文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~ 第13話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
最後の文豪として、”歯車”に潜る太宰。激闘は書き換えられた物語を超え、図書館を焼く。
『人を殺し、何が文学かッ!』
吠える怪物に罪の刃で応え、交わる思いと思い。
炎の先にある新生は、文豪に新たな夜明けを連れてくる。
そして極光は…
そんな感じの、文アル最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
いやー…変なアニメだったなッ! 最高です!!
デウス・エクス・マキナ的なアルケミストの介入、書き換わったルールの先にある新たな闘争、余韻と疑問を残すラストカット。
最後まで貪欲に、色んなものを盛り込むアニメであった。
『こんな生真面目に、不格好になるほど本気で自分たちが選び取ったモチーフと格闘して、作品作らなくても良いのに…』という気持ちと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
『モノ創る以上、このくらいの気概で取っ組み合いしなきゃ、本当はダメなんだ』という気持ちが3:7くらいで今胸に巣食っている。
文学とは何か。人はなぜ、苦しみつつも文字を紡ぎ、それを受け取って己の人生を変えていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
ポップな外装の外側に、滔々と横たわる人類文化の精髄。
それに対し形を借りるだけで終わらず、自分たちなり、アニメーションなりの”文学”を刻もうとあがいた爪痕が、最後まで鮮烈な作品であった。
ポップに消費してもらうには、個人的には本気すぎ重すぎ外部の文脈に頼り過ぎだと思うが、同時にこのぐらいの熱量と重さでやってこそ、何かを借りてモノを創れるとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
過剰な思い入れと力みが荒れ狂う怪作であるが、僕にとっては頭からケツまで本気の、とても良い作品であった。
偽・芥川が阿修羅の如く奮戦するアクションシーンの切れ味、太宰と二人の芥川の感情の宿った表情。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
モチーフの解体批評で終わらず、自分が作り上げたドラマとキャラクターに対しても見せ場と、視聴者なりの答えを結実できる材料を用意したのは、エンターテインメント作者として誠実だったと思う。
ポップな消費物でありながら、シリアスな文芸批評でもある。その両方を必然的に備えてしまう自作の立ち位置を、しっかり見据えて作った作品だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
『文学を焼き尽くす怪物と、転生した文豪が戦う』というファンタジックな骨組みに、芥川批評、あるいは文学論を盛り込み、血肉を宿すために。
作家と読者(あるいは作品)、実在と虚像、善と悪に分裂した芥川の相生相剋を盛り込み、”芥川”に救われた太宰治を置く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
虚実愛憎入り交じる彼らの関係性をたっぷり描写した上で、確定した結論を出さないことで、観測共犯者として視聴者を巻き込む。
そういう仕掛けが、僕は機能していると思う。
ならば僕も、藪の中不確かなこのお話をどう受け取り、(それこそ、偽・芥川の歯車を己に収めた真・芥川のように)どう自分の中に収めたか、ちゃんと語るのがスジというものだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
僕自身も、書くことで不確かな感覚を確かめたい気持ちがある。よろしければ、最後の一筆、お付き合い願いたい。
というわけで『最終話でもOPヨシ! と思ったら、バキバキに侵蝕されてるよ~』という始まり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
『ここで”神様みたいないい子”はズルいよなぁ…』とか、『硝子細工のシーンはやっぱ、芥川の残影だったのね』とか、『ようやく掴めたか』とか。
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色々感じ入るものはある。最終回だってのに新OP、やっぱり気合の入り方が凄いなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
雑音の少ない初期OPに比べると、後期になるほど情報量が多く、文豪生前の業に接近していく演出が、ルールの書き換わった世界で生きなければいけない文豪たちの”その後”に、妙に重なっても見える。
酒もメシもなかった図書館は、武器の仕様を解禁され、人間の愚かしい泥が流れ込んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
死して業を滅し、生身の浅ましさから解き放たれたはずの文豪たちは、また泥にまみれて生きねばならない。
僕は『戦いの合間に、彼らは蓮のように美しい”新作”を書くのだろうか』と考える。
それは作中で描写されることのない、勝手な妄想だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
しかし書くことが、生きることにも死ぬことにも直結する、あまりに人間的な営為だと(作中で吠えたように)するなら。
そしてそれが、生きる苦しみと裏腹の、泥の中にこそ咲く花だというのなら。
武器を取り上げられた楽園の中では生まれなかったモノが、このOPを超え、決着した後の図書館からは生まれるのかもしれないなと、勝手に思うのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
それを見ることは叶わない。アニメは終わるし、死人は喋らない。
