イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第139話『愛フレンド友』感想

かくして、アイドルは神話となる。
プリパラ二年九ヶ月の集大成、直接的には第130話からの三ヶ月をまとめ上げる、パラ宿体制での実質最終話となります。
神アイドル、女神たちの運命、『みんなトモダチ、みんなアイドル』。
自分たちが選び取ったテーマを信頼し、どっしりと腰を落として主人公たちが引き寄せた奇跡を描写し切る、横綱相撲のフィナーレでした。
いい最終回だった、プリパラが好きでよかった……あと一話あるけど。

さてはて、今回のお話は第130話で的確にまとめ上げられた『神アイドルになって、女神を救うという奇跡を起こす』モチベーションが、実現する回です。
神GPの激しいぶつかり合いも、勝負という枠組み自体を壊した女神とのバトルも、全てはこの時のため。
しかし奇跡を起こすステージはすぐには始まらず、じっくりと危機的状況、それに巻き込まれるモブアイドルと、名前のあるアイドルたちの奮戦を切り取ります。

これは同じように世界を救う奇跡を起こし、しかしそのための努力や代償を駆け足で描きすぎた二期を、もう一度描ききる意味合いもあったのかな、と思います。
作り物のお話ですし、女児アニというジャンルでもあるし、起こそうと思えば奇跡は簡単にやってくる。
しかし、インスタントにならざるを得ない奇跡には納得が薄くて、どうにも乗り切れない部分があることを、第88話の性急な描写は教えてくれます。
あの時らぁらと救世主の地位を奪い合ったひびきが、今回は『自分にできることはここまでだ』と素直に白旗を上げていること含めて、救いきれなかった『アイドルは世界を救う』というテーマを、じっくり書き直す意図を、僕は感じました。

それが可能なのは、非常に強力にキャラクターのモチベーションを統一・確認し、守るべきものの価値、それを引き寄せる奇跡の重さを、神GPの前に描いた第130話があればこそだと思います。
あの話で『何故ジュリィとジャニスは救われなければいけないのか』『神GPと、その先にある神アイドルにはどういう意味があるのか』を明瞭にしておいたおかげで、神GPもシリーズ総決算としてのブレなさを手に入れ、一勝負に重みが出た。
あの話で『神アイドルになる→奇跡が起こる→女神が救われる』というラインを作っておいたこと、さらに言えば凄く強調されているからこそ『本当にそれだけで、お話が終わるかは疑問』という予見も可能になる。
ここらへんは今回、めが兄が『本当に神アイドルだけでいいんでしょうか?』と念を押すことで、全員参加ライブへとラインを繋げるいい展開でした。


クライマックスに説得力を出し、展開の価値を確認していく。
そういう骨格部分の太さだけではなく、プリパラと現実が混ざり合い、AI知性達の狂気が滲み出るカタストロフ描写は、SF的な味わいがありました。
プリパラになってから『量産品』であることを隠さなくなっためが姉が、『これで本当に、さよならプリパラですねぇ』と表情を変えずにつぶやくシーンは、メインで扱うことはなかったけど作品を支えていた『無慈悲なプリパラシステム』への恐怖を確認できて、不思議な満足感があった。

カタストロフの最中でも責任の押し付け合いをしてる、各国のめが兄達と合わせて、『マジでクソだな!』って感じの描写だったんですが、だからこそめが兄が本物のタフガイとなり、アイドルには出来ない仕事をやりきったシーンは、見事な輝きを放っていたと思います。
めが姉がどんなことがあっても『システム』であり続けるのに対し、めが兄はセレパラ体制に反攻したり、らぁら達に個人的な肩入れをしたり、長いシリーズの中でじっくりと『人間』になっていく。
いわば『諏訪部順一声のピノキオ』みたいなドラマ性を背負った彼は、小さな描写を積み上げてじっくり変化していった、プリパラの歩み全体を背負うキャラとも言えます。
そんな彼が、アイドルに求められる『耽美で優しいお兄さん』という機能を自分の使命と受け止め、口先だけのスタイリッシュ先送り野郎から、男の肉体を最大限活用し、奇跡のステージを作り上げる自己実現を成し遂げたのは、僕は凄い嬉しかった。
かつて対立していたひびきだけが、人知れずタフガイになったライバルを見守り、『呆れた』というひびきなりの賛辞を送っている所含めて、めが兄の話は良い収め方だった。


