どろろ をみる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
この世は回る火の車。誰かの幸福が誰かの不幸の上にしか成り立たないなら、全ては徒花、屍に咲く彼岸の花。
奪われたから奪い返し、また奪われる。血まみれの百鬼丸の産声は、死んだ女の名残であった。思い出も夢も灰燼に帰して、それでもなお、命は生きようとする。
そんな感じの乱世無惨絵巻、涙代わりの子守唄後編である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
想像はしていたが重たく理不尽で、全くもってやりきれない。醍醐サイドの描写が丁寧に積まれていくので、百鬼丸だけが無惨なのではなく、この国、この世全てが残酷であるということが、良く見える作りになっていた。
先週勘違いをしていたのだが、鳥は強力ではあるが鬼神ではないアヤカシで、声を取り戻したのは蟻地獄を一回殺したからのようだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
声を奪い返し、足を奪われる。殺したはずの命が蘇り、足を燃料に慈雨が降り注ぐ。善因は善果に繋がらず、誰かの不幸が誰かの幸福となる。シビアな輪廻である。
今回のエピソードでは一般的な社会通念を踏襲し、光は希望の象徴として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
『いつか』を夢見るミオと子供たちの、幻の中に見える黄金の田畑。ミオの生業を受け入れた時のどろろ。ミオの遺品となった種籾。二人孤独に歩く道を照らす、夢の光。
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黄金色の光明は、虐げられた子供たちを導き照らす希望として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
しかし晴れ間は大地を枯らし、作物を奪う。百鬼丸が足を食われ、贄として機能した時、天は曇って雨が降る。それは誰かを犠牲に誰かが潤う、冷たい世界の現実だ。
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多宝丸が見据える領地に、雨はない。鬼神の加護で守られていた社会は、百鬼丸が人未満の生贄であることをやめ、当たり前に命として人として生きようと藻掻くことで、荒れ果て枯れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
それが長く続けば、ミオ達のような、百鬼丸自身のような無惨が血に満ちることにもなる。
んじゃあ百鬼丸が黙って死んでればいい、というわけではない。どこかに輝きがあると、人を殺す鬼以外の道があると信じたからこそ、どろろは百鬼丸を止めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
しかしその生存者は、おそらく醍醐に自分を斬った修羅を告げる。生贄の生存、領地の不安が為政者に知れる。
百鬼丸を切り刻んで鬼神に与えれば、加護は戻ると、蟻地獄を二回殺し、二回奪われ、二回奪い返すリフレインは告げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
実の父に生まれたときから見捨てられた少年は、ただ生きたい、取り戻したいと願うだけで、世界を枯れ果てさせる。彼が望む陽だまりは、誰かの旱魃となるのだ。
母を乞い願い、それ故にねじ曲がった多宝丸の情愛も含めて、親子兄弟の縁が地獄に繋がる道筋は、丁寧に舗装されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
ただ血縁の因業がドロドロと渦を巻くだけではない。醍醐は為政者なのだ。個人的な野心を含みつつも、赤子を鬼に喰わせる呪術は領国安堵の施策でもある。
そこら辺の侍の事情を遠目に睨みつけつつ、今は地べたを這う農民、踏みつけにされる弱き者の運命を描くエピソードだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
どろろはむき出しに突きつけられたセックスに衝撃を受けて、闇を彷徨う。色あせた過去のような色彩の中で、血の赤だけが鮮明である。
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盲の琵琶丸が百鬼丸に肩を貸し、子供のどろろが背負う。満ち足りぬものでも助け合い、どうにか生きるしか無い世間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
そこにミオも取り込まれて、自分を苛む痣を隠しつつ、傷だらけの百鬼丸のケアをする。その体に、獣欲の気配はない。
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うっすら感づいてはいたが、ミオの口から直接『泣く代わりに歌っていたよ』と言われてしまうと、あまりに哀しくあまりにやるせなく、僕も少し泣いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
そんなふうに生きるしか無い、刃を持たない衆生の苦しさ。差し出せる唯一の対価で、弟妹の口に糊をする生き方。
幼いどろろは、その生々しさをなかなか受け入れられない。石段の境界線の奥、ミオに庇護される道に背中を向けるのは、瞼の裏の母の清廉が消えないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
体を売るのも家族のため、売らぬのも家族の思い出故。どちらが汚れてどちらが綺麗、という話ではない。
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どろろの性嫌悪は彼女自身が虐げられた子供であり、将来自分を虐げる世界に対価少なく漕ぎ出さなければいけない女でもあるという、冷たい自己認識にもよっていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
どろろはミオの中に、自分の未来を見ている。薄暗い闇、草葉の奥で蹂躙される身体は、他人であると同時に未来の自分でもある。
