楽園の永い夏も終わりに近づき、街を音楽が満たしていく。
言葉にならない鼓動が画面に満ちる、上伊那ぼたん第8話である。
コンテ・演出・作監を担当した大久保俊介の味なのか、yonigeの楽曲を贅沢に使い、都会的でオシャレな雰囲気の話数となった。
いつもはエピソードごとの切れ目がくっきりしていて、3+1の構造で状況が回っていくわけだが、今回はやえかとあかねの繋がりを描く第1エピソードと、ジンランとぼたんのせめぎあいにフォーカスした第2エピソードが緩やかに繋がり混じって、独自の味わいだった。
場面を変えても、何処からか音楽が流れ続けているのは、最初に示されたモチーフが響き続けてる感じで好き。
オシャレで濁りがない、俗世の塵から隔絶されたハイソなモラトリアム。
女子寮というアジールに永遠を閉じ込めたように思えた物語も、ゆっくりながら時間が過ぎ、聖域を出て将来を考える頃合いがやってくる。
それに歩調を合わせるように、同性婚が適法な国からやってきた異邦人が、煮えきらない関係に積極的に首を突っ込み、ぼたんを巡る状況も動いていく。
まーた風光明媚な自然の中で、酒とエロティシズムを交換するいぶきとの距離感は決定的な名前を与えられる寸前でスルリと逃げるが、ジンランの物語的献身により、いよいよのっぴきならない場所まで近づいてきた感じがある。
何かが終わり、新しく始まる季節が近い。
一般的なドラマツルギーでは、それを燃料に物語を加速させていく影響と変化のダンスが、どういう肌理と体温と湿度をもっているのか。
その質感にクローズアップするために、各話スタッフ個別の才能を大事に綴り、語りきれない場所を吉成EDで補足しながら、このアニメは独自の空気を醸造してきた。
その煮えきらない留保期間を浴びるのも気持ちが良かったが、何かがケッテイテキに終わってしまっているのに新たに始めることを許されていない、郡上先輩の悲しさを思うと、ぼたんがある種の無責任を背負っているという見方は、結構な妥当性がある。
そのズルさも僕は好きだが、今回ジンランが幼いからこそ真っ直ぐに、そこに踏み込んだ。
いぶきを前にした時は追いすがりつつ誘惑する、特権的でありながら弱腰の姿勢を保ってきたぼたんは、ジンランを相手取るとひどく大人びて見える。
お酒に飲まれることもなく、会話の主導権をしっかり握り、バーにも手慣れた様子で踏み込んで、ジンランの真っ直ぐな追求を上手く躱し、受け止め跳ね返す。
そんな余裕が奥多摩の自然の中でほろりと崩れ、硬質で雄弁な沈黙を酌み交わしながら、意図して深みに踏み込み想い人に追いかけさせる側になる展開も、このアニメらしい奥行きがあってとても良かった。
背景がやや硬質な描線で作られ、都会的で清潔な空気感が通底していたのも良かったね。




ここら辺の揺さぶりから独立し、また関連した場所で、あかねは音楽と進路に迷い夢現、自分が自分でいられる光を探して街をさまようことになる。
今回あかねに関しては明暗の遷移が極めて明瞭で、一足先にモラトリアムをアガったバンドメンバーが生み出す暗闇から、やえかのコールを受けた瞬間光が見えて音楽が鳴り出し、いつもの仲間と明るく素敵な場所へと進み出す。
そしてやえかと二人きり、ビールという人間関係の潤滑油を手に取った時、暗闇の中にとても強い光が差し込む。
この二人の繋がりは、物語の最初から堅牢で揺らがない。
と同時に、「ぼたん周辺の人間関係が酩酊しながら強く揺らぐ物語の、安らかなとまり木のように思えた人間も実はモラトリアムの終焉に揺らいでいるし、それを安らかに縫い留める存在は大きいよ」と、改めて告げるエピソードでもある。
あかねのボンヤリと揺らぐ視線は、彼女の抱えた事情を何も知らない(ことで、憂鬱な暗がりの中の光たり得ている)やえかによって定まり、いつもの安定して世界がよく見えているあかねが戻ってくる。
ジンランとぼたんの間に走る火花に気づかないくらい、やえかは鈍感で純粋であるけども、その見えなさ・解らなさが今のあかねにとっては、得難い安らぎとなって闇に眩しい。
楽器をわざわざ置いてきた仲間との夜のほうが、スタジオでバンドと弾いてる時より豊かに歌が奏でられている、極めて心理主義的な矛盾。
あかねにとって満足できる音は、自分を置き去りに賢く夢から退場する連中ではなく、同じ夜に酔ってくれる仲間の方から聞こえてくる。
世界にいつ音楽が生まれ、誰に引き継がれ流れていくかが、とても印象的なエピソードだといえる。
音楽をアイデンティティにしているあかねが画面から外れても、ずーっとyonigeの歌が聞こえてくるのが、この夜を満たす豊かな繋がりそのもののように感じられて、すごく好きだ。
音楽の話数だなぁ、という感じがする。




