イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第11話『ブルームーン』感想

青い月の魔法が少女を導く、王道青春魔法学校ストーリー、今週は設定沢山出てくるよ!
お話としては第1話、第6話と続いてきた『劣等生と新米先生』のお話第三弾という感じで、シャリオへのあこがれを純真に持ち続けるアッコと、それに貫かれる痛みを隠しつつアッコを見守るアーシュラ先生の関係が、また一つ変化するエピソードでした。
二人の関係の重なり合わせとすれ違いを軸に据えつつ、魔法学校と古代の伝説にまつわる設定もたくさん出てきて、今後のストーリーを導きそうな予感。
光輝く剣、七つの言の葉、封印された大魔術、そして地下の古き魔女。
王道ファンタジーな道具立てが、青い夜の魔法を際立たせる、静謐なお話だったと思います。

世界設定絡みの大きな入れ物と、キャラクター個人の感情のドラマが同居している今回。
主に動いているのはアッコとアーシュラ先生で、シャリオに対する憧れと未来への不安、そしてシャリオ本人だと気付かないまま現在を支えてくれる先生との関係が、複雑に切り取られていきます。
何も知らないまま夢を叩きつけてくる残酷さと、それに素直に答えることは出来ない誠実さが絡み合って、二人の描写はただの『いい先生と生徒』に収まりきれない奥行きを持っています。

青い月の光が幻想的な今回は、コメディ色はやや抑えめにして、アッコもいつもの元気で強気な姿ではなく、不安に震える弱さを見せます。
ポラリスの泉が見せてくれたシャリオの過去に自分を投影し、無軌道な夢にただ乗っかるのではなく、目の前の現実を一歩ずつ踏みしめていくこと。
それは正しい決断ではあるのですが、同時に『ルーナノヴァに来さえすれば、夢が叶う。魔女になれる』という幻想を捨て、何にもできない自分を直視することにも繋がります。
それはとても恐ろしい、誰かにすがりたくなるほど怖いことです。

なのでアッコは自分の夢の始点であり、果たすべきロールモデルでもあるシャリオに直接出会って、自分を励まして欲しいと願う。
情けない自分に押しつぶされそうな気持ちと戦いながら、憧れと強がりを杖代わりにして、いつものドタバタ馬鹿をやっているのだと思うと、僕はアッコがとても愛おしくなってしまいます。
こういう人間的震え(と、それを押さえ込んで頑張る高潔さ)が登場人物から感じられると、一気に作品とキャラを好きになっちゃうんだよなぁ。

アッコは愚かであると同時に、非常に真っ直ぐな直感力を持っていることは、これまでも示されていました。
『本当に大事なものを、直感的に選び取ってしまう鋭さ』は例えば、第7話で魚達を開放する一連の流れからも感じられますが、今回も亡霊の偽装に惑わされず、『あなたはシャリオじゃない!』と断言していました。
それは自分の中のシャリオにしがみつくあまり、アーシュラ先生の真実に気づけない視野の狭さの反映でもあるのだけれども、雑音に惑わされず正しい答えを導ける聡明さでもある。
シャリオへの偽装は気づけても、亡霊自身が大いなる魔女の偽装だったことは気づけないバランスも含めて、アッコの幼さ、愚かさ、それと背中合わせの聡明さというのは、大事にされている印象です。

何も知らないからこそ、いちばん大事なものに気づける。
恐れで足を止めてしまう人々の中で、自分の心の中の『魔法』を灯火に、嵐に飛び込んでいける。
数多の神話や童話、文学の中で切り取られてきた『愚者のパラドックス』というべきテーマを、アッコは明瞭に背負っているように思います。
怯えたり不安に思ったり、様々な『震え』を丁寧に切り取り、ただバカなだけじゃない描写を重ねていることも含めて、そこにこそ作品の鍵があり、主人公の存在意義があるのだというメッセージを、今回は強く感じました。
そういう骨太な類型を採用し、しっかり表現しようとする意欲が強くあるのは、とても良いことだと思います。

 

そんなアッコの真っ直ぐな清らかさだけではなく、幼いが故の愚かさもちゃんと描くのが、このアニメです。
アッコはアーシュラ先生=シャリオだという事実に気づかないまま、無邪気にシャリオの過去や気持ちに分け入っていく。
その無遠慮さに傷つけられつつ、アーシュラ先生もまた、どうにか事実を隠したまま、アッコのひたむきさに向き合おうとします。

