メイドインアビスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
魂の仮宿たる街を背中に、少年少女は地獄を下る。青い空、美しい緑。冒険は楽しく弾み、因縁はそれでも二人を追いかけ、見守り、優しく去っていく。
ハードなアクションがあるわけではないが、ワクワクする異国感と穏やかな優しさに包まれた、旅路の端緒。
というわけで、ついにアビス下りが始まった。レグアーム大活躍でスイスイと下り、ヤバい級のモンスターやらアビス災害やらとも出会わず、スムーズな旅路だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
アビスの縁の風景も、異常なほどに美しい。街にいるときより、穴の中のほうが光が強い異質感。岩場の確かさ、緑の瑞々しさ。美術が凄すぎる。
状況としてはまだチュートリアルというか、待ち構えるハードコアな試練の効果をより高めるべく、安心と油断を高めていくシーンなのだろう。音楽でいえばまだまだイントロってわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
どれだけ腹筋を固めていても油断してしまう、縁の美しい光景。降りて、食べて、警戒する冒険行動のワクワク感。
世界構築の密度が凄いので、ただただアビス下りを当たり前にやっているだけで見ている側としては引き込まれる。普通に降りて飯を食っているだけなのだが、一体何が起こるのやら、自然と前のめりである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
美術のクオリティ、カメラワークの切れ味でこの引力を出し続けているのは流石。映像快楽の本流。
幽界異郷に迷い込む浮遊感を大事にしつつ、レグもリコも当然生きているので、飯を食って排泄する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
リコ汁の調理過程を丁寧に追ったのは、ともすれば美しさに蒸発しかねない彼らの生活に体温を宿す努力だろう。『食えば出る』という当たり前の摂理に伴い、排泄まで匂わせる辺りがカルマの濃さだ。
子供たちが生きていること。頼れるタフガイ、ヒゲオヤジのハボさんが抱きしめるのはそれそのもので、しかしアビスを下るということは命を削るということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
分かっていても止められない。むしろ死への一方通行を祝福するしかない。子供を抱きしめるハボさんの表情を映さないのは、ストイックでいい。
ハボさんほどの確かさはなくとも、今回二人は背中に捨て去ったはずの現世の柵に追いかけられ続ける。最後の授業を課したリーダー、連れ戻そうとする街のシステム。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
そっちの事情を考えられるくらいにまだ余裕があるということだし、その余裕はすぐに無くなるという予告でもあろう。
踏み越えれば自殺として扱われる、二層への到達。彼岸と此岸を分ける線を、リコは喜んで踏み越える。『追っ手を撒いた』と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
しかしそれは、生の岸にしがみつく人々の優しさを振り払い、ずんずんと死に近づいていく歩みだ。食虫花に誘引される蝶のように、アビスの子供は暗い母胎への踏み込んでいく。
アビスの申し子たるリコにとって、街は居づらい場所だったのだろう。母が待つアビスを歩く足取りは元気に弾み、自分があるべき場所にいる喜びに満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
しかしそれは、片道切符異質な足取りだ。行って帰って来る理由、家庭のある大人のハボさんを配置することで、スキップの危うさが強調される。
どちらが正しいというわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
リコはとにかく下に、ハボさん(が代表する大多数の生者)は下がっては上がる。そういう走光性が脳の中に刻まれていて、裏切ることは出来ないというだけだ。
それでも生在の軌跡は奇縁によって交わり、情も生まれる。飯だって分けてくれるし、抱きしめてくれる。
先週のナットとはまた別の形で、ハボさんはリコのスタイルを尊重し、今生の別れと知りつつ微笑んでくれる。かつて肩に乗せた小さな命は、相変わらず片手で抱けるほどに小さい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
それでも、己の血をインクに、死地に己の生き様を書き残す欲動に突き動かされる存在…大人の仲間入りをしてしまった。
それが自分と同じように、生き続ける方向に繋がれば。ハボさんも満面の笑みで祝福できたろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
しかしリコの魂は下に引かれる。町の人々…自分と同じ場所、同じ時間、同じ欲動で行き続けることは出来ない。
だから、死地に赴く二人を抱きしめたハボさんの顔は描写されない。無限の感情がそこに在る。
自殺を到達、優しさを追跡と言い換えるアビスの申し子、リコ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
『アビスから生まれたものは、アビスに帰る』という箴言は、物理的にアビスで生まれたリコ自身にもかかっている。帰巣本能に焼かれて、雛鳥は子宮を目指す。
一層までは素敵なピクニック、よろしい。ではその先は?
命が死に帰還するということは、その過程として暴力があり、残虐がありうるということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
肩透かしのようにデンジャラスを避けたただただキレイな一層な旅路。ハボさんと街のシステムの優しさからスルリと逃れたリコの異質性は、第2層でアビスのもう一つの顔…牙の生えた子宮と出会うのか。
いつ爆発するか解らない、あまりにも美しい爆弾。脈動する生と死の衝突事故を恐れ、同時に期待しつつ、リコとレグの旅路を僕はとても楽しみにしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
誘いの森で一体どんなことが起こるのか。いかなる美しい光景が見れるのか。異郷がごろりと目の前に転がる奇跡を甘受しつつ、来週を期待して待つ。
追記 境界、抽象、普遍性
アビス追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
『アビスの淵』とは良くつけたサブタイトルで、淵は一つの領域ともう一つの領域の接触境界に生まれるものだ。(例えば水と土)
『アビスの淵』は死の領域の境界であると同時に、そこと隣接する性の領域…『街の淵』でもある
境界線を乗り越え、二層に入ったリコは自殺者として扱われる
リコがもう生の側に戻ってくることはなく、生の声が届く線を今回越えたわけだ。それでもリコが『街』にいたこと、生者として共同体に属し、個人史を積み重ね他者と繋がったことは事実としてある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
生者の声がギリギリ届く淵で、非常に人間らしいハボさんが追いつき見送るのは、このタイミングしか無い
それはリコが小さな体でそれでも生きてきた12年の『過去』と、それを超越して己の望みに邁進する(その過程で心も体も傷つくだろう)『未来』との『淵』でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
二つは隣接していて、同時に異質でもある。物語はより昏い方向へと進んでいく。闇と光の接点は、光の領域よりもなお明るい。
世界設定と物語の状況が生み出す、抽象的シンボリズム。このアニメは絵として、構図と色彩を使いこなしてそれを切り取り、浮かび上がらせる技量がとても高い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
それがどこか神話的な普遍性を画面に宿らせ、冒険譚…自己発見の物語としての強度を生んでいる気がする。面白いなぁ、メイドインアビス。