でも、夢を見るのは人の自由な力で、それがあるからこの作品も生まれた。
もし不思議な世界と凶悪な敵が文学に立ちふさがり、文豪がその焼滅と戦ってくれるなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そんな夢を、光と影両面から照らしきって描かれたお話。それを受け取って、僕が勝手に色々思うのも、僕としては悪くないのかな、と思う。
作品と読者が、切り離されつつ呼応できるのは有り難いことだ。
かくして、潜書が始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
侵蝕者は最良の読者…あるいは批評家のような遠さで、”芥川龍之介”を論じる。
”歯車”を語るその口調はあくまで、自分が体験した主観ではなく、知らないからこそ精査しようとする誠実な客観に基づき、紡がれていく
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金貨のように発光する文豪歯車を自分で砕き、それでも身近に置いている怪物に、30枚の金貨で救世主を売ったユダにも見える。”LOS CAPRICHOS”か…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
愛すればこそ、死を以て終わりを与える。
偽・芥川の狂愛は、悪魔に取りつかれたが故か、はたまた芥川が生み出した彼が、生来背負った業なのか。
『絶望的な状況を跳ね返す足場としてアルケミストを出すのならば、もうちょいキャラクターとしての存在感を出さないと、都合の良い装置にも見えるな』などとも思いつつ、文豪同士の関係性にフォーカスしたこの物語で、文豪以外を目立たせるのも難しかったろう、とは思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
アルケミストがどんな存在であったかは、その敵対者たる侵蝕者が本当の所どういう存在だったのかと同じく、薄ぼんやりと藪の中である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
シリアスで重たい最終局面なのに、石がピカピカ光って無茶しようとすると、課金限界ギリギリまでぶっ込んむプレイヤーの姿が見えてしまう…悪魔よ去れッ!
アルケミストの尽力で飛び込んだ、”歯車”の世界。車が真っ二つになるバトルに興奮するのは、ウテナ世代だからしょうがないっ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
愛の怪物が絶望と読み解いた世界に、刻まれた”芥川龍之介”の史実。ぼんやりとした不安に殺された男の絶筆。
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それを黒く塗りつぶして、幸福に眠らせる。筋書きを書き換えて、書物を焼き尽くす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
芥川龍之介のアルター・エゴとして生まれついた存在は、そういう形でしか自分≒他人を救えないところに追い込まれた。
偽りの幸福、運命の書き換え。それが確かに、甘い夢だと”太宰治”は知っている。
”走れメロス”で、あるいは”人間失格”で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
歪んだ自作に取り込まれ、狂った筋書きをそれと知らず演じつつ、奇妙に満たされていた経験を。
そんな歪みに向き合ったからこそ、泥の奥に沈んだ自分を見つめ直せた体験を。
そして、確かに救われた思い出を。
持つからこそ、太宰は”芥川先生”が自分にしてくれたことを、最後の文豪戦士として果たすべきことを、その鎌で成し遂げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
子供を惨殺する時の修羅の表情が、僕はとても好きだ。
可能ならば、甘い夢に酔わせてあげたかった。
その思いは、多分偽・芥川も太宰も同じだ。
しかし文豪は文学を守り、侵蝕者は文学を焼く…という、ロールの違い以上に、芥川の読者であった体験、諸作品を読んで救われ(あるいは地獄に突き落とされ)た記憶が、道を違えた感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
偽・芥川にとって”芥川龍之介”は、自分であって自分でなく、他人であって他人ではない。
『愛せよ』と額に刻まれ生まれ落ち、自死の運命を変え得なかった彼は、運命を呪い文学を呪う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
その暴走の奥で一番呪っていたのは、創られた役割を果たしきれなかった己自身なのではないかな、と思う。
彼の芥川への愛が、最初から刻まれた自動的な反応なのか、意志の籠もった選択なのか。
悩める太宰治にとっては自明の問いかけが、人造物にとっては永遠の謎である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
芥川も罪作りだなぁ、と、彼のゴーレムがかなり好きな僕としてはつくづく思う。
『愛せよと』生み出したのならば作者の責務として、その愛で救われてあげればよかったものを。
しかし身の内から溢れ出たものはどうしても、垢の匂いがついてまわるのか、芥川は鏡合わせの自分では救われなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
文学も、妻も、友人も、誰も芥川を救えぬまま彼は死んだ。
そこに至る道筋は、どんなミステリよりも難しい謎だ。
人は、なぜ死ぬのか。
それは生きる理由を追う歩みと常に裏腹で、不可知論者な僕には答えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
偽・芥川は文学が愛する人を殺したと断罪し、実行犯を焼くべく…安らぎを与えるべく黒く染まった。
