イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第150話『星の絆』感想

一つの終わりが明確になってきた三年目のアイカツ、今回はトライスター……というか、神崎美月を中心にしたかつてのアイカツに、一つの始末をつけるお話。
第99話での敗北、劇場版での対話を経て、ようやく一人の少女、一人のアイドルになれた美月さんが、『アイカツの天井』を担当していた時代の歪みを決算していく展開になりました。
かえユリが軸に座るとどうしても湿度高くなるので、こっちに舵を切ったのは正しいと思う。
美月さんが持つ傷の中で、一番深くてケアするべき傷がトライスターだった結果、今回の再結成になった感じですね。
様々な事情に振り回されつつも、自分たちが生み出したキャラクターの人生にしっかりとエンドマークを用意し、熱意と丁寧さをもってお話しを紡いでくれるのは、とてもありがたいことです。

 

アイカツ!の世界は『悪意が存在出来ず、しかし努力をしなければ輝けない』という、捻れた世界律で成り立っています。
無条件の善意で構築されているわけではないので、美月さんについて行けなかったアイドルたちは存在する。
しかし置いて行かれた側にわだかまりはなく、責めるとしても不甲斐のない自分だけ。
誰かを憎むことを許されない世界の中で、勝った負けたを成り立たせていたのは、神崎美月という圧倒的なカリスマでした。

星宮いちごの憧れとして、アイドルの頂点にして中心としてあまりに大きい存在だった美月さんは、いちご世代のお話が大きく回転する全ての起因になっています。
トライスターオーディション、いちごとのSLQC、ドリアカの設立と離脱、WMの登場とユニットカップ。
アイカツ!のお話が流れる水路は全て美月さんが用意し、そこに女の子たちの情熱が流れこむことでお話が展開していった。
個人レベルの頑張りや挫折はともかく(そしてそのレベルのお話の粒が立っているからこそ、アイカツ!はシリーズ全体のクオリティを維持しているのですが)、世界全部を巻き込む展開は全て、美月さん個人が巻き起こし、中心となり、展開させてきました。

どれだけカリスマ性があっても、アイドルの女神のように思えても、神崎美月は身体と感情を持つ一個人です。
お話の都合全てを1キャラクターに背負わせた結果、彼女はとても身勝手で、女神であると同時に破壊神でもあるような、荒ぶる存在になって行きます。
本来世界全てが担うべき物語の大きなうねりを美月個人に背負わせた結果、彼女は非人間的なまでに自由で、後ろを振り向かずに(作中のアイドルカツドウとしての、作品外の知財としての)アイカツ!を盛り上げるべく最適行動を取り続ける。

一年目ラストに向けて、仲良し三人組を競わせなきゃいけない。
んじゃあ美月がトライスターオーディションを始めることにしよう。
二年目が始まるからドリアかという対抗勢力を仕上げなきゃいけない。
んじゃあ美月はトライスターを解散して、スターライトを出て行く事にしよう。
二年目ラストに向けて、強大な敵を用意しなきゃいけない。
んじゃあ美月はドリアカを出て、WMとして立ちふさがることにしよう。
いちごジェネレーションを支えたアツい勝負論は、神崎美月を神様にすること、一少女、一アイドルとして強烈な阻害を背負わせたまま、『アイカツ!を盛り上げる』を金科玉条に掲げることで製造・維持されて来ました。


そんな彼女を人間に戻す試みは、お話が収束しそうなタイミング(例えば第47話『レジェンドアイドル・マスカレード』)で幾度も試みられ、その度に彼女は神様に戻った。
星宮いちごという『人間』が神崎美月という『アイドル=神様』に憧れ、神様の地位を略奪するまでがいちご世代の物語的基本骨子である以上、美月さんは負けることも、人間的な側面をちらっと見せはしてもそこに溺れることも、許されはしないからです。
美月さんが傍若無人に世界を回転させればこそ、いちごを筆頭にした『人間』たちに走り抜けるべき大きな目標が与えられ、そこを目指して駆け抜けることでお話は疾走していったからです。

