この道はいつか来た道…そしてここから続く道。
幾重にも時を折り重ねた綾錦が祝祭の前後を覆う、淡島百景第9話である。
第1話の視点担当人物だった若菜のその後が語られ、綺羅星の如きスタァをルームメイトに持ちながら、舞台を降り文筆の道に進んだ彼女の足取りが、淡島というタピストリーに刻印された。
栄光に眩しすぎることも哀しみにくすむこともない、一人間の逞しい進路を見届けながら語られる、先輩になった若菜と、後にスタァとなる後輩。
それを挟み込むように、彼女を公演ゲストとして縁遠く(しかし実は親身に)見つめる、若き沙羅たち。
彼女たちにも、短くて濃厚な過去と未来が現在地から続いている。
道。
いよいよグランドフィナーレが近づいてきたこのタイミングで、既に学舎を出て夢の舞台に立ち、そこを降りて自分なりの道を選んだ若菜が舞い戻ってくることで、一人間が刻む足跡…その受け皿であり揺籃でもある淡島の姿が、鮮明になってきた感がある。
若菜の背後には、遂に独居老人と名乗る年になり老いにぶっ倒された桂子がいて、彼女があの文化祭で何を語らったのか…その先にどんな日々を描いたのかは、未だ語られていない。
それを描く時、乙女から老女…あるいは死者となるまで大きな船に乗り、荒波に翻弄されながら必死に進む人間の物語が、一つの区切りを迎えるのだろう。
淡島(その延長線上にある広い世間)において称揚される美しさに呪われ、絵美を傷つけた…自分に致命傷を追わせられ、傷を氷で塞いだまま老人になっていく桂子。
彼女は加害者であり被害者であり、頼れる先生であり孤独な傷追い人であり、独立して人生を選んだ大人でありながら、永遠の思春期に囚われた子どもでもある。
合宿場を出ても長く長く、濃厚な二年間が人生に響く様子を幾度も描いてきたジュブナイル。
あるいは人間の明暗が幾重にも折り重なり、年代を飛び越えて綴られる複雑な物語を、最も象徴する人物が桂子だと思う。
…このポジションが華やかなスタァではなく、思春期引きずり教師オバサンなの本当に凄いな…。
キラキラした可能性に満ちた乙女たちの、見てて清々しくなる真っ直ぐな歩美を見守るのも楽しいものだが、自分の気持ちはやっぱり桂子にずーっと引っ張られていて、今回脇役だったことでむしろ、大トリを飾る主役としての出番がこの後あるのではないかと、結構ハラハラしてしまっている。
妙に本家タカラヅカのファン心理と重なる終盤戦になってて、思わず楽しい気持ちにもなっているが、今回綴られた江里と若菜と秋穂の物語が、そのための序章であったとは、もちろん思わない。
それはこれまで綴られた数多の人生が、”本筋”の添え物ではなかったのと同じだ。
淡島という船に集うクルーは、年も生き方も性格も背負う明暗も、本当に様々だ。
そのバラバラを一つの花束としてまとめ上げ、むしろ多種多様だからこそ面白いと思える一つの思考フレームとして、多分この物語は”淡島”を選んでいる。
時を飛び越え、様々な人生の波風に隣り合うその場所があってこそ、一つの舞台に数多の花たちが映り込む。
華やかに咲き、あるいは暗がりに萎れていく百花のありようは、しかし咲いてる時だけが美しいわけでも、枯れ散るから醜いわけでもない。
表舞台に降りればこそ見つけた道端に、背を伸ばし生きる草木もまた、花であり命であるとずっと綴っているこの話が、俺は好きだ。
今回のエピソードは文化祭の準備-公演と舞台-文化祭のその後という時系列で進み、江里-若菜と明穂-江里と絵莉に時間軸と主演を入れ替えて展開していく。
その構造はこの話数だけで完結するわけではなく、前回江里がモノローグした過去の傷や、第1話で後輩だった若菜の成長と変化や、9話分の蓄積を活かして綴られる綾織だ。
