イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

NEEDY GIRL OVERDOSE:第5話『Whatever』感想

 ド派手なネオンに煤けてる現実の裏に、登場人物の過去と本音を暴いていく構造で安定してきて、見てるコッチもニディガアニメに慣れてきた感じがある第5話。
 個人的に好感を持ってるパープル・ロリポップが主役担当で、途中に差し込まれる実写での開花演出も結構好きで、過去一飲み込みやすいエピソードに感じた。
 同時に落ち着いちゃうと、ツンツン尖らせたエッジぶった味わいが鈍く地金を晒すことになり、つくづく難しいルートでアニメ作ってるなぁ……と思う。

 

 

 

 

 

 

 

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 今更アストロシティ立ち並ぶ深夜のゲーセンが、居場所のない(少年たちの幻想を投射される実態なきディーヴァとしての)少女の逃避場所になってるノスタルジーを、女児アニ(つうかプリパラとアイカツ)の綺羅びやかさと優しさを暗転させつつ引き継ぐ一つの童話に織り交ぜて、猛毒電波少女の現在地をスケッチする今回。
 アイカツ筐体復活のニュースと重なったのはなんとも奇妙なシンクロニシティだが、配信業・Vtuber産業においてそうであるように、この作品が捉えている生っぽさには妙なディレイとブレを感じもする。

 「超てんちゃん←パープル・ロリポップ←名も無き少女」という憧れのLINEが、ギラついた虚業の中一瞬だけ純粋に輝く透明度は、かつてその眩さに多くの人を焼いたアイドル神話の匂いが確かにあって……しかし当然、新陳代謝の激しい業界の中で最前線は常に動き続け、新たな挑戦が最適解にならず無念にへし折れ、墓場から思い出が新たな装いで蘇って”最新”を担ったりもする。
 そういうスピード感ある実態を置き去りに、思い出の中だけで永遠に眩しい夢で己を安心させるためのレトロ・ノスタルジーの消費は、それが搾り取り生み出す経済に支えられて、もう一つの実態になっていく。
 そういう新しさと古さの交錯点は、流れ行く生き物であるからこそ捕まえるのが奇跡的に難しく、最速で走り続けるからこそ現状が維持できる、赤の女王理論がシビアに適応される領域だ。

 

 そういう場所に、果たしてこのアニメは追いつけているのか……そもそも追いつくつもりがあるのか?
 なにが狙いでなにが”つもり”か、いまいち判然としないボンヤリ感をずーっと感じたまま見守ってきた物語は、冴えない自分を超てんちゃんへの憧れで変身させ、その背中に追いつかんと、仲間にコンプレックス感じつつ必死に足掻く、結構共感できてしまうド根性配信者を真ん中において、まぁまぁ落ち着いてしまう。

 パープルロリポップは自分がしてもらって嬉しかったことを、ちゃんと自分に憧れるかつての自分に手渡せる健全な感性を持っていて、かちぇや女の子の変身願望を(かつて自分がそうされたように)肯定し、ファンの祈りに応えれるパープル・ロリポップを演じようと足掻く。
 そこにはかつてあめちゃんの配信に憧れ救われ、親の敷いたレールから夜の街に逸脱することで演じるべき自分を見つけた、ズレてるけど悪くない彼女の今がある。
 これが確かに自分らしさの芽吹きだからこそ、今回開花する花たちのカットインが入れ込まれているんだと思うけど、そういう汗まみれゲロだらけのガッツストーリーがどんだけ、あめちゃんを頂点に(あるいは最底辺に)形成されている作品内ヒエラルキーにおいて機能するのか、結構疑問ではある。

 

 

 

 なにしろ露悪を装うことで現実的たらんと己を演出している作品なので、なんかいい感じに頑張れてるカラマーゾフの現状も、ヒエラルキーのちょうどいい中間地点を浮遊しながら自分らしく頑張れてるパープル・ロリポップも、猛烈な足払い食らって酷いことになりそうな予感が、ずきずき疼く。
 このまんま闇のアイカツ頑張って、自分を輝く場所に誘ってくれた二人へのコンプレックスすら力に変えて、アングラ文化というにはたいそう清潔に、大資本ブン回しお仕事のカタも決まってきた配信者/Vtuber業界をのし上がっていく方向には、まー進まないと思っている。
 その墜落は、そもそも宙ぶらりんに”れびてーしょん”している話なんだから予定調和の結末としても、今回パープル・ロリポップや彼女に憧れる女の子が瞬かせ、多分あめちゃんもかつてどっかに持っていた純粋さを、本当に泥に汚してしまうとオチが難しいなぁ、とは感じる。

 