それが真実を掴んでいるのか、一方的な思い込みなのか、判断する基準も僕にはない。
ただ彼の中に、泥のような憤怒と、とても綺麗な愛の花と、なすがまま見守るしかない無力感が同居しているなと、寂しく観察するだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
侵蝕者の愛は己の起源には届かず、彼が人生を賭したものを焼く。
文豪の刃を前に、悲しみを超えたかった怪物は立ち尽くし、救済を見つめる。
そして太宰が怪物であり、戦友でもあった男に抱く思いは、彼のカルマを解放して新しく歩みだすことを許しはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
皆どうにもならない業の、動かし得ない運命を前にして立ちすくみ、無力を噛みしめる。
そういう描写が、このアニメ非常に多い。
無頼派に混じれない中也であったり、志賀の死に目に同行できなかった実篤だったり、志賀が燃えるのを呆然と見守った文豪たちであったり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
何かが致命的に崩れていくのを、呆然と見守るしか出来ない無力感。
それは、史実に書き込まれた運命を書き換えられなかった、侵食者の哀しみと重なる。
ここで偽・芥川の虚しさ(あるいは、太宰の哀しみ)と重ねるためにそういう演出を積み上げてきた、とも言えるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
人はすれ違い、愛は歪んで救いはない。
四苦八苦に転がりまわった挙げ句、どうにも儚く終わるしかない人の業は、ずっとこのお話につきまとう。
それが芥川を殺したのか、それがあるから芥川は書いたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そんな疑問に、このアニメは答えを出さない。
多分その両方が混じり合っていて、人のあがきというものはそれがどんなに必死で尊くとも、不可思議な理不尽に届かない時があるのだな、と僕は受け取った。
”唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
あるべき一文を少しだけ変えて、太宰は幸せな幻影に終止符を打つ。自分が”あなた”に、そうしてもらったように。
女ならぬ彼にとって、生前出会えなかった太宰にとって、当然芥川龍之介は”お父さん”ではない。
でも、この物語では出会えたから。救い、救われることが出来るから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そんな文豪の絆から、侵蝕者ははじき出されている。
己の夢の終わり、荒れ狂う理不尽を前に、ただ見ていることしか出来ない無力を噛みしめる。
それがなんとも寂しくて、同時に正しいなと思った。
さて、”歯車”の潜書は終わり舞台は図書館へと移る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
太宰は怪物の一撃を避けず、怪物は憎悪を燃やして彼を苛む。
『俺の背後には、文学があるから』
そう嘯く文豪戦士だが、それが全部と受け取るには、ちと血の色が赤すぎる。
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太宰くんは言葉にしないけども、後に戦友に首を絞められた時の姿勢を思えば、潜書者の歪んだ悪意を全部、自分に引き受けるつもりだったのだと、僕は勝手に思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
彼自身、すんごい歪みを大暴れさせて、戯けたメロスになったり、つまんねー殺人鬼になったり、仲間をボコボコ殴ったものだ。
大事なものを焼く”敵”ながら、侵蝕者が歪めた物語に向き合うことで、新しい…そして大昔に眠っていた本当の自分に出会い直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そのカタルシスを身を持って知っているから、太宰くんは大事な仲間の歪みを、本を飛び出した図書館で受け止めようと…偽・芥川を正しく浄化しようとしたのではないか。
そんなロマンティシズムで、二人の激闘を読みたくもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
やっぱなー…この二人の関係が、僕は好きだったんだと思う。終盤ポッと出てきた本物ではなく、あくまで偽物でしかないが戦友としては圧倒的に本当な、奇妙なコンビが。
だから殺し合う二人が、哀しくも微笑ましい。
そこまで覚悟を固めた太宰くんは、決着の一刀を真・芥川に譲り、一緒に死んでやることも出来ない。結局、心中には成功しにくい星なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
シャドウとの対峙は、本人がやるしかない。
物語の基本からいっても、人間の在り方からいってもそんなもんだが、しかし可能なら、己が救いたかったろう。
その叶わぬ無念は、愛する存在として生み出され、愛で死を克服し得なかった(が故に狂った)アルター・エゴと、同じ気持ちかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
文豪たちも大復活、久しぶりだな志賀直哉。テンション上がるクライマックスだが、僕はどうにも寂しい
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アルケミストが砕けることで、図書館を覆っていたルールは変わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そこは暴力と堕落の存在しない浄土ではなく、死に至る苦しみととびっきりの快楽が同居する、ありきたりの世の中へとなっていく。
アルケミストはなぜ、己の領域で文豪に酒と刃を禁じたのか?