そうやって様々な場所に続いている、何かに挟み込まれながら独立した人生でもある構成自体が、このエピソードが象徴として選んだ”道”を鮮明に照らしているし、この物語が選んだ語り口を幾度目か、しっかり再話してもいる。
淡島で綴られる物語は、全てこのような連帯と独立を有するのだ。




沙羅がずっと育んできた暖かな繋がりは、涙の滲む真心の手紙…それを見守る”ふたりはともだち”のスノードームによって可視化され、花のない棘だらけの枝が深く突き刺さった、二人のエリの関係へと伸びていく。
温もりがあれば冷たさがつきまとうのが世の常で、それは仲良し三人組でも均質化されない、彼女たちの個人史を彩る。
そこがフラットに均されないからこそ、彼女たちの共鳴は健康的で幸せで…たとえば桂子たちがかつて綴り瓦解した、冷たい繋がりとは別の色を宿すのかもしれない。
あの灰色の過去から、色々あるけど基本暖かな未来へ、時は確かに前に進んでいる。
…ていう一言で綺麗にまとめるには、江里を取り巻く関係は複雑な温度と痛みを宿していて、とても生っぽい手触りがある。
この屈折した複雑さを、ひたすら暖かく純粋な…幼くすらある沙羅の手紙と対照して物語を始めていくのは、まーこのアニメらしい筆致だなと感じる。
この温もりと冷たさを抱えたまま、二人はとても仲良しに支え合って、楽しい日々を淡島で過ごしている。
お互いの胸の中に抱えた色が違ったとしても、それを表に出さず…あるいは複雑なままより善き色に演じ直して、上手く他者と繋がっていける靭やかさが、沙羅世代には確かにある。
これが多分、作中最新の”現代”として綴られるのは、結構大事だと思う。
淡島は永遠不変の大きな船に見えて、時代の波風を受けて適切にボロくなり、少女たちを取り巻く生活用品も変化していく。
時の流れは確かにあって、未熟で夢に踊る少女たちも大人になり、老いて萎れていく。
その上で、桂子が代表して背負う過去の重い苦しみから、世代が進む事少女たちはタフに前向きになって、自分たちを暗い場所に縛り付ける鎖を、一個一個外している感じを受ける。
桂子世代から若菜世代、そして沙羅世代。
彼女たちの親たるルリ子やよし子を縛り、その子どもたちを歪めていた影は、長い時を一足飛びに踏み越える年代記の話法によって、確かに弱まっているのだと語られていく。
人は変わっていけるのだ。




「本当にそう?」としっかり疑問を投げかけ、希望に満ちた答えをちゃんと試すのを忘れないのも、この物語の良いところだ。
憧れのスタァに見初めれる妄想に、ワーキャーかしましい(かわいい)三人の先には、数多未来が広がっている。
公演の晴れ舞台に立ったのはミーハーな三人が待ち望んだスタァではなく、真ん中の世代としてそれに挟み込まれ、舞台から降りた若菜だ。
彼女が背負う光、隣り合う緑は進んだ道が間違いでないことを堂々告げるが、確かに単一の路線だけが未来に続いているわけではない。
道は光の中、幾重にも分かれていく。
若菜にとって桂子はずーっと大事な恩師であり、その視線に支えられることで多分、桂子もまた後悔の影に傷つけられた弱い子どもではなく、教え子に誇れる己を演じられるのだと思う。
それが学校を出た後も続く道の先で、自分の言葉をまとめたプレゼントを手渡せる関係として続いているのを、見届けられたのは嬉しい。
華やかな表舞台に露出したものしか知らない沙羅たちが、ちょっとガッカリしたゲストが堂々背筋を伸ばす足元には、色んな決断や出会いや発見があって、道は流されるものであると同時に選び、己の足で進んでいくものでもある。