そんな奇っ怪な鏡合わせ、無力感と嫌悪感がないまぜに成って、どろろは百鬼丸の身辺に近寄りがたくなっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
侍にもう泣かされないと誓い、奪われたものを奪われ返し、自分が傷ついてなお傷ついたものを守る。その尊さを見つめつつも、やはり距離を置く。
ミオ自身も、己の身体を穢れたものと認識する。男に伸し掛かられ痣をつけられるのを、涙がでるほど辛いことだと感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
それは下卑た笑いの反射であり、乱世を支配する暴虐の写しでもある。世間が穢れたものとして扱えば、自分自身もそうだと思ってしまう。差別と搾取は反射し、増幅する。
そんな多分当たり前で、世の中そんなもんだと諦めなきゃいけない実相を見ているのが本当に辛くて、画面の中でとても苦しんで、とても必死に生きている子供たち全員に、大丈夫だと伝えてあげたくなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
しかしそんないち視聴者の感慨を置き去りに、残酷な歯車が回り、人の温もりが伝わっていく。
生まれたときから不具にされ、社会から切り離された百鬼丸の視界は、ミオやどろろを追い込む社会通念、生政治的圧力を見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
生まれついてのアウトサイダーとして、高貴なる野人として、魂の色だけを見据え求める純朴な手は、ただただミオを求める。
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それは百鬼丸の中の鬼神を沈め、人で居続けさせる儀式だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
どろろの人形の手は、肌のぬくもりを伝えない。だがそれでも、ミオの歌は涙を超えて、赤子のように凶暴で刃のように純朴な百鬼丸に、温もりと優しさを教える。
百鬼丸は鬼を殺し、痛みと歌を知った。苦痛に満ちた世界に、一人放り出された。
贄となった百鬼丸は、母のぬくもりを知らない。父の代理となった寿海も、殺しの技芸を教えただけと己を蔑んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
知らないならば、学べばいい。奪うのではなく、与え与えられればいい。獣のように略奪のリアリティの中で生きることだけが、人のあり方ではない。
もしここで描かれた幸福な互助が、黄金の世界にたどり着けていれば。ミオが死なず、幼い百鬼丸と小さな恋を育んで、涙を流さずに済む愛を手に入れられたなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
未来の夢を込めて買い上げた種籾が、実をつけなかったように。それは虚しい夢想、悲しい夢でしか無い。でも僕も、それを夢見たかった。
百鬼丸(そして多宝丸)の母が、もぎ取られた我が子を常に思い、神仏に祈りを捧げている描写が、また痛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
それを見据える多宝丸は、母の愛が自分(だけ)ではなく誰かに向けられていると思い込む。無辜なる愛も誰かを傷つけ、道を捻じ曲げていく。
そんな間違いだけでなく、世の流れや偏見に棹さして抵抗する強さも、かすかな光の中で描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
男と女が静かに愛の気配を育む世界に、子供であるどろろは踏み込めない。しかし背中を向けていた境界線を超えて、石段でミオと向き合うことにする。
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おっかちゃんが死んでも踏み込まなかった、性を売り買いする生存の場。そこに踏み込み傷つけられたなお、弟妹を養おうとするミオの決死。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
どろろは涙を飲み込み、自分の偏見を噛み砕き、母への思いとミオへの敬意を同居させる。世の中そんなもんだという諦めを踏破し、新しい光に目を向ける。
この小さな変化は、ハッピーエンドを連れては来ない。ミオも子供も死んじゃって、百鬼丸が体を治すごと領国は荒れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
生まれてきたことそのものが罪であるかのような、過酷な世界の中で、どろろが人の道を学び体得していくことは、虚しい光なのかもしれない。
今後ミオの死んだ世界を、どろろと百鬼丸は生きていく。生きていくしか無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
その中で、『おっかちゃんも姉ちゃんも立派だ!』と吠えた少女の卓見が、何らか実を結ぶ日をやはり、信じたい。
苦界とはいえ彼らが暮らす乱世よりはましな世界に生きている者の、甘っちょろい感傷だとしても。
ミオ(つまり女を蹂躙する世間、そこに取り込まれている自分、それを拒絶し死んだ母)との距離感を回復したどろろは、縁を乗り越えて百鬼丸の傍に行き、かつてのように世話を焼く。飯を食わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
その当たり前の仕草が、あまりに力強く尊い。
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ミオを相手に表情を変え、どろろにメシ食わされてむせる百鬼丸の姿は、生き生きとした滑稽味に満ちていて、うっかり笑ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
これまでの、そしてこれからの地獄を知っているのに、人間笑うし腹も減る。食事と笑いの描写は、息抜きであると同時に残酷な鏡でもあり、一筋の救いでもあろう。
どろろと百鬼丸兄妹の微笑ましい日常が再獲得された後、夢から覚めるようにミオは"仕事"をする。涙代わりの子守唄が漏れて、ここではないどこかの輝きを夢見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