これは本筋からかなり吹っ飛んだ問いかけだけども、湧き上がってきたので書き記しておく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
顔のない”それ”は、死んだ文豪を霊界からわざわざ呼び覚まして、文学が消える危機に立ち向かわせた。
そこには文学への敬意と、死せる魂が生前たっぷり被った泥から遠ざけようという、仏心があった気がする。
酩酊も闘争も、あくまで誰かに汚された嘘の中のフィクションであり、文豪が新たな現実として生きる図書館の中では、それを禁じて守りたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
しかし侵蝕者はそのルールをクラッキングし、偽・芥川が一方的に剣を振るう世界として、”図書館”という書物を歪めた。
どうやっても、人の業がつきまとうのなら
それを新たなルールとするべく己を砕き、文豪たちの新たな生、自分が引き寄せた戦いを書き換えよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そんな心情を、僕はパキンと割れる石に勝手に思った。
最終回は話を〆るものなのに、マージで今回説明しないので、自分で決めなきゃいけないポイント多いなぁ…不親切で素晴らしいッ!
文豪が芥川一人を取り囲み、銃で撃って剣で切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
駆り立て猟のようなその戦いの中心で、悪鬼のような表情で刃を握る怪物が、僕にはどうにも綺麗に見えた。
憤怒に燃えるその表情には、嘘がない。
愛するものを死に追いやった文学への、純粋過ぎる青い炎が燃え、文豪としての記憶を焼き払っている。
その獅子奮迅は、正しさに敗北する直前の灯火であって、彼は世界を焼ききれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
芥川に自分が正しいと思った救いを与えることも出来ず、あくまで文豪として、共に物語を走った仲間として手を伸ばした太宰くんに報いることも、また出来ない。
生前葬であったように、間違いだらけである。
でも、不自由な泥の中であがき、己の中から湧き上がる紅蓮を振り回すその必死さは、嘘がない。嘘がなく真正であることは、文学に置いてはとても大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
歯を食いしばり多勢に立ち向かうこの怒りこそが、偽物でしかなかった芥川が今書き連ねる、彼の文学なのかもしれない。
そんな綺麗なまとめで整えられるのは、地獄の悪鬼には真っ平御免だろうけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
あくまで文豪として、仲間の助けを借りて侵蝕者を追い詰めた太宰は、しかし一刀の後無防備に武器を捨て、しがみつくような腕に喉を締められる。
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顔のひび割れが涙のように、悪鬼の頬を伝う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
その苦しみを見ていられない菩薩心が、暴力の嵐を前に身を投げ出させたのか。
太宰くんは、己の行動を語らない。それが何処にたどり着くかの結末も、途中で断ち切られてしまう。
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志賀の刀を受け取り、己の刃を影に預け、芥川は自分のうちから溢れたものに、愛せよと命じそれを果たせなかった命に、ようやく向き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そこで決着をつける特権は、芥川龍之介の人生、その主人公である芥川にしかない。太宰治は、本来出会うはずもない脇役だ。
それでも、ここで出会った。書き記された魂の記録を通じて、救われた気持ちになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
友だちになれた。
その事実に重きを置くからこそ、”読者”太宰治は”作者”芥川龍之介の憎悪を喉に受け止めようとして、果たしきれない。
太宰は、メロスにはなりきれなかったのだ。
業に苦しんだ芥川の心が生み出した、彼最良の”読者”であるゴーレムは芥川作品を全肯定し、後に全否定する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
『消えてほしいわけじゃないからこそ、本気で批評する』
そのバランス良い姿勢を貫いて、一度命を燃やした志賀の刃でその極端が切り落とされるのは、やっぱり正しいけども少し寂しい。
極端な結論に飛びつかず、目の前の作品、目の前の命をしっかり見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
ただ愛するのでも、ただ憎むのでもなく、思いと叡智を駆使してしっかり読む。
”読者”としてのスタンスは、そりゃ志賀のほうがスマートで正しい。持続性もあるし、生産的だ。
でもアルター・エゴが突っ走ったような、愛蔵極端過ぎる”読み”もまた、そこに宿る感情の総量は、最善の批評家にけして負けていなかったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
その想いを自分なり受け止め、決着させたかった…書物の外にある”芥川龍之介”という作品を、歪みに向き合い新たにしたかったからこそ。
芥川は自分の影に、自分の刃を預けたんじゃないかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そこで自分に殺されるわけに行かないのは、一回死んだモノの意地、というところか。まぁ殺されてあげれば、偽・芥川が救われるというわけではないしな…。
しかし…どーにか皆がハッピーになる結末、なかったもんかね!