桂子に手渡した著書は、揺らぐことがない若菜の一里塚なのだ。
淡島女優の本道を堂々歩ききったとは言えない若菜が、それでも淡島に評価され文化祭の主賓としてステージに立つ時、緑と白を主体とした楚々とした花束が寄り添っている。
やっぱ、花のアニメだなぁと思う。
これが若菜との日々に毒気を抜かれ、見事スタァとしてデビューを果たした明穂の楽屋だと、暖色メインで華やかな感じだからね。
それぞれの人生にふさわしい色、ふさわしい花が確かにあって、でもそこに優劣はない。
花は花、人は人…桜梅桃李に貴賤はないのだ。
そしてどんな歩き方をしても、道を進む人全てに、相応しい色の花が手渡されるべきなのだ。




生まれたときから得ていた筈の花が、嘘と裏切りに満ちた冷たい造花でしかないと思い知らされた少女は、痛みとともに傷だらけで混乱した道の途中に、己が立っていることを思い知る。
明穂が見据えていたはずの”ROAD OF LIFE”…優しく高名な父母が引いたレールは、Wステージ不倫によって粉微塵に砕け、もう少女を導いてくれない。
それにしがみつかず、どうにか自分を形作らなければいけない場所に自分が立っていることを、凛とした表情、生来のオーラを崩さない(崩せない)少女はちゃんと認識している。
判っているからこそ迷い、冷たさと暗さにあえぐ。
憧れのスタァと咲くことは出来ない未来を、既に告げられている若菜が、あんま先輩っぽくない先輩として生身の明穂に向き合ったことで、彼女は自分が投げ出された分岐点…そこが傷だらけの床であることを、ようやく見つめられる。
廊下でワーキャー遠巻きに騒ぐ、かしましく無責任な声よりもっと、自然に踏み込んできた一歩に明穂は当惑するが、しかし若菜のその歩み寄りは、かつて華やかだったからこそ壊れた後は暗く冷たい、彼女の心象にしっかり寄り添う。
そういう力まない一歩を踏み出せる存在だからこそ、執筆者という第二の道も、若菜は真っ直ぐに進めているのかな、と思う。
ここで明穂が見つめた足元の傷…未来に繋がりうる数多の可能性は、堂々顔を上げてスタァの娘を演じていた彼女が、ようやく合宿場の私室で視線を下ろし見つめられた、一人間としての現在地である。
同時に時を超え、スタァとして己を立てた八乙女皐月にワーキャーいいつつ、何者かになりうるか不安な沙羅たちが見つめる、青春の共有地でもある。
皆がそこで思い悩み、あるものは致命的に間違えて囚われ、あるものは解き放たれて力強く進み出す、普遍的なジャンクション。
それが目の前にあるのだと気づけなければ、正しい一歩を踏み出すことは出来ないと…それでも「素晴らしい教官」の皮はかぶれるのだと、桂子の人生が告げてもいる。




虚栄だけがデケープールに反射する我が家を追い出され、カーテン越しに先輩の存在を感じる二人部屋の中で、明穂はようやく涙を流し、足下に広がる無限の可能性を、素足で感じ取る。
偽られ、裏切られ、自分がそうなるとかためていた未来像を育て親の手ずからぶち壊され、孤独な闇の中に佇みながら、明穂は栄光の先にある復讐を夢見る。
自分は傷ついていたのだと、告白できるいつかを待っている。
それが”いつか”なのは、硬い外形を守って何も漏らさないことでしか、道にまとっている明穂が自分の形を保てないからだと、僕は思う。
強がってる子どもの涙は、僕には何よりも寂しい。
この暗い迷妄を、後にスタァとして逆境をはねのけ輝く明穂に背負わせ、深く美しく描くのが、このアニメの筆先だと思う。
こういう陰りがあったから、のちのスタァの輝きが生まれる…つう、単純化された対比法で動いてるわけじゃないが、クソ親に翻弄されるだけの小舟で終わらないタフさと、先輩っぽくない先輩との触れ合いで得た温もりが、明穂には確かにあった。
