ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
サガロックフェスの大舞台を前に、から回る愛、閉じこもる純子。バリケードで閉ざした心を、巽Pの一撃がかち割り、フランシュシュは運命のステージへと上がる。己の未来を、命を奪った雷鳴を、愛は力に変えられるのか。
アイドル予報は曇りのち雷雨、時々伝説。
そんな感じの超☆勝負回、キッチリ勝ちきった第7話である。最高。最の高である一言で言えば!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
アイドルである意味、ゾンビである意味、サガである意味、この作品である意味をすべて突っ込み、心と心が通うドラマ、人が立ち上がる瞬間の情熱、ステージが伝説へと変わる瞬間を、鮮明に焼き付けた。
要所要所で笑いも交えつつ、作品の根っこにある真面目さを全面に出し、ど真ん中勝負の真摯さで、感動を創りに行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
驚異的な圧縮率で様々な物語をこなしつつ、"アイドル"に本気で向き合った骨の太さが、全てをまとめ上げる。
友情も、情熱も、克己も変化も、全てがそこにはある。
みっしりとした視聴体験で殴りつけられ、まさに大興奮の渦中であるが、兎にも角にも良かった。全てが良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
メインとなる純愛コンビは勿論、フランシュシュのメンバー、巽Pが何を大事に思い、どういう個性をもっているかが、しっかり感じられた。これがあってこその物語であろう。
冒頭二分の圧縮率がとにかく凄くて、前回驚愕のヒキからの変化、各キャラクターのステージと仲間への対応、残されたリソースと課題が、凄まじい手際で紹介されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
元子役のリリィはチャンスの大事さを知りつつも、あくまで七人、ゾンビ仲間として生き延びていく意味を大事にする。
さくらは優しさ故にどやんすどやんすと悩み、リーダー・サキはみんなをまとめ、ゆうぎり姐さんは一歩引いて、全体を見渡す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
想いが空回りする愛ちゃんはその場にはおらず、純子ちゃんはキノコを生やす。巽Pはじっと、後ろで見守る。
それぞれの対応に、それぞれのキャラクターがしっかり見える。
巽Pが課題だけ与えて答えを与えないのは、今に始まったことではない。物語開始時から描かれている、彼のスタイル…個性だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
今回純子がバリゲードから出てこず、リミット直前にそこに踏み込んだ…スタイルを崩したのは、ロックフェスという大舞台を成功させたかったからだろうか?
個人的にはそうではないと思うし、そうであってほしくはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
幸太郎は常に、ゾンビの尊厳、アイデンティティを考え続けてきた。
メイクで顔を整え、アイドルという立場を与え、七人の社会性を閉ざされた屋敷の中で、そこを飛び出したステージの先に確保し続けてきた。
ゾンビではないけどもゾンビを蘇らせたものとして、ゾンビがゾンビとして生きるということに、とても真剣だった。当事者であるゾンビよりも、時にシリアスに。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
巽は『お前らゾンビなんじゃい!』と言い続ける。他人を壊し、社会に受け入れられれない怪物なのだと。
それは事実で、メイクがない状態の少女たちは銃で打たれ、人間の心を壊す。それを覆い隠すメイクも、アイドルという立場も、幸太郎が用意したものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
どれだけ歪んでしまっても、けして消えてはくれないアイデンティティ。ゾンビであり続ける私らしさを、どう乗りこなしていくか。
トンチキギャグで飾っても、時に不まじめな対応をしても、巽幸太郎というキャラクターの根っこにあるのはそこである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
ある種教師のように、何も知らないゾンビたちの在り方を先んじて考え、押し付け、自分の問題として考えてもらうよう誘導していく立場。守り、導き、独り立ちさせる職能。
そういう根源を考えた時、幸太郎はゾンビたちが、あくまで自力で立ち上がってほしいのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
ゾンビであり、ゾンビでしかない自分のアイデンティティを、真実自分のものとして受け止め、ゾンビのまま前に進んでほしいのだと思う。
それは誰かに強制されるものではなく、自分でやるしかないことだ。
メイクを整え、曲を作り、仕事をとってくる。仲間を与え、振る舞いを教え、問いを背負わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
そういう補助は出来ても、最後の一歩は自分で進まなければ、アイデンティティは自分のものにならない。そう思えばこそ、巽Pは丸投げしてきたのだと思う。
