ラブライブサンシャインを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
ハレの祭りは、夢のお葬式。滅びゆく浦女をキャンプファイアーで火葬して、私たちは笑顔で死んでいく。滅びゆく種族の歌を背負い、Aqoursは永遠となるだろう。さよならだけが人生だ。
祝祭の光と死の影が猛烈なエモさの中でダンスを踊る、良いエピソードだった。
いつも通りの浮かれポンチエピソードと思いきや、非常に濃い色の『死』が激烈な陰影を付けたことで、バカ騒ぎに異質なリアリティが宿るという、不思議な回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
ぶっちゃけサンシャイン二期ってかなり迷走してたと思うわけだが、第7話で『死』を定めてからは異様な重さと湿り気が一本背骨を入れてる
色んな場所に見事な陰影があるのだが、まずAqoursではなく浦女の物語にしっかり仕上げた所が良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
メソメソと世を恨みながらではなく、胸を張って滅んでいく。『ラブライブ』という祝祭の物語らしい決断を果たしたのは、Aqoursメンバーではなくモブ女子だ。その特権譲渡が、まず良い。
みんなで最後の祭りを作り上げていくワクワク感と、あくまで等身大の学生らしさを大事にした美術。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
どことなくショボくて、血が滲むほどに手作りで、一つ一つ自力で浦女の棺を飾っていく作業を、カメラは丁寧に切り取る。その落ち着いた描画が、凄く良い。
どれだけ浮かれて騒いでも、それはあくまで空元気。終わりと無残な敗北が確定した世界の中で、それでも我々はここにあったのだと胸を張って滅んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
その誇りは、スクールアイドルAqoursだけの特権ではない。OB含めた浦女の生徒、歴史を共にした内浦のローカル全体が共有するものだ。
そういう広さと重さを確認することで、これからAqoursが向かう舞台の意味はより鮮明になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
空に放った風船の弾丸のように、浦女の墓碑銘をラブライブに刻む。今回の祭りは、その前奏であり、出陣式でもある。笑顔の奥の悲愴は、どれだけ隠しても滲む。
しかし強がりだけがそこにあるかと問われれば、否と応えるしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
少女たちは皆楽しそうに準備し、祭りに飛び込んでいく。そこで弾む心、揺れる青春は偽物ではない。約束された滅びも、一瞬のきらめきも、全部本当のことだ。
そういう陰影を背負って、ラブライブがある。
戯れのように、永遠のスクールアイドルを口にする千歌と曜。μ'sが終わることで永遠になったのとはまた別の、終わったとしても続く日々と、終わるからこそ永遠をもぎ取ろうという意志。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
直接μ'sに言及することが減った二期のほうが、サンシャインのμ's論は適切になっている感じすらある。
様々な女たちが、祭りの狂騒の中でふれあい、笑い合う。エモさの棍棒で視聴者の側頭部をドヤしてくるラブライブ流の展開が、随所で牙を研ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
存在しない未来を予言するヨハネの占い。道化のセイウチを演じる少女たち。賑やかで楽しいのに、やはりそこには影がある。それが多幸感を地面に縫い止める。
特に小原は側にあり続けるダイヤとの相乗効果で飛んでもないことになっていて、マジ死ぬかと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
小原がみんなに謝った時、俺マジ『小原は悪くない! 小原は頑張った!! 胸張れ、顔上げろ!!』って口に出してたからね。キモい、もう死ぬしか無い。
死ぬかはさておき、積極的に道化を演じていく鞠莉の楽しい仮面と、そこからはみ出る涙がよく切り取られるエピソードだと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
ずっと支え合ってきた理事長室で、ダイヤはそんな鞠莉の二面性をずっと支えてきた。だからあのとき、鞠莉の背中を押すのがあの子なのは、圧倒的に正しい。
学園の外に出れば、小原を抱きしめる特権は果南のものだと思う。だが、浦女というアジールの中で共有した時間と感情質量を考えると、今回はダイヤだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
燃え尽きたキャンプファイヤーの象徴性がエグい。あれは荼毘に付された青春の残骸であり、仏舎利抱えてAqoursは闘うのだ。
こっからは妄想の話だが、今回のお話は一話かけた”僕たちはひとつの光”へのアンサーなのではないか、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
無印映画の最後を飾り、μ's神話の終わりを飾ったあの曲と同じ感情が、あそこよりも遥かに劇的ではない、ローカルで地べたに足がついた時空でも展開される。
滅びを前提にそれでも祭りを選んだスタンスは、”涙はいらない このまま踊ろう 手を振って もっと振って”という別れに、強く通じるものがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
終わりの先に続く時間、終わるからこそ輝く一瞬にの肯定には、”時をまきもどして みるかい?”という問いかけに”NO 今が最高”と答えた気持ちを感じる。
笑って終わりを見送り、胸を張ってエンドマークを迎える姿勢は同じだが、μ'sが”小鳥の翼がついに 大きくなって旅立ちの日だよ”と断言できた景色を、Aqoursはまだ見ていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
”夢の中で描いた 絵”を掴むのは、まだ先の物語だ。その差異と合同が、僕には妙に面白い。
μ'sの終わりは非常に幻想的な、時間的にどこと断言できない涅槃で執り行われた。蓮華座のようなステージで、μ'sは己を滅して伝説となり、音ノ木という外殻だけが残った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
その夢模様と、今回の祭りは大きく違う。身体性と土着性が強くあって、土と潮と涙の匂いがする。青春を燃やした遺骸がある。
光に満ちた夢と、闇の中で輝く炎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
Aqoursより一足先に浦女を殺した今回の祭は、サンシャインが如何に前作と異なっているか、何がサンシャインの独自性なのかを、巧く切り取ったと思う。
後ろ向きで、湿っていて、暗くて、光っていて熱い。その異様な質感が、僕はとても好きだ。
守りきれなかったこと、滅んでいってしまうこと。誰も口にしなかった現実に、どうしても頭を下げざるを得なかった小原を前にして、生徒はAqoursを呼んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
歌ってくれ、と。私たちがここにいたことの証明を、高らかに歌ってくれと。それがスクールアイドルにしか出来ない弔いなのだと。
あくまで現実の延長、学生の祭りの延長として切り取られた今回のEDは、μ's以降のラブライブが内包するありふれた一風景を、見事に活写した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
伝説は継承され、日常の中で死んでいく。それでも、スクールアイドルには出来ることがある。想いよ、ひとつになれと歌うことが出来る。
滅びを約束されたちっぽけな人間が、音楽の女神様と契約して一瞬手に入れた、魔法の時間。それを永遠にするべく、Aqoursは進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
変えるべき場所はもうない。燃やして、胸の奥に埋めてしまった。待っているのは、確定した負け戦だ。それでも、スクールアイドルは歌う。
前作が持っていた多幸感と万能感からは遠く離れた、悲愴と壮絶のスクールアイドル武士道。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月17日
それがAqoursの到達点だというなら、ああ、僕はそれを祝福したい。そういう気持ちになった、明るい青春の葬式だった。異様だが、凄く面白い。何なんだ…このアニメ。来週も楽しみです。