中においているので、倫理的卓越こそが主役の資質になる)

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”とんがり帽子のアトリエ”第7話より引用

 ここから演出の軸足はアガットの内省に移り、彼女を急き立てる感情が何処から湧き出してくるか、暗い淵に潜る。
 眼の前で消えかけている命すら、自分の望みの道具にしてしまいかねない影は、彼女を射抜く数多の瞳を根源に持つ。
 母に見捨てられ、愛憎入り交じる復讐のために、結果を出して誰かを使い捨てる。

 

 その象徴として、影絵の街でも印象的だった縦長の単眼が顔を出すのは、なかなかに面白い。
 目ん玉だけのバケモノは、魔法が係る場所…人間の業が軋む巷にはいつでも顔を出して、人を危うい闇に引きずり込もうとするわけだ。

 自分を外側から包囲し、また内側に広がって同じ色に染め上げる、心や命を道具としか考えない単眼の闇。
 これに飲み込まれそうになった寸前で、アガットは崖下に飲み込まれたココの声を聞き、地面を掴んで光の方へと這いずっていく。
 自分を貶め道具にする輩と、同じ怪物になって影の中生き残る道を危うく逃れて、アガットはココの声を聞き届け、力なき犠牲者たちと同じ視線で、過酷な現実を乗り越えていく道に戻る。
 ココの声は傷つき物言えぬクスタスの声であり、アガットの指は自分にしがみついたダグダの指でもあろう。

 

 こういう身体的な共鳴が心に響き、人間の進む道が正しい場所へ伸びていく様子を切り取れるのは豊かで強い。
 この作品における魔法はとても多彩な意味合いをもっていて、子どもが目を輝かせ追いかける夢であり美であり、物理的に誰かを殺し救える力でもある。
 うわっ付いた憧れの美しさと同じくらい、地に足ついて運命を左右する物理的実存として魔法を削り出す時、生身の人間がどのように指先を曲げ、声を聞き届け視線を向け直すか、丁寧に描かれていることは重要だと思う。

 このアニメが人間のフィジカルな仕草を丁寧に積み上げ、そこに宿る感情や運命を描き出すことで、”魔法”なるものが日常や社会に深く食い込み、様々な人の運命を左右してしまう世界の空気が、より伝わりやすくなっている気がする。
 俺は身体性を宿したアニメが、いつでも好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”とんがり帽子のアトリエ”第7話より引用

 この手触りは、お互いの窮地を崖の上と下で共有し、知恵を絞り技術を動員してたった一つ、泥まみれで命を救おうと足掻く、小さな魔法使いたちの戦いにしっかり宿っている。

 愚かな愛ゆえに死地に飲み込まれた犠牲者と、同じ立場で泥にまみれられるココの倫理的優越を、賢いからこそ高い場所に自分を置いてしまうアガットは得られない。
 しかしココが指先に宿す(オルーギオとアガットから託された)温もりは、アガットに自分だけが今出来ること、為すべきことを思い出させ、曇天を切り裂いてただ美しいだけの、光の鳥を羽ばたかせる。

 

 影絵の街で、テティアが竜を優しく眠らせようとした魔法を考えても、窮地において魔法使いの弟子が選ぶ「自分だけの魔法」には、心のあり方と目指すべき運命が色濃く宿る。
 ここでアガットが何の実益も生み出さない、美しい光を「自分だけの魔法」として解き放ったことは、彼女の内側に育った一つ目のバケモノだけが、彼女の形ではないことを良く語っている。
 人知れず幾度も練習し、この土壇場で一番美しく舞った光の鳳は、いつもの彼女らしい冷たいプラグマティズムを、裏切るように眩しく自由で役立たずだ。
 それは自分が得点を稼ぐのではなく、仲間が命を助ける時間を稼ぐための、信頼と支援の魔法だ。

 これに助けられてココが紡いだのは、かつて役立たずで部外者な自分を思い知らされた灰色の街で、仲間が作り上げた魔法だった。
 強い憧れに背中を押され、尋常ではない観察力で世界を見て取り、己の力に変えていけるココの資質は、力技で岩を退かすのではなく命を救うのに十分なだけの、小さな奇跡を引き寄せる。
 浮遊の魔法も不格好ながら、役立たずの光鳳が造りだした時間を活用して、二人は今ここで魔法使いが為すべきことを、しっかりと達成する。
 ただ正しいことを願うだけでなく、厳しい現実の中で力を合わせ、知恵を絞り、自分だけの魔法で命を救えた体験は、少女たちをより善き大人に近づけていく。

 

