イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第5話『ルーナノヴァと白い龍』感想

憧れという名の星を追いかけ、夢という名の放棄に乗って飛び上がる魔女たちの青春ストーリー、今週は魔法金融道ダイアナ。
学園に迫るワイヴァーン! 奪われる魔法の源!! 悪しきドラゴンと落ちこぼれ軍団運命の対峙!!! ……という熱血なスジを予感させておいて、実はシビアでリアルな財政事情をどう乗り越えるかが問題という、ヒネリの利いた物語でした。
二転三転するプロットを追いかける中で、ドンガメ六人組の型にハマラない魅力や、きれいな夢だけでは出来ていない魔法世界の実情、正道を行くダイアナの強さと正しさなどが見えてきて、世界とキャラクターの魅力がより深まるお話でした。
エピソードを支配する勝ち負けの軸を複数用意することで、『魔法とは何なのか』『夢と現実はどういう距離関係にあるのか』という、お話の背骨が立体的に描かれていくのも、非常に堅牢かつ見ごたえがありました。
正しさゆえにドラゴンの現在を救えはしないダイアナの勝利と、何も勝っていないのにドラゴンの『夢』の残り香だけは守れたアッコの勝利。
二つの勝利が作品に奥行きを与える、見事な中盤戦だったと思います。

今回も色んなものが描かれているこのアニメですが、まずはストーリーラインを追いかけてみましょう。
いつもの様にドタバタ喧嘩ばかりしている劣等生のアッコとアマンダは、ワイバーンに魔力の源・魔導石が略奪される場面を目撃します。
教師たちは少女たちの情熱を押さえ込もうとしますが、魔法学校の生活を大事に思うアッコを押さえつけることは出来ず、最強の優等生・アマンダの正論への反発もあって、仲間たちはドラゴンの根城へと急ぐ。
個性を活かした奮戦も虚しく捉えられてしまった六人ですが、事情を聞いてみれば魔導石は借金のカタとして奪われ、ドラゴンは無慈悲な略奪者ではなく、現実を見ないルーナノヴァにシビアな現実を突きつけてくる債務者だったのです。
厳しい銭金の問題を前に何も出来ないアッコを尻目に、古代ドラゴン語の知識と、財務法知識、そして立て板に水の弁舌でダイアナが問題を解決。
見事にやり込められてしまったドラゴンですが、夢を語るアッコの真っ直ぐな瞳に過去を思い出し、消え行く魔法に少しだけ希望を見つけることが出来たところで、物語は終わります。

まとめてみて判る通り、今回の話はドラゴンの正体が判明するところで、綺麗に物語が反転しています。
劣等生達の劣等生っぷりを強調する出だし、ひょんなことからドラゴンとの戦いが始まる導入は非常にワクワクするもので、『負け犬たちのワンスアゲイン』的な反抗劇が展開するのかな、という期待を高めてくれます。
それを拾い上げるように、箒の魔女 VS ワイバーンの空中戦があり、おどろおどろしい竜のキッチンがあり……となったところで、顔が見えなかったドラゴンがコメディチックに登場し、お話は別の方向に進む。
勇気や夢が問題を切り開いていけるファンタジーではなく、非常に生臭く気持ちだけではどうにもならない経済劇へと軸足が移り変わって、シビアな銭金の問題-現実-の前では先生やアッコ達の魔法は無力であり、デイトレーダーとして現実に適応したドラゴンが、圧倒的な優越性を持っていることがわかります。

アッコや先生たちの無力さを飛び越えるようにダイアナがやってきて、知識と弁舌で状況を解決するわけですが、この時ダイアナはドラゴンと同じく銭金勘定という『現実的な領域』で勝負を仕掛け、見事に勝ちます。
それはアッコやアマンダが巧く成果を出せない、伝統的な魔法知識の局地である『古代ドラゴン語』の読解力を土台にした解決であり、優等生にしか出来ない解決策です。
先生たちが固着化させ、固定してしまった『魔法』は実は非常に『現実的』であり、銭金の問題を解決する足場になるパワーを秘めていることを、ダイアナはいきいきと示しました。
ダイアナはいわば『現実的領域で勝者であり、魔法的領域でも勝者である』キャラと言えます。