まぁ、ないのである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
こんだけ本気で執筆の業、生きることの理不尽を掘り下げたお話なら、死のカタルシスでもって収めるしかスジはなかろう。
自分が作ったものに、嘘をつかない。それもまた、良い文学の条件だと思う。
文アニはマジ、自分に嘘はついてねぇからよ…そこが好き。
青黒い呪いではなく人の涙を流して、光の粒と消えた怪物を、己の胸に納めて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
戦いは終わり、新しい日々が始まる。暴力解禁、堕落解禁である。メシも自分で作んなきゃいけないし、モノも勝手には直らない。
さらば、本に満ちた浄土。
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アルケミストの加護が弱まったこの世界が、どんな戦いを贈るのか。遠ざけられていた暴力と快楽を身近にして、それに溺れ死んでった運命を、文豪共は遠ざけられるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
それは語られざる物語だが、いやはや、どうなるもんかね。
武器が使用できるってことは、絶望したら死ねる、ってことだからなぁ…。
侵食者が糾弾していた、苦しみに満ちた文学の土壌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
美しい蓮を生み出すカルマの泥は、図書館に満ちた。
これでようやく、文豪は巨大なシステムの歯車ではなく、堕落と死に満ちた一人間として自由に、歩き直すことになったとも言える。楽園追放の話やったんかな…。
そして芥川は、届かぬオーロラに己の影を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
それが見れるのが、偽・芥川の歯車(彼が文豪でもあったことの、微かな証明)を取り込んだ芥川だけで、太宰くんは出会い直せない所が、最後まで真摯で残酷だな、と思う。
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捻じくれた運命の果てに生まれた、光と闇の落し子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
彼と駆け抜けた13話が楽しかったから、太宰くんは死んでもいいとすら思えた。己の心中を証明するために、命を使ってもいいと。
それほど焦がれた相手と、太宰くんは会えない。己と向き合うということは、そういう断絶も含むのだ。
同時にそれが太宰くんに見えない影であることが、芥川が自分の生み出した”作品”に始末を付け、その愛と憎悪をしっかり収めた証明でもあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
もう、影法師が一人歩いて、身勝手な愛で世界を焼くことはない。そうやって灰燼に帰した後、不死鳥のように新たに生まれ直した世界を、芥川は進んでいく
それが幸福な旅路となるか、破滅の道のりとなるかは、僕らの想像にしかない物語だ。少なくとも今は。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
でも、この続きは個人的には、いらないかな、と思う。
この図書館、この文豪たちで書ける物語は、やっぱこの13話で書ききれた感じがある
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というわけで、”終”一文字である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
いやー…面白かったです!
色々あったこの夏、半ば穴埋め的に見させてもらった作品ですが、そんな不遜な態度を蹴り飛ばすように、キャラは可愛くドラマは元気で、創作姿勢は異常なほどに真剣だった。鬼気迫るほどにガチだった。偉い。
何度か言ったけども、感想を書くかは迷った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
自分語りになりますが、僕にとって文学は自分を構成する非常に重要なピースで、ないがしろにされれたと感じれば思わず踏み込みすぎるだろうと、ずっと思っていた。
思わず身を乗り出しすぎた感想で、余計なことを言うだろうな、という危惧があった。
それはまぁ実現してしまって、どうにも恥ずかしい限りなんですけども、しかし見る前に思っていた腑抜けたポップさは、このお話にはなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
前のめりに本気でぶん殴ったら、描写と演出、キャラとドラマで殴り返してくる力強さ、過剰な本気さがしっかりあった。
そこが、アニメオタクであると同時に(あるいはそれ以上に)文学オタクである自分としては、妙に嬉しい視聴体験でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
『コイツ、本気で殴ってもイケる』
そう思い込んでしまって、毎回力み過ぎの長文を書いてきましたが、それも楽しかった。
思い返すと明言も出来ねぇ曖昧な描写に、読者勝手の妄想を押し付け、『これが答え』だとばかりに色々断言しておりました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
こういうことをしないよう、自分は自分の書くものを”感想”と定義しながら、アニメを見て文字を書いております。