 一番相性悪かったアガットと手を携え、魔法使いの身内ではなくその外側に広がる誰かを助けるべく、アイデアと技術を絞り出す今回の挑戦は、今まで以上の手応えに満ちている。
 アガットの内に広がる影の濃さと、それを乗り越える契機となるココの放つ光が、危機の中より鮮明に対比され、真逆な二人に絆が芽生えていく。

 前半、先生たちがサラッとスマートに人命救助を果たしてたのが、後半描かれる子どもたちの限界とその克服を、より強調している感じもある。
 この泥だらけがココたちの精一杯だが、それでも確かに命を救えた。
 それは彼女たちの現在地としても、未来への道標としても、とても大切なことだ。

 

 って綺麗にまとめたかったけど、ココに背負わされた過酷な運命は魔法を暴走させ、秩序の守護者が空飛んで迫ってくるワケ!
 全てを塵に変える魔法の暴走は、そのヤバさを存分に顕にしており、「極小技術災害(ナノハザード)だーッ!」と、思わず興奮してしまった。(ナノテクSF大好き人間)

 人知を超えて荒れ狂う水害のスケールを書き、それを乗りこなしあるいは翻弄される人間の奮戦を印象づけた後で、頼れる道具であるはずの魔法が暴走するとどうなるか、ファンタジックな情景でドカンと叩きつけてくるの、良い話運びだなぁ…。
 魔法が常に暴走と隣り合わせなのは、つくづく技術倫理の話だなぁって感じ。

 

 

 

 憧れと決意を込めて眩しく輝く夢という顔と、厳しい掟によって縛られるべき獣の顔。
 2つの顔を持つ魔法を前提としてなりたつ社会では、当然獣に鎖をつけ厳密に掟を執行する存在が必要になる。
 ココたちからすりゃー煙たくて怖い理不尽の塊だろうけど、魔法のヤバさをド迫力作画で思い知らされてる視聴者からすると、むしろいてくれなきゃ困るよな…。

 一難去ってまた一難、姉弟子との絆を深めたところで魔警襲来となりました。
 ココと一緒に、魔法の多彩な顔を見つめるこのお話。
 彼らが体現する厳しさを受け止め、物語がどう転がっていくのか。
 次回も楽しみですね!

霧尾ファンクラブ:第9話『言えない、言わない。』感想ツイートまとめ

 手から零れ落ちそうになる時に、はじめてそれが宝石だったと気づく。
 藍美と波の根本に深く切り込む、霧尾ファンクラブ第9話である。
 メチャクチャ良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”霧尾ファンクラブ”第9話より引用

 クライマックスを前に、作品がどういう土台の上に乗っかってるのか改めて描き直し、一番大事なところにまず飛び込んでいく回だった。
 桃瀬くんの勇気ある玉砕を触媒にして、波ちゃんの秘めたる思いと藍美ちゃんの友情がより強く際立ち、「これで…”死”に打ち勝つッ!」という決意を、最終決戦前に新たに出来た。
 霧尾くんの抱えた重荷を暴いた直後に、コレをちゃんとやるのはマジで偉いと思う。

 

 堂々真正面から全てを明かし、思いが叶わなかった後も爽やかな繋がりを保てている桃瀬くんに対し、波ちゃんの気持ちは明かせば確実に何かが壊れる、暗い影をまとっている。
 それが何かは未だ暴かれないが、霧尾くんへの慕情で繋がっていると思ってる藍美ちゃんにとって、出てくる答えは一つだ。
 そのズレが救いでもあり災いでもあるのが、波ちゃんの切なさの根本にあることを、秋風に乗せてエモく描く回だった。

 波ちゃんは藍美ちゃんが、色んな人にナチュラルに優しい所が好きで、だから肉まん分けてくれるの嬉しくて、でも恋はそうもいかない。
 思いの独占を望みつつ、それが叶わないことは解っていて、しかし望み通り自分に独占されてくれる藍美ちゃんは、自分が一目惚れした彼女ではない。
 波ちゃんを包囲するジレンマはなかなかに複雑で、他人に明かして楽になるのは難しい。
 この秘密の重たさ、縛りのキツさは霧尾くんを閉じ込めてる檻と同じ構造をしていて、あまりに感性独特すぎて世間一般のツラさが解んない藍美ちゃんとは、あんま共鳴しないポイントなんだと思う。

 あるいはそういう、フツーの感性へのアダプターとして、波ちゃんは自分を藍美ちゃんの隣において役立たせてる感じもある。
 そこに優越も憐憫もないのが、波ちゃんの魂が綺麗なところだ。

 