そんなダイアナにやり込められるドラゴンは、魔法的存在であることを捨て去って現実に適応し、詐術でたっぷり溜め込もうとする汚い大人です。
ルーナノヴァの財政難のように、『現実』に適応できないまま滅びつつある『魔法』に見限りを付け、かつては無利子でお金を貸与するようなお人好しだった自分自身も変質させて、夢も希望もないリアルの中で生き延びようとする、かつての魔法使い。
借金のカタとして魔導石を回収した彼の行動は、貸与契約の中に隠された虚偽をダイアナが見抜かない限りは正当なものであり、『借りたもんは返せ。悪いのは学校側だ』という主張を、先生もアッコたちもひっくり返すことが出来ない。
しかしそれは、魔法生物である自分の根本を否定し、他者に対する優しさをすりつぶし、現実に適応し夢に背中を向けることで手に入れた力です。
ドラゴンはいわば、『現実的領域で勝者であり、魔法的領域では敗者である』キャラと言えます。

そして先生たちは、『現実的領域で敗者であり、魔法的領域でも敗者である』キャラクターです。
これは『古代ドラゴン語』という魔法知識の領域で、ダイアナに先を行かれたから負けている、というわけではありません。
学校存続のために自分の強みを活かし、大事な夢を守るために適切に行動出来る、弾けるような行動力。
作中何度も言われてきた『あなただけの魔法』が心の有り様を示している以上、ドラゴンにガラクタを押し付けてリミットを先延ばしにしようとする先生たちは敗者です。
それは結果を出せなかったからではなく、その場しのぎの、熱量の低い行動を選び取っていること、アッコやダイアナがキラキラと輝かせている胸の鼓動を見失ってしまっているからなのです。

更にいうと、とっとと『魔法』に見切りをつけ『現実』に適応したドラゴンみたいなタフな柔軟性も持っておらず、『魔法かくあるべし』という固定観念に支配されて、その叡智である『古代ドラゴン語』も読めないあたり、今回の先生たちは本当に良いところがない。
パピリオディアの復活にしても、レイラインを超えて危機を脱するにしても、箒レースに勝利するにしても、小説家にやる気を取り戻させるにしても、この作品で起きる『奇跡』は常に新しい何かを生み出し、今ある大切なものを守るための力です。
先生たちもルーナノヴァを守ろうと足掻いてはいるのですが、では『奇跡』を起こして何を守りたいのかという内実への洞察が欠けていて、『魔法は魔法であるがゆえに魔法である』ともいうべきトートロジーに支配されてしまっています。
アッコは『魔法はシャリオがくれたような、トキメキを与えてくれるから』という理由を直感しているし、ダイアナも『魔法界への誇り、学園への愛着』を大声では叫ばないけどちゃんと見つけている。
先生たちが今回非常に無力なのは、『奇跡』それ自体の形骸を求め、そこから何が生まれ何が守られるかを見つけられないからなのだと思います。
……そういや、今回ダイアナが実験で使った魔法も、『壊れたものを治す』魔法だったなぁ……守るやつ、育むやつは強いのだ、このアニメ。


状況に対し影響力を持たないという意味では、アッコたちも先生と同じです。
しかし危機を前に黙ってみているのではなく、変化をもたらすために行動する胸の高まり、その結果としての冒険は、非常に肯定的なものとして描かれている。
そういう熱意があればこそ、ダイアナの正しい解決策を正面からぶつけられても納得しなかったドラゴンは、アッコの瞳の輝きを見て『昔』を思い出す。
アッコは銭勘定という『現実的領域』では何も出来ない『敗者』でありながら、夢の力をドラゴンに思い出させる『魔法的領域』の戦闘では『勝者』になったわけです。

熱意だけ、夢と魔法を追いかけるだけのアッコの純粋な姿は、実は無利子でお金を貸したお人好しのドラゴン、その一千年前の姿そのものなのではないか。
『金は人間もドラゴンも差別せん』『夢だけでは食えない』というドラゴンの言葉からは、彼が差別や挫折を経験し、その結果として変化してしまったことが見て取れます。
これは『燃え尽きてしまったシャイニーシャリオ』としてアーシュラ先生を描いた過去のエピソードと同じ目線であり、実は『現実』における勝敗(があるとして)もまた、結果を出すことと直結していないことを示しています。
ドラゴンが夢を捨て去り、ドラゴンであることを放棄して手に入れた虚栄の黄金を突き崩したのは、ダイアナの知識であると同時に、まだ夢を信じ純粋だった頃のドラゴン自身なわけです。
その姿が今のアッコと重なる以上、よくよく考えてみれば何も生み出せていないアッコの冒険は、この物語が大切にしたいものを守り、伝える非常に大きな戦いだったことが判るし、その戦いにアッコは劣等生らしく、いつものように負けて、小さく勝利したのでしょう。