言わずとも本当に欲しいものを手渡してくれるやえかと、それに支えられて察しの良さを取り戻すあかねの心地よいグルーヴの隣で、ジンランはぼたんの瞳を強く覗き込み、極めて真っ直ぐに言葉を突き刺す。
それは大人びた洗練、日本人的な察しとは少し違う手触りだが、むしろその直接性こそが、ハタから見てりゃバレバレな答えに飛び込むのをためらっている、ぼたんの物語には必要なのだろう。
むしろ初期メンバーだけではもうどうにも動かない袋小路に物語が飛び込んでいるからこそ、ジンランが参入してきた感じもある。
ジンランはとにかく真っ直ぐに、対面に座る相手の目を見る人だ。
郡上先輩の踏み込みにも真っ直ぐ向き合い、いぶきが絞り出せるギリギリの誠実さで身を躱した、思いの矛先もその唇で受け止める。
そうして郡上かなでの震えと体温を知ってしまった以上、彼女の真っ直ぐな目にはぼたんは少し卑怯な女に見えていて、四人で楽しい時間を過ごすはずの夜に相応しくない勇み足を、堂々ぶっ放してくる。
ここら辺の難しさを察して後輩二人の背中を押すのが、暗がりから出て光を取り戻したあかねなのは面白い。
あるいはそういう「あかねらしさ」を取り戻すために、やえかのあまりスマートではない優しさが大事だったのかもしれない。




大人雰囲気の濃い夜に当惑しつつ、ジンランの瞳はぼたんの顔色を追いかけ、スルリと交わされてまた酔い、大きく鋭い声を出して客の視線を呼び込む。
ここら辺、第5話で傷ついた自己をいぶきがぼたんに開示したのが、ここと同じ夜のバーであり、女子寮でなかったのと共鳴するセッティングに感じて面白い。
”私たち”の繋がりを閉ざし守ってくれる私的空間ではなく、他人の目と耳があり泣くには場所を移らなければいけない半公的空間に接触することで、女たちの関係性は大きく揺らぐ。
それがあくまで公的なるものへの小さな目配せ、ある種のアリバイ作りに過ぎないにしても、それで生まれる風通しは(僕にとっては)大事だ。
いぶきと飲み、酩酊の才に助けられ距離を詰める時、いぶきは想い人を追いかける側に立ちつつ、自分の懐に引きずり込む、独自の間合いに立っていた。
それはいぶき相手だからこその誘惑であり解放で、胸元に引き寄せたい特別とは思えないジンランを前にすると、妙にお姉さんぶった余裕と受け身からのカウンターが刺さりだす。
酔うのが上手くないジンランの、幼いからこそ真っ直ぐな追求が致命傷にならないよう見事にいなし、一呼吸先んじて話題の主導権を握るズルさは、今まで見てきたいぶきの酔態と、少し違う味がする。
しかし凄くセンシティブで真剣な話の角を丸め、柔らかく着地させていく効能は似通っている。
最大の被害者(って言っていいだろッ!)たる郡上先輩を思えば、相手と場合に応じて最適に酔えてしまえるぼたんの才能は、極めてズルい。
ジンランは他人の目があるこのバーで、恋の責任という極めて私的な話題を真っ直ぐ突き出し、ぼたんの本音を引き出すことに成功する。
この後ぼたんといぶきの恋がどう転がっていくかはまだ解らないが、ここでぼたんがジンラン(と、この現場を窃視してる僕ら)に「好き」と告げたことの意味は、かなり大きいだろう。
それは上手く酔えないジンランだからこそ、引っ張り出せたぼたんの心臓だ。
…郡上先輩は、いぶきのもぼたんのも引きずり出せなかったのにねぇ…。