しかし今回、巽は前に出る。純子のバリゲード(リアル全共闘スタイルは古いよ純子ちゃん!)を蹴破り、内側に踏み込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
ゾンビが自力で立ち上がり、自分らしさを取り戻す歩みを信じて待っていたが、遂にリミットが迫り、スタイルを崩す時が来た。疑問ではなく答えを与えるときが。
そういうふうにキャラクターが『らしさ』を崩す瞬間が、僕はとても好きだ。そうさせるだけの圧力が、眼の前の状況にあるんだな、とつくづく感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
同時に、そこでも『らしさ』が残っていると、とても良い。幸太郎はあくまでヒントに留め、立ち上がるのはゾンビの自力に任せる。信じる。
そのために必要な新しい衣装を与えて、ウジウジの象徴であるキノコをもぎ取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
『純子が腐ってる』『それが終わった』という状況を、"絵"一本で見せきれてしまう象徴の強さがマジすげぇと思うけども、アレは巽の導きであろう。ギャグ風味なのも『らしさ』だ。
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30年のアイドル史。ソーシャルメディアの発達と聖域の解体。否応なく流れた時代と、それに取り残されるもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
無茶苦茶ディープでいいこと言いまくって、問題の核心にズバンと迫るシリアスさをぶん回した後に『ドアはお前が直しておけ』で崩す。『トンチキ大声P』としての巽の『らしさ』を戻す。
ここら辺の塩梅も本当に素晴らしかったし、ステージ上の超かっこいい立ち回り(が、第1話の『ミュージックキャモ~ン!』をリフレインするところとかも最高)で裏打ちするところも最高だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
最高の幸太郎回だったなぁ…それが最高の純愛回、フランシュシュ回と両立するところが凄い。
昭和のアイドル性にこだわり、昭和めいたバリゲードの奥に引っ込むしかなかった純子に、幸太郎は的確なアドバイスを与える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
時代は変わった。アイドルは"雲の上の人"から"今会いに行く存在"へと変貌した。しかしそれは、"アイドル"に多様性が生まれた、ということでもある。
塩対応も愛嬌の内、なんでもかんでもキャラで売れ。『アイドルはウンコしない』で凝り固まってた時代から、なんでもありの混沌へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
時代は変化した。それは純子が見ているように、マイナスでもありプラスでもある。
アイドル衣装と毒キノコ、鏡に映る二人の純子。
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その変化は、純子自身の自己認識、"アイドル"の理想像への変化であり、巽のアドバイスが与えてくれた変化だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
扉を蹴破り、扉を直すことで、人間は的確に世界との境界線を引く。それがあって初めて、適切な自己像を鏡に写し、確認することが出来る。
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一方的なスローガンを並べ立て、交流を拒絶するバリに比べ、扉は開けて閉めることが出来る。必要な交流を必要なだけ果たし、自分を守ることにも使える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
巽が扉とバリをぶっ壊した行為、純子ちゃんが扉を直す行為には、ネクロマンサーとゾンビの優しさと尊厳が、しっかり込もっていた。
きのこが生えるくらいに静止していた純子ちゃんに対し、愛ちゃんは体がもげるほど動きまくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
それは第3話でも描かれていた、経験者ゆえの焦りだ。あのときはステージから遠ざける原因になっていたが、今回は焦りが少女を過剰に動かす。自分が引っ張らないと、真ん中でやらないと、全部ダメになる。
それはアイアンフリル不動のセンターとして、ユニットを背負っていた自負…ゾンビになっても消えない"水野愛らしさ"だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
でもそれが自縄自縛の鎖となり、仲間との間に溝を、自分の体にダメージを、ステージでは頑なさを産んでしまう。
『それが自分だ』と思い込んでいたものが、自分らしさを縛り付ける。純子ちゃんが"昭和のアイドル"に抱いていたものは、正反対の照射で愛ちゃんの中にもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
それをぶち壊すのは、幸太郎の踏み込みであったり、再来する雷鳴、仲間の助けだったりする。