他にもななみちゃんが帰還したり、サブキャラクターのクエスト達成に目配せが効いてた回なんですが、やはり最大の見せ場は主人公とアイドルたちに用意されています。
これまでどんなときでも、持ち前の行動力でお話を引っ張ってきたらぁらが決断し、ステージに立ち、奇跡を起こす。
ステージの立ったアイドルだけでは奇跡には足りず、『みんな』の力で奇跡を引っ張り込む展開は、第37話の再演とも言えるでしょう。

雷霆で歌が中断し、『敗者』たる各ユニットのメドレーに繋がる描写も、第37話の栄子を思い出させます。
あの時は『勝者』として選ばれステージに立っていたドレッシングパフェも、今回は観客席で神アイドルを見守る側。
しかし同時に、いの一番に歌い出す栄誉を与えられ、奇跡を引っ張り込む大きな力になります。
ステージは『アイドル』として勝ち残ったものの聖域だけど、観客席が負け犬の掃き溜めというわけでは、けしてない。
むしろ観客席もまた一つのステージなのだ、という展開は、モニターの向こう側にラスト・メッセージを告げるクライマックス前と合わせて、強烈なメッセージを持っていました。
これは『プレイヤーが主役』になれる『ゲーム』というメディアを母体に持つからこそ、生まれた展開だとも思います。


そうして約束されていた奇跡は、分厚い描写に後押しされ達成される。
『アイドル世界の頂上たる、神アイドルになる』という、第1話から掲げられてきた大きな目標を、形の上だけではなく、世界を救済できる特別な存在として描ききること。
これまでの道のりの果てにあのステージがあることを示すためにも、世界の危機は真実味を持って、じっくり描かれなければいけなかったわけです。
まさに大団円、『みんな』を大事にしつつ、その代表として勝ち残った三人をしっかり輝かせる、見事なステージでした。

その上で、ジュリィは霊体を思わせる『特別な体質』に変化し、らぁら達とはまた別の世界を生きることになります。
僕はこれは、変則的な『死』だと思いました。

一期でらぁらは、ファルルの『死』を理解しきれず、その無知と諦めの悪さで死者蘇生の奇跡を成し遂げます。
ニコンが娘の死を嘆き、怒り、拒絶し、散々に泣きちらした果てに受け入れた感情の機微は、子供のらぁらには難しすぎたわけです。
翻って三期、らぁらはジュルル(最後まで、らぁらはずっとこの名前で女神を呼んでいました)のママになり、理不尽な『死』が二人を切り離す運命に憤ります。
そんなことは認めない、奇跡でひっくり返してみせると叫ぶ彼女は、二年の時間を開けて、あのときのユニコンと同じ立場になったわけです。

今週ラストで見せた『いつか会えるかもしれない』『死は永遠の別れではないかもしれない』という希望は、プリパラのみならず、僕らの現実の中でも『死』の理不尽を受け入れる(あるいは麻痺させる)足場になります。
転生によって、あるいは死後の世界によって、あるいは今生きる人々が死者を忘れないことによって、『死』を乗り越えて/受け入れて生きていけるかもしれない。
そういうお伽噺によって、人間はあまりにも辛い『死』にフィルターをかけ、理不尽を受け入れながら生き延びてきました。
ファルルの『死』を理解しきれなかったまま蘇生させたらぁらは、女児アニのファンタジックなフィルターに助けられて、パラ宿の物語が終わるこのタイミングで『死』を理解した。
今回の結末は、まぁそういうことではないかな、と思います。

今回らぁら達がジュルルとの別れを受け入れられるのは、精一杯全力を絞り尽くした結果奇跡を起こし、もう一度会えたことが大きいでしょう。
ジュリィが精霊となってやりたいことの一端は、おそらく来週垣間見えるとは思いますが、それは人間の世界と重なり合いつつも遠い、特別な世界です。
そういう世界に旅立ってしまうとしても、去りゆく人に己の全てを捧げ、悔いなくやり切って一つの結果に納得できたことが、らぁらがジュリィの旅立ちを感謝の気持ちで見送れた、大きな理由だと思います。
そういう気持ちに導くために、一年かけて神GPの値段を上げ、最後にグッと温度を上げまくったんでしょうし。