『夢はかないますか?』という問いかけを、夢破れた大人に問いかける残忍さ。
アーシュラ先生はそれに怒ることなく、夢を捨ててしまった自分をあざ笑うでもなく、沈黙の中で必死に考え、自分にできる言葉を探します。
アッコの望みのまま『叶いますよ』という言葉を口にすれば、輝きを捨ててしまった今の自分の姿がそれを裏切る。
『叶いません』と答えてしまえば、アッコの尊い純朴さを踏みにじってしまうことになる。
なかなか難しいジレンマから生み出された『夢見たものが手に入るんじゃない、一歩ずつ積み重ねたものが手に入るんだ』という言葉が、クラウ・ソナスの封印を解く魔法の言葉になるのは、アーシュラ先生の真面目さと優しさに報いた、いい展開だと思いました。

アッコはシャリオに強く憧れ、彼女から言葉を貰うために、規約を破り、地下への冒険にも踏み出します。
しかし亡霊と対峙した時、正しい答えへと彼女を導いてくれたのは、憧れではなく現実の世界で一緒に触れ合う、アーシュラ先生の言葉でした。
『過去』の幻影への想いが少女を道につかせ、そこで出会った障害を正しく乗り越えさせるのは『現在』の関係性。
『未来』に向かって走り続ける少女の物語として、大事にするべきものを見逃していない構成だと思います。

アッコは子供であるが故に、凄く危うい憧れに背中を押されるまま、思い切り走ることが出来ます。
それが必ずしもうまくいくわけではない事は、彼女の憧れである"シャイニー"シャリオが輝きを失って、アーシュラ先生になってしまったことからも見て取れる。
しかしその輝きは疑いようもなく大切なものであり、それを背負ってお話を引っ張るアッコもまた、とても大切な存在です。
彼女が震えながら憧れを燃やし、物語の真ん中を突っ走ることでアーシュラ先生も、魔法界自身も、失った輝きを取り戻すかもしれない。
実際にアーシュラ先生は、アッコに傷つけられつつ『いい先生』であり続けることで、輝いていた『過去』ではなく、生徒を教え導く『現在』にも、少しずつ輝きを与えているように思えます。
青い月の光の中で、師弟が穏やかに語り合う私室のシーンは、主人公が世界に取り戻す光と、それを反射して美徳を再獲得していく世界、両方が切り取られていました。


そういう影響力に特権を与えるのが、今回開示された設定群でしょう。
まだ世界が魔力に満ちていた黄金期に、ナイン・オールド・ウィッチによって設立されたルーナノヴァは、魔法界の衰退を反映して借金まみれになり、『現実』世界の厄介者になってしまっています。
封印された究極魔法を復活させれば、黄金時代は再び蘇り、魔法はかつての栄光と美徳を取り戻すかもしれない。
そのための鍵となるのが、アッコが継承したシャイニーロッド(『クラウ・ソナス』)であり、そこに宿る『七つの言の葉』なのです。

(『ナイン・オールド・ウィッチ』がディズニー初期の天才アニメーター『ナイン・オールドメン』から引用されているとすると、魔女黄金期は古き良きカトゥーン全盛期と重なっているのかもしれません。
とすれば、カトゥーンの文法を現在の深夜アニメでリバイバルし続け、かつての『魔法』を自分たちなりに蘇らせようとしているこのアニメやTRIGGERと、お話全体の構造が重なってくる気もします。
まぁ物語は現実の写し絵であると同時に、そこに息づくキャラクターの生き様そのものなので、あまり過剰なメタ読みに振り回されるより、飛び出してくる物語そのものを素直に咀嚼していくのが良いかな、とも思いますが)

死の国めいた地下洞窟を深く下り、超自然的な地母神と洞穴で出会い、厳しい問いかけに正しい答えを返すことで、偉大な一歩を踏み出す。
今回のアッコは愚者であるがゆえに真実にたどり着ける、ちょっと神話的なキャラクターとして描かれていたと思います。
『輝く杖/剣』に選ばれた、自覚のない英雄候補生アッコの真っ直ぐな思いが、『現実』の厳しさを乗り越え、あるいは変質させながら輝くものを取り戻していく物語。
それは『魔法復興』という現実的な現象であると同時に、例えばアーシュラ先生が『過去』との折り合いをつけるとか、アッコ自身が夢を叶える道を一歩ずつ進むとか、精神的な現象でもあります。
今回明らかにされた具体的な設定は、前者をより分かりやすく示すと同時に、後者のテーマ性を支える支柱にもなるわけで、こうして印象的に示せたのはお話全体にとって良いことだと思います。


かつて自分が諦めた自分自身が、教え子の中にまだ活きていて、それどころか今を頑張る最大の活力になっている。
アーシュラ先生としては、とても複雑な状況だと思います。(「そう言えば、今夜はブルームーンね」という台詞と、憂鬱(Blue)そうな表情を同時に切り取る演出、僕はとても好きです)
がしかし、第6話で『教師』としての本分に目覚め、アッコを教え導こうと決意した先生は、アッコのあこがれを壊さないよう、『いつか本当のことを』と願いつつ、嘘を積み重ねる。
『奥に真実が隠されている嘘』は、亡霊を装いアッコの本質を試したウッドワード先生も使っているわけで、師弟はよく似る、ということなのでしょう。

