イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

劇場版アイカツ! ねらわれた魔法のアイカツ!カード感想

(おそらく)アイカツ!最後の劇場版を見てきましたので、感想を書きます。
バリッとネタバレしますので、未見の方はご注意を。
ネタバレにならない範囲で感想を言いますと、アイカツが持っていた楽しさをまとめきったテーマパーク的作品であり、誠実にアイカツの良さに向かい合った真摯な作品でもあり、非常に面白かったです。


終わった物語と始まったばかりの物語、コメディとシリアス、多人数が暴れまわる群像劇と二人の関係に重点した物語、完成された人間関係の総ざらいと新しい人間関係へのディープな切り込み、整えられた表舞台とバックステージ。
30分のアイカツ!と、60分のスターズはその形式や時間だけではなく、内容面から言っても好対照を為していた。
それはあまりにも豊かなものを描き切ったアイカツ! という物語に捧げる愉快なレクイエムであり、これから豊かな物語を紡がなければいけないアイカツスターズ! に対する最高の援護射撃ともなる、なかなか立体的な映画に仕上がっていたと思う。

既に己の物語を(一応形式上は)語り終えたアイカツ! は、三年半に及ぶ歴史で登場したアイドルほぼすべてを画面上に乗せ、短い出番を小気味良くつなぎ、様々な世界を股にかけながら、賑やかに元気に進んでいく。
プロフェッショナルとしてのキャリアを積み重ねたアイドルたちは、もはや個人としての葛藤を表に出す舞台裏の描写を必要としない。
彼女たちは、監督やプロデューサーやキャメラマンという裏方すらも演じてしまう職業アイドルであり、『自分が笑顔になることで、お客さんを笑顔にする』というスターズ映画の結論を、三年半の歩みの中で既に体得しているからだ。

なので、彼女たちの視線は常に上に向き続ける。
鳥が、もしくはシャボン玉やジョニーの悪い戦闘機が奪っていった『名前の無いカード』は常に空を舞い続け、彼女たちは永遠にそれを追いかけ続ける。
終わってもまだその先があるのだと、カメラが彼女たちを追いかけなくなっても彼女たちのアイカツ=人生は続いていくのだというメッセージを遺した作品にふさわしく、30分の間アイドルたちは走り続ける。
名前も顔もない、何にでもなれる未来の希望を、もしくは夢を与えてくれたアイドルの背中を追いかけ、追い越しながら、物語に終止符が打たれた後も、クイーンの冠を手に入れた後も、前と上を向いて終わらない歩みを続けていく。

そういう非常にアイカツ的な運動が、止まらず転がり続ける物語として、30分のレクイエムがとても楽しく賑やかだったのは、僕にとってとても嬉しいことだった。
冒頭でセットであることが示されつつも、アイカツの映画は虚構も現実も定かではない、演技も素顔もパブリックもプライベートもない、混沌とした楽しさの幕として進む。
既にアイドルとして完成した彼女たちは、フィクション内フィクションとして始まったはずの映画撮影のリアリティをどんどんぶち壊し、視聴者を可愛さと幸福感の腕力で己の舞台に引き込みながら、様々な世界を旅する。

それは彼女たちの物語が分厚い夢に満ち、それを可能にする実力と矜持を既に身に着けていることを忘れさせるほどに見事なものだ。
恐竜が暴れ回り、ニンジャが鳥に变化し、宇宙空間でビームが飛び交う不可思議な酩酊がこの映画には詰まっていて、その何でもありのぶっ飛び加減自体が楽しいものだし、それを可能にしているアイドルたちのプロ・プレイヤーとしての実力も、あまりに自然に展開する物語の中で強く強調されている。