純子ちゃんが鏡を見て、"アイドル"であり"ゾンビ"でしかない自分を見つめ直したように。愛ちゃんも10年後のアイアンフリルを見て、自分を思う。さくらも、アイアンフリルに憧れた10年前の自分を、密かに思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
アイデンティティは自分の中にしかなく、同時に常に照射照応されている。
それを照り返してくれる鏡として、自分を教え支えてくれる柱として、仲間はとても大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
ゾンビに仲間はいない。身体も記憶も異質で、全てが切り離されてしまっている今、不安定な自分の形を教えてくれるのは同じゾンビ…と、そんなゾンビに真摯で向き合う、世界唯一の人間だけだ。
出発直前に純子がハイジャンプ(境界線を飛び越える)して、フランシュシュとしてのアイデンティティに目覚める流れが最高に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
さくらの過去と重ねた轢殺ギャグで一回空気を抜くのも、何事もなかったように巽のコールに"男の戰い"のシンジくんばりの熱いレスポンス返すのも、マジ最高だった。
そうやって誰かに働きかけられて、ゾンビは自分を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
記憶も過去も時代も、全て亡くなってしまったんだから、迷うのは当然だ。でも生きているなら、その喪失を取り戻すことは出来る。
それには腐らない自分の魂と、そこに呼びかけてくれる他者の声、両方が必要なのだ。
幸太郎の踏み込みが純子を動かし、純子がステージに立ったことで愛ちゃんが支えられ、立ち直る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
自分の命を奪った雷鳴も、ゾンビである今は力に変わる。失うこと、変わることは悪いことばかりじゃないと、"フランケンシュタインの怪物"を本歌取り(フランシュシュだけに)して教える展開も素晴らしい
アイドル・ガルバニズムによって力を与えられたフランシュシュが、ボコーダーボイスとレーザービームでもって"目覚めRETURNER"をリメイクする流れが、ほんと完璧で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
過去にあったものが、違った形と力を取り戻し蘇る。ゾンビの生を大肯定するこの作品らしいステージだった。
雷で死なない(過去を克服する)だけでなく、ゾンビの不思議な力でテクノボイスになるのが、未来への刷新として凄く良くて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
Perfumeの"ポリリズム"、初音ミクの発売が2007年。10年前に死んださくらと愛ちゃんが、まだ体得していない未来の音楽は、今では一つの表現として定着している。
"アイドル"が生歌でその超越性を見せつけなければ"アイドル"でなかった時代と、"雲の上の人"が地上に降りてきて未熟さ含めて共有する時代と、機械化しゾンビ化してもなお"アイドル"で、むしろその異質さが良いと受け止められる時代。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
フランシュシュは雷と一緒に時を超え、様々な"アイドル"になる。
リアルタイムでレーザービームを出して、観客に魔法をかける演出も、10年前には一般的ではなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
雷がくれた奇跡は、様々な年代ギャップを抱え込んだフランシュシュをアップデートし、最新鋭の伝説として生まれ変わらせる。
それは呪われたゾンビではなく、可能性に満ちたアイドルの誕生だ。
巽の『キャラで売れ!』発言も含めて、アイドルの歴史性をしっかり見据えた回だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
純子の30年前、愛の10年前、フランシュシュの0年と、様々なギャップがある。時代は変わり、埋葬されたまま取り残されたものもある。しかしそれは、ちゃんと生き返ることが出来るものなのだ。
古臭いと切り捨てられ、その魅力を踏みつけにされたゾンビ的・佐賀的なものが、雷とともに再生しうる。適切な自己認識と売り込みさえあれば、傷に思えていたものが魅力に変わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
そういうポジティブな意識を、ゾンビアイドル再生物語にきっちり載せて語り切るパワーは、本当に素晴らしい。最高。最高
サキちゃんリーダーの「アタシはアンタの話をしてるんだ」の凄みと優しさも最高だったし、古参デスおじ号泣の報われ方も良かったし、みんな可愛かったし、兎にも角にも素晴らしかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
純子ちゃんのこの頼もしさ、愛ちゃんのこの笑顔。タメたからこそだよなぁ…。
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アイアンフリルのミックス描写も、生っぽいキモオタ力で笑いを作るだけじゃなくて、フランシュシュステージに"それ"がないことで、彼女らの現在位置を的確に見せてたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