そしてその上で、製作者達は美月を傷を背負えば血も流す一少女として、大事にしてきたと思います。
第47話で昏倒し、神でも破壊神でもなくただの人間なのだという素振りを見せた美月は、その後弱みを見せることなく走り続け、第100話でようやく負けることが出来ます。
単純計算して2400分、約40時間の蓄積が、神崎美月の敗北には必要だったわけです。

その前段階、第99話でみくるに抱きつかれた時の美月さんの表情を、僕は忘れられません。
散々振り回されてたどり着いたWM最後の舞台、アイドルとしての夏樹みくるの終りを迎えて、感無量のまま体を預けてくる相棒を、美月さんはすごく困惑した表情で迎え入れる。
トップランナーとして孤独に走り続け、隣り合ってくれる誰かを求め続けた(そして星宮いちごはそうなってくれなかった)美月は、WMとして人生を共有した経験を経てもなお、本当の意味で気持ちが通じ合う体験に慣れていない。
神様は誰かに憧れられ、畏れられることはあっても、対等の立場で愛されることはないからです。

第100話の敗北、というか第99話ラストの抱擁から、美月さんはどんどん脆くなり(みくるの渡豪に際し、フェレットに『見送れないわよ……』という弱音を吐くまでになってる!)、弱くなり、劇場版で引退を考えるまでになる。
アイドルの中心にして天井として果たしてきた義務がどれだけ重荷で、いちごが美月を負かしたことでようやく代替わりが出来るという安心感を得たのか。
誰よりも強く愛したアイカツ!を引っ張るという自負、プライド、恐怖がどれほどのものだったのか。
それは今回も登場したあのステージで発せられた『譲るのではなく、奪われたかった』という一言に、見事に表現されています。

神様以外の生き方を知らない美月さんはしかし、100話の蓄積を使ってようやく自分を追い抜いた主人公、星宮いちごに敗北し、人間に戻ってしまった。
感情も喜びもある人間として振る舞う彼女の不器用な生き方も、劇場版は良く捉えていました。
もう、人間以上になるために頑張らなくて良いということ。
普通に笑ったり泣いたり、喜んだりしても良いということ。
お反しの都合が封じ込めていた彼女の人間性は、本来彼女に備わっていた『人間的』なもののはずなのに、みくるの抱擁と同じように彼女にとっては遠い。
その距離感が逆に、彼女が今まで背負ってきたものの重さと、そのために彼女が払ってきた犠牲を表現していました。

 

そういう前景を整理して始めて、今回のお話に入ることができます。
今回のお話は第79話『YES!ベストパートナー』の直系といえる物語で、あの時美月に捨てられたことを受け入れ立ち上がった二人が、今度は三人になるお話です。
第79話当時は物語のエンジンとしてユニットカップを維持しなければいけない美月には、出来なかったこと。
神様だった時代に、アイカツ!を牽引するために轢き殺してしまった人達の心、自分の心を取り戻すこと。
それを為すお話でした。

”トライスター残党”として物語の運動からはじき出されたかえでとユリカは、第79話で既に自分たちを肯定し、二人の気持ちにも整理は付いています。
しかしそれはあくまで『二人』の気持ちであり、自分たちを捨てた美月との関係は、お話の都合もあって当時は踏み込めなかった。
しかし美月は神様を止め、お話の中心であることを捨て、手の届く存在になった。
だからこのタイミングで、かえではトライスターを再結成し、後悔を取り戻しに行くことを決意したわけです。

才能に恵まれ常に前向きな王子様かえでに比べ、ユリカ様は吸血鬼キャラを演じ、いろいろと思い悩むお姫様。
トライスターの解散もユリカが言い出しますし、ユニットでかえでに選ばれた時も信じきれなかったし、今回もかえでの提案に二の足を踏んでいます。
でもトライスターでの経験、三人で踏んだ舞台は楽しかった。
その純粋で強い気持ちを、ルミナス(≒かつてのトライスター)の練習風景を見て思い出す流れは、スマートかつ叙情的でした。