『冴えない教師』という『現在』は、受け入れなければいけない現実であると同時に、シャリオという『過去』から切り離され手に入れた未来でもあります。
ブルームーンアビスで亡霊がアッコに問うた『過去を犠牲にして未来を手に入れる』か、『未来を諦めて過去と現在を守るか』という二択に、アーシュラ先生は成功できなかったわけです。
アッコが『情けない過去でも自分自身。一つも切り捨てず、一足飛びのズルも選ばず、自分の力で未来をもぎ取ってみせる!』と宣言した時、彼女はシャリオに憧れるだけの女の子から、自分の物語を生きる主人公へと、また一歩道を進めたのでしょう。
そんな力強い歩みに影響されて、アーシュラ先生もまた自分の物語を取り戻していくのだと考えると、やっぱこの二人の関係はいいなぁと、しみじみ感じ入ってしまいます。

アーシュラ先生がウッドワード先生から受け取り、アッコに引き継いだ『見たものが手に入るんじゃない、一歩ずつ積み重ねたものが手に入るんだ』という言の葉は、亡霊の試練を乗り越えさせ、魔女界全体がリバイバルを果たす切っ掛けになりそうです。
しかしアッコに自分がシャリオであり、夢破れて教師となった『現実』を告げられれないアーシュラ先生は、自分が口にした『一歩ずつ積み重ねたもの』としての現在を、受け入れきれているとは思えない。
生徒が教師から学んで先に進むのと同じように、教師もまた生徒から学び、大人と子供がお互いの輝きを反射し会う関係は、これまでも描かれてきました。
アーシュラ先生が『積み重ねたもの』の果てとしての『現在』を肯定し、アッコに真実を伝えられる日は、今回見せたアクションとはまた別の意味で、言の葉に魔法が宿る瞬間なのだろうなと期待しています。


今回のお話はウッドワード-アーシュラ-の師弟関係を軸に進みますが、ブルームーンの魔法を使って過去の真実に触れたのは、彼女たちだけではありません。
ダイアナも特別な鍵を託され、塔を登って古代の叡智が宿る魔導書を垣間見ていました。
アッコが許可を受けず地下に降りていくのに対し、ダイアナは正当なルートで高みに登っていく辺り、やっぱりこの二人は対照的な描かれたかをしていると感じました。
『魔法復活』という大きなテーマへのたどり着き方も、個人的な(だからこそ切実な)欲求に従って突き進み、結果的に道を切り開いてしまうアッコと、善き意思に従ってみんなのために正しい行動を取るダイアナとは対照的です。
ダイアナが『正しい』からといって、特別な存在に見染められ、選ばれた証のクラウ・ソナスを与えられるわけではないところが、なんとも不可思議で運命的なところです。

死の領域であり、亡霊すまう地下に降りていく歩み(オルペウスやギルガメシュの冥府下りを想起させます)と、様々な叡智が陳列された天に向かって登っていく歩み。
ルートは違えど、二人が旅路を経て知恵に至り、己の望みを叶えるために今後どうしたら良いのか、大きな枠組みを学ぶことには代わりがありません。
優等生故に波風が少ないダイアナは話が順当に進むので主役にはなれず、山あり谷ありの大冒険で道を切り開かざるをえないアッコは、そのドタバタ故に主役に座る。
ココらへんも面白い対比ですね……そろそろ、ダイアナ軸のドッタンバッタンもみたいけど、彼女が非常に優秀な調整役をやってくれるおかげで、話が迷わずにすんでる部分もあるしなぁ。
ここらへんは今後に期待、といったところでしょうか。


というわけで、青い月の魔法に導かれ、お話の大きな枠組み、そこで主人公が果たすべき役目について、見取り図が見えてくるお話でした。
その説明で足を止めず、アッコが特別である理由を神話的表現を借りて描き、彼女のあこがれの強さをお話のエンジンに据えて話をすすめる。
そのぬくもりに照らされて、アーシュラ先生の複雑な陰影もくっきり見えてくるという、視野の広い物語でした。

今回示された『七つの言の葉』と、それが開放する大いなる魔法に、アッコはどう関係していくのか。
その物語の中で、ダイアナやアーシュラ先生はどういう役割をはたすのか。
世界がグッと広がって、今後の展開に期待と想像が膨らむような、良いエピソードだったと思います。
来週も楽しみですね。