その瞳の奥には、戦陣の篝火。赤い炎、血の色合いは残酷に網膜に焼き付く。
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ミオは黄金の未来を掴み取るために、両陣で"仕事"をした。草木をかき分けそれを見据える武士は、ミオが取り落とした握り飯を残酷に踏みつけ、儚い希望を焼き尽くす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
フード理論的に正しい描写とは言え、あまりに…あまりにも…。
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草木を切り分けるレイアウトは先週、百鬼丸がミオと川中で出会った時、あるいはどろろが露骨な性を叩きつけられたときにも顔を見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
クローゼットの蓋を開け、秘められたものを開陳する。善も悪も皆、暗闇をかき分けて出産される。https://t.co/JxQxXuZmkn
蟻地獄(浮かせざる永遠の子供)のファリックな頭部を叩き斬り、緑色の粘液を噴出させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
ミオを(つまりはあらゆる子供を)苛む暴力に、床下に溜め込んだ刃で復讐をする。百鬼丸の戦いはヒロイックで、雲を切り裂いて光にたどり着く。一瞬の幻に。
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その先にあるのは、子供たちとミオの死体、黄金色の夢の残骸だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
柔肌に痣と差別を刻まれる"仕事"の果てに、ミオの身体は血に塗れ、命は暴力に吹き消される。
百鬼丸の激情を写して、破綻した聖域が燃え盛る。吠えることを知った赤子が、血に塗れる。
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この作品において"赤"が非常に重要な色彩であるのは、寿海の過去回想を見るとよく判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
あの時父の魂を焼き尽くした不条理が、今度は息子に襲いかかる。父は己の死を望み、息子は人を切り伏せる。己の中の悪鬼を呼び覚まし、燃やして奪う。https://t.co/wHtPn6yvaH
その烈火の怒りも、命の煌きを夢見たからこそ。雲間の光に照らされる黄金の田畑に、皆でたどり着きたいと思えたからこそ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
そんな希望が薪となり、百鬼丸の魂が燃えていく。自分の身魂を奪った鬼神と同じく、人を切り伏せ血にまみれていく。琵琶丸の真贋が見抜いた、赤黒い脈動が開放されていく。
どろろは(草木越しにセックスを見据えた時のように)その迫力に圧倒されつつ、今度は前に出る。荒れ狂う兄貴を体で止めて、ミオが最後に残した夢の名残を兄貴に見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
それは血にまみれた残骸。物言わぬ躯。でも百鬼丸の瞳には、黄金に見えた。
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ミオの命の名残、彼女が暴力に踏みにじられてしまった穢を、百鬼丸の瞳が写さないのが救いなのか、それとも別のなにかなのか、今は判別しにくい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
かすかに残った夢のなごりを、百鬼丸はどう受け止めていくのか。鬼ではなく人の領域に兄貴をとどめたどろろは、夢の道行きをどう進んでいくのか。
それを見据えなければ、ミオの死と生がいかな意味を持っていたかは判らないだろう。それはつまり、この物語が終わるまで、終わった後にも、ずっと考え続ける疑問、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
そういう重たさとあっけなさと輝きが、傷ついた子供たちが肩寄せあって生きた前後編にはあったと思う。
百鬼丸が刃の手で、ミオの躯を抱き寄せる仕草が。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
自分の声すらうるさいと拒絶していた言葉で、もう帰らない名前を呼び、己達を苛む不条理に上げた叫び声が。
赤く赤く、重たい。
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涙腺すら鬼神に奪われた百鬼丸は、胸に渦を巻く感情を吐き出すことすら許されない。それは涙の代わりに歌っていたミオと、同じ生き方だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
人が人である以上、必ず襲われる理不尽。それを吐き出す正規の手段すら許されない、奪われもぎ取られた者たちの、一瞬の邂逅。
それは血と炎に塗れ、灰燼に帰した
燃やしたのは鬼ではなく、国を守るために闘う武士。人ならざる怪物だけが、人を踏みにじり切り伏せるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
奪い、奪われる。愛が刃となって心を切り刻み、誰かの犠牲が誰かの幸福となる修羅の巷。
そこに、確かにどろろと百鬼丸は生き続け、ミオは生きていた。
それでもその巨大な理不尽に押し流されず、黄金の光を夢見た子供たち。一時触れ合い灰に帰したその夢が、宿命の兄妹に何を与えるのか。何を奪うのか。人の中の鬼と闘う旅は、まだ続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月12日
来週も楽しみです。でも今は、その儚い黄金に守り子の歌を。
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