だからここで折り曲がらず、数多の可能性から前へ進み直す道を選んで、明るい方向へと己を進めていく。
そういう逞しさと明晰さは、色んなエピソードの中で幾度も、これまで(そしてこれから)大事にされてきたなと感じる。




優美な仕草の中にたち現れる、もういない人の面影。
若菜にとっては絹江との縁を感じられる暖かなものが、明穂にとっては自分を傷つけた両親の影であり、先輩に告げてはいけない重たい本音も、先輩っぽくない先輩は、柔らかに受け止めてくれる。
そうして自分の本当を受け止めてもらえた体験が、道を違えてもなお繋がる縁を生み出し、女優とジャーナリスト、師と教え子の繋がりは、時を超えてなお確かにそこにある。
綺麗な綺麗な理想が、時の試しを乗り越えて現実でちゃんと息をしているのだと示せるのは、年代ジャンプ上等な物語形式の強みだなぁ…。
絹江から若菜へ、若菜から明穂へ…あるいは桂子から若菜へ。
淡島という船に共に乗り込み、出会ったからこそ手渡せる何かが、時を超えて彼女たちの間を行き交い繋げているのは、とても良い。
裏切りと欺瞞にまみれ、全ての優しさが狂気になってしまった今では、呪いにしか思えない両親譲りの華。
それもまた輝きに変えたからこそ、明穂はスタァとして未来で輝き、あの時強く揺らいだ自分を受け止めてくれた恩人と、楽屋で笑いあえる。
その人にふさわしい花を送り、送られる間柄が確かに、此処にはある。
それが時を超え人を越えて紡がれているのなら、もしかしたらそれは永遠なのだ、と。
言っても良いのかもしれない。




この絶えざる縁、暗闇と傷が祝福へと変わる様子をロングスパンで描いた後に、最新の現在を生きる江里の短く鮮烈な繋がりを、最後にもってくるのも好きだ。
棘だらけに枯れていた枝には、未だ形不確かな蕾が膨らみ、美しい舞台を闇の先に見つめた後で、雪桜とお姫様が美しく微笑む。
ずっと願っていて掴めなかった、江里の夢。
暗がりから見つめた明るい光が、自分の中で形を得て手紙になるまでの、短くて長い芽吹きの時と、それを越えた遠い遠い”いつか”の、再開の夢。
そこにも、もしかしたら永遠と言って良いものが強く瞬いている。
あのまとまりの良い前回ラストから、若菜と明穂の物語を間に挟んでこの決着にまとめていくの、本当に凄い構成だなと思うけども。
江里が三人娘の友情に支えられて、溌剌の奥にジクジク痛み続ける過去に向き合い、晴れ舞台にもう一度出会う決意をしたからこそ、彼女は望んでいた未来を掴み直せた。
もう一人のエリが、淡島でお姫様になる自分を祝福してくれる未来。
もう一度、会える未来。
それは…これは加害者オバサンにムッチャ魂灼かれてる俺個人の贔屓目なんだろうけど、絵美の葬式に足を運べなかった桂子が、ずっと切望している未来なのではないかと思う。
そういう共鳴を勝手に聞き取る豊かさが、この複雑な物語にはあると思う。
病床に伏す年になった桂子が、若菜に見舞われ孤独ではないと明かしてくれたのは、僕には嬉しい。
残り数話、淡島という乙女の足元にはまだ、後ろ向きの絶望にも光に満ちた未来にも進んでいける、自由な分岐が広がっている。
その只中に囚われ出ていけない、かつて少女であり今老人となりいつしか死者となるだろう桂子に、物語がどんな花束を手向けてくれるのか。
今回明穂と江里が手渡され、若菜と絵莉が手渡した、逞しくも美しい縁の花であってくれたなら、良いなと心から思う。
そういうモノが全ての人間に手渡されるべきなのだと、暗い影に踏み込みながら見つめ続けているお話だと、僕は思い信じているから。
次回も、とても楽しみ。