非常にシビアで容赦がなく、夢や希望や勇気のロジックを跳ね除けて襲い掛かってくる『現実』の中で、無軌道な憧れをどれだけ保てるか。
頼もしい仲間や素敵な魔法の国に守られて、時々シュンとなりつつもアッコは、未だ挫折を知りません。
ドラゴンやアーシュラ先生、もしくは今回無力だった先生たちが経験した、『現実』の厳しい試練はまだまだアッコからは遠いわけで、そういう嵐にズタボロにされてなお、今回ドラゴンに言った綺麗事を吐けるかどうかが、今後大切になるのかな、と思いました。
ドラゴンに夢を取り戻させたアッコが、今回ドラゴンが言った言葉を負け惜しみではなく、金言と捉えなければいけないような局面が、いつか来るんじゃないかなぁ。
その時にドラゴンが再登場して、今回アッコが見せてくれた綺麗な夢のお礼に、何か力を貸してくれたら、こりゃぁヤバいですよ。

妄想はさておき、今回のお話は
・『現実的領域で勝者であり、魔法的領域でも勝者である』ダイアナ
・『現実的領域で勝者であり、魔法的領域では敗者である』ドラゴン
・『現実的領域で敗者であり、魔法的領域でも敗者である』先生たち
・『現実的領域で敗者であり、魔法的領域では勝者である』アッコたち(と、千年前のドラゴン)
が、『魔法』による空中戦と、『現実』を舞台にした経済戦、そして『現実と魔法が交錯する瞬間』としての対話という、3つの戦いの中で立体的に配置された、非常にコンセプチュアルなお話だと思いました。
キャラクターがそれぞれの役割を担いつつ、お話の重点が進行とともにダイナックに変化し、それに伴い勝者と敗者、勝敗を決める価値観軸も揺れ動いていく。
ドラマのうねりがそのまま、お話全体を貫く価値観を多層的に切り取る刃にもなっていて、魔法と現実、過去と未来、夢と挫折といった対立をしっかりえぐって見せてくれました。


こういう構図をしっかり定めつつ、各キャラクター個人が作品世界の中で生きている瑞々しさを絶対忘れないのが、このアニメの非常に良いところです。
アッコたちはやれ夢がどうの現実がどうの、敗者と勝者がどうのという作品のフレームには、あまり自覚的ではありません。
彼女たちは精一杯魔法学校で劣等生をやっていて、ダイアナの正しさに気づかないまま腹を立てたり、いがみ合ったり、協力したり、熱い気持ちを炸裂させている。
テーマや構図はあくまでキャラクターのドラマが跳ね回った結果見えてくるものであり、同時に明瞭な論理で裏打ちすることで、キャラクターの行動にも一貫性と説得力が出てくる。
面白い作劇の大事な条件である、論理と情熱の同居が見事に果たされているのは、とても良いと思います。

今回は第3話で顔見世したアマンダ・ヤスミンカ・コンスタンツェが本格的に物語に絡み、人柄を見せてくれるお話でした。
『魔法の力が消滅したからこそ、魔法の力に頼らないイレギュラーたちに活躍のチャンスが回ってくる』という筋立てを巧く活かして、コンスタンツェの科学技術とか、ヤスミンカのフィジカルだとか、アマンダの侠気だとか、『この子はどこが強くて、優れているのか』が見えました。
チームで行動することで、ルーシィやロッテも含めて『仲間思いである』という長所が共有されているのが分かったのも、凄く良かったな。

第1話でもそうだったんですが、危険が隣り合わせのアクションにキャラを放り込み、非日常の砥石でキャラの地金をむき出しにする作劇は、非常に良いと思います。
蓋を開けてみれば空中戦は、『借金のカタを回収するために、セキュリティシステムを起動した』結果なわけですが、それが見えてくるのはドラゴンと顔を合わせ、事情を聞いてから。
そこまでは非常にシリアス、かつ劣等生ゆえの個性を組み合わせてピンチを脱する熱い展開なわけで、彼女たちの活躍も茶番ではありません。
なので、空を飛べないアッコを巧くカバーしつつ、各員の魔法を見せる展開を見ていると、血は湧き肉も躍ります。

やっぱ物理的な危機でハラハラするとキャラへのシンクロ率上がりますし、真相を出して話をひっくり返すタイミングが、今回は非常に上手かったですね。
『このまま戦いで問題を解決する方向に行くのかな?』とも思ったんですが、ワイバーンが機械であることが分かったタイミングで『直接的な暴力は、問題を基本的に解決しない』という作品ルールが持続していることが分かって、軽く安心したりもしました。
冒険活劇のワクワクは取り込みつつ、バイオレンスの影からは適切に距離を取っているところも、たくさんある『このアニメを好きなポイント』の一つだったりします。
魔法の話なんでね、剥き出しのパワーが実効を持ってしまうのは、寂しい気がするのだ。