そして何より、僕が好きなアイドルたちは皆元気いっぱいに輝いていた。
おとめも、ひなきも、あかりちゃんも、いちごも、あおい姐さんも、スミレちゃんも、ノノりさも、天羽も、凛ちゃんも、蘭ちゃんも、ドリアカのみんなも、美月さんも、みくるも、しおんも、さくらちゃんも、ヒカリさんも、みなみちゃんも、珠璃も、ユリカ様も、ユウちゃんも、あまふわの二人も、みんな元気で可愛くて最高だった。
本編中では結局ステージを踏まなかったノエルも、姉たちと一緒にアイドルをしている姿が見れて、最高に良かった。
彼女たちが彼女たちらしく、とにかく元気で可愛いアイドルとして輝くシーンをテンポよくつないでくれたのは、彼女たちがとても好きな人間としては、とても嬉しく有りがたいことだった。
そういうファンムービーとしての極上の仕上がりも当然、今回のアイカツ映画の大きな魅力である。

その上で、心地よい夢の様な混乱を楽しませつつ、非常に重要なラインをしっかり演出するシリアスさも、アイカツ映画の魅力だった。
なんでも叶うカードにあかりが願ったのは、心身の健康であり、幸せな結婚(性別すら超越する!)であり、アイドルの本懐といえる最高のステージだった。
邪悪なドラゴンは打ち倒されるのではなく本来の場所に追い返され、大人の立場をしっかり判ったジョニーが物語に必要な壁として、ノリノリで立ちふさがってくれる。
『世界、かくあるべし』という強い倫理が、愉快で楽しいコメディの中にしっかりと織り込まれていて、作品を支える分厚い芯になっているのは、僕が三年半楽しませてもらったアイカツの姿、そのものでもある。

それが何よりも強く出たのは、クランクアップを迎えた時の『大人』たちからの問い掛けと、それを受けてのステージだ。
最後の最後で『これが終わりである』と突き付けつつも、ここまで走ってきた歩みが何よりも輝いたものだったと確認してくれる、涼川さんや学園長や瀬名くん。
アイドルを悪者にしないために、お話を閉じるために必要な『悪い大人』を演じきってなお、見守る立ち位置に戻っていくジョニー。
アイドルたちが一番望むものをしっかり問いかけてくれる彼らは、彼女たちの物語を見守ってきた僕達視聴者の代弁者であり、同時にアイカツを愛し続け作り続けてきたスタッフのアバターでもあるのだろう。

そんな彼らの導きにより、アイドルたちはステージに登る。
本編ではついぞ実現できなかった、CGモデルを持つ全てのアイドルが同時に歌い、踊る、アイドル最大の見せ場。
息のあった群舞としての魅力、個々の魅力を最大限にアピールする瞳の演技、ユニット単位の物語をたっぷり詰め込んだ横からの総ナメ。
一曲の間に『歌い、踊り、表現する』アイドルの魅力と、それを支える一人ひとりの人生(僕たちは三年半、それを見守ってきたはずだ)がみっしりと詰まった、見事なステージだったと思う。
ユニットカップの組み合わせで並ぶ少女たちの姿に過去を述懐しつつ、あれだけの大観衆を熱狂させ惹きつける現在形の輝き、そしてそこから先に伸びていく未来向きの今を感じ取れる終わり方になったのは、本当に良かったと思う。


アイカツらしい楽しさと豊かさ、芯の強さを併せ持った、立派な映画でした。
ラスト1クール、SLQCという臨界点に向けてとにかくシリアスに走りきり、その先にたどり着いたTV版ではなかなか拾えなかった、楽しいアイカツクソドラマの正当発展形という賑やかさで、とてもハッピーなお話だった。
これが映像作品としてのアイカツ、そのエンドマークになるかは、預言者ならぬ僕には分かりかねるけども、でも、これがアイカツの終わりで良かったなと思える、優れたエピローグだったと思います。

アイカツは終わるかもしれないけど、彼女たちの物語はいつまでも終わらない。
最終話で僕が感じたキレイ事を否定するどころか、豊かに増幅してくれる、幸福な祝祭でした。
俺、やっぱアイカツ好きだなぁ。