 宙ぶらりんに浮遊するには天上と地獄がなきゃいけなくて、それがNO1インターネットエンジェルである超てんちゃんと、友達誰もいない生身のあめちゃんに硬くされ、ヴァーチャルとリアルの狭間でぐるぐる入れ替わって回転してる……てのが、この作品が見据える一つの構造だと思う。
 その天国地獄入り乱れたカオスで、少しでも正気のふりをするならザーメンの暗喩である「苦いコーヒー」もごくごく飲むことになるが、禰󠄀智禍が楽しく飲み干せるその毒杯を、パープル・ロリポップはガキっぽく吐き出す。
 そのスレなさが彼女の根本であるってのは良く解ったが、今回持ち上げ輝かせたそのピュアネスを踏みつけて「世の中こんなもんだよね」で落ちると、まー面白くないな……とは思う。

 そろそろクールも折り返し、なんだかんだ三人で頑張れてるカラマーゾフの姉妹たちだが、名前の元ネタからしても開花の後は手折られ萎れるばかりのように思えて、しかしそうして予定調和の墜落を果たした後なんかこの作品だけのヴィジョンがやってくるのか、相変わらず不鮮明にぼやけている。
 かつていちごちゃんやらぁらが走り、あかりちゃんやあまりがその後を追いかけ駆け抜けた、輝ける道。
 酒とセックスとブランド品に逃げ道を探すしかない、大人になってしまった元少女たちの生臭い現実のなか、そういう純粋さのアイコンをただ暗く反転させ踏みつけるだけだと、趣味も筋も悪いなとは思うが……どう使ってくるんかな?

 

 

 この世の果てのゲームセンターで、虚栄に飾られていない生身のあめちゃんとパープル・ロリポップが、今回邂逅した。
 毒電波少女は自分をギラついた現在地に導いた天使の素顔を知らず、あめちゃんは自分に追いすがるチームリーダーが誰であるのか、既に見抜いている。
 虚飾で己を飾る稼業だからこそ、”正体”を上にいるものだけが見抜いている不均衡はとても大事で、しかし高みでフラフラ強キャラぶってるあめちゃんはどうにも、ゲロまみれに熱血してるロリポップより不幸せに見える。
 ここでも、ヒエラルキーは転倒している。

 上と下とが入れ替わるカオスの中で、本当の幸せとか生きてる意味とか問いただすルートに入っていくにしても、やっぱズパッと本質をえぐるこのアニメだけの表現がいまいち弱く、もうワンパンチ欲しくはなる。
 特別ED最初の美術はかなり良かったので、こんくらいの圧力ある絵面をもうちょい重ねてくれると良いんだが……さてどうなるか。
 表現者としてのカラマーゾフや超てんちゃんを、シンプルかつダイレクトに描いて殴りつけるには、ゲロと精液で汚れた(汚れさせることで、現実味を乗せようとしている)地べたの匂いを醸し出すのに忙しくて、真っ直ぐやらない/やれない難しさを強く感じる。
 この輝きのまんまロリポップと彼女のカラマーゾフが、幸せで健全な自己実現にたどり着いちゃうのも、お話のムードを裏切る結末になりそうだし、そこに泥をぶっかけてリアリストぶられてもガッカリだし……なかなか難しい。
 「私たちが幸せだと思い込もうとしているものは、全然幸せなんかじゃない」という、通り一遍の転倒一回じゃぶっ飛ぶには全然足らず、そこを超えたもう一個にたどり着けるよう残りの話数を燃やしていかないと、物語としてシンプルに弱いなとは感じてしまうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 逆に言えば「難しい」と考えられる程度には、作品との適正距離を作って何かを期待するところまでは来れたので、それに関しては悪くないのかな、と思う。
 前回のThe Clashに比べて今回のOasisは、彼らが25年現実に成し遂げた自分自身のリバイバル含め、何者かになろうとあがき確かに何者かに開花しつつあるパープル・ロリポップの物語と、結構良い共鳴をしていたと思うし。
 70~80's UKへのウィンクが全然視聴者に響いてない感じが濃いこの作品だが、メジャーどころを外したつもりで結局メジャーなズレ感も含めて、俺は結構好きだ。

 次回は曲それ自体というより、美容整形のやりすぎで死に至るまで加速しきったボーカルの生き様自体が、極めて超てんちゃんの大先輩なDead Or Aliveの引用のようだ。
 「我、コレ知っとるで」というオタクくんのウィンクにとどまらず、文脈の奥にあるコアをエグッて作品に練り込む腕力をもっと見せて欲しい所……だけど、軽妙に表層の上で踊り切る軽やかな仕草こそが、もっともニディガ的なのかもしれないなとは思う。
 マジになりきらない/なりきらない浮遊感が、最終的に昇天するにしても墜落するにしても、このアニメだけが吠えれる何かが最終的に、極彩色のエッジラインを気取りつつどっかぼんやりし続けている、この場所に響くと良いなと思っている。