迷いを踏み越えて前に進み、『三人』の気持ちをパラシュート降下(かえではホント、ユリカを背後から抱きしめるの好きな)で確認しに行ったかえでとユリカ。
前述したとおり、美月さんは頑なな神様を辞めて人間に戻っているので、提案は素直に受け入れます。
三人の気持ちが一緒なら即結成と言いたい所ですが、今回取り戻すべき後悔はトライスターだけではなく、神崎美月の歩み全てです。
なので、学園長のもとにも会いに行く。

ヤクザの仁義切りにも似たテラスでの語らいですが、あのシーンにキャラクターと製作者の対話を重ね見ることも不可能ではないでしょう。
神崎美月を中心に据え、人間を止めてもらうことでお話の都合を回してもらった製作者(≒学園長)が、作中の視点では振り回しているのだけれども、そこから一歩登った視点では振り回されているキャラクター(≒神崎美月)を認め、許し、許されるシーン。
もちろん棘のように刺さって抜けなかった神崎美月の身勝手が許されるシーンとして良く出来ているのですが、同時に一種の詫び状のようにも、僕には見えました。
多分、身勝手な妄想なのでしょう。


かくしてステージがはじまるわけですが、しおんちゃんの時に感じていた大盤振る舞いは今回も乱れ打ち。
曲こそ新曲ではありませんが、モデリングも動き付けも新規であり、凝ったライティングが『Take Me Higer』の新しい魅力を引き出していました。
胸元を覆う黒い布がライトに照らされている質感が、本当に凄い。
ラストの逆光演出もバチッと決まっていました。

ステージを見て思うのは、あれだけ時間と情熱をかけて美月を人間にしても、やっぱり別格なのだな、ということです。
『Take Me Higer』はほぼセンター固定でフォーメーションチェンジが起きず、神崎美月+αというフレームを否応なく強調します。
事務所を訪れた時も、舞台前の楽屋でも、かえでとゆりかは椅子に座り、美月はほぼ立っているのと同じ高さで背もたれに身を預けている。
事ここに至っても、神崎美月は高くて遠い存在のままです。

でもそれは、多分どれだけ努力しても抜けない、美月さんの人格です。
彼女は生まれつき人間であると同時に、神様が務まるくらいには高くて強くて立派な存在でもあって、神様の地位から降りてもそのカリスマは抜けるものではない。
どうあがいても真ん中に為ってしまう華があるのなら、それに抗って凡人になることはないし、出来もしない。
今回の美月さんは、そういう存在だったように感じます。

 

神崎美月を巡る因縁が収束する隙間で、主人公たちの努力が描かれていました。
世代交代を経て展開したあかりジェネレーションは、いちご世代とは明らかに異なるお話作りがされています。
天才ではなく凡人、勝負ではなく個性の発見。
神崎美月を中心に据えたいちご世代の物語から抜け出ようというもがきを、僕はこの一年間感じていました。

それはあまりにも完成された主人公である星宮いちごの物語を再演したところで、けしてオリジナルを超えるものにはならないという考えから産まれたのかもしれません。
美月をお話の展開軸に据えたことで産まれた歪さと、それを癒やすために使った時間を考えたからかもしれません。
単純に、同じアングルからアイカツ!世界を切り取っても、面白くないからかも知れません。
製作者ならぬ僕には推測しか出来ませんが、ともかく三年目のアイカツ!は明確な中心軸がある勝負論の物語から、やや離れたところで展開していました。


そして今回、ルミナスは離れていたはずの勝負論のど真ん中にいます。
着ているのはジャージ、終始体をいじめ抜き、スポ根理論むき出しで『誰かに勝つ』ために頑張り続ける。
それはかつて、星宮いちごが神崎美月の背中を追いかけながら走っていた姿、そのものです。
なぜお話が終わるこのタイミングで、これまでそこまで注力していなかった勝負論に彼女たちは飛び込んでいくのか。
それは多分、それが面白いからでしょう。