あと、ストーリーラインのヒネリ方に適合した演出言語の切り替えが、非常にスマートでした。
最初は言葉もなく暴力を交わし合うだけだったドラゴンは、実はそれなりの正当性を持った対立者であり、アッコのように夢を追いかけた時代もあった、対話可能な存在だった。
ドラゴンの正体が判明していくドラマを追いかけるように、不気味で、だからこそ心躍るドラゴンの領域が身近なものになっていく演出の操作は、凄く上手かったです。
巨人の国に迷い込んだガリバーのように、サイズ感を強調された異郷として描かれているドラゴンの部屋は、ドラゴンの事情がわかっていくに従ってアッコ達の一人称視点からカメラを引いて、客観的な視座で描かれるようになります。
主人公たちが置かれている認識の状況に合わせて、アニメ内部で切り取られる世界をしっかり操作し、必要なムードをちゃんと共有させる。
ここらへんが巧く行っているからこそ、ファンタジックな冒険活劇からリアルな金融戦争へと舵を変えても、『おかしい』ではなく『楽しい』という感想が浮かんでくるのでしょう。

 

今回は特にアマンダとアッコの距離感描写が凄く気持ちよくて、馬が合うからこそ本音でぶつかり合える、スーシィやロッテとはまた違った友情を強く感じられました。
アマンダは蓮っ葉なアウトローを気取っていますが、アッコがピンチになったらすぐカバーしてくれるし、ドラゴン相手にはすぐさま箒に載せてくれるし、肉体的にも精神的にも機敏で勇気のある子ですね。
なのに固有魔法はお花というギャップ……良いなぁ、凄く良い。

アッコが『シャリオへのあこがれ』で方向づけている(でもなかなか結果は出ない)エネルギーを、アマンダはどう扱い、ぶつけたら良いか分からないように見えます。
ここら辺はダイアナが正確に見抜き、ツンツンと助言を与えているポイントでもあって、やっぱあの子は『正しい』子なんだな、と思います。
そういう優秀さを巧く切り取って、ただの『イヤなライバル』に落とさないよう注意しつつも、あまりにも『正しい』ダイアナはアマンダの心にも、ドラゴンの過去にも切り込めない様子をしっかり切り取る。
そしてアッコもダイアナもアマンダも、先週ぶっちぎりのナードっぷりを見せたロッテも、このお話の女の子たちは皆、跳ね回る青春のエネルギーを大人しくさせられない魂の姉妹なのだと、納得もする。
こういう細やかな描写を積み上げることで、キャラがどんどん豊かになっているのも強いなぁと思います。

細かい描写の積み重ねという意味では、莫大な世界設定をストーリーの中で巧く説明できているのも、このアニメの長所。
今回は妖精達が魔法を動力として動く一種のロボットであり、人間とはまた別種の存在であることが示唆されていました。
妖精周りの描写は色々気になっていたので、今回一つの答えが出て個人的にスッキリしましたね。
今回設定が明らかになったことで、人種のメタファーとして使ってくることはないな、という感じですが、逆に人造生命の哀しみや喜びを作品に取り込む足場にもなり得るわけで、さてどう取り回してくるか。
今後が楽しみです。


と、いうわけで、落ちこぼれの奮起と活劇の興奮で楽しませ、意外な真相で驚かせ、しっとりとしたオチで見せる、見事なヒネリの利いたエピソードでした。
状況がトントン拍子で流れ、停滞することのない生きの良さは、やっぱ見ていて非常に楽しいですね。
そういうスピードと同時に、非常に冷静かつ的確に物語のフレームを組み上げ、テーマやエッセンスをしっかり練り込む手管も鍛え上げられていて、一言で言えば最の高であります。

ドラゴンが巻き込まれ、敗北してしまった『現実』の嵐は、多分いつかアッコをも襲うと思います。
今回の冒険を経ても、『魔法』が『現実」に駆逐されかけ、輝きを失いつつある現状がいきなり変わるわけではない。
それでも、ドラゴンを前に堂々と夢の輝きを見せたアッコの強さと、彼女をしっかり支えてくれる仲間たちの優しさがあれば、必ず奇跡は起こると思います。
敗者の現状を見せることで未来への不安と予感を高め、それを乗り越えるだろう主人公への信頼を高めてくれる、良いエピソードでした。