3月のライオンを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
理不尽で陰惨な暴力を前に、傷つき荒れ狂う心。受け入れてくれない灰色の世界と、受け入れてくれる温かなホーム。抽象と具象、様々な表現を使い分けながら、作品全体が大きな角を曲がる勝負会を、真っ向勝負で描ききった。
辛く苦しいだけではなく、温かで強い話でもあった。
先週衝撃のヒキを素直に受け取って、ひなちゃんがずーっと泣いてる今回。またざーさんの演技がいいもんだから、見てるこっちの心もシクシク痛む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
描いてるモノがモノだけに、重くて痛くてやるせないのは当然だし、渦中にいるひなちゃんの激情がちゃんと視聴者に伝わるのは、正しい演出だと思う。
もともと様々な演出技法をリッチに、アヴァンギャルドに使い分けるアニメなのだが、今回は作画カロリーをぶっこんだ仕草の芝居と、抽象度が高い学校のシーンを見事に対比させ、ひなちゃんを取り巻く世界の色分けを鮮明に伝えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
テクニックがドラマとテーマにしっかり噛み合ってるの、やっぱ良い
今回のお話(というかこの作品全般)は『家』『家以外』の二元論で結構進んでいて、学校のシーンはモノトーンで顔がなく、家のシーンは色がついて、仕草も人間的で細やかだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
それはひなちゃんの実感を反映した、心理写実主義的な描画だと思う。ああいう風に、ひなちゃんの世界は見えているのだ。
図書館の児童コーナーが的確に象徴化しているが、世界の善意を無邪気に信じられたひなちゃんの幼年期は、今回決定的に終わってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
楽しい学校は一皮むけば悪意の塊で、それは特に理由もなく、なんとなくの薄笑いで人間を殺しにかかる。人食いエイリアンの巣に住んでいた事実を、ひなちゃんは知る
学校シーンの抽象性は、これ以上ないほどに勢い良く、世界の『事実』(それが『真実』であるとは、僕も思いたくない)を叩きつけられたひなちゃんの当惑が反映されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
『なんでこんなことになっちゃったんだろう』
ガキっぽい正義感と優しさを無邪気に信じていたひなちゃんの独白に、偽りはない
殴る側の拳は大概痛くないし、人間は半笑いで、その場のムードで人間を追い込むことが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
零くんが学校や幸田家、あるいは両親と妹の死体置場で対面した冷たい『事実』は、ただの中学三年生が受け止めるにはキツい。…悪意にずたずたにされる辛さに、年はなんも関係ないか。キツいな。
最初は顔のあったクラスメイトが、いじめの実行犯以外どんどん顔がなくなり、匿名の無関心に溶けていく演出が恐ろしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
あの透明な悪意の描き方は、幾原邦彦作品が繰り返す描写を思い出させる。運命に押し流される凡俗の醜悪。英雄ならざる人々の防衛反応。百万の悪意の剣。
暖簾に腕押しというか、明瞭なロジックで解決できない『いじめ(と、それを生み出す人間心理)』の厄介さを、灰色の世界は巧く取り出している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
殴りつければ分かってくれるわけじゃない。声を上げれば止めてくれるわけじゃない。ドラマチックな解決法が見つからない息苦しさもひなちゃんを追い詰める
しかし、ひなちゃんは『私は間違っていない』という『真実』を断言する。それが、かつて救われなかった桐山零の魂を、時間を超越して救う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
”人が恋に落ちる瞬間を はじめて見てしまった”とはハチクロの名セリフだが、あの瞬間零くんが落ちたのは『恋』でパッケージされる感情とは、また違う色だ。
疎外されている誰かの、傍にいようと思うこと。そのために踏み出すこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
ああ、確かにそれは間違いじゃない。お爺ちゃんが真っ向堂々と、孫を正面から褒めてくれたことが嬉しい。勇気も善も美も、『事実』の前に無力かもしれないが、無価値ではない。
だが、同時にやはり、無力ではあるのだ。
観念の領域で揺らがない善と、身体的なふらつきと痛みに支配される身体。現実的な悪意の衝撃に殴りつけられたひなちゃんは、薄暗い街…『家』でも『学校』でもない場所を、とても人間的な仕草で走り抜ける。零くんが追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
ライティングの変化を生み出す身体が、非常に丁寧に切り取られる白黒のシーン
あの暗闇での疾走にカロリーと尺を入れたのは、それがひなちゃんと零くんの実感だったからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
分からない、追いつけない。必至の身体は感情と現実から逃げるように/追いつくように息を荒げてふらつく。困惑も、それに追いつき受け止めようとする思いも、全部が本当のことだ。
『家』に帰還し、モモちゃんが泣くことでひなちゃんは『次女』という社会的役割を思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
傷ついてはダメ、モモを守らなくちゃダメ。そういう規範意識は、父母のいない川本家で明言されることはなく、しかし確かに存在していたのだろう。そこに帰還しようとするが、上手く行かない。いくはずもない
傷つかない『お姉さん』でいなければいけないのに、実際に心はズタズタになっている。子供のように泣きじゃくりたいのに、『家』の序列がそれを許してくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
あそこで追いかける役が『家』の外に半分、足をおいている零くんなのは、ある意味当然なのかもしれない。部外者にしか出来ないこともある
困惑と不安定、必死さと激情を込めた走りが終わり、二人は『家』に帰還する。そこは灰色ではなく、温かい。食事が用意されていて、アタマを埋めることが出来るあかりさんの大きな胸もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
『家』に帰ったからと言って、問題が解決するわけじゃない。明るい光は、一瞬のシェルターでしかない。
でも、それがなかった幼少期の桐山零はどうなったのだろう。愛してもいない将棋をシェルターにすることしか許されず、子供のように泣きじゃくることを禁じられた零くんの苦闘を、僕らは見てきたはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
