アイドルタイムプリパラ 第23話『地獄アイドル始めちゃいました!?』を幾度目か見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
一ヶ月ほどプリパラの視聴・感想が止まってしまっていて、書こうとしては止まり、あるいは消し、それなり以上の数の方々に期待されつつ身動き取れない状況に、色々申し訳無さと情けなさを感じてきた。
それはこのエピソード、アイドルタイム自体に問題があるわけではなく(むしろミミ子の問題点を解消し、彼女の物語をまとめる話としては非常に収まりが良い)、このエピソードとアイドルタイム、プリパラというものと自分の間合いが、もつれてしまった結果なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
テクスト形式だとどうにもまとまらず終わらないので、Twitterで思うまま描きつつ、なんとか終わりにたどり着きたいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
この形式だと『途中でやめる』は難しい。人の目も借りつつ、自分の中でわだかまっているものを外に出したいと思い、これから感想を書く。乱文になります、申し訳ない。
さて、このエピソードは夏休みのドサ回りも終わり、2クール目を終える直前のまとめ回である。前半の敵役として物語を引っ張ってくれた地獄ミミ子のカルマとエゴを解き、『敵役』から『仲間』へとベビーターンさせる物語、彼女が背負っているものを解体し、まとめ上げる物語になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
その収まりは非常に良い。ふでやすかずゆきらしい理と情が行き届いて、ミミ子の乗り越えるべき問題点、第16話から引き継いだカルマは手際よく昇華されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
瞳と香織との再開、謝罪、和解。アイドルという夢への覚醒。仲間たちの支え。ババリアとの親子関係の確立。必要なものは全て入っている。
怖くて醜い、祭りの赤鬼のような面相をしたミミ子は、アイドルの『仲間』に相応しい可愛らしい外見に変化していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
それは『美醜が存在価値を決める』という話では、当然ない。化粧と衣装は、アイドルという場に相応しいフォルムに己を整えていく努力であるし、元々の自分を開放する儀式でもある。
ミミ子の変化は『イメチェン』の範囲内でギリギリ収まるものだ。あまり恵まれていない容姿(それは『敵役』というミミ子の役割から、おそらく逆算されたものだ)の根本を崩すことなく、声の演技と同じように、心的変化が外的出力に影響を与える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
それはシンデレラが魔法をかけられて舞踏会に行くような、『美しくなければ、女に魔法はかからない』というたぐいのステロタイプではないと、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
主役のステージをキッカケに、ミミ子は頑なに守ってきた自分の鎧を脱ぎ捨て、それで傷つけていた人々との距離感を再定義したいと願った。
そう願えるようになるまでが16話で、そこから先、決意の先にある光景を描くのが今回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
あの時はミミ子の複雑な内面を理解できなかった子供たちも、夏休みの経験を経て少し心的能力が高まり、他者の事情を己に内面化して推測できるようになった。だから、ミミ子の夢をみんなが応援する。
より自分らしく、より他者と喜びを共有できる形に。己をシェイプし、それをステージに乗せて届けていく、アイドルという生き方(『職業』ではないのが、プリパラの現代版ファンタジーとしてのスタンスだろう)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
物語内最大の『是』に近づけば当然外見は変わる。内面が、他者と触れ合う場所が変わるから
そういう、アイドルと美醜、物語役割の変化とキャラクターの内的変化に対して、プリパラはこれまでそうであったようにナイーブであるし、多分これからもそうであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
『敵役』なら倒して終わりでもいいのに、ミミ子が問題を認識し、変化し、『味方』になるまでに話数を割く。報いる。
その姿勢が作品への信頼感、語っている綺麗事への納得につながっているのは、言うまでもなく間違いない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
怖い、醜い外見を選択的に押し付けられ、主役に圧をかける立場を担当し、『壁』として話を牽引した功労者の物語を、手際よくちゃんと終わらせる。販促に推し流れつつ、プリパラは至誠を忘れない
それだけに。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
良く出来ていればこそ、今回一話でミミ子の物語をスパッと燃焼させきり、一切の後腐れなく完結させてしまう物分りの良さが、惜しいとも哀しいともまた違う、一種の違和感に(あくまで僕個人の中で)繋がった。
プリパラはもう少し、キャラクターの不合理を暴れさせる作品ではないか、と
その姿勢はもちろん、沢山の事故を生み出してきた。キチ過ぎて制御不能になったあじみ、カルマを背負いすぎて物語を完走しきれなかったひびき。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
彼女らの物語がメイン貰った二期で収まりきらず、三期ラストまで取っ組み合いし続けたのは記憶に新しい。(それでも、着地点までやりきるわけだが)
プリパラは『良い子になりなさい』とは言わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
『共同体にとって都合の悪い子でも、変えようのない自分を大事にしなさい。他人がどれだけ欠点だと、矯正しろと言っても、魂に刻まれたものは変えようがないから、それとアナタと社会をどう繋げていくかを考え、学んでください』と言う。
そのスタンスが、今児童向けアニメとしてあること、アニメーションとしてあることは、僕はとても意味のあるものだと思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
人類みんなそうだと思うが、『かかるべし』という社会的イメージの強制に違和感と息苦しさを感じてきた自分にとって、人間の業悪まで肯定してくれるプリパラは、有り難い
それはキャラクターを存分に暴れさせ、ハチャメチャな笑いを生み出し、常に『なりたい自分にキャラチェンジ!』を願っている児童(と、かつて児童だったあらゆる人々)に喜びを生み出すことにつながっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
ダメダメなおもしろ人間がさんざん暴れまわることで、作品世界に笑いと嘘のなさが生まれた
収まりの悪さ、聞き分けの悪さ。既存イメージや社会的規範に一旦中指を突きつけ、『都合の良い子』を解体した上で真実あるべき『良い子』を個別に探していく姿勢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