 波ちゃんから藍美ちゃんへの感情が、実際のところどうなのかは、奇妙にネジレつつ確かに幸福でもあった青春の起点が、まだ具体的に描かれていない以上確言できない。
 波ちゃんがこんだけ強く藍美ちゃんを思い、それを告げられない枷を己にはめ、辛くなると解っていながら「霧尾ファンクラブ」という嘘でお互いを繋ぐに至った、その理由。
 これが見えた時、必死に思春期と戦ってる子たちが幸せになれない理由と、それを越えていける可能性が、決定的に鮮明になるのだろう。
 クライマックスへのトリガーを、藍美ちゃんではなく波ちゃんの真意に預けているのは面白い造りだし、波ちゃんのキャラを考えると納得でもある。
 「こんな奴らクラスで浮くだろ~~」っていう初見の感覚を、このタイミングで「はい、バリバリに浮いてたしその孤立はシリアスでした」と殴り直してくる所といい、物語が己を語るべき頃合いというのに、つくづく眼が効いた作品である。

 

 波ちゃんよりひと足早く、自分たちの起源を描かれた藍美ちゃん。
 彼女は周りみんなが背負っているランドセルではなく、独自の感性を詰め込んだショルダーバッグを身に着け、ずーっと平たい石を探して楽しめる人間だ。
 自分が周囲から浮いている理由も、それで憐れまれたり嫌われたり遠ざけられたりする意味も、いまいちピンとこず、ひたすらに己で在りつづける。
 それは結構レアな才能であり、同時に何にも響かない虚しいこだまでもあり、独自の感性が具体的な表現なり行動なりに結びつかず、他人を感動させないから評価もされない、砂の中のダイヤモンドみたいな人だ。
 こういう存在は、本当に世界にたくさんいるんだろうなと思う。

 藍美ちゃんの繋がれなさを、世間一般の基準で「かわいそう」とみなし、フツーの人に交わり繋がっていく当たり前の処方箋を、先生は善意で突き出す。
 しかし藍美ちゃん自身が世界とのズレ(彼女自身の個性でもある)に痛みを感じていない以上、その孤独は治すべき「かわいそう」ではなく彼女自身のナチュラルであり、藍美ちゃんはズレたまんまキモがられ、繋がれぬまま遠ざけられていく。
 この孤立は、望がいなかったときの霧尾くんと多分良く似ていて、そういう自分に唯一寄り添ってくれた存在だからこそ、霧尾くんは望の(共に在った生ではなく)死を永遠にしてしまっているんだと思う。
 改めて、あまりに哀しい。

 

 波ちゃんがドシモな感性に波長を合わせ、面白がって一緒に過ごしてくれた事で、藍美ちゃんは思いの外自分が寂しかったことを思い知る。
 それまではピンとこず耐えられた孤立が、実は当たり前にイカれた自分を苛んでいて、それを世界でたった一人癒してくれていた存在が、離れていくかもしれないと思い知る。
 温もりを知ってしまえば、もう冬の風には耐えられない。
 藍美ちゃんが「ちげーよ!」と泣きじゃくるのは、かつては自分の感性の外側に広がっていかなかった想像力が、波ちゃんとの触れ合いを経て気づかぬ内に育ち、喪失の未来をリアルに思い浮かべることが出来るようになったからこそだ。

 それを成長と呼ぶべきなのか否かは僕には判別つかないが、バカみてーな事で延々笑いあった放課後は、確実に藍美ちゃんに宝物を手渡していた。
 誰かを選び、誰かを選ばない恋のルールを「霧尾ファンクラブ」の会則と定めたときから、いつか訪れるのは必定な別れ。
 自分たちがワーワー騒がしく楽しんでいた遊び場が、実は凄く切実な痛みを伴って己を引き裂くこと…それを奪われて心が砕けるほどに辛くなってる、今の自分のあり方を、藍美ちゃんは一人ぼっちの河原で思う。
 ここで自分が何を手渡されていたのか、たった一人でちゃんと考えられる人だから、霧尾くんの笑顔と涙にも気づいたんだろうなぁ…。

 

 今週も火力の高い変顔芸を連発し、ラストの落ちも大変いい感じのトホホで笑わせてくれた、優れたコメディ。
 その主役を演じる藍美ちゃんが、実はメチャクチャピュアな感性と優しさを持っていて、だからこそ溢れる個性が邪魔して世界や他人と上手く繋がれない様子を、このお話はすごく丁寧に描いてきた。
 今回そのズレが、友達に出会えていなかった時はピンとこず辛くなく、しかし波ちゃんと出会い笑い合ってしまった今、もう耐えられない痛みを伴っていることが明かされる。
 それは道化と嘲笑っていた存在が、誰よりも”人間”な痛覚を確かに持っていて、必死に生きている事実を再確認させる。