ひなちゃんは同じ道を歩まないし、周囲の人が歩ませない。そのためにみんな必至だ。
涙がモリモリ出ても、心がバラバラになっても。腹は減るし、鉱物を食べれば元気は出てしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
そういうノーマルな人間反応を、凄まじい分解能で仕草を切り取りつつ各食事シーンは圧巻である。人間のみならず、猫まで圧倒的なリアリティを背負い、『動物らしい動物』として描かれている。
心と社会性を手に入れてしまった動物として、人間は様々なケア装置を開発してきた。精神補修材としての食事もその一種だろうし、それが効かないような状況にひなちゃんを追い込まないよう、『家』は頑張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
追い込まれて追い出されるしかなかったのが、ちほちゃんってことなのかなぁ。キツいな。
最後に零くんが一人、影の中でごちるように。シェルターの中で魂を修復しても、透明な悪意は消えやしない。問題は何も解決していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
しかし、ひなちゃんが冷たい場所に一人で放って置かれるわけじゃない状況を確認できたのは、荒れ狂う嵐の中で大事な光明だったと思う。盲亀の浮木、優曇華の花。
今回は『家』『家以外』の対比だけでなく、メインキャラクターの年齢差もスマートに切り取られていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
幼年期にいっぱなしのモモちゃんは、理由もわからずお姉ちゃんの哀しさだけを感じ取って、自分も泣く。オレの心に泣き声が刺さる。
政府は久野美咲に、名誉幼女認定を出すべき時期に来てると思う
中学三年生で純粋な学生のひなちゃんは、児童コーナーの小さな椅子には身の丈が合わず、でも残酷な世界の『事実』を飲み込めるほど大人でもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
当惑し、苦しんで、でも15年間蓄積してきた生き方が、『私は間違っていない』と吠えさせるほどには自分を持っていて。そういう歳だ。
あかりさんは必死に『母』を演じ、エプロンを付けご飯を作る。泣きじゃくる『娘』を豊かな胸に抱きしめ、安心を与えようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
でも彼女だって、未だ20代の小娘だ。あまりにむき出しの暴力を前に、逃げ出したひなちゃんを前に足が竦む。その震えを隠して微笑む姿は、勁く痛ましい。
お爺ちゃんは前回の孫バカっぷりを収めて、真面目な顔でどっしり座る。つまんねぇ常識や建前を振り回す『良くない大人』をちょっと予感させておいて、俺達が言ってほしかったことを言い切ってくれるジジイに、信頼感しかねぇ。ありがとう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
言うべきことを言った後は、楽しんでるふりをするのも流石だ
お爺ちゃんだって、万能無敵ってわけじゃない。大人だからこそ、大人なのに弱い生き物を守れなかった不甲斐なさに当惑もしているだろう。(ここら辺、ひなちゃんとモモの関係に通じるものがある)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
だが、それはやっぱり隠す。一番震えている弱い者のために、胸を張って嵐の中で立つ。とても立派だ。
そして零くん。ひなちゃんと違い、親を亡くして三界に家なく、理不尽な暴力を前に『僕は間違っていない!』と叫べなかった少年は、薄暗い情念と付き合うことに慣れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
棋士という職業を持ち、冷たい『事実』に満ちた世界と指し合う経験の豊富さ、三歳の年齢差が、ひなちゃんと違う世界を広げる。
『あのクズども、全員ぶっ殺してやる』という発想は、ひなちゃんには思い浮かばない。零くんは体内でそれを荒れ狂わした後(荒い描線が素晴らしい)、冷静に噛み殺して不器用に笑顔を作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
殺すのが『ひなちゃんのためになる』のなら、殺してたのかなぁ…やりそうな『凄み』があるのが、恐ろしいな。
それは草食系の仮面をかぶりつつも、零くんが『男の子』ということかも知んないし、あくまで経験と個性に裏打ちされた一個人の差異に収まるかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
ひなちゃんも冷笑に思わず殴りかかってるわけで、怒りを暴力で表明したい激情は、男の専売特許じゃないか。
そうやって各々バラバラでありつつ、『家』は(名字の違う零くん含めて)人を包み、守り、養う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
バラバラのまま、顔のない嘲笑と見て見ぬふりに満ちた、灰色の世界もある。様々な…衝突し矛盾しもする無数の『事実』を内包して、世界はある。
そういう諸相を、適度なメランコリーで描く回だった。
では『家』は無条件に人をつなぐ、絶対に灰色にならない特権的な場所なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
これは原作の先取りになるが、この荒波の次の大波で、『家』もまた特権的な繋がりの場所ではないことに、この作品は切り込む。これもまた、顔の見える悪意に満ちて超きついわけだが。
『家』『学校』という形式が、無条件に価値(あるいは無価値)を持っているわけではなく、より良くなるよう頑張る人々の努力と優しさが、『場』に明かりを灯す(あるいは消す)のだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
そうそう頑張れない凡人達の顔も含めて、それぞれの戸惑いと踏み込みを丁寧に、印象的に切り取る回だった。
さてこのアニメは今後、この渾身のエピソードを足場に、透明な嵐渦巻く『家以外』と戦っていくことになる。今回は、まずその二元論からだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
温かな『家』を守るべく、ひなちゃんより少し『大人』な零くんは自分の涙ではなく、誰かの笑顔のために戦い始める。その変化は、やっぱ良いものだ。
将棋を指す意味。生きて闘う理由を見つけられなかった少年が、道を見つける。その決断はやっぱ良いものだし、興奮もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月5日
それを生み出した事情が哀しくやるせないのは、まぁ別の問題だ。そっちもちゃんとやるのは、今回の仕上がりを見れば確信できる。大きな節目を終えて、次回以降も楽しみです。