それが死や人間の本性、表現の意味に切り込む物語の強さを生む、プリパラのパワーの根源だと、僕は思ってきた。
ミミ子の容姿の描き方を見ても、それは損なわれていない。ミミ子は『良い子』になったわけではなく、『自分』になったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
しあkしそのスケールは、心なしかシュリンクしているように見える。もっと暴れさせ、もっと深め、もっと掘り下げてくれ。
僕の中の物分りの悪い部分が、ぎゃーぎゃ喚く。
それはあくまで、僕が身勝手に作り上げた『理想のプリパラ』とのギャップの話だ。自分にとって『都合の良い』プリパラを、アイドルタイムに押し付けて非難するスタンスで、作品の『是』だと認識していた部分を、自分自身で裏切るような味方だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
その自己矛盾が、ここまで筆を拗らせた原因なのだろう。
アイドルタイムは、様々な理由によりプリパラからタイトルが変わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
舞台を移し、主人公を変え、挑むべき物語のスケールも、テーマ性も大きく変化した。
『みんな』を代表して背負う英雄の話から、あくまで問題ある個人が一人ひとり、等身大のアイドルとして前に進む物語に軸足を変えた。
一言で言えば、話が小さくなった(と僕は感じた)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
その変化を、アイドルタイムはよく走っている。らぁらに時折感じていた過剰な正しさ、巨大な物語尾を背負う主人公として、物語的正解を掴む(掴んでしまう)圧倒的な能力を、ゆいは持たない。
ゆいはあくまでゆいとして、虹色の目で夢を追うだけだ。
『みんな』を背負うらぁらの巨大な物語は、やはり無印の看板を終えた時に一区切り付いており、ゆいを主人公にしたアイドルタイムは別角度から物語を切っていると、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
『みんな』への愛着がないまま、結果として『みんな』の居場所を作ってしまうアイドル、ゆい。アイドルタイムは彼女の物語だ
その個人的でコンパクトな物語は、無印が手にいられない肌触りを、物語の内部に取り込んでいると、僕は感じてきたし、感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
ゆいだけではなく、にのもみちるも、また『等身大の小学六年生』として捉え直されたらぁらも、カルマとエゴにまみれた一人間だからこそ可能な物語を歩いていると。
ミミ子の物語もまたその延長線上にあって、今回のコンパクトさ、物分りの良さはそこから生まれている(要素が強い)。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
だから、今回のお話が非常に『よくまとまっている』ことを、悲しむ必要はどこにもないのだ。
が、プリパラの『物分りの悪さ』が生み出した広大な光景を思うと、少し寂しくもなる。
そういう、『自分の中のプリパラ』と『現実に目に見ることが出来るアイドルタイム』が生み出したギャップ、ねじれを自分の中で処理できなかったことが、このエピソード、アイドルタイムへの距離感がわからなくなって、ここまで足を止めてしまった大きな理由なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
だが幾度目か見直してみて、『やっぱ良い話だな』と思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
コンパクトで物分りが良い、だがミミ子の3Dモデルは用意できない(販促との兼ね合い、コストを考えれば当然である)アイドルタイムの裏に、やっぱり物分りの悪さと誠実さがあって、悪役に報いる物語を用意してくれるのだと確認できた。
僕はやっぱり、プリパラが好きだ。好きであったし、アイドルタイムになってもなお、僕の好きだったプリパラは形を変え、画角を変え、未だに元気だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
そうすることで、無印では書けなかった物語も書ける。既に描いたものと化学反応を起こさせ、別の風景を見せることだって出来るだろう。
変化し、失われてしまったと思い込んだ要素は、その実やっぱり生きていて、己の物語を生きる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
アイドルタイムはプリパラの続編であると同時に、あくまでアイドルタイムであり、プリパラとは別の物語、別のスケール、別のテーマを背負っている。
その『個性』の現れとして、今回のエピソードがある。
僕はやっぱり、アイドルタイムプリパラが好きなのだと再確認し、Webに表明するまで、一ヶ月もかかってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
グダグダと女児アニにこだわるめんどくさい自分を、全世界に向けて配信する行為に疑問がないわけではないが、まぁこういう自分もひっくるめて自分である。
そんな自分のアイドルタイムプリパラ感想を楽しみにし、お声がけまでしていただいたことに感謝しています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
なんとか自分の中で決着を付け、このように形にすることが出来ました。今後も書いていきますので、よろしくお願いします。
己の物語を燃やし尽くしたミミ子の『その後』が描かれるかは、正直分からない。彼女がとても好きで、共感して、その結果こうも拗らせた自分としては、あって欲しいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
しかし、それが例えなかったとしても、ミミ子は今回出会い外部に胸を張って表明した『新しい自分』を行き続けるだろう。
彼女は自分の物語を終え、悪役として産んだ軋轢を公的な謝罪で回収し、『味方』になった。ここまでの物語が必然的に産んだ感情的・社会的な軋みを、『ネタ』として無視するのではなく、適切に物語化して昇華すること、『その先』がミミ子にあることを宣言することを、アイドルタイムプリパラは選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
それはやっぱり、継続されている誠実さであり、真面目さであり、ステレオタイプで安心してしまいがちな精神にあえて踏み込み、あえてかき回してきたプリパラらしさだと思う。それが死んでいないことの証明だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
こうして一ヶ月グダグダやって、そこを信じて良いんじゃないか、という気になった。
次回のアイドルタイムも、非常に楽しみです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月4日
録画は残してあるので、なんとか本放送に追いつくよう、積極的に視聴・感想を続けていきたいと思います。
また停止してしまうのが怖いので、しばらくはツイート感想の形式でやります。ありがとう、よろしくお願いします。