 散々笑わせておいて笑えないシリアスで殴りつける、ある意味卑怯な話運びでもあるのだが、波ちゃんが好きになった藍美ちゃんがそういう、社会と上手く噛み合わないけど確かに豊かな感性を持った、一人の人間であるという事実は、笑撃の奥確かな筆致で、ここまで描かれても来た。
 ひたすらおバカで幸せな日々の足下、ときおり顔を出す鋭い刃や瞬く宝石の存在を、ちゃんと匂わせてきたからこそ、少女たちのシリアスでピュアな涙に嘘はない。
 波ちゃんも藍美ちゃんも、この秋風に泣くだけの魂を確かに宿して、ハイテンションでイカれた青春を必死に走っている。
 それは描くだけの価値がある、大事な物語だ。

 

 コメディかと思ってたら青春だったという、作品全体への姿勢を改める体験。
 それは藍美ちゃんのように独自の感性を持ち、だからこそランドセルではなくショルダーバッグを選んで教室から浮き上がる「かわいそうな」異端者を、新たな形で結像させる。
 遠くで観察する珍獣から、体温と痛みを持った隣人へと顔を変えたように思える藍美ちゃんだけど、あの子が誰かの哀しみのために泣き、誰かの笑顔を取り戻すために戦える事実は、ここまでちゃんと描写されてきた。
 「意外な素顔」は、物語が角度を変えたから見えた一側面でしかなく、人間にも世界にも凄く多彩で、だからこそ面白い連続性があるのだ。

 かつて孤立にピンときてなかった自分が、爺ちゃんの予言通り友達を得て、その有難さと喪失に涙する。
 不思議な連続性は藍美ちゃん自身の中にもあって、そうやって気づけば変わっていた自分と世界を前に、心の底からちゃんと泣ける真っ直ぐさが、藍美ちゃんの善さなんだと思う。
 あるいは身を裂くほどの思いを己の内に秘めてしまう、そうやって自分の気持ちとも周りの世界とも上手くやれてしまえる波ちゃんだからこそ、何も隠さず(隠せず)自分で在りつづける藍美ちゃんに、想いを寄せたのかもしれない。
 藍美ちゃんにとっての宝石は、波ちゃんにとっても間違いなく宝物だったのだ。

 

 霧尾くんを縛り付ける”死”の重たさも、波ちゃんが覆い隠す切なさも、藍美ちゃんが手に入れた痛みと涙も、色んなモノが顕になったこのタイミング。
 満田と桃瀬くんがそれぞれのやり方で、青春の先駆けとして切り開いてくれた道の先に、この物語は突き進んでいく。

 「霧尾ファンクラブ」のイカれて幸せなバカ騒ぎが、霧尾くんにとっては失われ二度と取り戻せない光だったと鮮明に描き、恋で繋がるが故に脆い絆に二人が何を思っているかも、今回しっかり示された。
 明かされていなくても、嘘と秘密にまみれていても、確かに伝わり生まれるものがあることも、ここまで丁寧に積み上げてきた。

 

 そういう輝きを、マジでどうにかしてるイカれた大はしゃぎと一緒に暴れさせて、藍美ちゃん達は自分たちの「好き」に飛び込んで、何かを選び何かを失い、何かを手に入れていくのだろう。
 そういうド感動な青春ストーリーを、今までやってきたおバカと対比して「本当だから尊い」つう書き方をしないのが、俺はとても好きだ。
 藍美ちゃんが世間に馴染めない本物の逸脱者であることも、その独自の感性が付き合ってみりゃ結構楽しいものであることも、ただひたすらアホみたいに騒いだ時間が宝物だったことも、何一つ嘘じゃない。
 だからこそその先に、真逆にも思えるシリアスな決断が待っていても、バカなまんま勝てると信じられる。

 むしろ世間のレールをぶっ飛ばすほどマジのマジで、元気におバカだったからこそ、どんなに重たい壁が迫ってきても跳ね飛ばして、霧尾くんの魂が囚われている場所までたどり着けれると、僕は期待しています。
 そこには自分が去った後もゲラゲラ笑って、笑顔の中にこそ己を活かす未来を親友に望んだ、若き死者の祈りも待っているはずだから。
 コメディも青春も狂気もセンスも、全部欲張りに全力でやり切る作風だからこそたどり着ける、全てが渾然一体となった不可思議な面白さが、クライマックスに炸裂するしかねぇ温度感……ありがたすぎる。

 

 

 第1話から勝手に感じ取り、期待していたクライマックスへと、非常に丁寧に道を作って飛び込んでくれる感じで、非常に嬉しいです。
 ここで一瞬ちゃんと立ち止まり、自分が何に包まれていたのか、来し方を見つめられる感性が作品とキャラにあるのは、本当にいい。
 次回も楽しみ