とにかく大手飛車取りの描写が冴えまくっていて、充実感のあるエピソードでした。
色んなキャラが出たり入ったり忙しいのに、真似っ子たえちゃんがサキちゃんの後追いする愛らしさ、だんだん理性が戻ってきてる感じを挟み込んだり、すげー欲張り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
でもそういう眼の良さが、キャラクター『らしさ』をクリアに見せ、それがブレず芯にある様子、ブレて変化するダイナミズムにも繋がる。
第5話ではゾンビ顔でギャグシーンだった円陣も、ハレのアイドル衣装を身にまとい、超絶アガるシーンとして再生した。今のお前らホンマ綺麗や…綺麗や…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
ネタ見せておいてこういう逆撃入れてくんの、ホント卑怯だよな…泣いちゃうじゃん。
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そんなこんなで、いろんなモノを貪欲に乗せて、驚異的な真摯さと眼の良さで走りきり、強烈なエモのエンジンでぶっちぎる『らしさ』が、最大限発揮されたエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
笑えて、ハラハラして、感動して。色んな感情が24分にギュッと詰まった、本当にいいアニメだと思います。
伝説の途中で命を絶たれた少女は、雷鳴を産声に新たな伝説を生み出し、仲間とともに世界に飛び出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
愛ちゃんも純子ちゃんも自分を取り戻し(あるいは新たな自分と出会って肯定し)、それを足場に仲間と、"アイドル"とより強く手を繋げたのが、本当に良かったと思います。
女の子の描写がホントイキイキしてるんで、ゾンビだろうが彼女たちが報われてほしいって素直に思うし、それを阻む壁の分厚さ、乗り越えたときのカタルシスもマジで胸に迫ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
感情を揺さぶる手腕が巧妙かつ素直で、すげぇアニメだと思います。もうちょい、ワザとらしくなりそうなモンだがな…。
ここら辺のスムーズさは笑いが強くて綺麗なのが、やっぱ大きいと思います。コメディが上手いんで、根っこの真面目さが上手くコーティングされて飲みやすくなり、うわっついた感じが少ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
今回の真面目な運びの中でも、キレの良いネタで畳み掛けるサービス精神、マジありがたいし正解。
最高の特殊EDで伝説を刻み込んだフランシュシュ。どう考えても最高の最終回なテンションだけど、これはまだまだ道の途中。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
これから続く物語を、今回の伝説的サクセスの後にどう描いてくるか。変化した関係性は何を生み出すか。目立ったからこその難儀は。
来週も楽しみですね。
ゾンビランドサガ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
第2話のボイパ、第5話のCM撮影、今回のステージ続行。
巽は常に、ゾンビの足を止める世界に『止まるな!』と異議申し立てして、ゾンビのフルポテンシャルを発揮させる行動を取る。
それが彼の『らしさ』だし、アイドルを裏から支えるプロデューサーの立ち位置でもある。
『ステージに立ったら、もう俺は何もできん』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
一見放任主義に見えるスタイルも、孤独な芸の嵐の中で膝を屈しない、アイドルの底力を信じてのことだと思う。裏方が表に立っちゃったら、芸が芸として成り立たない理屈をちゃんと見ているからだと思う。
それはとても正しく、優しい立ち回りだ。
ホント幸太郎に入れ込みすぎてる自覚があるけども、彼がゾンビ少女に差捧げるリスペクトの在り方、"アイドル"という存在に向けてる敬意は圧倒的で、この作品の白眉だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
今後物語が進む中で、その源泉が描かれるのか、否か。そこら辺も今後の楽しみである。
追記 ここのさくらちゃんの後ろ姿興奮するとは - ニコニコ大百科
ゾンビランドサガ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
OPでもむっちゃパワフルな純子ちゃんの"声"が、ブルっちまった愛ちゃんを立ち直らせるときの圧倒的説得力になってんの、マジ"芸事"のアニメって感じがする。
河瀬茉希さんがあんだけイケボなのは偶然の巡りなんだけども、それを運命としてドラマに組み込むの、マジ神。
ホンマあそこで『どうにかしてくれ~』って、愛ちゃんと一緒にパニックになっとった視聴者(つうか俺)、純子ちゃんの声一発で天国まで引っ張り上げられたけん。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月15日
そういう無条件の圧力を持ってるのが"芸"で、それを扱うアニメが、無言でそういう表現ができてる。神。神よりも神。ゾンビやけん。