これまで神崎美月という神が支配していたいちご世代の歪みだけを語ってきましたが、スポ根文法で前向きに走り抜けながら少女たちが輝き、心を繋げてきたあのお話達は、とんでもなく面白かった。
立ち向かうべき明確な目標があり、乗り越えるべき壁があり、必死の努力があったあのお話達は、すごく単純に面白くて、パワーのある物語類型なのです。
大きな発表の場があって、強大なライバルがいてという人間・神崎美月を犠牲にして成り立っていたあの場所は、物語の終わりに相応しい盛り上がりとエネルギーを持っている。
それは、ソレイユが場を用意したこの学園祭エピソード各話の仕上がり、面白さを見ても一目瞭然でしょう。

そしてそこに入っていくには相応の準備が必要であり、いままであまり馴染んでいなかった勝つの負けるのの理論を血肉にするべく、今回ルミナスはジャージを着こむわけです。
女神として、破壊神として美月が踏みつけてきた様々なものの精算というメインテーマと平行して、今回ルミナス(≒あかりジェネレーション)を勝負論に飛び込ませるために時間を使っていたのは、三年目のアイカツ!が誰の物語であったかを忘れていない、いいバランスだと思います。
勝たなければいけないはずのトライスターのステージを、本気で楽しんで賞賛してしまう笑顔がちゃんと写った、アイカツ!らしい健全で優しい戦いの形も引っ括めて、今回は均等の取れた回だったと思います。

 

こうして、次回ソレイユVSルミナスの構図が整えられました。
神崎美月を倒してしまった以上、星宮いちごが真ん中に座り、この闘技場を用意したソレイユが最後の壁になるのは、これ以外考えられない流れです。
来週はとても盛り上がるでしょう。
しかしそこで重視されるのは、勝ち負けそれ自体ではなく、いかなる勝ち、いかなる負けを見せるかという勝負論の一歩先な気がします。

神崎美月にまつわる女達の物語を収束させた今回、初代トライスターから脱退した過去を持つ蘭ちゃんは、奇妙に触られませんでした。
美月を追い抜いたいちごや、美月に寄り添ったみくるにも出番があったのに、蘭ちゃんは話すらしない。
蘭ちゃんトライスター脱退周りのお話は非常に混乱しているし、ルミナスに尺を使いつつ素直に収めるには、難しすぎる問題なのかもしれません。
ともかく、今回蘭ちゃんだけが傷を癒やされていない。

となれば、神崎美月の傷であり紫吹蘭の傷でもあるあの逃走を乗り越えるチャンスは、ラストステージしか残っていません。
結果としてトライスターから逃げ出したことも、いまいち切れ味の悪い三人目であることも、すべて吹き飛ばすようなソレイユとしての勝ち(もしくは負け)。
三年目の物語を終わらせる意味でも、紫吹蘭の物語をためにも、求められているのは圧倒的な物語的質量です。

トライスターのステージを説得力を持って打ち立てることは、今回そこに焦点を定め自分たちを追い込んでいたルミナスにも、説得力を与えることになります。
ソレイユの物語は第125話『あこがれの向こう側』で完膚なきまでに完成しているわけで、ソレイユ三人の外側に視線を向け、アイカツの天井になった三人の姿や意味、彼女たちを見上げるルミナスの肖像に時間を使う余裕は、充分あるはずです。
主人公として一年間、いちご世代とは違う意味、違う価値、違う物語を追い求めてきた彼女たちが、かつての主人公たちと闘う中で何を見つけるのか。
ただ勝った、負けたではなく、どう勝って、何に負けて、何を感じて何を手に入れたのか。
凡人たちの三年目、全てが問われる回になると思います。

来年3月までとはいえ、あかりちゃん達のアイカツ!は学園を飛び出し、まだまだ続くことが決まっています。
いちごちゃん達より半年少ないページで自分たちの物語に一つの決着を付けなければいけない凡人たちが、何を手に入れるのか。
これまで一年積み上げてきた『私だけのストーリー』は、一体どういう形なのか。
三年目の総決算、とても楽しみです。