そういう流儀を、このアニメでは破った。
破らされるだけのパワーがあったし、破って”自分”を勝手に出さなければ、必要なだけの粘り腰で向き合えなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そういう体験を久しぶりに引っ張り出されたのは、疲れはしましたが心地よいもので、なんとも有り難いことです。
いやー…アニメ以外の本、沢山読んだなぁ。機会をくれて有り難い。
作品としてみるとほんわか文豪仲良し絵巻と、バチバチ潜書バトルと、地獄めいた愛憎のカルマがてんこ盛りで、器から不格好に溢れる力作、怪作でありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
偽・芥川の起源が見えてきてからは、規定の尺に収めるにはあまりに思い入れが強すぎ、語りたりないと感じる部分も多々あったと、正直思います
しかしそれでも、そういう形で描かなければならなかった製作者の必然というものは、荒れ狂う炎となってしっかり僕に迫ったし、その熱量が作品を好きになる誘蛾灯となり、引き込む魅力でもありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
人は選ぶでしょう。難しいし、答えを確言せず強制的に読ませるし、隙間も多いアニメです。
しかし、好きですし正しい作品だったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
何かを借りてきてお話を作り、それを世に問うて評価と金銭を貰い受けるのならば、思わずバランスを崩すほどの”本気”を見せて欲しい。
願いつつなかなか叶わないスタンスが差し出され、僕には欲しかったものが届いたようで、嬉しかったのです。
そんな大きなスケールから少し離れて、キャラの織りなすドラマを見ると…みな可愛かったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
迷走しまくりの主人公、太宰くんを筆頭に、史実のトンチキダメ人間共をうまくキャラクター化しつつ、血の滲む切実な業からも目をそらさず、上手くお話を編み上げていました。
EDに二人の芥川の融和を予言する『藪の中のジンテーゼ』を配置し、虚実入り交じる作品世界、真偽定かならぬ文学の価値を炎の中で再生させ、新たな業へと漕ぎ出す終わりへと繋げた構成も、また好きでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
テーゼたる潜書者と、アンチテーゼたる侵食者が混ざりあった存在として、極光の下の芥川はいる
それは愛せよと生み出され果たせなかった、不格好な怪物が死を超えて、己の本文を果たせた結果なのだとも思っています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
”終”の先にいる芥川は、時折自分が生み出し歪めたもう一人の自分と、彼の人生の物語を思い出すでしょう。
それが、誘惑と絶望に満ちた新たな図書館で、彼を守る鎧となるか。
はたまた再び、ぼんやりとした不安の歯車で押し潰す痛みに変わっていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
それは描かれない、ページの先にある物語です。
そういうものに想像が及ぶお話ってのは、僕は豊かですごく好きなんですよね。キャラが自分の中に根付いて、勝手に生きだしたってことだから。
文豪が顕現するフェティッシュに”歯車”を使いつつ、最終決戦を芥川が死に追い込まれる記録である”歯車”にするの、ホントエグいよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
文豪たちはいつでも、透明な不安に押しつぶされて、生前と同じように身を持ち崩し、あるいは死ぬかもしれないとも取れる描写じゃんアレ。
でもそういう危うさこそが文学を生み出し、人の尊厳を本に託して未来に解き放つ、大事な揺籃なのでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そのような人の営みの精髄として文学を愛し、今新たに”文学”を知る入り口として、己自身の物語を紡ぐ独自の”文学”として、凄くシリアスな態度を貫いてくれました。
いやー……面白かった。
OPにも引用されている、”人生は地獄よりも地獄的”という言葉は、芥川の”侏儒の言葉”から取られています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そこで芥川が恐れ怯えるのは、何も繰り返しではない、全てがランダムで不可思議に満ちた生のあり方です。
ルーチーンに決まりきって答えがある地獄は、全てがぼんやりと不安な生よりも容易い。
そんな怯えを抱えつつ、観測不能な人生に面白みを感じていたからこそ、作家・芥川龍之介は不確定な”藪の中”を覗き込み、ぼんやりとした不安に追い詰められつつも、それを血の滲んだインクで書き記していったのだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
堕落する自由と、好奇でいる可能性が生まれた、新たな図書館。
そこで戦い続け、生き延び続ける宿命を背負った文豪たちが、新たな生を楽しく生き延び、自分たちの物語を新たに紡いでくれると良いなと、見終わって思いました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月13日
そういう祝福をもって感想を終えられるのは、本当に有り難いことです。
面白い、素晴らしいアニメでした。ありがとう、お疲れ様。