追記 超ブラック環境で使役される労働者としてのゾンビィ=アイドルと、高度資本社会の象徴としてのロメロ的ゾンビー、その起源にある知恵と自我を持ちつつ排斥される怪物。時代によってその現れが異なっていたのは、アイドルだけの特権ではない。このアニメはそういう、怪物の特異な怪物性もまた、一つにまとめていく思弁的ホラー…なのかもしれない。
ゾンビランドサガ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
"フランシュシュ"という名前、雷を力に変える描写から考えて、その源流がメアリ・シェリーの"フランケンシュタイン"にあるのは間違いない。
フランケンシュタイン博士は自分が作り出した怪物に恐れおののき、かなり高度な知性がある怪物をあくまで化物として遇する。
怪物は博士に捨てられた後、自力で聖書やミルトンを学び、世界の美しさを学んでいく。しかしその醜さによって世間にも受け入れられず、せめて配偶者を求めて博士と対峙するが、これを博士は断る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
全てに見捨てられた怪物は博士の家族を殺し、全てを奪って北極まで追い詰め、自分も氷の中に沈んでいく
内側に知性と感性を隠しているのに、死体をつなぎ合わせた異形は人を恐慌させ、攻撃的反応を引き起こす。造物主も、偶然触れ合った人達も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
ゾンビィ的存在はそのゴシックな始原からして、無理解によって攻撃される存在だったと言える。マジでフランケンシュタインがひでーんだ原作。
フランケンシュタインの花嫁、ならぬ娘。たるフランシュシュも、世間の目に触れると攻撃され、人を恐怖させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
その性質自体は変わりがないが、巽が用意してくれたメイク、ステージ、館というシェルター、フランシュシュの仲間の中では、人間として扱われ、自分を人間だと思うこともできる。
怪物自体は自分を人間だと思い、人間だと扱ってほしかったのに、世界はそうならなかった。悪意は反射し殺戮を生み、物語は悲劇に終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
しかし(おそらく)フランシュシュの造物主たる巽幸太郎は、『お前たちはゾンビィだがロボットではない』という。自分の欲望の延長線から女ゾンビを外す。
望ましいイメージが投影できても、出来なくても。醜かろうと愚かであろうと、巽はフランシュシュを人間として扱い、そのための手段を多数用意する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
強要はせず、自分が用意したアイドルという道から外れることも含めて、ゾンビの自由意志を尊重する。
純子ちゃんがサガロックに間に合わなくても。
巽にとってそれは許容できる結末であり、手ひどく罵倒する理由にはならなかったはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
自分が蘇らせた命が、自分なりに求めるまま、自分として生きること。
巽が望むのはそれであって、そのためのベストな手段として『佐賀のアイドル』を進め、共有する。それがお前たちのアイデンティティだと。
そういうシャイな共感が、巽を凡百のマッドサイエンティスト、無責任なネクロマンサーの立場から遠ざけている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
死体は言葉も自由意志も持たない、最も弱い存在だ。自由に生み出し、捨て去り、踏みつけに出来る。
だが巽幸太郎は新世代のフランケンシュタインとして、死体の声を聞き、それを愛する。
そういう造物主(クリエイター)-被造物(クリーチャー)関係の再話は、それこそ無数のフランケンシュタイン・リブートの中にたっぷりあるわけども、何度語っても良いものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
怪物と博士が幸福に暮らすフランケンシュタイン・バリアントとしての、"ゾンビランドサガ"。
そういう味方も、結構良いかなと思う。俺文学オタクだし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
しかし巽博士との幸福な父子関係だけでは、少女たちのアイデンティティは充足していかない。館に閉じないためのステージを巽は最初から用意していて、『アイドルはファンの笑顔を生み、笑顔で答える存在』なのだ。
防水プルーフで世間の荒波に少しは耐性がついたフランシュシュだが、目立てば波風も強くなろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
怪物的な正体を知ってもなお、世間はフランシュシュのアイデンティティを許容してくれるのか。そういう懐の深さが、佐賀にはあるのか。
分水嶺を迎えた物語が、今後どう転がっていくかはとても楽しみだ。
そういう意味で、世間の"眼"としてメディアに注目させて、それが(メイクをした、非ゾンビである)フランシュシュを世間に受け入れさせる窓口になる構造は、とても良く出来ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月16日
サガジン(に繋がる世間)がフランシュシュをどう扱っていくかも、要注目だろう。デスおじだけは味方でいてくれ…。