追わせているぼたんが優勢で、追っているジンランが劣勢にも見える酒場の攻防は、実は勝ったの負けたのの話で収まるものでもなく、もっと別の場所、別の音楽を伴って新しく転がっていく。
2.5リットルのクラフトビールが間を繋ぎ、緑豊かな奥多摩の景色が美しく彩る中、ぼたんはいぶきの表情を追い、すがって手を伸ばす立場に再び収まる。
そうして背中を追いかける視線に何が宿っているのか…何を終わらせ、始めるべきなのか。
ジンランがぼたんの心臓に突き刺した熱は、澄んだ清流でも冷ましきれない炎となって、彼女を危うく深い淵へいざなっていく。
お花のフレーバーのビールを共有して、二人きり晩夏の奥多摩を歩く。
ずっと続けていられる心地よい時間がまた再演され、しかし追いすがる誘惑者ではなく一足先に、暗く深い淵に踏み込む事を今回ぼたんは選ぶ。
それはあのバーで、ジンランの真摯な(そして多分正当な)問いかけを大人びてはぐらかしつつ、「好き」というロマンスにとって極めてクリティカルな言葉を、自分の心臓から引っ張り出された女の振る舞いだ。
ジンランが問いただしてくれたこと、郡上先輩の代理として突き刺した幼い棘に、嘘をつかない自分でいることを選んだからこそ、ぼたんはいぶきに自分を追わせる立ち位置へと進み出し、何かが少し変わる。
これが決定的な炸裂に繋がる導火線なのか、また豊穣たるはぐらかしで焦らされるのかはさっぱり解らないが、しかし小さく決定的な変化をお互いに積み重ねながら、ゆらゆら前へ進んでいる二人の大事な歩みが、また綴られたのは間違いない。
あかねが冒頭に鳴らしてくれた音楽が、そんなぼたんといぶきの青い季節に豊かに寄り添って、奥多摩でもちゃんと鳴っていたのが良かったな、と思う。
元々MV的な作風なので、ここまでそういう方向に舵を切った話数が一個あると、嘘なく構成要素を拾い上げてくれている感じが強くする。
幸せに体温をあげ、豊かに揺らぎながら、共に酩酊する時間は続いていく。
その幸福に「好き」というラベルを決定的に貼る瞬間も、そろそろ近づいている感じであるが…しかし、この話数ではなかった。
ぶっちゃけ、いぶきとぼたんがどーにかなってくれないと、切り離され取り残された郡上先輩の新しい恋が転がっていく様子を描くスペースが確保できないので、断固郡上派である自分としては、そろそろ炸裂してほしいもんだ。
とはいっても、緩やかに気持ちよくトロトロ酩酊しているような、この煮えきらない温度感…のなかに、確実に恋情の熱がカッと迫ってくる感じも、とても好きなんだけども。
つくづくモラトリアムの話だよなぁ、と思う。
その内側にある豊穣と少しの残酷に、徹底して寄り添う筆致が僕は好きだ。




そしてまーた90秒の補足が、ジンランがなぜ真っ直ぐ女と女が愛し合うことに踏み込むか、その背景を豊かに描いてくれる。
90秒に圧縮された物語が、4つ目の重要なエッセンスとして毎回強く機能しているのは、吉成鋼というアニメーターが僕の想定以上に、ただ「凄い作画」で終わらない物語の紡ぎ手として、優れた技術を持っている証明で嬉しい。
そのこだわりも技量も、ともすれば集団作業の中で浮く異才をここに配置し、物語の奥行きを一気に深める鬼手として使い倒しているのは、スタッフワークの妙味であろう。
郡上先輩の煙草、あかねのバイク、やえかのバレエ。
本編では描ききれないが、女たちの人生を支える大事な背骨が何処にあるのか、EDに乗せて綴るエピソードが毎回挟まる意味は、とても大きいと思う。
ジンランはここに綴られたような幸福と嫉妬を経験して、日本という国に親しみ、自分もまた海を越え、女を愛しうる女として旅立ちの門に立った。
そう描かれることで、ただ上手く酔う方法をまだ知らない幼子が、無邪気な刃を突き出しただけではないのだと、本編の描写がグッと分厚くなる。
そういう補論としての強さだけでなく、単品の映像作品として毎回異様に仕上がってるのが、ありがたくも怖いわけだが…。
というわけで、豊穣たる繭が少し揺らいで、モラトリアムの先にあるものが見えてくる回でした。
あかねが向き合う将来、ぼたんが踏み込んだ恋。
どちらも少し危うく怖くて、でも隣り合ってくれる人、共に酌み交わす酒があるからこそ、震えながらも進み出すことが出来る。
そういう繋がりが靭やかに、女たちを繋いでいることを話数を満たす音楽もしっかり語ってくれていて、とても良かったです。
別の場所、別の人を包む音に繋がりを見いだせるのは、凄く音楽的な表現だなぁと思いつつ、いよいよグツグツ煮立ってる感情の盃が、こっからどう飲み干されるのか。
次回も、とても楽しみです。



