無論、一期であまりにも完璧に『死と復活』の物語をやりきったため、ジュリィに同じ結末は与えられなかった、というのはあるでしょう。
パラ宿の物語が閉幕し、アイドルタイムが新しく始まる周辺事情では、ジュリィは『次の出番』がある生者ではなく、新しい世界に旅立つ精霊として終わらせた方が、収まりが良かったのかもしれません。
色々と理由はあるのでしょうが、ジュルルを『死なせた』上で不思議な感謝と満足があるのは、赤ん坊の彼女と主人公たちが本気で向き合い、泣いたり笑ったり戻したり、妥協なく『生き抜いた』結果だと思います。

自力では食事も取れない赤ん坊を守り、なんとか意志を通わせ、一歩ずつ成長させていく。
ジュルルの発育を丁寧に切り取ってきた三期が同時に、らぁらが他者を理解し、子供ではなくなっていくお話でもあったと思います。
そんなジュルルは、ママよりも立派な理念を持った女神ジュリィであることを思い出し、ママよりも先に死んでいく。
成長と死のやるせなさを孕みつつも、風に溶けていったジュリィの生き様には、ラストのらぁらとおなじく感謝を覚えました。

思い返してみるとジュリィは、妹を人間を愛せる女神に育て上げる使命、後世を託せる神アイドルを育てる使命、自分自身が人間の喜びを知りたいという願い、全てを達成しています。
人間味を獲得しすぎた妹が、世界がヤバくなろうと姉LOVEを貫いて一緒にシステムに食われかけたのは想定外だったんでしょうが、それも使命をしっかり果たした証拠です。
色んな人を振り回しているように見えて、システムのリセットと後進の育成をやりきり、母娘の愛情、人間の素晴らしさをこれ以上ないほど体感出来たジュリィは、やっぱ立派な女神だったなぁ。
使命感を優先しすぎて自分の願いを押し殺す方向ではなく、世界全体を巻き込んでも自分の願いを叶え、世界も変革する方に賭けるあたり、プリパラのキャラよな。

ジュリィがしっかり走りきってくれたおかげで、彼女の衣鉢を継ぐ形になるジャニスも女神としての貫禄を手に入れ、いい塩梅でお話を終えることが出来ました。
何度もいいますけど、三期中盤以降は彼女が時にガミガミ突っかかり、時にノンシュガーが代表する人間の輝きに感動してくれることで、話が安定性と加速度を手に入れられていたと思います。
去っていった美しい過去が、姉妹の肖像画として新たな女神を見守るラストカットは、そんな彼女に報いるいい終わりでした。
中学生くらいになったノンシュガーが姉たちの高みまで上り詰め、再びジャニスと出会うシーンも見たかったけども……まぁ未練よな。


というわけで、プリパラの二年九ヶ月を総決算する、見事なステージでした。
『みんなトモダチ、みんなアイドル』
この綺麗なお題目に血を通わせるべく、笑いも、涙も、努力も、美しさも、使える手段を全て使い倒し、本気で物語を積み上げてきたアニメが迎えた、視野が広く、充実感のあるエンドマークでした。
第1話でらぁらをステージに向かわせた『プリパラは好きぷり? なら大丈夫ぷり!』をラストに入れてくるところとか、ホント正着を一個も外さず、完璧にやりきってくれた感じです。

しかし最後の最後に、やりきっていない部分をしっかり見つけ、1話使ってエピローグとしてくる目の良さがプリパラ。
ボーカロイドは生まれ持った電脳生命としての宿命を、果たして乗り越えられるのか。
姿なき精霊となったジュリィの優しさは、どんな奇跡をもたらすのか。
そしてアイドルタイムへの出張が確定してるらぁらを、どうパパラ宿に送り出すのか。
プリパラ三年間の総決算、楽しみに待ちたいと思います。